マリーアントワネット名言18選!本当は悪人ではなく清く美しい王女?
マリー・アントワネットの18個の名言を紹介します。読み取るべきはマリー・アントワネットが名言を残すほどの人物であるという事実ではなくて彼女の生き様です。さらには、エピソードなども見てみましょう。きっとマリー・アントワネットに詳しくなれることでしょう。
目次
世界で有名なマリー・アントワネットって本当はどんな女性?
世界で有名なマリー・アントワネットとは一体どのような人物なのでしょう。名言やエピソードなどからわがままで浪費家なイメージを持たれがちなマリー・アントワネットという名の王妃の知られざる秘密に迫ります。
マリー・アントワネットの経歴は?時系列で簡単解説!
マリー・アントワネットの経歴について時系列にカンタンに解説します。フランス革命を題材にしたおすすめの映画も紹介します。
1755年 ハプスブルク家に誕生
マリー・アントワネットは1755年11月2日にハプスブルク=ロートリンゲン朝の最初の皇帝であるフランツ1世とその妻マリア・テレジアの11番目の子供として生まれた娘です。ハープやチェンバロ(フランス語でクラヴサン)などの楽器演奏を得意とする娘で3歳年上の姉、マリア・カロリーナが嫁いでゆくまでは同部屋で過ごし、2人の娘たちは非常に仲が良かったと言われています。しかし、夫とともに政治に携わるマリア・テレジアが自分の娘とフランス国王ルイ15世との政略結婚を企てます。
1770年 ルイ16世と政略結婚
まずナポリ王と婚約していたマリア・テレジアの9女、マリア・ヨーゼファが結婚の直前に急死します。そこで、マリア・ヨーゼファの代わりにマリー・アントワネットの姉のマリア・カロリーナがナポリ王と婚約する流れです。仲の良かった姉の突然の婚約にマリー・アントワネットは大層悲しんだと言います。要するに、マリア・テレジアは他の娘たちでも同じように画策していたのです。それから、マリー・アントワネットとルイ16世も挙式します。場所はヴェルサイユ宮殿で2人は盛大な祝福を受けました。
1789年 フランス革命勃発
フランス革命が勃発するとそれまでマリー・アントワネットから恩恵を受けていた貴族たちが国外に亡命します。結局、最後の最後までマリー・アントワネットに忠実だったのは王妹エリザベートとランバル公妃だけであったとも言われています。そんな中、噂のフェルセン伯の手を借り、パリからの脱出を図る国王一家ですが、広くて豪奢で足の遅いベルリン馬車に銀の食器や衣装タンスなどを積み込んでの計画の実行です。また、正体がバレにくいようにとマリー・アントワネットは家庭教師の姿に変装しています。
2,160円
商品の購入はこちら1791年 国外逃亡に失敗
1791年、国王一家の身元はヴァレンヌで発覚、俗に言うヴァレンヌ事件です。翌年1792年にフランス革命戦争勃発、さらには、マリー・アントワネットの良くない噂が広まります。そして、その年の8月にはマリー・アントワネット、ルイ16世、マリー・テレーズ、ルイ・シャルル、エリザベート王女の一家はタンプル塔へと幽閉されたのです。ただし、家族でチェスを楽しめる程度の余裕は残されていたと言います。
1793年 コンコルド広場で処刑
1793年1月、まずはマリー・アントワネットの夫ルイ16世に死刑の判決が下されます。マリー・アントワネット自身には10月15日に死刑判決が下り、翌10月16日にコンコルド広場においてギロチン処刑されました。マリー・アントワネットは妹のエリザベートに向けて遺書を残しており、フランス革命を生き抜いたマリー・アントワネットの長女マリー・テレーズが1816年に目にすることとなります。
マリー・アントワネットの本当の性格は?良い人だったの?
断じて王妃にふさわしい言動を取らなかったマリー・アントワネットですが、そこには生まれ持った性格も少なからず影響していると言えるでしょう。さて、マリー・アントワネットの性格について紹介します。
マリーの浪費癖は本当?その理由とは?
まずマリー・アントワネットは非常に家具に興味のある女性で世界中から沢山の木材を取り寄せては、家具を作らせたと言います。その際、珊瑚や銀などの装飾が施されています。これはマリー・アントワネットが浪費家と言われる理由の1つと言えます。また、マリー・アントワネットはファッション・リーダーとしてもよく知られる女性です。諸外国の上流階級の女性たちに流行するほどのファッションスタイルには当然のごとく、宝石が用いられています。これも浪費家と言われる理由の1つと言えるでしょう。
浪費家な性格と言われる理由については1つは賭博場へと足を運んでいたことが挙げられます。マリー・アントワネットは時に借金をしてまで賭事を楽しんでいたと言います。また、定期的にマリー・アントワネット主催の舞踏会が開かれていたこともマリー・アントワネットが浪費家な性格と言われる理由の1つです。週に3回もパリからプロの劇団を招いた舞踏会を開催していれば浪費家な性格と言われても決しておかしくはないでしょう。浪費癖のあるわがままな性格という決定打にもなりかねません。
悪人キャラはでっちあげられた姿だった!
わがままで浪費家なイメージの先行するマリー・アントワネットですが、性格が悪かったというのはあまり聞かない話です。マリー・アントワネットはわがままで浪費癖のある性格で悲運の王妃というのが定番です。そもそもわがままな性格に至っては決められた結婚と窮屈な宮廷暮らしからの開放を求めての言動だったと見て取ることもできるでしょう。ただし、マリー・アントワネットが頻繁に娯楽をしかも、夫であるルイ16世ではなくて若い貴公子たちと遊びに出掛けていたこともまた、虚構とは言い切れないのです。
わがままな性格、浪費癖のある性格、などと悪いイメージの性格ばかりが先行し、マリー・アントワネットの真の性格は謎のベールに包まれたままと言っても過言ではないです。だからこそマリー・アントワネットはこれほどまでに歴史上において広く名のしれた人物であるとも言えます。民衆にとって重要なのはマリー・アントワネットの真の性格ではなくて彼女の知名なのでしょう。わがままな性格云々、浪費癖のある性格云々、日本人だって税金の無駄遣いは嫌います。
マリー・アントワネットの名言集!18の言葉で分かる彼女の人柄とは?
マリー・アントワネットの名言を18つ紹介します。言葉の端々から滲み出るマリー・アントワネットの人柄に注目です。
①"If the people have no bread, let them eat cake."
訳:パンがないならブリオッシュを食べればいいわ。
マリー・アントワネットの名言として伝えられている実際にはそうではない名言です。実際にはルソーの『告白』の第6巻において家臣からの問いかけに対し、大公夫人が「ならばブリオッシュを食べれば良い」などと応えた趣旨の記事が記録されています。しかも、こちらも主力な原典の1つに過ぎず、定かではありません。いずれにせよマリー・アントワネットによる名言ではないことだけは判明しています。
②"Letting everyone down would be my greatest unhappiness."
訳:皆を悲しませることになればそれは私の最大の悲しみとなる。
"let + 人 +down"で「人を失望させる」となります。マリー・アントワネットにとって民衆を悲しませることが多大なる意味を有していたことの窺える一文です。こちらの名言からは悪いイメージとはかけ離れたマリー・アントワネットのお人柄が分かります。
③"Tribulation first makes one realize what one is."
訳:試練や苦難に直面したら第一に考えるのは自分は何者なのかということなのです。
"tribulation"は試練や苦難を意味する英単語です。また、"in great tribulation"の形で「ひどく苦しんで」という意味にもなる英単語です。マリー・アントワネットが試練や苦難に直面した際に現実から目を背けずにまずは自分に問いただすことから始めていたことのわかる一文とも言えます。マリー・アントワネットの誠実な政治との向き合い方の窺える名言です。
④"In times of crisis, it is of utmost importance to keep one's head."
訳:危機の際に何よりも重要なのは頭を守ること。
政治にも携わっており、治安維持を重要に考えていたであろうマリー・アントワネットです。要約すると夫を守ることが国を守ることに繋がるというような内容の名言でしょう。
⑤"Of all waste, most blame for it is time consuming."
訳:最も咎めるべきは時間の浪費。
マリー・アントワネットは効率重視とも受け取れる名言です。ただ、実際の名言の意味は効率重視というより、日々や人生の充実させるための時間の削減を意味していると思われます。
⑥"I have seen all, I have heard all, I have forgotten all."
訳:全てを見て全てを聞いて全てを忘れたのよ。
"seen"は"see"、"heard"は"hear"、"forgotten"は"foget"の過去分詞形です。ひたすら続く王妃としてのマリー・アントワネットのまさに名言と言える一文でしょう。
⑦"When the people who devote themselves to us were seen while doing unfortunate living, it's that it's natural to devote itself to their happy purpose above up to now."
訳:不幸な暮らしを送りながらも私たちに尽くしてくれる人々がいるならば、そのような人々の幸せのために現在よりもさらに身を捧げること、それは当然のつとめ。
マリー・アントワネットが母親のマリア・テレジアに宛てた手紙の一文です。離れて暮らす娘を想う母親への配慮の見受けられる名言です。
⑧"Courage! I have shown it for years; think you I shall lose it at the moment when my sufferings are to end?"
訳:勇気!それは私が何年もの間、見せてきたもの、苦しみから開放された瞬間、それも失うのでしょうか?
名言から浮かび上がるマリー・アントワネット像は対応力もある王妃の姿です。そして、もちろんマリー・アントワネットが勇気ある女性であることは承知の事実です。
⑨"I wasn't raised, I was built."
訳:私は育てられたのではなくて造られた人間です。
"raise"は「育てる、持ち上げる、引き上げる」などの意味を有する英単語です。マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿を始めとする有名なゆかりの地が多数存在する王妃です。そのような王妃ならではとも言える名言です。
⑩"You do not need anything. All it was the end."
訳:何も要りません。全ては終わりました。
マリー・アントワネットが処刑される日の朝食について尋ねられ、応えた際の一文です。自らの死と冷静に向き合うマリー・アントワネットの芯の強さの垣間見える名言です。
⑪"What was really affecting was the tenderness and earnestness of the poor people, who, in spite of the taxes with which they are overwhelmed were transported with joy at seeing us."
訳:パリに足を踏み入れたときに最も感動したことは、高い税金に苦しめられながらも、私たちを見て歓声を上げてくれた貧しい人々の優しさや熱心さだったわね。
マリー・アントワネットが仮に単に残酷な女性だったならば貧しい人々の優しさや熱心さに気付くことも感動することもなかったでしょう。マリー・アントワネットが人の優しさに気付ける人柄の持ち主ということの分かる名言です。
⑫"They desire it all the more because they know popularity will accrue rather to those who disturb than to those who maintain order."
訳:秩序を守ろうとするよりもむしろ破ろうとすることの方が民衆から人気が出ることを知ってしまったからついつい過敏になり過ぎてしまうのかしら。
健気とも取れるマリー・アントワネットの名言です。民衆の求める王妃像を実現させることよりも自分らしく、民衆の支持を得ようと努力をし続けたマリー・アントワネットの不器用で優しい性質が分かります。
⑬"It is the nature of human beings, especially of the mediocre ones, to wish to change everything."
訳:全てを変えたいと思うのが人間、特に平凡な人間の本質とも言えるでしょう。
"mediocre"は「並の、平凡な」などの意味を持つ英単語です。驕らずに謙遜する気品のあるマリー・アントワネットの名言です。
⑭"And I will make thee beds of roses, and a thousand fragrant posies."
訳:薔薇のベッドを作り、芳しい1000の花束を作るのです。
マリー・アントワネットは薔薇の育種に携わっていたほどの薔薇好きで有名な王妃です。故に、この名言からはマリー・アントワネットが薔薇を愛する女性であり、王妃であったことがよく分かるのです。
⑮"I am terrified of being bored."
訳:退屈することを考えると恐ろしくなるわ。
"terrified"は、"be terrified of doing ~"の形で「~するのが怖い」となる英単語です。マリー・アントワネットにとっての退屈が恐怖を意味することを如実に表す名言でもあります。
⑯"There is nothing new except what has been forgotten."
訳:忘れることの他に新しいことなんて何一つ無いのよ。
"expect"は「~を除いて、~の他は」などの意味を持つ英単語です。日本で言うところの前置きのような働きをする前置詞です。マリー・アントワネットの王妃人生の大半を忘却が占めていたことの感じ取ることができる名言です。
⑰"Farewell, my children, forever. I go to your Father"
訳:さようなら、愛しのわが子たち。私はあなたの父親のところへ行くわ。
あなたの父親とは、ルイ16世のことでしょう。マリー・アントワネットが自分の子供たちと夫であるルイ16世のことを大切に考えていたことの推察できる名言と言えます。
⑱"Please forgive me, Mushu. It is not on purpose"
訳:ごめんなさいね。わざとではありませんの。
死刑執行の際にマリー・アントワネットが死刑執行官の足を踏み、言い放ったとされる言葉です。マリー・アントワネットの生涯最後の名言としても有名です。さらに、この名言には続きがあって死刑執行官の靴が汚れなくて本当に良かった旨の言葉を付け加えたとも言われます。
マリー・アントワネットが死刑になった3つの理由とは?
マリー・アントワネットが死刑になった本当の理由は、果たして彼女の横行にあるのでしょうか。マリー・アントワネット死刑の3つの理由を紹介します。
オーストリアに機密情報を漏らした
もともとは敵国であったオーストリアにフランスの機密情報を漏らしたことはマリー・アントワネットが死刑になった理由の1つと言えます。フランスの国王ルイ16世と政略結婚し、フランスの王妃となったマリー・アントワネットですが、フランスの国民からしてみれば決して面白くはない話です。そのような女性ならば、きっとフランスの機密情報をオーストリアに漏らしていることだろうという憶測に過ぎないとも言える理由です。
国庫を浪費した
マリー・アントワネットが死刑になった理由の2つめに挙げられるのが国庫の浪費です。マリー・アントワネットの浪費癖が国庫の財政を破綻へと導いたというものです。ただし、実際には財政破綻の理由はマリー・アントワネットの浪費癖ではなくてルイ14世のヴェルサイユ宮殿建設、ルイ15世の愛人へ貢ぎ、その他諸々が財政破綻の理由であるとも言われています。
息子と性的関係にあった
マリー・アントワネットによる息子のルイ17世への近親相姦の罪が裁判で問われたのは、マリー・アントワネットが死刑になる直前のことです。そもそもマリー・アントワネットの息子のルイ17世は母親からの性的虐待を証言させられる以前に革命急進派から虐待を受けています。さらには、非公開尋問も執り行われています。裁判の判決が下される前にマリー・アントワネットは処刑となりました。故に、マリー・アントワネットが死刑になった直接の理由とは言えません。こちらの理由に関しては完全に事実無根なのです。
マリー・アントワネットの子供は?どんな生涯だったの?
マリー・アントワネットの子供の数は全部で4人です。フランス革命の勃発により、子供たちを含む国王一家はタンプル塔へと幽閉されることとなります。また、マリー・アントワネットの子供の内、唯一懐妊しているのは長女であるマリー・テレーズです。しかし、彼女は流産し、子供を残すことはありませんでした。
病死した2人の子供たち
病死したのは息子のルイ・ジョゼフ・ド・フランスと娘のソフィー・ド・フランスです。息子のルイ・ジョゼフ・ド・フランスは脊椎カリエス、娘のソフィー・ド・フランスは結核で亡くなっています。また、0歳の時に亡くなっている娘のソフィー・ド・フランスですが、その生誕すら祝われることはなかったと言います。これは息子と娘への接し方に違いがあったというよりは当時の時代背景に理由があります。当時のヴェルサイユ宮殿は怒り狂う民衆からの対応に追われており、娘の生誕を祝うどころではなかったのです。
マリー・アントワネットの次男 ルイ17世の生涯とは?
ルイ17世は母親であるマリー・アントワネットから「愛のキャベツ」というあだ名を付けられた子供です。フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットの次男です。兄であるルイ・ジョゼフ・ド・フランスの病死により、皇太子となりましたが、ルイ17世もまた、病死しています。子供の頃から整った目鼻立ちで愛嬌もあり、性格は活発で宮廷内の人々からも好かれていたとされています。その反面で神経質で慣れない物音に怯え、やや軽率な面を併せ持つなど少し変わった子供であったなどとも言われています。
マリー・アントワネットの長女 マリー・テレーズの生涯とは?
マリー・テレーズは1778年12月19日に誕生したフランス王国ヴェルサイユ宮殿にてフランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットとの間に儲けられた娘です。結婚後7年目にしてようやくできた子供であり、娘です。マリー・テレーズは子供の頃から体重と同程度のパニエを身に着け公の場に顔を出し、母親のマリー・アントワネットの悪口を言うなど言動の大人びた娘であったことも知られています。フランス革命が勃発するまでは、フランス国王の一人目の娘であるからにマダム・ロワイヤルの称号で親しまれています。
マリー・アントワネットに関するおもしろエピソード2選
マリー・アントワネットは非常に豊富なエピソードの持ち主です。そこで、マリー・アントワネットに関するおもしろエピソードを2つご紹介します。
【エピソード①】お風呂好きな話
マリー・アントワネットのエピソードの1つにタンプル塔に幽閉されながらも、バスタブを運び入れたというものがあります。こちらのエピソードにはマリー・アントワネットの幼少期からの入浴事情が反映されています。マリー・アントワネットの故郷オーストリアは入浴の習慣のあった国としても有名です。一方でマリー・アントワネットの嫁ぎ先であるフランスに入浴の習慣はありませんでした。王妃マリー・アントワネットは故郷であるオーストリアを離れてからも入浴の習慣を継続しようと試みたのでしょう。
【エピソード②】マリーが考えた有名なものとは?
マリー・アントワネットのエピソードとしてはクープグラスが有名です。クープグラスはワインやシャンパンに適したグラスです。格式の高い場において用いられるクープグラスは実は、マリー・アントワネットの左の乳房を形どって作られたと言われています。こちらのエピソードに関しては事実かどうか確証がありません。
また、マリー・アントワネットがハンカチーフを正方形と定めたというエピソードがあります。18世紀末のフランスにおいては様々な形をしたハンカチーフが存在していました。そこで、マリー・アントワネットはルイ16世へと進言し、1785年6月2日に「フランスの全てのハンカチーフを正方形に定める」という内容の法令を出したのです。このエピソードにより、マリー・アントワネットの誕生日の翌日とされる祝日の11月3日は現代においてもハンカチーフと日として定められています。
マリー・アントワネットが登場するおすすめ映画3選
マリー・アントワネットが登場するおすすめの映画を3作品紹介します。マリー・アントワネットや映画のファンではなくても、気軽に楽しめるおすすめの作品です。
①マリー・アントワネットの生涯
マリー・アントワネットとその愛人としても有名なフェルセン伯との物語です。マリー・アントワネットがフランスの王子ルイ・オーギュストと政略結婚してからフランス革命が勃発し、フェルセン伯がヴァレンヌ事件の手引きをするが失敗に終わって遂にはマリー・アントワネットがギロチンにかけられてしまうまでのストーリーの描かれている映画です。
②マリー・アントワネット
フランス政府からの許可を得て特別に本物のヴェルサイユ宮殿で撮影の行われた映画です。歴史上のマリー・アントワネットについて知れるだけではなく、揺れ動く、マリー・アントワネットの心にも着目されている映画です。特典映像なども満載でおすすめです。
③王妃マリー・アントワネット
映画『マリー・アントワネット』には収録しきれなかったマリー・アントワネットの有名なエピソードもなども収録されているおすすめの映画です。ジャンルも伝記なので名言などマリー・アントワネットをもっとよく知りたい人に最適と言える映画です。
マリー・アントワネットは誇り高き立派な王妃だった!
マリー・アントワネットの目立ち方は半端ではありません。そして、過去これほどまでに多くの名言やエピソードを世に送り出している王妃も多くはないでしょう。いずれにしてもマリー・アントワネットの王妃としての立ち振舞いは唯一無二です。言い換えればマリー・アントワネットはマリー・アントワネットだけがなし得れる政治を行い続けました。兎にも角にもマリー・アントワネットとは非常に影響力のある王妃だったのです。さて、花に関する記事に目を通してみましょう。