2021年03月30日公開
2021年08月13日更新
つくば母子殺人事件の真相|妻と子を殺した医師・野本岩男の現在は
つくば母子殺人事件は横浜市鶴見区の京浜運河から、女性と幼い子供二人が連日に渡って遺体で見つかり、その後被害者の夫が逮捕された事件です。今回はマスコミが大きく報道したつくば母子殺人事件の真相と、社会に投げかけた報道の在り方について考えていきます。
目次
つくば母子殺人事件の概要
つくば母子殺人事件とは1994年11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河で野本映子さんの遺体と野本映子さんの子供である長女の愛美ちゃんと、長男の勇作ちゃんの遺体が連日に渡って発見された事件。
その後の捜査で夫である野本岩男が逮捕されましたが、逮捕後に分かってきた夫婦間トラブルや、被害者である野本映子さんの生活に注目したマスコミは、まるで野本映子さんにも殺される原因があるかのような偏向報道を大々的に行い、報道のあり方が問題になりました。
また、この事件ではNシステムが犯人の特定に大きく貢献したことで、Nシステムの知名度が上がったといわれています。
自動車ナンバー自動読取装置(じどうしゃナンバーじどうよみとりそうち)とは、日本の道路に警察が設置する、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取り、手配車両のナンバーと照合するシステム
つくば母子殺人事件の経緯
つくば母子殺人事件の始まりは1994年11月3日、神奈川県横浜市鶴見区の京浜運河で30代から40代とみられる女性の遺体と、幼い子供の遺体が二体発見されたことから始まりました。
まず、発見されたのは女性の遺体でした。遺体はビニールで巻かれた上からロープが巻かれており、さらに事件発覚を防ぐためか浮かばないよう鉄アレイがつけられている状態で、その様子は明らかに事故ではなく事件であることを物語っていました。
それから4日後の1994年11月7日。次は女性の遺体が見つかった同じ場所で、同じようにビニール袋に入れられた女児の遺体が見つかり、さらに5日後の11月12日には男児の遺体が見つかると、マスコミはこのつくば母子殺人事件のことを大きく取り上げ始めたのです。
解剖の結果、三人の首には絞殺の跡が残っており、首を絞められたことによる窒息死であることが分かりました。
遺体が発見された場所は?
つくば母子殺人事件で、遺体が発見されたのは神奈川県横浜市鶴見区にある京浜運河でこの京浜運河は東京都港区田町付近より大田区、川崎市に続き、横浜市鶴見区の大国埠頭まで続いています。
横浜市鶴見川河口から川崎市の多摩川河口まで連絡する運河。扇島 (人工島) と防波堤によって境され,延長約 8km,幅約 500m,水深約 12m。沿岸一帯は京浜工業地帯の核心をなす大規模な製鉄,化学,食品,石油などの工場群が立地し,扇島は原燃料集積地となっている。
しかし現在はつくば母子殺人事件の遺体現場であることが薄らいできているのか、開発化が進むと京浜運河ナイトクルーズなどが行われたり、京浜運河沿いに続く遊歩道や京浜運河緑道公園は良いジョギングスポットだと言われ、人々の癒しスポットになっているようです。
京浜運河沿いに展開している緑道ですが、大井ふ頭中央公園をはさんで、ずっと続いているようです。
暑い夏の盛りでしたが、それでも、ジョギングする人や、サイクリングを楽しむ人で、
けっこうな数の人が利用していました。
遺体の身元は?
wikipedia
警察は二つの幼児遺体は初めに出てきた女性の子供であると仮定。
遺体の身元を割り出すべく、身体や服装の特徴をもとに捜索願いが出ていないかを確認したところ、遺体が発見された鶴見区から約90キロほど離れた茨城県つくば市にあるつくば中央署に出されていた捜索願いと一致。
この事により発見された女性の遺体は、野本映子さん(当時31歳)、その子供の愛美ちゃん(2歳)、勇作ちゃん(1歳)と判明し、事件はつくば母子殺人事件と名づけられました。
警察的・裁判的には「横浜港母子殺人事件」。横浜港で遺体が発見されたため
事件は神奈川県警が取扱い、裁判は横浜地裁で行われた。
しかし、殺害の現場はつくば市の自宅だったとおもう。
テレビでは大体のワイドショーが「つくば母子殺人事件」の呼称を使った。
出されていた捜索願い
つくば母子殺人事件で捜索届が出されたのは、映子さんと二人の子供が失踪した1994年10月29日から数日たった後の事。この捜索届を提出したのは野本映子さんの夫である野本岩男(当時29歳)でした。
映子さんと二人の子供が失踪したのは1994年の10月29日。総合病院で医師として働く野本岩男が夕方頃に帰宅するも、妻や我が子の姿はありませんでした。しかし、映子さんは度々実家に帰っていることがあったため、失踪したとは思わなかったようです。
しかし、数日たっても戻ってこないどころか連絡を一つもよこさない妻・映子さんに不審を抱いた野本岩男は、映子さんの実家に電話したところ映子さんや子供が実家には帰ってきていないと分かりました。
そこでようやく失踪したのだと分かった野本岩男は、慌ててつくば中央署に捜索届を出したと野本岩男が語りました。
つくば母子殺人事件の犯人捜査から逮捕まで
徐々に疑いの目を向けられる野本岩男
犯人は一体誰なのか、報道陣はつくば母子殺人事件を大きく報道をしながら毎日議論を続けましたが、失踪の動機については心当たりがないと述べて悲しむ野本岩男を疑うことはありませんでした。しかしその一方で、警察は野本岩男を当初から疑っていたといいます。
それは、今回海で発見された被害者3名の特徴にありました。映子さんと子供たちは全員普段着のまま、素足の状態で靴を履いていませんでした。
しかも、出先で誘拐されて殺されたと仮説するには足の裏が傷もなく綺麗すぎたこともあり、警察は争った場所は外ではなく自宅なのではないかと考えたのです。
手のひらにできた疑惑のすり傷と野本岩男の逮捕
更に、このつくば母子殺人事件の犯人は野本岩男なのではないかと捜査を進める中で、警察は野本岩男の両手の平にできた擦り傷に注目しました。
子供ならともかく、大人が普通に生活していて手のひらに、しかも両手のひらに擦り傷を負うというのは不自然と感じた警察は、野本岩男にその手のひらの傷はどうしたのだと問いかけると、この傷は飼っている犬が引っ掻いたことによる傷だと説明しました。
しかし警察はロープを引っ張る際にできたものではないかと推測し、捜査を続けたところ夫婦トラブルが明らかとなった為、遺体発見から22日が経った1994年11月25日に野本岩男を逮捕しました。
つくば母子殺人事件の被害者
それでは、今回つくば母子殺人事件で被害者となってしまった野本 映子(のもと えいこ)さんと、長女の愛美ちゃん、長男の勇作ちゃんですが、つくば母子殺人事件の鍵となる野本映子さんとは一体どんな方だったのでしょうか。
映子さんのプロフィールから生い立ちまで順にご紹介いたします。
被害者の生い立ち
カテゴリ詳細名前野本 映子(のもと えいこ)
年齢当時31歳
出身地東京都大田区
東京都大田区に生まれた映子さんは私立の女子高を卒業すると、野本岩男とではなく蕎麦屋の息子と結婚しました。そこで二人の子供を授かると茨城県土浦市内で蕎麦屋を開業し、子供を育てながら必死に切り盛りしていましたが経営は波に乗ることなく経営は悪化。
映子さんはこの経営難を理由に二人の子供を残して夫と離婚をすると、東京には戻らず筑波メディカルセンターで受付のアルバイトを始め、1992年に医師や看護師が参加するテニス会で、当時医学部を卒業したばかりの研修医だった野本岩男と出会いました。
野本岩男は映子さんに離婚歴があり更に子供がいる事も把握した上で親交を深め、映子さんが妊娠したことをきっかけに同棲をスタートすると、出産を迎えてから入籍をしました。
加害者の野本岩男について
つくば母子殺人事件で犯人として逮捕された野本岩男ですが、意外にも病院関係者や友人からの評判は良かったようです。この章では野本岩男さんのプロフィールを紹介するとともに生い立ちをご紹介いたします。
加害者の生い立ち
カテゴリ詳細名前野本 岩男(のもと いわお)
年齢当時29歳
出身地茨城県
出身校筑波大学医学部
職業総合病院の内科医
役職内科医局長
今回つくば母子殺人事件の加害者となった野本岩男は茨城県の農家に生まれ、非常に学業の成績が優秀で、筑波大学医学部を出ると内科医として働き始めました。
意外にも友人や病院関係者からの評価は高く、病院内でも非常に熱心で親切な先生であると知られていました。入院費が払えない患者に対して「分割で入院させてやってほしい」と訴えたり、外国人労働者に対して治療したいと申し出るような熱い一面もあったそう。
そのため野本岩男を知る人々は今回のつくば母子殺人事件の報道を受け、「一体どうして彼が」と首を傾げており、後のつくば母子殺人事件の裁判では3000を越える減刑嘆願書が届けられました。
捜査で明らかとなった夫婦間トラブル
つくば母子殺人事件の加害者である野本岩男が友人や患者や関係者には好意的に言われている一方で、次々と明かされる野本岩男を取り巻く黒い噂と真実は、野本岩男の二面性を感じざるを得ないものでした。
野本岩男を取り巻く黒い噂と本性
野本岩男は元々ひどい浮気癖があり、映子さんと同棲を始めた当時も他に浮気相手が複数名いたといいます。そんな中で映子さんと同棲を始めたのは、あくまで映子さんが妊娠をしたためであり、入籍を行う気などありませんでした。
また野本岩男は過去に一度、映子さんに中絶をさせた事があり、二度目の妊娠でも同じように「結婚はしない。」と言いましたが、映子さんが「結婚はしなくてもいいからこの子を産みたい」と強く希望したため野本岩男が根負けして同棲を始めることになったのです。
それから出産後も暫くは考えを覆すことなく、結婚をしないの一点張りの野本岩男。しかし、意外にも映子さんから結婚を迫るようなことはありませんでした。
逆に結婚を求めない姿に何かいじらしさに似たものを感じた野本岩男は結婚することを決意。ついに籍を入れたのです。
映子さんの日記に記された辛い現状
捜査後に見つかった映子さんの日記には、入籍をした当時のことを「私と愛美を扶養家族に入れてくれるなんて嬉しい。」と残しています。しかし、それ以降のページには野本岩男が繰り返す浮気やひっ迫する生活に悩む映子さんの苦しみが綴られていたのです。
野本岩男は入籍後も同病院に勤務する看護婦と浮気を続けており、勤務先の病院では8人の愛人がいると噂されていたほどでした。また浮気の方法も大胆であり、お気に入りの看護婦ができると「結婚しよう」と迫り、高価なアクセサリーなどをプレゼントすることも。
当時の年収は1500万円ほどありましたが、その1500万円は浮気相手とのデート代やプレゼント代をはじめ、投資用のマンションの購入と後先考えず収入以上にお金を使い込んだため、まともな生活を送るどころか、借金返済に追われることになったのです。
借金返済に追われる毎日
借金も返済が追い付かず、借金の返済に追われる毎日が続くと野本岩男は映子さんと子供が暮らすだけの生活費さえも入れなくなり、銀行の通帳残高がわずか数百円になることも。
そのため映子さんは幼い勇作ちゃんと愛美ちゃんの子育てをしながら昼夜問わず、昼は研究員の事務員、夜はランジェリーパブのアルバイトと休む暇もなく働き生計を立てて借金返済に協力をしていました。
しかし、借金返済に協力するために働いているというのに野本岩男は相変わらず浮気を重ねており、浮気を咎めると口論になるだけで殆どで解決することはなく、映子さんの残した日記帳には、口論が続き段々と冷え切っていく様子が綴られていました。
取り調べで判明したつくば母子殺人事件の真実
逮捕後行われた取り調べでは、実に20日間もシラを切り続けた野本岩男。しかしやがて明らかとなる真相はあまりに身勝手なものでした。
この章では、取り調べで判明した4点を順に説明していきたいと思います。
なぜ野本岩男は自供したのか
つくば母子殺人事件の取り調べが始まると、野本岩男は約20日間も知らぬ存ぜぬを続けていましたが、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取り手配車両のナンバーと照合するNシステムによる証拠を出されたことにより態度が一変。
さらに、取り調べを行う取調官が「早く白状して、妻子を成仏させたらどうか」と説得をしたところ、その言葉が知らぬ存ぜぬを続けていた野本岩男の心に響いたのか、その数時間後につくば母子殺人事件の犯人は自分であると自供しました。
判明した殺害動機と殺害方法
つくば母子殺人事件の、そもそもの始まりは映子さんと口論をしたことだと野本岩男は語りました。殺害した10月29日も午前5時頃。相変わらず浮気を続ける野本岩男が朝帰りすると、帰りを待っていた映子さんが帰宅と同時に離婚を切り出しました。
離婚の理由はもちろん度重なる浮気、それと多大な借金と教育方針の違いでした。そして離婚をするのだから慰謝料にと、映子さんが慰謝料を1億と、養育費を月に100万円と普通ではありえない額を要求した挙句、浮気をしたことを病院長に直訴すると言ったのです。
そして野本岩男を挑発するように、包丁とロープを持ち出した映子さんが自分の首にロープを巻き付けながら「いっそのこと私を殺せばいい」と言ったため、カッとなった野本岩男が言葉通りにロープで首を絞めて絞殺しました。
野本岩男はなぜ可愛い我が子に手をかけたのか
映子さんを殺害後、野本岩男は母が殺害されたこともつゆ知らず、すやすやと眠る我が子のもとへと向かいました。そして眠る優作ちゃんと愛美ちゃんを見つめると、母が殺され、父が犯罪者になったことを不憫に思い、映子さんと同じように眠る二人の首を絞めて殺害したのです。
野本岩男自身は「不憫に思って。」と理由を告げていますが、当時の視聴者たちは次のように述べており、今もなお本当に愛していたのか疑いの余地があります。
270名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/20(水) 01:22:08ID:???>>273
子供を殺したのは明らかに同情ではなく、
邪魔になっただけだよな。
裁判官もよく戯言を聞いたもんだ。
609名無しさん@お腹いっぱい。2012/01/12(木) 19:16:02.80ID:???
嫁を殺したのは、まあなんとか理解できるとしても、子供まで殺したのは本当に理解出来ない。
691名無しさん@お腹いっぱい。2013/08/06(火) NY:AN:NY.ANID:???
子供を二人も殺せる時点で、父親として子供との触れ合いが普段から希薄だったんだろうさ。
一緒にお風呂に入ったり、休日に遊んであげたり抱いて守ったりetc、男は子供と接することで父親になっていく。
愛人と遊んでばかりだから、子供との時間を大事にしなかったのだろうさ。
殺害後、野本岩男は何をしていたのか
不憫に思い我が子まで手をかけた一方で、殺害後二日間遺体をそのままにしていた野本岩男は殺害当日も仕事を休むことなく病院へと出勤し、仕事をこなし仕事終わりには新宿歌舞伎町のストリップとソープランドで楽しんだと言います。
10月31日、野本岩男は自家用車に遺体を乗せて大黒埠頭へと向かうと、遺体を海に投げ込みました。この時大黒ふ頭まで向かう間は子供たちによく聞かせていた子守歌を歌っては涙を流したと語りましたが、その翌日に浮気相手と北海道旅行に予約していることがわかっています。
つくば母子殺人事件はどのように報道されたのか
つくば母子殺人事件で野本岩男が逮捕され、犯行動機や夫婦トラブルや映子さんがランジェリーパブで働いている事が明らかになると、週刊誌やニュースなどのマスコミはこぞってつくば母子殺人事件の被害者である映子さんを悪女に仕立て、被害者側の配慮を欠く報道を行いました。
悪女に仕立てるマスコミ
マスコミはつくば母子殺人事件の被害者である映子さんの日記を公開してプライバシーを次々と暴くと、ランジェリーパブで働いていることを強調し、さも自ら子供を放置して働いているかのように書き立てました。
マスコミの中には、映子さんは野本岩男の財産を狙って、排卵誘発剤を使って妊娠して結婚したのだと事実とは異なる半ば妄想じみたことを書いたところもあり、映子さんはつくば母子殺人事件の被害者であるというのに、誹謗中傷の的になってしまったのです。
当時の報道を見た視聴者たちは次のように語っています。
0041 名無しだョ!全員集合 2029/04/11 22:13:01
映子さんがあまりにも哀れだった。TVでの死人に鞭打つプライバシーの暴露合戦で。
0042 名無しだョ!全員集合 2029/04/11 22:22:56
いやあ〜、あの嫁さんはワイドショーが喜ぶ要素をみんな持ってたからねえ〜。
離婚歴あり子供二人は元夫に置いて、看護助手をしてる時18歳と偽って
加害者と付き合い出既婚。また子供二人生まれるも夫婦仲は家庭内離婚。
旦那が¥をくれないからとキャバ蔵勤め。
家には流行りのゴールデンレトリバーを2匹飼って、家も新築、夫は医者。
絵に描いたような幸せ家族、、、のはずが実は。。。
そんなのがワイドショー(暇人主婦)はすきなんでせう。
0043 名無しだョ!全員集合 2030/04/11 22:59:12
>>42
ワイドショーで「映子さんに離婚歴があり、何と子どもが2人いる事が関係者への
取材で判明しました!」なんてやっていて「これは驚きですね」なんて、やりとりを
やっていたな。
0047 名無しだョ!全員集合 2011/04/12 18:38:41
映子さんかわいそうといいながら禿げしくプライバシー暴露
報道の在り方に疑問を抱く視聴者たち
つくば母子殺人事件について、偏向報道を続けるマスコミに流されて被害者に誹謗中傷する視聴者がいた一方で、被害者へ配慮の欠けた偏向報道を行うマスコミ対して、報道の在り方を疑問視する視聴者も多く、今もなお当時の報道については議論されています。
#平成30年振り返り
平成6年11月3日
つくば母子殺人事件。この時期は連日ワイドショーでこの事件が報道され、うんざりした。犯人のやったことも惨いけど、当時のマスコミの報道も酷かった。
— にゃんこ@歴史勉強中 (@fruitsnyanko11) January 8, 2019
#桶川ストーカー殺人事件 や #女子高生コンクリート殺人事件 や #つくば母子殺人事件 。 #マスコミ の中には被害者をおとしたり日記までもを晒す輩がいた。取材攻勢も凄まじく被害者及びその家族は社会的に抹殺される。勿論マスコミの活躍から解決する事件もあるが、被害者救済は遅々として進まない。
— 伸 (@AceStriker11) February 16, 2018
90年代、女性が殺された事件はどう報道されてきたか。つくば母子殺害事件、東電女性社員殺害事件から考えます。根も葉もない噂を書き立て私生活を暴き虚偽の人格像を作り出し性的に貶めーー。報道機関の犯罪。今、現場にいる私自身も学び、猛省しなければと思います。https://t.co/1aloBQkzIe
— 中川聡子 (@nakagawas1) February 10, 2019
つくば母子殺人事件の判決
平成8年2月22日に横浜地方裁判所で行われたつくば母子殺人事件の裁判では、検察側は「妻子3人を殺して、海中に投棄するという凶悪犯で、純粋無垢な子どもを殺すなど慈しみは感じられず、極刑をもって臨むしかない」と主張し、死刑を求刑しました。
求刑に対して裁判長は「医師という社会的地位にありながら、3人を殺害し死体を遺棄。その後偽装工作をするなど極めて重大な犯罪である。しかし犯行は衝動的で、殺害の方法も残酷とはいえず深く反省している」と語ると、野本岩男に対して無期懲役を言い渡しました。
またつくば母子殺人事件の裁判では、大学の友人や病院の上司や患者が証言をし、減刑を求める嘆願書が届けられましたが、
1997年1月30日、東京高裁、控訴棄却。被告人は上告したが、その後で取り下げて無期懲役が確定した。
犯人は野本岩男の他にいる?残された謎とは
つくば母子殺人事件の裁判で、野本岩男が無期懲役と判決が下された一方で、今だ解明されていない謎が二つ残っており、野本岩男のほかに誰か協力者がいたのではないかと言われています。
今回はつくば母子殺人事件にいまだ残る二つの謎についてご紹介いたします。
長男の勇作ちゃんを殺害した犯行時間の謎
野本岩男は長男である勇作ちゃんを殺害した時間について、10月29日の午後6時から午後8時の間に殺害したと供述していますが、勇作ちゃんの胃からチョコレートが検出されたことにより犯行時間は正しかったのか疑問視されています。
本来チョコレートとは比較的に消化しやすいものと言われており、消化して検出されなくなるのは大体は食べてから1時間ほどと言います。しかし、犯行日前日の10月28日には映子さんの知人が訪ねており、
知人女性は妻の長男が午後7時30分に食べるのを目撃しており、午後8時に自分が家を出る際にその後で殺人を犯すことになる夫が帰宅していたと供述している。
もしかしたら犯行前の10月29日の午後6時前に食べただけなのかもしれませんが、野本岩男が供述している犯行時間と異なる可能性が出ている以上、我々は疑問視せざるを得ません。
遺体を縛るロープの結び目が示す謎
つくば母子殺人事件では野本映子さんと、二人の子供である勇作ちゃんと愛美ちゃんの遺体はそれぞれビニール袋に入れられてロープで結ばれた上に鉄アレイがつけられていました。
鉄アレイについては浮かばないようにする対策とすぐにわかりましたが、警察はロープの結び目に注目し首をひねったのです。それはビニール袋を縛るロープの結び目が明らかに特殊で、俵結びと呼ばれるものだったからです。
俵結びは特殊な結び方で米を俵にするときの昔の農家の手法で、当時は50歳以上の農家くらいしか知らないといわれていた。実況見分をした際に夫が梱包を再現した際の結び目は3つとも縦結びであり俵結びではなかった。
後の報道では、50歳を超えた農家の人にインタビューして俵結びをやってもらいましたが俵結びはやったことがないといい、またその方の父親も俵結びというものは知っているが実際に結ぶ方法はわからないと答えているため、当時29歳だった野本岩男ができるとは思えません。
そのため、野本岩男のほかに誰か協力者がいるのではないかと囁かれいましたが、つくば母子殺人事件から20年以上たった今も真犯人に関する続報はありません。
事件から22年、野本岩男は現在何をしている?
つくば母子殺人事件にて、1997年に無期懲役と判決された野本岩男ですが、現在も出所したという情報はありません。しかし、無期懲役とは懲役の期間を決めずに刑務所に服役させることであり、一生出て来れないというものでもありません。
実際には無期懲役となった場合、入所から30年経った後に仮釈放のための仮釈放審理が行われており、この仮釈放審理で認められると晴れて仮釈放となるため、今後野本岩男が釈放する可能性は大いにあると言えるでしょう。
しかしまだ30年経過するまであと最低でも8年は塀の中にいると考えられますし、仮釈放審理で認められない場合は二度目の審査が10年後となるため、まずは仮釈放審理が始まる2027年に注目です。
つくば母子殺人事件が示す私たちへの教訓
野本岩男の手によって映子さんと勇作ちゃんと愛美ちゃんの尊い命が奪われ、マスコミによる被害者に鞭を打つような偏向報道が大々的に行われたこのつくば母子殺人事件は、まだ謎も残っているということもあり、あらゆる角度から注目高い事件です。
野本岩男の最短出所まであと8年ほどあるとはいえ、いまだ解明されていない謎がある限り我々は今後の動向には目を光らせつつ、マスコミの偏向報道に踊らされて誰かを傷つけるような加害者にならぬよう、きちんと自分たちで事実を調べなければいけません。
つくば母子殺人事件と同じようにマスコミにより被害者側に鞭を打つ報道がされた、こちらの事件もおすすめです。