大阪2児餓死事件【子宮に沈める】下村早苗のその後・ネグレクトの詳細

2010年に発生し「ネグレクト」という言葉を印象づけたのがこの大阪2児餓死事件ではないでしょうか?母親の下村早苗が50日間幼児を放置して、最終的に餓死させてしまった痛ましい事件です。この記事では下村早苗の生い立ちや事件の背景をまとめていきます。

大阪2児餓死事件【子宮に沈める】下村早苗のその後・ネグレクトの詳細のイメージ

目次

  1. 1大阪2児餓死事件とは?ネグレクトが話題に
  2. 2下村早苗の生い立ちは?ネグレクトの背景
  3. 3大阪2児餓死事件の詳細-ネグレクトの末の悲劇-
  4. 4下村早苗の裁判のゆくえや世間の反応
  5. 5下村早苗や関係者のその後は?
  6. 6下村早苗のネグレクトが映画に
  7. 7ネグレクトの悲劇は周囲の無関心が生む

大阪2児餓死事件とは?ネグレクトが話題に

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大阪2児餓死事件とは2010年7月30日に大阪府西区のマンションで起きた、男児と女児が置き去りの末に餓死した事件です。母親の下村早苗の育児放棄により、当時はネグレクトという言葉がメディアでも何度も何度も踊りました。

「ご飯も水も与えなければ生きていくことはできないとわかっていた。私自身が育児放棄したことによって殺してしまった」

母親の下村早苗は逮捕後にこう供述しており、世論に与えた衝撃は大きいものでした。ネグレクトという言葉が一般的に知れ渡ったのも、この大阪2児餓死事件が始まりとも。

この記事では母親の下村早苗がネグレクトに至るまでの背景や、事件の詳細について纏めていきます。

ネグレクトってどんな意味?

多面的な意味を持つ言葉ではありますが、日本では育児放棄や育児怠慢を刺して使われることが多い言葉です。死亡まで至る事件は稀ではありますが、多感な子供に対する軽度のネグレクトは比較的身近に起こっていることです。

最近では「スマホネグレクト」という言葉が話題になっていて、スマホに夢中で子供に興味を示さない、注意しないような親も隠れネグレクトと呼ばれ危惧されています。

わかりやすい例をあげるなら、レストランで走り回っている子供を、親はスマホに夢中で全く叱る様子を見せないことでしょうか?この例も親の責任を果たしていないので、隠れネグレクトと呼ばれることも。

下村早苗の生い立ちは?ネグレクトの背景

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ネグレクトの末に自らの子供二人を餓死させた下村早苗でしたが、下村早苗自身も幼少期に両親…特に母親からネグレクトを受けていたと言った背景があり、親と同じことを繰り返し、最悪の結果を招いた結果となりました。

この項では下村早苗の生い立ちや家族構成、事件に至るまでの背景を纏めていきます。

下村早苗の父親の下村大介について

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下村早苗の父親は下村大介さんと言います。三重県の四日市農芸高校で体育教師であり、ラグビー部の監督でした。高校ラグビー会の名将とも言われています。2度離婚をした上で3回目の結婚をしており、更には全ての結婚相手が元教え子と言ったとんでもない結婚歴の持ち主です。

熱血コーチで名が通っている反面、下村早苗の逮捕後も「身元引受人にならない」などの姿勢を貫き通しています。一部で「家庭を顧みない夫だった」との噂も。母親については情報が少ないので次の離婚の項で触れていきます。

下村早苗の両親が別居へ

下村早苗の両親が離婚したのは下村早苗が5歳のときでした。

父親である下村大介さんが、高校ラグビー部の合宿から帰宅すると「知らない男が布団で寝ていた」事から母親の浮気が発覚。その後に母親は下村早苗とその妹2人を連れて、間もなく別居を始めます。余談ですが父親の下村大介さんも浮気していました。

下村早苗と妹たちがネグレクトを受ける

母親に連れて行かれ庇護下に置かれた下村早苗たちでしたが、この母親もネグレクトだったと言われています。別居後、夜中に下村大介さんが「母親がいつもいない」と下村早苗から電話を受け、下村大介さんは慌てて駆けつける案件なども。

そこで下村大介さんが見たものは、飼い犬の排泄物の匂いが充満している部屋で汚い服を着せられている下村早苗たち三姉妹の姿でした。この状況は後に触れますが、下村早苗も自らの子供にネグレクトを繰り返す形になりました。

下村早苗は引き取られた先でもネグレクト被害

このネグレクトの惨状を目にして、下村大介さんは下村早苗が7歳の頃に離婚へと到り、下村早苗らを引き取る形になりました。しかし引き取った後、下村早苗が小学校3年の頃に下村大介さんは連れ子がいる相手と再婚します。

しかしこの再婚相手もまた、連れ子ばかりを可愛がります。実子には高い服を買い、下村早苗などには安い服を与えることや、出かけるときや寝る時も連れ子とだけ同行するなど、など差別的な扱いが目立ち、ネグレクトは繰り返されるる結果に。

それが理由かどうかはハッキリしていませんが、下村大介さんは下村早苗が10歳の時に、二度目の妻とも離婚しました。

れ子にナイキの運動靴を買っても、三人はワゴンセールのもの。連れ子にはディズニーのTシャツで三人は安物。寝るときや外出も継母は連れ子とだけ一緒、という差別が続き、彼女が10歳の時に父親は離婚。

ネグレクトで下村早苗の行動に変化が

こんなネグレクト下の環境でも小学生時代の下村早苗は優等生でした。妹たちの面倒をみる良い姉であったと言われています。しかし中学生の時に豹変し、家出や外泊を繰り返すようになりました。家出の資金も援助交際で稼ぐなど、荒んだ日々へ。

また中学時代に父親の下村大介さんは「シングルファーザーの奮闘する姿」としてテレビで取り上げられたこともあり、その時に下村早苗もテレビ出演しています。「家族みんなでって言うのが無かった」とカメラの前で思いを吐露していますが、父親の仕事優先思考は変わらず、結果的にネグレクトは繰り返されています。

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中学時代から荒れに荒れた下村早苗。下村大介さんはラグビーの名門コーチということで多忙を極めており、遂には下村早苗を東京の専修学校のラグビー部監督の知人の教諭に託しました。これもネグレクトと言えばネグレクトですね……。

下村早苗が通った私立高校は不登校の子供が多いらしいですが詳細には明らかになっていません。下宿ということで最初は反発をしましたが、卒業の頃には非行少女はなりを潜め、落ち着きを見せていたそうです。

下村早苗の結婚と離婚

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そうして高校で立ち直り、卒業後に割烹店に就職しますが、そこあでアルバイトの大学生の男性と出会って妊娠、そして結婚へと到ります。産まれた二人の子供は長男の桜子ちゃんと次男の楓くん。当時はブログでも幸せであることを綴っていました

しかし長女の桜子ちゃんが2歳の頃に、下村早苗は人間関係に問題を抱えるようになり始めます。飛行を繰り返していた頃の古い友だちと連絡を取る用になり、子供を置いて朝帰りを始め、ネグレクトの片鱗を見せ始めます。

結果、気がつけば不倫関係となり、夫婦は離婚へ。

「桜子が無事に生まれてとなりにいて、そしておなかの中には赤ちゃん。幸せに思う。これってわたしも母親として少しは成長できたんだろうか」まだおなかにいた楓ちゃんへのメッセージもつづった。「ただ、無事に産まれてきてくれたら、それでいいよ」――。

下村早苗は誰も頼れない

女手一つで子供を育てるに事になった下村早苗は幼少期にネグレクトを受けた実母の元へ。しかし実母は精神不安定であり協力は厳しく、間もなくして下村早苗は家から出ることに。

誰も頼れなくなった下村早苗は名古屋でキャバクラ嬢として働き始めますが、そこはやはり小さい子供。突然熱を出したりすることが増え、医者からは「お母さんと離れたく無いからでは?」と言われる始末。しかし休めば生活が困窮する下村早苗は休めません。

この頃は子供に対して一生懸命であり、離婚原因となったネグレクトは鳴りを潜めていましたようです。

下村早苗は追い詰められていく

離婚して1年からの2009年、下村早苗はインフルエンザにかかり、元夫や実父に子供の面倒を暫く見てほしいと助けを求めましたが、これも「仕事が忙しい」と断られました。

実子であり孫である楓ちゃんの誕生日にも元夫や父親からの祝いのメールさえなく、血縁の無関心さが伺えます。下村早苗の周囲にはネグレクトの片鱗が伺える人物しかいないのでしょうか?

四面楚歌が続き、誰も頼れない状況の中で下村早苗は遂に養育のために借りていた借金が返せなくなります。更にこの頃、子供をみてくれた友人とも疎遠に。

首が回らなくなった下村早苗は遂に夜逃げ。大阪へとたどり着き高額を稼げる寮付きの老舗ヘルス店へと入店します。

誰も信用できない

入店した老舗ヘルス店はワケありの下村早苗のためにマンションを寮として提供し、子供に対しても託児所を探すなどの手厚い待遇があったといいます。しかし託児所の職員が泣いている桜子ちゃんを放置している姿が下村早苗は目撃。

結果、ネグレクトを想起した下村早苗は託児所が信頼できなくなり、託児所から手を引き、自分の子供を託児所に預けることをこれ以降はしなくなりました。

ネグレクトの始まり

幸せの絶頂からまた底へ。このタイミングで下村早苗は客だったホストと恋仲に。同じ頃にホスト遊びも初めて、稼ぐために風俗に入店したはずが余計に借金を重ねることに。

徐々に恋仲であるホストの家に泊まることが増え、家に帰りことは稀。たまに帰ったと思えばコンビニで買った食事を与えてすぐ出ていく生活になり、離婚直前に発生していたネグレクトの片鱗がまた見え始めます。

行政に相談したり、不審に思った近隣住民から「ネグレクトでは?」と児童相談所に通報もあったようなのですが、誰も下村早苗とその子供に救いの手を差し伸べることはありませんでした。

大阪2児餓死事件の詳細-ネグレクトの末の悲劇-

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恵まれない幼少期、非行に走った中学時代。しかし高校で更生し卒業後は結婚。ブログには子供への愛を綴っていた幸せの絶頂から、絵に描いたように転がり落ちていった下村早苗。遂には自身も子供に対し親の背中を見るようにネグレクトを繰り返すようになりました。

この項ではネグレクトの末に起きた悲劇についてまとめていきます。

自分が置かれた現実が嫌になる

下村早苗が子供を放置することになる1ヶ月前の5月。下村早苗は交際男性の家に子供を連れていきました。この日は子供の誕生日でした。しかし連れて行ったにも関わらず、子供の誕生日を祝うことなく過ごしました。はっきり明言はされていませんが、交際男性も子供に対し無関心だったのでしょう。

この時に下村早苗は「祝ってやれなかった」「離婚しなければよかった」と後悔しますが、それと同時に今の自分が置かれている現実に嫌気が差しました。そうして、子供に対するネグレクトが悪化し、帰宅することが極限まで減ります。

悪化するネグレクト

下村早苗は遂には子供をお風呂に入れることもしなくなるなど、完全に育児放棄へと入ります。この状況で置き去り事件が発生した6月初旬を迎えました。

この日もいつもと変わらず短時間の帰宅となった下村早苗は、僅かな食料を置いていくのみで子どもたちを自宅に残して外出します。桜子ちゃん楓ちゃんは泣きながら追いすがりましたが、振り切ったと後に証言しています。

しかしこの時は完全放置とまでは行かず、一週間後に下村早苗は帰宅しました。

そうして置き去り事件へ

一週間後の6月9日に帰宅した下村早苗。元気がなく普段通りに帰宅を出迎えてくれない子どもたちがそこにはいました。しかしそれを意に介することもなく、下村早苗は2食分の食料を部屋に置き、子どもたちを居室に閉じ込めます。

まさに"閉じ込めた"であり、玄関側から居室のドアに向けて粘着テープを貼った上で、鍵をかけてまた外出。そして妹や友人宅、男性の家を転々とする日々が続き、50日間も帰宅しませんでした。

50日後の帰宅

下村早苗は50日後に帰宅します。この帰宅理由もマンション管理人からの「異臭の苦情」が勤務していたヘルス店側に入り、下村早苗の上司から直接連絡があったためで、子供を心配したと言った感情ではありません。

部屋には餓死して白骨化している桜子ちゃんと楓ちゃんがいました。下村早苗は変わり果てた子供の姿を見て逃げるように部屋から出て、交際相手と遊びに行きホテルに宿泊。余談ですがこの時、下村早苗は相手男性と性交渉を行ったようです。

餓死した遺体の発見へ

その翌日。通報によって下村早苗の部屋にレスキュー隊員が突入し、桜子ちゃんと楓ちゃんの折り重なるようになった遺体がゴミ山の中心で発見されました。この部屋は大阪に夜逃げしてから一度も掃除もゴミ出しもしていませんでした。。

子どもたちはゴミ溜めの残飯を漁り、遂にはお互いの糞尿を食べるなど、極限まで生きようとしていた姿が検死の結果で判明。桜子ちゃんは餓死ではなく、廃棄品や腐ったものを食べての食中毒が亡くなった理由でした。

ネグレクトを通り越して、遂には下村早苗は子供を殺してしまったのです。

下村早苗の裁判のゆくえや世間の反応

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ネグレクトの果てに「結末がわかっている」のに楓ちゃんと桜子ちゃんを放置し、餓死させてしまった下村早苗。遺体発見後にすぐに下村早苗は逮捕される形となりましたが、精神鑑定などがあり公判は2012年となりました。

この項では公判や下村早苗の経過・世間の反応について見ていきます。

下村早苗の逮捕から起訴へ

余りに行動が突飛なことから下村早苗は5ヶ月の鑑定留置期間の間に、精神鑑定などの諸確認が行われ、刑事責任能力があると確定。子供を置き去りにすると死ぬことが判っていながら放置したことから「殺人罪」として大阪地検に起訴されました。

弁護側は下村早苗のネグレクトの経験がこの事件に深く根を張っていると訴え、子供に対する殺意はなく「保護責任者遺棄致死罪」の適応を求めて法廷で戦う形へ。下村早苗も子供に対する殺意は否定していました。

下村早苗の懲役30年が確定

2012年3月16日の一審判決では弁護側の訴えは通らず、下村早苗は子供に殺意があったことを認定しは懲役30年を言い渡しました。下村早苗側は高等裁判所に上告しましたが、高等裁判所は控訴を棄却、最高裁にも上告しましたが同じく控訴は棄却され、2013年3月25日に下村早苗の懲役30年が確定しました。

下村早苗に対する世間の反応は?

追い詰められていたとはいえ、許されることではないという声が世間では締めています。しかし非協力的な周囲に対する怒りの声も多く感じますね。2010年の事件ということでSNSの意見交換も活発であるため、一部をご紹介いたします。

下村早苗にしても藤本彩香にしても、最初から虐待を楽しんでいる親はいない。もっと言えば、本当のクズ親は捕まるリスクを犯してまで虐待なんて割の合わない事などしない。全ての元凶は「親であろうとする強迫観念」
— 木野村洋世 (@kinomurakun) 2018年6月8日

同情はできないが気持ちはわかるシングルマザーも多く感じられます。

下村早苗や関係者のその後は?

下村早苗のその後ですが、懲役刑が確定寸前に中村姓に改姓しています。支援者と養子縁組を組んだ故の出来事でしたが、この背景には父の下村大介が身元引受人を拒否している背景にあります。

事件発覚直後はマスコミの首座にも応じ裁判でも被告人として立ちましたが、生活品の差し入れなどは警察が要請しても拒否し、事件からしばらくして学校にも出勤しない状況となっています。

元夫の羽木直樹の現在は?

また、餓死した桜子ちゃんと楓ちゃんの父親派の名前は羽木直樹という実名がネットでは広がっていて、今は実家で両親と暮らしているそうです。しかしこの羽木直樹も取材拒否で「誰にも会いたくない」の一点張りが現在に至るまで続いていて、詳細な情報は不明です。

孫や子供に線香さえあげていないこの状況は、今もなお、ネグレクトは続いているのかもしれません。

下村早苗のネグレクトが映画に

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この世間に対して「ネグレクト」という言葉を印象づけた下村早苗が起した事件は、2013年の11月9日に映画化もされています。待ち構えているのはハッピーエンドではなく、このネグレクトが引き起こした悲劇であり、視聴する際には覚悟しましょう。

逆に言えば、それだけの悲劇性が下村早苗のネグレクトが引き起こした大阪2児餓死事件にはあったと言うことです。

ネグレクトの悲劇は周囲の無関心が生む

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余り言うものではないですが、殆どの関係者がネグレクトの要素を持っていますね。

経過を調べれば調べるほどに、誰も彼もが育児放棄の片鱗が見えます。血縁だけでははなく下村早苗の恋人も、子供がいるのは知ってはいたのに誰も気にかけていません。歴史は繰り返しているように思えます。

逮捕されたのはたしかに下村早苗ではありますが、彼女だけが原因でこの事件を引き起こしたかと言うと、正直な所、首をかしげる人は多いのではないでしょうか。誰か一人でもネグレクトに対し強く働きかければこの事件は起こりえませんでした。

このようなネグレクトの末の悲劇を繰り返さないためにも、周囲のことも気にかける人間になりたいものですね。

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