2021年07月21日公開
2021年07月21日更新
【ダッカ(バングラディシュ)襲撃テロ事件】日本人犠牲者7名の死因と犯人
ダッカにあるレストランテロ襲撃事件は、記憶に新しいことと思います。外国人であるというだけで殺されてしまった犠牲者の中には日本人も!なぜダッカにあるレストランが、ISのテロ事件の標的になったのか?今回は日本人犠牲者の死因や犯人像に迫ってみました。
目次
- 1ダッカのバングラデシュテロを許してはいけない!
- 2ダッカのバングラデシュテロ事件が起きた背景
- 3ダッカのバングラデシュテロ事件:人質の死因は?
- 4ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:岡村誠さん
- 5ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:黒崎信博さん
- 6ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:小笠原公洋さん
- 7ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:橋本秀樹さん
- 8ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:田中宏さん
- 9ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:酒井夕子さん
- 10ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:下平瑠衣さん
- 11ダッカのテロ事件で被害にあった日本人の遺体は、司法解剖に
- 12ダッカのテロ事件での犠牲者の司法解剖の結果は?
- 13ダッカのレストラン襲撃事件に起きた驚愕の事実とは?
- 14ダッカの襲撃テロ事件は、イタリア人を狙っていた?!
- 15サイフラ・オザキとは、どんな人物だったの?
ダッカのバングラデシュテロを許してはいけない!
出典: http://www.huffingtonpost.jp
撃たないでが逆効果に?
ダッカのバングラデシュ襲撃テロ事件:概要
7月1日の夜(日本では深夜でしたが)に、バングラデシュで、ダッカにあるレストランのテロ襲撃事件が起きました。
人質が何人も殺された事件を、覚えていらっしゃいますか?
その中には、日本人も含まれています。
日本人7人以外にも犠牲になった方は数多い、ISによる、痛ましいテロ事件でした。
「ホーリー・アーティザン・ベーカリー」という名前のレストランがISに狙われ、武装した7人による襲撃が行われました。
犯人達は、人質を取り、警察官2名も射殺されました。
偉大なるアッラーのためと叫びながら、武装したテロリストはテロ襲撃をしたそうです。
犠牲になったのは28名という、ダッカのテロ襲撃事件で、亡くなった方達の中には、日本人7名も含まれていました。
死亡した日本人7人は、全員がある機構の関係者だったのですが、中には「私は日本人だ!撃たないでくれ!」と悲痛な叫びをあげた方も。
なぜ、ダッカのバングラデシュ襲撃テロは起きてしまったのか?
以下に、ダッカのテロ事件の詳細をご紹介します。
読売新聞。「日本人遺族に弔慰金」バングラテロ1年 内相が意向。バングラデシュのカーン内相は19日、ダッカで読売新聞のインタビューに応じ、昨年7月1日にダッカで起きたレストラン襲撃テロで犠牲となった日本人7人らの遺族に弔慰金を送る意向を明らかにした。
— かなかな(反日国に天罰を!) (@kanajjjjjj) June 21, 2017
ダッカのバングラデシュテロ事件が起きた背景
出典: https://mainichi.jp
テロ事件の背景は?
ダッカのテロ事件が起こった背景とは?
バングラデシュは、日本よりも人口が多く、比較的穏健なイスラム教の国でもあります。
人口は、1億7千万くらいですが、開発途上国とされており、GDPもさほど高くはありません。
そんなバングラデシュに、「ジャマート=ウル=ムジャーヒディーン」という武装組織が結成されたのは、何かしらの理由があったのではないかと思いますが、1998年に結成された組織は、最近また活動を再開したとのことです。
バングラデシュでは、組織の主導者二人を死刑に処しており、それもまた集団の反感を買ったのかも知れません。
事件は、こちらの武装組織だけに留まらず、他にも「ハルカト=ウル=ジハード・アル=イスラーミー」などの集団が事件を起こしています。
イスラム教だからこそなのかも知れませんが、他宗教を排斥する宗教国家というのは、稀に変なと言ったら語弊がありますが、狂信的な集団が生まれるのかも知れません。
問題の事件の的になったグルシャン地区は、裕福な人たちが集まっていることもあり、自分達の貧困さの理由をすり替えて、犯行に及んだのではないかなと思います。
ダッカのテロ事件の標的になったレストランは、確かに高額のお金を必要とするレストランではありました。
ダッカでも人気があったレストランだったのでしょう。
でも、なぜダッカのレストランが標的になったのかは、謎です。
ダッカのレストランには、イタリア人が多かったそうですから、もしかしたらそのせいかも知れませんが。
しかも死亡した実行犯の中には、日本人を殺害したことで、指名手配中の男性もいたとのことです。
ダッカの闇は、思ったよりもずっと深いのかも知れませんね。
僕の人生観を変えた出来事。
ジャーナリスト山本美香さんが亡くなったこと
バングラデシュダッカテロ事件
東日本大震災
オーストラリアでのアフガン難民との出会い
— つばめくん🐧/バックパッカー (@journey283) August 9, 2017
ダッカのバングラデシュテロ事件:人質の死因は?
出典: http://www.iza.ne.jp
爪跡が残る事件現場
ダッカのテロ事件:犠牲者の死因は何?
バングラデシュのダッカで起きた、レストランの襲撃事件では、人質が沢山殺され、その悲惨さは目を覆うばかりのものでした。
人質達の主な死因は、「頭蓋内損傷」「失血死」「脳挫滅」などでした。
頭蓋内損傷と言うのは、強い衝撃を頭に受けることで、頭蓋骨など頭に損傷を受けることで、人質に暴力が振るわれた証拠かと思います。
失血死というのは、説明するまでもないかも知れませんが、胸や頭などを銃で撃たれたことにより、出血多量が原因で亡くなってしまうことです。
脳挫滅という言葉には、聞き覚えがない方も多いかも知れませんが、簡単にご紹介すると。
脳に大きなダメージを受け、それが原因で脳の神経が壊れてしまうことです。
別名、頭蓋骨陥没骨折とも言われることがあります。
IS関連の事件は、今も起きていますが、人質達を無事に釈放すると言う方が、もしかすると稀なのかも知れませんね。
ダッカテロ事件の首謀者はインドに潜伏しているとの報道があります。
— 海外旅行お役立ち情報 (@kaigai_ryokouj) September 16, 2017
テロ実行前もインドに居て、7カ月前にバングラディッシュ入りしているようです。
テロリストは、色んな国からやってきますね。
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:岡村誠さん
出典: http://sinrigaku-manabi.sakura.ne.jp
結婚予定だったんですね。
ダッカのテロ事件:岡村誠さんは結婚予定だった
ダッカのテロ事件では、日本人7名が犠牲者になりましたが、その中の一人が岡村誠さんでした。
岡村誠さんは、建設コンサルタント会社「アルメックVPI」の社員で、2017年には結婚予定だったそうです。
バングラデシュで道路交通の技術指導をしていた岡村さんは、その後発展途上国で献身的に活動をされていたそうで、しかも事件の翌年には、結婚を控えていたんだとか。
ダッカのテロを起こした犯人に、遺族らは憎くてたまらないことでしょう。
なぜ、日本人が狙われたのかは明らかではありませんが、岡村誠さんの父親である駒吉さんの話では「人に憎まれることをしていたわけではないのに、こんなことになるとは。」と言葉を詰まらせます。
失血死されるまでの長い間、苦しまれたことでしょう。
関係者でもなかった岡村誠さんが殺害されたことは、本当に痛ましい事件でした。
先々週のNスペ、ダッカ・テロ事件1年を見てるけど、目撃者探し出して岡村誠さんの最後の状況が分かったのか、
— 梅@浮き輪汁 (@umetuchi) July 12, 2017
実行した組織JMB元幹部まで見つけて取材したりNHKの取材力がよく分からない
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:黒崎信博さん
出典: http://ianhumondai.blogspot.jp
なぜ殺されなければいけなかったのでしょう…
ダッカのテロ事件:黒崎信博さんは建築関係の仕事をしていました
「仕事に苦労はつきものだが、だからこそ楽しく笑顔で働く方がいい」と言って、仕事に意欲を燃やしていた黒崎さんも、その後、ダッカのテロ事件でお亡くなりになりました。
「建設コンサルタント会社:オリエンタルコンサルタンツグローバル」で働いていた黒崎信博さんは、技術の支援でバングラデシュのダッカに来ていた一人でした。
黒崎さんは、道路や線路を支える構造物の設計者として働いており、明るくポジティブな方で、何か問題が起きても笑顔でやり取りする感じの、どこをどう見ても善人だったと言います。
人当たりも良くまじめな人だったようで、同僚なども突然の死を悲しんだと言います。
無差別テロ(今回のダッカのテロもそうですが)というのは、人を選ばないのが一番厄介ですね。
まだ復讐で人を殺す方が、まともに見えるほどです。
ちなみに、死因は失血死とされています。
なぜ、この人が?そんな事件だったんですね。
ダッカテロ事件において、
— AYUMi (@sxicx3) July 5, 2016
酒井夕子さん(42)▽岡村誠さん(32)▽下平瑠衣さん(27)▽橋本秀樹さん(65)▽黒崎信博さん(48)▽田中宏さん(80)▽小笠原公洋さん(56)
以上7名の御冥福をお祈りいたします。
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:小笠原公洋さん
出典: http://blog2.tumuzikaze.net
温厚そうな人ですよね。
ダッカのテロ事件:小笠原公洋さんも建築関係の仕事を
バングラデシュのダッカでテロに襲撃され、犠牲者になった小笠原公洋さんもまた、建築会社の社員でした。
小笠原公洋さんが働いていたのは、建設コンサルタント会社「片平エンジニアリング・インターナショナル」で、発展途上国のため、毎日献身的に働いていたと言います。
当時、環境省のアシスタントとして国際会議に出たこともあったそうで、常に最前線で働いていたとのことです。
小笠原公洋さんを良く知る人からは、「運がないとしか言いようがない。働きぶりもまじめな人だった」と語ります。
死因は失血死のようですが、人質となった被害者の中には、拷問を受けた方もおり、失血死するまでの長い時間や、もし拷問があったとしたら、それに耐えきれず亡くなってしまった小笠原公洋さんたち。
ISにどんな思惑があったのかはわかりませんが、何も関係ない人を殺したテロを許すわけにはいきませんね。
ダッカのテロで亡くなった小笠原公洋氏は知り合いだった。同じ職場で働いたことがある。勉強好きで退職して大学に戻ったと記憶している。冥福を祈ります。
— Tanaka Shuji (@MC_sewer_rat) July 3, 2016
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:橋本秀樹さん
出典: http://rakusen.exblog.jp
一人だけ顔写真がないのも、悲しいですね。
ダッカのテロ事件:橋本秀樹さんはJR社員だった
バングラデシュのダッカで起きたテロ事件で、犠牲者になった橋本秀樹さんは、元JRの社員だったと言います。
橋本さんは、東北新幹線の建設工事などに携わっていて、3月に転職をし、その後、地下鉄の仕事につくために、バングラデシュに渡ったと言います。
橋本さんは、自分に厳しく、でも他人には優しく、何よりも家庭を大切にしていた方だと言います。
橋本さんは、遺族にとって大国柱とも言える存在で、誰からも好かれる、そんな人だったようです。
自分が培ってきた技術で、バングラデシュを何とかしたいと考えて、渡航したそうですから、そんな熱意をもった方を殺害したISは、本当に遺族にとっては、憎しみの対象だと思います。
日本人の人質の犠牲者の多くは、死因が失血死だったとのことなので、もしかしたら、痛みに耐えながら救援を待っていたのかも知れないと思うと、やりきれませんね。
ダッカのテロで犠牲となった方々
— しろくま (@hontounokotoga1) July 3, 2016
株式会社アルメックVPIの社員
酒井夕子さん
岡村誠さん
下平瑠衣さん
小笠原公洋さん
オリエンタルコンサルタンツグローバルの関係者
田中宏さん
黒崎信博さん
橋本秀樹さん
助かったのは、渡邊玉興(40代)さん一人
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:田中宏さん
出典: http://blog.livedoor.jp
7人の犠牲者の中でも最高齢の方ですね。
ダッカのテロ事件:田中宏さんは鉄道コンサル
バングラデシュで起きたダッカのレストランテロ襲撃事件の犠牲者でもある田中宏さんは、7人の兄弟の長男で、温厚な人柄から、家族の信望も厚かったと言います。
バングラデシュで働きたいと意欲を見せ、80歳という超高齢であるにも関わらず、その後、鉄道のコンサルタントとして、献身的に仕事にあたっていたと言います。
仕事仲間からも「仕事を誠実にする人だった」と尊敬されていて、今回バングラデシュに渡ったそうです。
田中さんは、旧国鉄の鉄道技術研究所の元技術者でもあったことで、その技術を何とかバングラデシュに伝えようとしたんでしょうね。
まさか80歳のお年寄りに拷問をしたとは考えたくはないですが、死因が失血死かも知れないと思うと、死ぬまでも苦しまれたと思います。
ダッカのテロ事件の犠牲者になった田中さんのご冥福をお祈りします。
ダッカでテロの犠牲となった田中宏さんの告別式で、イグナチオ教会が映された。日本で数少ない同じ信仰を持つ人が、コーランを唱えなかったというだけで命を奪われたことに思いをいたしている。殉教は、迫害時代でなくても起こる…
— Noriko (@uzuminneko) July 8, 2016
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:酒井夕子さん
出典: http://trendnouenokumo.seesaa.net
こんな明るそうな女性がなぜ…
ダッカのテロ事件:酒井夕子さんは青年海外協力隊の一員だった
バングラデシュのダッカのレストランが襲撃されたダッカのテロ事件では、一連のテロ事件で犠牲者となった日本人の一人に、酒井夕子さんもいらっしゃいました。
酒井夕子さんは、青年海外協力隊として活動もされており、その後も、海外の都市計画事業を進めるために、献身的に活動されていたと言います。
近所に住んでいる女性は「若いのに気の毒でならない。残された家族の事を思うと、胸がつぶれそう。」と語っています。
酒井夕子さんは、朗らかで、自慢の家族であったとも言います。
酒井夕子さんの死因も、失血死でしょうか?
拷問されていないことだけ、祈りたいです。
ISの行動理念は、実に理解しがたいです。
何も関係ない一般人を殺すことで、何を神に祈るというのでしょうか?
ダッカのテロ犠牲者になった酒井夕子さん他、日本人以外の犠牲者の冥福もお祈りしたいです。
今、テレ朝のニュースで、ダッカのテロ犠牲者7人の一人が酒井夕子さん(42才)、浜松西高、筑波大卒と…
無縁のことではない。日本人がテロの標的にされるようになったのは何故?
— しばちゃん (@y_earth8823) July 4, 2016
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人:下平瑠衣さん
出典: http://youtubekun.hatenablog.jp
美人の理系女性だったようですね。
ダッカのテロ事件:下平瑠衣さんは理系の美女だった
バングラデシュにあるダッカのレストランが襲撃されたテロ事件では、他にも日本人女性がターゲットになりました。
下平瑠衣さんを良く知る人は「非常に仕事熱心な人で、バングラデシュの思い入れも強い方でした」と言っています。
更に知人の話では、まさかあの人が?!という感じだったと言います。
というのも、バングラデシュの人は、親日派が多かったから。
下平さんの遺族も「突然の別れが、まだ信じられない。」と言葉を詰まらせます。
偶然事件に巻き込まれたとはいえ、他人に何かしたならともかく、何もしていない所か、バングラデシュのことを考えて、渡航してまで仕事をしていた女性が、こんな形で亡くなるのは、本当に切ないです。
渡航したその後、人質として捕まった時の恐怖などは、想像もつきません。
日本人は、皆が失血死だと言うことなので、きっと切りつけられたりもしたんでしょうね。
遺族でなくても、同じ日本人として、また海外の人だったとしても、本当に痛ましい事件でした。
ダッカのテロ事件で被害にあった日本人の遺体は、司法解剖に
出典: http://blog.goo.ne.jp
遺体は空輸で運ばれました
ダッカのテロ事件:犠牲者の遺体は司法解剖されることに
ダッカのレストラン襲撃のテロ事件で犠牲になった日本人の遺体は、司法解剖されることになりました。
日本に遺体が空輸され、羽田空港内で検視され、その後死因を特定するために、司法解剖されることになったんですね。
ダッカのテロ事件で犠牲になった日本人の遺体は、政府の専用機で運ばれたと言います。
テレビなどの報道を受け、痛いと直面した遺族らの悲しみは、途方もないくらいだったと思います。
行ってきます!と元気に出て行った娘や息子、夫や妻が帰って来なかった悲しみを、遺族以外が推し量ることは無理でしょう。
お金持ちの行くレストランだったようですが、それを責めるのも間違いです。
なぜなら、通常はお金のかかるレストランなどは、治安が良い所にあるので、日本人でなくても、まさかそのレストランで、襲撃テロが起こるなんて、考えた人は少ないでしょう。
志半ばで倒れられた犠牲者には、本当にご冥福をお祈りしたいです。
ダッカのテロで亡くなられた方々、帰国して更に司法解剖にまわされるんだよね。暴力で無残に殺害された体に更にメスを入れなきゃいけないなんて、遺族や近親者は本当に辛いだろうな…
— cyndi (@laka__xxx) July 5, 2016
ダッカのテロ事件での犠牲者の司法解剖の結果は?
出典: https://vipper-trendy.net
遺族にとって辛い司法解剖だったでしょうね。
ダッカのテロ事件での犠牲者の死因が判明
ダッカのレストランテロ襲撃事件で、犠牲者になった日本人他人質の方は、残酷な殺され方をしており、見る者が皆目をふさぎたくなる凄惨な現場だったと言います。
その凄惨な事件での死因もまた、悲惨な物だったと言います。
日本人の主な死因は、失血死がほとんどでしたが、頭蓋骨に損傷が出るほどの暴力を受けた跡が残っていたり、首に切り傷があったりなど。
特に、日本人は全員が、ナタで首を切られていたらしく、苦痛は想像を絶します。
本当に、二度とこんなことがあってはならないと思います。
詳しい死因は、前述しましたが、こんなダッカのようなテロ事件が再び起こらないためにも、国際社会で何とか出来ないものでしょうか?
話し合いは難しいかも知れないですが、もしかしたら、先進国の発展途上国に対する態度も、今回の事件の引き金になった気がしてたまりません。
人質となられた方の恐怖が、耳にこだまする気がします。
レストランが狙われるなんて、よっぽど治安も悪かったのだと思いますが、自国民を守るはずの軍隊が、武装した集団と化して、何も知らない善良な市民を狙うと言うのを、やはり許すわけにはいきませんね。
ダッカのテロ事件の爪跡は、今も現地に残っています。
・2016年7月2日バングラディシュのダッカで起きたテロを予告する形になった(7人の日本人死亡)。7人の日本人の死因は、「ナタによる斬首」との報道があった。
— ∮Menard Girl (@Libertywalks) July 8, 2016
ダッカのレストラン襲撃事件に起きた驚愕の事実とは?
出典: https://withnews.jp
神に祈れなんて…祈れるわけがない!
多数の日本人の被害を出したダッカのレストランテロ襲撃事件ですが、実はダッカのテロ集団は、日本人に対してとんでもない行動を起こしていたそうです。
日本人男性が英語で「日本人だ。撃たないで!」と叫ぶこと3回。
そう命乞いをしながら、ピザ窯の後ろに隠れたそうです。
その後、襲撃犯は英語で「外国人と異教徒を殺すために来た」と叫び、日本人などの外国人を残して、バングラデシュ人を全員外に出したそうです。
更にその後、銃声が聞こえてきたそうです。
「殺すのは外国人だけ」そう襲撃者は言ったそうです。
人質になっていた日本人を含め、外国人は銃で撃たれ、鉈のような物で、首をかき切られていたそうです。
レストランが凄惨な現場へと変貌した瞬間です。
外国人か確かめる方法として、コーランを暗証させ、出来ないものは皆外国人とみなして、生きたまま、首を切られて、外国人は殺されました。
治安部隊が突入する前に、ISはある女性の解放を促したと言います。
そう考えると、一人の女性を解放するためだけに、大勢の外国人が殺されたわけですね。
そんなに解放したいなら、その収監場所を襲撃すれば良いだけなのに、なぜ人の多いレストランを襲撃する必要があったのでしょう。
ダッカに限らず、テロの思想は、常人では計り切れないのかも知れませんね。
1970年代、1980年代に日本赤軍がクアラルンプールやダッカやハーグでハイジャック等のテロを起こした。日本人を知らない外国人からしたら日本人は怖いやつって印象与えただろうなぁ。テロ起こしたのは日本赤軍とかいう過激なやつなのに〜
— チレキ (@escape_show31) September 16, 2017
これは今のイスラム教徒にも言えることかも?
ダッカの襲撃テロ事件は、イタリア人を狙っていた?!
出典: https://mainichi.jp
イタリア人が標的だった?
実は、バングラデシュのダッカで起きたテロ事件は、イタリア人を狙ったものだったとの指摘があります。
なぜ他の外国人ではなく、イタリア人を狙ったんでしょう?
犠牲になったのは、イタリア人9名で、遺体の外傷は銃で打った物もあったそうですが、他にも時間をかけて惨殺が行われ、手足を切り取るなどの被害者もいたそうです。
イタリア人が狙われた一つの原因として、当時イタリアで、ISが支配していたリビアへの介入を始めようとしていたからだと言います。
そんな理由で、罪もないイタリア人が、殺されてしまったわけですね。
殺害されたイタリア人9名の中で、8名のイタリア人がバングラデシュの繊維工場で働いていたそうです。
また専門家は、こうも指摘します。
旧植民地のリビアで、イタリア人の特殊部隊を展開中だったこともあり、イタリア=イタリア人が狙われたのではないかと言うことです。
つまりは、イタリアに実行犯を出すのではなく、ダッカにいるイタリア人を狙ったわけですね。
ダッカでは、ある年の9月にも、イタリア人のNGOスタッフが殺されており、その後、逆恨みのような形で、一般市民であったイタリア人が狙われたようです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないですが、一般のイタリア人にとっては、とんでもない逆恨みです。
かと言って、ISの要求を聞いた所で、その後、イタリア人が釈放されたかというと、これは首をひねる所です。
悪いのは、イタリア人ではなく、一方的な思想で、イタリア人を含め外国人を排斥しようとしたISであることに間違いはありません。
外国人をひとくくりにして、無関係の日本人やイタリア人を殺害したISは、本当に許せません。
NHKがダッカのテロを特集した番組、日本人犠牲者よりもイタリア人犠牲者のほうが多かったことに絶対触れないのはすごいと思う。
— るまたん (@lematin) July 5, 2017
サイフラ・オザキとは、どんな人物だったの?
出典: http://www.entertainment-world-media.com
容疑者の一人ですね。
ダッカのレストラン襲撃事件で、サイフラ・オザキの名前が出てきたことに、びっくりした人も多いと思います。
え?あの人が?と思われた方もいるかもしれません。
サイフラ・オザキは、日本の博士号も持っていて、大学では教鞭をふるっていた人物でした。
サイフラ・オザキの名前が出てきた時、関係者の方はどう思われたでしょうね?
これは逆に言うと、テロリストが日本人として暮らしていたということに言いかえられます。
サイフラ・オザキは、どんな人物だったのか、簡単にご紹介すると。
容疑者の一人でもあるサイフラ・オザキは、日本に長く暮していたそうです。
サイフラ・オザキと名前を変えましたが、元はチャンドラ・サジト・デブナットという名前で、日本ではなく外国で暮らしていたそうです。
サイフラ・オザキは、ある手段を使って日本に留学し、大学院の博士課程まで終了していたんですね。
ただ、その後、無断欠勤が続いたことで、職を失い、更にはISに参加するために、妻子を連れて、今回の襲撃に参加したようです。
とはいっても、サイフラ・オザキが主犯格と言うことではないそうです。
噂では、資金調達などの連絡係をしていたのでは?と言われています。
どちらにしても、サイフラ・オザキの名前が出てきた時には、日本で習っていた生徒などは戸惑ったでしょうね。
自分が習ったことのある教師が、ISに入っていたなんて!とびっくりしたかもしれません。
サイフラ・オザキは、外国で、どんな暮らしを送っていたのでしょう?
サイフラ・オザキは外国人ではありますが、奥さんは日本人で、子供もいると言います。
今の境遇は、どうなっているのか、気になる所です。
『謎の“日本人テロリスト”を追え~ダッカ・テロ事件から1年』
— ゆきえ☺︎ (@ef210momotaro) August 2, 2017
親日だったサイフラ・オザキが日本人7人を含めた被害者を出すテロの容疑者に。
今や誰がテロリストになっても不思議ではない恐ろしく悲しい世の中。
被害者のおひとりの墓石に刻まれた「折鶴と星」が心に残る。#NHKスペシャル