2021年11月29日公開
2021年11月29日更新
【新幹線殺傷事件の詳細】小島容疑者・梅田さんの生い立ち|犯人の現在
2018年6月9日発生した新幹線殺傷事件。不遇な人生を送ってきた犯人は発達障害というジレンマに苦しんだ22歳の青年でした。犯人・小島容疑者と勇敢に女性を守り殺害された梅田耕太郎さんの生い立ちに迫りながら事件詳細を解説します。
目次
新幹線殺傷事件の概要
2018年6月9日21時45分頃、新横浜駅と小田原駅区間を走行していた東海道新幹線「のぞみ265号」内で、無職の男が突然ナタを振り回し、乗客3人に襲いかかりました。
同乗していた乗客たちは大パニック、車内は騒然となりました。襲われた女性客2人は重傷、その女性たちを助けようとした男性1人が犯人によりナタで数十カ所斬りつけられ死亡しました。
逮捕された愛知県岡崎市・無職の小島一朗容疑者(当時22歳)は調べに対し「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」と身勝手な犯行理由を供述していたのです。
2018年6月9日21時50分頃,東海旅客鉄道東海道新幹線のぞみ265号(東京発新大阪行き、N700A系16両編成)が新横浜-小田原駅間を走行中に、12号車に乗車していた自称22歳の無職の男が突然刃物を振り回し他の乗客3人を刺した。神奈川県警に「人が刺された」との110番通報の後、新幹線は小田原駅で緊急停車し、刺された乗客3人が病院に搬送され、うち男性1人が死亡した。 小島容疑者の生い立ち事件は九日午後九時四十五分ごろ発生。東京発新大阪行きのぞみ265号が新横浜駅を出発後間もなく、十二号車の二人掛けの通路側座席にいた小島容疑者が突然立ち上がり、右隣の窓側の女性(27)と、通路を挟んで左隣に座っていた女性(26)を、無言のまま、なたで襲い始めた。 新幹線殺傷事件の犯人・小島一朗容疑者(当時22歳)。無差別に乗客を襲い殺傷したこの事件、逮捕後の供述で「誰でもよかった」と言っていたそうでした。 愛知県一宮市で生れるライブドアニュース
「一朗」という名前は、米大リーグのイチロー選手にあやかって付けたという。 新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は、愛知県一宮市で産声を上げました。中学校まで父・母・姉・父方の祖父母6人で暮らしていた小島容疑者。現在のところ姉に関しての情報は流れておりませんが年の近い姉だったのでは?といわれています。 小島容疑者は中学まで一宮市内で両親や父方の祖父母、姉と同居。生活態度などをめぐって父親らがたびたび叱り、小島容疑者が反抗的な態度を取ることもあった。 5歳の頃「アスペルガー症候群」を指摘されていた幼少の頃の小島容疑者はのんびりした天然キャラだったそうですが、5歳の頃に「アスペルガー症候群」の疑いがあると指摘されたそうです。 幼少期の小島容疑者は非常に大らかで、明るい男の子だったようでした。しかし、5歳の頃、児童保育所から発達障害である「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されていましたが、母親は「そんなのは大きくなれば治る」と軽視し、病院へ通わせることなく放置していたことが分かりました。 1979年にアスペルガーの研究が再評価され、知的障害をともなわない自閉症がアスペルガー症候群と名づけられ、その存在が知られるようになります。アスペルガー症候群の人たちはコミュニケーションが苦手で、対人関係が築きにくい一方で、中には「変わり者」といわれながらも、記憶力、計算力、想像力などに優れ、天才的な科学者や芸術家として世に名を残した人もたくさんいると言われています。 後に父親が語った証言との相違父親がそのことを知ったのは、小島容疑者が「高校生の頃だった」と雑誌のインタビューに応え、病名は母親から聞いただけで「そのとき初めて妻がアスペルガー症候群という言葉を使った」と父親は語っていました。 発達障害の疑いが発覚した後も母親は小島容疑者が14歳の頃、自身で病院に行こうと、母親に訴えたところ、薬代が高い事を理由にお金を渡してもらえなかったそうでした。後に事件後に語った母親のコメントに、世間が炎上した理由の原点ともいえる事だったのかもしれません。 母親は「事件は予想もできず、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした」とした上で「(息子が)極悪非道な、一生かけても償えない罪を犯したことに未だに困惑しています」としている。
地元中学校に進学した小島容疑者小島容疑者は中学卒業まで両親と姉、父方の祖父母の6人で暮らした。「昔から精神的に幼く、中学生から体と精神面の“差”が特に開いた」。中2で学校を休みがちになり、自室にこもってパソコンやゲームに没頭した。 小島容疑者の父親は、かなり厳しい教育方針をもった人物だったと、家族の事情を知る人物が証言していたそうでした。「男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ」と言っていたそうです。 小島容疑者の家庭を知る人物は、父親が「男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ」という教育方針で息子に厳しく、「姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん」とよく言って、実質的に育児放棄されていたと証言しています。 父親との関係を悪化させた水筒事件中学二年のときには、小島容疑者が中古の水筒を与えられたことに腹を立て、夜中に両親に包丁と金づちを突きつけたという。 そんな小島容疑者が中2の頃、事件は起きました。子どもたちが新学期に向けて「新しい水筒がほしい」という訴えに母親が準備したのは新しい水筒と中古の水筒でした。そして、姉に新品を渡し、小島容疑者に中古の水筒を渡したことから事件勃発。 実父が語ったところによると、小島容疑者は中2のときに両親が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきて、ウチにあった包丁と金槌を投げつけるという事件を起こしたそうです。姉が新品の水筒だったのに、自分が貰い物だったことに腹を立てての凶行で、これをきっかけに父親は息子を避け、小島容疑者も父親を嫌悪するようになりました。
中2から不登校・それを機に施設に入所する中学校では次第に不登校気味となり、十四歳からは母親の働く自立支援施設で生活。施設によると、インターネットでの調べ物や読書に熱心だったという。 小島容疑者の不登校と父親との関係悪化で母親は、自身が従事していたNPO法人の施設へ入所相談をし、母親から相談を受けた関係者が預かる事を承諾、入所する事となりました。 入所後の小島容疑者は非常に勤勉家だった定時制高校ではオール5で、4年かかるところを3年で卒業したぐらい優秀。就職した機械修理会社でも「理解力が高く仕事は優秀」と評されていました。これらの情報からすると、小島容疑者はASDの中でも、アスペルガー症候群に近いタイプだったのかもしれません。 自立支援施設に入所した小島容疑者は、約5年間施設で暮らしていました。施設から定時制高校に3年通い、卒業後は名古屋市内で1年職業訓練を受け、施設での問題行動もなく、本来4年かかるのを3年で卒業するなど高校での成績も優秀だったそうでした。 自立支援施設では率先して家事を手伝い、職員の指導にも素直に応じた。施設代表の70代男性は「自分から話しかけるタイプではないが、人とうまく付き合おうとしていた」 彼が中2の終わりから5年間にわたり生活した自立支援NPO法人の関係者は、「彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。(中略)他の人とトラブルを起こしたこともない」と証言しています。 2015年埼玉県の機械修理会社就職卒業後は、職業訓練校で電気工事などの資格を取得し、十九歳で埼玉県に本社のある機械修理会社へ就職した。しかし、一年ほどで退職。 19歳の時、機械修理会社に就職した小島容疑者はひとり暮らしを始めました。就職時に、年配の入所者から背広をプレゼントされた小島容疑者は、周囲に馴染もうと努力する姿が度々目撃されていました。 翌年「愛媛工場」に転属してから挫折の日々が始まる岡崎市内にある親類宅の祖母(81)や伯父(57)らと暮らすようになり、昨年九月に祖母と養子縁組をした。 転属先で社内いじめに遭い「お前には仕事を教えない」といわれ、人間関係がこじれて一年足らずで仕事を辞めたそうでした。その後、2017年に養子縁組みを組む事となる小島容疑者の母方の祖母宅に身を寄せ、部屋に引きこもる生活が始まったのです。 部屋では祖母とベッドを並べた。「こんな生活情けない。こういう生き方はしたくない」と自嘲する一方で「また仕事をして、挫折するのが怖い」「僕はこの世に適応しない」-などと、祖母には本音を打ち明けた。 29年9月には祖母と養子縁組。「おばあちゃん、ありがとう。息子にしてくれてうれしい」と笑顔でお礼を言っていたという。 小島容疑者が唯一慕った母方の祖母の存在とは昔から岡崎のおばあちゃんに懐いており、一緒に暮らしたいと本人も希望していたので、岡崎へ行かせました。私の提案で岡崎のおばあちゃんと養子縁組をし、居場所を確保しました。 小島容疑者が唯一、心を許していた母方の祖母とはなんでも語りあえる関係でした。仕事に挫折し路頭に迷っていた小島容疑者は、母方の祖父母宅に身を寄せるようになり同居生活をスタートしました。 自殺をほのめかして家出を繰り返した。自殺用のロープを持ち、祖母が止めても「(長野県の)姨捨山(おばすてやま)で死にたい」などと飛び出していく。そのたびに警察に保護されるなどして戻り、一時は精神的な不調をきたして病院に入院した。 小島容疑者の運命の流転昨年9月頭、精神科に入院中の小島容疑者から親元に手紙が届いたことがある。「助けてください、といった内容です。だから私たちは養子縁組に踏み切った。一朗が逃げずに堂々と生活できるようにするにはそれしかなかった。一朗も喜んでいた」(実父) 小島容疑者が身を寄せていた母方の祖母との「養子縁組」の打診が両親から舞い込んできたのでした。小島容疑者の事件当日までの運命が決定打した瞬間といっても過言ではありませんでした。 同居していた伯父との関係はどうだったのか?祖母と共に小島容疑者と同居していた伯父も後に、小島容疑者の両親への不信感をこのように語っていました。また、同居中に小島容疑者へ投げかけていた言葉も併せてご覧ください。 話し合いの輪からはずされた伯父は激怒し、私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです。妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです」 と伯父は小島容疑者の両親の育て方に疑問を投げかける。 「お前、将来どうしたいんだ、やりたいことはないのか、と聞くと“俺は死ぬんだ”“生きる価値はない”と言うんです」 「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」(伯父) 「“俺は障がい者なんだ。障がい者手帳を取得して就職するんだ”と言うんです。“俺には権利がある、障がい者枠で働くんだ”と。そんなこと、できるかどうかわからないのに。権利を主張するのに、義務を果たさない。5歳の子どもと同じです」 でも、一方で、この伯父をよく知る人が小島容疑者へ激しい口調で叱る姿も・・・ 伯父をよく知る人物が「小島容疑者に暴言を放つ姿を見た事がある」と言っていたようでしたが、伯父は単に乱暴な言葉遣いをしていたのではなく、その背景には、小島容疑者の生活態度を叱責していた理由があったようでした。 小島容疑者の世界観を作り上げた愛読書親類の家では、自室でパソコンをいじったり、宗教や哲学などに関する本を読んだり。自殺願望を頻繁に口にし、市内の精神科で診察を受けたこともある。 小島容疑者は、ドフトエフスキーの「罪と罰」や深沢七郎の「楢山節考」・塩野七生の「ローマ人の物語」と文学小説や歴史物の本を読んでいたようです。 部屋には殺人と罪の意識を取り上げたドストエフスキーの「罪と罰」などの文学作品や、哲学者ハイデッカーの「存在と時間」が並び、自筆のノートには自らの暴力性をつづった。 「私は暴力がいけないことだというのは分かっている。しかし私は自分自身の正義の方を優先したい」
17年11月から約1ヶ月社会復帰「12月20日に、仕事を辞めたい、ホームレスになりたいと言い出しました。(辞める)意志は固いようで、じゃあ明日話そうと。それきり来なくなりました」(同施設職員) そんな小島容疑者でしたが、2017年11月から社会復帰を目指し、障害者支援施設で働き始めたそうでした。しかし、一カ月もしないうちに「ホームレスになりたいから辞めたい」と言いだしたそうです。 伯父が作成した1通の身上書brandnew-s.com 2017年に養子縁組後、小島容疑者と同居していた伯父が、小島容疑者を更生させたいと思い、保健所へ提示するための「その人物の経歴・家族関係・現在の状況」を記す身上書という書類を作成していたことがわかりました。 2017年12月「旅に出る」といい4度目の家出bunshun.jp 昨年十二月下旬にも「こんな所にいても仕方がない」と話し、家を飛び出した。祖母が週に一回ほど電話で連絡をとったが、小島容疑者は「自由にさせてほしい」などと応じ、場所などは伝えなかったという。 母方の祖母や伯父に両親のいる家に戻る事や、仕事に就く事を提案される度、家出をし警察に保護される繰り返す小島容疑者。 自転車などで家を飛び出した。祖母から与えられた年金口座のキャッシュカードを持ち歩き、生活費にしていた。 祖母によると、幼少期はやんちゃな性格だったが、同居してからは「自分は価値のない人間だ」「この世に未練はない」などと口にすることが多くなったという。自殺するためか、家出の際には必ずロープを持って出ていた。 2018・6・9「新幹線殺傷事件」小島容疑者逮捕13号車で事件に遭遇した落語家、桂ぽんぽ娘(38)は、先週開催した落語会『第2回ちよりん・ぽんぽ娘二人会』の冒頭で、「突然、12号車からキャーという悲鳴」「逃げてきた人が連結部分でドミノ倒し」「通路が血まみれ」などと生々しい様子を明かした。 新幹線殺傷事件発生後、小島容疑者の部屋からは「人生においてやり残したこと、冬の雪山で自殺」と書かれたメモ用紙が発見されました。 新たな就職先を約1カ月で退職した直後の昨年12月、「自由になりたい」と言い残して行方不明になった。祖母がキャッシュカードを渡しておいた口座からは毎月約10万円が引き出され、今年4月に残高が底をついた。その約2カ月後、長野県内での野宿生活を経て、刃物を持って新幹線に乗り込んだ。 前日の同種のニュースに感化されたか?新横浜-小田原駅間で犯行に及んだことについては「途中停車駅が少なく邪魔されずに目的を果たせると思った」と説明しているという。 新幹線殺傷事件犯行前日の6月8日にあった「2015年6月30日・東海道新幹線焼身自殺」のニュース報道に小島容疑者が触発された可能性があったのでは?といわれています。 小島容疑者は犯行に使った鉈と果物ナイフについて「事件を起こそうと3月ごろに購入した」と説明。小島容疑者は事件の約半年前に家出した後、長野県内に滞在。捜査関係者によると、長野に滞在していた理由について「修学旅行で行ったこともあり、好きだった」と話しており、滞在中は公園を拠点に自転車で同県内を放浪していたという。 小島容疑者が犯行に至った9つの要因新幹線殺傷事件は典型的な無差別殺人でした。小島容疑者の事件に至るまでのメンタルプロセスは非常に複雑だったことがおわかりになられた事と思います。 小島一朗容疑者(22)が「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」との趣旨の供述をしていることが19日、捜査関係者への取材で分かった。
そして犯行を決行することのできた背景とし、拡大自殺願望のあった小島容疑者が、簡単に新幹線内に凶器を持ちこめた事が事件勃発の最大の要因でした。 小島容疑者の不幸の連鎖
「むしゃくしゃしてやった。誰でも良かった」と供述し、社会への恨みにも言及している。凶行の背景に何があったのか。親族の証言や自筆ノートからは親子の軋(あつ)轢(れき)から家庭で孤立し、現実社会にもなじめないまま自殺願望や暴力性を強めた半生が浮かぶ。 家庭的な愛情に恵まれていなかったことが問題で、それが絶望的な感情や自殺願望を生み、それが外に向いて爆発したと推測できるかもしれません。
被害者・梅田耕太郎さんの半生
新幹線殺傷事件の被害者・梅田耕太郎さん(享年38歳)は横浜市での研修を受け、その帰りの新幹線の中で被害に遭われました。世界に向けて活躍できると期待されていたエリートビジネスマンでした。 兵庫県尼崎市に住んで月三、四回は関東へ出張に来ており、事件に巻き込まれる二日前の七日から横浜市内の施設で社内研修を受けていた。 強い正義感の持ち主だった梅田さん新横浜駅からの発車数分後、小島容疑者は突然怒声を上げて立ち上がり、鉈(なた)で右隣席の女性を襲撃。後方席に座っていた梅田さんが小島容疑者の腕をつかんで止めようとしたが転倒。その間に通路を挟んで左隣の女性を襲ったという。 小学校時代の梅田さんを知る友人はショックを隠しきれない様子で「見知らぬ女性を守って犠牲になったと聞いて彼らしいなと思いました」と涙を浮かべながら故人を偲んでいたそうです。 勇敢な梅田さんに称賛と追悼の声梅田さんは胸の周辺数十カ所を切りつけられていた。傷同士が重なり合い、正確な数を算出するのが困難な状態だったといい、ある捜査関係者は「ここまでひどく切られた遺体は見たことがない」と絶句した。 梅田さんを偲び、高校や大学時代の級友や職場の同僚の方などから多くのコメントが寄せられていましたので、その一部をご覧ください。梅田さんの人望の深さがひしひしと伝わってきます。 「明るく前向きで、人のために何ができるかを考える性格だった」。梅田さんの上司の山本勇さん(48)が十一日、東京都内の勤務先で取材に応じ、梅田さんの人柄をしのび、悔しさを明かした。山本さんは採用時に面接も担当した。「世界に羽ばたく夢を持っていた。仕事の幅を広げ、会社を背負って立つ人材だった。いまだに信じられない」と涙声で話した。 社内には十一日朝、一斉メールで訃報が流れた。石田博基社長は「大切な社員を失い、残念で言葉になりません。女性を助けようとしたと伺っており、勇敢な行動で誇りに思います」との談話を発表した。 学生時代を知る大学関係者の男性は「はつらつとした印象で研究熱心。友達付き合いもよかったようだ」と話す。経済的に苦しくて飲み会などに参加しづらい外国人留学生に対しても、研究室で孤立しないよう積極的に話し掛ける優しさが印象に残っているという。
東海道新幹線内の三人殺傷事件で、負傷した女性をかばって犠牲になった兵庫県尼崎市の会社員梅田耕太郎さん(38)を知る人々は「正義感が強く、誰とでも仲良くなれる好青年だった」と振り返り、突然の死を惜しんだ。
新幹線殺傷事件~遺族の胸中新幹線殺傷事件という無差別殺人の犠牲になってしまった梅田耕太郎さん(享年38歳)。ご結婚後、尼崎市で共働きの奥様と共に支え合いながら生活をされていたそうでした。 妻のコメントこの度、夫の葬儀が無事に済みましたことを、ご報告します。ごく内輪で、心静かに送ることができました。夫は、私にとって、世界一優しい夫でした。二人とも旅行が好きでしたので、私が行きたいところを考えて、夫が旅行プランを作って、色々なところに出かけました。いつも家事を積極的に手伝ってくれ、私の仕事が忙しい時には、自分の仕事が忙しくても、ご飯を作って応援してくれました。たくさんの優しさと愛をありがとう、安らかに眠ってくださいと伝えたいです。夫を突然失った悲しみが癒えることはありません。このような悲しい事件が二度と起こらない社会になることを強く願います。 今回の事件については、私達遺族に対してもたくさんの励ましのお言葉やお心遣いをいただいております。また、直接、面識の無い方からも、たくさんのご厚意が寄せられていると聞いております。この場を借りて、皆様に感謝を申し上げると共に、お心だけ頂戴し、それ以外につきましては、全て辞退させていただくことをお許し下さい。 両親のコメント葬儀を終えた今となっても、息子がいなくなったということが信じられません。いつもどおり「ただいま」と笑顔で帰って来そうな、そんな気がしてしまいます。でも現実に立ち返ると、胸の張り裂けそうな悲しみと喪失感に、ただただ涙が流れるばかりです。何を見ても息子との思い出が浮かんできます。小さい頃からひょうきんで、みんなをいつも笑わせてくれました。中高でも大学に入ってからもたくさんの友人とともに充実した日々を送り、世界を広げていました。会社に勤め、結婚し、ともに働く二人の生活を本当に楽しんでいました。忙しいのに私たちにも細やかに気にかけてくれました。どの姿も無理のない自然な彼のままでした。穏やかに冷静に物事を判断できる性質でしたのに、このような事件に遭遇してしまったことが本当に悔しく無念でなりません。それでも目の前の危機に手を差しのべずにいられなかった息子の勇気に、我が子ながら心を激しく揺さぶられております。このような苦しく辛い事件が二度と繰り返されないよう、対策をとっていただけることを望んでやみません。事件後に多くの方々から励ましのお言葉を頂きました。皆様が息子を悼んで下さるお気持ちに深く感謝申し上げます。今はただ、息子の思い出と共に静かに過ごしたいと願っております。何卒ご理解いただきますよう伏してお願い申し上げます。 なお、2名の被害者女性につきましては、血まみれで重傷を負っていたということと、年代が20代ということまでしか明かされておらず、名前などの情報は流されておりません。 25年前にも起きていた新幹線殺傷事件http://ord.yahoo.co.jp/ 平成5年8月23日の夜、博多発東京行きの東海道・山陽新幹線「のぞみ24号・9号車(グリーン車)」内で覚せい剤中毒者・中村克生(当時27歳)が起こした殺傷事件でした。 被害に遭われたのは食品卸業「国分」の当時、国分埼玉支店長だった松野定哲さん(享年40歳)でした。新幹線内で男女4人が缶ビール片手に談笑していたとき、中村容疑者がグループに声をかけ「考え事をしたいので静かにしてくれませんか」そう丁寧に語りかけたそうでした。 中村容疑者の判決平成7年7月27日、静岡地裁沼津支部で中村克生に懲役15年の判決を言い渡しました。覚醒中毒者だった中村容疑者に2度の精神鑑定が行われ、責任能力の有無を巡り、検察側と弁護側が対立していました。 新幹線殺傷事件~小島容疑者の現在新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は現在、どうしているのか気になるところですね。また、家族であった両親の親としての責任はどのようなものだったのか?併せて調べましたのでご覧ください。 現在・精神鑑定終了逮捕以降、小島被告は動機について「自分で考えて生きるのが面倒だった。刑務所に入りたくて無期懲役を狙った」などと説明。遺族や被害者に対しては「特段、申し訳ないとは思わない」と供述している。ある捜査関係者は「反省の色は全く見られない」と唇をかむ。 2018年7月から11月まで行われていた小島容疑者の刑事責任の有無は鑑定留置の調査結果にて、横浜地検が刑事責任能力を問えると判断されました。 小島被告に入院歴があるなど、刑事責任能力の有無が危惧された一方、捜査関係者によると、小島被告が「無期懲役を狙う」という目的で、事前に凶器を用意した上で新幹線に乗車し、「途中停車駅が少ない」との理由で新横浜駅を出てから犯行に及んだとの供述内容については「理解しにくい部分もあるが、彼なりの論理には破綻がない」(捜査関係者)。横浜地検小田原支部による鑑定留置でも「刑事責任能力に問題はない」との結論に至った。 一切反省の色なしの小島容疑者・獄中生活は旅行気分留置場での様子を知る関係者は「中学生が旅館に泊まっているような雰囲気」と証言。動機には不可解な点も多い。 現在、独居房に収容された時、小島容疑者はまるで修学旅行生のようだったと関係者が証言し、夕食のカレーライスを「いただきま~す」と3食を数分で平らげたそうでした。 「人に殺されるのは最低の死に方だ」。かつて祖母にこう語っていたという小島容疑者はなぜ女性を襲い、立ち向かう兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(38)に馬乗りになり、刃物を振り下ろしたのか。神奈川県警が動機などの解明を進めている。 両親・祖母の面会拒絶「憎悪渦巻く」以下は小島容疑者の父親の証言です。 「6月14日と15日、小田原署に、一朗の写真が入ったアルバムを持って行きました。写真を見ながら、あのときはこうだったよね、あのときはああだったとか、いろいろ話をしようと思っていたんです」 「面会室の扉が開き、目が合った瞬間、一朗が拒否する感じで扉を閉めたんです。3人とも“私がいるから、私に会いたくないから扉を閉めたのかな”と思ったようです」 差し入れの下着や、現金3万円の受け取りも拒否した。 面会にやってきた両親と祖母をあえて無視。廃人化してしまった小島容疑者の心の闇がどれだけ深いものだったのか、この対応から推測できるのでしょう。
「他人事な父親」新幹線殺傷事件発生との関連性「家族ではない」「今は『元息子』という感覚。籍もなく家族ではない」。愛知県一宮市の父親(52)は昨年9月に母方の祖母(81)と養子縁組した小島容疑者を「一朗君」と呼ぶ。被害者への謝罪を口にする一方、関係断絶を強くにじませながら、少年期を振り返る。 ある雑誌のインタビューで、小島容疑者が新幹線殺傷事件という凄惨な事件を起こしたことに対し、元父としてインタビューに応じました。 「15才で家を出て、それ以来私は彼と会っていませんので記憶がちょっと曖昧なところがあります」
父親と母親の心の温度差高校入学を機に小島容疑者は近所の自立支援施設で暮らし始めた。「一朗君とはそれから3、4回しか会っていない。彼の荷物も写真もこの家にない」。父親の口調は淡々としていた。 あくまでも、現在は親子関係はない事を主張していた父親。それを野球に例え、「3割50本120打点」と言ったそうです。育児放棄の事も認め、自分なりにやれることはやったと主張する父親。 家族の言葉に対し、ネット上では怒りの声が噴出。 ネットで炎上した両親のコメント新幹線殺傷事件を起こした小島容疑者は、決して許されるべきではないけれど、それ以上に世論の反発が大きかった両親のコメント。「どうしてこのようになる前に、しっかり面倒みてあげられなかったのか?」と小島容疑者に同情する声も大多数でネットは大炎上しました。 父親のコメント「虐待された、ごはんを食べさせてもらえなかった、鳥小屋に住まわされたなど、今までの恨みつらみを話しているようです。言い訳ばかりです。妻も供述内容を聞いて“母親を放棄したい”と呟いています」 「一朗君とはそれから3、4回しか会っていない。彼の荷物も写真もこの家にない」。父親の口調は淡々としていた。 「今は『元息子』という感覚。籍もなく家族ではない」 母親のコメントこのたびはご遺族の方、また被害にあわれた方々に大変なことをしてしまい、また関係の皆様に多大なご迷惑をおかけし、心から深くお詫び申し上げます。今回このような事件を起こしたことは、予想もできず、まさに青天のへきれきで、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした。初めて聞いたときはまさかと耳を疑い信じられませんでした。テレビの映像を見て本当にショックで、未だに精神状態が良くありません。このような形でコメントすることを、ご容赦ください。 今回このようなことになり、どちらかといえば正義感があり優しかった一朗が極悪非道な、一生かけても償えない罪を犯したことに未だに困惑しています。受け入れ難く、やり切れない思いでいっぱいです。事実を直視するのには、まだ時間がかかると思います。このようなことを申し上げていい立場にあるのかわかりませんが、しばらくの間、そっとしていただけるとありがたいです。
両親とは対照的な祖母のコメント「手紙を送ったんだけど、警察署から電話がかかってきてね。“受け取りを拒否して読まないので破棄していいか”って。保管できないんやろうね。手紙には、旅の中でつらいことがあったの? おばあちゃん気づいてあげられなくて、ごめんねと書きました」 新幹線殺傷事件を起こした孫に対し、養子縁組を行い同居していた母方の祖母は、このように語っておりました。両親との面会を拒んだ小島容疑者でしたが、祖母までも拒んだ小島容疑者に祖母の嘆き悲しむ心情が伝わってくるようでした。 「私には一朗のことしかない。82歳だから、一朗が帰ってくるまで生きなくちゃ。人生100年だと思ってるよ」 祖母は「いっちゃん」と呼び、「こんなことをする子ではなく、信じられない。いっちゃんに会いたい」と話した。 新幹線殺傷事件と発達障害の因果関係とは「自閉症は多くの遺伝的な要因が複雑に関与して起こる生まれつきの脳機能障害で、症状が軽い人たちまで含めると約100人に1人いると言われています。(中略)自閉症は『1. 対人関係の障害』『2. コミュニケーションの障害』『3. パターン化した興味や活動』の3つの特徴をもつ障害で、生後まもなくから明らかになります。最近では症状が軽い人たちまで含めて、自閉症スペクトラム障害(筆者注・略称でASD)という呼び方もされています」 近年、発達障害を患った人が事件を起こすニュースが度々、報じられてきましたが小島容疑者が起こした新幹線殺傷事件により「発達障害」というキーワードがクローズアップされるようになってきました。 日本における発達障害児の割合もともと発達障害の研究は、1943年に精神科医レオ・カナーによる知的障害をともなう自閉症の研究から始まったため、かつては自閉症というと知的障害があるという認識が一般的でした。一方、1944年にウィーンの小児科医ハンス・アスペルガーは、知的障害をともなわない自閉症の一群について報告していました。彼らは知的な遅れはないけれども、社会性の障害、鉄道の時刻表など特定の事物への限定した興味、一本調子でやりとりにならない会話などを特徴としていました。 日本における発達障害児の割合について、2002年に文部科学省が全国の公立小中学校を対象に 発達障害の背景だけが事件勃発原因ではない今回の事件では、あたかも発達障害や自閉症が犯罪者予備軍であると取られかねないような報道がなされていました。 今回の新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は、発達障害を理由に両親から悲しい扱いをされ、積年の恨みから自暴自棄になり犯行に及んでしまいました。しかし、新幹線殺傷事件によりひとりの尊い命を奪った事は絶対に許されないことです。 昭和大学医学部精神医学講座主任教授・岩波明医師の著書『発達障害』(文春新書)によると、過去の研究でASDおよびADHDの犯罪率については、一般の人より高率であるという報告と、ほぼ同等であるという報告があり、明確な結論は得られていないそうです。ただし、動機が理解しにくい少年犯罪などで、加害者がアスペルガー症候群や発達障害(広汎性発達障害)と診断されている重大事件がいくつかあるのですが、「明らかな誤診や過剰診断も多い」と岩波医師は断言しています。
「発達障害」への偏見は捨てよう今回の事件では、容疑者の家族や親族自身が犯罪や自殺願望の原因を発達障害に求めるような発言をし、それをそのまま報道してしまったことで、発達障害に関する誤った理解の拡散に拍車をかけてしまいました。 2018年6月9日に発生した新幹線殺傷事件・小島容疑者の背負ってきた「発達障害」。この事件により「発達障害=犯罪者」という固定概念がメディアに植え付けられ困惑している方々が実際にいる事は確かでした。 メディアの取材による間接的な情報だけで軽々には言えませんが、少なくとも自閉症やアスペルガー症候群と診断されていたことが、犯罪の要因だと決めつけることはできないはずです。それに発達障害であったとしても、社会の一員として幸せに暮らしている人がたくさんいることも忘れてはいけません。 動機の分かりにくい凄惨な事件が起こると、私たちはどうしても理由を求めたくなり、精神疾患や発達障害があれば、それが問題だったのではないかと考えたくなります。けれども、精神鑑定や司法の判断でさえ、専門家から「間違いだ」と指摘されることがある。それくらい、犯罪者の心理や犯行の動機を解明するのは簡単ではないことなのです。 小島容疑者の新幹線事件と発達障害 新幹線殺傷事件から学んだこと今回、2018年6月9日に起こった新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者と被害者・梅田耕太郎さんの生い立ちと共に、事件を振り返ってきましたがいかがだったでしょうか? 編集部 この記事のライター Cherish編集部 人気の記事人気のあるまとめランキング
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