【ジョンベネ殺害事件】真犯人は兄じゃなかった?事件の詳細と真相

1996年12月・クリスマスの晩に無残に殺害された美少女ジョンべネ。この事件によりラムジー家が窮地に立たされていた事はすでに周知されていた事でした。しかし、近年になり真犯人が現れるという展開に世間は騒然。事件の全貌を解説していきますのでどうぞご覧ください。

【ジョンベネ殺害事件】真犯人は兄じゃなかった?事件の詳細と真相のイメージ

目次

  1. 1ジョンベネ殺害事件の概要
  2. 2ジョンベネちゃんの生い立ちと家族
  3. 3ジョンベネ殺害事件の詳細
  4. 4ジョンベネ事件の証拠と手がかり
  5. 5ジョンベネ殺害事件が話題となったワケ
  6. 6ジョンベネ殺害事件で犯人と疑われた人物たち
  7. 7ジョンベネ殺害事件の不可解な点とは?
  8. 8ジョンベネ殺害事件の真相とは?
  9. 9ついにジョンベネ殺害事件の真犯人現る!
  10. 10世間に叩かれ続けたジョンとバークの今
  11. 11ジョンとバークを守ったのは「亡き家族」だった

ジョンベネ殺害事件の概要

事件は、1996年12月26日アメリカ合衆国のコロラド州ボールダーで発生しました。当時6歳だったジョンべネ・パトリシア・ラムジーが何者かに誘拐され同日、自宅地下室で遺体となって発見されたという奇怪な事件。

アメリカで起きたもっとも重大な未解決事件といわれたジョンべネ殺害事件は、20年以上捜査が行われてきたのにも関わらず、現在も犯人の特定がされてないというのが実情でした。

しかし時効制度のないアメリカなので、今後の展開次第では「未解決事件」でなくなる可能性もあり、20年以上経った今でも注目度の高い事件です。

ジョンベネちゃん殺害事件とは、1996年12月に米コロラド州で当時6歳だったジョンベネ・ラムジちゃんが殺害された事件だ。遺体は自宅の地下室で発見され、性的暴行を受けた形跡があった。

ジョンベネちゃんの生い立ちと家族

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カテゴリ 詳細
愛称 ジョンべネ
本名 ジョンべネ・パトリシア・ラムジー
年齢 事件当時6歳
出身地 アメリカ合衆国コロラド州ボールダー群
家族 父・母(2006年に他界・享年49歳)・兄
活動歴 美少女コンテスト

美少女コンテストの女王的存在だったジョンベネ

6歳という若さで何者かによって殺害されたジョンべネでした。実はこのジョンべネ、類まれな容姿を掲げて「美少女コンテスト」で何度もグランプリを獲得していたスーパー美少女だったのです。

その上、大富豪のラムジー家に生まれたという事で、世間のまなざしはよりヒートアップ。でも、その華々しい活躍の一方でジョンべネは幼子独特の純朴さを無理に封印していた印象があったようでした。

すでに完成された美しさはまるで「お人形」のようで、存命だったら29歳になっていたであろうジョンベネ。美しさにより磨きがかかり、さらに素敵な大人の女性になっていたことが想像できるだけに非常に悔やまれてなりません。

美少女コンテストでグランプリを何度も獲得

IT関連会社を経営していた父ジョン

JonBenet Ramsey documentary

全米有数の大富豪と言われ、莫大な富を得ていた父ジョンは当時、コンピューター関連会社を経営していて、その当時の年間売り上げは10億ドル(日本円で換算すると1100億位)という莫大なものでした。

そんな父ジョンは、自慢の娘ジョンべネを妻と共に強力にサポート。ジョンべネ自身も容姿端麗に加え、大富豪の娘という事で、ますます世間から注目を浴びていくことになっていったのです。

ジョンベネちゃんの父ジョンは、コンピューター関連会社の社長を務めていたが、その年間売上高は10億ドルという莫大なものだった。

美人コンテストの入賞経験があった母パッツィー

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ジョンべネの母パッツィーは、元ミス・ウエストバージニアでジョンべネの母親だけのことはあり、とても美しい女性だったそうでした。

しかし、ミス・アメリカを制覇するまでに至らなかった母パッツィーは、次第にジョンべネにその夢を託すようになっていったのでした。

自分が果たせなかったアメリカ制覇の夢をわが子に託した母パッツィー。ジョンベネを数々の美少女コンテストに参加させ「美少女」としての名声を確固たるものにしていったのです。

母親のパトリシア(通称:パッツィー)は元ミス・ウェストバージニアで、自身で叶えられなかったミス・アメリカになる夢を娘のジョンベネに託し、美少女コンテストにも積極的に参加させていた。

ジョンべネより3歳年上だった兄バーク

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ジョンベネには3つ年上のバークという兄がいました。美少女コンテストに熱を入れる両親は、おのずとジョンべネだけに集中していた可能性があった事から、兄バークは幼なながらにジョンべネに嫉妬していた事が考えられました。

ジョンべネの遺体の背中には、スタンガンのような傷痕が残っていたそうで、その傷痕は兄バークの持っていたおもちゃの一部分に似ていたとの事でした。

後に触れていきますが、この事件のキーワード「パイナップル」をめぐり兄妹喧嘩の末、兄バークがジョンべネを殺してしまったのでは?という信じがたい噂がまことしやかに囁かれる事態にまで発展していったのです。

遺体となって発見されたジョンベネちゃんの胃からはパイナップルが見つかっていることから、それを食べようと思っていた兄がカッとなりジョンベネちゃんを懐中電灯で殴り、死なせてしまった可能性があるというのだ。

ジョンベネ殺害事件の詳細

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26日の朝に忽然と消えたジョンべネ

1994年12月25日夜、両親の友人宅でクリスマスパーティーを開き、楽しいひと時を過ごしたラムジー家。パーティを終え、帰宅後、帰りの車中で寝てしまったジョンべネを父ジョンはそのままベッドでまで運んで寝かしたのでした。

母パッツィーは、起きていた兄バークのためにパイナップルと紅茶を食卓に用意した後、ジョンと共に眠りについたそうでした。

翌26日早朝5時52分にジョンべネがいない事に気がついた母パッツィーは911に通報。その後、駆けつけたボールダー警察の指示で先に友人と屋敷内を捜索する事になった両親。「なぜ警察より先に家族や知人が捜索する事になったのか?」理由は後に判明する事になります。

悲劇はクリスマスシーズンに起きた。1996年12月25日、クリスマスプレゼントに自転車をもらったジョンベネちゃんは両親と兄とともに、両親の友人宅で行われたパーティーに参加。その帰宅途中の車で眠ってしまい、父親がベッドまで運んだという。

翌朝、母親の叫び声で状況は一転。

自宅の階段に置かれていた犯人からの脅迫状

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そして母パッツィーは、階段に犯人とおぼしき者によって書かれた脅迫状を発見しました。脅迫状に使用されていたメモ用紙は、自宅のキッチンにあったものでメモ用紙の土台から破られ置かれていました。

犯人からの3枚にわたる長文の脅迫状の中には、ジョンべネを誘拐したという事が書かれており、日本円で1400万の身代金要求をするものでした。そして、警察に知らせたら99%娘の命はないと書かれていたのでした。

検証によればこの脅迫状、書くための所要時間は20分は必要だったそうで通常犯人は犯行後、現場から直ぐに立ち去ろうとするものですが、なぜ犯人は危険をおかしてまで現場で書く必要があったのか?と謎だらけだったのです。

自宅の階段で2枚半にわたった手書きの脅迫状を発見したのだ。「娘を預かった。誰にも知らせるな。11万8000ドルを用意しろ」。母親は警察に通報。

指定時間が過ぎても犯人からの連絡はなしだった

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しかし犯人は結局、指定の時間を過ぎてもラムジー家に連絡を取ってくる事はありませんでした。また不思議な事に、その身代金の要求額が大富豪のラムジー家に要求するにはあまりにも低すぎる金額だった上、父ジョンが得たボーナス額の1400万と同額だったのでさらに驚きです。

当然、この事を知っているのは家族だけ。そのことから、より家族内部での犯行が疑われるようになっていったのです。

身代金11万8000ドルという数字は、事件当時に父親・ジョンが受け取っていたボーナスと全くの同額であり、ラムジー家の内情に精通している者の犯行を強く示唆していた。

地下室で無残なジョンべネの遺体を発見した父

早朝5時52分に母パッツィーから通報を受けたボールダー警察は、父ジョンにより自宅地下室で発見されたジョンべネの遺体を確認する事になりました。

遺体は白い毛布にくるまれ、口には粘着テープ、首には絞殺時に使用した白い紐が巻かれ、皮下出血が多数確認できたジョンべネの遺体は死後硬直が進んでいたそうでした。

死因は絞殺や殴打によるもので、ジョンべネの頭部には硬いもので殴られた痕跡があり、頭蓋骨が大きくわれ、性的暴行を受けた痕が下腹部に残っていたとの事でした。

部屋数が15以上もある豪邸に警察や両親の友人も駆けつけて捜索が始まった。午後になっても見つからず、父親が地下室をのぞくと、ジョンベネちゃんが変わり果てた姿で発見された。

ジョンべネの手にはハートマークが描かれていた

NAVER まとめ

殺害されたジョンベネの手の掌に、赤いペンで謎のハートマークが描かれていたそうでした。そのマークについてはいまだに不明で、どうして犯人がわざわざジョンべネの手の掌にハートマークを描き残していたのか?このハートマークが何の意味を指していたのかは謎のままでした。

遺体は、口に粘着テープ、首にはひもで縛った痕、頭部には殴打痕など暴行を受けた形跡があり、手のひらにはハートマークが書かれていた。

ジョンベネ事件の証拠と手がかり

フジテレビ

ジョンべネ事件には不可解な謎が非常に多く存在していました。嫌疑はラムジー家に一点集中し、連日のように世間からバッシングを受けてきた家族。なぜ?そのようにバッシングが炎上していったのか、その謎に迫っていきますのでご覧ください。

パイナップルをめぐって兄弟喧嘩があった?

ジョンべネ事件のキーワードで1番ヒットする「パイナップル」。なぜパイナップルなのかというとパーティから帰宅後、寝ていたはずであろうジョンべネがパイナップルを食べた形跡が、死後の遺体解剖で分かったからでした。

そもそも、そのパイナップルは事件当時、母パッツィーが兄バークのために用意していたものでした。しかし、パイナップルの入っていた容器には、母パッツィーと兄バーク以外にジョンべネの指紋が検出されていたのです。

このことから、両親の就寝中に兄バークとジョンべネがパイナップルをめぐり激しい兄妹喧嘩があったのでは?と示唆されたのでした。

クリスマスパーティーから帰ってきたその夜、母親のパッツィーさんはまだ起きている息子のために、パイナップルと紅茶を用意してダイニングテーブルの上に置いていたという。

兄妹げんかの末、兄が偶発的にジョンベネちゃんを殺害した可能性を指摘。

指紋が全く付着していなかった凶器の懐中電灯

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そしてラムジー家から、犯人が犯行時に使用した凶器の「懐中電灯」が発見され、ジョンべネの頭部にあった傷と懐中電灯の型が一致した事がわかりました。

でも奇妙な事に、その懐中電灯から指紋が全く検出されなかった上、さらに中に入っていた電池まで指紋を拭きとられていた状態であった事が判明。

そもそもラムジー家で使用されていた懐中電灯なのに、どうして家族の指紋が残っていなかったのか?と疑惑はさらに深まっていく事になりました。

凶器の可能性が高いと考えられたのは、キッチンにあった懐中電灯だった。 懐中電灯と、頭部の傷は形が似ていた。 またおかしなことに、懐中電灯の表面には指紋が1つも付いていなかった。

なぜ犯人はわざわざ長文の脅迫状を書いたのか?

この脅迫状には不可解な点が多く含まれていて、犯行現場でなぜ犯人が危険をおかしてまで、長文の脅迫状を書いたのか?という事が一番の謎でした。

当時のFBIのプロファイラーの検証実験により、書くだけで20分以上かかった上、脅迫文のスペルをわざと間違った脅迫状であったことも判明。

検証を行ったプロファイラーは「普通では考えられない。犯人は用意した脅迫状を置いて、直ぐに出て行くものだ」と時間をかけて書くことなど到底ありえないと語っていたそうなのです。

自宅の階段で2枚半にわたった手書きの脅迫状を発見したのだ。

早くこの場を離れなければならない状況下にある犯人が書いたにしては長く、385ワードもある。ちなみに脅迫状の平均的ワード数は50~60ワードであるということだ。

使ったノートとペンを元の位置に戻していた犯人

Twitter

この脅迫文ですが、ラムジー家にあったメモ用紙とペンを使用して書かれていたそうで、使用後はきちんと所定の位置に戻されていた事から、ますますラムジー家が疑われていくようになったのです。

通常、不法侵入者が忍び込んだ家で脅迫文を書いたり、使ったものを丁寧に戻すということがまず考えられなかったからでした。

脅迫状はラムジー家にあったペンで書かれていた

犯人が書いた脅迫状の筆跡鑑定の結果は女性だった

Twitter

もともとラムジー家にあったノートとペンが使われていたことは先にも触れましたが、ジョンべネの遺体には性的暴行を加えられていた形跡があった事から、当然、犯人は女児に興味持つ男性と考えるのが自然だったのです。

しかし、犯人が書いた脅迫状の筆跡鑑定やプロファイリングの結果、脅迫状を書いたのは女性だったという事がわかったのでした。

母性が強く、高学歴な女性が書いたものであると分析された事から、母パッツィーが一番に疑われましたが、別の見解を示す捜査官もいて父ジョンの筆跡に似ているという指摘もあったようでした。

ジョンべネの絞殺に使用された紐は家にあったモノ

フジテレビ

ジョンべネの首に巻かれていた紐と口に貼られていたテープですが、これに関してもラムジー家に存在していた物でした。

実は、母パッツィーは絵画を趣味にしていたそうで、店で度々キャンバスを購入していたそうでした。包装したキャンバスは持ち帰りやすいよう、さらに紐で縛られていたそうでしたが、まさにジョンべネの首に巻かれていたのがその紐だったのです。

調査の結果、母パッツィーがキャンバスを購入した店舗の紐と一致する事に。ジョンべネ殺害に使用された証拠品が家の中から続々と出てきた事で、事件への関与がますます疑われたラムジー家。メディアや世間のバッシングはさらに激化していく事になったのです。

パッツィは絵を描くことに熱心で、キャンバスを購入するとき、2、3枚まとめて買っていた。 そして…地下フロアにはキャンバスとその包装紙があった。ということは、パッツィが買ったキャンバスを包装し、止めるためのテープと縛って持ちやすくするための紐があったのではないかと考えたのだ。

父ジョンが修理せず放置していた地下室の窓の謎

実はジョンベネ殺害事件が起こる4ヶ月前、父ジョンは家の鍵をなくしたため、地下室の窓ガラスを割って中に入った事があったそうでした。地下室は人目に付かない事からジョンは窓の修理をせずそのまま放置していたそうでした。

事件当時、地下室の窓の下にブーツの足跡があったそうですが、犯人が地下室の窓から侵入していたとしたら、割れた窓に張られていたくもの巣が破れていたはずでした。

でも、事件当時、そのクモの巣は破られず綺麗な状態だったため、やはり家族内部の犯行しか考えられないとみなされていったのでした。

蜘蛛の巣が残っているということは、犯人が地下室の窓から進入したという説を打ち消す。

ジョンベネ殺害事件が話題となったワケ

NAVER まとめ

ジョンベネが美少女コンテストの女王だったから

日本でも「世界仰天ニュース」「アンビリーバボー」「ミヤネ屋」といった冠番組で特番が組まれるほどセンセーショナルな事件だったことには間違いありませんでした。

当時、数々の「美少女コンテスト」を総ナメにし、将来の活躍が期待されていたジョンべネだっただけに、人々にとって事件発生は相当ショックな事だったのでした。

ジョンベネちゃんは美少女コンテストで何度もグランプリを獲得するほどの美少女で、父親がコンピューター関連会社を経営するセレブ一家だったこともあり、米国内はもちろん、日本でもセンセーショナルに報じられた。

ラムジー家が全米上位に君臨する大富豪だったから

Why the JonBenét Ramsey Murder Case Matters

殺害されたジョンべネの次に注目されたのが、ラムジー家が全米上位に入るほどの大富豪だったからでした。莫大な富を持つ父ジョン、そして美少女コンテストで何度も入賞を果たす娘を持ったラムジー夫妻を羨まない人などいなかったのでした。

もちろん、このようなラムジー家をメディアが放っておくはずがありませんでした。世界的に報じられ注目されたジョンべネ事件の風化はまだなされておらず、事件の真相が解明がなされるまで目が離せないと言っても過言ではないのでしょう。

父親がコンピューター関連会社を経営するセレブ一家だった

ジョンベネ殺害事件で犯人と疑われた人物たち

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犯人疑惑①性的虐待を疑われた父ジョン

このジョンべネ殺害事件では、遺体状況から「性犯罪」を示唆されていましたが、外部から侵入した形跡がなかったことから、当時9歳だった兄バークが疑われることに。

しかし、体力的に大人である者の犯行以外考えられないという結論に至り、捜査の目は次第に父ジョンに向くようになっていきました。

ジョンベネへの性的虐待疑惑が持ち上がるようになってからは、世間の父ジョンへの見方は360度変わってしまい、犯人と決めつけられた父ジョンは猛攻撃を受けることになっていったのでした。

一部のメディアは、父親が娘を性的に虐待していた、などと報道。

犯人疑惑②母パッツィーを苦しめた元家政婦の証言

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ラムジー家で働いていた家政婦が当時、おねしょ癖が直らないジョンベネに対し、母パッツィーが感情的に叱っていたと証言していたそうでした。

その証言に対し、母パッツィーは感情的などなっていないと反論。しかし、捜査官は「では、事故だったというのはどうですか?」と母パッツィーに投げかけたそうでした。実は警察内部では、殺人ではなく単なる事故死では?という見方をする捜査官がいたからです。

おねしょをしたジョンベネを綺麗にしようと、母パッツィーがバスルームで乱暴にジョンベネを扱ったため、転倒させバスタブで頭を打ち死に至らせたのではないか?という推測が背景にあったのでした。

一部のメディアは、ジョンベネちゃんがおねしょをするので母親が逆上して殺害したなどと報道。

犯人疑惑③兄バークの違和感を察知した両親の友人

JonBenet Ramsey documentary: Did Ramsey family murder beauty queen?

当時、ラムジー家と親しく交流をしていた女性が兄バークの事をこのように証言していました。

父ジョンのゴルフクラブで遊んでいた兄バークが、ジョンべネに暴力を振るう目的でした事ではなかったようでしたが、フルスイングのまねをした際、一緒に遊んでいたジョンべネの頭にゴルフクラブを当ててしまった事があったそうでした。

こんな危険なものを妹がそばにいると分かった上で、平気でゴルフクラブを振り回す兄バークに違和感を覚えたという女性だったのです。

ジョンベネ殺害事件の不可解な点とは?

JonBenet Ramsey documentary: Did Ramsey family murder beauty queen?

ジョンべネ殺害事件の謎

  • 脅迫状に使用されたメモとペンがラムジー家のものだったこと
  • 脅迫状の筆跡鑑定により、女性のものと判明した事
  • 要求された身代金が、家族しか知りえない父ジョンのボーナス額と一致していた事
  • 脅迫状には警察に知らせたら娘の命はないと記されていたのにもかかわらず、警察への通報後、直ぐに友人を呼びよせていた事
  • 父ジョンが地下室でジョンべネの遺体を発見後、警察が介入する前に数回ほど動かした事
  • 両親が事件捜査に協力的でなかったこと
  • 両親が警察から兄バークへの調書を依頼されても断固断固として拒んだ事
  • 911通報時に寝ていたはずの兄バークの声が残っていた事
  • 最終的に家族以外のDNA型が検出されていた事

ジョンべネの遺体を勝手に移動させていた父ジョン

実は、地下フロアで友人夫婦と共にジョンべネの遺体を発見する事になった父ジョンは、発見直後すぐに捜査官に声をかけず、ジョンべネの遺体を抱いてリビングまで移動していたそうで、警察が確認を行ったのはこの時だったようなのです。

一旦リビングの床に置いたかと思えば、また台の上に移動させるなどの行為を数回ほど繰り返していたという父ジョン。捜査官は「犯人特定に繋がる重要な証拠が付着している遺体をなぜ動かしたのか?」と父ジョンの行動に疑念を抱いたようでした。

でも、それ以上に不思議だったのは、なぜ捜査官が専門知識のない父ジョンや友人夫婦を事件現場に侵入させたのかという事にありました。

父親が地下室をのぞくと、ジョンベネちゃんが変わり果てた姿で発見された。

ジョンベネちゃんの遺体などに捜索した際の家族らの指紋が付着したことも捜査が難航している一因

娘が誘拐されたのに冷静な様子だった母パッツィー

NAVER まとめ

911通報後、直ぐに友人夫婦を呼び寄せていた母パッツィー。そして脅迫状に記されていた時間まで友人夫婦と共に犯人からの電話を待ったそうでした。

しかし、指定の時間になっても犯人からの連絡はなく、不安でいっぱいだったはずであろうパッツィーが実は、911通報時、非常に冷静だった事をオペレーターが明かしていたのでした。

脅迫状に使用されたメモやペンは、そもそもラムジー家にあった物、そして取り乱すことなく淡々と対応していたという事がより、母パッツィーへの嫌疑に拍車をかける事になってしまったのでした。

事件には一切関わることのない立場にあったこの電話オペレーターの女性は、電話をしている部屋にはおそらく3人の人物がいたことと、ひどく狼狽して当然の状況であるのに、まるで“リハーサル”をしたかのような応答が気になっていたということだ。

取り調べ中に不自然な言動をしていた兄バーク

事件直後、9歳だった兄バークへの調書を徹底的に断っていた両親でしたが、ジョンべネ殺害事件発生から、結局2週間後に兄バークは警察の取り調べを受ける事に。

調書の際、捜査官は現場検証時に撮影されたパイナップルの入った白い皿を兄バークに見せ「これはなんだ?」と聞いても答える事ができなかったのに、再度「何があったのか?(事件当時)」と尋ねたら「何があったか知ってるよ」と兄バークは答えたそうでした。

そして、何かを握る様な仕草で手を振り上げ殴るジェスチャーをしたというのです。事情聴取中は終始無邪気に振る舞い楽しそうにしていた兄バークに捜査官も戸惑いを隠せなかったようでした。

話したこともない変なオジサンと座って、個人的なことを色々と聞かれた。

兄バークの声が911通報の時に録音されていた

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事件当時、911通報を受けた女性が後にテレビの取材で、母パッツィーが受話器を切り損ねていたため電話機の向こうの声が録音されていた事を明らかにしたのです。

録音された会話

  • 受話器が切れる前に父ジョンと思われる男性が「we are not talking to you」(お母さんとお父さんはお前に話ししてるんじゃないよ)
  • 母パッツィと思われる女性が家の中の誰かに、動揺した声で「what did you do?help me jesus」(何をしたの?ああ・・神様)
  • 兄バークと思われる男の子が両親に何かを尋ねるように「what did you find?」(何をみつけたの?)と話していた

このように電話の向こうで親子のやり取りがあった事は紛れもない事実でしたが、なぜ両親は「バークは寝ていた」と嘘をつく必要があったのか?と疑念を抱かれる事になったのでした。

録音音源の解析でもオペレーターの証言でも部屋には3人いたことが指摘されることになったのだ。

容疑が晴れたはずなのに事件は振り出しに戻った

Colorado DA on Reopening DNA Portion of JonBenet Investigation | KTLO LLC

ジョンベネ殺害事件発生から7年後の2003年、ジョンベネの衣類から新たな血痕が見つかり、DNA鑑定の結果、家族のものでもない「第三者の男性のもの」と結論付けられラムジー夫妻の容疑は晴れたのでした。

ところが問題はここからでした。その後、犯罪科学捜査官の大権威がより精密な鑑定を行った結果ジョンベネの衣類から見つかった微量の血液は「女性のもの」と判明。その権威いわく、下着の製造や運搬や販売過程で付着した可能性を指摘。事件は振り出しに戻ったのです。

2006年にタイで誤認逮捕されたアメリカ人元教師

NAVER まとめ

しかし2006年にたった1度だけ新展開があり、霊視によるスケッチをもとに警察はアメリカ人元教師だったジョン・カー氏をタイで逮捕したのでした。

でも、カー氏のDNA型は犯人のものと思われたDNA型とは完全不一致。カー氏は誤認逮捕の後、釈放されることになりました。

結局のところ「ジョンべネ殺害事件」とは全く無関係だったカー氏で、これで事件は完全に振り出しに。犯人の足取りすら掴む事の出来ない状態に迷宮入りが避けられない状態だったのでした。

06年8月には元教師の男性がタイで身柄を拘束され米国に移送されたが、起訴されなかった。

母パッツィー死後に捜査当局から届いた1通の手紙

フジテレビ

2006年6月に癌で逝去した母パッツィー(享年49歳)の死から2年経過した2008年、父ジョン氏に捜査当局から1通の手紙が届いたのでした。その手紙には「DNA分析の新手法の採用により大きな証拠が発見されました」という文言があったそうでした。

その後、捜査当局が再調査を行った結果、ジョンベネの衣類に付着した血痕は自身のものであったことが判明。捜査当局は「犯人の体液は必ずどこかにある」と徹底的に調べ、ついにジョンベネのズボンから第三者のDNA型を検出したのでした。

家族以外の第三者のDNA型を特定した捜査当局は、父ジョンと兄バークに正式に謝罪し関与がなかったという事を認めたのです。

レーシー検事は、「ジョンベネの下着に付着していた唾液のDNAを鑑定した結果、家族の誰とも一致しなかった」と発表し、ラムジー家に対して、これまで疑惑の目で見てきて申し訳なかったと謝罪。

それでも「別件」で起訴しようとした地検

2013年10月に地元裁判所が1999年当時の大陪審の決定書を公表していて、殺害犯は不明のままという事を前提に「両親は、ジョンベネを何者かに誘拐されるような形で放置した」と関連つけて、起訴しようとしていた事が分かったのでした。

結局は、地区検事は証拠不足として起訴を断念したとの事でしたが、やはり家族への犯人疑惑は拭えなかったようで、捜査関係者も家族の犯行である事は間違いないと頑なに主張を変えない者がいるのも事実だったようでした。

殺害の実行犯は不明だが、ジョンベネが何者かに誘拐されるような形で放置した虐待罪で両親の起訴を促すものであったが、地区検事は「証拠不足」として起訴を断念した

ジョンベネ殺害事件の真相とは?

ボールダー警察のミスがラムジー家を追い詰めた

ラムジー夫妻や友人夫婦らが家中を探したり、父ジョンがジョンべネの遺体を動かし、遺体に付着していた体液をふき取ったり、溢れ出る両親の涙が遺体に付いたりした事が「事故現場の現状維持」ができなかった最大の理由でした。

当時の鑑定法は今のように進んでいなかったため、なおさらだったのですが、結果としてジョンベネ殺害事件は、単に警察の初動捜査が招いた迷宮事件に過ぎなかったのかもしれません。

娘を失い、平常心を保てなかったジョンのとった行動は、子を持つ親だったら至って当然のことで、配慮に欠け、ラムジー夫妻や兄バークをいわれのない罪で苦しめていたのは間違いなく警察側だったのでしょう。

この事件は警察が現場維持を怠る初歩的なミスを犯したため、ジョンベネの遺体に付着していたと考えられる多くの物的証拠が、両親の涙などで台なしとなってしまい、捜査をいたずらに難航させる結果になってしまった。

元ボールダー警察の署長が証言していた初動ミス

このジョンベネ殺害事件での最大の汚点だった「初動ミス」。捜査令状が来てから捜索する予定だったボールダー警察でしたが、先に家族や友人夫婦に捜索依頼をしてしまった事で、事件現場の現状維持に影響を出してしまったという大変お粗末なものだったのでした。

2015年に元ボールダー警察署長だったマーク・ベックナー氏が事件を振り返り「犯罪現場は適切に扱われず、後に調査に影響を与える事になった」と語っていたそうで、まさにこの証言が犯罪現場の証拠が誤った扱いをされていたという事の証明になったのでした。

「犯人か」と疑われた母は、事件解決を待つことなくガンで他界した。

警察の初動捜査のミスもあり、22年が経った現在も犯人は捕まっていない。

警察の初動捜査のミスもあり、事件には多くの「ナゾ」が残されたままだ。専門家だけでなく一般人までもさまざまな犯行説を唱えるなど、真相究明は混迷し続けている。

ついにジョンベネ殺害事件の真犯人現る!

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しかし、完全に迷宮入りするかと思われていジョンベネ殺害事件が近年になって急展開することになったのでした。事件発生から22年経過した2019年1月11日に驚きの衝撃ニュースが飛び込んできたのです。

それは、まさに迷宮入りが懸念されていたジョンべネ殺害事件の犯人からの衝撃告白だったのでした。2019年12月で23年目に入るこの事件、ジョンベネが存命なら29歳。輝かしいジョンベネの未来をも奪い去った犯人とはどのような人物だったのでしょうか?

1996年12月にコロラド州ボルダーで起きた6歳の少女ジョンベネ・ラムジーの殺害事件で、新たな展開があった。

ジョンべネ殺害を自供した犯人オリバとは?

Boulder police not interested JonBenet Ramsey confession

現在、コロラド州の刑務所に服役中のゲイリー・オリバ(54歳)。「ジョンベネ殺害事件」発生当時、ラムジー家から数百メートルの場所に住んでいたオリバだったそうです。

1995年に自身の母親の首を絞めて保護観察処分になったそうで、ジョンベネ殺害の前にも、多くの少女に卑劣な犯行を行うという悪行を重ね、2016年に児童ポルノ所持で逮捕・禁固10年の刑を言い渡されて服役中だったのでした。

児童ポルノ所持の罪で、現在コロラド州の刑務所に収監されているゲイリー・オリバ(54)が、友人への手紙の中でジョンベネを「誤って」殺害したと認めた。

2019年1月に同級生へ手紙を送っていたオリバ

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犯人オリバが獄中から元・高校教師で同級生だった音楽宣伝家のマイケル・べイル氏に自供内容を記した手紙を送っていた事が明らかになったのでした。

もともとオリバがジョンべネ殺害に関与した疑いがあると考えていたべイル氏は、長い月日をかけオリバが供述するよう自身で働きかけていたのでした。

オリバを告発するためには証拠が必要だったため、根気強く連絡を取り合いながら告白してくるチャンスをひたすら待っていたのでしょう。

犯人オリバの手紙の内容とは

「ジョンべネは私を完全に変え、私の中の悪を消し去った。ジョンべネの美しい顔、輝くような美しい肌、女神のような素晴らしい体を見て、他の子供たちを殺害した私が間違っていたことを悟った。しかし、アクシデントによってジョンべネは死んだ。それは私の責任だ」

このように、犯人オリバにとって当時のジョンべネは、それまで殺害してきた女児たちとは別格の存在であった事が窺える内容だったのです。

「私はジョンベネのように誰かを愛したことはなかった。しかしジョンベネを脱がし、頭を割って、死なせてしまった」

同級生だったべイル氏がオリバを疑っていたワケ

犯人オリバへ疑念を抱いたきっかけは、1996年12月26日の晩にオリバからべイル氏にかかってきた一本の電話でした。このやり取りの際「小さな女の子を傷つけた」とオリバが語ったため、情報収集しながらオリバと積極的に連絡を取り合ったそうでした。

また、オリバがべイル氏にそのように語った話以外に、唯一明かしてくれたという「他の事」があったそうでした。それは事件当時、自身が「コロラド州ボールダー地域」にいたという事だったそうです。

調査の結果、確かにオリバが言うようにジョンべネが殺害された時期、オリバが10ブロック離れた場所にいたという事が判明したのでした。

かつての同級生のマイケル・バイルに送られていた。バイルは長年にわたってジョンベネ殺害事件へのオリバの関与を疑っていた。バイルは、収監中のオリバがジョンベネ殺害を自供することを願い、連絡を取り続けていた。

オリバに共犯者がいた可能性を示唆していた捜査官

実はジョンべネ殺害事件には、複数人の男の関与があった可能性を示唆していた捜査官。それは、ラムジー家から見つかった脅迫状の筆跡が犯人オリバのものではなく、別の者によって書かれた脅迫状だったからでした。

このことから、オリバ単独での犯行は考えにくかったようで、当初は、脅迫状は母パッツィーが書いたものと言われたり、ジョンべネの遺体に付いていた傷跡も、兄バークのおもちゃによるものと言われていました。

しかし、後に警察はその傷跡は兄バークのおもちゃによるものではなく、スタンガンによる傷だったかもしれないと別の見解を示したのでした。その根拠は別件での逮捕時にオリバがスタンガンを所有していたからでした。

捜査当局は、ジョンベネが殺害された夜に男性容疑者(オリバもその1人)が、ジョンベネの自宅に侵入して殺害したと見ている。自宅で発見された11万8000ドルの身代金を要求する脅迫状の文字は、オリバの筆跡とは一致しなかった。しかし共犯者がいるのではないかという憶測は当時からあったと、デイリー・メールは報じている。

2020年10月に仮釈放予定のオリバへの懸念

べイル氏は、ジョンべネ殺害発生直後から何十年もの間、オリバと向き合い連絡を取り合ってきました。そして、その努力が報われオリバに供述させる事に成功したのでした。

べイル氏は「彼は彼女の殺害を認めたばかりです。彼が殺害を認めなければ、きっと彼は地獄に行く事になるでしょう」と語り、他にも共犯者がいることをオリバ自身が名乗り出てくれる事を強く願っているそうでした。

2020年保護観察にて釈放される可能性がある犯人オリバですが、べイル氏は非常に懸念していてオリバーの社会復帰に対し「彼が釈放されることは、すべての子どもと家族にとって恐怖に値する」と語ったそうです。

オリバは、携帯電話に児童ポルノを所持していたとして2016年に逮捕され、数百点の画像にはジョンベネの写真も含まれていた。2020年に仮釈放されることになっている。

世間に叩かれ続けたジョンとバークの今

CBSを名誉毀損で訴えていた兄バーク

ジョンベネの死去から20年目の2016年に、CBSによるジョンベネ殺害事件のドキュメンタリー番組に出演した兄バークは犯人について「犯人は小児性愛者のオリバ」と言及していました。

なのに、ドキュメンタリー番組「The Case of:JonBenet Ramsey」の制作側が「犯人はやはり兄バークさんではないか」という結論付けをしたため、激怒した兄バークはCBSに対し名誉毀損訴訟を起こしたのでした。

その放送から3年経った2019年にジョンべネ殺しを自供した犯人オリバが登場することで、兄バークがドキュメンタリー内で、犯人はオリバだと言及していた事への信ぴょう性が一気に高まる事になったのです。

このほど米CBSがジョンベネちゃん殺害事件に関するドキュメンタリー番組『The Case of: JonBenét Ramsey』を制作し、「犯人はやはり兄バークさん、29歳ではないか」という結論にたどりついた。

バークさんはその後、今回のドキュメンタリー放映によりまたしても犯人扱いを受けたことに激怒。

現在恋人と幸せな人生を謳歌している兄バーク

テレビのインタビューに笑顔で応じる兄バークを見た誰もが、その表情に違和感を覚えたと非難が殺到。このように、長きに渡りバッシングに晒されていた兄バークだったのですが、2019年の犯人オリバの供述によりラムジー家の潔白が証明されることになります。

でも、残念な事にそれでもジョンべネを殺害したのは家族だと疑ったままでいる人がいるのも事実でした。そんな中、現在兄バークに素敵なパートナーがいる事がわかったのでした。

兄バークは32歳になり、父同様コンピューター関連の仕事に従事。そして、自身をサポートしてくれる素晴らしい恋人と共に公私ともども充実した人生を送っているそうです。

現在その長男は、すでに25歳。恋人にも恵まれ、元気に暮らしているという。

父ジョンも幸せな結婚生活を営んでいる

ジョンベネ事件の渦中の中心人物だった父ジョンは、妻パッツィーを2006年に卵巣ガンという病気で失った後、2011年、67歳の時に再婚していたのでした。

当時、ジョンベネ殺害事件の犯人という屈辱的な扱いを家族と共に受け、壮絶な日々を送ってきた父ジョン。前妻パッツィーの死後、探偵を雇い独自で愛娘ジョンベネの犯人捜索を行ってきたそうでした。

そして、その想いが通じたのか、2019年1月獄中から犯行を自供した犯人オリバにより、ジョンベネ殺害事件の真実への扉が開いたのでした。犯人オリバと共に犯行を行った共犯者の身柄確保がそう遠い話ではなくなったのかもしれません。

ジョンさんには今、新たな妻を迎え人生の再スタートをきっている。昨年7月に結婚したお相手は、現在ラスベガスを拠点に活躍するデザイナーのジャン・ルソーさん(54)である。ルソーさんには二度の離婚歴があり大きな娘が2人いるというが、現在ジョンさんとジャンさん夫妻はミシガン州に家を持ち、ネバダ州と行ったり来たりの暮らしを続けているようだ。

ジョンとバークを守ったのは「亡き家族」だった

母パッツィーはジョンべネがティーンエイジャーになるまで、このようなコンテストに出すつもりがなかったそうでした。でも実は、1993年に癌が発覚してから考え方が変わったという経緯があったのでした。

この画像は病気が発覚以降、苦しんでいた母を労ろうと優しくキスをするジョンベネ(当時3歳)の姿になります。世間から壮絶なバッシングを受けていたラムジー家でしたが、この画像を一度でも目にしていた人ならば、この家族を疑うことはまずなかったのでしょう。

ジョンベネ殺害を自供した犯人オリバが現れた事や、ジョンとバークが幸せを取り戻した事は、今は亡きパッツィーとジョンベネが起こしたミラクルだったのかもしれません。

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