『そもさん』『せっぱ』の意味や由来とは?面白い禅問答5選も!
「そもさん」「せっぱ」という言葉を聞いたことがありますか?「そもさん」「せっぱ」は中国から由来するとんちのやりとりのような使い方をします。「そもさん」「せっぱ」の由来や使い方をマスターして、コミュニケーションに活用してみましょう。
目次
「そもさん」「せっぱ」という言葉を知ってる?
「そもさん」「せっぱ」という言葉をご存知ですか?また、どのように使う言葉か知っていますか?まずは「そもさん」「せっぱ」にどのような意味があるのかを解説していきます。
「そもさん」「せっぱ」の意味とは?
まずは、「そもさん」と「せっぱ」の意味と使い方について説明していきます。
質問と解答のかけ声
「そもさん」とは「さあどうさ?」「いかに?」といった意味の中国の俗語と言われています。そのため、クイズや問題を出したときに「そもさん」というのは使い方として適しているでしょう。次に「せっぱ」ですが、これも中国の俗語で「答えます」という解答を意味する使い方が適しているでしょう。
二つ一組で使われる
「そもさん」「せっぱ」は質問と回答のかけ声とご説明しました。そのため、「そもさん」と「せっぱ」は2つ1組で使われることがほとんどです。このため、「そもさん!」「せっぱ!」相槌のようにテンポよく受け答えをすることが使い方として大事になります。
「そもさん」「せっぱ」の由来は?
「そもさん」と「せっぱ」の意味と使い方が分かったら、次は「そもさん」と「せっぱ」の由来について見ていきましょう。
漢字で書くと「作麼生」「説破」
そもさんの由来となった漢字は「作麼生」または「什麼生」または「怎麼生」と書きます。非常に難しいので覚えるのは大変でしょう。せっぱの由来の漢字は「説破」と書き、よく使う漢字なので覚えやすいですね。また、漢字から連想する意味も分かりやすいです。
禅問答で用いられていた
「そもさん」や「せっぱ」はもともと禅問答が由来になっているそうです。禅問答とは禅僧が悟りを開くために行う修行のことで、師匠が問い、弟子が解答するときに「そもさん」「せっぱ」という使い方をしていました。
「そもさん」「せっぱ」の使い方は?
「そもさん」「せっぱ」の使い方の例として、「ケロロ軍曹」という人気漫画のやりとりをご紹介します。ケロロ軍曹と主人公の冬樹が「そもさん」「せっぱ」を使ってとんち勝負をするシーンです。
「じゃあいくよ、そもさん!」
「おっしゃーこい、せっぱ!」
というやり取りがあります。「そもさん」「せっぱ」が使われたとんち勝負もいわば魂の一騎打ちといえるので、こうした対決にはふさわしいといえるでしょう。腕力ではなく「そもさん」「せっぱ」でとんち対決するのもいいでしょうし、親子でもとんち遊びとして「そもさん」「せっぱ」を使ってみると盛り上がります。
クイズ番組でも使われていた
2012年から2014年にフジテレビ系列で放送されていた「クイズ・ソモサン・セッパ!」というテレビ番組がありました。「そもさん」「せっぱ」のやり取りが行われ、クイズが出題されたり「説破ポイント」と呼ばれるヒントが出されたりしました。ご家庭内で「そもさん」「せっぱ」のとんちクイズが流行ったのではないでしょうか?
アニメ「一休さん」でも有名
アニメ「一休さん」でも、とんちの掛け声に「そもさん!」「せっぱ!」というやり取りが用いられていました。一休さんといえばとんち合戦をイメージしますよね。「そもさん」「せっぱ」といえば、あまり使われませんでしたが「そもさんせっぱの歌」という歌まで作られていたそうです。
禅問答とは?
「そもさん」「せっぱ」は禅問答として用いられていたとのことですが、禅問答とは何なのか見ていきましょう。
師匠と弟子の会話
師匠:「あれは何だったか」
弟子:「野鴨のようです」
師匠:「どこへ飛んで行ったのか」
弟子:「わかりません」
師匠:「何をいっている、ここにいるではないか」(鼻をつまみあげる)
これは師匠である馬祖と弟子の百丈の禅問答です。これによって百丈は悟りを開いたといわれています。百丈は「そもさん」に対する「せっぱ」に失敗しましたが、鼻をつまみあげられた痛みとともに悟りを開くのです。
考えても答えが見つからない?
禅の教えはすべて実感に基づいています。言葉や頭で理解するものではなく本人が体験として理解することが何よりも大事です。「そもさん」「せっぱ」の禅問答はあくまで弟子がその体験ができる段階に達しているかどうかを見極めるテストにすぎないのです。「そもさん」「せっぱ」の禅問答を行ったからといって、誰もが悟れるわけではないということです。
常識が変わるかも知れない?禅問答5選!
1. 何も教えない道吾禅師
道吾禅師は八世紀唐代の禅師でした。彼のところに若い雲水が修行に来ておりました。何ヶ月か師と共に起居していた雲水ですが、師が一向に何も教えてくれないことを師に尋ねます。
弟子:「長い間私は老師のところにお世話になっていますが、一向に教えらしきものをいただいておりませんが、なぜでございましょう。どうかお慈悲をもって何か私に教えを賜りとうございます」
禅師:「なに、教えてくれとな。わたしはお前がここへやってきたその時からずっと教え通しているではないか」
弟子:「それは一体、どんなお教えでしょうか?私はとんと気が付きませんでしたが」
禅師:「朝になればお前は“おはようございます”と挨拶する。わしもまた“ああ、おはよう”と答えている。お前が朝の粥を持ってきてくれれば、わしは合掌してこれを受け取っておる。一体この他に示すべき教えがどこにあるのか」
こういわれた弟子は首を垂れてこの師の言葉の意味を読み取ろうと躍起になっている。すると師はさらに言葉を継いで、
禅師:「考えたらもはやそこにはない。考えるのではなく、直に見て取れ。あれこれと思い迷ったり頭で解釈するのではない」
ここで弟子は初めて悟るのです。
この禅問答が教えているのは、当たり前を当たり前だと思うなということです。この禅問答では弟子が「師匠は何も教えてくれない」という不平不満を抱いていたわけですが、師匠からすれば「もとは見ず知らずの血縁関係もない他人を寺に住まわせて修行させて、毎日挨拶をし、仕事を与え、お礼まで言っている」という意味になるのです。
2. 問いが正しいとは限らない
後に黄檗希運禅師と知られる、ある禅僧とある郡の知事との会話です。住職が、知事を案内して寺の内部を見せて回ります。署員の壁には歴代の祖師方の肖像画たくさんかけられています。知事はその中の一人の像を指して住職に尋ねます。
知事:「これは誰ですか」
住職:「先師でございます」
ここで、知事が面白い質問をします。
知事:「ここに肖像はある。だが、その人はどこにあるのですか?」
ここで住職は当惑してしまいます。どう答えていいのかわからないのです。しかし、知事はどうしても答えてほしいと言い張ります。住職は代わって答えられそうな者はいないかと弟子たちの顔を思い浮かべますが、答えられそうにありません。そのときふと、行脚の雲水(禅の修行僧)で最近この寺に逗留している風変わりな雲水のことを思い出した。住職はさっそくこの雲水を呼び寄せて知事に相見させた。
知事:「ここにおられるお歴々は、どうしたことか私の質問に答えてくださらぬ。ひとつ貴僧が私の問いにお答え願えませんか?」
雲水:「どんなことですか、それは」
知事は先ほどの一部始終を告げ、
知事:「ここにこの寺の先住職の肖像があります。しかし、先住職の人格は今どこにあるのですか」
すると雲水はすかさず、
雲水:「知事閣下」
知事:「はい和尚」
知事が応ずるや、間髪入れず
雲水:「彼はどこだ」
この僧の解決はこのような鮮やかなものでした。
この禅問答は、いつでも問いが正しいとは限らない、ということを教えてくれています。私たちは何かを問われると真正面から答えないといけないと思い込んでしまいますが、ここで出てくる雲水(黄檗禅師)は知事の出した問いがおかしいということを「彼はどこか」と問うことで知らしめました。
先住職の人格がどこにあるか答えてほしければ私の目の前に先住職を連れてこいと、そういって知事をやりこめたのです。
3. 一と多は同じ
長沙景岑(ちょうさけいしん)和尚の法会にて、役員の竺(ちく)という人が問いました。
竺:「みみずは切れると2つに分かれて両方とも動きます。仏性はそのどちらにあるのでしょうか?
長沙:「妄想してはならない」
竺:「しかし、動くことをどう説明すればよいのですか」
長沙「体が散り散りになっていないからだ」
仏性とは、禅の用語で本質や心理を意味する言葉です。この禅問答が伝えていることは「YESかNOか」「AかBか」という捉え方をするな、ということです。禅には「一即多・多即一」という言葉があり、何かを分けるということ自体が間違いだと言っています。
一であることと多であることは同じであり、これはある物事を右から見たら一に見えて、左から見たら多に見えるという意味なのだそうです。
4. すべてはありのままに
ある修行僧が大龍和尚に問いかけました。
修行僧:「人間の肉体はいつか滅んでしまいます。それでは、永遠に滅ぶkとのない不生不滅とはどんなものでしょうか」
大龍和尚:「山の花が満開で綿のように美しく、谷の水が藍のように澄み切って美しい」
大龍和尚の答えは、今ある真実をありのままに伝えています。肉体が滅んでしまうことからは逃れられません。すべてはありのままに起こる、という教えとも考えられます。
5. どんなものにも仏は見出せる
ある修行僧がに洞山和尚に問いかけました。
修行僧:「仏とは何でしょうか」
洞山和尚:「三斤の麻である」
三斤の麻とは、どこにでもあるありふれたものです。したがって、仏はどんなものにも見出すことができるという意味に捉えることができます。
「そもさん」「せっぱ」で解いてみよう!
1. 結婚
問題:
世界一ぶさいくで性格も悪い女性、しかし彼女に「結婚してくれ!お願いだ!」と迫る2人がいた。それはだれ?
解答:
両親。お願いだから早く嫁に行ってくれという意味で。
2. 手術
問題:
明日手術を受けることになっている患者のAさん。あまり心配していなかったのですが、看護師の「簡単な手術だったから大丈夫よ、そんなに心配しないで」の一言で急に怖くなってきたといいます。一体なぜか、理由を説破せよ!
解答:
看護師がその言葉を執刀医に行っていたから。(医者の腕が不安になり怖くなった)
3. ビッグマックの時間
問題:
ビッグマックに関する実話です。販売促進のアイデアコンテストでゴールド賞に輝いたのは、昼1時16分をBIGMACタイムとしてキャンペーンを行うというものでした。なぜ、昼1時16分をBIGMACタイムとしたのか説破してみましょう。
解答:
Bが13、Iが1、Gが6に似ているため、13:16をBIGMACタイムとしたのでした。
4. 将来の夢
問題:
少年の将来の夢はアメリカの大統領になることでした。その話を聞いた担任の先生は、その夢が叶う条件を教えてくれました。
- アメリカ生まれ
- アメリカに14年以上在住
- 35歳以上
- ???
では、あと1つの条件とは何か説破してみましょう。
解答:
大統領に選ばれる(選挙に勝つ)こと。
5. 社名は「脱皮」?
問題:
日本の有名企業の実話です。今年で設立50周年を迎えるこの企業の経営理念には「一日一日と今日こそはあなたの人生が(わたしの人生が)新しく生まれ変わるチャンスです」とあることから、社名に「脱皮」という意味が込められています。その社名とは何か、説破しましょう。
解答:
正解はダスキンです。「脱皮」の“皮”は英語でskin(スキン)を意味します。つまり「だつ」「スキン」で、ダスキンになったそうです。
「そもさん」「せっぱ」をコミュニケーションに活用しよう!
今回は「そもさん」「せっぱ」について解説しました。一見難しく感じるかも知れませんが、「そもさん」「せっぱ」を一種の頭の体操のように楽しんでみてはいかがでしょう。「そもさん」「せっぱ」を活用して、ちょっと知的なコミュニケーションをエンジョイしましょう。