ドナー隊の遭難事件とは?本当は怖い童話の悲劇を詳しく解説

ドナー隊の遭難事件とは?ドナー隊の遭難事件は漫画化されている?一体どんな背景があったの?ドナー峠とドナー湖とは?ルイス・ケスバーグは一体何をしたの?今回はドナー隊の遭難事件とルイス・ケスバーグの凶行についてまとめました。

ドナー隊の遭難事件とは?本当は怖い童話の悲劇を詳しく解説のイメージ

目次

  1. 1ほんとうに怖い童話「ドナー隊の遭難事件」
  2. 2ドナー隊の背景
  3. 3ドナー隊の悲劇:ルイス・ケスバーグ
  4. 4ドナー隊の悲劇:ヘイスティングズの近道
  5. 5ワサッチ山脈で怪しくなってくるドナー隊の行方
  6. 6絶望の砂漠を越えるドナー隊
  7. 7始まるドナー隊の遭難事件:ルイス・ケスバーグの目覚め
  8. 8ルイス・ケスバーグの異常性
  9. 9悲劇の事件のその後
  10. 10ドナー隊の悲劇:ルイス・ケスバーグのまとめ

ほんとうに怖い童話「ドナー隊の遭難事件」

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「ドナー隊」が有名になったのは、漫画雑誌である「ほんとうに怖い童話」という漫画の中に「ドナー隊」が掲載されたことでしょう。「ほんとうに怖い童話」という漫画の中に「ドナー隊の悲劇」が掲載されたのは2012年11月号でのことです。この「ほんとうに怖い童話」は少女漫画であり実際は老人だった男がイケメンに変えられていたりとかなりの脚色がある漫画ですが、ある程度は史実に沿っていると考えられます。ただそもそもこれは童話なのでしょうか?英語で検索しても童話の情報が出てこないのですが・・・。「ほんとうに怖い童話」というシリーズはどうやら「血まみれ童話と残酷実在事件が満載!」がキャッチコピーの漫画雑誌なので童話に限らずということみたいですね。

ドナー隊の背景

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ことの発端は1840年代のアメリカでの西部開拓です。ヨーロッパから移民してくるには自然と東海岸に到着することになりますが、カリフォルニアなど西海岸は東海岸と比べて天候が安定していました。

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他にもアメリカ全土を支配すること、またカリフォルニアでの金脈の発見、いわゆるゴールドラッシュなどの理由により西へ移住することが重要だったことが背景としてあります。そして東海岸から西に移住するには半年ほどかかる大移動をしなければいけませんでした。

ドナー隊の悲劇:ルイス・ケスバーグ

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そのような背景の中、1864年5月12日に西海岸へ向かおうとしたのがドナー隊です。ドナー隊は大集団の中の一つでした。ドナー隊はドナー家とリード家の2つの家系とその家に仕える使用人を含む総勢32人から成り立っていて、9台の幌をつけた馬車で西へ向かっていました。ただしこの馬車ですが牽いているのはほとんどが牛や家畜です。

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ドナー家のほうは大黒柱であるジョージ以外には妻と5人の娘、そしてジョージの弟のジェイコブとその妻と養子を含めた7人の子供が帯同します。

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一方リード家のほうは大黒柱であるジェイムズとその妻、子供4人、そして妻の母親であるサラ・キースでした。しかしサラ・キースは肺結核を患っており、移動の早い段階で亡くなってしまいました。

ルイス・ケスバーグ

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道中、ドナー隊は様々な家族や移民団と合流していきます。その中で大事なのがルイス・ケスバーグです。ルイス・ケスバーグは妻と娘と移住に参加しており、道中では新たに息子が生まれました。

ドナー隊の悲劇:ヘイスティングズの近道

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オレゴンに到着すると道が二つに分かれることとなります。従来西側への移住に使われてきた実績のある「オレゴン街道」、もう一つが「ヘイスティングズの近道」というものです。交易所で働くジム・ブリッジャーによれば従来のオレゴン街道よりも540km短縮できるというものでした。これは「ヘイスティングズの近道」が流行ればジム・ブリッジャーの交易所にもかなりの恩恵が見込まれるからそう発言したのでした。実際とあるジャーナリストは「ヘイスティングズの近道」を使わないように警告していたのです。

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大集団のほとんどがオレゴン街道を選ぶ中、ドナー隊は「ヘイスティングズの近道」を採用します。これが悲劇の始まりです。

ワサッチ山脈で怪しくなってくるドナー隊の行方

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ヘイスティングズの近道は未踏とまではいかずとも、まだまだ荒れ果てた道のりでした。ヘイスティングズは木に手紙を張ることで道を示していましたが、あまりにも急斜面な丘では馬車の車輪がうまく働かず、通るべき道には大岩が転がっておりそれをどけなければいけませんでした。また木々をなぎはらい道を作らなくらなくてはいけません。その結果道のり的には近くなっていても1日に進む距離は3kmにも満たないこともザラにありました。

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ウィーバー峡谷を目前とすると、とうとう選択を迫られます。「オレゴンに戻るか」「かつてウィーバー峡谷を進んだ者の足跡を辿ってこのまま進むか」そして「ウィーバー峡谷を避けて少し南に下るヘイスティングズの新たなルートか」です。結局リードの一存でヘイスティングズのルートに決まりました。

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ここでグレイブズ家が合流します。この一家は東海岸を最後に出発した一家でドナー隊は馬車60~80の総勢87名の大部隊になりました。一方で食料や水は底を尽きますがどうにかワサッチ山脈を越えることに成功します。

絶望の砂漠を越えるドナー隊

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ワサッチ山脈を越えたドナー隊の目の前に広がるものはグレートソルトレイク沙漠でした。ここをどうにか抜ける頃には渇きに耐え切れなかった牛が何頭も死に、また何頭も暴れまわって脱走してしまいます。幸いにも人命には影響がなかったのですが馬車への損傷や、失われた馬や牛は大きいものでした。

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泉を見つけなんとか砂漠を越えたドナー隊はやっとの思いでオレゴン街道に入ることができます。これは予定よりも1ヶ月以上遅かったのです。

始まるドナー隊の遭難事件:ルイス・ケスバーグの目覚め

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西海岸へいく道のりで最大の関門がシエラネバダ山脈です。1年のほとんどの間降雪しています。雪が無いのは短い夏の間だけですがすでにドナー隊は大きく遅れをとっています。しかし戻ることも出来ないので進むしかありません。その結果遭難してしまうのです。

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標高2,160 mに位置する峠の湖畔に野営します。その峠と湖はトラッキー峠、トラッキー湖と呼ばれていましたが、現在は峠の名前をドナー峠、湖の名前をドナー湖と呼ばれます。

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牛ももう食料としてしか意味をなしません。そしてしばらくすると食料が尽きます。湖はまだ凍っていなかったのですが湖で魚が獲れることを知りませんでした。

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吹雪が止むと峠を徒歩で越える案が出て実際にやってみるも峠を越すことは不可能でした。そして始まる悲劇が「死んだ人間を食べる」ことです。救援がくるまでの間、彼らは食人するのでした。

ルイス・ケスバーグの異常性

ルイス・ケスバーグの「殺人」

無理も無いことですがルイス・ケスバーグは完全に壊れていました。遭難してから数日、彼は4歳の子供を自分の横に寝かせます。そして朝起きるとその子供は死んでいるのです。そしてみんなに「食べよう」といいナイフで死体を捌き始めるのでした。

ルイス・ケスバーグの2度目の「殺人」

とうとう救援隊が来るのですがあまりに大所帯なため救助は難航します。救助隊は救命の可能性があるものから順に助けていきます。ドナー夫人とその夫は残ることとなりますがルイス・ケスバーグも「残っている夫人が心配だから」とルイス・ケスバーグ自身も残る旨を伝えます。救助隊もルイス・ケスバーグを疑いつつも食料を残していくから大丈夫だろうと去っていきます。新たに来た救助隊が発見したものは鍋で煮込まれる夫人の姿でした。そしてあろうことかそこには救助隊が残して行った食料が残っていたのです。

ルイス・ケスバーグの伝説

ルイス・ケスバーグが食べた子供の父親は「あいつを殺す」と誓いました。

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一方でルイス・ケスバーグはドナー夫人のことを「柔らかいいい肉だった」と語っています。一説には彼は後に肉屋を開業し「柔らかい肉あります」と書かれた看板を掲げていたそうです。

悲劇の事件のその後

生き延びたのは87名中48人でした。ドナー家で生き残ったのは2人の子供だけで孤児となり引き取られました。一方リード家は全員生き残り、カリフォルニアのゴールドラッシュもあり裕福に過ごします。グレイブズ家の子供のメアリーは結婚しますが、夫が殺されてしまいます。しかし死刑になる犯人に対してメアリーは飢えで死ぬことはないように差し入れをしていたほどでした。

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ルイス・ケスバーグは凶行のせいもあってかあまりいい余生は送れなかったようです。彼は後に「しばしば思うに全能なる者は地上の全ての男の中から特に私を選び、1人の人間が如何ほどの困難、苦しみ、惨めさに耐えうるものかを見ているのだ!」と語っています。

ドナー隊の悲劇:ルイス・ケスバーグのまとめ

いかがだったでしょうか?筆者の個人的な思いとしては漫画のように表面の事実をおもしろおかしく描くことよりも、この出来事が起こした結果がその人間の人生にどう影響を与えたかのほうが興味深かったです。飢えというものはここまで人を替えてしまうのですね。まさか自分の夫が殺されているのにも関わらず飢えで死なないように差し入れをするなんてやはりよっぽどだったのでしょうね・・・。そしてケスバーグの発言ももしかしたら本当に殺人はしていないのかもしれないと思うものでした。そして「ヘイスティングズの近道」を選んだ戦犯のリード家が裕福に暮らしたのはあまりにも皮肉的です。人間にとっての最悪の地獄と言うものは飢えなのかもしれません。

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