光市母子殺害事件のすべて・残された本村洋さんの現在

光市母子殺害事件という、その後の司法や社会に大きな影響を与えた出来事の概要と詳細を紹介いたします。事件の被害者遺族である本村洋さんの行動や、木村洋さんが司法や法改正にどのように貢献したか、事件を機に、司法がどのように改正されたかを詳しくお伝えする内容です。

光市母子殺害事件のすべて・残された本村洋さんの現在のイメージ

目次

  1. 1光市母子殺害事件とは?
  2. 2残された夫、本村洋さん
  3. 3犯人の大月孝行(旧姓・福田孝行)
  4. 4「犯罪被害者の権利確立」のために

光市母子殺害事件とは?

1999年の4月に山口県光市で、光市母子殺害事件は起きました。当時18歳の少年に、母子が無惨に殺されるというニュースは、テレビで大々的に報道され、日本中の注目の的となりました。

今回は光市母子殺害事件のすべてと、残された本村洋さんの現在を詳しくご紹介します。

事件の概要

当時18歳だった福田孝行被告が、23歳主婦と0歳11か月の娘を殺害しました。

福田被告は、配管整備をよそおい社宅に侵入し、被害者女性を強姦しようとしましたが、激しく抵抗されたため、「殺してからヤれば簡単だ」と考え殺害し、動かなくなった被害者女性の手や口をテープで塞ぎ、死姦しました。赤ん坊は、必死に抵抗する母親の近くで泣いていました。

死姦が終わってからも泣き止まない赤ん坊の首を絞め、窒息死させました。

事件そのものの結末とは

福田被告は二人の命を奪った後、女性の遺体を押し入れに、赤ん坊の遺体を天袋に隠し、財布を盗んで逃走しました。

福田被告は逃走した後、盗んだ金を使い遊んで暮らしました。そして、四日後に逮捕されました。

光市母子殺害事件の判決は、事件翌年の2003年には山口地裁が無期懲役としましたが、被害者遺族である本村洋さんの頑張りにより、2008年の4月に広島高裁で死刑判決。2012年2月20日に死刑が確定されました。

残された夫、本村洋さん

残された被害者女性の夫である本村洋さんは、自分の妻と子の無念を晴らすため、加害者に死刑という判決を与えるために戦いました。その結果、はじめに下された無期懲役の判決は覆され、死刑判決を勝ち取りました。

事件のその後、現在の本村洋さん

事件の後、本村洋さんは妻と娘を思う辛い胸中を世間に伝えるために、行動しました。捜査状況が被害者遺族にまったくもたらされないこと、被害者側のプライバシーは守られないのに、犯人の実名は世間に公開されないことなど、被害者家族が持つ怒りや疑問を、世間に訴え続けました。

本村洋さんの自分の妻と子を奪った犯人に対する熱い姿勢と執念は、日本中で共感を呼び、少年法を改定する大きな力になりました。

全国犯罪被害者の会における活動

本村洋さんは凶悪犯罪による被害者の抱える思いを受け止めるため、全国犯罪被害者の会を立ち上げました。

本村洋さんは、幹部のひとりとして被害者や被害者家族を救済するため、自分の体験を執筆活動を通して伝えたり、全国に講演してまわったりしました。

本の出版について

本村洋さんは、自身の思いや体験を綴った本を出版しています。「光市母子殺人事件」「罪と罰」「天国からのラブレター」の三冊をだしていて、「天国からのラブレター」という本は、2000年と2007年に形を変えて二回発売されています。

どの本も、事件の詳細を鮮明に記してあります。

再婚については賛否両論な意見も?

2009年に7歳年上の同じ職場の女性と再婚しています。本村洋さんの再婚を祝福する声と、ついに無念を晴らすことができたというタイミングでの再婚発表ということで、再婚に否定的な意見もありました。
亡くなってしまった被害者女性弥生さんと本村洋さんの結婚生活は、本村洋さんの著作「天国からのラブレター」でも触れられていますので、事件前の本村夫妻のことについてもっと知りたいという方は読んでみてはいかがでしょう。

犯人の大月孝行(旧姓・福田孝行)

光市母子殺人事件の犯人、福田孝行被告は福田孝行という名前から大月孝行という名前に変わりました。獄中で、死刑反対を唱える運動家と養子縁組を結んだからです。

養母となったのは大月純子という女性で、1970年に神戸で生まれ、人権団体の一員として活動しています。

光市母子惨殺事件の被告を養子縁組した大月純子

生い立ちや家庭環境

大月被告の家庭環境は、恵まれたものではありませんでした。大月被告の幼少期に実母は自殺し、実父に暴行されて育つという悲惨な幼少期を送っています。

暴力により大月被告を支配した過去のある実父は事件後の取材で、「僕にどうしろというのか。できることは頭を下げることしかできない。けど、下げる機会はなかった。」など、自分の子どもが犯したことに対する責任をまったく感じさせない発言をして、世間の反感を買いました。

反省の気配が皆無な言動

大月被告は獄中で友人に向け、手紙を送っています。その内容は、本村洋さんを馬鹿にしたものや、大月被告が自分の犯した罪が軽いものであると考えているということがわかる内容でした。

さらに精神鑑定の際には、「来世は僕は弥生さんの夫になる可能性がある。そうなったら洋さんに申し訳ない。」などと不可解な話をしており、大月被告のこの発言に対して本村洋さんは、「反省していないことの証だと思います。」と語っています。

突飛すぎる弁護士の主張

大月被告の弁護を担当した弁護士は、「死体に精子を入れれば生き返る。」などという暴言について、「悪意はなかった」「殺意を持っていなかった」などと弁護し、被害者家族の本村洋さんの傷ついた心を無視した主張を繰り返しました。

この弁護士の発言は、大月被告を守るためではなく、とにかく裁判に勝つために弁護をしているという印象につながりました。

現在は死刑囚

2012年の3月に死刑が確定された大月被告の死刑執行はまだされておらず、現在も広島拘置所に収監されています。

光市母子殺害事件に対する世間の関心は、2012年の大月被告の死刑が確定されたことのより、終結をむかえたと考えられ、残された弁護団は置き去りにされています。

実名入り本の出版

大月被告の実名公開を許可していないのに、実名が公開されている本が出版されました。

加害者家族からの差し止め請求があったので注目を浴びることとなりましたが、文章力と内容から、「空回りの本」「読む価値なし」と評価され、著者に対する批判の声が多く寄せられました。

「犯罪被害者の権利確立」のために

加害者側が守られるのではなく、被害者側のプライバシーが守られるべきであるという訴えが広まり、その訴えは他の犯罪被害者遺族を守るため、今も続けられています。

光市母子殺害事件の被害者遺族である、本村洋さんの訴えの中で被害者家族に対する配慮のなさが浮き彫りになりました。

家族の死を悲しむ間もなく、世間の注目の的となり、時には心ない言葉を浴びせられます。そんな悲しいことを防ぐため、戦い続ける必要があります。

事件に関して残した言葉

「遺族としては応報感情を満たされて報われる思いはある。しかし社会としては、被害者の弥生さん、夕夏さん。そして加害者の被告人という3つの命が奪われる結果となった。これは明らかに社会にとっては不利益なこと。」

この言葉は被害者遺族である本村洋さんが、2008年に待ち望んだ、加害者の死刑判決をうけて、会見で残した言葉です。

光市母子殺人事件の被害者家族として生き残った本村洋さんは繰り返し命の重さを訴えます。

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