横浜バラバラ強盗事件の概要&真相と犯人・池田容之のその後とは?

裁判員裁判による初めての死刑確定裁判となったのが横浜バラバラ強盗事件です。本事件の主犯は覚せい剤密輸グループの池田容之という男性でした。学生時代のエピソードからは真面目な様子がうかがえる池田容之ですが、なぜこのような犯罪を行ってしまったのでしょうか?

横浜バラバラ強盗事件の概要&真相と犯人・池田容之のその後とは?のイメージ

目次

  1. 1横浜バラバラ強盗事件とは?
  2. 2横浜バラバラ強盗事件の概要・詳細
  3. 3横浜バラバラ強盗事件の犯人
  4. 4横浜バラバラ強盗事件の被害者
  5. 5横浜バラバラ強盗事件の裁判・判決
  6. 6横浜バラバラ強盗事件の犯人たちのその後
  7. 7横浜バラバラ強盗事件は何故起こった?【池田容之の犯行動機】とは
  8. 8主犯格【池田容之】の詳細
  9. 9あまりにも残虐な殺人事件【横浜バラバラ強盗事件】

横浜バラバラ強盗事件とは?

※この事件には悲惨な内容が含まれますので、閲覧にはご注意ください。

事件現場のバスルームのイメージ

横浜バラバラ強盗事件は、池田容之を主犯格とする覚せい剤密輸グループにより引き起こされました。この事件の被害者は凄惨な殺され方をされているため、人によっては非常に不愉快な内容であるかもしれません。

本記事では、事件概要や池田容之の生い立ち、共犯者たちの詳細などについて解説していきます。この悲惨な事件のきっかけは何だったのか、犯人の池田容之らはどのような判決を受けたのか、見ていきましょう。

横浜バラバラ強盗事件の概要・詳細

主犯格の池田容之により行われた横浜バラバラ強盗事件は、東京都の麻雀店経営者の2人が被害者となりました。事件犯人の池田容之らと被害者たちの人となりや生い立ちも気になるところですが、まずは事件概要とその詳細について確認していきます。

横浜バラバラ強盗事件の概要

被害者が呼び出されたホテルのイメージ

犯人の池田容之らは、東京都の麻雀店経営者2人を千葉県のホテルに呼び出し、2009年6月の18~19日にかけて監禁。同ホテル内で電動のこぎりなどを用いて被害者たちを殺害後、遺体を裁断し、横浜港や山梨県の山中に遺棄しました。

被害者の交友関係の洗い出しの末、遺体発見から4か月程経過した同年の10月に池田容之を含む犯行グループ8人が逮捕されました。その後の裁判で、池田容之の証言により殺人指示は近藤剛郎によるものと判明したものの、近藤は現在も未だ逃亡中です。

逮捕された池田容之ら犯人は、殺人の実行犯である池田容之には死刑判決、死体遺棄に関わった3人は懲役3年執行猶予5年を求刑されています。

男性の遺体の下半身が発見されて事件発覚

被害者の遺体がみつかった岸壁イメージ

本事件は、遺体の発見による発覚しました。2009年の6月24日、最初に遺体が発見されたのは横浜市にある岸壁で、見つかったのは下半身のみの男性遺体だったそうです。

さらに翌日には、少なく見積もって2人分以上の男性遺体(頭部、右足を欠損した下半身、両手首など)が発見されます。発見された遺体から指紋が採取され、それにより被害者の身元が判明。6月29日には警察が被害者の身元公表に踏み切りました。

被害者と関係のある人物について捜査が進められる内に、近藤剛郎と麻雀店経営についてトラブルになっていたことが判明します。同年の10月には、逃亡中の近藤剛郎を除く池田容之らの逮捕が行われました。

生きたまま首をノコギリで切断!

犯人が使用したノコギリのイメージ

この事件で最も凄惨であるのは、生きたまま首を切断するという池田容之の殺害方法です。ホテルの一室に監禁された被害者たちは、殺害のために池田容之ら犯人に浴室へ連れていれました。

被害者が必死に「家族に電話させて欲しい」「殺さないでください、せめて殺してから切ってくれ」と訴える中、池田容之は「動いちゃ駄目だろ、切れないじゃないか」と言い放ち、殺害に至っています。

さらに池田容之は、殺害後に遺体を淡々とごみ袋に入れ「人形みたいでしょ」と近藤剛郎に話していたそうです。

横浜バラバラ強盗事件の犯人

犯人のイメージ

横浜バラバラ強盗事件は、主犯の池田容之および殺人を依頼した近藤剛郎、その他、見張りや遺体遺棄に関与した数人による犯行です。事件の犯人たちについて、その人物像の詳細を見ていきましょう。

主犯格【池田容之】(当時31歳)

犯人たちのイメージ

事件の直前まで岩盤浴店の店長を勤勉に務めていましたが、離婚した家族に養育費を送ると手元にはわずかなお金しか残りませんでした。そんな中、稼ぐ方法を探していた池田容之を近藤剛郎が誘い、池田容之は覚せい剤密輸に関わるようになります。

被害者たちと池田容之は事件当時初対面でした。池田容之が殺害に至った動機や生い立ちについては後に詳しく解説しますが、彼らを殺害するきっかけとなったのは近藤の指示を受けてのことでした。

共犯者【近藤剛郎】(当時25歳)

近藤剛郎のイメージ

実行犯ではありませんが、池田容之に被害者たちの殺害を依頼したのは近藤剛郎です。その動機は麻雀店の経営を巡ってのトラブルでした。

近藤剛郎は元々自分が経営していた麻雀店を乗っ取られ、覚せい剤密輸についての通報すると言われたことから、被害者たちの殺害を考えていたと、池田容之が証言しています。

遺体損壊・遺棄【宮原直樹】【伊吹真吾】【三田恭志郎】

本事件で最初に逮捕されたのはこの3人です。被害者たちの交友関係が調査された結果、捜査線上に浮かびあがってきました。被害者たちと3人は初対面でした。

横浜バラバラ強盗事件の被害者

被害男性のイメージ

池田容之とは初対面であった被害者たちですが、彼らはいったいどのような人物だったのでしょうか?生い立ちなどは判明しているのでしょうか?

高倉順一さん(当時36歳)

神奈川県で会社員をしていた高倉さん。元暴力団組員でしたが、事件当時は堅気として働いていたようです。

水本大輔さん(当時28歳)

被害者の経営していた麻雀店のイメージ

近藤剛郎と経営トラブルのあった麻雀店の店長でした。彼もまた元暴力団組員で、高倉さんとは知り合いだったそうです。

2人とも事件当時は堅気として生活しており、婚約者や家族を大切にするような人物だったようです。

横浜バラバラ強盗事件の裁判・判決

裁判のイメージ

本事件の裁判は横浜地裁で行われました。池田容之による無慈悲な犯行に対して、裁判でどのような判決が下されたのか、その詳細を確認していきましょう。

池田容之に対しては裁判員制度導入後、2例目となる「死刑」判決が申し渡されています。また一連の裁判で池田容之の死刑が確定しており、裁判員裁判における初の死刑確定裁判となりました。

判決文のイメージ


さらに池田容之の裁判の際には、判決の読み上げが冒頭に行われることになりました。裁判では判決を言い渡す場面では、「主文」を読み上げ「判決」を読み上げることが通例ですが、重大事件の裁判の際は、このように判決読み上げが最初に行われることが多いようです。

遺体運搬に関わった3名に対しては、懲役3年と執行猶予5年の判決がでています。近藤剛郎については現在逃亡中のため、判決は出ていません。

横浜バラバラ強盗事件の犯人たちのその後

犯人たちの収監イメージ

犯人の内、主犯の池田容之、共犯者の近藤剛郎および遺体運搬した3名は、現在はどうしているのでしょうか。

池田容之のその後

池田容之は死刑判決を受けた後、控訴を取り下げています。死刑はまだ執り行われていないため、未だ東京拘置所にて収監されています。

【近藤剛郎】は未だ逃亡中

逃亡中の近藤剛郎のイメージ

近藤剛郎は現在も逃亡中であり、その所在は明らかになっていません。一説ではタイに逃亡しているのではないかととも言われています。逃亡中の近藤剛郎については、国際指名手配されています。

逃亡中の近藤剛郎ですが、横浜バラバラ強盗事件以外の覚せい剤密輸数件について関連が判明しており、その件についても行方を追われています。
 

遺体損壊・遺棄した3人のその後

横浜バラバラ強盗事件の犯人の内、遺体の運搬等に関与した3人が現在どうしているのか詳細は不明です。しかし彼らの判決は2010年5月に下されています。執行猶予5年ということなので、おそらく既に一般人として生活しているのではないでしょうか?

横浜バラバラ強盗事件は何故起こった?【池田容之の犯行動機】とは

私利私欲に走った池田容之のイメージ

本事件では、犯人の池田容之と被害者たちの間には直接的な殺害動機が無いにも関わらず、池田容之はなぜ、このような殺人を行ったのでしょうか?池田容之は「私利私欲のため」と自らの犯行動機を語っています。

「自分は人を殺せる人間だとアピールし、覚せい剤密輸組織の信用を得て利権を手に入れようと考えた」と、池田容之本人が証言しています。

主犯格【池田容之】の詳細

生きたまま首を落とすという残虐な行為を行う一方で、池田容之の生い立ちからは生真面目な一面を垣間見る事ができます。池田容之がどのような環境で育ったのか、その生い立ちをなどの詳細を見ていきましょう。

池田容之の生い立ち

池田容之は兵庫県で生まれ、横浜市の中学校では生徒会長を務めました。中学と同じく横浜の高校を卒業後、池田容之はホストなどを様々な職と転々としていました。22歳で結婚しましたが離婚しており、給料から子供の養育費に加え、家族の生活費も捻出していました。

離婚した家族には子供の養育費を毎月10万円渡していたこともあり、常に稼ぐ方法を考えていたそうです。

池田容之の家族構成

池田容之の家族で判明しているのは、元銀行員の父親と母親。また、離婚した家族には別れた妻と長女がいるそうです。ただし、2004年に池田容之自身が山口組系暴力団に所属したのを機に、実家とは連絡を絶っていました。

あまりにも残虐な殺人事件【横浜バラバラ強盗事件】

道を踏み外した池田容之のイメージ

池田容之の行った殺人はあまりにも残虐で聞くに堪えません。しかし、池田容之の学生時代について知ると、根は真面目な人物であったように思われます。

死刑判決が下った時にも、池田容之は自らの行いに対して強い反省の色を見せています。池田容之の行った行為は許しがたいものですが、根が真面目なはずの池田容之がどうしてここまで残虐になることができたのでしょうか。

池田容之の生い立ちがごく普通の家庭で育ったのであるなら、ともすれば、どのような人でもこのような行為に及ぶことができる可能性を秘めているのかもしれません。

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この記事のライター
mugikon
ライティングの勉強中。 「よつばと!」に癒される毎日を送っている。

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