2021年05月20日公開
2021年05月20日更新
『信楽高原鉄道事故』列車の正面衝突で42名が死亡。事故原因や運転手
列車が正面衝突するという恐ろしい惨事となった信楽高原鉄道事故。信楽高原鉄道事故はなぜ列車の正面衝突という大きな事故を起こしてしまったのか。 信楽高原鉄道事故で列車が正面衝突してしまった原因は?そして信楽高原鉄道事故のあとから噂される被害者の幽霊の噂とは?
目次
信楽高原鉄道事故とは?
信楽高原鐡道事故ってどんな事故?
信楽高原鐡道とは、画像のように、どこかのどかな場所を走る鐵道です。
そんな信楽高原鐡道が起こした、大変悲惨な事故。
画像のようなのどかな場所で、休日を楽しむ人たちを襲った未曾有の大惨事。
信楽高原鐡道は、いったいどんな事故を起こしてしまったのでしょうか。
信楽高原鐡道に乗車していた被害者たちは?そして、信楽高原鐡道事故を起こした運転手たちはどうなっているのでしょうか。
今回は1991年に起こった信楽高原鐡道事故についてご紹介していきます。
事故の現場には被害者の幽霊が出るという噂もあるようですよ。
信楽高原鐡道事故について
信楽高原鐡道事故は、1991年の5月14日に起きた事故でした。
信楽高原鐡道事故によって亡くなった被害者は、運転手を含めて42名。
そして信楽高原鐡道事故で負傷した被害者は、なんと614名という大変な人数に上ったのです。
なぜ、これほどまでに被害者の数が増えてしまったのか。
それは、信楽高原鐡道事故が単なる脱線事故ではなく、なんと電車同士の正面衝突事故だったからなのです。
車であれば、正面衝突することもあるでしょう。
しかし、鐵道において正面衝突というのは、聞いたことがありません。
線路の上を走っているはずの鐵道で、なぜ正面衝突という恐ろしい事故が起きてしまったのでしょうか。
正面衝突をする直前の運転手は、いったいどれほどの恐怖だったでしょうか。
いまだに信楽高原鐡道事故の現場に、被害者幽霊が出るという噂が出るのも、納得できる気がしますね。
信楽高原鉄道事故で正面衝突した列車とは?
正面衝突した列車とは?
では、どの電車が正面衝突してしまったのでしょうか。
まずは、画像の信楽高原鉄道の列車です。
信楽高原鉄道で起こった事故なので、それは当然ですね。
当時現場を走っていた電車は、画像の電車ではなく、臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」という電車だったようです。
正面衝突の相手はJR西日本?
信楽高原鉄道の電車と正面衝突してしまった電車は、なんとJR西日本が動かしていた電車だったようです。
しかし、なぜ鉄道会社の違う2つの電車が正面衝突してしまったのでしょうか。
電車というのは、運営する鐵道会社が違っていても、同じ線路を走るのでしょうか。
同じ線路を走っていないと、正面衝突事故は起きませんよね。
「信楽高原鉄道事故」列車が衝突した現場
列車が正面衝突してしまった現場とは
画像は小野谷信号場の画像です。
貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間に設置されている信号場となっています。
そもそも、この信号というのは、正面衝突事故の原因ともなった世界陶芸祭をきっかけに設置された信号なのだそうです。
多くの被害者を出す原因ともなってしまった世界陶芸祭。
この世界陶芸祭へ行く人たちを円滑に輸送するために、作られた信号。
そのため、正面衝突事故の起こった年の12月には、使用されなくなってしまいます。
単に、世界陶芸祭も終わり、必要がなくなったことからの使用中止なのでしょうが、信楽高原鉄道事故という大変多くの被害者を出してしまった事故のあとですから、この信楽高原鉄道事故が原因で使用されなくなってしまったのではないか、と思ってしまいますよね。
紫香楽宮跡駅
画像は紫香楽宮跡駅です。
画像でもわかりますが、紫香楽宮跡駅は大変小さな駅となっています。
無人駅なのだそうです。
しかし、駅の名前ともなっている紫香楽宮跡というのは、国指定の史跡なのだそうです。
画像のような静かな駅に、そんな大切な史跡があるとは思えませんね。
そして、先ほどの画像の小野谷信号場とこの画像の紫香楽宮跡駅の間の現場で、信楽高原鉄道事故は起こってしまったのです。
なぜ信楽高原鉄道事故で列車は正面衝突したのか
正面衝突の原因とは
普段なかなか聞くことのない電車同士の正面衝突事故。
正面衝突事故の原因となってしまったのは、どのようなことだったのでしょうか。
原因は運転手の運転技術だったのでしょうか。
それとも、現場に何か原因があったのでしょうか。
そもそも、事故の原因ともなってしまった違う鐵道会社が同じ線路を使っていた理由。
これには、やはり世界陶芸祭がかかわってくるのです。
この世界陶芸祭。
世界という名前が付くだけあって、来場者数はかなりの人数に及ぶと考えられていたようです。
そのため、滋賀県知事は、信楽高原鐵道とJR西日本へ協力してほしいというお願いをするのです。
信楽高原鐵道は、このために多額の費用をかけて準備をしますが、どうしても見込んでいる来場者数を輸送するのに追いつかないと判断。
そこでJR西日本へ列車と運転手を借りるという方法に出たのです。
これが、未曾有の大惨事信楽高原鐵道事故の原因となってしまうとも知らずに。
事故の原因は信号トラブル
信楽高原鐵道は、世界陶芸祭に向けて信号も改修工事をしていたようです。
しかし、この信号がトラブル続き。
結局、信号トラブルが原因となって、大きな事故になってしまったのです。
単なる信号トラブル。
そんな意識があったのではないでしょうか。
これが原因で、あの現場であんなに大きな事故が起きるとは。
運転手も、関係者も誰もそんな想像はしていなかったことでしょう。
しかし、この信号トラブルが原因となって、鉄道の歴史に残ってしまうほどの大惨事が起きてしまうのです。
画像でもわかるほどの大惨事
電車の正面がわからないほどの、グシャグシャになっています。
両方の電車に乗っていた運転手たちはどんな気持ちだったでしょうか。
鐵道会社だけではなく、どんな会社でもそうですが会社ごとにルールは違います。
同じ鐵道というジャンルでも、ルールは違うことでしょう。
しかし、このとき信楽高原鐵道に手伝いに出されていた運転手は、ルールは同じと言われていたのではないかとも言われています。
この運転手への教育不徹底も、事故の原因となったのではないかと言われているのです。
事故現場は、画像でもわかるように道路のすぐそば。
もしも、列車が道路のほうは飛び出してきていたら、現場はさらなる大惨事となってしまっていたことでしょう。
そう考えると、背筋が寒くなってしまいますね。
「信楽高原鉄道事故」列車に乗っていた被害者
幽霊が出るといわれる理由
幽霊が出るといわれている信楽高原鐵道事故現場。
この事故のとき、列車に乗っていた人の多くは世界陶芸祭へと向かう人たちだったのではないでしょうか。
楽しみにしていたお出かけ。
その途中で起きた惨事。
これは、幽霊が出てしまいますよね。
超満員だった電車
臨時列車を出しても超満員となって走っていた電車。
そんなときに起きる信号トラブル。
そして、徹底されなかったルール。
これが、大惨事の原因となれば、慰霊碑を建てて、被害者の霊を慰めても、幽霊となってさまよいたくもなります。
何よりも、現場に幽霊が出るという話が出ても、不思議ではないでしょう。
信楽高原鉄道事故で列車が衝突した背景とは
世界陶芸祭とは
信楽高原鉄道事故が起こってしまう遠因となった世界陶芸祭。
これは、滋賀県立陶芸の森が完成した、そのお披露目のためのイベントだったようです。
この世界陶芸祭のために多くの人たちが準備をしたことでしょう。
しかし、信楽高原鉄道事故の翌日。
予定していた期間を10日も短縮して、世界陶芸祭は中止となってしまったのです。
列車につけられていたマーク
世界陶芸祭のために運行していた電車で起きた事故。
事故現場には慰霊碑が建っています。
信楽の駅には、慰霊碑とは別に事故を風化させないために、さまざまな資料などが展示されているようです。
「信楽高原鉄道事故」メディアが列車事故救助の邪魔をした?
メディアが邪魔をした?
現在慰霊碑が建っている事故現場。
当時その場所には、多くの救助関係者だけでなく、メディアも殺到しました。
当然ですよね。
電車同士の正面衝突事故という大ニュース。
大きく報道されないはずがないのです。
しかし、このメディアが救助の妨げになっていたという話もあるのです。
ヘリの音
メディアが使用する報道ヘリ。
このヘリの大きな音が、救助を待つ人たちのか細い声をかき消してしまったというのです。
確かに事件を報道するのは大切かもしれませんが、そのために多くの命が犠牲になったのだとしたら、メディアはもう少し現場の状況を考えるべきなのではないでしょうか。
信楽高原鉄道事故の列車事故の被害者幽霊が出る?
慰霊碑もあるけれど
大きな事故が起きた現場には、慰霊碑が建つものです。
しかし、慰霊碑が建っていてもやはり幽霊が出るという噂は出てしまうもの。
慰霊碑の近くで?
信楽高原鉄道事故の被害者たちのうめき声が聞こえるという噂があるようです。
ほかにも、事故現場で幽霊を見たという人も多くいるのだとか。
信楽高原鉄道事故の裁判
刑事裁判、民事裁判が起こる
この信楽高原鉄道事故では、刑事裁判だけではなく民事裁判も起きました。
刑事裁判では、信楽高原鉄道事故の規律違反が問題となり業務上過失致死罪で有罪判決が出ています。
民事裁判が起こったのは、JR西日本社長の対応が問題だったようです。
大きな会社の社長ともなると、傲慢になり自分の罪を認めようとしないもの。
だからこそ、裁判が起こったのかもしれませんね。
保証金
事故の被害者や遺族への補償金の支払いも命じられました。
しかし、被害者たちの多くはその保証金に納得がいっていない様子。
JR西日本は、責任の一端がありながら、保証金の支払いを渋っていたようですね。
その日だけは手を合わせる
JR西日本はこの事故のあとも大きな事故を起こしています。
そして、事故のあった当時は手を合わせていますが、反省はしていない様子。
ちゃんと反省をすれば大きな事故は防げるはずなのに。
事故を起こしたあとは、ちゃんとその事故を教訓としてほしいものですね。
【まとめ】「信楽高原鉄道事故」列車衝突について
いかがでしたか?
今回は1991年に起きた未曾有の大惨事「信楽高原鉄道事故」についてご紹介してきました。
事故の車両となった運転手は、最後の最後まで運転席を離れず、列車の衝突を避けようとしていたようです。
この運転手を見習って、鉄道会社には事故の再発防止に努めてほしいものですね。