【フリッツル事件】概要・その後や現在を徹底解説!関連書籍や映画も

フリッツル事件とは、実父が実娘を24年間にわたり監禁し続け、近親相姦したうえ、7人もの子供を妊娠・出産させた事件です。フリッツル事件の犯人ヨーゼフ・フリッツルがどのように実娘を監禁したのか、24年も隠されていた事件がどのように発覚したのか、紹介していきます

【フリッツル事件】概要・その後や現在を徹底解説!関連書籍や映画ものイメージ

目次

  1. 1オーストリアの実娘監禁事件【フリッツル事件】とは
  2. 2【フリッツル事件】の概要・詳細
  3. 3フリッツル事件の裁判と判決
  4. 4フリッツル事件の加害者【ヨーゼフ・フリッツル】の詳細
  5. 5フリッツル事件の被害者【エリーザベト・フリッツル】のその後と現在
  6. 6エリーザベトの子供たちのその後と現在
  7. 7フリッツル事件の関連書籍・映画
  8. 8実娘を24年間監禁した狂気的な事件

オーストリアの実娘監禁事件【フリッツル事件】とは

※この事件には悲惨な内容が含まれますので、閲覧にはご注意ください。

監禁された少女のイメージ

フリッツル事件とは、犯人のヨーゼフ・フリッツルが実娘を24年間もの長きに渡り、自宅の地下室に監禁した事件です。フリッツル事件が発覚するまで、実娘のエリーザベト・フリッツルは実父に何度も近親相姦され、結果的に7人もの子供を産むことになりました。

本記事では、フリッツル事件の痛ましい犯罪の全容について説明していきます。フリッツル事件には監禁や近親相姦、強姦などの話題が含まれており、犯人の行った犯行の数々に不快になるような場面もあります。お気を付けください。

【フリッツル事件】の概要・詳細

フリッツル事件の記録イメージ

フリッツル事件では、犯人である実父が実娘を監禁することに留まらず、実子を強姦し、近親相姦により7人もの子供を設けさせています。非道な犯罪であるフリッツル事件がなぜ起きたのか、24年の歳月を経てどのように事件が明らかになったのか、説明していきましょう。

実父による実娘【エリーザベト】の監禁

監禁された少女のイメージ

実はフリッツル事件以前から、被害者のエリーザベトは実父による性的虐待を受けていました。彼女の母親もこの事を知っていたようですが、実娘の抱えるこの問題については見て見ぬふりをしていたようです。

月日が流れ、フリッツル事件で監禁が始まったのはエリーザベトが18歳の時。犯人の父ヨーゼフは地下室のドアの設置をエリーザベトに手伝わせるために、彼女を地下室に呼び出しました。

地下室へのドアのイメージ

地下室のドアがはまるとヨーゼフは、ドアを支えていたエリーザベト目掛けてエーテルを吸わせたタオルを投げつけます。ヨーゼフは、彼女の意識が無くなるまでタオルを当て続けました。意識を喪失したエリーザベトをヨーゼフは地下室に投げ込み、カギを閉めて閉じ込めてしまいます。

監禁された少女が書かされた手紙のイメージ


エリーザベトがいなくなったことに気づいた彼女の母親は、その翌日には娘の失踪届を提出。その後1ヶ月程して手紙が届きましたが、自宅のあるアムシュテッテンから100km以上離れたブラウナウ・アム・インの消印が押されていたそうです。手紙には、自分は友達と一緒におり、自分を探すようなことがあれば出国すると書かれていました。

実はこの手紙はヨーゼフがエリーザベトに強要して書かせたもの。その後も時折エリーザベトから手紙が届きましたが、すべて父親に言われた通りに書かされたものでした。警察にこの手紙を届けた父ヨーゼフは、警官への説明で娘は狂信的なカルト宗教に入信した可能性が高いと述べています。

24年間で7人もの子を産まされた地獄のような日々

地下室でエリーザベトの妄想イメージ

監禁されてから、エリーザベトはドアに体当たりしたり、自分の爪が剥がれるまで、天井を引っ掻き続け脱出を試みました。しかし数日経つと、彼女はここは地下室ではなく、自分はハイキングに行っているんだというような妄想をし始めます。

実娘を地下に監禁したヨーゼフは、だいたい3日に1度の頻度で彼女の下に訪れ、日用品や食料を与えました。さらにこの時、ヨーゼフは娘の意思に反し、繰り返し近親相姦しています。

おそらく避妊などしていなかったのでしょう。実父に近親相姦された結果、彼女は7人の子供を出産することになります。子供たちの内1人は生後すぐに亡くなり、残った子供は3人がエリーザベトの母ロゼマリアが、残りの3人はエリーザベトと共に地下室で育てられました。

実娘の子供を引き取り育てるイメージ


夫と実娘の近親相姦によって生まれた子供だとも知らず、ロゼマリアは娘の子供達を養子あるいは里親として育てていきます。この時ヨーゼフは、行方不明の娘が育てられないからと置いていったと妻や社会福祉事務所に説明していました。

養子になった子供たちの状況を確認するためソーシャルワーカーが何度も自宅に様子を見に来ていたようですが、不審に感じるようなことはなかったそうです。

エリーザベトたちが監禁されていた地下牢の詳細

監禁されていた地下室のイメージ

フリッツル事件の舞台となった自宅の地下室とは、どのようなところだったのでしょう。地下室は犯人であるヨーゼフ自身が、6年間かけて電気や水道を引き込んで改装を行っており、フリッツル事件以前と比べると広くなっていたようです。

それでも、フリッツル事件発覚直後の地下室は、窓もなく、天井までの高さが170m程度。部屋は寝室や食卓、冷蔵庫、TV、浴室、便器なども備わっていましたが、部屋は湿気ており、カビの臭いが充満していました。

そのうえ空気の引き込み口は1か所しかなく、フリッツル事件の調査のために訪れた捜査官の報告では地下室は慢性的な酸素不足で、調査員4人が同時に入ると息苦しかったそうです。

フリッツル事件の発覚

地下室で育った長女が救急搬送されるイメージ

フリッツル事件が明るみに出るきっかけとなったのは、エリーザベトの長女ケルスティンが病気のために地下室で意識を失ったことでした。母親のエリザベートに懇願されたヨーゼフは、ロゼマリアが旅行で不在であった隙をついて長女を地下室から連れ出し、救急車で搬送させました。

長女が病院に搬送されたのち、医者が彼女のポケットに「助けて」と書かれたメモを発見します。医師は、メモの内容とヨーゼフの「エリザベートは子供を捨てた」に矛盾を感じ、ヨーゼフに対して不審を抱きます。このことを医師は警察に通報するのですが、これがのちにフリッツル事件発覚の糸口になりました。

地下室から搬送された長女が持っていたメモのイメージ

長女の病気が重篤な腎不全であるため過去の病歴を知る必要があるという口実に、医師はヨーゼフに母親の居所を確認します。病気の子供の母親が行方不明であることは、テレビでも報道され、母親の行方について広く呼びかけられました。

長女の担当医から通報を受けた警察はカルト宗教に詳しい人物へ相談しました。その人物によって、ヨーゼフが主張したカルト宗教の存在については否定され、またエリーザベトの手紙も言われたことを書かされたように見えるとの指摘を受けるに至ることになります。
 

地下室に設置されていたテレビのイメージ

一方、地下室のテレビでこの放送を見ていたエリーザベトは、ヨーゼフに自分も病院に連れていくように懇願しました。長女が病院から搬送されて1週間後、2人の息子と共に地下室から解放されました。

ヨーゼフとエリーザベトが病院に到着した後、2人は医師の通報により駆け付けた警察官により連行されることとなります。警察署で父親と分かれたエリーザベトは、警官が父親に会う必要はないと約束してようやくこれまでの経緯を語り始め、フリッツル事件の存在が明らかになりました。

フリッツル事件の裁判と判決

逮捕された犯人のイメージ

フリッツル事件において、この犯罪の犯人ヨーゼフ・フリッツルに対して近親相姦、強姦、不法監禁、奴隷化、殺人などの容疑がかけられました。実娘に対する近親相姦、娘とその子供達の監禁、生後間もなく死亡した1人の子供を庭で焼却処分したなど、フリッツル事件では数々の犯罪が行われています。

フリッツル事件についてのエリーザベトの証言イメージ

フリッツル事件の裁判中、エリーザベトの証言は、実父に会いたくないという彼女の希望から収録済みのビデオで行われました。11時間にも及ぶ彼女の証言に対して内容のあまりの痛ましさに、フリッツル事件の陪審員たちは一度に2時間以上見ることが敵わなかったそうです。

フリッツル事件の裁判のイメージ

反面、犯人のヨーゼフ自身にはフリッツル事件の数々の犯行に対し、反省の色が見られませんでした。ヨーゼフ自身の言として、地下の子供や娘を生かしていたこと、クリスマスにはツリーを地下に飾ったこと、長女ケルスティンが病気になった時に地下の全員を解放したことから自分は「モンスターではない」と主張していました。

裁判は約1年間続き、2009年の3月、フリッツル事件の犯人ヨーゼフ・フリッツルには、オーストリアの最高刑である仮釈放を認めない終身刑の判決が下されました。

フリッツル事件の加害者【ヨーゼフ・フリッツル】の詳細

犯人の犯罪記録のイメージ

非道な犯罪であるフリッツル事件の犯人ヨーゼフ・フリッツには、いったいどのような経歴があったのでしょうか。実はフリッツル事件以前から強姦等の犯罪歴があったことが判明しています。

ヨーゼフ・フリッツルの生い立ち

幼少期の犯人と母親のイメージ

ヨーゼフは、1935年、フリッツル事件の舞台となったオーストリアのアムシュテッテンで生まれました。彼が4歳の時に彼の実父は家族を捨てたため、ヨーゼフは母子家庭で育つことになります。

HTL工科大学を経て、ヨーゼフはリンツの鉄鋼会社で働き始めます。その後の1956年、21歳の時に17歳のロゼマリアと結婚。エリーザベトを含む2人の息子と5人の娘を設けました。

犯人の勤めていた鉄鋼会社のイメージ


1967年には強姦と強姦未遂の2件の犯罪を犯し、18か月の懲役を受けています。釈放後は建築資材工場で1971年まで働き、その後は営業職としてオーストリア中を巡ることになります。

1972年から1996年までは宿泊施設と隣接のキャンプ場を購入し、夫婦で経営していた他、自宅以外にも不動産収入を得ていた模様です。

ヨーゼフ・フリッツルの犯罪歴

犯人が懲役刑を受けているイメージ

前述のとおり、ヨーゼフにはフリッツル事件以前に犯罪を犯しています。最初の犯行では、夫の不在時を狙って看護師宅に押し入り、のどにナイフを突きつけ脅した上で強姦したそうです。また同年に別の女性にたいしても強姦を試みましたが、こちらは強姦未遂に終わっています。

過去に犯罪を犯したにも関わらず、フリッツル事件ではなぜ24年間も事件が明るみに出なかったのでしょうか?理由はオーストリアの法律にあります。当時の法律上、犯罪歴は5~10年で削除されることが定められていました。

犯罪歴について記載されていたはずの書類イメージ


エリーザベトの失踪届提出時や子供3人の養子縁組や里親申請時、ヨーゼフの強姦等の犯罪歴は既に法的に抹消されていたため、警察も社会福祉事務所も不振を感じることが無かったそうです。これらのことがあり、フリッツル事件が性犯罪等の法改正検討のきっかけとなりました。

フリッツル事件の被害者【エリーザベト・フリッツル】のその後と現在

監禁状態から解放され、回復しているイメージ

フリッツル事件の被害者エリーザベトは、フリッツル事件の反響を受けたマスコミ報道から保護されるため、事件後しばらく病院内に隔離されていました。フリッツル事件により24年間も薄暗い地下室に閉じ込められ、実父に近親相姦させられるなど、肉体的にも精神的にも治療が必要な状態でした。

地下室からの救出から約1年が過ぎた後、回復した彼女は自伝の執筆のためにフリッツル事件の裁判を傍聴するため、実父の2日目の審理に出席していたそうです。

フリッツル事件後に移住した村のイメージ


フリッツル事件裁判が終了したのちは、オーストリア北部の村に移住し、6人の子供と共に生活をつづけています。実母のロゼマリアに対しては、エリーザベトが11歳の時から続いていた性的虐待を止めてくれなかったことを非難しており、フリッツル事件解決後は彼女自身一度も再会していないとのことです。

エリーザベトの子供たちのその後と現在

フリッツル事件後の子供達のイメージ

フリッツル事件によって実父との近親相姦で生まれた子供達の内、地下で生活していた子供達はビタミンB欠乏症や貧血、免疫系が未発達であるなどの肉体的問題についての治療が必要でした。加えて、初めて目にする日光や外界に慣れるための訓練も受けたそうです。

3人の子供はフリッツル事件中に祖母ロズマリアに育てられたため、祖母に対して母親に対するような愛着があるそうです。フリッツル事件の裁判後、子どもたちはエリーザベトと共に生活していますが、時折祖母に会いにゆき、エリーザベト自身もそれを認めています。

6人の子供の内、フリッツル事件発覚のきっかけとなった長女ケルスティンは、救急搬送後しばらくの間、意識が戻りませんでした。しかし搬送から約2か月後にエリーザベトたち家族と合流後、容体が回復したそうです。

フリッツル事件の関連書籍・映画

フリッツル事件がもとになった映画上映中のイメージ

フリッツル事件がもとになった書籍はいくつかありますが、有名なのはエマ・ドナヒューによって執筆された長編小説「Room」でしょう。この小説はフリッツル事件発覚の2年後に発表された作品です。日本語翻訳版では「部屋」と名付けられています。

登場人物は17歳から7年間監禁された少女ジョイと5歳の息子ジャック。フリッツル事件とは異なり、少女は血縁のない誘拐犯に強姦されて妊娠、息子のジャックを出産するという背景を持ちます。

この小説は2015年に映画化されました。脚本はエマ・ドナヒュー本人が制作しています。書籍では5歳のジャック視点で描かれている一方、映画ではある程度の客観的な視点を保ちつつ、観客を引き込む勢いが特徴になります。

実娘を24年間監禁した狂気的な事件

監禁から解放されたイメージ

24年間という長期間の監禁もさることながら、実父から強姦され、さらには近親相姦の結果子供を儲けさせられるという何とも痛ましい事件です。

フリッツル裁判が始まった当初、犯人のヨーゼフは精神病者として減刑を目論み、本人の性格や母子家庭で育ったこと、その他社会的背景などを言い訳にして、自分自身を正当化した証言を行っていました。

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この記事のライター
mugikon
ライティングの勉強中。 「よつばと!」に癒される毎日を送っている。

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