『あさま山荘事件』連合赤軍メンバーや人質のその後とは?

連合赤軍が人質を取り、浅間山の山荘に立てこもった「あさま山荘事件」。連合赤軍のメンバーはなぜ人質まで取って、浅間山荘に立てこもったのか。そしてあさま山荘事件前に、連合赤軍が起こした山岳ベース事件。悲惨な事件の影には何があったのか。そして犯人たちのその後とは

『あさま山荘事件』連合赤軍メンバーや人質のその後とは?のイメージ

目次

  1. 1映画にもなった連合赤軍の「あさま山荘事件」とは
  2. 2「あさま山荘事件」関与した連合赤軍メンバーとは
  3. 3連合赤軍というテロリスト
  4. 4「あさま山荘事件」の前に起きた「山岳ベース事件」
  5. 5「山岳ベース事件」で被害者になった連合赤軍メンバー
  6. 6「山岳ベース事件」から「あさま山荘事件」までの経緯
  7. 7「あさま山荘事件」で連合赤軍の人質となったのは?
  8. 8「あさま山荘事件」での連合赤軍死亡者は?
  9. 9「あさま山荘事件」連合赤軍の逮捕者とその後
  10. 10【まとめ】連合赤軍の起こした「あさま山荘事件」とは

映画にもなった連合赤軍の「あさま山荘事件」とは

浅間山荘で起きた事件は映画にも

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映画にもなったあさま山荘事件

最近、また映画化されたことにより再び注目を集めることになった「あさま山荘事件」。
この事件は、犯人も逮捕され、人質も無事に解放されています。
それなのになぜ、ここまで人々の注目を集めるのでしょうか。
なぜ、人は「あさま山荘事件」を気にしてしまうのでしょうか。
それは、日本で起きたテロ事件だからなのかもしれません。
大きく世間をにぎわせることになった「あさま山荘事件」。
その犯人がもし今、あなたの隣に住んでいたら・・・?
今回は、何度も映画化され、そのたびにその映画が評判になる「あさま山荘事件」の経緯と、犯人たち、人質のmその後に迫ります。

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あさま山荘事件のその後、有名になった食べ物が。

あさま山荘事件と聞くと「あぁ、カップヌードルね」なんて連想する人いますよね。
なぜ「あさま山荘事件」イコール「カップヌードル」なのでしょうか。
それは、あさま山荘事件の起こった季節に関係がありました。
連合赤軍の犯人たちが、人質をとってあさま山荘に立てこもったのは、冬。
まだ雪深い2月のことだったのです。
気温はマイナスを記録。
警察に配られるお弁当は、あっという間に凍ってしまったのです。
緊張する現場。
そんな場所で、ホッと一息つけるはずの食事の時間に渡されるお弁当が凍っていたら、士気も下がってしまいますよね。
そこで、温かい食べ物をということで、カップヌードルが配られたのです。
凍った冷たいお弁当しか食べれなかった警察は、温かいカップヌードルにどれほど慰められたでしょうか。
きっと士気もあがったに違いありません。
あさま山荘事件の犯人を逮捕できたのも、人質を無事保護できたのも、もしかしたらカップヌードルのお手柄かもしれませんね。

「あさま山荘事件」関与した連合赤軍メンバーとは

浅間山荘へ行ったのは?

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連合赤軍のメンバー

あさま山山荘事件にかかわった犯人は、実はわずか5人だけなのです。
もっと多くの連合赤軍が犯人なのかと思っていましたが、5人とは驚きです。
しかし、あまり犯人が多いと山荘に閉じこもれないかもしれませんね。
犯人は坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦の5人です。
なぜ坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦の5人は「あさま山荘事件」を起こしたのでしょうか。

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リーダーはどこに?

「あさま山荘事件」を起こした連合赤軍の坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦ら犯人メンバーですが、彼らにはちゃんと連合赤軍のリーダーがいたのです。
しかし、その連合赤軍リーダーは「あさま山荘事件」に参加していません。
なぜ犯人たちは、連合赤軍リーダーが不在のまま「あさま山荘事件」を引き起こしてしまったのでしょうか。

連合赤軍というテロリスト

浅間山荘事件を起こした連合赤軍について

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そもそも連合赤軍とは

ではまず、坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦ら犯人メンバーが所属していた連合赤軍とは何かというところからご説明しましょう。
坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦ら犯人メンバーが所属していた連合赤軍の活動期間はおよそ1年と考えられています。
思っていたより短いですね。
1971年に活動を開始した連合赤軍ですが、1972年には活動を終息させているのです。
これは「あさま山荘事件」や後述する「山岳ベース事件」により、連合赤軍の活動メンバーが大幅に少なくなったためではないかと考えられています。

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共産党から派生した組織

もともとは、共産党として活動していたようですが、そこから分裂などを繰り返し、「あさま山荘事件」や「山岳ベース事件」を引き起こした「連合赤軍」が誕生します。
このほかに「日本赤軍」と呼ばれる団体もありますが、「連合赤軍」が日本を拠点としていることに対して、「日本赤軍」は海外を拠点としていたようです。

「あさま山荘事件」の前に起きた「山岳ベース事件」

事件は浅間山荘の前に

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山岳ベース事件

「あさま山荘事件」とともに名前を聞くのは「山岳ベース事件」なのではないでしょうか。
これは、連合赤軍のメンバーが一般人を人質に取って犯罪を起こしたというような事件ではありません。
実は、坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦ら連合赤軍のメンバー同士による殺し合いだったのです。
なぜ仲間だったはずの坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦ら連合赤軍メンバーは、殺し合いをすることになってしまったのでしょうか。

ことの発端は、「総括」と呼ばれる反省会にあったようです。
普通一般的に「反省会」といえば、これまで起こったことに対して「あぁすればよかった」「こうするべきだった」というようなことを話し合うものですよね。
しかし、このときの「反省会」はそうではありませんでした。
簡単に言うと「リンチ」です。
まず、言葉により攻め立てられ、その後殴られます。
これがだんだんとエスカレートしていったのです。
このとき、「山岳ベース事件」に参加していた連合赤軍メンバーは29人と言われています。

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死者を多数出した「山岳ベース事件」

この「山岳ベース事件」での死者はなんと12名。
「山岳ベース事件」に関わった連合赤軍メンバーのおよそ半分が死亡するという大変な事件となったのです。

死因の多くは「凍死」というものでした。
真冬の山奥の木に縛り付けられたことにより、凍死していたのです。

この「総括」に恐怖を覚えた数名は脱走。
連合赤軍はますます人数を減らしていくのです。

「山岳ベース事件」で被害者になった連合赤軍メンバー

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エスカレートする総括

団体行動で多く見受けられるのは、「参加しなかったら今度は自分の番だ」という恐怖心です。
その恐怖心から、自分がターゲットにならないために、そのときターゲットになっている人物に手をあげるのです。
そんな恐怖心の連鎖から、山岳ベース事件はどんどんとエスカレートしていきました。
脱走することのできたメンバーは幸いだったのかもしれませんね。

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12名の死亡者

最初の被害者は尾崎充男。大晦日のことでした
進藤隆三郎、小嶋和子、加藤能敬、遠山美枝子、行方正時、寺岡恒一、山崎順、山本順一、大槻節子、金子みちよ。
最後の犠牲者は山田孝。
この間、わずか一か月です。
たった一か月の間に、これほどの人数が犠牲となってしまいました。
中には妊娠していた人もいたようですし、一番年上のメンバーでも28歳という若さだったのです。

「山岳ベース事件」から「あさま山荘事件」までの経緯

なぜ浅間山荘へ向かったのか

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山岳ベースから浅間山荘へ

12人という多数の死者。
複数人の脱走。
リーダーたちの資金調達。
それらのことにより、山岳ベースにはわずかの人数だけが残りました。
このとき、連合赤軍には事件の現場となったベース基地とは別に複数のベース基地を持っていました。
そのうちの一つが警察により発見されたというニュースを知ります。
外に出ていたリーダーたちも、ベースにに残っていたメンバーもそれぞれ移動を始めるのです。
そして坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦の5人は最終的に浅間山荘にたどり着くのでした。
その後、事件が起こります。

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浅間山荘事件

坂口弘、坂東國男、加藤倫教、加藤元久、吉野雅邦が浅間山荘で引き起こした事件こそ、たびたび映画化される「あさま山荘事件」なのです。
浅間山荘で起こった事件だから、その名前が付いたのですね。
警察から殉職者も出してしまった事件ですが、鉄球などで山荘を破壊するという迫力のある場面などが映画化に向いていると思われたのかもしれませんね。
殉職した警察の遺族や、関係者は、映画化についてどのように感じているのでしょうか。
殉職の姿を英雄と扱われてしまうことに、複雑な心境を覚えないのでしょうか。

「あさま山荘事件」で連合赤軍の人質となったのは?

浅間山荘にいた管理人妻

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浅間山荘管理人妻

このとき、人質となってしまったのは浅間山荘の管理人夫婦の妻牟田泰子でした。
浅間山には、牟田泰子しかいなかったのでしょうか。
浅間山は当時雪深い冬。
登山客などはおらず、浅間山荘にも客はいなかったのかもしれません。
また、牟田泰子の夫が当時その場にいたのかどうか、詳しいことは知られていません。
牟田泰子はなんと200時間以上も人質として、浅間山荘に閉じ込められていたのです。
現在ではあまり考えられませんが人質となった牟田泰子の顔写真がその後、雑誌などで掲載されています。

浅間山荘管理人夫婦の隠された秘密

出典: http://mitkp.com

牟田泰子は実は・・・

牟田泰子は実は九州で横領などの罪を犯して、逃亡していた人物だったようです。
事件後に牟田泰子が「犯人たちは紳士的」だったという発言をしたことで、警察は大慌て。
牟田泰子に対して「殉職者も出ているのに!!」と怒鳴ったのだとか。
確かに、殉職した仲間がいることを考えれば憤りもわかります。
しかし、殉職者が出たことと牟田泰子は無関係なのですが・・・
ですが、殉職者も出ている以上、犯人を「紳士的」と言われては困るのです。
なので警察は牟田泰子に対して「過去のことを不問にするから黙っているように」と伝えたと言われています。
これがあるからでしょうか。
その後、牟田泰子は事件について一切語ることはありませんでした。
殉職された方への配慮もあったのかもしれませんね。

「あさま山荘事件」での連合赤軍死亡者は?

浅間山荘での犠牲者は?

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浅間山荘での死者

連合赤軍メンバーも浅間山荘で死亡しているのでしょうか。
実は、浅間山荘での連合赤軍死者は0です。
これは、決して死なせず生きて捕らえよとの厳命があったからとも言われています。

「あさま山荘事件」連合赤軍の逮捕者とその後

坂口弘

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坂口弘のその後

死刑が確定しています。

坂東國男

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坂東國男

事件後、国外逃亡しています。
そのため、現在でも坂東國男は指名手配されています。
父親は、浅間山荘での事件後に自殺をしているのです。

吉野雅邦

出典: https://ameblo.jp

吉野雅邦

千葉刑務所にて現在も服役中です。
無期懲役の判決が出ています。

加藤倫教

出典: http://citizen-journal.link

加藤倫教

現在は普通に生活を送り、浅間山荘に関する事件のときにテレビに出たりもしているようです。
当時は未成年だったのでしょう。
逮捕はされましたが、いち早く釈放されています。

加藤元久

出典: http://agency-inc.com

加藤元久

加藤倫教の弟です。
事件当時は16歳だったのだとか。
実は加藤兄弟にはさらにもう一人兄がいました。
その兄は山岳ベース事件の犠牲者となっています。

【まとめ】連合赤軍の起こした「あさま山荘事件」とは

いかがでしたか?
今回は浅間山荘事件のメンバーや人質のその後についてご紹介してきました。
人質の意外な過去。
まだ指名手配中のメンバーがいるということには驚きでしたね。
服役していないメンバーが捕まる日はくるのでしょうか。

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