2021年11月29日公開
2021年11月29日更新
サリドマイド事件の概要|日本とドイツの和解/原因/被害者
世界中で悲惨な被害をもたらしたサリドマイド薬害事件の概要についてご紹介します。サリドマイド製剤による被害報告を受けてからの製薬会社と国の対応について解説しています。サリドマイド薬害事件のような薬害被害が今後繰り返されないことを心より願います。

サリドマイド薬害事件の概要
年代
沈静・睡眠薬がサリドマイドは、1950年代末から1960年代初めに世界40ヶ国以上で販売されました。日本では「イソミン」という名称で1958年に販売されていました。
1960年、胃腸薬「プロバンM」に配合され、妊婦が悪阻止めとして服用するようになりました。この薬を妊娠初期に服用した妊婦から生まれた子に、四肢奇形などが見られたことから、薬剤と障害の関係が発覚したのがサリドマイド薬害事件です。
ドイツサリドマイドを開発したのは、当時西ドイツにあったグリュネンタール社です。サリドマイドの含まれた薬剤は商品名「コンテルガン」として、1957年に西ドイツで発売以来、提携会社を介して世界40ヶ国以上で販売されました。 日本日本国内で販売されたサリドマイド製剤は、西ドイツから導入されたものではなく、大日本製薬が独自の製法を用いて合成を行い、1958年1月から睡眠薬「イソミン」として販売を開始しました。1960年8月には胃腸薬「プロバンM」として販売されました。 日本でのサリドマイド製剤の認可サリドマイド製剤の認可審査の甘さや当時の制度がサリドマイド薬害事件を引き起こしたとも言えます。1957年に大日本製薬が独自の製法で薬を製造し、厚生省に許可申請を行ったのですが、この時日本での臨床試験は行われず、動物実験も不十分でした。 和解サリドマイド薬害事件の訴訟は、1964年に被害者家族が当時の厚生省と大日本製薬を相手取って責任追及した民事裁判で、1974年に和解が成立しました。国と製薬会社は、薬と障害の因果関係を認めず裁判は長期化し、裁判が始まって10年が経ちやっと国と製薬会社はその責任を認めました。 サリドマイド薬害事件の原因となったイソミンの性質催奇性について妊娠初期にサリドマイド薬を服用した女性から重度の障害を持つ赤ちゃんが誕生して問題となったのが「サリドマイド薬害事件」です。こうして誕生した赤ちゃんには四肢の奇形などが見られました。 光学異性体サリドマイド薬害事件の被害は、イソミンに含まれるサリドマイドの「光学異性体」が引き起こしたものです。サリドマイドにはR体「右手型」とS体「左手型」の2種類があり、これらは鏡に映すとぴったり重なり合う構造になっています。 サリドマイド薬害事件の被害者サリドマイド薬害事件被害児の家庭の多くは様々な困難に直面しました。奇形児の我が子を見た親のショックから育児放棄をして乳児院に預たり、周囲や家族からの「血の汚れ」や「うちの家系にはいない」と言った心無い言葉を受ける事もありました。サリドマイド薬害事件が原因で離婚などといった家庭崩壊を迎える家族もありました。 サリドマイド薬害事件のその後薬剤師の役割病気の治療や健康維持に欠かすことのできない薬を処方する専門家として医療に携わっているのが薬剤師です。人の命にかかわる薬を取り扱う責任と、その使命と責任を果たすための知識や技能が必要とされる職業です。サリドマイド薬害事件をはじめとする薬害を防ぐうえでの薬剤師の役割は、薬剤師としての使命感をもって医療に携わることです。 薬害被害のない時代をサリドマイド薬害事件の後もスモンやHIV感染といった薬害被害が日本で発生しました。今後、このような悲惨な被害を繰り返さない取り組みや制度を確立し、薬害被害のない時代になることを願います。 編集部 この記事のライター Cherish編集部 人気の記事人気のあるまとめランキング
新着一覧最近公開されたまとめ
|