ハプスブルク家の顎は近親婚が原因?遺伝の可能性や現在を調査

ハプスブルク家の写真を見ると、皆が「しゃくれた顎」であることが気になりますよね?実は、この顎は、度重なる近親婚が原因では?と言われています。今回は、ハプスブルク家の近親婚や、遺伝の可能性、現在に至るまでの調査をしていきます。

ハプスブルク家の顎は近親婚が原因?遺伝の可能性や現在を調査のイメージ

目次

  1. 1ハプスブルク家の顎はなぜしゃくれているの?
  2. 2ハプスブルク家とは?
  3. 3ハプスブルク家の顎は遺伝?
  4. 4ハプスブルク家の近親婚による影響
  5. 5ハプスブルク家のその後
  6. 6ハプスブルク家の末裔はいるの?
  7. 7近親婚による遺伝は大きかったが末裔たちには影響がなかった

ハプスブルク家の顎はなぜしゃくれているの?

オーストリア

ネット上で「ハプスブルク家」と検索すると「顎」「しゃくれ」「奇形児」などの話題で溢れているんですよね。そこからわかるように、ハプスブルク家には「顎がしゃくれている」という大きな特徴があるのです。

これほど、皆のあごがしゃくれているのには、深い理由がありました…

それは、ハプスブルク家の闇ともいわれる部分であり、今でもハプスブルク家顎のしゃくれについて研究している者たちがいるほど、興味深いものとなっています。このしゃくれの原因…それは「近親婚」です。「近親婚」を繰り返してきたことによって、次々と顎に特徴を持った子孫が生まれていきました。

そこで今回は、ハプスブルク家の顎は近親婚が原因なのか?遺伝の可能性や現在のハプスブルク家についても調査していきます!

ハプスブルク家とは?

そもそもハプスブルク家の始まりは、10世紀末頃、スイスのライン川の上流域(アールガウ地方)が発祥地となっています。

ハプスブルク家は元々、スイスにある弱小の豪族でした。2代目・3代目を継いだ人物が「ハビヒツブルク城」を建てたと言われています。この「ハビヒツブルク」と言う言葉の意味は「大鷲」であり、「ハビヒツブルク」がハプスブルク家の名前の由来となります。

12世紀になる頃、ハビヒツブルク城に住んでいた子孫が、自分のことを「ハプスブルク伯爵」と名乗るようになったのが、繫栄のキッカケとなる最初の出来事だったと言えるでしょう。

ハプスブルク家は「マリーアントワネット」の生家でもあるのです。700年に渡って、君主国家として存続を続けた実力は偉大なもので、5つの宗教と12もの民族をまとめ上げていたのですから「巨大帝国」と呼ばれていた所以にも頷けますね。

 

ヨーロッパを統治した貴族

ハプスブルク家は、ヨーロッパ(ドイツ系)の貴族です。

神聖ローマ帝国の皇帝の座は、ハプスブルク家が独占しています。領地面積は、帝国が滅びる直前までヨーロッパ最大だったと言われ、ヨーロッパはもちろんのこと、太平洋の諸島やアメリカ大陸に至るまで広く領土を所持していました。(ロシアを除きます)

ハプスブルク一族からは、マリーアントワネットなどの、歴史に名を遺す数々のヒロインや英雄も誕生しています。ここからわかるように、ヨーロッパを語る上で、欠かすことのできない名家なんです!

近親婚で血統を維持

近親婚

ハプスブルク家「近親婚」で血統を維持してきました。

なぜなら、ハプスブルク家「カトリック」であり、厳しいカトリック政策によって、プロテスタントや王侯との結婚が禁止されていたことや、自分たちが「ヨーロッパ屈指の名家でありエリートであると自負していたので、家柄の低い諸候との結婚はできなかったのです。しかし実は、カトリックでは「近親婚」も禁止されていました。名家だから目をつぶってもらえたのです。

ハプスブルク家は、近親婚を繰り返すことにより、皆、肌が白く、血管が透けるようでした。「奇形児」が生まれても「ハプスブルク家の高貴な青い血」を受け継いだ神の子と呼ばれていたのです。しゃくれた顎でさえ「天からの贈り物」と言われるなど、自分たちの都合の良いように解釈していたと見られています。

近親婚を繰り返し、最期の国王となったカルロス2世は、先天的障害を持って生まれ、悪魔の子と呼ばれました。

障がいで有名な一族

ハプスブルク家は、しゃくれた顎の他にも、近親婚を繰り返したことによる「障がい」で有名な一族です。障がいを持って生まれてくる子どもが多かったと同時に、奇形児も生まれていました。

なかでも1番有名なのが、カルロス2世の知的障がいでしょう。「一族の高貴な青い血」を守る事だけに尽力を注いだ結果、カトリックでも禁止されていた近親婚を繰り返し、障がい一族となっていまったのです。

「ハプスブルク顎」と呼ばれる「下顎前突症」(かがくぜんとつしょう)は、ハプスブルク家の多くの人が患っていました。これだけ近親婚を繰り返していれば、奇形児が生まれても仕方がありません。

ハプスブルク家の顎は遺伝?

ハプスブルク家の人々の多くが、しゃくれた顎で受け口ですよね。これは、近親婚による影響から、次々と奇形児が生まれてしまうと言われています。顎のながさが遺伝することはあるのでしょうか?

クルーゾン症候群のように、遺伝子異常から顎に影響を及ぼしていることも考えられます。

ハプスブルク家は下顎前突症が多い

ハプスブルク家の特徴として、顔の骨格の変形から「しゃくれた長い顎」があげられます。

これは、下顎前突症という病気で、下唇が上唇よりも、かなり前に突出しているのが見た目にも明らかです。下顎前突症になってしまう原因として、「遺伝的なもの」「後天的なもの」がありますが、その多くが遺伝的なものからだと言われています。

あまりにも顎が特徴的なので「ハプスブルク家には奇形児が生まれる」と話題に上ってしまう所以なのです。

遺伝的同型接合性の可能性

ハプスブルク家は、近親婚を繰り返していった結果、最期の国王カルロス2世の代のときには、近交係数0.254という驚異的な数字になっていました。これは、初代国王であったフェリペ1世のときには0.025であったことでもわかるように、恐ろしい数字となっているんです。

後の研究結果から、近交係数が0.2を上回っている者が、複数人いたことも明らかとなっており、ハプスブルク家は遺伝的同型接合性であった可能性が高いと見られています。

ホモ接合型(ほもせつごうがた)またはホモ接合体、同型接合体は、遺伝学において、二倍体生物のある遺伝子座がAA、BB、aa、bbなどのように同一の対立遺伝子をもつ個体のことである。また、この状態を「ホモ接合である」という。これに対し、Aa、Bbなどのように同一でない対立遺伝子を持つ個体はヘテロ接合型(またはヘテロ接合体、異型接合体)といい、この状態を「ヘテロ接合である」という。

原因は近親婚という研究結果も

ハプスブルク家の特徴的な「しゃくれた長い顎」の原因は、「近親婚」が原因だということが、新たな研究結果により証明されています。(スペインの科学者の研究結果によるもの)今でもなお、ハプスブルク家の顎の謎については、研究がなされているほど、大きな注目を集めているのです。
 

【近親交配と特徴的な顎に関連性があることを確認】


研究チームは、ハプスブルク家の20世代、6000人に渡る巨大な家系図の情報を使って、数世紀の間に起こった近親婚の数を計算した。

そして、肖像画に見られる顔の変形の程度と近親交配を関連づけて、近親交配と下顎前突症の間に強い関連があることを発見した。

つまり、血のつながりの近い者同士で子どもをつくると、顔の変形がもっとも顕著に表れるということだ。さらに、近親交配は上顎欠損症の高い発生率にもつながることも判明したが、7つの特徴のうち、はっきり診断されたのは2つだけだった。

近親婚により、もっとも悪影響を受けて生まれたのが、最期の国王となった、カルロス2世であり、カルロス2世は生まれながらに「呪われた子」と呼ばれるほど、重い疾患を抱えていたのです。度重なる近親婚が生み出した「奇形児」だったと言えるでしょう。

近交係数と顔の奇形の因果関係

3親等クラスの近親婚(叔姪婚)が始まったのは、フェリペ3世からでした。姪との近親婚により、8人の子どもに恵まれましたが、みな病弱で、生まれてすぐに命を落とす子も多かったのです。

病弱ながらも、なんとか王の座を受け継いだフェリペ4世でしたが、また世継ぎ問題に苦労し、1人目の妻は出産後に亡くなり、2番目の妻は「姪」であった「マリアナ・デ・アウストリア」でした。この近親婚によって生まれた最初の子が「マルガリータ王女」です。見た目には近親婚の影響は見られなかったと言われるマルガリータ王女ですが、スペイン大学の研究によれば「マルガリータの近交係数は、親子間・兄弟間によって出る係数の4倍である」ということがわかりました。

この異常なまでの近交係数によって生まれたのが、マルガリータ王女の弟「カルロス2世」だったのです。カルロス2世の近交係数は驚異の0.254でしたね。カルロス2世は生まれながらに奇形児であることが見て取れ、先天性疾患があったのはもちろんのこと、咀嚼に影響があり、いつでもよだれを垂れ流していました。顔の奇形が顕著に表れていたんです。

ハプスブルク家の近親婚による影響

結婚

度重なる近親婚を繰り返した結果、生まれてくる子どもや、妻にまで多くの悪影響が出てしまったのは言うまでもありません。

具体的には、どのような症状があったのか見ていきましょう。

体が弱い人が多い

病弱

ハプスブルク家に生まれた人の多くは、先天的な疾患があったり、とても体が弱かったことが特徴です。特に、カルロス2世の体には、誰の目から見てもわかるほどの疾患があり、常に片足を引きずって歩いていました。

カルロス2世以外にも、受け口で嚙み合わせが悪く、小さい頃から病気がちで鼻が詰まっているので、口が開きっぱなしの者も多かったのです。

後に、カルロス2世は2つの遺伝病を患っていたのではないかということが話題となりました。1つ目が「複合型下垂体ホルモン欠乏症」で、もうひとつは「遠位尿細管性アシドーシス」です。

近親婚を繰り返し、その最大の近交係数を一身に受け止めたと言われるカルロス2世が、大変体が弱かったことがわかりますね。

長く生きられない

ハプスブルク家で生まれたものの多くが、生後そのまま死亡してしまったり、やっと生きられる子が生まれた場合も、皆、長くは生きられなかったのです。国王になった者もも20代で亡くなることが多くありました。見た目には「しゃくれた顎」しか障がいがなかったとしても、やはりこれだけ若くして亡くなってしまうことが多かったのには、近親婚が影響していたと言わざるを得ないでしょう。

知性への影響

知性

近親婚を繰り返すことで、良い影響が出ることは、もちろんありません。知性にも影響があったのは間違いないでしょう。カルロス2世が知性や先天性疾患、見た目や行動に問題があったのは明らかですが、それ以外の者にも、知的障害や健康面での悪影響、発育障害があったと思われます。

なぜなら、近親婚は、確率的に障害を持った子が生まれる可能性が非常に高いからです。必ずしもそうなるわけではありませんが、ここまで度重なる近親婚を繰り返し、近交係数が「親子間・兄弟間の4倍」ともなる数値が出ていたとなれば、疑いようはありません。

ただし、しゃくれた顎知と知性への影響とは、一切関係はないので、注意が必要です。

ハプスブルク家のその後

「高貴な青い血」を受け継ぐことに尽力したことで、近親婚を繰り返してしまい、それがハプスブルク家を終焉へと導いてしまったのは、言うまでもないでしょう。大きな領土とせいりょを持っていたハプスブルク家ですが、やがて力を失っていきます。

勢いを失ったハプスブルク家のその後を見ていきましょう。

最期の国王カルロス2世

ハプスブルク家の最期の国王カルロス2世は、近親婚の影響を1番大きく受けたとされる国王です。生まれながらに先天性疾患があり、常によだれを垂らし、足を引きずらなければ歩けなかったほどでした。もちろん、まともに教育など受けられず「呪われた子」「衣服を着けた動物」などと呼ばれ、父親であったフェリペ4世は、我が子を恥じて、ベールを被せていたと言われています。

障がいの影響で、国王になっても政治をすることなどできず、すべて側近たちが行っていました。

カルロス2世は、世継ぎを残さなければなりませんでしたが、残念ながら「性的に不能」だったんですよね。カルロス2世が唯一興奮するのは「異端者が拷問にかけられ、苦しむ姿を見ている時」だけだったのです。

跡継ぎを残すことがでず、この世を去った最期の国王カルロス2世は、38歳まで生きることができました。

跡継ぎができずに家系は断絶

カルロス2世は、性的に不能であり、跡継ぎを残すことはできませんでしたが、実は、父親であったフェリペ4世には「妾」がいたのです。妾との間には、優秀な男児も居たのですが、そこは「高貴な青い血」を何よりも大切にするハプスブルク家です。

妾との子どもを国王にすることなどできず、家系は断絶してしまったのです。

第一次大戦とハプスブルク家解体

第一次世界大戦

カルロス2世が跡継ぎを残せなかったことや、国内では民族対立が深刻化していたこと、そして近代化の流れについていくこともできず行き詰ってしまい、最終的には第一次大戦の敗北とともに、ハプスブルク家は解体されました。

ハプスブルク家の末裔はいるの?

第一次大戦で、解体したハプスブルク家ですが、現在も末裔はいるのでしょうか?もし、末裔がいるのであれば、奇形児として生まれてきてしまっているのでしょうか?顎も気になりますね。早速みていきましょう

フェルディナント・ズヴォニミル・ハプスブルク=ロートリンゲン

フェルディナント・ズヴォニミル・フォン・ハプスブルク

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BA%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%9D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3

ハプスブルク家の末裔、フェルディナント・ズヴォニミル・ハプスブルク=ロートリゲンは、1997年に生まれ、父はカール・ハプスブルク=ロートリゲンの長男です。

本来であれば、将来王位を継ぐために、勉学に勤しまなければならない身なのですが、彼は17歳からレーサーを目指し、大学への進学もしないと宣言しているんです。

写真で見てもわかるように「しゃくれた顎」「奇形児」といったハプスブルク家の特徴とはかけ離れており、とっても爽やかでイケメンですよね!

エレオノーレ大公女

次にご紹介するのが、エレオノーレ大公女です。彼女は1994年生まれで、オーストリアのザルツブルク出身です。2020年に「ジェローム・ダンブロシオ」さんとご結婚もされていますね。スイスの名門である「ル・ロゼ」を卒業し、法律を学ぶために「ヨーロピアン・ビジネス・スクール」に通いました。

ハプスブルク家の子女として、勉学に励み、今ではドイツ語・英語・フランス語・スペイン語を話すことができるという、何とも才色兼備の女性です。

近親婚によって、皆の顎が長かったり、奇形児が生まれていた一家の末裔とは思えないほどの美貌の持ち主です!

オリンピア・ファン・ウント・ツー・アルコ=ツィネベルク

オリンピア・ファン・ウント・ツー・アルコ=ツィネベルク

出典: https://spur.hpplus.jp/culture/celebritynews/201910/21/F3hklWc/gallery/

そして最後は、オリンピア・ファン・ウント・ツー・アルコ=ツィネベルクです。

彼女は2019年、10月19日にフランス、パリのオテル・デ・ザンヴァリッドで、ジャン=クリストフ・ナポレオン結婚式を挙げました。

彼女もまたスタイルも抜群で、とても美人です!名家同士の結婚となったのは、まったくの偶然だそうで、これも一つの愛の物語だとナポレオンは語っています。とてもお似合いの2人ですね。

近親婚による遺伝は大きかったが末裔たちには影響がなかった

ハプスブルク家

今回は、ハプスブルク家の顎は近親婚が原因なのか?遺伝の可能性や現在に至るまでを解説してきました。

ハプスブルク家のしゃくれた顎や奇形児が生まれやすい原因には、やはり度重なる近親婚が深く関係していましたね。生まれた子どもの大半が、生後間もなく亡くなってしまうという、悲しい現実もありました。そして、最期の国王となったカルロス2世は、過去の近親婚のしわ寄せが集中し、巨大な顎はもちろん、先天性疾患もあり、満足な生活を送る事すら叶いませんでした。

しかし、ハプスブルク家の末裔たちは、そんな過去の近親婚の闇を感じさせない、素敵な人物になっていてとても安心しましたね。

今後も、ハプスブルク家の末裔たちの活躍から目が離せません。

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この記事のライター
hanabi49
読者の方の疑問や悩みが解決につながる記事作成を心掛けています。より分かりやすく読みやすい内容にできるよう、日々前進しています。

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