2021年05月20日公開
2023年03月10日更新
岡田有希子の脳みそ遺体写真が流出!人気アイドルの自殺の真相とは
岡田有希子さんの自殺とその遺体写真は世間に大きなショックを与え、ファンの中には後追い自殺をする人もいました。人気アイドルがなぜ自殺をしたのか、現在もまだ不明な点が多い状態です。今回は岡田有希子さんの自殺の真相や遺体写真について調査しました。
目次
自殺にて早くしてこの世を去った岡田有希子とは
ご存知ない方もいるかもしれませんが、次のポスト松田聖子と言われていたほどの人気アイドル「岡田有希子」さんという方がいました。しかし、この岡田有希子さんは原因不明の飛び降り自殺を行い、一瞬で時の人となってしまいます。
フライデーなどで自殺直後の現場写真が流出して世間の注目を集めましたが、この飛び降り自殺の原因・真相はまだ分かっていません。当時のファンの中には、岡田有希子さんが亡くなったことのショックから後追い自殺をする人もいました。
今回はそんな岡田有希子がなぜ飛び降り自殺をしてしまったのかの推測をしていきたいと思います。
80年代を賑やかにした輝かしいアイドル「岡田有希子」のプロフィール
原因不明の飛び降り自殺を行った岡田有希子
芸名:岡田 有希子(おかだ ゆきこ)
本名:佐藤 佳代
生年月日:1967年8月22日
生存:1967年8月22日~1986年4月8日 (没年18歳)
身長:155cm
血液型:O型
出身地:愛知県一宮市
所属:サンミュージック所属
岡田有希子さんは日本のアイドル歌手兼女優でした。
80年代に人気絶頂のアイドル歌手として活躍し、「次期ポスト松田聖子」とみんなが確信するほどの人気でしたが、急な原因不明の飛び降り自殺を行いこの世を去りました。
岡田有希子さんが飛び降り自殺を行ったことにより、ファン達は衝撃を受け混乱が巻き起こり、後追い自殺を行う人も数多く出て社会問題にもなったとされています。
社会問題をも巻き起こしたアイドル歌手岡田有希子の実力
テレビでも現場でも盛り上がるアイドル歌手岡田有希子
1984年(昭和59年)にアイドル歌手として活動を始めた岡田有希子さんですが、シングル曲として「ファースト・デイト」を出したことによって世間に知れ渡りました。
このファーストデイトは、当時の若者をはじめ大人の心にも響いた曲であり、着々と様々なテレビ番組に出演するようになって人気を集めていきました。もうこの頃から人気が高かったので、事務所の先輩でもある松田聖子さんと比較されることが多くなり、「次期ポスト松田聖子」と誰しも思ったと言われています。
しかし、岡田有希子本人自身は、「松田聖子のものまね」ではなく「自分は自分である」と思われたいことから、この「次期ポスト松田聖子」と言われるのはあまり心地よくなかったとされています。
聖子ちゃんのファンだったのでポスト松田聖子と言われた岡田有希子にもはまってましたね。
— べむ (@bmmxxx) April 28, 2017
中止になったコンサートのチケが払い戻さず今も実家に残ってますね(´ω`)
曲を出すたびに人気が出る歌姫
岡田有希子の代表曲である、「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」を出したと共に、東京にて岡田有希子のコンサートが行われて盛り上げを見せました。
この曲をきっかけにさらにブレイクし、グリコのCMソングに起用されたりドラマ「かぐや姫・とんで初体験」で「哀しい予感 」の主題歌を歌ったりもしました。
1986年1月に発売された「くちびるNetwork」では、オリコンチャート1位という快挙を達成し、カネボウ化粧品のCMソングにも起用されたほどの活躍ぶりです。
また、岡田有希子さんは1984年には音楽祭「日本レコード大賞」の最優秀賞をはじめ、数多くの賞を取ったほどの実力とされていました。
岡田有希子が自殺をしたのはいつ?なぜ自殺したの?原因、真相は?
岡田有希子の突然の自殺。原因、真相共に不明
岡田有希子さんのアイドル歌手としての実力でもご紹介しましたが、熱烈なファンが何千人もいるほど大人気の岡田有希子さんでしたが、まだ若くしてその最後は突然に訪れました。
1986年の4月5日には全国コンサートを始めた岡田有希子さんですが、突如として異変が起き、3日後の4月8日には自宅マンションにて自らリストカットを行った上にガス自殺未遂を図ったとされています。
全国コンサート開始からの3日間で何か起こったのか、それ以前から何か問題が起きていたのか、なぜそのような事をしたのか等、正確な原因・真相はまだ明かされていません。
岡田有希子のガス自殺未遂から飛び降り自殺までの真相
岡田有希子さんはリストカットを行った上にガス自殺未遂を図ったのですが、マンションの2階の住民が異変に気付き管理人に連絡しました。管理人からレスキューにガス臭いことを伝えて通報すると、駆け付けたレスキューによって岡田有希子さんが見つけられたとされています。
この時岡田有希子さんは泣きながら押し入れの奥にいたとされています。
押し入れで泣いている岡田有希子さんは、そのまま北青山病院に搬送されて治療後事務所に戻されました。しかし、事務所に戻ってすぐに岡田有希子さんはなぜか事務所の屋上から身を投げ出し、飛び降り自殺をしてこの世を去りました。
そして次の日にはフライデーなどにも取り上げられ、自殺の理由や自殺をした直後の現場の写真、脳みそ遺体写真がカラーで出回り、世間を騒がせました。自殺直後の岡田有希子さんの遺体写真には、脳みそまでも飛び散り散乱していたので、かなりの高さから身を投げたと考えられます。
没年18歳と若く、これから活躍するだろうと期待されていた人物なので、自殺したという事実は世間に大きなショックを与えました。
岡田有希子さんが飛び降り自殺してから31年が経った。その後あとを追うかのように中高生の若者が自殺をはかり社会問題になった。1986年当時は僕もフラッとデパートの屋上へ行って、もしここで飛び降りたら、などと考えたりもしたが、やっぱりアニメや漫画の続きが気になっちゃうからね···ふう
— 時星リウス@妄想自由人 (@TokiBosi20) April 7, 2017
岡田有希子の飛び降り自殺後の世間への影響は?
自殺・脳みそ遺体写真の影響と「ユッコ・シンドローム」
1986年4月8日に岡田有希子さんが飛び降り自殺を行い、この世を去ってしまったのですが、この岡田有希子さんの自殺が原因で社会に大きな影響を与えました。
4月8日同日、岡田有希子さんの自殺の知らせを受けたフライデーなどのメディアたちは、テレビや新聞で使えるように、飛び降り自殺直後の現場や脳みそが飛び散った遺体などを写真、動画で撮影しました。
ですが、社会に大きな影響が出ることも踏まえて、8日の段階ではまだ岡田有希子の自殺の公表はされませんでした。岡田有希子の脳みそ遺体の写真はあまりにも無残で、見るに見かねない姿だったそうです。
しかし9日になると、フライデーなどのメディアたちは新聞やテレビの公共電波を介して、岡田有希子の自殺を知らせ世間を大きく揺るがせました。
この報道で自殺した現場直後や脳みそ遺体写真のカラー映像での生々しさから、岡田有希子さんのファンの若い人たちの間で「ユッコ・シンドローム」が起こり、後追い自殺をする人がかなりいたそうです。
この時の社会問題現象では、カラーで映し出された岡田有希子さんの遺体写真などよりも、後追い自殺した人たちの状況の方が、さらに無残な現場光景になったとされています。後追い自殺者の人が出るほど岡田有希子さんの自殺・遺体写真は、社会に大きな影響を与えたのです。
これが「ユッコ・シンドローム」という後追い自殺の真相とされ、岡田有希子の自殺について真相の一部として語られ続けています。
4月8日。佳桜忌はご存知ですか?
— トランクス:ゼノ (@Trunks_Xeno_F) April 7, 2017
歌手・岡田有希子の1986年の忌日なんですよ 。人気絶頂期に事務所のビルから飛び降り自殺をしたんです。
桜の咲く時期である事と本名の佳代から佳桜忌と呼ばれています。
実は当時、深刻な社会問題化した事件なんです。#今日は何の日
岡田有希子が自殺した原因、真相と考えれる出来事
脳みそ遺体写真より自殺の原因、真相と考えられること①生活環境からの疲れ
岡田有希子さんが自殺した原因や真相と考えられることの一つとして挙げられるのが、生活環境からの疲れともいわれています。
なぜかというと、岡田有希子さんは若い頃から芸能界デビューしていることもあり、日々芸能界生活の激務に耐え忍んでいる状態だったからです。
特に岡田有希子さんは、学生時代は成績ではほぼ5評価をもらうほどの優等生でありながら、根がまじめで学生の模範と言ってもいいほどの子どもとされていました。
しかしそんな性格からか、芸能界で激しい激務と戦うとともに、楽屋での挨拶でも様々な人が出入りするので、誰に挨拶したかどうかを考えるだけでも疲れるとぼやいていたともされます。
さらに、芸能界で生き残っていくために水着撮影などの事も考えて、一日一食しか食べないような生活を続けていたとされているので、とても厳しい環境下にいたと考えられます。
このことからわかるように、まだ若いのにこのような厳しい生活や苦しい環境下で生活を続けている状態だったので、生活・社会環境からの疲れで生きるのが嫌になったのではないかと考えられています。
岡田有希子さんが亡くなり30年か。早いなあ。彼女の訃報を学校から自宅に戻ってから知りました。この日の夜、クラスの友達から学校の事で電話があり「辛い事があっても自殺してはダメだよ」と友達が電話口で語ってくれたのは今でも強く覚えてる。
— しばふぁみ (@shibafami) April 8, 2016
脳みそ遺体写真より自殺の原因、真相と考えられること②交友関係
次に岡田有希子さんがなぜ自殺をしたのかの原因、真相として考えられたのが交友関係でした。
岡田有希子さんは事務所の屋上から飛び降り自殺をしてなくなったのですが、現場には岡田有希子の遺体とともに、飛び降り自殺をする前に書いただろうとされる遺書が残されていました。
その遺書の中には峰岸徹の名前が記されていたとされ、そのことを知ったフライデーなどのメディアがすぐさま峰岸徹さんのもとに行きました。しかし、峰岸徹自身も岡田有希子の自殺にはかなり驚いており、仲は良かったものの実際共演したのは「禁じられたマリコ」というドラマぐらいだったとされています。
峰岸徹さんのコメントでも、岡田有希子さんは妹みたいな存在としか認識しておらず、岡田有希子さんが峰岸徹さんへ一方的に片思いしていたのではないかとも言われています。
このことについては岡田有希子さん自身にしかわからないですが、峰岸徹さんの元に「なぜ後追いしない」などといった様々な脅迫状が届いたり、岡田有希子を弄んだと誤解されたりしたので、峰岸徹さん自身も大変だったと伺えます。
岡田有希子さんの母親も遺書の中に峰岸徹さんの名前が入っていたことは認めるものの、峰岸徹さんに対しては詫びていることもあり、峰岸徹さんだけが自殺の真相、原因とは考えにくいです。
峰岸徹さん自身も今ではこの世にいないので、本当の真相を聞くことはもうできません。
今朝岡田有希子が亡くなった真相が紹介された雑誌を読んだが。
— ☀の日生まれの🐶🐮🐀k-しょうこはん🐧@(35)小殺界@1q86🐏座第二デークA型 (@pw0g1986) March 31, 2017
彼女の死因は峰岸徹ではない。
有希子母曰く
「本人は疲れていた」と。
岡田有希子のような脳みそ遺体写真が出てくることがない世の中に
今回は岡田有希子さんの自殺について原因や真相の調査を行いました。
岡田有希子さんが自殺に至った原因はいくつか推測が立てられていますが、本人が亡くなっている以上、その真実は謎のままです。
また、今考えるべきはこのような悲しい自殺を少しでも減らすことだと思います。
人生は生きていると辛いことだらけだと思いますが、身を投げ出してしまったり後追いをしたりすると、後に残された人たちは嘆き悲しむことになります。
悲しい自殺を少しでも減らすためにも、皆さんもストレスを抱えすぎることなく、辛い時は身近な人や専門の機関に相談してみてくださいね。