2021年03月30日公開
2021年08月13日更新
少年誘拐ホルマリン漬け事件の概要・犯人・その後の出所
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、日本の犯罪の中でも人々に衝撃を与えた卑劣極まりない犯罪でした。巧みに少年に声を掛け、言葉や行動で心を掴む犯人は、少年に異常な愛情を持つ26歳の青年でした。少年との接点や事件の真相、殺した後の遺体の行方などに迫ります。
目次
少年誘拐ホルマリン漬け事件の詳細が知りたい
どんな事件だったのか
1957年に起きた少年誘拐ホルマリン漬け事件とは、少年好きな男が起こした事件です。少年愛者であった男が、街で見かけた少年に惚れ、殺し、その遺体をバラバラにしては毎日観賞したいとホルマリン漬けにしました。
この少年誘拐ホルマリン漬け事件が人々の脳裏に焼きつくことになった理由に、この少年の被害者と殺した加害者の親が多くの人が知る著名人であったことでした。
少年誘拐ホルマリン漬け事件に関連した人物や行動は?
少年誘拐ホルマリン漬け事件に関連した人物はいるのか
気になる少年誘拐ホルマリン漬け事件の関連人物ですが、長男1人での犯行と分かっています。ただ、少年の遺体が入ったホルマリン漬けの容器を取り出しては楽しんでいましたが、昼間は父親と母親がそれを嫌がるから、床下に隠していたと日記に自分で書いています。
ということは、親は少年の遺体を目にしていると分かります。普通なら、そんな容器を目にしたら警察に通報するでしょう。また、度々子供を部屋に連れて行く息子の姿も目にしていた親。なぜ、この両親は日頃から息子の不可解な行動を注意もせず、ホルマリン漬けの容器を見ても通報しなかったのでしょうか。
それは、息子が精神病院に入院するほど異常な言動や行動が怖いと思っていたから。巻き込まれ、関わっては暴力を奮われたくないという恐怖の心理が、見ざる、聞かざるな状態にしてしまったのです。
犯人の日頃の様子
被害者は、当時人気のプロレスラーであった清美川梅之の息子である長男でした。加害者は当時囲碁棋士七段の林有太郎の長男、邦太郎です。遺体をバラバラにするだけでも精神的に異常だと誰もが感じますが、実際にこの長男は精神病院に入院する患者でした。
犯行を犯す時には、すでに精神病院に入院していた長男。なぜに入院していたのか。それは、少年を待ち伏せしては暴力を振るったり、わいせつな行為をしていたから。更には自分が飼っていた猫をバラバラにし、食べていたのです。当時、家には12匹もの猫を飼うほど猫好きだった長男は、愛するあまり、食べてしまう男でした。
そして、この少年誘拐ホルマリン漬け事件を起こすことになるのですが、当時長男は26歳。大人で物事の分別もつく年齢です。しかし、異常な性の欲望が歪んだ形として表れては、少年誘拐ホルマリン漬け事件という恐ろしい事件を起こす犯人となるのです。
犯人の詳細
犯人とはどんな人物か?
少年誘拐ホルマリン漬け事件を起こした容疑者の林は、明治大学を卒業しているインテリです。商学部を卒業していますから、良い会社にも入れたでしょう。ただ、同性愛者というところと、少年好きなところに独特な恋愛感を生み出してしまいました。
少年誘拐ホルマリン漬け事件を起こす前から近所の子供を家に連れてきては遊びますが、飽きるとその子供を殴って泣かせ、その姿を見ては楽しむ卑劣な奴です。自分の性欲を満たす為に、少年を誘っては断られれば殺し、自分の意がままにする、少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人です。
容疑者は加害者とお風呂に入っていた
この少年誘拐ホルマリン漬け事件の数日前、いつもと同じように、自分が気に入った少年に声を掛けた林。声を掛けられ、その後遺体をバラバラにされてしまう被害者と一緒にお風呂に入っています。そして、林は少年の背中を洗ってあげました。
しかし、この後、被害者の少年は同級生に「あの人に僕は殺されるかもしれない」と言っています。そして、少年誘拐ホルマリン漬け事件が起きた4月1日、林は少年を街で見かけて声を掛けました。家に連れて行き、家族を家から出すために銭湯へ行かせました。
家に二人きりとなった長男は、少年の服を脱がそうとしましたが、拒否されてしまいます。腹を立てた長男は少年を殴り、起き上がったところを更に玄関に打ち付け、殺したのです。
少年を殺した後の林の行動
少年を殺してバラバラに
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人は、殴り殺した少年の遺体を2日間かけ、刃物で切り刻み、バラバラにしました。出刃包丁やノコギリなどを使って。そして、大きな金魚鉢や容器を5つ街に出ては店で買い、バラバラにした遺体を容器に詰め込み、ホルマリン漬けにしたのです。中身が出ないように蓋をしてパテで固定、密閉して保存しました。
少年のホルマリン漬けを毎日取り出し、眺めるのが日課に。見ると性的興奮を覚える林は、若松湯にあるノートにその時の感想を書いています。「理想的な少年を見つけた」「金魚蜂に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない」と。生きているときよりも、死んだあの子の方がいっそうかわいいなどと、この少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人である林は異常な感想を書いています。
被害者の親を脅迫
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人の林は、殺害した少年の親にいたずらをしてやろうと思いつきました。脅迫状を母親に送り、金を要求したのです。その脅迫文には、「子供を返してもらいたいのなら、午後4時迄に、駅に15万円を持って来るように」と書き、送り付けたのです。
駅は東上線鶴ヶ島で、脅迫文を読んだ母親はお金を用意しては駅へと行きました。駅には林を捕まえようと刑事が待機していましたが、結局、林は現れなかったのです。
少年やその家族
父親はどこに?
この少年誘拐ホルマリン漬け事件の被害者である少年は、事件当時中学一年生でした。名前は巣山和利といいます。少年誘拐ホルマリン漬け事件の少年の両親は離婚しており、当時は母親に引き取られて暮らしていました。父親の清美川とは別々の家に住んでおり、事件当日は清美川は長期遠征中でした。
少年はなぜ林に会いに行ったのか
少年誘拐ホルマリン漬け事件では、殺された少年は当時12歳。怪しい大人がいれば誘いにのっても断れる年頃でもあります。でも、林に聞かれて家の電話番号や住所を教えているのです。後日、「会おう」と誘われて「うん」と言ってしまっているところが、少年に好奇心を持たせる林には、巧みな会話術と魅力がありました。
そして、母親は離婚し、仕事をしているために帰宅時間も遅い。一人っ子の少年は夜の街にフラフラと出歩くようになってしまった。少年は父親がいないぶん、優しく話し掛けてくる男を父親のように感じてしまったのです。
事件後は犯人はどこにいた?
脅迫文が届き、母親が駅で待っていた頃、林は25歳前後の男と仲良く歩いていた姿を目撃されています。しかし、その後にパタリと行方が分からずじまいでしたが、4月9日に、病院に入院していることが判明しました。
なぜ、判明したかというと、その病院側から入院している患者について、警察に通報の電話が入ったのです。その病院は都内の精神患者が入院する精神病院。入院した林が「子供を殴った。血が出る」などと口走っていたことを不審に思い、病院関係者が通報したのです。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人の家は中野区にあり、通報を受けた警察が自宅に駆けつけました。そして、家を調べれば床下からホルマリン漬けの少年の遺体が入った熱帯魚用の水槽と金魚鉢を発見。金魚鉢には顔と足が入れられていたのです。間もなく林は逮捕された少年誘拐ホルマリン漬け事件です。
少年誘拐ホルマリン漬け事件後の林はどうなったのか
少年誘拐ホルマリン漬け事件のその後、容疑者の林はその異常な犯行は精神的な問題があるとして精神鑑定を受けました。しかし、責任能力があるとされ、懲役10年の判決を受けることに。刑務所では模範囚として過ごしました。
両方の親が注意するべきだった
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、同性愛者で少年が特に好きな林という男が起こした事件です。被害者の少年は両親が離婚し、仕事が忙しい母親と二人きりでの生活で孤独感を感じていました。そこに優しく話し掛けてきた林に迫られては断り、暴行されて死亡。林は遺体をバラバラにしてはホルマリン漬けにしたのです。
もう少し両方の親が息子にしつけと注意をしていたなら、このような事件は起こらなかったでしょう。昭和史上、稀にみる陰気で恐ろしい事件でした。