【附属池田小事件】宅間守の生い立ち&事件詳細

附属池田小事件が起きてから、15年以上が経ちましたが、宅間守の凶行は未だに恐怖を残しています。附属池田小事件は絶対に忘れてはならない事件ですし、第二の宅間守が現れない為に、日本の環境も変わっていく必要があると思います。事件は、風化させてはいけないですね。

【附属池田小事件】宅間守の生い立ち&事件詳細のイメージ

目次

  1. 1忘れてはならない!附属池田小事件!
  2. 2附属池田小事件の概要
  3. 3附属池田小事件の犯人:宅間守の生い立ち
  4. 4附属池田小事件の犯人:宅間守の子供の頃の凶行
  5. 5宅間守は、学生時代、成績が悪かった?!
  6. 6附属池田小事件の犯人:宅間守の高校中退後の人生
  7. 7附属池田小事件の犯人:宅間守の成人後の凶行
  8. 8宅間守の結婚履歴
  9. 9附属池田小事件の犯人:宅間守の裁判概要
  10. 10附属池田小事件の犯人:宅間守の裁判結果
  11. 11附属池田小事件の犯人:宅間守は獄中結婚をしていた?!
  12. 12附属池田小事件の被害者の遺族の声
  13. 13精神障害の報道被害が拡大したきっかけは、宅間守にあったかも?!
  14. 14附属池田小事件の反響は?
  15. 15附属池田小事件で、学校側に対応不足の点があったの?

忘れてはならない!附属池田小事件!

出典: https://osaka-kyoiku.ac.jp

学校安全日として、忘れない努力も。

附属池田小事件の詳細は、16年前の2001年6月8日、宅間守の手で大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で起こった、小学生無差別殺傷事件のこと。

犯人の宅間守は、死刑となりましたが、今でも当時の子供達の心に爪跡を残す事件です。

無差別で殺人、しかも小学生を!と当時もニュースになりましたが、恐怖は未だにぬぐえていない子供もいるそうで、犯人の残忍さなども浮き彫りになっています。

では、事件を風化させないためにも、一体どんな事件だったのかなど、詳細を詳しくご紹介します。

附属池田小事件の概要

出典: http://s.webry.info

面影がまた悲しい…

附属池田小事件の概要と詳細は、こんな感じです。

2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に、刃物を持った男(宅間守・当時37歳)が乱入しました。
小学校に通っていた児童8人が死亡し、教師を含む15人が重軽傷を負ったという事件です。

無差別殺人で、しかも児童を狙ったとして、当時はニュースにもなりました。

どんな理由があったにしろ、抵抗の出来ない児童を狙って、しかも無差別殺人!
死んでいった子供には、何の罪もありません。

死刑になる直前まで、反省の色が見えなかった犯人の宅間守は、何に対して殺意を抱いていたのでしょう?

事件の当時を振り返ります。

附属池田小事件の犯人:宅間守の生い立ち

出典: http://sharetube.jp

犯人に反省してる風はないですね。

附属池田小事件の犯人:宅間守の子供の頃の凶行

宅間守は、1963年に伊丹市で生まれ、家族構成の詳細は、父と母、上には7歳違いの兄が一人いたと言います。

その後、小学校6年生の時に、大教大附属池田中学校の受験を希望しましたが、模擬試験の結果が悪かったことで、その夢を諦めたと言います。

家庭内暴力が始まったのは、宅間守が中学生の頃。
事件の発端は、ここにあるのかも知れません。

小さい頃から、いじめられっ子でもありいじめっ子でもあった宅間守は、新聞紙に包んで焼くなど、残忍な方法で、ネコなどの動物を殺すなどして、犯行のきっかけは幼少時、すでにあったのかも知れません。

中学三年生の頃には、自衛隊に入ることに意欲を見せていたそうですが、まだ自衛隊に入る前から、軍歌を歌って歩くなど、奇妙な行動を取ることも多かったそうです。

宅間守は、学生時代、成績が悪かった?!

出典: http://www.oyawaza.com

親が教えるのがベストらしいですが…

宅間守は、自分はIQが高いなどと周囲に漏らしていたそうですが、成績自体は中の下と言う所。

結局、地元の工業高校に通うことになりました。
高校時代は、野球部に所属していたようですが、態度が悪いなどといじめられたこともあり、高校は二年生の時に中退しています。
いじめの詳細は不明ですが、ここでもいじめがあったようです。

宅間守が不調をきたし始めたのが、ちょうどこの頃。
多分、事件前に、居場所がすでに無くなっていたのかも知れません。
伊丹市内の精神病院に入院しました。

これで思うのは、何故家族が、母親が精神症になった宅間を思ってあげなかったのか?ということです。
宅間宅には、そもそもが問題があったとしか思えません。

家族の信頼が得られないのが、精神症の方にとって、どれだけの辛さがあるのか?
そういうことを家族で話し合うことが出来ない家族だった…
母親だけではなく、事件自体は、家族全員の罪と言ってもおかしくはないかも知れません。

附属池田小事件の犯人:宅間守の高校中退後の人生

出典: http://www8.cao.go.jp

高校中退は意外に多い?

精神症を患っていた宅間守ですが、1981年11月に、念願の航空自衛隊に入隊することが出来ます。

ただ、パイロットを志望していたのですが、多分能力がなかったからだとは思いますが、整備などに回されたため、すぐに自衛隊も除隊します。

この頃から、六法全書などを買いあさるなどして、詳細は不明ですが、法律の勉強もしていたようです。

その後、1983年3月に父親のお金を使い、運送業を始めますが、こちらも失敗。
結局、不動産会社に就職をします。

母親に暴力をふるい始める事件を起こしますが、何故か母親との二人暮らしを始めます。

母親がもしこの時、息子の暴力を止められていれば、その後の事件はなかったかも知れません。
とは言え、息子に暴力をふるわれていた母親を責めるのは、酷かも知れませんが…

附属池田小事件の犯人:宅間守の成人後の凶行

出典: http://www.huffingtonpost.jp

凶行は昔から?

宅間守は、1984年11月に、勤めていた不動産会社で、管理していたマンションに集金目的で上がり込み、女性をレイプするなどの事件を起こし、精神症を装うことで、逮捕を免れようとしたこともあります。

幻聴が聞こえるなどと言い、医師からは「統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていました)」と診断されます。

ただ、当時の大阪地検に嘱託された医師によると、性格に異常は見られるものの、理非弁能力はあるとして、起訴されています。

そして、1986年7月31日の事件は、婦女暴行事件で裁判となり、大阪地裁は宅間守に、懲役3年の実刑判決を下したことで、宅間守は、奈良少年刑務所に入所となります。

その後、1989年8月には刑務所を出所していますが、3年の月日は、宅守りを変えてはくれなかったようです。
ここでも詳細は不明ですが、もしかしたら、刑務所内でもいじめを受けていたのかもしれません。
刑務所内での事件は、公表されないので、もしかしたらですが…

宅間守の結婚履歴

出典: https://mayonez.jp

幸せな結婚履歴だったら…

1990年6月には、自分の職業を医師と偽り、18歳年上の女性と結婚します。
その後、詳細は不明ですが、嘘がばれて離婚。
母親ほど年の離れた女性と結婚したかったのは、何故なのか?
疑問が残りますが、もしかしたら、母親に愛されていなかったからかも知れません。

結婚はそれで終わりではなく、更にその後、小学校時代の恩師でもあった19歳年上の女性と結婚しますが、こちらも1994年には、離婚しています。
こちらも詳細は不明です。

その後また、1995年11月27日に、同じ職場の女性と養子縁組することで、一時名字が変わりました。
ただ、ここでも結婚は上手くいかず、縁組自体が、1997年1月に解消され、宅間姓にまた戻ることになりました。

4度目の結婚は10月18日のことで、交際中だった女性と結婚します。
しかし、ここでも結婚は上手くいかず、また慰謝料を請求される羽目になります。
慰謝料の詳細は不明ですが、結婚は上手くいかなかったことが多かったようです。

これらの沢山のトラブルを抱えていたことは、もしかしたら宅間守の事件の動機になったのかも知れません。

でも、どんな悲しい過去を持っていたとしても、母親の愛情が足りなかったとしても、附属池田小事件を起こして良い理由にはなりません。

もしかすると、精神症が危ないというイメージは、守間宅の時代に起こったのかも知れないと思うと、本当に苦しんでいる人もいると思うと、こちらもやりきれませんね。

事件を起こしている人が、全員精神症みたいなイメージが、事件をきっかけに、少し広まったかも知れないと思います。

宅間守の壮絶すぎる生い立ちが原因?

出典: https://blogs.yahoo.co.jp

生い立ちが原因だとしたら?

宅間守は、ある意味壮絶な生い立ちを持っている人物でもあります。

でも、壮絶な生い立ちが、今回の事件の手掛かりになることもないですし、歪んだ性格が生い立ちにあるとは言い切れません。

どんな悲しい生い立ちを持っていても、普通に生活している方は沢山いらっしゃいます。
生い立ちを理由にするのは、ある意味卑怯だとも思います。

母親と上手くいかない、家族と上手くいかない。
そんな人は、ごまんといるんです。

生い立ちが壮絶だからと、テレビで報道するのは、被害者にとっても加害者の家族にとっても、嫌なことなんです。

そう言う点では、報道被害が最近問題になるのもわかる気がします。

事件の被害者の遺族にとって、犯人の生い立ちなんて、どうでも良いことなんです。
生い立ちが悪かったせいなんだから、同情しろ!とでも言う気でしょうか?

ただ、しっかりと罪を認められる人間を育てなかったのは、宅間守の家族の責任もあると思います。

附属池田小事件の犯人:宅間守の裁判概要

出典: http://s.webry.info

憔悴してるようにも見えますが…

宅間守の裁判での争点

出典: http://s.webry.info

精神症ではなかった?!

宅間守は、精神症が詐病だったとも言われていましたが、多量の薬を服用していた過去や、実際に精神科に入院していたこともあり、裁判では「責任能力があるかどうか」について関心が集まりました。

ですが、捜査と裁判の両方で、結局は「人格障害」と言われ、事件においての責任能力はあると判断されました。

ただ、こちらの裁判でも、宅間守の言動が注目され、幾多もの問題発言をしています。

そちらを一部引用しますと。

「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」 「たくさん殺せば確実に死刑になるし、道連れは多いほうがいいと考えた」 「全然関係がない子どもの命を奪ったことに対して本当に申し訳ないという気持ちがある」 「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません」 「裁判の判決の新聞記事でそういう言葉がよく出てくるから言っただけ」(「償う」という発言について)

言動が一致しないのも、精神症と思われたら逆に嫌ですね。

附属池田小事件の犯人:宅間守の裁判結果

出典: http://www.medialyrics.com

被害者の家族は、どんな気持ちだったんでしょう。

裁判では、検察側が、宅間守が矯正教育を受けた後でも、凶悪事件を引き起こしたことについて、こんな風に言っています。

「本件被害の惨状と多くの家族の悲痛な思いを見るとき、いわゆる死刑廃止論が、いかに被害者や遺族の立場、心情を無視した空疎なものであるかということを実感せざるを得ない」と死刑を求刑しました。

これは妥当な判断だと思います。
死刑以外に、もっと重い求刑方法がない以上、この検察の申し出に、少しは被害者の家族は救われたのでしょうか?

しかも、心神喪失や心神耗弱を主張した弁護団の最終弁論の後に、宅間守はこんな風に言ってるんですね。

内容を抜粋しますと、「死ぬことは怖くない」「今まで散々不愉快な思いをしてきた」「貧乏ばかりだったことに比べると、こっちの方がマシ」
そんな供述だったんですね。

これは事件の被害者の家族にしてみれば、本当に許せない発言だったと思います。
殺人を犯しておいて、犯人に反省の色が見えないことだけでも、被害者の家族は憤りを感じるでしょうに、この発言はないですね。

そんなに死にたかったら、自殺していれば幾分かマシだったはずです。
死刑を求刑されても怖くないなんて、粋がりを見せられたら、被害者の家族は泣くに泣けません。

家族の問題や母親に対する暴力など、問題があるご家庭は多いかも知れません。
でもだからと言って、未来ある子供達の命を奪って良いことにはならないんです。

事件の被害者の家族は、その後も心に傷を負い続けています。
そうなったのも、犯人の宅間守の発言が、一つの原因になってるのでは?と思います。

宅間守は純粋なサイコ野郎だとおもう
— ミルッチー (@mirukun123) August 9, 2017

附属池田小事件の犯人:宅間守は獄中結婚をしていた?!

出典: http://blog.goo.ne.jp

女性にも問題あり!

何と!宅間守は、2003年の12月に獄中結婚をしていたそうです。

支援者の1人で、弁護士を通して宅間に手紙を送っていた女性と、人生5度目の結婚をしています。
当然のごとく、相手の女性は家族から猛反対され、結婚がばれないようにと、自分の姓をそのまま名乗り、宅間守も女性の姓を名乗っていたそうです。

そして、2004年9月14日朝に、裁判での結果でもある死刑が実行されます。
宅間守は、執行の前、ジュースと煙草を飲んだだけで、非常に落ち着いた様子だったと言います。

泣き叫ぶことがなかった宅間守ですが、いっそ減刑を懇願してくれた方が、逆に被害者の家族は救われたかも知れませんね。

宅間守の最後の言葉は、妻に対する感謝だった。

出典: https://blog.qetic.jp

最後に見せた優しさだった?

宅間守は、異例のスピードで、裁判から一年くらいの速さで死刑が執行されました。

獄中結婚していた妻は、思わず「何で、そんなに早いんですか!」と泣いたと言います。

そしてその時に、1人の若い刑務官が、妻のところに走り寄って来て、宅間の遺言を伝えてくれたと言います。

その内容は…
「最後に、奥さんに宛てて、"ありがとうって、僕が言ってたって伝えて下さい”って言ってました。」というメッセージだったと言います。

これが、宅間守の最後に見せた優しさだったのかも知れないですね。

でも、事件を起こしたこと自体でなく、妻へのメッセージだけ残した所を見ると、事件には彼なりの動機がどこかにあったということでしょうね。
何の理由もなく、子供を殺すような事件を起こすのは、やはり考えにくいです。

もっと宅間守の家族や母親が、彼のことを見守っていてくれたら…
最後に結婚した妻のような優しさを、母親から受け取っていたなら…

被害者の家族に苦しみを残すような事件も起きていなかったでしょうね。

附属池田小事件の被害者の遺族の声

出典: http://s.webry.info

犠牲になったのは、子供ばかり…

附属池田小事件の被害者の遺族の声:1

被害者の家族は、未だに苦しんでおられます。

遺族の声は、もっとあると思いますが、事件のせいで、こんな境遇に悩んでいる方も。

附属池田小事件は、その後も遺族を苦しめているんですね。

池田小児童殺傷事件被害者の話。「最初の犠牲者が花菜だったのです」「花菜が亡くなってからは、惨めで醜い心を持った嫌味な人間に変わってしまったと、自分でも思っている」離婚再婚を経て、事件で前夫の子を失い、再婚相手とのすれ違いからの再生。娘さんの写真を持ってディズニーランドに行き、「私たちのテーブルにミッキーマウスとミニーマウスがやってきました。そして、他のテーブルで食事をしている子供たちと同じように、花菜の写真を抱きしめてくれました。花菜の写真に何度もキスをしてくれました」

最初の犠牲者が自分の子供だったら、やりきれないでしょうね。

附属池田小事件では、犯人に殺された被害者はもちろん、家族や遺族の心にも、その後、傷を残しました。

裁判で犯人が死刑になったとしても、その後は、もう被害者の子供達は返っては来ません。

だからこそ、家族や遺族にも、死ぬまでその事件の記憶はぬぐえないんだと思います。

犯人の生い立ちがどうとか、母親がどうとかいう以前に、抵抗できない子供を狙った犯人が、死刑になったとしても、遺族は救われることがないんですね。

実際に自分がその場所にいたら、犯人を絶対に許せないと思います。
家族の誰かが殺されたら?と考えるだけでも嫌なのに、裁判で死刑判決が出たのは当然というべきですね。

残された家族や遺族のその後の無念は、いかばかりかと思います。

FINAL DISTANCEから、附属池田小事件をWikipediaで調べた。
言葉が出なかった。全身の血の流れが止まったような衝撃。
胸が痛む、という表現が正しいのだろうか。怒りなのか、悲しみなのか、形容することのできない何かがはびこっている。
— 石川 つくね (@taku_and_gogo) August 19, 2017

附属池田小事件の被害者の遺族の声:2

附属池田小事件は、遺族の苦しみが詰まっています。

仕方がないと片付けるには、辛すぎる事件でした。

生きている限り、ずっと寄り添い続ける。
この苦しみを、犯人は分かったのでしょうか?

「事件当時、重傷を負いながら懸命に教室から廊下へと、最後まで諦めずに生きようとした優希のそばに誰もいてやれなかった。だからこそ、6月8日のあの時間は、あの場所で優希のそばに寄り添っていてやりたいんです」 「私が生きている限り、ずっと優希に寄り添い続ける」

年を取ることのない娘さんへの気持ちが重い…

突然の事件は、詳細が明らかになるまで時間を要しましたが、小学校を狙った犯人(宅間守)の当時の態度は、反省には程遠いもので、遺族は更に無念さを感じたことでしょう。

その後、裁判で死刑になったとしても、犯人(宅間守)のやったことに対しての罪としては、軽すぎると思ったりすることもあった事件でした。

自分が死刑になったのは、子供達のお陰。
そうのたまった犯人(宅間守)の言葉は、今も被害者の遺族の心に傷を付けているのかも知れません。

附属池田小事件の詳細は、決して忘れてはならない事件ですし、第二の宅間守が現れない為にも、風化させてはいけない事件なんですね。

精神障害の報道被害が拡大したきっかけは、宅間守にあったかも?!

出典: http://www.waseda.jp

報道被害も家族を苦しめる!

精神症には、多くの勘違いや偏見があると思います。

家族に精神症の人がいると、それだけで白い目で見られることもあるそうです。

母親の愛情不足だったり、特に母親に問題があることが多いそうですが、宅間守もまた、精神症になった時に、母親などの家族が苦しみを分かってあげれば、凶行に及ばなかったかも。
そうも考えてしまいます。

テレビの報道でも、精神鑑定などが取り上げられますが、精神症の人が全員危ない人というくくりは止めて欲しいですね。

犯人を憎く思っている遺族に対して、精神鑑定の情報を流せば、怒りをあおることにもなりますし、犯人の家族だって、精神症は隠しておきたいということもあるでしょう。

報道被害が、加害者に向かっている時はまだ良いです。
でも、中には心ない報道で、傷を深くする遺族だっているんです!

被害者の会が出来る理由は、もっともだと思います。

家族が殺された遺族に対して「犯人についてどう思いますか?」なんて聞くこと自体、ナンセンスです。
何か被害者の遺族に、恨みでもあるの?と思ってしまうことも。

母親の育て方が悪かった。と自分で思う分には、問題ないと思います。
でも、それってテレビで流して良い情報ですか?

報道被害が、被害者の家族や遺族を苦しめることがあるということを、マスコミも知っておくべきだと思います。

附属池田小事件の反響は?

出典: http://www.infochina.jp

もう15年以上経つんですね…

附属池田小事件が当時報道された時には、悪い意味で、大反響だったそうです。

まず無差別殺人であること。
被害者が小学校の児童であること。
などなど。

事件で死亡した2年生は、2006年に、同級生と共に卒業証書を授与されて、書類上は卒業と言うことになりました。
またこの時、小学校を管理してた文部科学省は、被害者遺族らに、総額4億円の慰謝料や賠償金を支払ったと言います。

小学校に問題があったわけではないと思うんですが、総額が4億が多いか少ないかは置いておくとして、これって文科省が払う必要あったのかな?と思わないでもないです。

宅間守の家族が払うのなら、わかりますが…
多分安全責任を問われた結果だとは思いますが、詳細は不明です。

附属池田小事件で、学校側に対応不足の点があったの?

出典: http://mainichi.jp

集団下校が当たり前になった気がしますね。

附属池田小事件での学校側の対策が不十分だったということも、報道されたみたいですね。

例えば、通知に関しては、教官に対して一度口頭で伝えたに留まるんだそうです。
事件当日も、不審者に対して、教官による十分な対応がされていなかったことが問題になったみたいです。

確かに素早く対処していれば、児童を救うことも出来たかも知れません。
でも、普通考えないですよね?
そんな異常者が学校に来ること自体、イレギュラーな行為ですから。
学校側に責任が無いとまでは言いませんが、学校側としても、責められても困るんじゃないかと思います。

今のように集団下校が当たり前になったのも、ある意味悲しいことですよね。

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