2021年07月14日公開
2021年07月14日更新
子供が子供を殺す…11歳の殺人犯「メアリー・ベル」事件の詳細と現在とは?
子供が殺人事件を起こす、そんな悪夢のような事件を連続的に起こした悪魔の子メアリー・ベル。 メアリ―・ベルが起こした快楽的かつ狂気的な犯行は、現代においてもその恐ろしさは色あせない。かの悪名高き「メアリ―・ベル事件」の詳細と現在を暴き書く。
目次
メアリ―・ベル事件概要
出典: http://www.gekiyaku.com
メアリ―・ベル事件をご存知でしょうか?
(画像はイメージ)
メアリ―・ベル事件とは、1968年5月~7月にかけて起こったイギリスでの連続殺人事件のことです。
被害者は二人、4歳と3歳の男児であり、無抵抗な子供が惨殺されたことからも話題性を呼びましたが、犯人が11歳の少女であったことから当時のイギリスを震撼させました。
11歳の殺人犯の少女メアリ―・ベルは、無邪気に微笑み嘘とも真実ともつかない内容を話すだけで動機などは一切不明であり快楽的殺人ではないかとの見方を強められ、懲役12年の有罪判決が下されました。
当時の彼女の劣悪な生活環境や、後天性のサディズムなどが理由に挙げられ、彼女が自分の子供が成人したのを機に自伝を発表していたりしますが、どこまでが真実かは明らかになってはいません。
11歳の殺人犯メアリ―・ベル
出典: http://forensicpsychology.umwblogs.org
メアリ―・フローラ・ベル(11)
少女の名前はメアリー・フローラ・ベル。
母はベディ・ベル、血のつながらない父にビリー・ベルを持つ少女。
写真を見る限り愛らしい子供のように見えるが、その本性は残虐性に富み他人に対しての愛情や感情に対しての共感性の失われた怪物でした。
何故メアリ―・ベルは殺人を犯してしまったのか?
その動機は自伝が発売されていてなお、彼女の生来の性格から嘘が多かったことを踏まえて不明であるとされていますが、その殺人事件の発展原因は家族や友人関係にあったとされています。
彼女には犯罪を犯すだけの下地が出来上がっていました。
勿論家庭環境などの理由で殺人が許されることにはなりませんが、彼女もまた一時期は傷つけられる被害者側にいたのは確かでした。
メアリ―・ベルの生い立ち
メアリ―・ベルは1956年にベディ・ベルの娘として生まれました。
母になるベディ・ベルは当時17歳で未婚、望んだ出産ではなくただ堕胎に間に合わなかったから産んだ、という程度の認識であったようで彼女が初めてメアリ―を見た際「はやくそれを片付けて」と言うほど愛情がありませんでした。
血のつながった父が誰なのかはっきりせず、彼女の父の代わりになったのが義父のビリー・ベルでした。
ですが、この男も立派なメアリーの父とは言えず売春婦として働いていたべディのヒモをしており窃盗犯の常習犯というろくでなしでした。
メアリ―はビリーに対しては「叔父」と呼ぶように強要されており、ビリーとべディの夫婦関係は基本的には秘密にされており、一家はベディの売春とビリーへの生活保護費で成り立っていました。
出典: http://quiizu.com
べディ・ベルの愛情の薄さ
ベディ・ベルの愛情の薄さは、メアリーが大きくなっても変わりませんでした。
幼いメアリーが母の常用しているドラッグを口にして何度も生死を彷徨っていてもその愛の薄さは変わらず、娘が殺人犯になった際、彼女がしたことは少女メアリーの擁護ではなく、マスコミに対してメアリ―への情報提供により金銭を得ることでした。
(画像はイメージ)
ノーマ・ベルとメアリ―・ベルとの歪な関係
出典: https://www.pinterest.jp
ノーマ・ベルという少女はメアリ―・ベルと同じベル姓ですが、姉妹ではなくたまたま同じ苗字の女友達でした。
(画像はイメージ)
美しい友情で結ばれた仲、というわけではなくどちらかといえば理知的なメアリーが年上でありながらやや知能遅れのノーマを従属させていました。
メアリーはノーマに対して友人、というよりも都合のいい人物と見ていた節が強く、はた目から見てもその関係が正常な友人関係とかけ離れていたというのが分かったといいます。
ノーマ・ベルはメアリ―・ベルによって殺人事件に巻き込まれ、加害者側に立つことになってしまいます。
最初の殺人事件
最初の事件が起こったのは1968年5月25日の事でした。
イングランド北部の都市、ニューカッスルの労働者階級の街スコッツウッドの空き家の二階で幼児の遺体が発見されました。
第一発見者は鳩小屋を作る材木を探していた3人の少年で、近くにいた電気工に助けを求め無駄と思いながらも人工呼吸を行いましたがその時点ですでに幼児は亡くなっていました。
出典: http://www.gekiyaku.com
被害者はマーティン・ブラウン
マーティン・ブラウン(4才)は近くに住む幼児でした。
口から血混じりの唾液が垂れていること以外服も綺麗で目立った外傷や争った形跡がないため、最初は薬の誤嚥で亡くなったのではと思われていました。
事件現場での様子
マーティン・ブラウンは瓦礫に覆われた床で転がっており、傍には空の薬瓶が転がっておりました。
3人の内1人の少年が気分を悪くして窓から顔を出して深呼吸していると、窓の下から2人の子供が歩き寄ってくるのが見えました。
それが、メアリ―・ベルとノーマ・ベルでした。
二人は空き家に入ろうとしたのを見て慌てて少年は止めましたが、メアリ―・ベルは「大丈夫、おまわりさんだって私がここにいることを知っているわ」と言って無理に入ろうとして少年たちに追い払われました。
ですが、二人はそれで諦めることなく、よりにもよってマーティン・ブラウンの叔母であるリタ・フィンレーにマーティンが事故で死んだことを教えに行くのです。
マーティン・ブラウンの死をきっかけに、メアリ―・ベルとノーマ・ベルの悪行は更に躍進していくことになります。
メアリ―・ベルに対しての最初の事件での見方
出典: http://blog.hanauta18.com
メアリ―・ベルとノーマ・ベル。
二人はこの事件に対してかなり挑発的な態度をとっており、犯行後堂々と事件現場に立ち入ろうとする、遺族に対して「マーティン・ブラウンが死んだ」と告げに行ったり、葬式後にマーティン・ブラウンの叔母リタ・フィンレーを訪ねしつこく
「マーティンが死んで悲しい?」
「マーティンが亡くなって泣いた?」
などと尋ねるなどといった周囲を小馬鹿にしていました。
ですが、こんな態度をとっても警察や周囲の人間はメアリ―・ベルとノーマ・ベルが犯人だとは一切考えていませんでした。
メアリ―・ベルとノーマ・ベル、特にメアリ―・ベルは近所でも評判の嘘つき娘であったため今回の不謹慎な挑発的な態度も全て注目されたいだけの嘘であると考えられたのです。
その考えはメアリ―・ベルが「私がマーティンを殺した!」と叫んでも変わることがありませんでした。
当時の警察の事件への考え
出典: http://www.gekiyaku.com
警察は殺人の可能性を考えていなかった
マーティン・ブラウンの死因は当時の警察では検死を行っても判明しませんでした。
マーティン・ブラウンの司法解剖の結果、脳に少しの出血があっただけで他は綺麗なものだったからです。
マーティン・ブラウンの死はイギリスではありふれた事故の一つであるというもので片づけられました。
殺人事件なのではとの声もありましたが、脳への出血以外は問題なかったため絞殺の疑いも払しょくされてしまったからです。
マーティン・ブラウンを最後に見たのは叔母リタの家を出た3時20分、マーティン・ブラウンはその10分後に死亡していたことが判明し、事件性が薄い、と考えた為警察はマーティン・ブラウンは薬の大量誤飲の為事故だと断定し捜査を打ち切ることになりました。
メアリ―・ベルとノーマ・ベル、二人の挑発的な態度に対しては歯牙にもかけず二人の子供の殺人犯を結果的に野放しにしてしまったのです。
メアリ―・ベルの落書き
これに面白くないのがメアリ―・ベルです。
自分が殺人を犯したのに、周りがそれに注目せずマーティン・ブラウンの死は事故として片づけられようとしている。
そのことを知ったメアリ―・ベルは、近所の保育園に侵入しマーティン・ブラウンを殺害したという4枚の落書きを置き、殺害をほのめかしましたが結果的にこの手紙は悪質な悪戯として処理されました。
出典: http://blog.livedoor.jp
メアリ―・ベルの落書き1
「わたしが ころした。 また もどってくるよ」
出典: http://livedoor.4.blogimg.jp
メアリ―・ベルの落書き2
「くそったれ。 わたしたちが ころした。 きをつけろ。 あばずれとおかまより」
出典: https://mindandmotive.wordpress.com
メアリ―・ベルの落書き3
「わたしたちが、マーティン・ブラウンをころした。 くそったれ。 こしぬけやろう」
出典: http://www.gekiyaku.com
メアリ―・ベルの日誌
メアリ―・ベルはこの日、学校で日誌を書かされました。
内容は以下。
「土曜日に私は家に居ました。ですが、ママがノーマを誘って丘の上に行って来たらと言われたのでノーマの家に行きました。
私とノーマは丘に登りマーガレット通りにまで下ると古い家に人混みが見えました。
私は何が起こったのか人に聞きました。そこには男の子が倒れて死んでいました」
また、この日誌にはイラストが描かれており、マーティン・ブラウンと思わしき少年の死体の絵と、傍には薬の錠剤が描かれていました。
第二の殺人事件
出典: http://ha-chi.biz
今度は、3歳の男の子が犠牲者
マーティン・ブラウンの事件から2か月たった7月31日、メアリ―・ベルとノーマ・ベルは再び事件を起こしてしまいます。
3歳のブライアン・ハウが無邪気な少女の殺人犯の毒牙にかかることになったのです。
ブライアンが夕方になったのにも関わらず帰ってこず行方不明になってしまい、心配する家人たちの前に現れメアリ―・ベルとノーマ・ベルは
「ブライアンはあのコンクリートブロックで遊んでるかもしれないわね」
「あの子はあそこでは遊ばないわ」
とブライアンの行方をほのめかしました。
最初こそ本気に二人の話をとらず、ブライアンが行きそうなところを家族は探しましたが、結果的にはブライアンはメアリ―・ベルの言ったコンクリートブロックの間で冷たくなっているのが見つかりました。
猟奇的な事件に対する危機感
ブライアン・ハウはマーティン・ブラウンに比べ、遥かに残虐性をあらわにした殺害方法をとられていました。
遺体は長い葉に覆われ、周囲に生えていた紫の花で覆われていました。
鼻にはひっかき傷、口には血混じりの唾液が付着し首には絞めた跡が残っており、明らかな他殺であるのは誰が見ても明らかでした。
また、近くには壊れた鋏が落ちており、一方の刃は折れ、一方の刃は折れ曲がっていました。
太ももから陰嚢には刺し傷、そして腹部にはMの文字が刻まれていることから、猟奇性を危険視され遺体はすぐさま検死に回されました。
結果、その死は「子供による絞殺」であることが明らかになり、前述のマーティン・ブラウンの死も同じく「子供による絞殺」であることが発覚したのです。
子供の弱い力で首を絞めたからこそ、圧迫痕が残らなかったのです。
殺人犯としてメアリ―・ベルの逮捕
殺人犯の少女たちがつかまったのは、8月7日の午後でした。
子供たちの中に殺人犯がいると考えた警察はスコッツウッド中の子供のいる家を訪ね、子供たち1200人に質問アンケートを取りました。
その中でもメアリ―・ベルとノーマ・ベルは事件がおこった午後の行動を聞くたびにころころと変えて、殺人についての質問をにやにや笑いながら答えるため要注意人物として挙がっていました。
逮捕に至った主たる理由は二つ。
メアリ―・ベルが午後の行動についてころころと証言を変える中に「片方の刃が折れるか折れ曲がるかしている鋏」を持った少年が遊んでいた、というものがあったことが一つになります。
この証言で上げられた少年にはアリバイがあり、「現場にあった鋏」について詳しく知っていたメアリ―・ベルが犯人であるとの見方が強まったのです。
出典: http://yeoman.hatenablog.com
ノーマ・ベルの裏切り
そして何よりもメアリ―・ベルの逮捕に踏み切らせたのが、ノーマ・ベルの裏切りでした。
彼女は自分の犯したことの重大さに気付き警察に対して、「メアリ―・ベルがブライアンを絞殺した」と証言を始めたのです。
「メアリーが『あたしがころしたの、誰にも言っちゃダメだよ』って言ったんです」
「唇が紫色でした、メアリーは唇を指でなぞって、『面白かった』って」
「メアリーはカミソリの刃を見せて、おなかに傷跡をつけたといいました。そのあと、彼女はカミソリをブロックの下に隠しました」
ノーマ・ベルの証言により、隠されていたカミソリも見つかり、メアリ―・ベルとノーマ・ベルはとうとう逮捕されたのです。
悪意あるメアリ―・ベルの言動
出典: http://www.csaladivilag.hu
11歳の少女たちが犯した殺人
(画像はイメージ)
本来ならその罪の重さに潰されても仕方のないことなのですが、メアリ―・ベルは悪びれもせず逮捕に応じました。
当初こそノーマの証言を否定し、これは洗脳だと警察を激しく罵倒したメアリ―・ベルですが供述を一転させ殺人の関与を認めました。
ですが、それは認めただけ、全て実行したのはノーマ・ベルであると責任を押し付け理知的な立ち振る舞いで自分が主導で行ったことではないと主張しだしたのです。
あらわになる異常性
出典: http://yeoman.hatenablog.com
監視役の婦人警官の証言
メアリ―・ベルは理知的な振る舞いを行う反面、徐々に異常性を隠さなくなっていきます。
中でも印象的な話として、監視役の婦人警官が拘置所初日のベッドで起こった話があります。
「メアリ―・ベルは突如ベッドで歌を歌い出したのです。それもとてもいい声で…。拘置所、それも殺人の罪が問われているのに…」
以下はメアリーの歌った歌の歌詞になります。
『あ~あ おまえはよごれはててさ。
ゴミ箱のふたみたいだよ~。
お前のしたこと父ちゃんがしったら~。
ベルトでお前をひっぱたくよ~」
8月7日の捕まる前の午前、ブライアン・ハウの埋葬がされました。
その日メアリ―・ベルはハウ家の正面に立ち棺が運ばれていくのを大喜びで見ていたのです。
手を叩かんばかりの彼女の笑顔に、彼女を監視していた警部はぞっとして、メアリ―・ベルを放置すれば再び幼子が狙われると感じました。
また、彼女を拘置所で生活を送る際、婦人警官にこう話しかけていました。
「裁判官が私に懲役30年を言うと思う?」
「私が裁判官だったら、こんなことをした11歳の少女は一年半閉じ込めておくわ」
「殺人って悪い事じゃないわ。人はいつか死ぬのよ」
「私はやり返せない小さくて弱いものを痛めつけるのがすきなの」
彼女の発言は、当時の看護婦からして「サイコパスである」と断じられるほどの異常性を認められました。
裁判での殺人事件とメアリ―・ベルの結末
出典: http://www.rebelcircus.com
11歳の少女の殺人者
メアリ―・ベルのその矛盾した立ち振る舞いは瞬く間にイギリスに広がり、その少女の悪意にイギリス中が注目した。
1968年12月5日、メアリ―・ベルとノーマ・ベルの裁判が始まりました。
当然ながら二人は揃って無罪を主張し、お互いに責任を擦り付け合いになりました。
終始落ち着きがなく、涙を流して罪を悔いる年相応のふるまいを見せるノーマに、毅然として大人びた態度を取り続ける利発的なメアリ―。
二人の対照的な態度は、その事件への異様さを際立たせているようでした。
メアリーが利発的であればあるほど、ノーマが幼ければ幼いほど、「ノーマは言いなりになっていただけで無罪、メアリーが主導で行っていて有罪」という図が確立していきました。
何よりメアリ―の有罪を印象付けたのがメアリ―の母ベディの行動で、彼女は厚化粧にだらしないブロンドのかつらを被り非常にヒステリックに感情をむき出しにして何度も裁判を妨害するということを行ったのです。
この行為が陪審員たちにも不快を抱かせ、「この親ならこの子もやりかねない」という心証を与えました。
結果、メアリーは2件の殺人で有罪が下されることになったのです。
出典: http://yeoman.hatenablog.com
裁判開始の少女たち
メアリ―とノーマの二人の少女の対照的な話といえば、裁判開始直後のことです。
かつらを被った裁判官が法廷に入ってきた時、ノーマは年頃の少女らしく不安げにして両親へと振り向きましたが、メアリーは裁判官のかつらの方を気にして一切不安がる様子はなかったそうです。
この時点で、陪審員たちの結論は出ていたのかもしれません。
ノーマ・ベルの判決
出典: http://yeoman.hatenablog.com
ノーマの判決は無罪に終わりました。
具体的な理由としては、主にメアリーとの関係がほとんど主従関係に近い友人関係であり主として行っていたのはメアリーであることや彼女自身が直接マーティンやブライアンの殺害を行ったわけではないことが挙げられたそうです。
この判決については、殺人事件直後のノーマの様子を見るに疑問に思う者もいましたがノーマ自身完全に無罪というわけではなく私有地の不法侵入や落書きの件により保護観察処分を受けることになったことも踏まえると妥当であったという声が大多数です。
少なくともメアリ―・ベルに加担したことで、いたいけな少年の将来を奪い、またノーマという少女の人生もこの殺人事件により大きな暗い影を落としたことは間違いないでしょう。
釈放後、現在のメアリ―・ベル
メアリ―・ベルは有罪にはなったものの齢11歳ということで直接的な懲役の話はなくその残虐性などに富んだ性格の治療終結をもって釈放という不定期刑になりました。
本来ならば精神病院などに送られて治療生活を始めることとなったのですが、11歳、殺人犯などの様々な問題が重なり彼女を受け入れてくれる治療施設が見つからず、結局通常の矯正施設に送られることになりました。
それから11年、1980年、メアリ―・フローラ・ベル22歳に釈放。
出所後は職を転々としながら名前を変え、大学にも通いつつも中退して母の元に戻りました。
出典: http://www.csaladivilag.hu
妊娠
出所後、職を転々としたメアリーはそのころに知り合った男性と関係を持ち妊娠しました。
もっとも出所といってもまだ仮釈放で裁判所の監督下にいたのですが、赤ん坊には罪はないということで育児は許可され彼女は一児の母になったのです。
殺人犯に対しての風当たり
現在の日本でも殺人犯への風当たりはきついものですが、それはどの時代、どの国ででも変わりがありません。
小さな村に腰を落ち着け、その村の男性と恋に落ちたメアリ―・ベルでしたが、周囲に彼女が元殺人犯の少女であったことを知られてしまい「人殺しは出ていけ!」という大掛かりなデモにまで発展します。
そもそも彼女がなぜ前歴を知られてしまったのかというと、メアリ―・ベルの母ベティが原因でした。
彼女はアルコール中毒で亡くなるまで殺人犯である娘のメアリーを金づるとして扱い、メアリーの写真や画像をマスコミに売り続けていたのです。
政府が彼女の事件に対して情報規制を行っていたにも関わらず、メアリーの私生活や出所後の生活はほぼ丸裸であり彼女が名前をいくら変えても知ろうと思えばすぐ知れるようにされていたのでした。
自伝の出版「魂の叫び」
母が死に、子供の成人を機にメアリーは偽名から本当の名前へ戻り自伝「魂の叫び」を発表しました。
本の内容が真実かどうかはわかりません、少なくとも過酷な生活を送っていたとしても彼女が元々虚言癖をこじらせており、なおかつ事件からかなりの年月がたっていたからです。
自伝を出したときは既に40歳、事件を起こして29年の月日が経ちました。
メアリ―は彼女の一人娘に対して隠していた過去をこの出版の機に打ち明け、娘はそれを受け入れたそうです。
ですが、過去を売り物にして本として多額の報酬を受け取っている事実を踏まえると、それは一概に美談としては受け入れられない面もあります。
マーティン・ブラウン、ブライアン・ハウ、29年の月日を得てようやく安寧の日々を送っていた遺族たちがこの両者の死の尊厳が踏みにじられたと声を上げるのは仕方のないことではないでしょうか。
メアリ―・ベルへのインタビュー
まとめ: 狂気に満ちた11歳のメアリ―・ベル
現在メアリー・ベルは60歳、孫もいてイギリスで今も密やかに暮らしています。
現在は本などの執筆も行っており「ギッタ・セレニー」という名前で自伝以外も本を出しており、過去の自分の心の闇について深く考えているのではないでしょうか。
このイギリスで起きた11歳の子供の殺人事件、サイコパスへの目覚めは現在の日本でも他人事ではありません。
イギリスだから、昔だからではなくメアリ―・ベルの起こした事件は深く児童虐待などの環境が作り出したとされています。
現在日本でも児童虐待は問題視されており、いつ第二第三のメアリ―・ベルが生まれるかはわからないのです。
再びメアリ―・ベルを生み出さないために、私たちは子供たちに対して深い愛情を注がなくてはならないのです。