【旧石器捏造事件】藤村新一「神の手」が起こした事件の真相と現在

旧石器捏造事件をご存知ですか?日本の考古学史上類を見ない、日本史を変えてしまった一大捏造事件です。ここでは事件の詳細や、事件を起こしたゴッドハンド(「神の手」)こと藤村新一の近況などについて、最新の情報を交えながらご紹介して行きます。ぜひ、お付き合いください。

【旧石器捏造事件】藤村新一「神の手」が起こした事件の真相と現在のイメージ

目次

  1. 1旧石器捏造事件とは
  2. 2藤村新一は、高卒のサラリーマンだった
  3. 3「神の手」と呼ばれるようになった藤村新一
  4. 4「神の手」に対する疑惑が浮上
  5. 5旧石器捏造事件の真相とは
  6. 6広範に渡った事件の影響
  7. 7事件を受けて、藤村新一はどうなったか
  8. 8藤村新一の言い訳は、一体どんなものだった?
  9. 9藤村新一の現在は?
  10. 10様々な日本の捏造事件
  11. 11捏造事件は他人事ではない

旧石器捏造事件とは

NAVER まとめ


旧石器捏造事件は、考古学研究家の藤村新一によって日本の前期・中期旧石器時代の遺物・遺跡とされていたものが捏造されていた事件です。

捏造発覚後、それまでの日本の旧石器時代研究は大いに疑問視されることになり、中学・高校の歴史教科書内容や大学入試にも影響がおよんでしまう事態に。

これは日本考古学界最大の事件であり、海外でも報じられるようなビッグニュースになってしまったのでした。
 

藤村新一は、高卒のサラリーマンだった

NAVER まとめ


このとんでもない事件を起こした人物である藤村新一は、もとは高卒のサラリーマンでした。大学で考古学を学んだわけでも、考古学の研究所に勤めていたわけでもありません。

1950年5月4日、宮城県加美郡中新田町(現・加美町)に生まれ、仙台育英高校卒業後、東北電力子会社の東北計器工業へ就職しました。

藤村新一は、本当にごく普通の一社会人でした。
 

趣味は石器収集


藤村新一は子どものころに土器を拾ったことがあり、それがきっかけで古代への憧れを抱き始めることに。

また、就職後に工員となったことで考古資料に触れる機会ができ、その資料への興味から休日に石器収集を始めます。

そしてその趣味が高じ、1973年、「宮城県古川市馬場壇発見の文字瓦」という記事の中で自身の発見を「線刻文字瓦」として資料紹介するに至りました。

23歳の若さでアマチュアながら考古学会にデビューを果たした藤村新一は、ここから快進撃を始めたのでした。
 

「神の手」と呼ばれるようになった藤村新一


次々に成果を上げた藤村新一は、「神の手」「ゴッドハンド」ともてはやされるようになりました。

藤村新一が掘ったところから、必ずと言って良いほど貴重な石器や土器が見つかったのですから、評判になるのも当然のことだったのでしょう。
 

繰り返された石器に関する「大発見」


日本の旧石器時代史の論争に決着をつけるような遺跡を「発見」したことで、1992年には、東北旧石器文化研究所設立に参加します。この時、藤村新一はまだサラリーマンを続けていました。

この年の9月には、第一回相沢忠洋賞を受賞しています。後に返上していますが、在野の考古学研究者に対する賞の初代受賞者という栄誉に、当時の藤村新一は浴していたということでしょう。

1995年には、東北旧石器文化研究所も第4回相沢忠洋賞を受賞(後に返上)。

藤村新一本人は、「秩父原人」の遺構を「発見」したことで埼玉県知事から表彰もされました。この「発見」は、後に捏造が発覚したものの中で、最も有名な事案の一つになってしまいました。
 

いつしか、日本の旧石器時代研究の第一人者に


1999年、藤村新一は東北電力の子会社を退職し、自らが設立に加わった東北旧石器文化研究の職員になります。この研究所は翌2000年に特定非営利活動法人として認証され、藤村新一は副理事長に就任しました。

捏造事件が発覚するまでの間、藤村新一は旧石器時代の始まりの時期を十万年単位で引き上げるとされるような大発見や、重要な研究報告を次々と発表していくことになります。

その功績により、藤村新一は日本の前中期旧石器時代研究の第一人者となりました。
 

「神の手」に対する疑惑が浮上

Twitter


しかし、あまりにも「発見」の頻度が高すぎたのでしょう。藤村新一の石器発掘に対して、周囲から捏造疑惑が持ち上がります

掘れば「発見」の連続なのですから、捏造発覚後の今になって考えると、怪しまれて当然だったのでしょう。

結果的に、藤村新一のしていたことは「すぐバレる嘘」でした。
 

周囲は不信感を募らせていた


石器発見の効率が良すぎることや、発見時の状況に対して、不自然であるという見解は以前から存在していました。

また周囲には、藤村新一を始めとする東北旧石器文化研究所が挙げた業績そのものへの疑問も当初からあったと言います。

しかし、そうした声は学会内では少数派でした。そして、考古学会は藤村新一に関する疑惑・疑問のほぼ全てに、見て見ぬふりを決め込んでいました。

これが本当ならば、明らかな言論・異論弾圧ということになるでしょう。悪質と呼んでも差し支えないだけの体制が、当時の学界内には敷かれていたということなのでしょうか。
 

考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。例えば、1980年代初頭、東京都教育庁の小田静夫(とキーリ)らが科学的根拠が疑わしく、軽石の降下や水害が相次ぐ土地に連綿と移住した要因が不明であり、発掘された石器の殆どは水平に埋設している上に単品で出土している、と指摘していた[8]。1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。こうした正当な批判は、新聞社のスクープまで、学界として省みられることはなかった。

調査に乗り出した毎日新聞


ですが、そんな日々にも終わりが訪れます。

時期は2000年。「発掘現場で藤村新一が不審な動きをとっている」との情報を受け取った毎日新聞北海道支社が、社内チームを作って調査に乗り出しました。そして、石器発掘の現場に張り込み、藤村新一の行動を映像に収めることに成功します。
 

あばかれた石器捏造


調査の末、毎日新聞北海道支社は藤村新一への直接取材を試み、本人から石器捏造の確認を得ます。そして2000年11月5日の朝刊で、藤村新一の悪行が世に発表されました。

後に「旧石器捏造事件」と呼ばれる、日本の古代史観を揺るがす大事件発覚の瞬間でした。
 

旧石器捏造事件の真相とは

NAVER まとめ


日本の旧石器時代に関する論争を終わらせ、教科書に載るほどの大発見だったはずの藤村新一の功績の正体は、あまりにもお粗末なものでした。

ここでは、藤村新一の手口と、この捏造事件によってもたらされた影響についてお示ししていきます。
 

その驚くべき石器捏造の詳細とは


藤村新一の石器捏造の手口は、以下のような非常に単純なものでした。

地面を掘って、持ってきた縄文土器のかけらをそこへ埋めて、上から土をかけて地面をならす。

他人の目が届かない場所や時間帯を狙ってこれを行い、あとはしらばっくれて自分がならした地面を掘り返して「大発見だ」と騒ぎ立てるだけ。

たったこれだけのことを繰り返すだけで、藤村新一は旧石器時代研究の第一人者になってしまいました。藤村新一が捏造した遺跡は全国129か所にもおよび、石器や土器の「発見」といった個々の捏造件数自体は200を超えました。縄文土器を石器と偽って発掘した振りをしたのですから、当然そうなります。
 

石器捏造を許した原因とは


下の引用にあるように、当時の考古学会は、藤村新一に多大な期待を寄せていました。新発見が相次ぐことで、世間の注目を集めたかったのでしょうか。

後でご紹介する動画にもありますが、当時の考古学会は、藤村新一の業績に疑義を唱える学者を追放するようなことまでしています。

上で紹介したような異論弾圧の件も含めて、捏造事件発覚を遅らせてしまった原因の一端が、当時の考古学会にあったと考えて間違いないでしょう。
 

広範に渡った事件の影響


藤村新一の起こした一連の石器捏造事件は、広い範囲に渡って大きな影響をおよぼしました。その影響は国内のみならず海外にも波及し、死者まで出る事態に発展します。

もはや、「一人の男のいたずら」で済まされる範疇に事件は収まらなくなっていました。
 

動かぬ証拠を突きつけられ、あえなく考古学界から追放となった藤村でしたが、真に大変だったのはこの後。当初は「上高森遺跡と総進不動坂遺跡でしか、石器の捏造を行っていない」と供述していたものの、再点検が行われた結果、彼の発掘したほぼ全ての石が自作自演だと判明したのです。 
これによって、日本史から「前期・中期旧石器時代」が完全に消滅。歴史の教科書も再編纂を余儀なくされ、関係する研究者たちが頭を抱えたのは言うまでもありません。

歴史教科書の記述見直し


藤村新一の石器捏造により、検定済みだった日本史の教科書から、石器に関する記述が削除されてしまいました。

テストの時に嘘を覚えさせられ、間違えれば減点されていたのですから、当時の子どもたちが被った被害は半端なものではなかったことでしょう。

結果として、現在の教科書では捏造された事実は取り扱われなくなりました。が、それにしても、藤村新一のやったことはあまりにも罪深いと言わざるを得ません。

このことを知らないまま、現在まで過ごしてきている方がいないとは限らないからです。もし間違った知識で恥をかく人が出てきたとき、藤村新一はその責任を取れるのでしょうか。
 

現に、9社合計26冊出されていた日本史の教科書から、藤村氏の関わった遺跡の記述は消滅。彼が捏造に手を染める以前は、群馬県の岩宿で発見された約3万年前とされる石器が、日本最古であった。よって、日本の歴史は「70万年前」から「3万年前」へと大きく後退し、その余波は広く中高生や受験生にも及んでしまったのである。

出典: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190104-00553913... |

自治体の町おこし・村おこしが白紙に


貴重な遺跡があるということで観光客を呼び込んでいた自治体は、この捏造事件を受けて自治体おこしの計画を見直さなければなりませんでした。

自分たちのセールスポイントが捏造だったのですから、下手をすれば藤村新一と共謀していたのではないかと疑われてしまいます。

中でも、最も大きな被害をもたらしたと考えられているのが、「秩父原人」のでっち上げです。

当時北京原人よりも古い人類の痕跡とされた「秩父原人」の「発見」は、日本考古学会と藤村新一にとっての世紀の大功績でした。アジア最古の人類の痕跡とも言われた「秩父原人」の遺構は、日本という国に考古学的な権威を与えるものだったからです。
 

「秩父原人」を知っていますか?


後述の高森遺跡で60万年前の石器が藤村新一によって「発見」されて以降、日本では空前の「原人ブーム」が起きました。「原人ラーメン」や「原人まんじゅう」といったグッズが販売される中、新たに「発見」されたのが「秩父原人」でした。

藤村新一によって史上初めて原人による建造物の痕跡が「発見」されたことにより、秩父は大いに沸き、「秩父原人祭り」が催されるまでになりました。

以下のような2000年当時の記事を読むと、少し切なくなる方もいらっしゃるのではないでしょうか。地元の盛り上がり方が伝わってきて、改めて藤村新一のやったことの重大さが認識させられます。
 

発掘されたのは前期旧石器時代の小鹿坂遺跡。そこには建造物跡とみられる規則 的に並んだ柱の穴や石器が発掘されました。これがおよそ50万年前と推定されることから大きなニュースとなったのです。見学会も大勢の人でにぎわいました。(いまは遺跡は埋め戻されていますが) 
そして今年7月には近くにあるおよそ35万年前と見られる長尾根遺跡で、人の墓の跡かも知れない穴も見つかっています。 
そこで秩父市では原人にちなんだイベントやお菓子などが登場してちょっとした「原人ブーム」なのです。
 9月の16日には「ミューズパーク」という公園で「秩父原人祭り」が行われ、およそ1万人の参加者でにぎわいました。 
 この祭りには市役所の職員や青年会議所のメンバーが原人に扮して登場、「原人太鼓」が披露されました。猪や鹿を使った「原人鍋」がふるまわれたり、原人の体験をしようと火をおこすコーナーもあって子供達にも人気でした。 
祭は最後に原人を先頭にたいまつで照らされた道を歩く「原人パレード」でしめくくられました。11月にはドイツから考古学者を呼んで「旧石器フォーラム」も開かれます。

存在が抹消された遺跡たち


以下の引用にあるように、少なくとも四つの遺跡が、藤村新一の石器捏造の影響によって、その存在を無かったことにされました。

再発掘が進められ、次々と藤村新一の嘘が明らかになったからです。

捏造されたものなので当然のことなのですが、その存在を信じていた人々にとっては大事件以外の何物でもありませんでした。
 

日本が海外の笑いものに


日本列島の前・中期旧石器時代研究は、「そんな古い時代の文明が日本にあるわけがない」と海外から批判されていました。

しかし、藤村新一による「研究」と「発見」によって状況が一変、日本はアジアで最も古い遺跡を持つ国としてその界隈でのし上がります。

これが捏造だと分かった時、海外、特に近隣諸国はこぞって日本を笑いものにしました。

藤村新一の一連の石器捏造は、あまりにも罪深かったと言わざるを得ません。
 

中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々は、それぞれの国内マスコミで本事件を「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と大々的に報道した[4]。

とうとう死者まで出る事態に


そして、藤村新一の起こした石器捏造事件は、とうとう死者まで出す騒ぎに発展してしまいます。すでに当事者が不在なため真実はわかりませんが、一人の人間が亡くなっていることは確かです。

この時亡くなった方は、藤村新一の石器捏造事件によって傷つけられた自身の名誉を守るために抗議の自殺をしたとされています。
 

藤村の捏造発覚の翌年の2001年、週刊文春が大分県の聖嶽洞穴についても捏造の疑いありと3度に渡って誌面で展開し、この影響で発掘責任者であった賀川光夫が文春に対し、抗議の自殺をする事態が発生した。

事件を受けて、藤村新一はどうなったか

YouTube


石器捏造が発覚した後、地位も名誉も職場も失った藤村新一は、どこでどのように過ごしたのでしょうか。
 

藤村新一は告発された?


藤村新一に対する告発は、当時の現行法では立件が難しいとの判断から見送られました

しかし、当然これだけの大規模な捏造事件ですから、2003年には福岡の考古学者によって、藤村新一は偽計業務妨害の疑いで告発されました。が、なんと仙台地方検察庁によって、証拠不十分で不起訴となっています。

法律の上では、藤村新一はまんまと逃げおおせてしまったということです。法律がからんでのことですから仕方ないとはいえ、釈然としない方もおおいのではないでしょうか。
 

精神病を患った藤村新一


まるで完全犯罪のごとく法で罰せられることを免れた藤村新一でしたが、石器の神様が許さなかったのでしょうか。彼は2000年11月末まで宮城県内の修行専門道場に滞在した後、福島県内の精神病院にしばらく入院することになります。

精神を病み、障害者認定を受けた藤村新一は、2001年には妻と離婚します。家族は捏造事件発覚後、その事件が原因で激しいいやがらせを受けていたということです。

しかし、若い女性と再婚したりもしています。当時の藤村新一は53歳ですから、お相手はまだ30代。良くも悪くも有名人だったことが、功を奏したのでしょうか。真相は闇の中です。
 

自分の指を切り落としてしまった


時期は不明ですが、ゴッドハンド(「神の手」)と呼ばれた自身の右手の指を、藤村新一は自ら切り落としてしまいました。

それを促したとされる幻聴の原因が、精神を病んでいたことにあるのかどうかはわかりません。

藤村新一の良心がそうさせたのか、法で裁かれずとも自身の行いの報いを受けたということなのか、それもわかりません。

言えることは、藤村新一が多くのものを失ったということだけです。
 

藤村新一の言い訳は、一体どんなものだった?


藤村新一の言葉を信じるならば、目立ちたい・褒められたいという気持ちから捏造に手を染めたということでしょう。明らかに幼稚な言い訳ですが、加えて周囲に責任の一部を擦り付けるような言い方をしています。

藤村新一が自身の起こした捏造事件を心から反省しているのかどうか、これでは全くわかりません。
 

藤村新一は責任逃れをしようとしていた?


捏造事件発覚当初は、自身の悪行を矮小化しようとしていたと言われています。

毎日新聞がスクープを掲載する前に藤村新一に確認をとったところ、「魔が差した」と捏造自体は認めたものの、数えきれないほどの疑惑のうち、自分がやったと認めたのはたったの2つだったそうです。

一方で、こうした少々同情的な分析も一部ではなされています。
 

藤村の捏造に関する直接的な要因は、ただ仲間と楽しくやりたいという思いと過去の半生からの鬱屈した思いにあった。その強さが捏造という行為を呼び起こし、やがて社会からの注目を浴びる快感に酔いしれ、自己完結していった

藤村新一の現在は?

YouTube


罪に問われることなく、中途半端な言い訳だけを残して表舞台から姿を消した藤村新一。彼は今、どこで何をして過ごしているのでしょうか。
 

NPOに勤務


どんな機関かはわかりませんが、10年ほど前までは、福島のNPO法人で働いていたということです。

働き口はあったということでしょう。福島は再婚した二番目の妻の地元なので、そのつてを頼ってのことでしょうか。
 

藤村新一は石器捏造を覚えていない?


藤村新一は、精神疾患を理由に、自身の石器捏造事件に関する記憶を失っていると主張しています。思い出そうとすると具合が悪くなる、とも(以下に添付して動画参照)。

それが事実なのか、ただしらばっくれているだけなのか、本当のところは藤村新一のみが知ることでしょう。

藤村新一本人に取材を試みた方は、以下のような感想を述べています。
 

03年にあらためて藤村氏を取材すると『人格が入れ替わる』『自分の分身が多い時には20人いた』などと言う。ですが、こうした弁明からは、嘘をついているというより無理やり妄想を信じ込んでしまったような感じがしました。
出典: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190104-00553913... |

現在は福島在住


2012年の情報が最新ですが、藤村新一はこの時点で、福島県内で年金生活を送っていたとされています。

東日本大震災を受けて、一時的に避難生活をしていた時期もあったということです。

下の動画内で、顔と声に加工が施されている人物が藤村新一です。捏造事件真っただ中の現場で指揮を執る様子や、会見でうなだれているシーンが確認でき、動画後半では少しだけですが、最新のインタビューの音声も聞くことができます。

石器の捏造に関してのインタビュアーの質問に、徹底して答えようとしない姿勢が印象的です。
 

様々な日本の捏造事件


日本では、これまでに多くの捏造事件が起きています。その中で、藤村新一が起こした旧石器捏造事件と並ぶインパクトのあった事件を、いくつか手短に紹介します。
 

小保方晴子によるSTAP細胞に関する論文疑惑

NAVER まとめ


これが発表された当時、世間は世紀の大発見だと大きく取り上げ、当事者だった小保方晴子は本人の人格や身に付けていたブランド品に至るまで、さまざまなことで話題になりました。
 

理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダーらが発表した新型万能細胞「STAP細胞」の論文を巡る疑惑を検証していた理研の調査委員会が、論文に意図的な不正があると認める最終報告書を取りまとめたことが31日、分かった。1日午前に東京都内で記者会見を開き、公表する。
 調査委は3月14日の中間報告で、実験データ画像の切り張りや過去の論文からの流用、他人の論文の文章盗用など、計6カ所に問題があると指摘。うち2つは「意図的な不正ではない過誤」と判断したが、残りについて今回、「意図的であり不正と認められる部分がある」との見解を示した。
出典: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140401-00000501-san-... |

STAP細胞の小保方晴子の現在|可愛くなった?メディア出演 - オトナ向け情報ならShiritaGirl

森口尚史によるIPS細胞移植虚偽

NAVER まとめ


発見されて間もないIPS細胞を、実用化したばかりか心筋移植に用いて手術まで自分が行った、と森口は主張しました。

しかし実際には、森口は医師免許すら持っていませんでした。
 

米ハーバード大客員講師を名乗る森口尚史氏が「iPS細胞から心筋を作り、患者に移植する初の臨床応用をした」と米国の学会で発表しようとしたが、同大学が臨床応用を否定するなど、日米で疑義が相次いでいる。森口氏と東京医科歯科大のグループがiPS細胞を活用しC型肝炎の創薬に成功したとする2010年の読売新聞の記事についても、同大学は12日、記者会見で否定した。

佐村河内守のゴーストライター騒動

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インパクトという点では、これが一番大きかった方も多いのではないでしょうか。佐村河内守は目も耳も不自由だと言っておきながら、釈明会見では補助なしで記者と舌戦を繰り広げるなどして、世間の笑いものになってしまいました。
 

佐村河内氏は聴覚に障害を抱えながら「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作品を手がけたとし、「現代のベートーベン」と称され、コンサートや楽曲提供などで活躍。しかし音楽家の新垣隆氏が18年間にわたってゴーストライターを務めていたことや、佐村河内氏の耳が聞こえていることを週刊誌に暴露。


 

捏造事件は他人事ではない


旧石器捏造事件を起こした藤村新一は、ごく普通のサラリーマンでした。彼を愚行に走らせたのは、本人に言わせれば功名心であり、「魔が差した」という感覚です。

そういうちょっとした心の隙というのは、誰の胸の内にもふとした瞬間に生まれるものでしょう。そして一度それに身を任せてしまえば、藤村新一のように周囲を巻き込んだ大きな騒動を起こしてしまいかねません。

嘘をついて目立ったところでろくな目には遭わないのだということを、この記事を読んでくださった方が再認識してくだされば幸いです。
嘘をつくとろくな目に遭わないという事例は、下の記事をどうぞ。
 

クヒオ大佐の現在|結婚詐欺/日本人/アメリカ軍人 - オトナ向け情報ならShiritaGirl

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