2021年03月30日公開
2021年03月30日更新
元少年A酒鬼薔薇聖斗の現在。結婚していた!? 顔・住所・本名も…文春記者が被害に
元少年A・酒鬼薔薇聖斗をご存知でしょうか。彼は「神戸連続児童殺傷事件」を起こし、当時は少年犯罪史上最悪の事件とも言われました。元少年A・酒鬼薔薇聖斗は現在出所しています。当時の事件を振り返るとともに、結婚・顔・住所・本名などから彼の現在を見ていきましょう。
目次
- 1【元少年A酒鬼薔薇聖斗とは】
- 2【酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)】
- 3【「酒鬼薔薇聖斗事件」の発端となった複数の事件】
- 4【非常に残虐性の高い犯罪】
- 5【元少年A・酒鬼薔薇聖斗は現在、出所した!?】
- 6元少年Aは現在、住居を転々とする日々を送る
- 7【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在① 結婚している?】
- 8【元少年A・酒鬼薔薇聖斗顔の現在② 顔写真】
- 9【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在③ 本名は?】
- 10【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在④ 住所】
- 11【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑤ 文春記者が被害に!?】
- 12【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑥ 本を出版】
- 13【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑦ ホームページを設立】
- 14元少年A・酒鬼薔薇聖斗の母親の現在:本を出版
- 15【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在:まとめ】
【元少年A酒鬼薔薇聖斗とは】
出典: http://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_739.html
「少年A」「酒鬼薔薇聖斗」とは、神戸連続児童殺傷事件の犯人の呼称です。
1997年に神戸連続児童殺傷事件が発生し、被害者は全部で5名。児童2名が死亡、3名が重軽傷を負いました。
この事件で犯人は、犯行声明を出し、その声明のなかで自らを「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗りました。このことから神戸連続児童殺傷事件は別名、「酒鬼薔薇聖斗事件」「酒鬼薔薇事件」などと呼称されるようになります。
「少年A」というのは、神戸連続児童殺傷事件の犯人がまだ幼き少年だったために、少年法によって彼の名前がテレビ・新聞などに公開されることができなかったため、便宜上「少年A」という名前になりました。
【酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)】
1995年5月26日に発生した事件によって、「酒鬼薔薇聖斗事件」(別名:神戸連続児童殺傷事件)が日本全土で大きく注目されました。
なんと神戸市の中学校校門に男子児童の頭部が発見されたのです。明朝に発見され、事件当時は平日で学校に登校する児童や教師などにしっかりと見えるように置かれていたそうです。
頭部そして顔は激しく損壊しており、刃物で傷つけられ目の部分は潰されていました。顔面の口の中には犯人が書いたと思われる「犯行声明文」が差し込まれていました。
「犯行声明文」
小さい紙が男子児童頭部の口の中に入れられていた1枚目の「犯行声明文」。
大きい紙が新聞社に届けられた2枚目の「犯行声明文」。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
「犯行声明文」②
彼は新聞社にも「犯行声明文」を送りつけました。その内容は警察に自分を捕まえてみろと言わんばかりの煽りの内容でした。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
実はこの事件が起きる以前に、11歳の男子児童が居場所が分からず行方不明となる事件が発生しており、中学校正門に置かれていた男子児童の頭部がその行方不明の児童と一致しました。
その残虐性の高さからテレビ・新聞などのマスメディアで大々的に「酒鬼薔薇事件」として大々的に公開され、世間に衝撃を与えました。
一週間後の1997年6月4日に「酒鬼薔薇聖斗」となる者から第2の声明文が新聞社に郵送されます。これによってさらに波紋は広がることとなります。
1997年6月28日に「酒鬼薔薇事件」の犯人がついに逮捕されました。
犯人は当時14歳の中学生でした。まだ幼き児童が行った史上最悪の少年犯罪事件として事件史に刻まれることとなります。
酒鬼薔薇事件当時のニュース
彼はすべての犯行を認め須磨警察署に逮捕されました。酒鬼薔薇聖斗が逮捕された日のニュースです。
【「酒鬼薔薇聖斗事件」の発端となった複数の事件】
神戸連続児童殺傷事件①
1997年2月10日、神戸市須磨の路上で2人の女子児童がゴムハンマーで襲われる事件が発生しました。女子児童1人が重傷を負う事件になりました。
目撃者によると犯人は「学生の格好をしていた」と話しており、このことから被害者の女子児童の親は事件現場近くの学校に生徒の顔写真の開示を要求します。
両親は警察を通して生徒の顔写真の開示を学校側に求めるも、個人情報の兼ね合いによって生徒の顔写真の開示がされることはありませんでした。
仮にこの時点で両親の要求通り、生徒の顔写真が開示され「酒鬼薔薇聖斗事件」が起きる前に「少年A・酒鬼薔薇聖斗」を発見することができていれば「酒鬼薔薇聖斗事件」が起きることもなかったのかもしれません。
出典: http://www.irasutoya.com/2013/09/blog-post_5844.html
神戸連続児童殺傷事件②
1997年3月16日、神戸市内の公園にて女子児童が頭部・顔面を鈍器で殴られ死亡する事件が発生しました。
犯人は神戸市内の公園で、当時10歳の女子児童に「手を洗える場所ない?」と話しかけ、女子児童に案内してもらった後に、被害者を金槌で頭部・顔面を強打。被害者の女子児童は、病院にはこばれるも重度の脳挫傷で死亡しました。
出典: http://www.irasutoya.com/2013/09/blog-post_4750.html
神戸連続児童殺傷事件③
1997年3月16日、上記事件②の発生約10分後に神戸市内の路上で、当時9歳の女子児童の腹部を刃物で刺す事件が起きました。
被害者である女子児童の命に別状はありませんでしたが、3週間程の大けがを負うことになりました。
事件発生現場は事件②の現場と200~300ほどしか離れていなかったそうです。
出典: http://www.irasutoya.com/2015/07/blog-post_94.html
【非常に残虐性の高い犯罪】
酒鬼薔薇事件」(別名:神戸連続児童殺傷事件)で最も注目された被害者。「頭部を切断された」男子児童の殺害方法は彼の残虐性と狂気を示すものになっています。
彼は市内の「タンク山」と呼ばれる場所に男子児童をおびき寄せ、山頂付近で絞殺しました。
その後、「人の頭部を切ってみたい」と思うようになり、再び「タンク山」に向かいます。そして用意した、黒いビニール袋・糸のこぎり・ナイフを使用して男子児童の頭部を切断します。彼は「切断した男子児童の頭部をみて射精した」と後に供述で語っています。
切断した男子児童の頭部が自分に文句を言っているように感じた為に、ナイフで目を潰し、口を両耳辺りまで裂きました。
また彼は黒いビニール袋に溜まった男子児童の血を飲んだそうです。飲んだ理由は「純水な子どもの血を飲めば自分も綺麗になることができる」と思ったからと話しています。
そして1997年5月27日彼は人目につきやすいように、被害者である男子児童の頭部を学校校門前に置きます。
そして、幼き児童が行ったとは思えないような残虐性の高い事件は、後に日本全国に衝撃を与える「酒鬼薔薇聖斗」(別名:神戸連続児童殺傷事件)となります。
出典: http://www.irasutoya.com/2017/09/blog-post_193.html
以下の動画では事件当時について詳しく解説しています。
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗は現在、出所した!?】
まさに快楽殺人ともいえる狂気的な殺人事件になりました。このような残忍極まりない事件で、本来なら終身刑かもしくは死刑の可能性が非常に高いと考えられます。
しかし、少年Aは「少年法」によって守られ、少年刑務所にいれられることとなりました。
出典: http://www.irasutoya.com/2017/09/blog-post_41.html
少年院出所後の現在
元少年A・酒鬼薔薇聖斗は2004年(平成16年)3月10日に少年院を仮出所しました。翌年の2005年(平成17年)1月1日に元少年Aは少年院を本出所し、社会に出ていきました。
出所後の元少年Aは少年院の時に身につけた溶接工の技術を生かした仕事を行うことや、ビル清掃員、または廃品回収などの仕事を行っていたようです。
出典: http://www.irasutoya.com/2017/09/blog-post_90.html
元少年Aは現在、住居を転々とする日々を送る
元少年Aは日雇いの短期間の仕事を始めるも、職場ではかなりの確率で周囲から「酒鬼薔薇聖斗」ではないかと疑いの目を向けられることも多くありました。
元少年Aは周囲の人からそのような疑念の目を感じるようになると、すぐに仕事をやめていったそうです。
住居・住所に関しても同じように周囲の人に「酒鬼薔薇事件」の犯人・元少年Aではないかと疑われることが多かったために、住居・住所など居場所を持たず、ネットカフェなどに泊まるなどをして転々とする日々を送っていました。
「酒鬼薔薇聖斗事件」その衝撃の大きさから数年たった今でも認知度は高く、全国どこにいっても住所、そして居場所を持つことができず、普通に暮らすことは困難な状況であったようです。恐らく現在も状況は同じでしょう。
出典: http://www.irasutoya.com/2014/10/blog-post_559.html
事件から20年以上経った現在も、元少年Aは世間に注目され続けています。そのため、いまだに週刊文春や多数マスメディアが元少年Aの取材活動をおこなっています。
元少年Aはこれからもずっと彼らに追われる身になるでしょう。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在① 結婚している?】
元少年A・酒鬼薔薇聖斗は結婚している?
元少年Aは現在、結婚しているのでしょうか。
週刊文春やネット上では「元少年Aは現在結婚している」「元少年A・酒鬼薔薇聖斗は既に結婚していて親になり子どももいる」という噂が流れています。しかし「結婚して親になり子どもがいる」という結婚の根拠を明確に示すような情報源はなく、あくまでも「結婚」の噂は噂の範疇に留まるようです。
そもそも、元少年Aは事件後から人目を避けるように住所を持たずに生活をしており、人と交流関係を持つことも避けていたようです。そんな彼が結婚する可能性はとても低いように思えます。
もし仮に現在結婚して子どもがいるようであれば、父親として妻子対しての執拗に取材を繰り返す週刊文春やマスコミの対応や、事件の報復を考える人々からの「攻撃」が危ぶまれます。元少年Aにとって結婚することは難しいことなのではないでしょうか。
出典: http://www.irasutoya.com/2016/09/blog-post_74.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗顔の現在② 顔写真】
事件当時の元少年A・酒鬼薔薇聖斗の写真
写真は当時中学校だった頃の写真です。写真からは普通の中学校にしか見えず、狂気的な殺人をするとは思えません。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
元少年A・酒鬼薔薇聖斗 33歳の写真
写真は週刊文春より出されました。元少年Aは何年もの間姿をくらましており、文春記者による執念の取材ともいえるでしょう。
文春が出した現在の写真では、事件から20年近くが経っており当時とは顔もだいぶ違って見えますが、目や眉毛が非常に似ています。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
電車に乗る元少年A
文春記者が撮影した週刊文春での写真です。
元少年Aは思っているよりも私たちの身近にいるのかもしれません。
出典: https://vipper-trendy.net/sakakibaraseito-genzai/
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在③ 本名は?】
本名は「東真一郎」!?
元少年Aの本名は「東真一郎」ではないかと噂されています。
週間ポスト・週刊文春などの取材によって酒鬼薔薇聖斗の本名は「東真一郎」(あずま しんいちろう)と発表されました。
しかし、「東真一郎」は「酒鬼薔薇聖事件」で大きく注目を浴びているため「東真一郎」という名前で生活することは困難を極めるでしょう。よって、現在はこの「東真一郎」という名前を変えて「東真一郎」という名前以外の可能性が非常に高いと考えられます。
元少年Aは「東真一郎」という名を捨てて次はどのような名前にしているのでしょうか。
出典: http://www.irasutoya.com/2013/09/blog-post_6897.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在④ 住所】
元少年Aの現在住所は分かっていません。
週間文春や様々なマスメディアの取材やネット上の噂で彼の住居や住所が特定されますが、彼は住居・住所など居場所を転々としており現在は公開された住所や居場所にはもういない可能性が非常に高いと考えられます。
史上最悪の少年犯罪者として、日本中の世間の目を浴びることになった彼はこれからも週刊文春などのメディアのネタにされることは間違いありません。
元少年Aが普通の住所や居場所をもち生活することは困難でしょう。これからも住居・住所など居場所を転々とする日々が考えられます。
出典: https://vipper-trendy.net/sakakibaraseito-genzai/
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑤ 文春記者が被害に!?】
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
週間文春の記者は半年間にわたる取材活動の結果ついに元少年Aの居場所を特定することに成功し、直接取材を行うことができたようです。
彼の居場所を突き止め、文春の記者が元少年Aに直接取材を行ったとき、元少年Aは「なんのことをいっているのか分かりません」「知りません」と応え、何のことかわからない様子を装っていたようです。
しかし、次第に元少年A様子が一変して文春記者に対し「お前、命懸けできてるんだろうな」「お前、顔と名前、覚えたぞ」と言い放ちました。
その後、危険を感じた文春記者はその場を離れようとするも、元少年Aも走って文春記者を追いかけたようです。
幸い文春記者にはケガなどもなかったようですが、彼は1km以上に渡って約10分ほど文春記者を追い回したようです。
この内容が週間文春によって報道された後、「彼は本当に更生したのか疑問だ」「まだ凶悪性を秘めているのではないか」と再度、元少年A・酒鬼薔薇聖斗に注目が集まりました。
週刊文春の記事ポスター
写真にあるように、週間文春によって大々的に報道され、再度世間の注目を浴びました。
史上最悪の少年犯罪を犯した彼が居場所を転々としながら生活している事実に人々は怒りを感じていたようです。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑥ 本を出版】
元少年Aが出版した「絶歌」
太田出版社から出版されました、著者名は元少年Aとなっています。
週刊文春によって公開された「東真一郎」という著者名ではないようです。
出典: https://vipper-trendy.net/sakakibaraseito-genzai/
2015年に「絶歌」という本を出版します。この本を出版したのは彼が32歳の頃です。
被害者の遺族である両親は「絶歌」の出版を取り下げるように出版社に求めましたが、叶わず通常通り出版となりました。
皮肉にも25万分以上のベストセラーにもなり、大きな注目を浴び、被害者の両親に対して新たな傷をつけることになってしまいました。
「酒鬼薔薇聖斗事件」当時の彼の心境や、事件を振り返っての今の心境、居場所を転々とする日々、そして被害者への謝罪が赤裸々に告白されています。
しかし、専門家は「この本から彼がまだ事件当時の凶悪性を秘めていると感じる」「彼の自己顕示欲の高さが見られる」と彼を危険視する声や、「本を出版することである意味免罪符にしようとしている」「被害者の遺族に対して謝罪する気持ちが全くない」など本に対して様々な批判があったようです。
株式会社会社太田出版 岡 聡 社長
「絶歌」の出版は「太田出版社」より出版されました。「絶歌」の出版は遺族側が抗議しているということもあり、太田出版社への反発も少なからずあったようです。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
写真に写る、岡 聡 社長はこの悲惨な事件を後世に語り継いでいくべきだと考えており、出版した際には「少年A」の手紙を添えて被害者遺族である両親に送りたいとしています。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在⑦ ホームページを設立】
元少年Aは、自分のホームページを作成しそこで、著書「絶歌」の宣伝や自分の作品を掲載しました。
世間からは、被害者の遺族の思いを踏みにじる非人道的な行為だと痛烈に批判を受けています。
出典: http://www.irasutoya.com/2016/10/blog-post_72.html
ホームページタイトル「存在の耐えられない透明さ」
ホームページには「存在の耐えられない透明」と記したタイトルがつけられており、「絶歌」の告知が掲載されていました。
専門家はこのホームページには元少年A・酒鬼薔薇聖斗の凶器さ自己顕示欲が現れていると批判しています。
また後に、有料(月約800ほど)メールマガジンの配信を行いますが、すぐに凍結されることになりました。
ホームページタイトルからは「居場所も持つことができない彼の苦しさが感じられます」
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
ホームページ写真①
彼が作成した写真作品が掲載されています。
出典: http://asdlkj43.blog.fc2.com/blog-entry-1284.html
ホームページ写真②
詩のような作品も掲載しています。
彼の自己顕示欲の高さがうかがえます。
出典: http://asdlkj43.blog.fc2.com/blog-entry-1284.html
元少年A・酒鬼薔薇聖斗の母親の現在:本を出版
「少年A」この子を生んで・・・
「酒鬼薔薇事件」の犯人である元少年A・酒鬼薔薇聖斗の両親も事件についての本を出版しています。
「この両親は金目当てに本を出版した」など、出版当時はあまり良い印象ではなかったようです。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html
【元少年A・酒鬼薔薇聖斗の現在:まとめ】
「酒鬼薔薇聖事件」は20年経った今もその事件の悲惨さは色褪せていません。元少年A・酒鬼薔薇聖斗は現在出所し私たちと同じ社会に生きています。彼はこの事件を反省し更生しているのでしょうか。
週刊文春によると事件当時は「東真一郎」という名前でした。しかし現在は「東真一郎」という名前ではありません。とするならば彼は「東真一郎」という名を捨ててどのように生活しているのでしょうか。
今後、2度とこのような悲惨な事件が起きることがないことを祈るばかりです。
出典: http://news-strike.com/archives/1658315.html