2021年11月29日公開
2021年11月29日更新
桶川ストーカー殺人事件の詳細|警察の不祥事や虚偽報道・犯人のその後
1999年当時、まだ世間的には認識が乏しかった「ストーカー」事件であると同時に、警察の対応の不手際が目立った事で世間を震撼させた「桶川ストーカー殺人事件」。この事件の詳しい概要を紹介すると共に、その後の世間の動きや加害者の現在などを紹介していきます。
目次
桶川ストーカー殺人事件とは
事件概要
「桶川ストーカー殺人事件」は1999年10月26日に埼玉県桶川市の桶川駅前で女子大生が殺害された事件です。
この事件は当時21歳の女子大生である被害者の「猪野詩織」さんが殺害され、やっと明らかになった事件ですが、事件のいきさつを知ると明らかになるのが遅すぎる程に、事前から様々な予兆を孕んだ事件でした。
加害者グループの残虐性と警察の対応の悪さ、その両方が明らかになることによりマスコミは騒ぎ、遂には被害者への中傷記事などによる報道での二次被害も発生してしまいます。
この事件によりその後新たな法案まで創立されることになる、歴史的な事件である「桶川ストーカー殺人事件」を、詳しく紹介していきます。
殺害前からの加害者の犯行
被害者との出会いと不審な行動
「桶川ストーカー殺人事件」の被害者、猪野詩織さんと加害者の1人であり、首謀者とされる小松和人は事件が起こる1999年の1月に出会います。大宮駅東口のゲームセンターで詩織さんと友人がプリクラを撮ろうとしていましたが、壊れていた所を小松和人が声をかけたことがきっかけでした。
二人はこの出会いの後に交際を始めますが、小松和人が偽名を使っていた事や、情緒不安定な面、ブランド品を買い与えてくる、自室内にビデオカメラを仕掛けるなど不審な点が次々と明らかになり、詩織さんは距離を置こうとします。
しかし小松和人はそれを許さず、詩織さんを暴行し脅した後に、その行動を束縛し始め、今にして思えば小松和人のストーカー行為の前兆が、すでにここで見え始めます。
そして嫌がらせの範疇を大きく超えた小松和人の犯行は、詩織さんだけではなく詩織さんの周りの人達をも巻き込んでいくのでした。
詩織さんだけでなく、家族まで巻き込み始める
3月30日、詩織さんから別れ話を切り出されると、詩織さんの家族にも危害を及ぼすことを仄めかし始めます。この時点で小松和人はすでに詩織さんの家族の情報を興信所経由で入手していました。
4月21日には詩織さんの携帯電話を破壊するように命じ、詩織さんの生命を奪うことを示唆する発言を始めます。
6月14日、詩織さんから再度別れ話をされると、会社の関係者を装わせた後の加害者グループの主犯の一人である実の兄ともう一人を連れ、詩織さんの自宅に押し入り、その場で詩織さんだけでなく、詩織さんの家族も脅し始めたのでした。
ストーカー行為と中傷ビラ配布
6月21日、詩織さんは今までプレゼントされた品を小松和人に返送します。この翌日から詩織さんの自宅近辺の徘徊や、無言電話等のストーカー行為が始まります。
7月13日、詩織さんの近隣や通学先、父親の勤務先敷地内で、詩織さんの顔写真入りの猥褻中傷ビラが数百枚バラまかれました。
7月20日には、詩織さんの顔写真、実名、電話番号と合わせ「大人の男性募集中」と記載されたカードが、東京都板橋区の高島平団地に大量に投函されます。更に8月23日、詩織さんの父親を中傷する内容の文書が、勤務先と本社に数百枚送付されます。
10月16日深夜には、詩織さんの自宅前に大音量の車が2台現れ、その十日後の26日に桶川駅前で猪野詩織さんは殺害されてしまったのでした。
警察の捜査のずさんさが露呈され話題に
最初の対応
「桶川ストーカー殺人事件」発覚の10月26日以前に、すでにこれだけの犯行を加害者グループは行っています。当然これまでに被害者側も警察へ足を運んでいます。であれば悲劇が起こってしまう前に、警察が介入することで防げたのでは?
そう考えるのが普通ですが、猪野詩織さんとその家族が申し出た「上尾警察署」は、ずさんな対応を再三に渡り繰り返し、結果として被害者を絶望の渦へ巻き込んでいきます。
初めて上尾警察署に被害を訴えた6月15日、この日は自宅に押し入られ脅しつけられた翌日です。実はこの際、詩織さんはその内容を密かに録音していました。それを警察に確認してもらった上で話をしましたが、「事件か民事の問題かぎりぎり」「民事に首を突っ込むと、後から何を言われるか分からない」等と返答し、まともに取り合いませんでした。
自己都合な解釈
6月21日、詩織さんが今まで受け取ったプレゼントを、小松和人へ返送後に父親がその報告の為に、上尾警察署に「これからもよろしくお願いします」と挨拶に行きますが、警察はこれを「無事終わり、ひと安心です」というニュアンスだったと主張します。
何故この様な解釈をしたのか、かなりの疑問を感じますが「事なかれ主義」の悪い風潮なのでしょう。
告訴状提出までの流れ
7月13日、詩織さんの猥褻中傷ビラが配布され、詩織さんと母親は上尾警察署に行き実況見分が行われます。7月15日には小松和人の逮捕を要求しますが、「告訴しないと無理」と返答。
そこで詩織さんは「覚悟は出来ているので、今日告訴します」と強い意志を見せますが、「(詩織さんの大学の)試験が終わってからでいいんじゃないですか?」と、結局同日中の告訴はさせてもらえませんでした。
試験終了後の7月22日に告訴をするために、上尾警察署に行くと「担当者不在の為、一週間後に再訪して下さい」と対応。そして7月29日にやっと告訴状が受理されますが、名誉毀損行為の犯人については「誰がこの様なことをしたのかわかりません」と記載されます。
警察からの告訴取り下げ依頼
8月24日に詩織さんの父親の中傷ビラが会社に送付された際に、父親は上尾警察署に訪れます。担当者は中傷文書を見て「いい紙を使っている」と言った後に「じっくり捜査します。警察は忙しいんです。」と発言し、約一週間後の30日にやっと上司に報告しています。
9月上旬には、告訴状でなく被害届なら本部への報告義務も無く、迅速な処理が求められないという、内部の自己都合で告訴を取り下げさせるように担当者へ指示が出ます。
9月21日に担当の警察は詩織さん宅へ来訪し告訴の取り下げを要求します。一度取り下げると再告訴が出来なくなる決まりですが、その際には再告訴可能であるような話をします。
告訴は取り下げませんでしたが、詩織さんにとって警察はもはや信用出来ない機関となり、絶望的な気持ちのまま、翌月の10月26日に通学途中に桶川駅前で殺害されてしまったのです。
マスコミによる報道被害
「ブランド狂いで風俗店勤務」という印象操作
「桶川ストーカー殺人事件」の第一報として、被害者の猪野詩織さんの所持品に「グッチの腕時計」「プラダのリュックサック」があると警察が発表しています。通常ではこの様に所持品のブランド名まで発表しませんが、警察の怠慢捜査が注目されないように意図的に情報を公開したという意見があります。
「風俗店に勤務していた」という報道もありましたが、この真相は事件の約1年前にスナックでアルバイトをしている友人に「一人では心細い」と頼み込まれ、勤務した経験によるものでした。
猪野詩織さんはこの時「お酒を飲んだ人の相手をするのは自分には向いていない」と2週間ほどで辞めて給料も受け取らなかったそうです。
この様に最初は「ブランド狂いの風俗店勤務」の女性として、事件の最初は被害者本人の奔放すぎる私生活からの、男女の色恋沙汰の末に殺害された女性。という様な印象を視聴者に与え、警察の怠慢さは注目されていませんでした。
「FOCUS」の清水潔記者
そんなマスコミ報道が流れる中、写真週刊誌「FOCUS」の記者である清水潔さんは、別の切り口でこの事件を追います。世間のマスコミが被害者の人物像に注目していましたが、清水さんは犯人追跡に力を注ぎました。
被害者の猪野詩織さんの友人から証言を得て、更にその過程で被害者家族との接触にも成功します。そして被害者が殺害前に執拗なストーカー行為に悩まされていたことが明らかになり、その調査を進めていき、最終的に殺害実行犯の姿を浮き彫りにすることが出来ました。
これは他のマスコミや警察よりも先んじた情報入手であり、記者としての大手柄というだけでなく、この「桶川ストーカー殺人事件」の全貌が世間に知られることとなり、被害者に着せられた誤った人物像や、警察の怠慢捜査も明らかにされることになりました。
事件に関する場所
殺害現場の桶川駅
「桶川ストーカー殺人事件」の殺害現場である桶川駅は、商業施設の「おけがわマイン」と直結していて、詩織さんはマインの前の路上で二カ所を刺されました。時刻は午後0時53分頃ということと、駅と商業施設の目の前で昼間にそんな犯行が可能なのか?と思われることでしょう。
実は筆者は以前、桶川に約1年ほど住んでいたことがあるので、街の雰囲気は知っています。その経験から意見を述べさせていただくと、桶川は静かなベッドタウンであり、朝は通勤者などが多いですが、昼になると桶川駅付近もとても静かです。
「おけがわマイン」という商業施設も映画館などもありますが、そこまで人で賑わっている場所ではありません。ですので桶川駅付近であれば、昼過ぎの犯行も不可能では無い状況だったと思われます。
上尾警察署
「桶川ストーカー殺人事件」において、猪野詩織さんとその家族が何度も訪れた、上尾警察署は桶川駅から約4km程で、車であれば約10分で行ける距離にあります。
ちなみに詩織さんが加害者の小松和人と出会った大宮駅は、桶川から電車一本で行くことができ、時間も15分程度で着く距離です。
近年では高速道路の「桶川北本インターチェンジ」も出来て、車での移動も以前よりしやすい状況となり、桶川市は静かなベッドタウンではありますが、上尾市に面しており、大宮や浦和、東京都内にも行きやすい便利な立地の街です。
桶川ストーカー殺人事件の被害者
被害者殺害後の報道での人物像
「桶川ストーカー殺人事件」の被害者である猪野詩織さんは、殺害当時は21歳で女子大生。元交際相手とその仲間達から、脅されたり家まで押し入られたり、更には猥褻中傷ビラをバラまかれたり、迷惑極まりないストーカー行為の末に殺害されてしまいました。
前述したとおり殺害後は警察による意図的な情報公開と、それを受けたマスコミによる報道により猪野詩織さんは「被害者にも非がある」ように視聴者から受け取られてしまいます。
日テレの桶川ストーカー殺人事件番組に怒りのツイートが飛び交っているが、猪野詩織さんが殺された後「ブランド狂いの女子大生」「風俗嬢が店長と痴話げんかで殺された」「自業自得」など日テレを含むマスコミは彼女をバッシングし、多数の国民がこれに同調して報道被害に加担した。忘れてはいけない。
— 盛田隆二🫖Morita Ryuji (@product1954) September 26, 2012
世界仰天ニュースで、桶川ストーカー殺人事件について放送してるんだけど、その中で警察が改竄を隠蔽しようとして被害者が2週間だけ水商売のアルバイトをやったことをマスコミにリークして「そういうことに巻き込まれそうな人」として報道させたことを「マスコミも踊らされたのだ」で片づけやがった。
— 庭 (@keta_chop) September 26, 2012
被害者の父親が語る娘とのエピソード
被害者の猪野詩織さんの父親が近年のインタビューで、娘とのエピソードを語っています。以下の引用したエピソードを聞くと、家族愛の強い女性だったことが分かります。
一時期、スナックに勤めた際も一人で勤務することに不安を感じている友人の頼みを聞いて、2週間だけ務めたという話もあり、友達想いの面も持っています。
当時流行っていたファッションをするのは21歳という年頃の女性であれば、至って普通のことであり、猪野詩織さんは家族や友人への想いを持つ普通の女性であったと言えます。
今もふとした時に詩織の様々な姿を思い出します。特に忘れられないのは、詩織が高校生の頃のこと。「お父さん、そのワイシャツ、ヨレヨレになってきたから新しいのを買いなよ。それは私に頂戴」。どうやら女性用の丸襟ではなく、男性用の尖った襟のワイシャツを制服の下に着るのが流行っていたようです。他の子は男性用のを買っているのに詩織は「お父さんのを着る」と。年頃になっても、父親想いの優しい娘でした。
桶川ストーカー殺人事件の加害者グループ主メンバー
被害者の元交際相手「小松和人」
NAVER まとめ
「桶川ストーカー殺人事件」の一番の主犯である、小松和人は当時27歳で風俗店を経営していました。仕事の経歴上も様々なトラブルがあり、精神も不安定でした。自分の手はなるべく汚さず、金を使い人にやらせる方針で詩織さんを追い詰めました。
詩織さんを追い詰めるために、かなりの資金を投入していますが、そこには損得勘定が無く、詩織さんへの異常な執着心を感じさせられます。
本事件以前にも付き合っていた女性にストーカー行為をした前科があります。
精神科への通院歴があったこと・詩織さんの前に付き合っていた女性にもストーカー行為をしており、それは川越署の適切な対処により兄(小松武史被告)を身元請負人として厳重注意したこと
和人の兄であり主犯格である「小松武史」
Yahoo!知恵袋
当時32歳で小松和人の兄であり、「桶川ストーカー殺人事件」の一連の主犯とされている小松武史は、詩織さん宅へ押し入った際に、和人の上司を装い家族を脅した一人でもあります。消防庁職員でありながら風俗店を経営し、店舗の部下が犯行を実行していました。
和人と密に連絡を取り合っていた、一連の事件のブレーン的存在と見られていますが、彼は冤罪を主張し、実際は弟の和人を憎んでいたという内容の手紙もあることから、真相は未だに明らかにはなっていません。
服役中に実行犯の久保田に訴訟を促す伝言をしていたことも明らかになっているので、一般的な見解では小松武史が、指示を出していた主犯として認定されています。
〈私と弟の関係ですが(略)私は当時より(前妻も)弟が大嫌いですし、死んでも私の恨み憎さは、まだ半分あります!〉
〈和人は、何があっても和人自身の保身だけ考えて、何があっても武史の責任と、当時より考えていた男です…そんな男を許せる訳がないです〉
殺人実行犯の「久保田祥史」
NAVER まとめ
「桶川ストーカー殺人事件」の被害者、猪野詩織さん殺害実行犯である久保田祥史は、小松兄弟が経営する風俗店の雇われ店長であり、元暴力団組員です。
兄の武史がオーナー、弟の和人はマネージャーという関係性だったようで、和人の意図を汲んだ武史の指示によって、犯行に至ったとされていますが、後に「武史からの殺害依頼は無かった」と供述を改めています。
ただしその真相も現在明らかにはなっていません。
桶川ストーカー殺人事件における警察の対応
告訴状を出されても放置
「桶川ストーカー殺人事件」において、第2の犯行グループと言っても過言では無い、警察の対応は前述した通り酷いものでした。7月29日に告訴状を受理しても行動は起こさず、約2ヶ月後の9月21日に、詩織さん宅で告訴状取り下げの要求をします。
告訴状を受理するまでも約2週間も期間を空け、受理してからの行動もこの様な体たらくで詩織さんと家族を何度も失望させました。
加害者の行方を発見したのは週刊誌
「桶川ストーカー殺人事件」が起こった直後、世間のマスコミ報道陣は被害者の私生活に関する方向へ傾いていました。しかし写真週刊誌「FOCUS」だけは、犯人追跡に関する取材を続け、警察よりも早く犯人へと辿り着いたのです。
これはFOCUSの記者、清水潔さんの迅速な追求によるものでもありますが、同時に警察の動きの遅さも露呈されることになり、「警察はちゃんと捜査していたんですか?」という詩織さんの両親の問いに対しては、週刊誌のやり方を否定する様な発言でその場をやり過ごしています。
「あいつらはやり方が汚いんです。金ですよ金。金をじゃんじゃんばら撒いて情報を集めるんです。我々は公務員だからそれはできないんですよ」と弁解したという。これを伝え聞いた清水は「彼らの捜査がなぜダメなのか分かった気がした。金で何とかなると考えているのなら(A)と同レベルではないか。我々は自分の足で歩き廻り、調べ、情報提供者を大切にしてきただけだ。それは、一昔前の警察の手法と同じだ。逆に言えば、それだけ今の刑事達は変わってしまったということなのだろうか」
告訴状改ざんも明らかに
告訴状取り下げを要求した9月21日、実はこの時にはすでに詩織さんが提出した告訴状は被害届へと改ざんされていました。改ざんは9月7日に行われたとして、翌年の2000年4月6日にこれが明らかになると関与した職員達に処分が下されました。
そしてこの事件に関連した処分者による別の事件も起こるなど、後を濁す結果を招きます。
2000年10月7日、埼玉県警警視の住むマンションの玄関扉外側から出火。県警は別の脅迫容疑で逮捕されていた巡査部長を放火容疑で再逮捕した。警視は桶川事件当時の上尾署刑事生活安全担当次長で、告訴取り下げや告訴状改竄を直接、間接に指示し得る立場にあった人物である。また逮捕された巡査部長は桶川事件当時上尾署の刑事であり、さらに最初の逮捕容疑となった脅迫事件の被害者も当時の上尾署員だった。容疑者は刑事から交番勤務に左遷されていたことから、恨みによる犯行とされた。一方で容疑者は、桶川事件では最初に被害者の女子大生に応対し、相談内容の深刻さに同情して当初は熱心に話を聞いてくれていたという。容疑者は有罪判決を受け服役中に自殺した。またこの放火事件への対処に不信感を表明した別の刑事ものちに自殺している
桶川ストーカー殺人事件以降の変化
ストーカー規制法が創設される
「桶川ストーカー殺人事件」以降、最も変わった点と言えば、ストーカー規制法が創設されたことです。2000年11月24日に施行されましたが、その後もストーカー殺人事件は起こっています。
2012年の「逗子ストーカー殺人事件」では、被害者へ嫌がらせの電子メールが1000通以上送られていましたが、ストーカー規制法に電子メールの規定が無く、警察が立件を見送ったことが問題視されました。
また、同年12月の「長崎ストーカー事件」では警察がストーカー規制法を適用しなかった結果、殺害に至ったという指摘もあります。
警察の民事介入
「桶川ストーカー殺人事件」に関して、警察は「民事不介入」という名目により、消極的な姿勢を繰り返した事が問題視されました。これを受け警察は、原則にとらわれないように提言を発表しています。
しかし一方で「警察の行き過ぎた民事介入が目立つ」という意見もあるのが現状です。
桶川ストーカー殺人事件の加害者の現在
加害者達の判決
「桶川ストーカー殺人事件」の犯人達にはどの様な判決が下されたのでしょうか?
まず一番の主犯である小松和人ですが、彼は後に北海道で自殺体として発見されます。よって不明確な点が多かったですが、殺人罪の共犯にはされず名誉毀損罪の罪は課せられました。
次に兄の小松武史は、本人は殺人罪に関して否認していますが、一連の事件の主犯格とて認定され、無期懲役が確定しています。
殺人実行犯の久保田祥史は懲役18年の実刑判決、協力者である見張り役の伊藤嘉孝と運転手の川上聡にも懲役15年の実刑判決が下されます。
加害者達の出所は?
「桶川ストーカー殺人事件」の一番の加害者である、小松兄弟に関しては弟の和人は自殺し、兄の武史は現在も服役中です。
実行犯の久保田や協力者の伊藤、川上はすでに出所していると見られていますが、出所後の行方は明らかになっておらず、出所しているのかすら不明となっています。
桶川ストーカー殺人事件の被害者遺族の訴え
娘は3度殺された
被害者遺族の猪野憲一さんは2018年に、インタビューに応じ「娘は3度殺された」と語っています。
一度目は再三にわたる被害者の訴えに対し、「民事不介入」を言い訳に対応をせず、猪野詩織さんを絶望させた警察です。二度目は実際に殺害された時。三度目は殺害後のマスコミよる誤った情報による、過剰な報道によるものです。
更には深夜に家に押しかけコメントを求める報道陣もいたらしく、娘を殺害された上に私生活もままならない状態に追い込まれていました。
私は、娘は3度殺されたと思っています。1度目は殺害された時。2度目は、警察に、です。地元の埼玉県警上尾警察署には、何度も相談に行っていたのですが、「民事不介入」を言い訳に、親身に対応してもらえなかった。それどころか、後に明らかになったのは、我々が出した「告訴状」を県警本部に報告義務のない「被害届」に改竄したり、虚偽の報告書を作るなどの信じがたい不祥事でした(後に署員3人に有罪判決)。
そして3度目の殺人は、マスコミによるものです。娘は一方的に犯人側から贈られた高価なブランド品などはすべて返送しているのですが、バイト代を貯めてやっと購入した中古のプラダのリュックを引き合いに「ブランド狂いで男におねだりしていた」とか「いかがわしい店でアルバイトをしていた」などと事実無根の話を報じられました。虚偽の情報を鵜呑みにして「女性にも落ち度がある」「自業自得」などとテレビで話すコメンテーターもいました。
実名報道の必要性
猪野憲一さんはこういった事件を報道する際に、遺族が拒否をしないのであればという前提で、実名報道は必要だと語っています。
それは実名や顔写真がない状態での報道だと、事件の残忍さ、重大性が伝わりにくいからであり、更には捜査当局による情報操作の抑制の為にも、名前なども含めた正確な情報を公開することは必要不可欠であるということです。
被害者の実名報道についても色々と考えるところはあります。娘の事件が、「関東地方に住むXさんが殺された」と顔写真もなく報じられていたら、この事件の残忍さや、重大性は伝わらなかったと思います。また、実名が報道されていることで、例えば嘘が報じられた際に友人たちが「詩織はそういう人間ではない」と訴えてくれて真実が明らかになった部分もある。さらに、匿名では捜査当局が情報操作する可能性もあります。やはり多くの人の目に、どこの誰がどのように命を奪われたのかという正確な情報を公開することは、犯人や警察の嘘を防ぐためにも必要不可欠です。ただ、遺族がどうしても「嫌だ」と言う場合には、然るべき配慮はしていただきたいですが。
今も取材を受け、詩織の顔や名前を公開するたびに私の胸は痛みます。でも私よりも詩織のほうがどれだけ痛かったかと思えば、私の痛みはいくらでも我慢できるのです。
桶川ストーカー殺人事件の関連作品紹介
テレビ番組
「桶川ストーカー殺人事件」は過去に何度か、ドキュメント作品やドラマ作品になっています。この項目ではその作品を以下の表にして紹介します。
放送日 | 番組名 | 出演 |
---|---|---|
2002年6月10日 | 帰らぬ遺品 - 桶川ストーカー殺人事件 再検証 | ドキュメンタリー |
2002年10月28日 | 実録ドラマ 遺言・桶川ストーカー殺人事件 | 椎名桔平/内藤剛志他 |
2003年12月13日 | ひまわり - 桶川女子大生ストーカー殺人事件 | 渡瀬恒彦/内山理名他 |
2012年9月26日 | ザ!世界仰天ニュース | ドキュメンタリー |
関連書籍
「桶川ストーカー殺人事件」の関連書籍は、警察や他のマスコミに先んじて犯人達の全貌を明らかにした、写真週刊誌「FOCUS」の記者である清水潔さんと、真相が明らかになった後に被害者の猪野詩織さんの名誉回復の為に特集を放送した「ザ・スクープ」のメインキャスターの鳥越俊太郎さんが書いた本が主な作品です。
著者 | タイトル名 |
---|---|
清水潔 | 桶川ストーカー殺人事件 - 遺言 |
清水潔 | 遺言 - 桶川ストーカー殺人事件の深層 |
鳥越俊太郎+取材班 | 桶川女子大生ストーカー殺人事件 |
鳥越俊太郎・小林ゆうこ | 虚誕 - 警察に作られた桶川ストーカー殺人事件 |
桶川ストーカー殺人事件による教訓
「桶川ストーカー殺人事件」により、その後の警察の動きに大きな変化があり、事件以前より一般市民にとっては良心的な機関になったことは事実としてあります。しかし、それも結局は「人」によるものです。
「桶川ストーカー殺人事件」の時も、上尾警察署で対応した警察たちが極端に悪かったという点もあるので、現在も対応する警察によっては同じような事が起こりえるでしょう。
そしてストーカー事件において知っておかなければならないことは、ストーカー規制法による逮捕は最大でも20日で釈放されるという点です。なので「逮捕」=「解決」ではないという事を考える必要があります。
ストーカー事件に関する専門家は警察とは別で存在します。もしストーカー事件で悩んだ時には、まず専門家に相談することをお勧めします。
近年に起こった、こちらのストーカー事件の記事も参考にして下さい。