サリドマイド事件の概要|日本とドイツの和解/原因/被害者

世界中で悲惨な被害をもたらしたサリドマイド薬害事件の概要についてご紹介します。サリドマイド製剤による被害報告を受けてからの製薬会社と国の対応について解説しています。サリドマイド薬害事件のような薬害被害が今後繰り返されないことを心より願います。

サリドマイド事件の概要|日本とドイツの和解/原因/被害者のイメージ

目次

  1. 1サリドマイド薬害事件の概要
  2. 2サリドマイド薬害事件の原因となったイソミンの性質
  3. 3サリドマイド薬害事件の被害者
  4. 4サリドマイド薬害事件のその後
  5. 5薬害被害のない時代を

サリドマイド薬害事件の概要

年代

沈静・睡眠薬がサリドマイドは、1950年代末から1960年代初めに世界40ヶ国以上で販売されました。日本では「イソミン」という名称で1958年に販売されていました。

1960年、胃腸薬「プロバンM」に配合され、妊婦が悪阻止めとして服用するようになりました。この薬を妊娠初期に服用した妊婦から生まれた子に、四肢奇形などが見られたことから、薬剤と障害の関係が発覚したのがサリドマイド薬害事件です。

ドイツ

サリドマイドを開発したのは、当時西ドイツにあったグリュネンタール社です。サリドマイドの含まれた薬剤は商品名「コンテルガン」として、1957年に西ドイツで発売以来、提携会社を介して世界40ヶ国以上で販売されました。

しかし、発売開始から4年が経過した1961年、サリドマイドが奇形の原因である可能性が高いと疑うレンツ警告が出され、サリドマイド製剤はすぐに先進国の市場から無くなりました。

胎児の母親がコンテルガンを服用した正確な症例が少なく、サリドマイド胎芽病についても解明されていなかったので、レンツ博士はサリドマイドが奇形の原因であると断定しませんでした。

しかし、レンツ博士はサリドマイドの奇形児を自ら一例ずつ調査し、奇形の原因としてコンテルガンが疑わしいことを短期間で探り当て、コンテルガンを直ちに回収すべきであるという見解に至りました。

そして、1961年にコンテルガンの製造販売元のグリュネンタール社に電話でその警告を伝えました。1961年11月にレンツ警告を受けたグリュネンタール社は、11月27日に回収を決定しました。しかしながら、ドイツでのサリドマイド薬害事件による被害者は3000症例に上ります。

日本

日本国内で販売されたサリドマイド製剤は、西ドイツから導入されたものではなく、大日本製薬が独自の製法を用いて合成を行い、1958年1月から睡眠薬「イソミン」として販売を開始しました。1960年8月には胃腸薬「プロバンM」として販売されました。

サリドマイド製剤が発売された時は、妊婦や子どもが服用しても安全で副作用が無いと宣伝されたため、悪阻で眠れない妊婦が服用するケースが多くありました。

大日本製薬は、レンツ警告が出た後もサリドマイド製剤の販売を続けました。大日本製薬がサリドマイド製剤を出荷中止するのは、1962年5月でレンツ警告を受けて約半年後のことであり、1962年9月にようやく製品の全面回収を決定しました。

レンツ警告が出されてから大日本製薬が製品の回収を決定するまでのおよそ10ヵ月間、厚生省から製品の回収命令が出されることはありませんでした。厚生省は、レンツ警告後に新たなサリドマイド製剤を2剤認可しました。

サリドマイド製剤の出荷中止決定および回収の遅れや回収が徹底されなかったことが、日本でのサリドマイド薬害事件の被害を拡大したと言えます。サリドマイド薬害事件被害者は、309症例とされていますがサリドマイドによる死産は多数存在し、実際は1000例以上に上ると考える研究者もいます。

日本でのサリドマイド製剤の認可

サリドマイド製剤の認可審査の甘さや当時の制度がサリドマイド薬害事件を引き起こしたとも言えます。1957年に大日本製薬が独自の製法で薬を製造し、厚生省に許可申請を行ったのですが、この時日本での臨床試験は行われず、動物実験も不十分でした。

また、当時は海外で使用されている有名医薬品は簡単な審査でよいとする習慣があり、サリドマイド製剤は1年半の短期間の審査で承認されました。しかし審査の時点では、ドイツでも販売される以前であり、海外で使用されている有名医薬品であるとの認識自体が誤りだったのです。こうして、サリドマイド薬害事件に発展していきました。

和解

サリドマイド薬害事件の訴訟は、1964年に被害者家族が当時の厚生省と大日本製薬を相手取って責任追及した民事裁判で、1974年に和解が成立しました。国と製薬会社は、薬と障害の因果関係を認めず裁判は長期化し、裁判が始まって10年が経ちやっと国と製薬会社はその責任を認めました。

和解交渉の末、一時金や物価スライド制の年金に加えて、財団法人サリドマイド福祉センター(財団法人「いしずえ」)の設立が決まりました。

サリドマイド薬害事件の原因となったイソミンの性質

催奇性について

妊娠初期にサリドマイド薬を服用した女性から重度の障害を持つ赤ちゃんが誕生して問題となったのが「サリドマイド薬害事件」です。こうして誕生した赤ちゃんには四肢の奇形などが見られました。

サリドマイド薬害事件による被害者の症状は「サリドマイド胎芽病」といいます。手足の感覚がなくなる多発性神経炎、中枢神経刺激症といった神経系の障害などが副作用や障害として挙げられます。他にも重度の四肢の欠損である無肢症、手足の発育不全や奇形、指の欠損、聴力の低下、耳の欠損や耳の奇形などが挙げられます。

さらにサリドマイドには、心臓疾患や消化器の閉塞そして狭窄、ヘルニア、胆のうや虫垂の欠損などといった内臓の障害があることも判明しました。

光学異性体

サリドマイド薬害事件の被害は、イソミンに含まれるサリドマイドの「光学異性体」が引き起こしたものです。サリドマイドにはR体「右手型」とS体「左手型」の2種類があり、これらは鏡に映すとぴったり重なり合う構造になっています。

このうちR体は鎮静・催眠作用がありましたが、S体には催奇性があることがその後の研究で発覚しました。当時はこのような危険が知られていなかったため、両者の混合物(セラミ体)を販売してしまったのがサリドマイド薬害事件の元凶になりました。R体とS体に分離することは可能ですが、R体は体内で徐々にS体へと変化することが後にわかりました。

このサリドマイド薬害事件がきっかけになり、新薬の審査基準に妊婦が飲んだ場合胎児への影響がないか確認すること、ラセミ体が存在する薬の場合はR・S両方の性質を調べることが法律で義務づけられるようになりました。

サリドマイド薬害事件の被害者

サリドマイド薬害事件被害児の家庭の多くは様々な困難に直面しました。奇形児の我が子を見た親のショックから育児放棄をして乳児院に預たり、周囲や家族からの「血の汚れ」や「うちの家系にはいない」と言った心無い言葉を受ける事もありました。サリドマイド薬害事件が原因で離婚などといった家庭崩壊を迎える家族もありました。

サリドマイド薬害事件被害児の特徴である催奇性によって、周囲からの視線は冷ややかなものでした。また、日常生活を送るのにも苦労は絶えませんでした。サリドマイド薬害被害児たちは日常動作訓練や排せつ自立のための訓練を受けました。手術を受ける子もいましたが、結果として機能が向上することはありませんでした。

義手が開発されたもののサリドマイド薬害事件被害児にとっては重すぎるなどの欠点があり、活用できませんでした。普通学校への就学が認められず親たちが運動を起こしました。また、養護学校への就学を断られる例もありました。就学後もいじめを受けることがありました。

サリドマイド薬害事件被害者たちは中年期や老年期を迎え、二次的な健康障害を引き起こしています。身体の構造が正常でないことから、無理な動きや過度の負担で健康を損なうサリドマイド薬害事件被害者が多く出てきています。

サリドマイド薬害事件のその後

薬剤師の役割

病気の治療や健康維持に欠かすことのできない薬を処方する専門家として医療に携わっているのが薬剤師です。人の命にかかわる薬を取り扱う責任と、その使命と責任を果たすための知識や技能が必要とされる職業です。サリドマイド薬害事件をはじめとする薬害を防ぐうえでの薬剤師の役割は、薬剤師としての使命感をもって医療に携わることです。

薬害被害のない時代を

サリドマイド薬害事件の後もスモンやHIV感染といった薬害被害が日本で発生しました。今後、このような悲惨な被害を繰り返さない取り組みや制度を確立し、薬害被害のない時代になることを願います。

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