2021年08月30日公開
2021年08月30日更新
大阪姉妹殺害事件の犯人【山地悠紀夫死刑囚】とは|生い立ち・母親
「人を殺せるなら誰でも良かった」…2つの殺人事件を起こし、22歳で死刑囚、25歳で死刑執行となった山地悠紀夫。しかし山地悠紀夫には鬱屈した精神構造と生い立ちがありました。このまとめでは2つの殺人事件を引き起こした山地悠紀夫と事件の詳細についてまとめます。
大阪姉妹殺害事件とは?
大阪姉妹殺害事件とは2005年11月17日に大阪市の浪速区のマンションに住むラウンジ店員女性と同居していた妹が、犯人である山地悠紀夫によってナイフで刺されてともに死亡した事件です。そしてこの犯人である山地悠紀夫の異常性が世間を驚かせました。
「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」
ぞっとするこの犯行動機。山地悠紀夫は5年前に母親を刺殺する事件「山口母親殺害事件」を起こしていて、少年院から退所したばかりでした。
このまとめでは山地悠紀夫の異常性や生い立ち及び、山地悠紀夫が起した2つの事件について纏めていきます。
【事件No.129】「大阪姉妹殺害事件」
2005年11月17日に大阪市浪速区のマンションで姉妹が強姦ののち刺殺された事件である。帰宅した姉がドアを開けた瞬間に背後から襲撃し、片足のズボンと下着を脱がせ強姦、その後妹が帰ってきたためナイフで胸を突き刺し、姉のすぐ側で強姦した。
— 渋井拓也@戦後事件研究 (@shibui_takuya) 2019年3月27日
山地悠紀夫の生い立ち
2つの殺人を起こし、最終的には死刑となった山地悠紀夫。山口母親殺害事件に魚いて、少年院退院前に「法律を守ろうとはそんなに思っていない」などと更生をしてないような言動も見られ「誰でもいいから殺したかった」と大阪姉妹殺人事件を引き起こすに至ります。
発言の節々から異常性が見えている山地悠紀夫ですが、一体、彼はどのような人生を送り、ここまで人格が歪むに至ったのでしょうか? この項ではそんな山地悠紀夫の境遇に迫ります。
山地悠紀夫の父親について
山地悠紀夫の父親ですが、建設作業員などの様々な職に就いていたとあります。どれもが簡単に就ける職であり、仕事を転々としていて家庭を支える大黒柱としては失格に近い存在でした。
また酒癖が悪く妻や山地悠紀夫にDVをすることもあったようです。しかし酒の飲み過ぎが祟ったのか、1995年1月に肝硬変で亡くなっています。絵に描いたような駄目な父親だったようですね。
山地悠紀夫の母親について
「山口母親殺害事件」で山地悠紀夫で殺害される事になった母親。父親が逝去後もスーパーのパート勤めで山地悠紀夫を育てますが、本人の買い物における浪費癖と養育費などがかさみ、街金や近所の住民から借金を重ねていたようです。
ただ、山地悠紀夫と母親の関係は近所の人によると「仲は良かった」と言われていて、借金を除けばそこまでひどい母親では無かったとも言われています。事実、山地悠紀夫も初期は借金苦に悩む家計を支えようとしていました。
山地悠紀夫の学生時代は?
山地悠紀夫の時の酷いエピソードの一つに、家庭科の教材費が払えずに教師から調理実習で"食べる資格がない"と作った料理を捨てられたと言うエピソードがあります。この時の教師の対応も大問題ですが、父親存命時から家庭は生活苦だった事が見て取れます。
また中学生に進学後は同級生から無言電話を受けるなどのいじめを受け不登校がちに。なぜそう呼ばれていたかは不明ですが「悪魔」とあだ名を付けられていました。高校3年生時は授業の2/3を欠席したそうで、各行事にも参加していません。
山地悠紀夫の学校卒業後は就職へ
中学校卒業後は前途の件もあって「高校に行きたくない」と進学せずに就職活動へ。しかし内向的な上に中卒ということもあって就職先は決まらずに、知人の紹介で新聞配達のバイトをすることとなりました。
この時は一ヶ月で9万円ほどの給料をもらっていて、その半分を実家に収めているなど、母親を支えようとしていた様子が見て取れます。仕事っぷりはかなり真面目だったようで、はじめての無断欠勤が事件直前の7月27日と28日でした。
山口母親殺害事件の詳細
生い立ちや境遇は確かに過酷だったものの、山口母親殺害事件を起こすまでは犯罪とは無縁そうな人物であった山地悠紀夫。しかし自身の手で母親を殺したことにより、本人はその異常性を開花させていく形となりました。
この項では山地悠紀夫が最初に起した事件である山口母親殺害事件の詳細について触れていきます。
山地悠紀夫が母親を金属バットで殺害
この事件の内容はシンプルです。2000年7月29日に口論の末に、山地悠紀夫が母親の頭を金属バットで殴り殺害しました。山地悠紀夫本人が「母親を殺した」と通報しており、早期解決となっています。
口論となったきっかけは、山地悠紀夫が交際を考えていた女性に対し母親が無言電話をかけたためでした。それに気付いた山地悠紀夫は母親を問い詰めますがその行動を母親は認めず、カッとなって殺害したとされています。
山口母親殺害事件の背景
関係悪化に繋がっている可能性があった一つの背景として、この事件が起きる約1ヶ月前に、山地悠紀夫は母親の多額の借金を知ることになります。同年には取り立て業者が自宅アパートのドアを蹴って乱暴な手段で取り立てに来たこともありました。
家賃や水道代も滞納しており、生活保護は断られ、バイト先の同僚であった母親と同い年の女性従業員に「どうしようもないところまで来ている」と借金のことを相談していた案件もありました。
また、この状況でしたが母親には再婚話もあったそうで、「邪魔になる」と山地悠紀夫は独り立ちする計画をしていたそうですね。この辺りも一因だったのかもしれません。
山口母親殺害事件の逮捕後は?
山地悠紀夫は逮捕後は自暴自棄になっており、国選弁護士も拒否。「自分はどうなってもいい」と、かなり投げやりになっていたそうです。また「仲が良い」と周りからは思われていましたが、実際は母親との会話も少なく自分の相手もしてくれなかったと述べています。
「客観的に見て許されないことをしてしまった。母が抱えていたものをもっと説明してくれていれば、違う展開になったかもしれない」
この時の山地悠紀夫はまだ16歳。この時に反省する素振りを見せていたことから矯正は十分に可能と判断され、警察側は「刑事処分相当」の意見書付きで裁判所に送致されましたが、少年院送致の保護処分となりました。
2000年当時は西鉄バスジャック事件や大分一家6人殺傷事件など凶悪な少年事件がキレる17歳として話題になっており、その一環のなかで騒がれた。また、加害者・被害者の顔写真が流出しコミックマーケットでもばら撒かれた。だが、他の事件に比べ理由が「母親の借金で口論になった」というものであったため、当時はそれほど凶悪犯罪扱いはされなかった。
山地悠紀夫は退院後は裏稼業?
こうして少年院送りとなった山地悠紀夫ですが、2003年に3年2ヶ月の後に刑期を終え退院しています。しかしこの退所前後でも精神科医に対して「法律を守ろうとはそんなに思っていない」と発言していたりと、多少の不安を抱えるものではありました。
しかしほぼ唯一の身内だった母親を殺害してしまった事もあり、山地悠紀夫は天涯孤独の身分に。パチンコ店で住み込みで働くことになりましたが、そのツテで「ゴト師」の元ズレの元締めと知り合って、裏の界隈で生活をするようになりました。
山地悠紀夫は仲間から見捨てられる
「ゴト師」のグループに所属し、活動を続けていた山地悠紀夫でしたが、2005年に不正行為が発覚し、山地悠紀夫は窃盗容疑で逮捕・起訴猶予処分となりました。起訴猶予が付いた後はやらかしてしまった事もあり、仲間からも見捨てられつつあったそうです。
この追い詰められた状況で、山地悠紀夫は自分自身の狂気に満ちた欲求と、抑えられない衝動に目覚めたのでした。
大阪姉妹殺害事件の詳細
2003年に出所し「ゴト師」として生計を立てていた山地悠紀夫。しかし仕事はうまく行かず2005年には窃盗の前科もつき、ゴト師の仲間から見捨てられつつありました。この時に思い出したのが自分が母親を殺害した時の「また血を見たい」という欲求でした。
この項では2005年に山地悠紀夫が起こした、大阪姉妹殺害事件についてまとめていきます。
大阪で姉妹が刺されて強姦
2005年11月17日の午前4時前、大阪府浪速区塩草にあるマンションの4階で火災が発生しました。この時にラウンジで働く27歳女性(以降・姉)と、同居していた19歳の妹(以降・妹)が刺された姿で見つかります。この時はまだ息がありましたが、搬送先の病院で間もなく亡くなりました。
マンションの屋内に置かれていた500円玉貯金がなくなっていたことと、姉妹に強姦されたあとがあったことから、この事件は当初強盗・ストーカー殺人として捜査が始まりました。
大阪姉妹殺害事件の被害者について
この姉妹ですが、かなりの家族思いだったと報道されています。両親は会社経営者でしたが、経営は苦心していて家計は火の車だったそうです。
金銭面を考慮し大学進学を断念。ブライダル関係の店を開きたいと、高給であるラウンジで働き、お金をためていました。妹や弟の面倒見が非情によく、妹が同居していたこともその流れだったと言われています。
妹も進学せず働いていて、姉の家に住みながら介護ヘルパーを目指していました。母親と来年の成人式に向けて「お金がかかるから着物はいらない」と事件前日に話していたそうです。しかしこの気遣いの会話が母子の最後の会話となりました。
大阪姉妹殺害事件が発生
2005年11月17日2時過ぎ、山地悠紀夫はナイフやハンマーなどを持ち帰路についた姉を尾行。そのまま強引に部屋に押し込んだ後に、胸を刺し強姦に及びました。その10分後に帰ってきた妹に対しても胸を刺し陵辱します。
そして証拠隠滅のためにライターで火をつけ、姉妹を遺し逃走しました。
山地悠紀夫の目撃証言
しかしこの山地悠紀夫は事件が起こる前に何度か目撃されています。
山地悠紀夫は事件の3日前に「眼鏡をかけてリュックを背負った不審者がいる」と近隣住民に目撃されており、また姉にも事件の前日にマンションの配電盤を弄っている姿を見られております。この目撃前後に、姉妹の部屋だけ停電が起こっていました。
山地悠紀夫の逮捕へ
事件が起きてから約3週間後の12月5日。山地悠紀夫は別件である建造物侵入容疑で逮捕されました。事件前日の11月16日夜にマンションと隣接する食品会社の壁に侍り付いていた所をマンション住民に目撃されていたことからの逮捕でした。
ただ、場所が場所なことから大阪姉妹殺害事件の関係者として取り調べを受け、同月中の犯行を自供。凶器のナイフも山地悠紀夫が証言した場所から見つかり、12月19日に強盗殺人容疑で再逮捕となりました。
それほど有名な事件でなかった山口母親殺害事件も、この大阪姉妹殺害事件を受けてマスコミを中心に改めて話題となりました。
山地悠紀夫の裁判の行方
殺人衝動を抑えられず、大阪姉妹殺害事件を起した山地悠紀夫。住居新烏有・強盗殺人・強盗強姦・銃砲刀剣類所持等取締法違反・建造物侵入・非現住建造物等放火と言った複数の罪で起訴されることとなりました。
この項では山地悠紀夫の裁判の行方について見ていきます。
「人を殺したい」という欲求
2006年の5月1日に大阪地裁で初公判となりました。公判当初の山地悠紀夫は質問に対し黙秘かはぐらかす態度を続けていました。しかし徐々に証言を始め、5月12日には「人を殺したいという欲求があった」と述べたことから話は動きます。
この発言もあり翌月6月から4ヶ月に渡り山地悠紀夫に対する精神鑑定を実施。人格障害は認められたものの、責任能力はあるとされ、証拠として採用されました。
(君は十六歳の時に付き合っていた江崎美幸という女性がいて、彼女に対して母親が無言電話をかけたことが、殺害のきっかけだったのではないか)
— 山地悠紀夫bot (@yukio_Y_bot) March 30, 2019
答えたくありません
(その女性に対しては、君はずっと好意を持っていたのではないか)
黙秘します
死刑を求める嘆願書
この衝撃的な事件は世論への影響も大きく、裁判所には2万2796人分にもなる山地行に死刑を求める嘆願書が提出。この嘆願書の数に対して検察は「どう思う」と聞いても「何も」としか答えず、11月10日に行われた最終弁論のときも、山地悠紀夫は「特に何もありません」と述べています。
山地悠紀夫の死刑が確定へ
こうして2016年12月13日に大阪理法裁判所で死刑判決がくだされます。2005年11月の事件ですから、死刑にしてはかなりのスピード決着となりました。山地悠紀夫は控訴の姿勢を見せていませんでしたが、弁護人が弁護人権限で控訴します。
しかし2007年5月に山地悠紀夫自身が控訴を取り下げ、山地悠紀夫の死刑が確定しました。
山地悠紀夫事件・逮捕後の言動や最期
山地悠紀夫は今回の被害者となった姉妹との直接の面識はなく、ただただ殺人衝動のために殺したと警察に対し答えています。弁護士に対しても「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行った」と述べています。
「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」。や山地悠紀夫のこの発言が、すべてを物語っています。また、山地悠紀夫は死刑確定後も反省の姿勢を見せることはありませんでした。
血を見て性的興奮を覚えた山地悠紀夫
「血を流そうとシャワーを浴びたら射精していた」
大阪姉妹殺害事件の時に山地悠紀夫はとこう証言しており、何かしらの歪んだ性的嗜好があった事は否めません。母親を殺害したときにも同じ感覚を覚えたかは不明ですが「また血を見たい」と思っていたのは事実でありました。
死刑確定後も弁護人が差し入れたノートに「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」と書かれていました。
サイコパスっていうのは佐世保女子高生殺害事件とか大阪姉妹殺人事件の犯人みたいな奴をいうのであって自分サイコパスかもしれんとか言ってる奴はただの厨二病やから早急に治療した方がいい(´・ω・`)
— pecco@ゲーム垢 (@pecco0702) December 11, 2018
山地悠紀夫の最期
2009年7月28日、大阪拘置所で山地悠紀夫の死刑が執行。20代の死刑執行は30年ぶりとなりました。山地悠紀夫は最後まで遺族に謝罪もせず、大きく真相は語らずこの世を去る事となりました。享年25歳でした。
死刑が執行された2009年に山地悠紀夫をテーマに宛てた書籍「『死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人』」が発売されました。あまり語らない山地悠紀夫を懸命に取材した結果をまとめた書籍であり、公平で客観的な文章と高評価を得ています。
【大人になって加害を起こす人の方が不憫】
— 羽馬千恵🎗出版『わたし、虐待サバイバー』🌈 (@haba_survivor) January 19, 2019
少年院に入るとか子ども時代に感情を爆発させた人より、大人になって爆発して加害してしまった人の方が不憫に思う
子ども時代、我慢し「いい子」だった人が多いから
大人になって加害すれば罪を問われ社会的責任を問われるからhttps://t.co/mHwCNop2J8
山地悠紀夫のファンクラブ?
山地悠紀夫ですがそれなりに容姿は整っていることから、ファンがいると一部で話題になりました。ファンクラブができた殺人犯と言えば市橋達也の存在があり、一時期炎上していましたが、山地由紀夫に関してはそこまで話は大きくなっていません。
多少イケメン要素があったことから浮いた根も葉もない噂のようです。
大阪姉妹殺害事件の山地悠紀夫って人、わりとイケメンだと思うぞ
— みどちゃん㌠💚 (@I1zkE) 2018年7月24日
わぁい大阪姉妹殺害事件 右肩大阪姉妹殺害事件大好き
— 右肩bot (@hidarikata3110) August 9, 2018
少年は本物の悪魔になった
中学生時代に悪魔と呼ばれた山地悠紀夫は悪魔ではありませんでした。劣悪な家庭環境と目立たない性格であったことからいじめのターゲットにされた、ただの被害者でした。
しかし徐々に追い詰められ、カッとなって母親を殺害。その時の「殺人衝動」は年月が過ぎても忌まわしき記憶とはならず、欲求へと姿を変えた結果、大阪姉妹殺害事件が起きました。悪魔と呼ばれた山地悠紀夫はいつしか「本物の悪魔」となってしまったのです。
我々はこの事件を忘れることなく、自分の中にいる悪魔を抑えていきたいところですね。