2021年11月29日公開
2021年11月29日更新
福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要・犯人や関連人物
福島女性教員宅便槽内怪死事件は、昭和天皇が崩御された1989年に起きた謎に包まれた事件です。亡くなられたのは、福島第二原発の保守管理会社に勤め、田村郡都路村の青年会に所属する25歳の若者でした。福島女性教員宅便槽内怪死事件の謎と真相を探ってみます。

目次
福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要
福島女性教員宅便槽内怪死事件は、1989年の2月28日に福島県田村郡都路村の教員住宅の便槽から若い男性の死体が発見され、不可解な点が多いところから「怪死」もしくは「変死」と言われてます。都路村は現在では田村市に併合されていますが、福島女性教員宅便槽内怪死事件当時はまだ田村郡都路村でした。
福島女性教員宅便槽内怪死事件で死亡していたのは、都路村の青年会に属していたナオさん25歳でした。発見したのはこの便槽がある教員住宅の住民で、都路村立古道小学校に勤めていた女性教員(23歳)です。
若い男性が若い女性の家の便槽内に覗き目的で入り、寒さと胸部圧迫により窒息した事故死と発表されています。しかしながら、事故死にしては謎が多すぎる事件です。それゆえに福島女性教員宅便槽内怪死事件、もしくは変死事件と名付けられました。その真相を少しづつ追いかけてみましょう。
1989年は1月7日に昭和天皇が崩御なされた昭和64年であり、平成元年でもあります。福島女性教員宅便槽内怪死事件の4日前2月24日には、昭和天皇を弔う大葬の礼が行われました。ナオさんは2月28日に遺体となって発見されています。
福島女性教員宅便槽内怪死事件はなぜ「怪死」なのでしょうか。その死因にはどんな疑問点があるのでしょうか。
どうやって便槽内に侵入したのか
福島女性教員宅便槽内怪死事件の一番不可解なところは、遺体が発見された便槽です。住宅の便器の便槽口は直径20cmと、とても成人が一人が入れる大きさではありません。福島女性教員宅便槽内怪死事件の発見の糸口となった、汲み取り口のマンホールも直径36cmと成人男性一人が入るのにはあまりにも狭すぎます。 福島第二原発【原発問題】参加新聞社のニュース もうすぐ再開!常磐線・竜田-富岡間で試運転 富岡駅は新駅舎 : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース) 福島女性教員宅便槽内怪死事件で、遺体となって変わり果てた姿で収容されたナオさんは、地元の高校を卒業後、福島第二原発の保守管理会社に勤めていました。勤務地は福島第二原発です。福島第二原発は、1982年に一号炉が完成し二号炉は1984年、三号炉は1985年、四号炉は1987年と次々と建設されて発電を開始しています。 福島女性教員宅便槽内事件に関する当時の報道福島民報は3月2日付けの朝刊で、福島女性教員宅便槽内怪死事件を報じています。福島女性教員宅便槽内怪死事件は、遺体発見現場が便槽という点とその死因及び発見現場での証拠に不可解な点が多いことから、当時のワイドショーなどでも福島女性教員宅便槽内怪死事件は取り上げられました。 4000人が署名嘆願田村郡都路村(現在は田村市都路町)は、福島県警三春警察署の管内です。福島女性教員宅便槽内怪死事件を捜査したのはこの三春警察署と古道駐在所です。田村郡三春町は、田村市に隣接する桃と梅と桜が同じ時期に咲く土地なので、三春と名付けられた歴史のある町です。 福島女性教員宅便槽内怪死事件の考察福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者は、この教員住宅にすむ女性(当時23歳)です。この女性教員は、大葬の礼が行われた24日から休暇をとり実家に帰省していましたが、28日に帰宅しています。 マンホールリフター 通販- セシール(cecile) 通報を受けてまずはじめに現場に駆けつけたのは、古道駐在所の警官でした。続いて村の消防団員、そして三春署員が現場に到着しています。彼らは便槽内にいる人間を引っ張り出そうとしますが、マンホールは直径36cmとあまりに狭く、出すことは不可能でした。そこで重機を使い便槽そのものを掘り起こし、便槽を壊して遺体を収容しています。 遺体の身元はすぐに判明収容された遺体は、すぐに同村にすむ青年会所属のナオさんとすぐに判明しました。第一発見者の女教師はナオさんの知り合いです。福島女性教員宅便槽内怪死事件の遺体収容過程で関わった消防団員などにも、ナオさんを知る人がいたと考えられます。都路村は山間の小さな農村です。村の青年会に属している活動的なナオさんのことは、駐在所員も消防団員も知っていたと考える方が自然です。 遺体は検死前に二回も洗われた遺体は、便槽を壊したその場でホースの水で洗われました。そして、消防団の詰所に運ばれてそこで再度洗浄されました。その後、医師の検死が行われています。検死結果、死因は「凍え兼胸部循環障害」「死亡推定時刻は発見された日の二日前26日」と判定されています。 福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相福島女性教員宅便槽内怪死事件は不可解な点が多く、真相はいまだに闇の中にあります。なぜ三春警察署は、4000名が署名した再捜査の嘆願書を却下したのだろうか。この事件が起こる前の当時の都路村、そしてナオさんの状況はどうだったのであろうか。福島女性教員宅便槽内怪死事件の前後に起きた事件などを探ってみます。 福島第二原発三号炉高浜2号機でクレーン転倒 原子炉補助建屋が一部破損 : 動画 - 47NEWS (よんななニュース) 福島女性教員宅便槽内怪死事件の二ヶ月前に、ナオさんの勤務地である福島第二原発の三号炉で、再循環ポンプの破断事故が起きています。回転翼が破断して部品が炉内に入り込み、担当者も被曝というかなり深刻な事故でした。前年の暮れから警報機が何度かなったが、無理やり操業していた末に起きた事故だったという人もいました。 上野駅での自殺福島第二原発で起きた三号炉の破断事故の管理責任者は、福島女性教員宅便槽内怪死事件の前の月の正月明けに、東京にある東電本社に出張した帰りに上野駅で飛び込み自殺をしています。 村長選挙福島女性教員宅便槽内怪死事件の直前2月に、都路村では村長選挙が行われています。この時の選挙はかなりの接戦で厳しい選挙だったでしょう。ナオさんも青年会の一員としてこの村長選挙に協力していました。 過去に起こったいたずら電話第一発見者の女性教員は過去にいたずら電話に悩まされたことがあり、彼氏に相談したところ、彼氏と彼の友人だったナオさんがそのいたずら電話を録音して警察に届出をしています。 福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物と行動高校時代は仲間とバンドを組んでいたナオさんは高校時代は仲間とバンドを組み、ギターをひき作詞ノートも作っていました。成人してからは村の青年会に属し、結婚式の司会などを頼まれることもよくあったでしょう。この側面だけを見ると、村の人気者と見えます。言いよる女性もたくさんいたようなイメージがあります。 2月24日から行方不明ナオさんの家族の証言によると、2月24日午前十時頃に誰かが自宅にナオさんを迎えにきて「ちょっと行ってくる」と家族に言い残し、車で外出したまま帰宅しませんでした。死亡推定日の26日までの三日間のナオさんの足取りは全くつかめていません。ナオさんの車は、女性教員宅に近い農協駐車場で鍵がつけられたまま発見されています。 古道駐在所員・三春署員・消防団員第一発見者の同僚教員から通報を受けて駆けつけた警察官、そして消防団員は便槽を壊し、遺体をホースの水をかけて洗い収容しています。事件現場はなるべく保存したままで検死をするのが本来ですが、福島女性教員宅便槽内怪死事件では現場写真はほとんど残されていません。 片方の靴は少し離れた土手で発見されている第一発見者の女性教員は「便槽をのぞいてみたら靴が見えた」と証言しています。では、その靴のもう片方はどこで発見されたのでしょうか。片方の靴は、女性教員宅から少し離れた土手で発見されています。ナオさんは、靴を原っぱに片方脱ぎ落として片方だけを頭に乗せて、直径36cmのマンホールから女性教員の局部みたさの「覗き」が目的で侵入したのでしょうか。 福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者の女教師は短大卒福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者はその住宅の住人です。この女性教員は短大卒でした。小学校の教員は普通、学士(4年制大学卒)でなければなれません。しかし、彼女はなぜか短大卒で小学校の教員として採用されていたのです。 女性教員は休暇中だったこの女性教員は大葬の礼が行われた24日から休暇を取り実家に帰省していました。ナオさんはこの女性と知り合いでした。過去にいたずら電話の問題を彼女の恋人と一緒に解明しようとしたくらいの親交がありました。 福島女性教員宅便槽内怪死事件のその後壊された便槽は復元されたナオさんの遺体を収容するために破壊された便槽は、その後父親の手によって復元されています。ナオさんの父親にとっては息子が「覗き」のために便槽内に自ら侵入したとは考えられない事だったのです。同居していた母親や祖母も同じく警察の発表は信じられなかったのでしょう。 駐在所員、医者は離職福島女性教員宅便槽内怪死事件の現場に立会い、ナオさんの遺体を検死前に洗浄した駐在所員は、福島女性教員宅便槽内事件の捜査打ち切り後まもなく離職しています。ナオさんの検体を依頼されて検死した医師も同様に、福島女性教員宅便槽内怪死事件後まもなく職を離れています。 電力会社主催の住宅コンテスト福島女性教員宅便槽内怪死事件の第一発見者の女性教員の実家は、のちに家を新築しています。この家は「電力会社」主催のコンテストで「県知事賞」を受賞しています。このコンペは福島女性教員宅便槽内怪死事件後です。改築費用など不透明な部分が多かったのですが、個人住宅のために追求はされずに今に至っています。 県知事はその後、プルサーマル計画に反対を表明福島女性教員宅便槽内怪死事件の前年1988年に衆議院議員、自民党公認福島選出の佐藤栄佐久氏が、衆議院議員を辞職して県知事に立候補し当選しました。立候補当時は「プルサーマル計画」を了承しています。 福島女性教員宅便槽内怪死事件に関する映画バリゾーゴン 罵詈雑言 監督・渡辺文樹 1994年福島女性教員宅便槽内怪死事件を題材にしたこの映画は、福島県いわき市出身の映画監督、渡辺文樹氏が自ら出演して、福島女性教員宅便槽内怪死事件に関わった関係者にインタビューしています。オムニバス形式で実在の人へのインタビューから成り立つドキュメンタリー映画の部分と推定ドラマの部分とを交差させています。 村社会の光と影福島県田村郡都路町は、東北本線が通る福島県中通りと常磐線が通る浜通りに挟まれた阿武隈山渓の山間にある片田舎です。最寄りの鉄道は磐越東線ですが駅にも遠く、車がなければ非常に不便な土地柄です。車の運転免許を持たない高校生は、郡山市やいわき市にある高校に通うために下宿をしなければいけない場合もあります。 日生学園のスパルタエピソード6つ・日生学園事件とは 1980年代後半に世間を騒がせた日生学園事件を知っているでしょうか?あまりの厳しさに退学者、自殺者が出た日生学園事件です。実は芸能界にも日生学園の卒業生がいます。この記事では、事件の概要や日生学園のスパルタエピソード、出身の芸能人についてご紹介します。 編集部 この記事のライター Cherish編集部 人気の記事人気のあるまとめランキング
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