「新宿騒乱」事件で騒擾罪が適用!743名の逮捕者!?【動画あり】

新宿騒乱事件とは1968年10月21日に東京都新宿区で発生した新左翼暴動事件です。新宿駅に角材などを持った反戦団体が最終的に2000人ほど集まり、警察機動隊と衝突し結果的に743名の逮捕者を出した事件です。なぜ新宿騒乱事件が起きたのかを調べました。

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目次

  1. 1新宿騒乱事件とは?
  2. 2騒擾罪(騒乱罪)とはどんな罪なのか?デモとの関係は?
  3. 3新宿騒乱事件が注目された理由は
  4. 4新宿騒乱以外で騒乱罪(騒擾罪)の適応となった事件
  5. 5当時の新宿騒乱事件で捕まった人はどれくらい?
  6. 6新宿騒乱に関わった団体は?
  7. 7事件で捕まった人は、その後デモを続けたの?
  8. 8新宿騒乱の事件で当時の報道は?
  9. 9新宿騒乱事件が起きた当時の日本
  10. 10若者たちの間にあった思い
  11. 11新宿騒乱事件を煽った団体のその後
  12. 12新宿騒乱の被害は
  13. 13事件後にはどんな変化があったのか
  14. 14現在デモはどんなものが行われている?
  15. 15新宿騒乱事件のまとめ

新宿騒乱事件とは?

新宿騒乱事件は1968年10月21日に東京都の新宿区で起きた新左翼暴動事件です。10月21日は国際反戦デーという記念日になっていますが、これは日本だけの記念日です。当時は安保運動など学生運動が盛り上がっていました。学生の間ではベトナム戦争に反対しようという機運が高まっていて、この日に反戦運動を行っていた各団体はそれぞれで集会を開いていましたが、全学連などの新左翼派と言われれる団体は新宿での暴動を計画していました。
前日、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)や、国際文化会議という団体が行っていた集会は法に従った穏やかな集会でしたが、全学連はそこからさかのぼること10月8日、燃料タンク車を狙って新宿駅に突入し、144人が逮捕される騒ぎを起こしていました。
この時に起こった新宿騒乱事件とはどんなものだったのでしょうか。

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逮捕された彼らは騒擾罪(現在の騒乱罪)を覚悟しての犯行だったようです。中核派・ML派といわれる学生たちは、明治公園や日比谷野外音楽堂で集まった後で新宿駅に向かいました。角材などで武装した人数は2000人なり新宿に集まって機動隊と衝突しました。野次馬等も混ざり最終的に暴動に関わったのは2万人と言われています。

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集まった暴徒は新宿駅に突入し電車のシートを壊す、火をつける、信号設備などを壊すなど様々な破壊行為を起こし、743人が逮捕されました。

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騒擾罪(騒乱罪)とはどんな罪なのか?デモとの関係は?

騒擾罪(そうじょうざい)、現在の騒乱罪(そうらんざい)とは、刑法106条によると、多衆が集合して暴行・脅迫を行うことにより公共の平穏を侵害する罪です。

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騒擾罪は民主化運動が激しかった明治時代に作られた法律で、自由民権運動や他の社会運動を抑える目的で作られました。基本的には公共の平穏を守るための法律になります。大人数で個人、公衆に対して暴行や脅迫を行うとこの罪に問われることになります。

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首謀者は1年以上10年以下の懲役又は禁錮、指揮者(リーダー格)には6カ月以上7年以下の懲役か禁錮、従ったものには10万円以下の罰金が定まっています。デモから発展することも多く、戦後の三大騒乱事件と呼ばれるものはデモ隊と警察の衝突から起きています。騒擾罪の適用にはいろいろと条件があり、これまで騒擾罪で起訴できたものは意外に少ないようです。というのは実際に暴動などを起こした場合、暴行罪や公務執行妨害など、もっと重い罪が適用されることが多いからだそうです。

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新宿騒乱事件が注目された理由は

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新宿騒乱が注目されたのはやはり日本最大級の駅である新宿駅に大きな損害を与えたことでしょう。野次馬も含め最終的には2万人の暴徒が新宿駅にあつまり、電車や駅の施設を破壊して交通機能がマヒ。通勤通学で使う150万人に影響を与えました。午後9時から翌朝の10時くらいまで電車は動かなかったそうです。
現在新宿駅は一日300万人が使う世界有数のターミナル駅となっていますが、当時の150万人というのもすごい数字ですね。これだけの人数に影響を与えたのですから、当時の扱いも非常に大きかったであろうことが予測できます。

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現在の新宿駅

一日300万人が使用する、世界一の利用人数を誇る駅です。

新宿騒乱以外で騒乱罪(騒擾罪)の適応となった事件

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これまでも色々なデモ隊と警察が衝突して事件となったケースは多々ありますが、騒乱罪(騒擾罪)が適用されたケースは意外に少ないようです。1952年の大須事件、1948年の阪神教育事件などです。

大須事件

1952年に愛知県名古屋市で起きた事件です。無届のデモでしたが、1000人ほどの人間が帰国した日本社会党と改進党の代議士に対して歓迎のデモを行いました。警察は解散させようとしましたが、集まったデモ隊と警察部隊が衝突し、警察に対して火炎瓶などを投げ込まれました。

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警察官70名・消防士2名・一般人4名が負傷、デモ隊は1名死亡、19名が負傷しました。この事件では269人が検挙され、152人が騒乱罪などで起訴されました。

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阪神教育事件

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大阪府と兵庫県で発生した事件です。在日韓国・朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争で、日本国憲法下で唯一の非常事態宣言が布告された事件です。朝鮮人学校への弾圧を反対するデモから始まり、デモ隊が大阪府庁の府知事室に押しかけ調度品や備品などを破壊しました。その後到着したアメリカ軍や武装警官と衝突して在日朝鮮人のうち1人が死亡、20人が負傷した。警官側も31人が負傷しました。結果的には179人が騒擾罪で検挙されました。

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当時の新宿騒乱事件で捕まった人はどれくらい?

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新宿騒乱では743人の人間が逮捕されています。その後どのような裁判が行われたのかはあまり情報がないようです。首謀者の名前やどのような判決が出たのかもはっきりしないようです。そもそも首謀者がいなくても騒擾罪は成り立つのですが、野次馬を含めて2万人もの人数を、たった数千人の警察ですべて制圧できるような状態ではなかったはずです。逮捕、起訴された人間もほとんどは罰金刑などの軽いものだったのではないでしょうか。

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新宿騒乱に関わった団体は?

どのような団体がデモを行っていたのでしょうか?左派学生を中心にした中核派、革マル派というワードと共に、全日本学生自治会総連合(全学連)の名前が見つかります。全学連は1960年代には安保闘争などで、たびたびデモ隊と警察の衝突が起きていました。結成当時は日本共産党との強いつながりがありましたが、時代とともにいくつかの団体に分かれています。
新宿騒乱は当時ベトナム戦争のさなかにあったアメリカを支援することに対する抗議から始まったものです。反戦団体も色々なものがありましたが、当時の全学連は早稲田や慶應義塾の学生を中心に盛り上がっていて、目的のためには暴力も辞さないという雰囲気の中にいました。

事件で捕まった人は、その後デモを続けたの?

新宿騒乱で捕まった人のその後

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新宿の騒乱事件で捕まった人の話がありました。
当時早稲田の学生だった女性は、ベトナム戦争に使われるとされる燃料を積んだ貨物列車を止めるために、線路に仲間と入ったそうです。そこで待ち受けていた警官に見つかり逃走。数日後、警官が自宅に来て逮捕されたそうです。

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取り調べは過酷だったようですが、黙秘を通したそうです。起訴に至ったのか、罰金刑などの刑に服したのかまではわかりませんでした。この人はその後も学生運動を支援したらしいので、おそらくデモなどにも参加していたのでしょう。親との確執もあったそうですが、その後病気などもあり実家に帰った後、結婚離婚などを経て当時の思い出を綴った歌を作りながら暮らしています。

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新宿騒乱の事件で当時の報道は?

マスコミはデモをどう報道したのか?

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新宿騒乱事件は当時どのくらい報道されていたのでしょうか?学生運動の歴史の1ページにもなっているくらいなので、相当な時間報道をされていたと予想されます。当時のことを覚えているという人もまだたくさんいらっしゃるでしょう。学生運動も始まった当時は、大衆の支持も多かったようですが、1970年以降は暴力的な側面が表面化したことから段々と大衆からも避けられ始めます。

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新宿騒乱のときには、まだこのような運動に対して好意的にとらえる人間も存在したと考えられますがこの事件をきっかけにまた変わっていくようです。

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新宿騒乱事件が起きた当時の日本

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1968年当時の日本は佐藤栄作総理のもとで、高度経済成長の真っただ中にいました。社会保障制度も徐々に充実してきたところです。政治的な安定していましたが、ベトナムに向かうアメリカの空母が長崎の佐世保に立ち寄ることに対し、デモや反対運動が市民や学生を中心に起こりました。特にこの年は学生運動が盛り上がっており、東大闘争、日大闘争なども起こりました。京都大学、明治大学、早稲田大学なども学生紛争が発生し、その勢いが全国に広まった年でもありました。

若者たちの間にあった思い

当時、学生運動に参加していた人たちはどんな思いで運動に参加していたのでしょうか?

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新宿騒乱でデモに参加した人たちの要求は

新宿騒乱では学生たちの言い分はベトナムを爆撃するための燃料を積んだ列車を止めようというものでした。結果、多くの暴徒によって新宿駅は荒らされ破壊され、一時的に交通機能はマヒしました。反戦運動にかかわった学生たちは何を求めていたのでしょうか?
まず、戦争そのものに関する嫌悪感はどなたも持っているとは思います。それに加えて当時は学生が大学や政府に対して反感を持っていたことがベースにあったと思います。

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この年は学生と大学との間で色々な問題が起きた年で、きっかけは東京大学の事件でした。
東大の医学部と医学部生との間でインターン制度をめぐり意見が対立し、学生が退学処分や停学処分を受けました。関係ない学生まで巻き込まれ、これに怒った学生が安田講堂を占拠します。警察が介入する事態となり、全国的に報道されました。
当時の学生にとって「学問の府は何物にも干渉されない」場所であり、警察の介入などは許される行為ではなかったのです。現在はそんなこともありませんが当時の雰囲気はそうしたものでした。
また政府も大学の管理を強化する法案を提出し、ますます学生は政府に反発を覚えます。
学生たちの反体制の機運は全国に広がってほとんどの国立、私立大学でストライキやデモが起きたそうです。話を聞いていると何をしたいのかはよくわからないままでした。日ごろの抑圧に対する、なんとなくの反発、というのが本当の所だったのではないかと思います。

新宿騒乱事件を煽った団体のその後

新宿騒乱で中心となった全学連はその後どうなったのでしょうか?全学連はいくつかの派閥に別れていて現在の学生運動の中心とは言えなくなっています。もともと一枚岩ではない集まりだったのと、武装化や暴力等が目立つことから支持する人たちがだんだんいなくなってきたことも大きいでしょう。新宿騒乱まではマスコミも好意的に取り上げる部分もありましたが、それ以降は批判的な意見しか見えなくなります。各派の内ゲバや死者も出た山岳ベース事件でマスコミからの批判は増すばかり。学生はだんだん見向きもしなくなっていきました。それから時がたち2007年時点では90あった自治会は27にまで激減しています。これは学生の価値観が多様化したこと、全学連への学生の嫌悪感が強いことなどがあげられます。

新宿騒乱の被害は

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新宿騒乱では車両が壊されたり、信号機が壊されたり火がつけられた、駅が使えなくなったなど大変な被害が出ました。具体的な被害額はありませんが、現在では首都圏で出勤時に電車が30分使えない(遅延)と2億円の損害になるそうです。車両も一両当たり1億円だそうです。当時の午後9時から翌朝の10時まで運転できなかったそうですから、現在の価値でいうと数十億の損害額になりそうですね。これをつかまった人間に請求できそうもないですから、国や都の税金で賄われたということでしょうか。

事件後にはどんな変化があったのか

この新宿騒乱事件のあとには何か変化があったのでしょうか?この後しばらくは学生運動は盛り上がります。比較的このころまでは学生運動に対しても応援してくれる人や好意的な記事を書くマスコミもあったそうですが、この事件を境にマスコミの論調は厳しいものに変わっていきます。こうした学生運動に参加していると就職する際にマイナスになることが当たり前でした。そういうことがわかってくると積極的に運動に参加する人間も減少していき、違法行為や暴力行為の報道が目立ち始め、学生たちが学生運動に対して嫌悪感を持ち始めていきます。それぞれの派閥がそれぞれをつぶそうと暴力事件が起こり死者まで出ました。1970年以降、だんだんと勢いはなくなっていきます。

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現在デモはどんなものが行われている?

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現在も政府に対するデモは各地で行われています。デモ自体は法律で認められている権利ですので、違法ではありませんが、きちんとルールに沿ったデモである必要があります。最近でも特定秘密保護法に反対するデモや安保法案に対するデモなどが行われていて、テレビや新聞で大々的に取り上げられています。こうしたデモではあまり警察と衝突するような激しいものはあまりないようです。
一方、沖縄での米軍基地関係のデモや、人種差別のデモなどでは参加者同士や警察との衝突でケガ人や逮捕者が出るくらいのケースがあります。

新宿騒乱事件のまとめ

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新宿騒乱事件とは、
1.新宿駅近辺で起きた学生運動に参加している人間が周囲を巻き込み新宿駅を破壊して交通機能をマヒさせた事件。通勤、通学利用者150万人に影響を与えた。
2.この事件では最終的に暴徒が2万人にまで膨れ上がり、その後警察と衝突。騒擾罪(騒乱罪)が適用され743人の逮捕者が出た
3.それまでは学生運動に理解のあった風潮もこの事件以降は一変し、厳しい論調が目立つようになった。

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