【新幹線殺傷事件の詳細】小島容疑者・梅田さんの生い立ち|犯人の現在

2018年6月9日発生した新幹線殺傷事件。不遇な人生を送ってきた犯人は発達障害というジレンマに苦しんだ22歳の青年でした。犯人・小島容疑者と勇敢に女性を守り殺害された梅田耕太郎さんの生い立ちに迫りながら事件詳細を解説します。

【新幹線殺傷事件の詳細】小島容疑者・梅田さんの生い立ち|犯人の現在のイメージ

目次

  1. 1新幹線殺傷事件の概要
  2. 2小島容疑者の生い立ち
  3. 3小島容疑者が犯行に至った9つの要因
  4. 4被害者・梅田耕太郎さんの半生
  5. 525年前にも起きていた新幹線殺傷事件
  6. 6新幹線殺傷事件~小島容疑者の現在
  7. 7「他人事な父親」新幹線殺傷事件発生との関連性
  8. 8新幹線殺傷事件と発達障害の因果関係とは
  9. 9新幹線殺傷事件から学んだこと

新幹線殺傷事件の概要

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2018年6月9日21時45分頃、新横浜駅と小田原駅区間を走行していた東海道新幹線「のぞみ265号」内で、無職の男が突然ナタを振り回し、乗客3人に襲いかかりました。

同乗していた乗客たちは大パニック、車内は騒然となりました。襲われた女性客2人は重傷、その女性たちを助けようとした男性1人が犯人によりナタで数十カ所斬りつけられ死亡しました。

逮捕された愛知県岡崎市・無職の小島一朗容疑者(当時22歳)は調べに対し「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」と身勝手な犯行理由を供述していたのです。

2018年6月9日21時50分頃,東海旅客鉄道東海道新幹線のぞみ265号(東京発新大阪行き、N700A系16両編成)が新横浜-小田原駅間を走行中に、12号車に乗車していた自称22歳の無職の男が突然刃物を振り回し他の乗客3人を刺した。神奈川県警に「人が刺された」との110番通報の後、新幹線は小田原駅で緊急停車し、刺された乗客3人が病院に搬送され、うち男性1人が死亡した。

小島容疑者の生い立ち

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 事件は九日午後九時四十五分ごろ発生。東京発新大阪行きのぞみ265号が新横浜駅を出発後間もなく、十二号車の二人掛けの通路側座席にいた小島容疑者が突然立ち上がり、右隣の窓側の女性(27)と、通路を挟んで左隣に座っていた女性(26)を、無言のまま、なたで襲い始めた。

新幹線殺傷事件の犯人・小島一朗容疑者(当時22歳)。無差別に乗客を襲い殺傷したこの事件、逮捕後の供述で「誰でもよかった」と言っていたそうでした。

走行中の新幹線にナタを持ちこみ、女性をターゲットに襲いかかった小島容疑者は、襲われていた女性を助けようとした男性を「邪魔された」ことを理由に殺害してしまいました。私たちの脳裏からこの凄惨な事件が薄れゆくことは決してないのでしょう。

小島容疑者はなぜこのような凶行を実行し、凶悪犯罪を犯してしまったのか?小島容疑者の凶行に至るまでの「心の闇」を追いながら事件の核心に迫っていきます。

愛知県一宮市で生れる

ライブドアニュース

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名前 小島一朗
年齢 22歳(当時)
職業 無職
在住 愛知県岡崎市蓑川町
出身 愛知県一宮
学歴 定時制高校
家族歴 父・母・父方祖父母・姉
親族歴 母方祖母・伯父夫婦

「一朗」という名前は、米大リーグのイチロー選手にあやかって付けたという。

新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は、愛知県一宮市で産声を上げました。中学校まで父・母・姉・父方の祖父母6人で暮らしていた小島容疑者。現在のところ姉に関しての情報は流れておりませんが年の近い姉だったのでは?といわれています。

小島容疑者の父親は、いくつもの職を転々としながら、現在は車関連の職に従事しているそうで、人当たりが良くソフトな印象だったと近所の方が証言していたそうでした。

母親は市議会議員に立候補・出馬経験があったらしく、現在は団体職員としてNPO法人施設に従事しているとの事です。

小島容疑者は中学まで一宮市内で両親や父方の祖父母、姉と同居。生活態度などをめぐって父親らがたびたび叱り、小島容疑者が反抗的な態度を取ることもあった。

5歳の頃「アスペルガー症候群」を指摘されていた

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幼少の頃の小島容疑者はのんびりした天然キャラだったそうですが、5歳の頃に「アスペルガー症候群」の疑いがあると指摘されたそうです。

幼少期の小島容疑者は非常に大らかで、明るい男の子だったようでした。しかし、5歳の頃、児童保育所から発達障害である「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されていましたが、母親は「そんなのは大きくなれば治る」と軽視し、病院へ通わせることなく放置していたことが分かりました。

父親も成長が遅いとは感じていたものの、学校の先生にこの子は普通ですよと言われたことから、通院や特殊学校に入れる事も考えなかったそうでした。

1979年にアスペルガーの研究が再評価され、知的障害をともなわない自閉症がアスペルガー症候群と名づけられ、その存在が知られるようになります。アスペルガー症候群の人たちはコミュニケーションが苦手で、対人関係が築きにくい一方で、中には「変わり者」といわれながらも、記憶力、計算力、想像力などに優れ、天才的な科学者や芸術家として世に名を残した人もたくさんいると言われています。

後に父親が語った証言との相違

父親がそのことを知ったのは、小島容疑者が「高校生の頃だった」と雑誌のインタビューに応え、病名は母親から聞いただけで「そのとき初めて妻がアスペルガー症候群という言葉を使った」と父親は語っていました。

しかし、先に述べた証言とは明らかに食い違いがあったことから、いかに両親が小島容疑者に関心が無かったのか容易に推測できたのでした。

発達障害の疑いが発覚した後も母親は

小島容疑者が14歳の頃、自身で病院に行こうと、母親に訴えたところ、薬代が高い事を理由にお金を渡してもらえなかったそうでした。後に事件後に語った母親のコメントに、世間が炎上した理由の原点ともいえる事だったのかもしれません。

母親は「事件は予想もできず、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした」とした上で「(息子が)極悪非道な、一生かけても償えない罪を犯したことに未だに困惑しています」としている。

地元中学校に進学した小島容疑者

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小島容疑者は中学卒業まで両親と姉、父方の祖父母の6人で暮らした。「昔から精神的に幼く、中学生から体と精神面の“差”が特に開いた」。中2で学校を休みがちになり、自室にこもってパソコンやゲームに没頭した。

小島容疑者の父親は、かなり厳しい教育方針をもった人物だったと、家族の事情を知る人物が証言していたそうでした。「男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ」と言っていたそうです。

中学校に入学した頃から、家族との関係が乱れ始めた小島容疑者。同居していた父方の祖母は、働く母親の変わりに食事の準備を任されていたようですが「姉のご飯は作るけど一朗のは作らないと言うほど、冷めた祖母だったようでした。

このことから実質、育児放棄されていた小島容疑者でしたが、そのような中でも、自ら病院に行こうとしていたことが分かりました。しかし、母親にお金を渡されなかったため通院する事も出来ず、小島容疑者の心の溝がさらに深まっていく事に。

次第に家族との会話も無くなり不登校に。自室に籠ってパソコンに向かい、小島容疑者は自分の世界観を追及するようになっていったのです。

小島容疑者の家庭を知る人物は、父親が「男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ」という教育方針で息子に厳しく、「姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん」とよく言って、実質的に育児放棄されていたと証言しています。

父親との関係を悪化させた水筒事件

中学二年のときには、小島容疑者が中古の水筒を与えられたことに腹を立て、夜中に両親に包丁と金づちを突きつけたという。

そんな小島容疑者が中2の頃、事件は起きました。子どもたちが新学期に向けて「新しい水筒がほしい」という訴えに母親が準備したのは新しい水筒と中古の水筒でした。そして、姉に新品を渡し、小島容疑者に中古の水筒を渡したことから事件勃発。

水筒を渡したその日の夜中、就寝中の父母の寝室へ乗り込み、包丁とカナズチを両親に投げつけ「姉との格差」を理由に怒り狂ったのでした。警察を呼んだ両親、その際、警察に「親から虐待されている」という訴えをしていた小島容疑者。

でも、実際には両親からの身体的虐待はなく、幼少期から精神的制圧を受けていたとされる小島容疑者が、自己防衛のためにとっさに放った言動だったようでしたが、その事件が父子関係に大きな亀裂を入れる決定打になったのでした。

実父が語ったところによると、小島容疑者は中2のときに両親が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきて、ウチにあった包丁と金槌を投げつけるという事件を起こしたそうです。姉が新品の水筒だったのに、自分が貰い物だったことに腹を立てての凶行で、これをきっかけに父親は息子を避け、小島容疑者も父親を嫌悪するようになりました。

中2から不登校・それを機に施設に入所する

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中学校では次第に不登校気味となり、十四歳からは母親の働く自立支援施設で生活。施設によると、インターネットでの調べ物や読書に熱心だったという。

小島容疑者の不登校と父親との関係悪化で母親は、自身が従事していたNPO法人の施設へ入所相談をし、母親から相談を受けた関係者が預かる事を承諾、入所する事となりました。

母親が「一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でした」と後に語ったように、やはりそれが一番の理由だったのでしょう。

また、入所時期に関しての相違があり父親によれば、引きこもりを理由に「相談所に泊るようになったのは高校から」としていますが相談所によれば時期は中2だったそうでした。

発達障害発症時期の食い違いに重ね、入所時期の曖昧な証言をしていた父親への不信感は増大の一途を辿るばかりです。

入所後の小島容疑者は非常に勤勉家だった

定時制高校ではオール5で、4年かかるところを3年で卒業したぐらい優秀。就職した機械修理会社でも「理解力が高く仕事は優秀」と評されていました。これらの情報からすると、小島容疑者はASDの中でも、アスペルガー症候群に近いタイプだったのかもしれません。

自立支援施設に入所した小島容疑者は、約5年間施設で暮らしていました。施設から定時制高校に3年通い、卒業後は名古屋市内で1年職業訓練を受け、施設での問題行動もなく、本来4年かかるのを3年で卒業するなど高校での成績も優秀だったそうでした。

施設代表は「母親から相談を受け、一朗君をうちのシェルターで預かる事になりました。一朗君は整理整頓が出来ないところがあったくらいで手のかからない子どもでした。成績はオール5で4年かかるのを3年で卒業したくらい優秀でした。」と証言していたのです。

また、「他に人ともトラブルを起こした事もなく、ごく普通の青年に成長し、立派な社会人として送り出せたと思っていたのに、なんでこんな事件を起こしてしまったのか」と肩を落としていたそうでした。

自立支援施設では率先して家事を手伝い、職員の指導にも素直に応じた。施設代表の70代男性は「自分から話しかけるタイプではないが、人とうまく付き合おうとしていた」

彼が中2の終わりから5年間にわたり生活した自立支援NPO法人の関係者は、「彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。(中略)他の人とトラブルを起こしたこともない」と証言しています。

2015年埼玉県の機械修理会社就職

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卒業後は、職業訓練校で電気工事などの資格を取得し、十九歳で埼玉県に本社のある機械修理会社へ就職した。しかし、一年ほどで退職。

19歳の時、機械修理会社に就職した小島容疑者はひとり暮らしを始めました。就職時に、年配の入所者から背広をプレゼントされた小島容疑者は、周囲に馴染もうと努力する姿が度々目撃されていました。

しかし、就職先の会社では人間関係のトラブルを理由に自ら1年足らずで退社していたのです。

一緒に働いていた社員は「彼は理解力が高く優秀でしたし、人間関係も特に問題はありませんでした。親会社から発注される機械の修理を担当していましたが、的確にこなしていました」このことから、小島容疑者は本当に勤勉家だったことがわかります。

翌年「愛媛工場」に転属してから挫折の日々が始まる

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岡崎市内にある親類宅の祖母(81)や伯父(57)らと暮らすようになり、昨年九月に祖母と養子縁組をした。

転属先で社内いじめに遭い「お前には仕事を教えない」といわれ、人間関係がこじれて一年足らずで仕事を辞めたそうでした。その後、2017年に養子縁組みを組む事となる小島容疑者の母方の祖母宅に身を寄せ、部屋に引きこもる生活が始まったのです。

部屋に引きこもるようになった小島容疑者は、寝食を共にしてきた祖母にだけ心の内をこのように明かしていたのでした。

部屋では祖母とベッドを並べた。「こんな生活情けない。こういう生き方はしたくない」と自嘲する一方で「また仕事をして、挫折するのが怖い」「僕はこの世に適応しない」-などと、祖母には本音を打ち明けた。

29年9月には祖母と養子縁組。「おばあちゃん、ありがとう。息子にしてくれてうれしい」と笑顔でお礼を言っていたという。

小島容疑者が唯一慕った母方の祖母の存在とは

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昔から岡崎のおばあちゃんに懐いており、一緒に暮らしたいと本人も希望していたので、岡崎へ行かせました。私の提案で岡崎のおばあちゃんと養子縁組をし、居場所を確保しました。

小島容疑者が唯一、心を許していた母方の祖母とはなんでも語りあえる関係でした。仕事に挫折し路頭に迷っていた小島容疑者は、母方の祖父母宅に身を寄せるようになり同居生活をスタートしました。

しかし、社会との隔たりにすっかり心を閉ざしてしまっていた小島容疑者は「親に殺されるから」という理由で、祖母宅から自転車で長野を目指し、警察に補導され家に戻るという家出行為を何度も繰り返していたのです。

そして17年2月から3月の2ヶ月間、周囲のすすめで専門医にかかり入院する事に。そこで医師に初めて自分が自閉症である事を告知され、心の闇はより深いものとなっていったのでした。

 自殺をほのめかして家出を繰り返した。自殺用のロープを持ち、祖母が止めても「(長野県の)姨捨山(おばすてやま)で死にたい」などと飛び出していく。そのたびに警察に保護されるなどして戻り、一時は精神的な不調をきたして病院に入院した。

小島容疑者の運命の流転

昨年9月頭、精神科に入院中の小島容疑者から親元に手紙が届いたことがある。「助けてください、といった内容です。だから私たちは養子縁組に踏み切った。一朗が逃げずに堂々と生活できるようにするにはそれしかなかった。一朗も喜んでいた」(実父)

小島容疑者が身を寄せていた母方の祖母との「養子縁組」の打診が両親から舞い込んできたのでした。小島容疑者の事件当日までの運命が決定打した瞬間といっても過言ではありませんでした。

そして、両親に促されるまま、その年の10月母方の祖父母と養子縁組を組む事に。母親が「おばあちゃんの家にいるなら、名前を変えたほうがいいのでは?」という問いに、小島容疑者は素直に応じ、養子縁組に至ったのでした。

しかし、徐々に自室に引きこもる生活が再開し、インターネットやパソコンゲームに没頭し、ここでも人間関係に溝を深めていく結果となったのです。

唯一慕っていたという母方の祖母にも横柄な態度になり、祖母をまるで家政婦のように扱うようになっていった小島容疑者だったそうでした。

同居していた伯父との関係はどうだったのか?

祖母と共に小島容疑者と同居していた伯父も後に、小島容疑者の両親への不信感をこのように語っていました。また、同居中に小島容疑者へ投げかけていた言葉も併せてご覧ください。

話し合いの輪からはずされた伯父は激怒し、私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです。妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです」 と伯父は小島容疑者の両親の育て方に疑問を投げかける。

「お前、将来どうしたいんだ、やりたいことはないのか、と聞くと“俺は死ぬんだ”“生きる価値はない”と言うんです」

「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」(伯父)

「“俺は障がい者なんだ。障がい者手帳を取得して就職するんだ”と言うんです。“俺には権利がある、障がい者枠で働くんだ”と。そんなこと、できるかどうかわからないのに。権利を主張するのに、義務を果たさない。5歳の子どもと同じです」

でも、一方で、この伯父をよく知る人が小島容疑者へ激しい口調で叱る姿も・・・

伯父をよく知る人物が「小島容疑者に暴言を放つ姿を見た事がある」と言っていたようでしたが、伯父は単に乱暴な言葉遣いをしていたのではなく、その背景には、小島容疑者の生活態度を叱責していた理由があったようでした。

祖母も小島容疑者に注意を促していたようでしたが、その都度、家出行為を繰り返していたそうでした。

小島容疑者の世界観を作り上げた愛読書

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親類の家では、自室でパソコンをいじったり、宗教や哲学などに関する本を読んだり。自殺願望を頻繁に口にし、市内の精神科で診察を受けたこともある。

小島容疑者は、ドフトエフスキーの「罪と罰」や深沢七郎の「楢山節考」・塩野七生の「ローマ人の物語」と文学小説や歴史物の本を読んでいたようです。

後に「口語訳聖書・創世記」と題されたノートを製作したり、自作の小説のようなものを記したメディアなど多数発見されていました。

 部屋には殺人と罪の意識を取り上げたドストエフスキーの「罪と罰」などの文学作品や、哲学者ハイデッカーの「存在と時間」が並び、自筆のノートには自らの暴力性をつづった。 「私は暴力がいけないことだというのは分かっている。しかし私は自分自身の正義の方を優先したい」

17年11月から約1ヶ月社会復帰

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「12月20日に、仕事を辞めたい、ホームレスになりたいと言い出しました。(辞める)意志は固いようで、じゃあ明日話そうと。それきり来なくなりました」(同施設職員)

そんな小島容疑者でしたが、2017年11月から社会復帰を目指し、障害者支援施設で働き始めたそうでした。しかし、一カ月もしないうちに「ホームレスになりたいから辞めたい」と言いだしたそうです。

そして「自分はホームレスをやったことがあって食事を全然摂らなかった時の空腹感が快感になって忘れられない」といい職場に来なくなったとの事でした。

伯父が作成した1通の身上書

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2017年に養子縁組後、小島容疑者と同居していた伯父が、小島容疑者を更生させたいと思い、保健所へ提示するための「その人物の経歴・家族関係・現在の状況」を記す身上書という書類を作成していたことがわかりました。

伯父により作成された身上書の内容は「5歳、児童保育所から発達障害の疑いを指摘されるも病院に行かず放置する」という両親の育児放棄を証明するものでした。

両親は再三、伯父から小島容疑者のことをしっかり面倒みるように促されていたのにも関わらず、実質、面倒を見る事なく放置していたとの事です。

2017年12月「旅に出る」といい4度目の家出

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 昨年十二月下旬にも「こんな所にいても仕方がない」と話し、家を飛び出した。祖母が週に一回ほど電話で連絡をとったが、小島容疑者は「自由にさせてほしい」などと応じ、場所などは伝えなかったという。

母方の祖母や伯父に両親のいる家に戻る事や、仕事に就く事を提案される度、家出をし警察に保護される繰り返す小島容疑者

しかし、ついに2017年12月頃「旅に出る」と言い残し、祖父母や伯父に行方を継げず、ロープを持って自転車に乗り家を出ていったそうでした。そして新幹線殺傷事件発生までの半年間、寝袋で野宿しながら長野県内を転々としていたようです。

生活費は家出前、祖母に渡されていた年金手帳に入っていた70万円でやり繰りし、その金で半年間食い繋ぎ、最後に残った金で凶器のナタやナイフを購入して新幹線に持ち込み犯行に及んだのでした。

自転車などで家を飛び出した。祖母から与えられた年金口座のキャッシュカードを持ち歩き、生活費にしていた。

祖母によると、幼少期はやんちゃな性格だったが、同居してからは「自分は価値のない人間だ」「この世に未練はない」などと口にすることが多くなったという。自殺するためか、家出の際には必ずロープを持って出ていた。

2018・6・9「新幹線殺傷事件」小島容疑者逮捕

 13号車で事件に遭遇した落語家、桂ぽんぽ娘(38)は、先週開催した落語会『第2回ちよりん・ぽんぽ娘二人会』の冒頭で、「突然、12号車からキャーという悲鳴」「逃げてきた人が連結部分でドミノ倒し」「通路が血まみれ」などと生々しい様子を明かした。

新幹線殺傷事件発生後、小島容疑者の部屋からは「人生においてやり残したこと、冬の雪山で自殺」と書かれたメモ用紙が発見されました。

自殺願望が強かった小島容疑者は、家出から半年間彷徨い2018年6月9日ついに犯行を決行。東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車内にナタと果物ナイフを持ちこみ凶行に及び、新幹線殺傷事件を起こしてしまいました。

最初に女性二人に襲いかかり、助けに入った梅田耕太郎さんを「犯行の邪魔をした」と逆上し、持ちこんだナタで馬乗りになりメッタ刺しにして殺害したのです。戦後の重大事件に取り上げられてきた新幹線殺傷事件。後世に語り継がれる大事件には間違いないのでしょう。

 新たな就職先を約1カ月で退職した直後の昨年12月、「自由になりたい」と言い残して行方不明になった。祖母がキャッシュカードを渡しておいた口座からは毎月約10万円が引き出され、今年4月に残高が底をついた。その約2カ月後、長野県内での野宿生活を経て、刃物を持って新幹線に乗り込んだ。

前日の同種のニュースに感化されたか?

新横浜-小田原駅間で犯行に及んだことについては「途中停車駅が少なく邪魔されずに目的を果たせると思った」と説明しているという。

新幹線殺傷事件犯行前日の6月8日にあった「2015年6月30日・東海道新幹線焼身自殺」のニュース報道に小島容疑者が触発された可能性があったのでは?といわれています。

この事件、自殺願望のあった70代の男が車内でガソリンをかぶり焼身自殺を遂げた後、逃げ遅れた女性乗客ひとりが死亡、28人が重軽傷を負うという新幹線内で起こった同種の事件でした。

小島容疑者は犯行に使った鉈と果物ナイフについて「事件を起こそうと3月ごろに購入した」と説明。小島容疑者は事件の約半年前に家出した後、長野県内に滞在。捜査関係者によると、長野に滞在していた理由について「修学旅行で行ったこともあり、好きだった」と話しており、滞在中は公園を拠点に自転車で同県内を放浪していたという。

小島容疑者が犯行に至った9つの要因

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新幹線殺傷事件は典型的な無差別殺人でした。小島容疑者の事件に至るまでのメンタルプロセスは非常に複雑だったことがおわかりになられた事と思います。

小島一朗容疑者(22)が「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」との趣旨の供述をしていることが19日、捜査関係者への取材で分かった。

  • 幼少期から続いた欲求不満の積み重ね
  • 幼少期から自分の存在を無視され続けた
  • 薄かった両親の愛情
  • 社会的・心理的孤独
  • 拡大自殺願望

そして犯行を決行することのできた背景とし、拡大自殺願望のあった小島容疑者が、簡単に新幹線内に凶器を持ちこめた事が事件勃発の最大の要因でした。

新幹線殺傷事件の犯行中、薄笑いを浮かべながら凶行に及んでいた小島容疑者。家族への積年の恨みから生じた、小島容疑者のこの凍り付いた心を溶かすのは容易ではないのかもしれません。

小島容疑者の不幸の連鎖

  • 必要な時期に適切な愛情を受けなかった
  • 親から見捨てられたという悲観的な感情
  • 自分の中で起こった暴走が外に向かってしまった
  • 自分自身に不全感を覚えた

「むしゃくしゃしてやった。誰でも良かった」と供述し、社会への恨みにも言及している。凶行の背景に何があったのか。親族の証言や自筆ノートからは親子の軋(あつ)轢(れき)から家庭で孤立し、現実社会にもなじめないまま自殺願望や暴力性を強めた半生が浮かぶ。

家庭的な愛情に恵まれていなかったことが問題で、それが絶望的な感情や自殺願望を生み、それが外に向いて爆発したと推測できるかもしれません。

被害者・梅田耕太郎さんの半生

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名前 梅田耕太郎(うめだこうたろう)
年齢 享年38歳
職業 外資系科学メーカー「BASFジャパン(東京)」
在住 兵庫県尼崎市
出身 神奈川県横浜市
家族 兵庫県尼崎市潮江:妻・両親
学歴 東京大学工学部・東京大学大学院卒

新幹線殺傷事件の被害者・梅田耕太郎さん(享年38歳)は横浜市での研修を受け、その帰りの新幹線の中で被害に遭われました。世界に向けて活躍できると期待されていたエリートビジネスマンでした。

尼崎から関東への出張が3.4回あったそうで、事件に巻き込まれたのはまさにこの時だったそうで、勤務先の上司も「無念、強い憤りを感じてならない」と強く語っていたそうでした。

兵庫県尼崎市に住んで月三、四回は関東へ出張に来ており、事件に巻き込まれる二日前の七日から横浜市内の施設で社内研修を受けていた。

強い正義感の持ち主だった梅田さん

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新横浜駅からの発車数分後、小島容疑者は突然怒声を上げて立ち上がり、鉈(なた)で右隣席の女性を襲撃。後方席に座っていた梅田さんが小島容疑者の腕をつかんで止めようとしたが転倒。その間に通路を挟んで左隣の女性を襲ったという。

小学校時代の梅田さんを知る友人はショックを隠しきれない様子で「見知らぬ女性を守って犠牲になったと聞いて彼らしいなと思いました」と涙を浮かべながら故人を偲んでいたそうです。

大学時代の友人は「普段は大人しく穏やかな梅田君だったけど、困っている人がいたら積極的に手を差し伸べるような人でした。今回の新幹線殺傷事件での梅田君の行動は、考えるよりも先に身体が反応したのかもしれません。」と梅田さんの壮絶な最期に涙が溢れるばかりでした。

梅田さんの死を無駄にしないよう、国や行政はこの事件の教訓を生かし、人々が安心して鉄道を利用できるよう努め、事件再発防止を徹底して行う義務があるといえるのでしょう。

勇敢な梅田さんに称賛と追悼の声

梅田さんは胸の周辺数十カ所を切りつけられていた。傷同士が重なり合い、正確な数を算出するのが困難な状態だったといい、ある捜査関係者は「ここまでひどく切られた遺体は見たことがない」と絶句した。

梅田さんを偲び、高校や大学時代の級友や職場の同僚の方などから多くのコメントが寄せられていましたので、その一部をご覧ください。梅田さんの人望の深さがひしひしと伝わってきます。

「明るく前向きで、人のために何ができるかを考える性格だった」。梅田さんの上司の山本勇さん(48)が十一日、東京都内の勤務先で取材に応じ、梅田さんの人柄をしのび、悔しさを明かした。山本さんは採用時に面接も担当した。「世界に羽ばたく夢を持っていた。仕事の幅を広げ、会社を背負って立つ人材だった。いまだに信じられない」と涙声で話した。

 社内には十一日朝、一斉メールで訃報が流れた。石田博基社長は「大切な社員を失い、残念で言葉になりません。女性を助けようとしたと伺っており、勇敢な行動で誇りに思います」との談話を発表した。

学生時代を知る大学関係者の男性は「はつらつとした印象で研究熱心。友達付き合いもよかったようだ」と話す。経済的に苦しくて飲み会などに参加しづらい外国人留学生に対しても、研究室で孤立しないよう積極的に話し掛ける優しさが印象に残っているという。

東海道新幹線内の三人殺傷事件で、負傷した女性をかばって犠牲になった兵庫県尼崎市の会社員梅田耕太郎さん(38)を知る人々は「正義感が強く、誰とでも仲良くなれる好青年だった」と振り返り、突然の死を惜しんだ。

新幹線殺傷事件~遺族の胸中

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新幹線殺傷事件という無差別殺人の犠牲になってしまった梅田耕太郎さん(享年38歳)。ご結婚後、尼崎市で共働きの奥様と共に支え合いながら生活をされていたそうでした。

また、ご子息をこのような形で失ってしまったご両親の哀しみは計り知れず、この現実を受け入れられないご両親でした。以下、奥様とご両親のコメントをご覧下さい。

妻のコメント

この度、夫の葬儀が無事に済みましたことを、ご報告します。ごく内輪で、心静かに送ることができました。夫は、私にとって、世界一優しい夫でした。二人とも旅行が好きでしたので、私が行きたいところを考えて、夫が旅行プランを作って、色々なところに出かけました。いつも家事を積極的に手伝ってくれ、私の仕事が忙しい時には、自分の仕事が忙しくても、ご飯を作って応援してくれました。たくさんの優しさと愛をありがとう、安らかに眠ってくださいと伝えたいです。夫を突然失った悲しみが癒えることはありません。このような悲しい事件が二度と起こらない社会になることを強く願います。 今回の事件については、私達遺族に対してもたくさんの励ましのお言葉やお心遣いをいただいております。また、直接、面識の無い方からも、たくさんのご厚意が寄せられていると聞いております。この場を借りて、皆様に感謝を申し上げると共に、お心だけ頂戴し、それ以外につきましては、全て辞退させていただくことをお許し下さい。

両親のコメント

葬儀を終えた今となっても、息子がいなくなったということが信じられません。いつもどおり「ただいま」と笑顔で帰って来そうな、そんな気がしてしまいます。でも現実に立ち返ると、胸の張り裂けそうな悲しみと喪失感に、ただただ涙が流れるばかりです。何を見ても息子との思い出が浮かんできます。小さい頃からひょうきんで、みんなをいつも笑わせてくれました。中高でも大学に入ってからもたくさんの友人とともに充実した日々を送り、世界を広げていました。会社に勤め、結婚し、ともに働く二人の生活を本当に楽しんでいました。忙しいのに私たちにも細やかに気にかけてくれました。どの姿も無理のない自然な彼のままでした。穏やかに冷静に物事を判断できる性質でしたのに、このような事件に遭遇してしまったことが本当に悔しく無念でなりません。それでも目の前の危機に手を差しのべずにいられなかった息子の勇気に、我が子ながら心を激しく揺さぶられております。このような苦しく辛い事件が二度と繰り返されないよう、対策をとっていただけることを望んでやみません。事件後に多くの方々から励ましのお言葉を頂きました。皆様が息子を悼んで下さるお気持ちに深く感謝申し上げます。今はただ、息子の思い出と共に静かに過ごしたいと願っております。何卒ご理解いただきますよう伏してお願い申し上げます。

なお、2名の被害者女性につきましては、血まみれで重傷を負っていたということと、年代が20代ということまでしか明かされておらず、名前などの情報は流されておりません。

25年前にも起きていた新幹線殺傷事件

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平成5年8月23日の夜、博多発東京行きの東海道・山陽新幹線「のぞみ24号・9号車(グリーン車)」内で覚せい剤中毒者・中村克生(当時27歳)が起こした殺傷事件でした。

被害に遭われたのは食品卸業「国分」の当時、国分埼玉支店長だった松野定哲さん(享年40歳)でした。新幹線内で男女4人が缶ビール片手に談笑していたとき、中村容疑者がグループに声をかけ「考え事をしたいので静かにしてくれませんか」そう丁寧に語りかけたそうでした。

男女は中村容疑者のいうままに会話をストップ、その以後激高した中村容疑者が一言叫ぶ「やかましい!」そういうと持っていた刃渡り30センチのサバイバルナイフで松野さんの左胸を一突きしたそうでした。

逃げまどう乗客、午後8時41分、列車は新富士駅に停車、必死に逃げようと逃走した中村容疑者。しかし追ってきた警察官に取り押さえられ、その際警察官一人に背を切りつけ全治一カ月の重傷を負わせていました。

中村容疑者の判決

平成7年7月27日、静岡地裁沼津支部で中村克生に懲役15年の判決を言い渡しました。覚醒中毒者だった中村容疑者に2度の精神鑑定が行われ、責任能力の有無を巡り、検察側と弁護側が対立していました。

このような事件を防止する手立てはないか、その当時も議論が巻き起こっていましたが、運行されている新幹線(上下290本が5~6分間の間隔で運行)の手荷物チェックは不可能という見解がなされたようでした。

新幹線殺傷事件~小島容疑者の現在

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新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は現在、どうしているのか気になるところですね。また、家族であった両親の親としての責任はどのようなものだったのか?併せて調べましたのでご覧ください。

現在・精神鑑定終了

逮捕以降、小島被告は動機について「自分で考えて生きるのが面倒だった。刑務所に入りたくて無期懲役を狙った」などと説明。遺族や被害者に対しては「特段、申し訳ないとは思わない」と供述している。ある捜査関係者は「反省の色は全く見られない」と唇をかむ。

2018年7月から11月まで行われていた小島容疑者の刑事責任の有無は鑑定留置の調査結果にて、横浜地検が刑事責任能力を問えると判断されました。

小島容疑者は事件前、途中停車駅区間を避け、犯行に及んでいたことから、計画的に無停車区間を狙っていたとし、責任能力ありと認められたようでした。

新幹線内での殺傷事件は20分の間に行われたようで、車掌が小島容疑者にゆっくりと犯行を止めるよう促すと小島容疑は動作を制止したそうです。裁判はまだ始まっていないようですが、どのような判決が出るのか動向がきになりますね。

小島被告に入院歴があるなど、刑事責任能力の有無が危惧された一方、捜査関係者によると、小島被告が「無期懲役を狙う」という目的で、事前に凶器を用意した上で新幹線に乗車し、「途中停車駅が少ない」との理由で新横浜駅を出てから犯行に及んだとの供述内容については「理解しにくい部分もあるが、彼なりの論理には破綻がない」(捜査関係者)。横浜地検小田原支部による鑑定留置でも「刑事責任能力に問題はない」との結論に至った。
一方で小島被告はこうも供述している。「出所したら、また事件を起こすと思う」。裁判員裁判として審理される予定の小島被告の公判。手続きには長期化が予想されている。

一切反省の色なしの小島容疑者・獄中生活は旅行気分

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留置場での様子を知る関係者は「中学生が旅館に泊まっているような雰囲気」と証言。動機には不可解な点も多い。

現在、独居房に収容された時、小島容疑者はまるで修学旅行生のようだったと関係者が証言し、夕食のカレーライスを「いただきま~す」と3食を数分で平らげたそうでした。

警察官に対し、「畳の上で寝るのひさしぶりなんですよ」と普通に語り、小島容疑者は無期懲役を狙ったという趣旨の供述もしていたようです。

新横浜~小田原区間で犯行に及び、事件を起こした理由を「途中停車駅が少なく邪魔されずに目的を果たせると思った」と説明していた小島容疑者。

「自分で考えて生きるのが面倒くさく、他人に頼って生きる方が楽だと思い刑務所に入りたくて無期懲役を狙っていた」このように振り返る小島容疑者の心の闇は、親によって生み出された可能性は否定できないのでしょう。

 「人に殺されるのは最低の死に方だ」。かつて祖母にこう語っていたという小島容疑者はなぜ女性を襲い、立ち向かう兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(38)に馬乗りになり、刃物を振り下ろしたのか。神奈川県警が動機などの解明を進めている。

両親・祖母の面会拒絶「憎悪渦巻く」

以下は小島容疑者の父親の証言です。

「6月14日と15日、小田原署に、一朗の写真が入ったアルバムを持って行きました。写真を見ながら、あのときはこうだったよね、あのときはああだったとか、いろいろ話をしようと思っていたんです」

「面会室の扉が開き、目が合った瞬間、一朗が拒否する感じで扉を閉めたんです。3人とも“私がいるから、私に会いたくないから扉を閉めたのかな”と思ったようです」

 差し入れの下着や、現金3万円の受け取りも拒否した。

面会にやってきた両親と祖母をあえて無視。廃人化してしまった小島容疑者の心の闇がどれだけ深いものだったのか、この対応から推測できるのでしょう。

「他人事な父親」新幹線殺傷事件発生との関連性

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「家族ではない」「今は『元息子』という感覚。籍もなく家族ではない」。愛知県一宮市の父親(52)は昨年9月に母方の祖母(81)と養子縁組した小島容疑者を「一朗君」と呼ぶ。被害者への謝罪を口にする一方、関係断絶を強くにじませながら、少年期を振り返る。

ある雑誌のインタビューで、小島容疑者が新幹線殺傷事件という凄惨な事件を起こしたことに対し、元父としてインタビューに応じました。

取材中の父親は時折笑みを浮かべ、重大事件を起こした子の親とは到底思えなく、子どもへの愛情が感じられない父親に、小島容疑者が気の毒とさえ思ったようでした。

小島容疑者を赤の他人のように「一朗君」と呼び続けた父親だったそうで、記者から「お父さん」と投げかけられる度に、「生物学上の産みの親」という表現をしてきた父親に違和感を感じてならなかった記者だったようです。

「15才で家を出て、それ以来私は彼と会っていませんので記憶がちょっと曖昧なところがあります」
「幼い頃から、人の言うことを言葉通りにしか理解できなかった。変わった子だった」
「一朗くんとは今は家族ではない。中学生の頃からほとんど会話はなく、関係は断絶していた」
「本人に聞いてください」と、報道陣に対して他人事のような発言を連発していた。

父親と母親の心の温度差

高校入学を機に小島容疑者は近所の自立支援施設で暮らし始めた。「一朗君とはそれから3、4回しか会っていない。彼の荷物も写真もこの家にない」。父親の口調は淡々としていた。

あくまでも、現在は親子関係はない事を主張していた父親。それを野球に例え、「3割50本120打点」と言ったそうです。育児放棄の事も認め、自分なりにやれることはやったと主張する父親。

一方で、心に闇を抱えたまま成長した小島容疑者は、両親に不信感を抱かずにはいられなかったのかもしれません。

また、現在、小島容疑者の母親は知人に対し「私はいきてていいのでしょうか」と漏らしていて、かなり憔悴しきった様子だという事ですが両親それぞれの食い違う親としてのコメントに違和感を覚える人々が多くいるのも事実でした。

家族の言葉に対し、ネット上では怒りの声が噴出。
《これが親と言えるのか》
《よくここまで無関心でいられるな》
《ある種の育児放棄だ》
といった苛烈なバッシングが溢れた。

ネットで炎上した両親のコメント

新幹線殺傷事件を起こした小島容疑者は、決して許されるべきではないけれど、それ以上に世論の反発が大きかった両親のコメント。「どうしてこのようになる前に、しっかり面倒みてあげられなかったのか?」と小島容疑者に同情する声も大多数でネットは大炎上しました。

父親のコメント

「虐待された、ごはんを食べさせてもらえなかった、鳥小屋に住まわされたなど、今までの恨みつらみを話しているようです。言い訳ばかりです。妻も供述内容を聞いて“母親を放棄したい”と呟いています」
「一朗が署で言った内容の問い合わせに心が痛みます。私達夫婦が加害者みたいになります」
「警察からは一朗の恨み辛み憎しみを聞かされ、家族も正常な精神が乱れてしまいます」

「一朗君とはそれから3、4回しか会っていない。彼の荷物も写真もこの家にない」。父親の口調は淡々としていた。

「今は『元息子』という感覚。籍もなく家族ではない」

母親のコメント

このたびはご遺族の方、また被害にあわれた方々に大変なことをしてしまい、また関係の皆様に多大なご迷惑をおかけし、心から深くお詫び申し上げます。今回このような事件を起こしたことは、予想もできず、まさに青天のへきれきで、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした。初めて聞いたときはまさかと耳を疑い信じられませんでした。テレビの映像を見て本当にショックで、未だに精神状態が良くありません。このような形でコメントすることを、ご容赦ください。
一朗は私なりに愛情をかけて育ててきました。中学生の時、不登校になり、家庭内での生活が乱れ、将来を心配して定時制高校に入れること、また自立支援施設に入れることを本人に提案したら、素直に応じてくれ、高校の3年間と職業訓練校の1年は資格も取り、車の免許も取り、無事に就職もできました。しかし、入社後は、仕事がうまくいかず落ち込んでしまい、1年足らずでやめてしまいました。

今回このようなことになり、どちらかといえば正義感があり優しかった一朗が極悪非道な、一生かけても償えない罪を犯したことに未だに困惑しています。受け入れ難く、やり切れない思いでいっぱいです。事実を直視するのには、まだ時間がかかると思います。このようなことを申し上げていい立場にあるのかわかりませんが、しばらくの間、そっとしていただけるとありがたいです。

両親とは対照的な祖母のコメント

「手紙を送ったんだけど、警察署から電話がかかってきてね。“受け取りを拒否して読まないので破棄していいか”って。保管できないんやろうね。手紙には、旅の中でつらいことがあったの? おばあちゃん気づいてあげられなくて、ごめんねと書きました」

新幹線殺傷事件を起こした孫に対し、養子縁組を行い同居していた母方の祖母は、このように語っておりました。両親との面会を拒んだ小島容疑者でしたが、祖母までも拒んだ小島容疑者に祖母の嘆き悲しむ心情が伝わってくるようでした。

孫を想い、放った厳しい言葉に感受性の強い小島容疑者が反応し、祖母の家を出て行ってしまったようでしたが、面会謝絶されても今もなお小島容疑者を想い以下のようにコメントをしていました。

「私には一朗のことしかない。82歳だから、一朗が帰ってくるまで生きなくちゃ。人生100年だと思ってるよ」

祖母は「いっちゃん」と呼び、「こんなことをする子ではなく、信じられない。いっちゃんに会いたい」と話した。

新幹線殺傷事件と発達障害の因果関係とは

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「自閉症は多くの遺伝的な要因が複雑に関与して起こる生まれつきの脳機能障害で、症状が軽い人たちまで含めると約100人に1人いると言われています。(中略)自閉症は『1. 対人関係の障害』『2. コミュニケーションの障害』『3. パターン化した興味や活動』の3つの特徴をもつ障害で、生後まもなくから明らかになります。最近では症状が軽い人たちまで含めて、自閉症スペクトラム障害(筆者注・略称でASD)という呼び方もされています」

近年、発達障害を患った人が事件を起こすニュースが度々、報じられてきましたが小島容疑者が起こした新幹線殺傷事件により「発達障害」というキーワードがクローズアップされるようになってきました。

発達障害の割合と、事件勃発までの誘因や世間の声も交えて解説していきますのでご覧ください。

日本における発達障害児の割合

もともと発達障害の研究は、1943年に精神科医レオ・カナーによる知的障害をともなう自閉症の研究から始まったため、かつては自閉症というと知的障害があるという認識が一般的でした。一方、1944年にウィーンの小児科医ハンス・アスペルガーは、知的障害をともなわない自閉症の一群について報告していました。彼らは知的な遅れはないけれども、社会性の障害、鉄道の時刻表など特定の事物への限定した興味、一本調子でやりとりにならない会話などを特徴としていました。

日本における発達障害児の割合について、2002年に文部科学省が全国の公立小中学校を対象に
行った調査結果で発達障害の可能性がある児童の割合は6.5%と報告され、男女比率では、女子より男子の割合が高いようで、3~5倍程度になるのではといわれていました。

しかし、2015年度の調査でその割合が更に増加、9万人超となり、この20年間で7、4倍の増加となり問題を抱える子どもたちへの支援が重要と指摘されています。

発達障害の背景だけが事件勃発原因ではない

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 今回の事件では、あたかも発達障害や自閉症が犯罪者予備軍であると取られかねないような報道がなされていました。

今回の新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者は、発達障害を理由に両親から悲しい扱いをされ、積年の恨みから自暴自棄になり犯行に及んでしまいました。しかし、新幹線殺傷事件によりひとりの尊い命を奪った事は絶対に許されないことです。

でも、そのような状況になるまで放置せず「親」としての適切な対応があればこんなことにならずにすんだのでは?と世論で論争が巻き起こったのも事実でした。

必要な時期に必要な愛情を注げば、子どもは精神を荒廃することはないとされていてます。発達障害だった小島容疑者でしたが、容疑者自身の報われない想いが暴走したもので、発達障害=犯罪に直結するものではないのでしょう。

昭和大学医学部精神医学講座主任教授・岩波明医師の著書『発達障害』(文春新書)によると、過去の研究でASDおよびADHDの犯罪率については、一般の人より高率であるという報告と、ほぼ同等であるという報告があり、明確な結論は得られていないそうです。ただし、動機が理解しにくい少年犯罪などで、加害者がアスペルガー症候群や発達障害(広汎性発達障害)と診断されている重大事件がいくつかあるのですが、「明らかな誤診や過剰診断も多い」と岩波医師は断言しています。

「発達障害」への偏見は捨てよう

今回の事件では、容疑者の家族や親族自身が犯罪や自殺願望の原因を発達障害に求めるような発言をし、それをそのまま報道してしまったことで、発達障害に関する誤った理解の拡散に拍車をかけてしまいました。

2018年6月9日に発生した新幹線殺傷事件・小島容疑者の背負ってきた「発達障害」。この事件により「発達障害=犯罪者」という固定概念がメディアに植え付けられ困惑している方々が実際にいる事は確かでした。

しかし、現実には発達障害を抱える子どもがいても、家族一丸となり子どもにしっかり向き合い頑張っている方々は多くいます。

私たちはメディアで流れる情報だけを鵜呑みにするのではなく、「発達障害」という病気で苦しむ方々へもっと寄り添い、理解を深めていく必要があるのかもしれません。

15歳が大きな壁と言われる発達障害。小島容疑者家族も子どもにしっかり向き合っていれば、孤独感からこのような事件を起こす事もなく、尊い命が失われる事もなかったのでしょう。

メディアの取材による間接的な情報だけで軽々には言えませんが、少なくとも自閉症やアスペルガー症候群と診断されていたことが、犯罪の要因だと決めつけることはできないはずです。それに発達障害であったとしても、社会の一員として幸せに暮らしている人がたくさんいることも忘れてはいけません。

動機の分かりにくい凄惨な事件が起こると、私たちはどうしても理由を求めたくなり、精神疾患や発達障害があれば、それが問題だったのではないかと考えたくなります。けれども、精神鑑定や司法の判断でさえ、専門家から「間違いだ」と指摘されることがある。それくらい、犯罪者の心理や犯行の動機を解明するのは簡単ではないことなのです。

小島容疑者の新幹線事件と発達障害
発達障害を悪く言うのはやめてほしい。発達障害を持っているから、犯罪をおかすんではない!発達障害は決して悪ではないんです!!#小島容疑者 #新幹線殺傷事件 #発達障害 #アスペルガー  https://t.co/bLJBuAlN6k
— 発達障害 子育て日記 (@pachipro0510) June 14, 2018

新幹線殺傷事件から学んだこと

今回、2018年6月9日に起こった新幹線殺傷事件の犯人・小島容疑者と被害者・梅田耕太郎さんの生い立ちと共に、事件を振り返ってきましたがいかがだったでしょうか?

新幹線殺傷事件により、犠牲となった梅田耕太郎さんの勇敢な行動に多くの人々が感動し哀悼の意を示しました。

この事件を機に、連日、発達障害への誤解や偏見への議論が巻き起こり、多くの意味でも啓発が促され、意識改革への第一歩に繋がったことは確かだったのでしょう。

今回のような惨劇を繰り返さないためにも、一日も早くシステム整備を実現化していただき、安心して利用出来るような仕組みになるよう願わずにはいられません。

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