旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物

1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?

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目次

  1. 1旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?
  2. 2旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?
  3. 3旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?
  4. 4旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?
  5. 5旭川女子中学生集団暴行事件のその後
  6. 6周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件

旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?

旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。

旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?

旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。

加害者

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。

被害者の女子生徒はどのような人物だったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。

他にもいた被害者

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。

当初は軽度の嫌がらせだった

旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。

担任教師に相談した後、さらにエスカレート

男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。

他にも想像を絶する暴行も

性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。

脅迫までもが日常茶飯事だった

旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。

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旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。

他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか

まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。

女子中学生の担任教師はどのように対応したか?

まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。

他の教師たちの対応はどのようなものだった?

その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。

学校の教頭の対応はどのようなものだったか?

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。

旭川女子中学生集団暴行事件のその後

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。

家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?

旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?

もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。

被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?

先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分

この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言

旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。

判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。

被害者の女子生徒のその後は

旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。

周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件

旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。

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