福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要・犯人や関連人物

福島女性教員宅便槽内怪死事件は、昭和天皇が崩御された1989年に起きた謎に包まれた事件です。亡くなられたのは、福島第二原発の保守管理会社に勤め、田村郡都路村の青年会に所属する25歳の若者でした。福島女性教員宅便槽内怪死事件の謎と真相を探ってみます。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要・犯人や関連人物のイメージ

目次

  1. 1福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要
  2. 2福島女性教員宅便槽内怪死事件の考察
  3. 3福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相
  4. 4福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物と行動
  5. 5福島女性教員宅便槽内怪死事件のその後
  6. 6福島女性教員宅便槽内怪死事件に関する映画
  7. 7村社会の光と影

福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要

福島女性教員宅便槽内怪死事件は、1989年の2月28日に福島県田村郡都路村の教員住宅の便槽から若い男性の死体が発見され、不可解な点が多いところから「怪死」もしくは「変死」と言われてます。都路村は現在では田村市に併合されていますが、福島女性教員宅便槽内怪死事件当時はまだ田村郡都路村でした。

福島女性教員宅便槽内怪死事件で死亡していたのは、都路村の青年会に属していたナオさん25歳でした。発見したのはこの便槽がある教員住宅の住民で、都路村立古道小学校に勤めていた女性教員(23歳)です。

若い男性が若い女性の家の便槽内に覗き目的で入り、寒さと胸部圧迫により窒息した事故死と発表されています。しかしながら、事故死にしては謎が多すぎる事件です。それゆえに福島女性教員宅便槽内怪死事件、もしくは変死事件と名付けられました。その真相を少しづつ追いかけてみましょう。

1989年は1月7日に昭和天皇が崩御なされた昭和64年であり、平成元年でもあります。福島女性教員宅便槽内怪死事件の4日前2月24日には、昭和天皇を弔う大葬の礼が行われました。ナオさんは2月28日に遺体となって発見されています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件はなぜ「怪死」なのでしょうか。その死因にはどんな疑問点があるのでしょうか。

どうやって便槽内に侵入したのか

福島女性教員宅便槽内怪死事件の一番不可解なところは、遺体が発見された便槽です。住宅の便器の便槽口は直径20cmと、とても成人が一人が入れる大きさではありません。福島女性教員宅便槽内怪死事件の発見の糸口となった、汲み取り口のマンホールも直径36cmと成人男性一人が入るのにはあまりにも狭すぎます。

成人男性は肩幅は悠に40cmはあります。36cmは成人女性の肩幅の平均値です。福島女性教員宅便槽内怪死事件で遺体となったナオさんが小柄な女性であったなら入れないことはなかったかもしれませんが、このような小さな穴に自分から入るのは決死の覚悟がいります。覗き目的だけでその決死の覚悟ができるとは考えられません。

福島女性教員宅怪死事件は、まず遺体を収容するために便槽そのものを重機で地中から掘り出しています。その便槽の中でナオさんは、上半身裸の状態でセーターを胸に抱え、死因は「凍えと胸部循環障害」「覗き目的で便槽内に入り凍えた事故死」が福島女性教員宅便槽内怪死事件に対する警察の見解でした。

福島第二原発

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福島女性教員宅便槽内怪死事件で、遺体となって変わり果てた姿で収容されたナオさんは、地元の高校を卒業後、福島第二原発の保守管理会社に勤めていました。勤務地は福島第二原発です。福島第二原発は、1982年に一号炉が完成し二号炉は1984年、三号炉は1985年、四号炉は1987年と次々と建設されて発電を開始しています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の発覚前から、双葉町や大熊町そして都路村などでは原発誘致賛成派と反対派がいたでしょう。

福島第一原発は双葉郡双葉町にあります。福島県立双葉高校の演劇部は、福島第二原発一号炉の完成直前の1981年に福島第二原発誘致問題を取り上げた創作劇をいわき市(当時は平市)で行われた県大会で上演しています。

原発立地の双葉郡では、いかに福島第二原発建設が住民の関心が高いテーマだったかが窺われます。田村郡都路村はこの双葉郡大熊町に隣接しています。福島女性宅便槽内怪死事件で亡くなられたナオさんが勤めていたのは、この福島第二原発のための保守管理会社です。下請けのまた下請けという現場仕事だけを受け持つ会社だったでしょう。

福島女性教員宅便槽内事件に関する当時の報道

福島民報は3月2日付けの朝刊で、福島女性教員宅便槽内怪死事件を報じています。福島女性教員宅便槽内怪死事件は、遺体発見現場が便槽という点とその死因及び発見現場での証拠に不可解な点が多いことから、当時のワイドショーなどでも福島女性教員宅便槽内怪死事件は取り上げられました。

しかし、ひと月後に足立区綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件が起こり、ワイドショーの関心は福島女性教員宅便槽内怪死事件から、女子高生コンクリート詰め殺人事件に報道に移ってしまいました。

そして、この福島女性教員宅便槽内怪死事件は、日本のお茶の間から忘れられていく存在になっていきます。唯一、雑誌AERA(朝日新聞出版)が1989年7・4号で福島女性教員宅便槽内怪死事件を取り上げています。

4000人が署名嘆願

田村郡都路村(現在は田村市都路町)は、福島県警三春警察署の管内です。福島女性教員宅便槽内怪死事件を捜査したのはこの三春警察署と古道駐在所です。田村郡三春町は、田村市に隣接する桃と梅と桜が同じ時期に咲く土地なので、三春と名付けられた歴史のある町です。

戦国時代の東北の勇者、伊達政宗の正室愛(めご)姫はこの三春の出身でした。愛と書いて「めご」と読むのは、現在でも愛らしいという意味の福島の方言「めんごい」に残っています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件捜査後の三春警察署の「覗き目的に便槽内に入り凍えと胸部圧迫による事故死」という公表に納得できないと、故人ナオさんの両親や親族を中心に友人、知人4000名が署名して福島女性教員宅便槽内怪死事件の再捜査を嘆願しましたが、三春警察署はこれを却下しています。

現在の田村市の人口は3万人強です。五つの町村が合併した数字が三万人程度ですから、震災と原発事故の影響での自主避難で人口が減ったという計算を入れても、当時の都路村の人口は一万人もいなかったと推測できる数字です。

4000という数字は、村人の半数が署名をしたと考えてもいいでしょう。それほどまでに福島女性教員宅便槽内怪死事件は、隠された謎があまりにも多かったのです。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の考察

福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者は、この教員住宅にすむ女性(当時23歳)です。この女性教員は、大葬の礼が行われた24日から休暇をとり実家に帰省していましたが、28日に帰宅しています。

「トイレに入って何気なく便槽内を覗くと、靴のようなものが見えたので外に出て汲み取り口を見ると、便マンホールの蓋が開いて、中を覗くと人間の足が見えた」彼女はすぐに教頭先生他同僚の教員を呼び、同僚教員の一人が警察に通報しました。ここから福島女性教員宅便槽内怪死事件が発覚します。

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通報を受けてまずはじめに現場に駆けつけたのは、古道駐在所の警官でした。続いて村の消防団員、そして三春署員が現場に到着しています。彼らは便槽内にいる人間を引っ張り出そうとしますが、マンホールは直径36cmとあまりに狭く、出すことは不可能でした。そこで重機を使い便槽そのものを掘り起こし、便槽を壊して遺体を収容しています。

この時に立ち会っていたのは、問題の便槽がある住宅の住人である若い女性教員、そしてその同僚数人と教頭、古道駐在員・三春署員、村の消防団数名と重機を提供した会社もしくは個人と重機運転者と推測できます。福島女性教員宅便槽内怪死事件の発覚現場には、多数の人が証人としてその現場にいたのです。

遺体の身元はすぐに判明

収容された遺体は、すぐに同村にすむ青年会所属のナオさんとすぐに判明しました。第一発見者の女教師はナオさんの知り合いです。福島女性教員宅便槽内怪死事件の遺体収容過程で関わった消防団員などにも、ナオさんを知る人がいたと考えられます。都路村は山間の小さな農村です。村の青年会に属している活動的なナオさんのことは、駐在所員も消防団員も知っていたと考える方が自然です。

遺体は検死前に二回も洗われた

遺体は、便槽を壊したその場でホースの水で洗われました。そして、消防団の詰所に運ばれてそこで再度洗浄されました。その後、医師の検死が行われています。検死結果、死因は「凍え兼胸部循環障害」「死亡推定時刻は発見された日の二日前26日」と判定されています。

狭いところで胸部が圧迫された末の凍死であるという見解です。警察は「ナオさんは女性教員の局部を見たいがために便槽に自ら入り事故死した」と発表しました。

4000人の署名は、検死前に二回も洗浄された遺体の「検死結果」は真実を隠蔽するもので納得できないと考える親族友人・知人が再捜査を求め、4000人が賛同して三春警察署に提出されています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相

福島女性教員宅便槽内怪死事件は不可解な点が多く、真相はいまだに闇の中にあります。なぜ三春警察署は、4000名が署名した再捜査の嘆願書を却下したのだろうか。この事件が起こる前の当時の都路村、そしてナオさんの状況はどうだったのであろうか。福島女性教員宅便槽内怪死事件の前後に起きた事件などを探ってみます。

福島第二原発三号炉

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福島女性教員宅便槽内怪死事件の二ヶ月前に、ナオさんの勤務地である福島第二原発の三号炉で、再循環ポンプの破断事故が起きています。回転翼が破断して部品が炉内に入り込み、担当者も被曝というかなり深刻な事故でした。前年の暮れから警報機が何度かなったが、無理やり操業していた末に起きた事故だったという人もいました。

この事故の管理責任者はナオさんの同僚だったでしょう。

上野駅での自殺

福島第二原発で起きた三号炉の破断事故の管理責任者は、福島女性教員宅便槽内怪死事件の前の月の正月明けに、東京にある東電本社に出張した帰りに上野駅で飛び込み自殺をしています。

事故の責任の重圧に耐えかねた末の自殺だったのでしょうか。本当に自殺だったのでしょうか。そして当時のナオさんはこの同僚の訃報をどう受け止めたのでしょうか。便槽内で遺体として発見されるまでの日々をどう過ごしていたのでしょうか。

村長選挙

福島女性教員宅便槽内怪死事件の直前2月に、都路村では村長選挙が行われています。この時の選挙はかなりの接戦で厳しい選挙だったでしょう。ナオさんも青年会の一員としてこの村長選挙に協力していました。

しかし、選挙期間の途中で選対事務所に姿を現さなくなったでしょう。一体、何があったのでしょうか。なぜナオさんは、選挙期間の途中で協力するのをやめたのでしょうか。

過去に起こったいたずら電話

第一発見者の女性教員は過去にいたずら電話に悩まされたことがあり、彼氏に相談したところ、彼氏と彼の友人だったナオさんがそのいたずら電話を録音して警察に届出をしています。

警察はこの件では結果的には動かずに終わりました。ナオさんは犯人をほぼ突き止めたと話をしていたと、後日ナオさんの友人が語ってきます。このいたずら電話の犯人は一体誰だったのでしょうか。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物と行動

高校時代は仲間とバンドを組んでいた

ナオさんは高校時代は仲間とバンドを組み、ギターをひき作詞ノートも作っていました。成人してからは村の青年会に属し、結婚式の司会などを頼まれることもよくあったでしょう。この側面だけを見ると、村の人気者と見えます。言いよる女性もたくさんいたようなイメージがあります。

「覗き」目的で「ストーカー」になって女性の住宅の便槽に入り込む若者とはどうしても考えられないのです。三春署に提出された再捜査の嘆願書は「覗き目的に便槽内に侵入し凍え死んだ事故死」という警察の判断に納得できない人は両親、親族そして職場の同僚や知人な4000人もいたのです。

2月24日から行方不明

ナオさんの家族の証言によると、2月24日午前十時頃に誰かが自宅にナオさんを迎えにきて「ちょっと行ってくる」と家族に言い残し、車で外出したまま帰宅しませんでした。死亡推定日の26日までの三日間のナオさんの足取りは全くつかめていません。ナオさんの車は、女性教員宅に近い農協駐車場で鍵がつけられたまま発見されています。

古道駐在所員・三春署員・消防団員

第一発見者の同僚教員から通報を受けて駆けつけた警察官、そして消防団員は便槽を壊し、遺体をホースの水をかけて洗い収容しています。事件現場はなるべく保存したままで検死をするのが本来ですが、福島女性教員宅便槽内怪死事件では現場写真はほとんど残されていません。

ナオさんの遺体は、収容現場と消防団員の詰所の二箇所で洗われた後で検死されています。検死写真は数枚残っているようですが、どのような形で現場で遺体となっていたか。を伝える証拠は全くないのです。

片方の靴は少し離れた土手で発見されている

第一発見者の女性教員は「便槽をのぞいてみたら靴が見えた」と証言しています。では、その靴のもう片方はどこで発見されたのでしょうか。片方の靴は、女性教員宅から少し離れた土手で発見されています。ナオさんは、靴を原っぱに片方脱ぎ落として片方だけを頭に乗せて、直径36cmのマンホールから女性教員の局部みたさの「覗き」が目的で侵入したのでしょうか。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者の女教師は短大卒

福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者はその住宅の住人です。この女性教員は短大卒でした。小学校の教員は普通、学士(4年制大学卒)でなければなれません。しかし、彼女はなぜか短大卒で小学校の教員として採用されていたのです。

学士号を持っていたとしても、バブルの絶世期は教員の職につくのは大変なことでした。なぜなら、すでに少子化が進み各地の小・中学校は生徒数が減少方向にあったからです。新しい教員を雇うための空き席がほとんどなかったのです。産休の代用教員として何年も過ごした人も稀ではありません。

教職につけずやむなく塾教師や家庭教師などの職を選んだ人もいる時代でした。その時期に短大卒で教員として採用されたこの女性は、教育委員会に繋がる何らかの強いコネがあったと一部の人が推察してもおかしくはない時代背景があったのです。

女性教員は休暇中だった

この女性教員は大葬の礼が行われた24日から休暇を取り実家に帰省していました。ナオさんはこの女性と知り合いでした。過去にいたずら電話の問題を彼女の恋人と一緒に解明しようとしたくらいの親交がありました。

福島女性教員宅便槽内怪死事件が起きた都路村は山間の農村です。みんながみんなを知っている家族のような付き合いが村民のルールの村社会です。「ナオさんが女性教員が実家に帰省中だとは知らなかった」というのは考えにくいです。村社会では「あー、あそこの先生は明日から実家に帰るらしいよ」と挨拶がわりに隣人の近況を話すのが「普通」です。

そのような農村で高校時代はバンド活動をし、青年会に属し村長選挙にも協力したナオさんが女性教員の不在を知らずに「覗き」が目的で便槽内に入り込んだとは考えにくいでしょう。

福島女性教員宅便槽内怪死事件のその後

壊された便槽は復元された

ナオさんの遺体を収容するために破壊された便槽は、その後父親の手によって復元されています。ナオさんの父親にとっては息子が「覗き」のために便槽内に自ら侵入したとは考えられない事だったのです。同居していた母親や祖母も同じく警察の発表は信じられなかったのでしょう。

この復元された便槽が今どうなっているのかは定かではありません。田村市都路町は2011年福島第一原発事故で避難区域に指定されました。

駐在所員、医者は離職

福島女性教員宅便槽内怪死事件の現場に立会い、ナオさんの遺体を検死前に洗浄した駐在所員は、福島女性教員宅便槽内事件の捜査打ち切り後まもなく離職しています。ナオさんの検体を依頼されて検死した医師も同様に、福島女性教員宅便槽内怪死事件後まもなく職を離れています。

電力会社主催の住宅コンテスト

福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者の女性教員の実家は、のちに家を新築しています。この家は「電力会社」主催のコンテストで「県知事賞」を受賞しています。このコンペは福島女性教員宅便槽内怪死事件後です。改築費用など不透明な部分が多かったのですが、個人住宅のために追求はされずに今に至っています。

県知事はその後、プルサーマル計画に反対を表明

福島女性教員宅便槽内怪死事件の前年1988年に衆議院議員、自民党公認福島選出の佐藤栄佐久氏が、衆議院議員を辞職して県知事に立候補し当選しました。立候補当時は「プルサーマル計画」を了承しています。

しかし、県知事就任後徐々に福島第一及び第二原発を操業する東京電力の情報隠蔽体質と県民の不安との間で考えを変え、後年は「プルサーマル計画」に異議と反対を表明しました。

東京電力が計画していた福島第一原発の6、7号炉の建設計画は県知事の反対にあい、中座してしまいました。しかし2006年に佐藤栄佐久知事はスキャンダルにより辞職に追い込まれます。原発推進派の新知事、佐藤雄平氏に代わり、2009年に双葉町の井戸川町長が6、7号炉の建設計画を了承したことで、東京電力の計画は元どおりに進んでいきます。

2011年に起こった東日本大震災時の原発事故で、故郷を捨てて避難民となった井戸川町長は、自分の愚かさを悔いて震災後は原発反対運動に参加し、2014年の福島県知事選挙に立候補しますが落選しています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件に関する映画

バリゾーゴン 罵詈雑言   監督・渡辺文樹 1994年

福島女性教員宅便槽内怪死事件を題材にしたこの映画は、福島県いわき市出身の映画監督、渡辺文樹氏が自ら出演して、福島女性教員宅便槽内怪死事件に関わった関係者にインタビューしています。オムニバス形式で実在の人へのインタビューから成り立つドキュメンタリー映画の部分と推定ドラマの部分とを交差させています。

渡辺文樹監督は、福島大学教育学部在学中から自主制作の映画を作り始め、1987年作「家庭教師」でデビュー、福島大学を卒業後はいわき市で家庭教師をしていた経験から製作した16ミリ映画です。1990年作「島国根性」は日本映画監督協会奨励賞を受賞、カンヌ映画祭にも出品されました。

いわき市は福島第二原発がある双葉郡楢葉町に隣接しています。自らが出演して地元で起きた福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相を解明しようという意欲に溢れた作品です。公開は1994年、この年は「バブルの崩壊」が騒がれました。

この映画の推定部分のドラマでは、ナオさんは集団リンチによって便槽内に押し込まれたと描かれています。これは、福島女性教員宅便槽内怪死事件の事実に反していると評する人もいますが、村社会の隠蔽体質を描き出している秀作です。

村社会の光と影

福島県田村郡都路町は、東北本線が通る福島県中通りと常磐線が通る浜通りに挟まれた阿武隈山渓の山間にある片田舎です。最寄りの鉄道は磐越東線ですが駅にも遠く、車がなければ非常に不便な土地柄です。車の運転免許を持たない高校生は、郡山市やいわき市にある高校に通うために下宿をしなければいけない場合もあります。

山間の農村では昔から続く村社会が現在でも続いています。村の習慣にそぐわない人間を阻害する「村八分」は、現代でもまだまだ行われている日本の悪習慣です。福島女性教員宅便槽内怪死事件はこういった村社会の影の部分と言えるでしょう。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故により、旧田村郡都路村は避難区域に指定されました。2012年には一部帰還が許可され、2014年には帰還が可能になりましたが、今でも除染作業は続けられています。

福島女性宅便槽内怪死事件の真相を今後も追求することで、田村市都路町となった都路の村社会の闇が光の元に映し出されれば、原子力業界の不透明な部分に鋭く切り込むメスとなり、福島第一原発の事故収束を透明化する一助になるでしょう。今後二度と、福島女性教員宅便槽内怪死事件や福島第一原発事故のような悲劇を起こさないための礎となるでしょう。

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