2021年07月01日公開
2021年07月01日更新
『市川一家4人殺人事件』残された長女と関光彦(犯人)のその後【実名写真】
市川一家4人殺人事件を知っていますか?当時未成年の関光彦が金銭目的で殺人をした事件です。平成初の少年犯罪での死刑確定事件「市川一家4人殺人事件」の真相と犯人関光彦の動機に迫ります。なぜ残虐で凄惨な事件を起こしてしまったのでしょうか。
目次
少年犯罪での死刑確定「市川一家4人殺人事件」
犯人「関光彦」や被害者の現在は?
千葉県市川市
事件が起きたのは東京からすぐの千葉県市川市
平成4年(1992年)、日本の歴史に残るような殺人事件が起きました。「市川一家4人殺人事件」はなぜ起きてしまったのでしょうか。犯人の「関光彦」の生い立ちや死刑確定後の動向、被害者家族唯一の生き残りの長女の現在は?
「市川一家4人殺人事件」とは?
平成初の少年犯罪の死刑確定事件
なぜ残虐な殺人事件は起きてしまったのでしょうか。
犯人はなぜ一家4人も殺害するに至ってしまったのでしょうか。
市川一家4人殺人事件前の犯人関光彦
犯人の関光彦は地元では有名な不良で有名でした。ケンカ、喫煙、飲酒、万引き、窃盗を繰り返すようないかにもな不良でした。
働き者の祖父の援助を得ながら関一家は暮らしていました。働き者の祖父は鰻屋を経営していて、関光彦も働きながら生活していました。
関光彦はお金を稼ぐために働いていたのではなく、「なぜ祖父はこんなに働いているんだろう」ということで働いていました。
不良であった関光彦は鰻屋で働くのも長続きせず、不良仲間とつるんだり、夜遊びに耽っていました。
たまたま仲間と行ったフィリピンパブで一人のフィリピン人女性と仲良くなり、恋に落ちます。
フィリピン人女性は妊娠、フィリピンで子どもを産むとフィリピンに帰ります。
帰るとそのパブで別のフィリピン人女性と遊んでしまいます。そこで乱暴な関光彦は自宅へ監禁と乱暴をします。
女性は2日後にお店へ戻りますが、お店側が暴力団に頼み「落とし前」をつけるように頼み関光彦は200万円請求されてしまいます。
関光彦は暴力団員にリンチされます。
むしゃくしゃした関光彦は夜、道を歩いていた女性を暴行し強姦します。この事件も関光彦逮捕後に追起訴されています。
お金のない関光彦はどうにか工面する方法を探しました。
関光彦は強盗や脅迫、空き巣をしてお金を巻き上げることにしました。
そこで狙いをつけたのがこの「市川一家4人殺人事件」の被害者となる家族でした。
市川一家4人殺人事件の被害者
家族は関光彦に狙われてしまったのか。
犯人関光彦は強姦目当てで狙った?
過去に強姦をしてこの事件の逮捕後に追起訴されている
お金の工面に困っていた関光彦は常にむしゃくしゃしていました。
むしゃくしゃしているところに遭遇してしまったのが市川一家4人殺人事件の家族唯一の生き残り、この家族の長女でした。
夜、勉強をしていた長女はシャーペンの芯が切れたのでコンビニに買い物をしていました。
その帰り道、運悪く関光彦に狙われてしまったのです。関光彦は車でわざと長女に当たり、治療をするとどうにか病院に連れていきます。
その後、家に送っていくと嘘をつき、車内で長女を脅し、自宅に連れ込み強姦します。その時に生徒手帳を奪い、名前や住所をしっかりメモに書き留めておいたのです。このことは誰にも言うなと脅迫しました。
関光彦は被害者の家族を襲うことを決意する
玄関は空いていた
鍵が閉まっていたら
長女を強姦してから翌月、関光彦は家族を襲って金を奪うことを決意しました。
落とし前の支払いに困っていた関光彦は長女のメモを思い出し、家族のマンションに張り込み調査をします。
電話して人がいる時間帯といない時間帯を調べたり、防犯カメラのない外階段などをチェックしました。
そして、家に入り込みます。
窃盗事件ではなく殺人事件
事件は窃盗から残虐な殺人事件へ
当初は殺人するつもりはなかったと事件後語っている
関光彦は窃盗目的で侵入します。
家は鍵が開いており、侵入できました。誰かが来ても長女の知人を装うつもりでした。
関光彦が中を漁っているいるところ、部屋で寝ていた祖母が出てきました。
関光彦は暴行と脅迫をし、お金の在りかを聞き出します。祖母はあるお金を出しました。
まだあるだろうとさらに暴行をします。ヨレヨレになりながら祖母は関光彦に唾を吐き掛けます。潔癖症な関光彦は激昂して電気コードで首を絞め殺してしまいました。
遺体は祖母の部屋の布団に寝かせ、寝ている風を装いました。
長女と母親帰宅~母親殺害~妹帰宅
殺害の凶器は包丁
長女と母親が帰宅します。二人相手だと勝ち目はないので包丁で脅し、二人をうつぶせにして無抵抗にさせます。
母親が「頭が切れそう」ということで刺します。抵抗するのでどんどん刺します。やがて失血死します。
関光彦は長女に血と失禁の掃除を託し、一緒に母親の遺体を部屋に運びます。
その後、保母さんに連れられて妹が帰宅します。そして長女に3人分の料理を作らせます。
3人で食事をとった後、妹は遺体となった祖母とその部屋でしばらくテレビを見た後寝付きます。
長女を家族の遺体のある部屋で強姦
~父親帰宅、殺害
またも凶器は包丁
帰ってきた父親を急襲した
二人きり(生きて家にいる人)にって関光彦は強姦をします。少女を前に体が女性を求めていたのと数時間後に父親が帰ってくると長女に言われ、気を紛らわせたかったと後に言っています。
ですが、予定より早く父親は帰ってきます。強姦中でしたが、すぐに服を着て父親を襲います。包丁で刺し、お金のありかを聞き出します。
母親の通帳や印鑑などの在りかを聞き出しますが、満足いかず会社の通帳の在りかを聞き出します。
会社には長女から電話をさせ取りに行くと連絡させました。
父親は社長でした。
父親の会社
~ホテルで強姦~妹を殺害
会社に向かったのは深夜
父親の会社には長女と関光彦の二人で向かいます。
マンションを出たところで長女を待たせ、思い出したかの様にマンションに戻ります。通報を防ぐために父親を殺害するためです。関光彦は父親をを包丁で一突きで刺し、殺害しました。
そして自分の車で会社に向かいました。深夜の事でした。
通帳と印鑑と現金を受け取ります。
その後、関光彦は長女を強姦するためにホテルに行き、強姦します。
強姦してから4時間寝てまた強姦したといわれています。長女は関光彦に合計5回強姦されたそうです。
その後はまたマンションに戻ります。
戻ると妹が泣き叫んでいて近所にばれると嫌だと、殺害します。
包丁で一刺し、包丁は妹の胸を貫通したそうです。それでも痛い痛いと生きていてうるさかったと首を絞めて殺害しました。
この時、初めて長女が反抗したことに腹を立て、長女にも襲いますが全治2週間ほどのケガでした。
不審に思った会社が通報
~警察突入、関光彦逮捕
朝9時頃逮捕された
深夜に長女がお金を取りに来るなど不振に思った社員は朝に被害者家族の家に電話をします。出なかったため、通報しました。
そして警察が突入し、抵抗する関光彦を抑え逮捕しました。
事件の開始から15時間で逮捕となりました。
裁判の結果、そして犯人関光彦の現在は?
日本の歴史に名を遺す事件となった
未成年の少年が4人も殺人することは異例
関光彦は女子高生コンクリート詰め殺人事件が未成年の犯行で犯人が重い罪に問われなかったことから、自分もそうであろうと余裕でな気分でした。
本人は「少年院は何年かな」という感覚でした。
平成6年の千葉地裁の判決は死刑でした。「お金の工面という動機でも酌量の余地なし。犯行時が少年だったということを考慮しても4人を残虐に殺人したことは極めて重大」とのことでした。
その後上訴しますが、平成13年に死刑が確定しました。
法律では未成年でも犯行時に18歳以上であれば死刑判決できますし、死刑執行もできます。
戦後少年死刑囚の死刑執行は40数名ですが、最近のほとんどの少年死刑囚の死刑執行の多くはまだのようです。
死刑執行はしておりません。死刑執行を待たれる声がかつてはありましたが、世間の関心度は薄まっています。
死刑執行されずに私たちの税金で生きている意味はあるのでしょうか。死刑執行が早く済むことを願います。
犯人関光彦の生い立ちは?
残虐性から犯人の関光彦の生い立ちは報道陣に調べ上げられました。
生い立ちはなかなか良いとは言えませんでした。
犯人関光彦の生い立ちは壮絶な生い立ちだった
関光彦の父親も荒くれていた
酒、たばこ、ギャンブル、女性問題…
関光彦は1977年1月生まれです。現在は40歳です。
祖父は鰻屋チェーン店の経営者でした。
祖父は反対しましたが、娘さんは結婚しました。遊び人で不真面目そうな相手に鰻屋一筋仕事一筋の祖父は大反対していました。
結果、借金ばかり作り浮気もDVもする人で離婚しています。
その後は祖父の支援を受けたり受けられなかったりで貧乏な生活をしていました。
次第に母である祖父の娘も光彦に暴力をするようになりました。そして、貧乏な生活故にいじめを受けるようになってしまいました。
ここで光彦の性格がひねくれてしまったようです。
中学を上がるときには祖父も娘や光彦には甘くなりました。
学力も運動もできる光彦に周りも将来を期待していました。
ですが、表向きは真面目でしたが、裏では不良とつるみ地元で評判の悪い不良でした。
その後、少し離れた高校に進学しますが、素行不良で退学となります。
退学になった後は祖父の鰻屋を手伝います。お金稼ぎではなく働き者の祖父がどんな気持ちで鰻屋で働くかを知るためでした。
ですが次第に、出勤時間は遅くなり、来なくなるようになりました。
そのことで口論になった祖父に暴力をふるいます。
祖父は倒れたところ、顔を蹴られ、左目に直撃、左目の眼球破裂をして失明してしまいました。
祖父は不良や荒くれものを更生させたい意欲のある人で、鰻屋の従業員も元不良の人が多くいました。
そこで、犯罪のやり方などよくない情報を知ったと後に語っています。
18歳の時に鰻屋の従業員仲間とフィリピンパブへ行き、そこで恋に落ち事件が始まっていきます。
関光彦は壮絶な生い立ちで父親譲りの酷い性格でした。
光彦逮捕後にインタビューで甘やかしたことを後悔しているといっています。
生い立ちの悪さが関光彦を狂わせてしまったのでしょうか。
「市川一家4人殺人事件」被害者の長女の現在は?
その後どうなった?
殺人現場をその場で見たり強姦されてしまって大丈夫なのでしょうか。
被害者の長女は現在はどうなったのでしょうか。事件のその後は無事だったのでしょうか。
「市川一家4人殺人事件」被害者のその後
長女はその後
事件前から行きたかった美術学校へ
事件のその後は両親の知人のところで身を寄せていたそうです。
その後、熊本の母方の実家で生活をしていたそうです。
事件前から志していた美術学校を出て卒業しました。
「市川一家4人殺人事件」被害者の現在
ヨーロッパ
今は市川一家4人殺人事件のことを誰も知らないヨーロッパで暮らしているそうです
結婚したそうです
今はヨーロッパで幸せにしているそうです
現在は学校を卒業後、結婚してヨーロッパで暮らしているそうです。
「事件のことは忘れました。犯人に関心はありません。ですが死刑は当然だと思う。」と語っています。
報道による実名報道と顔写真
~「市川一家4人殺人事件」から見る少年法の報道~
顔写真はすぐに拡散されてしまう
死刑執行はいつになるのか…
死刑執行の日を長女や親せきの人は望んでいます
犯人の関光彦も同様、未成年でありながら実名報道や顔写真が何度も報じられています。
また、ほかの少年犯罪でも同様に顔写真や実名が調べるとすぐわかります。
少年法では犯人の実名や住所や個人と特定できる情報は報じてはならないと決まっています。
ですがこれといった罰則がないために実名や顔写真の報道が出てきてしまいます。
死刑執行が決まっていたり、死刑に値する犯罪を犯しても実名や顔写真はいけないものだと思います。
関光彦の顔写真や実名はインターネット上に多数報告されています。
関光彦で検索するとすぐに顔写真が出てきます。
実名報道や顔写真報道問題の是非が問われます。
平和な日常
被害者の長女の平和な日常が1日でも長く続くことを願っています。
事件が風化されないことを願います