ルーシー・ブラックマンさん殺害事件の真相~織原城二(金聖鐘)の現在とは~

西暦2000年を迎えた日本で、イギリス人のルーシー・ブラックマンさんが織原城二によって殺害後、バラバラ死体で発見された事件。織原城二は、富豪の両親を持つ在日韓国人の男だった。 ルーシー・ブラックマン殺害事件は、治安の良さで知られる日本社会を震撼させた。

ルーシー・ブラックマンさん殺害事件の真相~織原城二(金聖鐘)の現在とは~のイメージ

目次

  1. 1ルーシー・ブラックマンさん殺害事件
  2. 2被害者のルーシー・ブラックマンは「若い白人女性」
  3. 3犯人・織原城二
  4. 4織原城二 逮捕までの経緯
  5. 5「ルーシー・ブラックマン殺害事件」だけではなかった
  6. 6ルーシー・ブラックマンの遺体発見
  7. 7ルーシー・ブラックマンの遺体が帰国、葬儀
  8. 8残された数々の状況証拠
  9. 9織原城二=金聖鐘=キム・スンジョンの生い立ち
  10. 10犯罪者・織原城二の萌芽
  11. 11在日韓国人
  12. 12逮捕後の織原城二
  13. 13織原城二は何の罪で服役しているのか
  14. 14織原城二が害したもの

ルーシー・ブラックマンさん殺害事件

思い出されたルーシー・ブラックマンの事件

出典: https://www.youtube.com

2007年3月にイギリス人女性のリンゼイ・アン・ホーカー(22)さんが日本国内で市橋達也(当時28歳)によって殺害された事件がテレビなどで報道された際に、2000年にワイドショーを連日騒がせたルーシー・ブラックマンさんの事件を思い出した視聴者は少なくなかった。
2009年11月に犯人が逮捕、連行される映像がニュースで流れた時、その2年後に市橋が事件について書いた手記が出版され、著者である彼と版元である幻冬社の倫理がこの事件の推移を見ていた人間の多くから問われた時には、同じ若いイギリス人女性が日本国内で殺人の犠牲になったという共通項で貫かれたこの二つの事件は、時の経過とともに人々の記憶の中でディティールが曖昧になり混同された。
「市橋に殺された、あの、何だっけ、イギリス人のブラックマンさん?」というような、加害者と被害者が二つの事件を横断して入れ違った会話が、当時よく聞かれた。
当然のことながら、被害者本人や遺族にとってみれば直接的な繋がりのない別個の、かけがえのない個人であり、失礼で無責任な混同だが、実際に私達は混同した。

しかしながら、二つの事件は、明るみに出て周知となった時期にも7年の開きがあり、リンゼイ事件に触れた時に人々は奇妙な、そして不安を伴った既視感を覚えたが、ルーシー・ブラックマン殺害事件に触れた際の日本国民は、世界的に治安の良さで知られた日本の首都で若い外国人女性が殺されバラバラ死体で発見され、容疑者として「日本人男性」が連行される場面を目にするという、初めて受ける衝撃に晒された。

被害者のルーシー・ブラックマンは「若い白人女性」

出典: http://seishinkougaku.com

出典: http://dogma.at.webry.info

鍵括弧に挟まれた「人間は平等」

前述したように、若い外国人女性(殺害当時 ルーシー・ブラックマン21歳、リンゼイ・アン・ホーカー22歳)が犠牲になったということが、時間の経過も相まってディティールを曖昧にさせ、別々のこれらの事件を知った少なくない日本人に大まかに混同させたのだとして、とりわけ彼女らがイギリス白人だったことが当時の報道の過熱ぶり、ワイドショーを食い入るように見入り、井戸端会議の肴として大量消費させたことの大きな一因だと問われたなら、リアルタイムでニュースに接していた日本人は男女問わず、気まずさを覚えながら認めざるを得ないという人が多く存在するのではないか。


普段、私達は自分たちが猟奇殺人者や独裁国家の指導者、あるいはネオナチの信奉者でない限り、常識やモラルとして「全ての人間、人種の生命の価値は等価であり、国籍のみならずそれは経歴や性別や年齢とも関係なく尊重されるべきである」ということを知っている。
知っているはずなのだが、これらの事件が発生した年代、特にルーシー・ブラックマン殺害事件が引き起こされた2000年頃には、敗戦、そしてその後の「東アジアの奇跡」と後世(世界銀行1993年発表のレポート内)から呼ばれた復興期を経て1985年のプラザ合意からのバブル経済の狂乱と崩壊後、その余韻がまだ少し残る中で1995年同年に起こった阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件を体験し、日本人全体の日本という国や国民社会に対するプライド(などという言い方が可能だとして)は、戦前戦後から現在までを通じて、どん底まで落ち込んでいたものが緩やかに、やがて驚くべき速さで回復し始めてはち切れる寸前にまで膨らんだり、破裂したかと思うと時折、錯覚だとしても局所的に復調の兆しを見せつつも全体としては着実にしぼんでいき、突然、無慈悲に、理不尽と感じられるやり方で、引き裂かれたりした。


2000年には、まだ海外リーグにただ移籍するというだけでなく、一線級のパフォーマンスとキャリアを示すサッカー選手は中田英寿しかいなかった(2010年代半ば以降の日本代表は、レギュラーメンバーの大半が欧州主要リーグ所属だ)し、メジャーリーグでイチローが日課のように打撃記録を塗り替えながらプレイする以前で、日本のコンテンツやスポットに関する外国人のコメントだけを集めて翻訳したサイトが濫立するという時期でもなく、すなわちそういったサイトやフォーラム内で外国人同士が例えばジブリ映画について熱っぽく、異様に詳しい持論を展開して応酬するといったシーンも一般化はしていなかったし、東京のような都会であっても2017年現在と比べれば街や職場で外国人と接し、個人的に友人関係や恋愛関係を結ぶ機会もずっと少なく、少なくとも常態化してはいなかった。
 

トニー・ブレアからの「要請」

・・・ルーシー・ブラックマンさんが勤めていた六本木の「外国人ホステスに酒を供させるバー」というような特殊な、文字通り、陽の当たらないスポットは存在したが、いつの時代にもそういう「日陰」の場所はあるし、とても一般的とはいえない、当然ながらノーマルでイーブンな知人関係でもない。
そのような時代背景にあって、当時「白人、それもイギリスという先進国の若いアングロサクソン女性がレイプされて殺害され、海辺の洞窟からバラバラ死体で発見された、という事実は、報道に触れた一部(多くの?)の日本人に、そしてイギリス人にもある種のどこか屈折した曰く言い難い感情を呼び起こしたかもしれない。
ルーシー・ブラックマンの母国であるイギリスでもショックを伴って大々的に報じられたこの事件は、まだ被害者の死体が見つかっていない、つまりルーシー・ブラックマンが殺害されたのかどうかわからない段階から、何度も来日して警察の捜査に協力し、また同時に捜査への熱意が全く感じられない日本の刑事達との間に軋轢を生じながら、関係の冷え切った妻、つまりルーシーの母親のジェーンと共に記者会見を開き、日本のマスメディアを利用して娘の捜索に役立ちそうな情報を小出しに公開していた父親のティム・ブラックマンの、当時イギリスの首相であったトニー・ブレアへの働きかけが成功したことによって、ブレアから当時の日本国総理大臣・森喜朗に捜査に力を注ぐようにという要請がなされることになった。


ルーシー・ブラックマン殺害事件について詳しい、つい最近2017年7月に上・下二巻組で文庫化もされたリチャード・ロイド・パリー(英ザ・タイムズ紙 東京支局長)「黒い迷宮」のたいへんに詳細で、事件当時の現場に漂っていた空気を伝える生々しさに満ちた記述にも、全体を通して、この本を読む日本人であれば感じずにはいられないはずの仄かなレイシズムの気配が通奏低音のように流れているのだが、これほどに綿密に当事者情報と各種データを詰め込んだ中でも、日本で犯罪に巻き込まれるイギリス人よりも、イギリスで犯罪被害に遭う日本人の方がずっと多いという現実に触れることは、ついになかった。
一国の首相が、他方の主権国家の総理大臣に、個別の殺人事件の捜査へもっと尽力するようにと要請するなど、よく考えてみればとんでもない話だ。
逆に、日本の首相がイギリスに行って同じことをやったらイギリス国民はどう感じるだろうか。
ルーシー・ブラックマン殺害事件とその周辺には、明らかに人種と文化の序列に関係する、日本人やイギリス人が目を背けたいが同時に見ないではいられない感情に触れてくる曰く言い難い要素がどこまでも張り付いて追従してくるようで、事件そのものの奇異性と特異性だけが、私達の興味を引き付けて止まない理由なのでは、きっとない。

出典: http://blog.goo.ne.jp

犯人・織原城二

織原城二

ルーシー・ブラックマン殺害事件は、事の起こりから一次情報、周辺人物から直接は関係のない遠い知人や事後に出版された印刷物に至るまで、何から何までが奇異な要素を内包しているが、その中でもとりわけ常軌を逸していて全ての経緯を追っていけばいく程に理解から遠ざかっていく不穏な因子、まさに事件の犯人である織原城二、またはキム・スンジョン、または金聖鐘こそが、生い立ちから犯罪内容まで含め、最も奇異で、事件の情報に触れる者を不安にさせると同時に気にかかってしようがなくさせる、禍々しい出来事の中心といえる。

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人糞を口に詰め込んだ死体

ルーシー・ブラックマン捜索の初期段階で、生前に彼女もホステスとして勤めていた六本木の「外国人バー」の客であったSM愛好家が、ルーシーの父親のティムが開設した失踪した娘に関する情報を募るルーシー・ホットラインにコンタクトをとってきて、証言を語った。  
SM愛好家が知っているという、横浜の資産家らしいその男は、長身でグラマラスな外国人だけを拉致し、専用の地下牢に連れ込んで拷問して殺害する様子を撮影したいという願望を日頃から知人達に話していたという。
ルーシーの事件を知って、横浜の資産家と面識のある共通の知人がSM愛好家のもとを訪ねてきた。


「ついにあの男がやったらしいぞ!」 
共通の知人は、横浜の資産家がルーシー・ブラックマンを誘拐したという確信を語り、後日、資産家が所有する地下室に向かうということを提案するが、連絡が絶える。
SM愛好家は一人で地下室へ赴いた。
そこで連絡の絶えていた共通の知人が死体で発見される。
その死体は、口に人糞を詰め込まれた異様な状態だった、くわえて、死体の傍にはルーシー捜索を呼びかけるポスターが貼られていた・・・
異様な死体は、警察によって自殺によるものと断定されるが、SM愛好家は「自分の人糞を食うヤツがあるか」というSM愛好的見地からの自殺を否定する自論を開陳したという。
「人糞を口に詰め込まれて快感を得る者はいる、だが、それは他人の糞であり、人糞、自分のひり出した糞を口に詰めて興奮する者はいない」とSM愛好家が人糞を口に入れる際の心理を説明した。


けっきょく、横浜の資産家がこの人糞を口に詰め込んだ死体に直接関与したのかは、その後漏れ伝わっていないし、少なくともルーシー・ブラックマン事件には関与していないようだ。
ルーシーの父親のティム・ブラックマンが開設した、娘の失踪に関する情報を募る「ルーシー・ホットライン」のメンバーの、軍隊経験がありボディガードの経歴を持つ外国人男性と、やはりメンバーである日本人ジャーナリストは、SM愛好家が人糞を口に詰め込んだ死体を発見した地下室の場所と資産家の住所を彼から教えられ、現場へ向かって忍び込んだが、そこには(同じ趣味のない者にとっては)気味の悪いSMの道具が散らばっているだけで、ルーシーの捜索に役立つようなものはもちろん、清掃された後で、死体や人糞の痕跡すらもなかったという。

織原城二 逮捕までの経緯

出典: http://blog.goo.ne.jp

「外国人バー」のホステスとして六本木で働いていたルーシー・ブラックマンが友人に連絡後に行方不明になった2000年7月1日から2日後の3日に、男の声でルーシーの親友であるルイーズ・フィリップス(彼女はルーシー・ブラックマンと同年生まれで、常にルーシーが憧れる対象だった、ルーシーに東京行きを薦めたのも彼女だ)に異様な内容の電話がかかってきて、強い不安に駆られたルイーズは警察に捜索願を出した。
8月22日、幼い頃からルーシーに瓜二つだと言われて育った妹のソフィー・ブラックマンが記者会見を開き、10,000ポンド(当時のレートで160万円)の懸賞金を掛け、有力な情報を呼びかけた。
9月下旬には、警視庁捜査一課及び麻布署がルーシーの勤めていた外国人バーに客として通っていた不動産管理会社社長(男性)を調査している事が報道された。


ルーシー・ブラックマンの他にも、彼女の周辺で二人の女性が行方不明になっていることが明らかになる中、ルーシー失踪直後に織原が「ルーシーは新興宗教に執心し、自らの意思で行方をくらました」という、追及を逃れるための嘘を吹き込むために被害者の親友ルイーズ・フィリップスにかけた電話の通話記録から電波を経由した基地局が判明し、織原が電話から発信した場所が特定され、居場所が突き止められた。



10月9日

準強制猥褻容疑で在日韓国人の織原城二容疑者が逮捕される。
住居である豪邸からは、白人女性をレイプする織原が映ったビデオテープ、プリペイド式の携帯電話、大量の薬物等が発見された。
取り調べに対しては、黙秘で対応。

事業の経営状況は悪く、行き詰っていたが、前述のルーシーが勤めていた外国人バーや他の同種のクラブ店での羽振りはよかった。
白人女性への執着とも他人には映る嗜好が見られ、主に各店舗のホステス女性から「薬物が混入したと思われるアルコールを飲まされ、意識を失った」「海辺のマンションに連れていかれ、供された酒を飲んだ後に失って、目覚めた時には裸でベッドにいた」「意識を失わされ、レイプされたが、覚醒後に怒って詰め寄り、謝罪金を支払わせた」等の複数の、極めて重要な証言が上がっていた。


14日、神奈川県三浦半島の複合施設、伊豆マリーナにあるブルーシー油壺というマンションや緒原所有のモーターボート、周辺の海岸等への捜索が行われた。
ルーシーが失跡してすぐの7月5日頃、織原城二はルーシーを殺害した際に連れ込んだブルーシー油壺の401号室を訪れて管理人とトラブルになったり、後にルーシー・ブラックマンのバラバラ死体が発見されることになる洞窟付近の海岸をスコップを手に持って歩いているのを、遊んでいた親子連れに目撃されている。
ワイドショーでは連日の報道が始まり、資産家による異常な犯罪、強姦・薬物・複数失踪というキーワードが、当時まだ殆どがブラウン管だった画面で散見されることとなる。
 

「ルーシー・ブラックマン殺害事件」だけではなかった

明らかになっていく織原城二の昏睡レイプの数々、ルーシー・ブラックマン以外の被害者女性達、そしてカリタ・リッジウェイさん殺害事件

2000年10月27日

「カナダ人女性への準婦女暴行罪」で織原城二容疑者が再逮捕される。
「合意だった」と容疑を否認していた織原だったが、ブルーシー壷壺の部屋から押収された織原や女性の写ったビデオテープが決め手となった。



「海へ行こう」というような誘い文句で女性を車に乗せて連れ出し、三浦半島へ向かって車を走らせ、伊豆マリーナにあるブルーシー油壺の一室で、アメリカでは「デートレイプドラッグ」などと呼ばれる日本国内では入手が困難なものも含んだ、強い催眠作用を持つ薬物の入った酒類を飲ませ、意識を失わせてから女性を強姦した疑い。
織原は2年前に、女性トイレの盗撮で逮捕されている。


2000年11月17日

織原城二被告が再々逮捕される。
東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴。
警視庁はDNA鑑定のためにルーシー・ブラックマンの家族に毛髪の提供を要請した。


2000年12月14日

六本木連続準強姦事件の初公判が行われる。
織原被告は起訴事実を否認。
60席の一般傍聴席に対し892人が、話題の事件の初公判を傍聴するために並んだ。
年末年始にかけ、外国人女性3人、日本人女性2人に対する暴行により5度、逮捕される事となった。


2001年1月26日

オーストラリア女性のカリタ・リッジウェイさんへの強姦致死の疑いで6度目の逮捕。
酒中に混入された大量の薬物摂取による肝不全と死因を断定する。
これまでの捜索で捜査本部は、睡眠薬や睡眠導入剤や「デート・レイプドラッグ」、クロロホルム等をブルーシー油壺やその他、緒原の関係先から押収している。
睡眠薬の中には、正規のルートでは入手できない製剤前の主成分原料約5㎏も含まれていた。


事件発生から7ヶ月、逮捕から4ヶ月たってもルーシー・ブラックマン殺害の決定的な証拠品、つまり遺体が見つからず真相追及に蓋が閉じられたままの状況の中、マスメディアの論調からは、警察の無能さを指摘する声が聞かれることが多くなっていた。

 

ルーシー・ブラックマンの遺体発見

出典: http://webnhrpelibrary.blogspot.jp

出典: http://naomitu4.seesaa.net

2001年2月9日



ブルーシー油壺からほど近い距離にある洞穴の入り口約3メートルの地点、土中に埋められた浴槽の中から、大柄な外国人女性のバラバラに切断された遺体を発見される。
翌日、遺体がルーシーのものであると断定。
両親のジェーンとティムは「とても悲しく、衝撃的なこと」とコメント。
「あとは殺人者を司法の場で裁くことだ」と英国外相もコメントを出した。
この事件のイギリスでの影響力が窺い知れる。


所有者の特定が難しいプリペイド式の携帯電話を使用していた事、ルイーズ・フィリップスにかけられた不審な電話の発信元を特定した事、デートレイプドラッグを含む催眠作用のある薬物など証拠物の押収、切断に使われた凶器(チェーンソー)の断定、「犬の遺体を冷凍保存したい」と大量のドライアイスを購入していた件など、次々と明るみに出る事実に報道はヒートアップしていく。
smh.comにて織原被告が在日韓国人である(He is a Korean-born, American-educated Japanese citizen)として報道される。
また、父親ティム・ブラックマンがインタビューにて「he made a point of saying that Obara was Korean.」と発言する。
犯人がほぼ断定された頃から、犯罪行為の真相よりも優先するものがあるという判断がなされのか、報道の熱狂状態は鎮火し始めた。

ルーシー・ブラックマンの遺体が帰国、葬儀

20001年3月3日

ルーシー・ブラックマンの遺体が英国に帰国。


20001年4月

報道の熱が沈静化する中、遺体を遺棄する目的で購入したとされるボートやセメント、遺体を埋める作業で長い時間、屋外にいたためか毒虫に刺された箇所の治療をしていたという事実も明らかになるが、織原本人は否認を続け司法の場へ決着は持ち越された。


2004年12月10日

父親ティム・ブラックマンが、織原城二(金聖鐘)被告の裁判傍聴の為に訪日する。
日本では報道されなかったが、イギリス、、アメリカでは大々的にニュースとなった。


2005年3月23日(イギリス現地時間)

ルーシー・ブラックマンの葬儀が執り行われ、遺体が埋葬された。
「(裁判の決着を待ちたかったが)余りにも長い年月が経過したので、ケジメをつける為に行った」との事。

残された数々の状況証拠

・現場であるブルーシー油壺の部屋から発見された被害者の髪の毛などの遺留品

・被害者の死亡推定時刻の直後に、遺体の損壊と遺棄に使用したと推測できるチェーンソー、セメント等の購入記録

・被害者が死亡したとされる時期の直後に、被疑者所有のパソコンに残っていた死体の処理方法の検索履歴

・遺体の損壊が激しかったため、睡眠薬の代謝物が検出されたものの死因が特定できず、薬物の痕跡や被疑者のDNAが検出されなかった

9件の被疑者が起こした事件に、ルーシー・ブラックマン事件と犯罪性向の類似が認められた

・ルーシー・ブラックマン殺害以外の9事件では存在した、薬物の使用による意識を失った女性への暴行を撮影したビデオテープがルーシー・ブラックマン事件では発見されなかった

・ルーシー・ブラックマンが死亡したとされる時期の後に、生存を偽装する目的と思われる内容の電話をルイーズ・フィリップスにかけたのは被疑者である可能性が高い


直接証拠の少ないこの事件は、2006年9月に被疑者の無罪を訴える内容のホームページが「真実究明班」名義で開設され、同サイト内の主張は後に自費出版の書籍としてまとめられ刊行された。
「真実究明班」は、被疑者の行為は被害者と金銭において合意の上で行われたものであるとしているが、ホームページや自費出版の書籍の中には、どういうわけか、織原城二本人か弁護士など裁判の関係者でしか入手し得ないはずの一次資料がふんだんに使用されている。
前述の、冷凍保存された織原の愛犬の写真なども掲載。

織原城二=金聖鐘=キム・スンジョンの生い立ち

まだ織原城二ではなかった金聖鐘、キム・スンジョンの生い立ち

織原城二こと金聖鐘は、釜山で生まれ、自主的に日本に移住してきた金教鶴、全玉濤を両親に持つ四人兄弟の次男として1952年に生を受けた。
父親の金教鶴は戦後の混乱期にタクシー会社を起こし成功した後、パチンコや不動産へと事業を拡大し、巨万の富を築く(後に衰退)。
金聖鐘 キム・スンジョンは裕福な環境で育ち、慶應義塾大学の付属高校に入学するが内部推薦を断って駒沢大学に進学し在籍を経た後にアメリカ合衆国やスウェーデンに遊学、その際にミュージシャンのカルロス・サンタナと知己を得たと吹聴していた。

 

極めて裕福だった少年時代に見過ごされた兆候?

マスメディアやジャーナリストによって幾度となく、同級生など当時の金聖鐘 キム・スンジョンを知る者への取材が行われたが、少年時代から大学生活を通して、金聖鐘 キム・スンジョンには友人と呼べる者がただの一人もいなかった、少なくとも自分は知らないし聞いたこともない、と全員が異口同音に語った。
また、子供たちが集まって野球をしようとなった時に、自ら進み出てピッチャーを買って出るがろくに投げ方もよく知らず、しかし少しでも責められるような発言には異常なほど感情的になって怒りを露わにしたというから、織原城二という犯罪用途に設えたと推測できる名前も、星山聖二という通名も持っていなかった少年時代の金聖鐘、キム・スンジョンの肥大した自己像と現実のギャップ、そこから生まれる齟齬と他者との軋轢を解消することの出来ない未熟さ、凶暴性に転嫁しかねない我儘さを感じとれるエピソードにも思えるが、それは金聖鐘 キム・スンジョンの後の凶行を知っている時点から遡行して俯瞰した印象であるかもしれず、子ども時代に同じような「モンスター」ぶりを示していたという、殺人犯にも強姦犯にもなっていない大人は存在するだろう、もしかしたら世界平和に貢献するような人格者に育った例だってあるかもしれない。


けっきょくのところ、子ども時代にどう振る舞っていたか、ということは、それこそ、その年齢の時に凶悪犯罪を犯してでもいない限り、ただそうだった、という事実の記録に過ぎないところはある。
その後の犯罪生活に備えていたわけでもあるまいが、また、そうではないと言い切れもしないが、学生時代から成人後、現在に至るまでを通じて、金聖鐘=キム・スンジョン=織原城二の顔が確認できる写真は殆ど残されていない。
連行される際も、法廷においても、織原は顔を伏せているという(そのため、裁判の似顔絵もはっきりと顔がわかる角度のものがない)。

犯罪者・織原城二の萌芽

出典: http://pocop0c0.blog.fc2.com

高校在学中に始まったレイプ

キム・スンジョンは慶應義塾大学付属の高校に入学すると、単身上京し、富豪の父親から与えられた田園調布の一軒家(家政婦付き)で生活を始めた。
この時期に、目を大きくするために整形し、星山聖二という通名を手に入れたという。
後に、ジョージ、オバラ⇔オハラという外国名の響きがあるとも取れる緒原城二を名乗る事と、朝鮮系の細い目を大きく切開した事は、強姦の対象の割合に占める外国人女性の人数がきわめて高い事実と照らし合わせると、織原に内在する事を強く感じさせる西洋人コンプレックスの存在が浮かび上がるだろうか。
西洋人コンプレックスなどと、今の若い日本人にはピンとこない人も多いかもしれないが、織原城二ことキム・スンジョンは何といっても、日本がアメリカに戦争で敗北してから間もない1950年代前半の生まれであり、前述したが、世界的知名度のある競技で活躍する日本人、いや、アジア人スポーツプレイヤーも皆無の時代に生い立ちを持つ在日韓国人なのだ。
高校在学中(!)に1969年頃からアルコールや、後のブルーシー油壺での一連の強姦および殺人事件でも使用されるクロロホルムや睡眠薬の使用による昏睡レイプに手を染め、1995年まで209人の女性に対する性的暴行をノートに記録していた。

 

たった一人の高校生の犯罪

ノートに仔細な記録が残っていたことが、数々の昏睡レイプ事件の立件に役立った、もしそのような記録が存在していなければ発生からの時間の経過もあり、闇に葬られたケースも多かったはずだ(とはいえ、それでもまだ表に出たのは被害の一部でしかないのだが)。
それにしても、いくら父親の圧倒的な経済的後ろ盾があったとはいえ、高校生が一人でクロロホルムを始めとする薬品を入手して女性に誘い出して意識を失わせ強姦におよび、その様子をビデオカメラで撮影するというような、
労力の大きい重犯罪行為を完遂して、長年に渡り隠し続けるというような事が可能だとは、日本とはいったいどういう社会なのだ? という思いを持つ者は多いだろうが、高校生だった織原・・・キム・スンジョンは現実にそれをやった。
当時の織原の性犯罪、今となっては裁判を通じて世に知られることもないその所業の犠牲者が、成人後も含めれば、百数十という人数を超える規模で現在もこの国や、外国のどこかで可視化されないまま黙して生きていると思うと、とんでもないことだ。

在日韓国人

出典: http://dogma.at.webry.info

日本のマスメディアでは、どういう理由によるものか、殆ど黙殺され報道も少なかったが、この一連の強姦と殺人犯罪を犯した織原城二こと金聖鐘 キム・スンジョン、または星山聖二が朝鮮半島生まれの両親を持つ生い立ちの在日韓国人であることは、この国のインターネット上で大変な興味と、悪意を伴って取り沙汰された。
ネット掲示板等における、近年でいうところの「ネトウヨ」と呼称されるような類のユーザー層、ナショナリズム的傾向を帯びた、というよりは端的にレイシスト的な資質を全開にした、立場の異なる人間との議論における語彙に乏しいタイプの人々が、ネット掲示板という無記名による安全圏を得たことから数の暴力を背景にした発言に自覚的になり始めたのは、日韓共催のサッカーW杯が開催された2002年前後を境にするという説が有力だが、その時点よりも遡ったルーシー事件の最中に、すでにネット上の外国人、特に「在日」叩きは現象としてあった事になる。


この事件の真相、犯罪の原因は全て加害男性の在日韓国人であるルーツと生い立ちにある、と言わんばかりの暴論もけっして少なくなかったことが、掲示板の過去の書き込みを遡って閲覧してもわかる。
人種が犯罪の傾向を帯びさせる、などと染色体のレベルでそのような研究が為され証明されたのでもない限り、ただの害のある危険な与太話に過ぎないが、生い立ち、育ち方とその環境や、家族間での遺伝に犯罪の要因を求める研究結果は実のところ、数多い。
もし、在日韓国人の子として生まれ、在日という出自を常に意識する環境に生い立ちが拠っている人間が、犯罪者の傾向を持つ率がそうでないケースに比較して多いという調査結果が存在する(統計に関しては出し所によって日本の犯罪に占める在日韓国人の割合は、多いものも少ないものもある)のなら、国として研究を深める必要があるだろう。


在日韓国人が、在日韓国人であることを理由に、将来的に犯罪傾向を帯びるリスクが高まる程の環境的なストレスやネガティブな干渉、生活上の負荷を受けているとなれば、そこには当然のことながら人種差別が及ぼす影響が介在してくるわけで、在日韓国人でない日本人が社会の内で担っている部分の責任は大きいのだから。
本当にそんなことが重犯罪の潜在的なリスクとして社会に存在しているのなら、国を挙げて研究し、対策しなければいけないはずだ。
そういった研究自体に「差別だ!」という声が上がるかもしれないが、実際に在日韓国人でない者の方が圧倒的に多い社会の内で、在日韓国人でない者に取り巻かれた在日韓国人の生い立ちに犯罪傾向を帯びさせる大きな、そして日常的なリスクが証明されるのならば、そういった研究と対策は、在日韓国人にとっても必要なはずだ。


研究と対策が必要なファクトではなく、ただの「~人は生まれながらの犯罪者に決まってる!」といった類の人種差別的な偏見に根差した罵りに過ぎない、というのであれば別だが。

逮捕後の織原城二

逮捕後、織原はルーシー・ブラックマンを含めた10人の女性に強姦または強制猥褻行為を行い、内2人の女性(ルーシー・ブラックマンとオーストラリア人のカリタ・リッジウェイ)を死亡させたとして立件された。
他9事件について11人の致死罪を除き概ね認めたものの、真相はともかく、ルーシー・ブラックマン事件については検察側が死亡したとする時間の直前に自分のブルーシー油壺の部屋で被害者と会ったことは認めつつも、裁判時には死亡していた知人が関与した可能性を示唆した上で無罪を主張した。

出典: https://twitter.com

一審で無罪になる

一審(東京地裁)
2007年7月24日

判決公判。
女性9人に対する準強姦罪や強制猥褻罪とその内の1人に対して、東京地裁は、準強姦致死罪を認定して被告人に無期懲役を言い渡したが、当事件に関与した疑いがあるとしながら、遺体から薬物や被疑者のDNAが検出されなかったことで、証拠不十分として無罪を言い渡した。

出典: http://webnhrpelibrary.blogspot.jp

二審、無期懲役判決

二審(東京高裁)
2008年3月25日

控訴審初公判。
当事件の被害者に関する全ての罪と、カリタ・リッジウェイの致死罪に関して、弁護人は無罪を主張した。
検察官は、有罪を求めた。

2008年7月

一審で致死罪が認定されたカリタ・リッジウェイの遺族に、見舞金と称して被告人が1億円を支払っていたことが明らかになった。
被告人はこの見舞金を「お悔やみ金」としており、女性に対する殺害は関係ないと主張している。

2008年12月17日

判決公判。
一審判決を棄却。
当事件について準強姦致死罪を認めなかったが、準強姦未遂罪と死体損壊罪と死体遺棄罪を認め、一部有罪とした上で被告人に無期懲役を言い渡した。

出典: http://since1970.exblog.jp

最終審(最高裁)、無期懲役確定

最終審(最高裁)
2010年12月

上告を棄却。
9事件の準強姦罪や強制猥褻罪と、その内の1人に対して準強姦致死罪、当事件の準強姦未遂罪と死体損壊罪と死体遺棄罪の有罪が確定した。

織原城二は何の罪で服役しているのか

出典: http://blog.goo.ne.jp

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判決を見ればわかるが、ルーシー・ブラックマンを殺害したという容疑については、織原は犯人として罪に問われなかった。
カリタ・リッジウェイへの準強姦致死、9件の昏睡強姦と、意識を失った女性を裸にして拘束具で縛り付け、股を開かせる様子を撮影するなどの性的暴行、ルーシーへの強姦、死体損壊、死体遺棄に対する無期懲役刑だ。
事件の真相が完全には明らかにならないケースにおいて、状況証拠だけを積み上げても決定的にはならず、容疑者の「自白」が何よりも重要視される日本の刑事裁判の特殊性が生んだ結果といえるが、連綿と、そしてもしかしたら惰性的に続いてきたのかもしれない自白の偏重主義は各先進国や人権団体から批判されることも多い。
日本の刑事裁判で冤罪が生まれ易いのも、不可視(現在では一部許可された録音だが、当時はそうではなかった)の取り調べ室の中で、警察がすべからく、たとえ容疑者が犯人でなく取り調べの辛さから嘘の証言をして事の真相から遠ざかるとしても、間違った判決に結び付いて、一人の人間の人生を終わらせてしまうとしても、とにかく自白させてポイントを稼ぐ事を最優先し、暴力や嫌がらせを交えて強要行為に及ぶからだ。


被害者遺族、そしてマスメディアを通じてこの事件の報道に接してきた日本人やイギリス人それぞれに、量刑の重さについての意見が当時も、現在もあり、カリタ殺害だけでも看過されずによかったという見方もあれば、ルーシー殺害が立証されて罪に問われていれば、永山基準の二人~三人という死刑に値すると裁判官が判断するラインに達していたのだから、軽いという見方もあるし、そもそも9件以外にも150とも200とも推測される織原の昏睡強姦の犠牲となった被害者の数と決定的な証拠が出ないだけで、限りなくルーシー殺害への関与を明白にしていると取れる彼女の死体をバラバラに切断して洞窟に持って行った行為などに鑑みれば、殺人の数に「換算」される(・・・・)のがカリタ殺害一件だとしても極刑に値するのではないかという見方も、けっして珍しいものではないだろう。


実際のところ、織原がルーシーを殺害したのかどうか、真相は明らかだ、と考える日本人、そしてイギリス人が多数であることは疑いを容れない。
判決はともかく、ある女性を、その人が土地勘のない土地に誘い出し、禁止薬物を飲ませて意識を失わせ、遺体をバラバラに切断して洞窟に隠した男が、協力者の存在が欠片も浮かび上がらないケースにおいて、殺害していないという事が起こり得るのか。


2017年現在も、織原城二はこの日本のどこかに収監されている。

織原城二が害したもの

ルーシー・ブラックマン達の尊厳を金で買う行為

出典: https://sumally.com

織原はルーシーやカリタを殺し、たくさんの外国人女性や日本人女性を強姦しただけでなく、彼女達にまつわる様々なものを破壊した、と言うことは可能だ。
最たるものは、昏睡強姦の被害者女性達への支払いが提示された「見舞金」、ルーシーとカリタの遺族達に支払いが提示された「お悔み金」だろう。
母親のジェーンは殺害された娘への許し難い冒涜、我が子を殺めたまさにその犯人が、命の尊厳を買い取るような行為だと怒りを隠さず、2017年11月現在に至るまで金を受け取っていないし、絶対に受け取るつもりはないとメディアにも語っている。
父親ティム・ブラックマンはそうではなかった、お悔み金と称する一億円を受け取り、間もなく高額なクルーザーを購入している。


カリタの両親は当初、受け取りをジェーンと同じく断固として拒否し、怒りを滲ませていたが、やがて受け取った。
強姦被害に遭った女性の中には、当初、受け取りを拒否していたが、織原の代理人にストーカーのようにつきまとわれ、強引に何度も受け取りを要請され、根負けして受け取った者もいた。
これらの金を被害者遺族や、被害者女性が受け取る際には、検察側の証拠として警察が出した内容について「証拠の条件を満たしていないという織原サイドの主張に同意し、証拠として扱わないようにとの意思を裁判所に対して示す」というような、裁判を進める中で織原の有利に働きかける意図が込められていると思われる条件が提示されていた。
 

「判決には影響しなかった」


無期懲役という判決に、これらの「お悔み金」「見舞金」を巡る一部の被害者遺族と被害者女性達の上申書提出(ティム・ブラックマンがサインした上申書の内容「娘の死因が不明であったことや織原被告のDNAが娘の体内から検出されなかったことなどを知らなかった。死因などの調査を求める」)は、いっさい影響を与えなかった、と裁判官はコメントしている。
元々、結婚生活後期から離婚後を通じてあまり関係のよくなかったジェーンとティムだが、ティムが織原からの金を受け取ったことは、マスメディアを通じたジェーンのティムを強く非難する発言などに反映されたし、ティムがルーシーと同じようにイギリス国外で行方不明になった女性の捜索に役立つ情報収集への協力と、行方不明者になった家族を見つけるために尽力しているが、言葉や習慣や法律の違いといったハードルに阻まれている人々のサポートを目的に、彼が設立した組織の費用を着服しているという疑いを元に起こした起訴にも、もちろん反映していると考えるのは自然だろう。
ルーシーの妹、ソフィーはルーシー事件の後、自殺未遂を起こして病院に運ばれている。

出典: http://webnhrpelibrary.blogspot.jp

出典: http://dogma.at.webry.info

安全神話

人の命を奪い、女性の尊厳を穢した犯人である織原が更に壊したのは、家族、個人間の関係だけではない。
世界的に知られた日本の治安への信用、少なくともボンヤリと存った信用を破壊したといえるかもしれない。
ルーシーやカリタは、彼女らの母国であったなら、素性の知れないバーの客というような男相手に誘われるまま車に同乗し生活圏から離れた場所について行くなどあり得なかった、という意見もある。
とはいえ、警察の無能にも関わらず、日本国民の資質の高さによって、ルーシー事件以後も世界でも稀な犯罪率の低さ、とりわけ全犯罪に占める暴力犯罪パーセンテージの少なさは2017年現在に至るまで殆ど変化はなく、日本の治安上の安全神話が崩れたとまでは言えないだろうが、傷をつけた事、疑念の余地を残した事は間違いないだろう。

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