2021年03月30日公開
2021年08月13日更新
プチエンジェル事件の真相・少女たちのその後や秋篠宮との関係とは
政財界の大物や、皇室、関東連合など様々な黒いつながりから、闇に葬られてしまったと噂される"プチエンジェル事件"。少女たちの保護と犯人の自殺をもって、解決とされていますが、事件にはまだまだ不可解な点が多数あります。今回は"プチエンジェル事件"の真相に迫ります。
プチエンジェル事件とは
プチエンジェル事件とは、今から15年前、2003年7月に東京都・赤坂のウィークリーマンションの一室で起きた、小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件のことです。
なお、プチエンジェルとは、犯人が経営していた児童買春の名称もしくは、会社名です。
プチエンジェル事件の概要
犯人は、吉里 弘太郎(29歳)で、なんと犯人自身も過去に買春で逮捕歴があり、執行猶予中に事件を起こしました。
犯人、吉里 弘太郎は少なくとも女子高生14人をスカウトし雇い、渋谷や原宿を中心に料金表とプチエンジェルの会社名、自分の携帯番号が書かれたアルバイト募集チラシを配布させ、スカウトした女の子達を、男性客に斡旋していました。
そして、児童買春プチエンジェル事件へと繋がっていくのです。
デートクラブ「プチエンジェル」とは
プチエンジェル事件が起こったデートクラブは、年間会費が60万円と高額な会費をせしめていました。その他にも、未成年とのカラオケが5千円、下着提供やヌード撮影が1万円、未成年との行為が5万円と言うシステムになっていました。
プチエンジェルに所属していた少女たち
プチエンジェルに所属していた少女たちは「親には内緒」で大人なことをしている、友達ともその甘美な「秘密」を共有することで、「絆」を深めるという背景があったと考えられています。
その絆が広がっていき、1人また1人と足を踏み入れていった可能性は大きいと言われています。
プチエンジェルを利用していた顧客たち
犯人が借りていた埼玉県久喜市のアパートから、1,000本以上のビデオテープと2,000名にも及ぶ顧客名簿が押収されました。しかし、この顧客名簿の多くが偽名であることを理由に、捜査は打ち切られてしまいます。
プチエンジェル事件をめぐる噂
プチエンジェル事件で発見された、顧客名簿は表向きは偽名ばかりで検挙自体が難しいということでしたが、実際はもみ消されたという噂があります。
プチエンジェル事件発生当時、漆間巌さんが警察庁次長として指揮をとっていました。2008年には麻生内閣発足とともに内閣官房副長官に起用されます。
タイミング的にも事件の1年後だったことから、プチエンジェル事件と顧客名簿もみ消しをしたのではないかと噂されています。
容疑者の不可解な死
少女たちを監禁したまま、犯人はリビングで床に腰を下ろし、椅子に引っ掛けてテント状に張ったビニールの中に入って、事前に用意していた七輪を使い練炭自殺を図り、死亡しています。
事件発生場所
犯人は所有していたシルバーのフェラーリ2台(1台約2,500万円)を売却しました。また、犯人とは別の「ヤマザキ」と名乗る男性がプチエンジェル事件の舞台となる赤坂のウィークリーマンションの最上階である11階の部屋(2LDK)を契約を行っています。
真相を追っていたフリーライターの死
2003年9月12日、東京都江東区の東京港で両手に鎖、両足は紐で縛られた男性の刺殺体が見つかりました。被害者はフリージャーナリストの染谷悟さんです。
彼は、プチエンジェル事件解決後、マスコミがプチエンジェル事件を報道しなくなってからも、プチエンジェル事件の取材活動を続けていた1人でした。
そのため、プチエンジェル事件の捜査を進めていく内に、取材活動の中でトラブルに巻き込まれた可能性が指摘されています。
プチエンジェル事件と秋篠宮の関係
押収された顧客名簿の中に秋篠宮文仁親王殿下や高円宮憲仁親王殿下の名前があったと密かに囁かれています。その流出をもみ消すために、プチエンジェル事件がスケープゴートとして起こされたのではないかという噂が流れました。
しかし、これは噂に過ぎず、当該動画も見つかりません。高円宮憲仁親王殿下がご逝去されたことで、噂も立ち消えとなりました。
プチエンジェル事件の捜査打ち切り
犯人が借りていた埼玉県久喜市のアパートから、1,000本以上のビデオテープと2,000名にも及ぶ顧客名簿が押収されました。しかし、この顧客名簿の多くが偽名であることを理由に、捜査は打ち切られてしまいました。
日本における殺人事件の検挙率は95パーセント前後で推移し続けていますが、未解決となっているのも多数あります。こちらの書籍には、71件の未解決事件が収録されており、その中には、プチエンジェル事件も含まれています。
未解決事件について、詳しく知りたいと思われた方に特におすすめです。
プチエンジェル事件の少女たちは今
プチエンジェル事件の少女たちは、現在どうなっているのでしょうか。色々な噂や憶測が飛び交う状態での、事件収束を向かえましたが、当時の少女たちと今の現状と、なぜプチエンジェル事件と呼ばれるかを見ていきましょう。
プチエンジェル事件当時の少女たち
プチエンジェル事件被害少女たちの名前は、事件当時は公開されていませんでした。プチエンジェル事件の異質性や、児童買春が関連していることを考え、少女たちの名前が漏れないよう、警察側が配慮をしています。
事実、プチエンジェル事件操作本部では、少女宅への訪問など人目につく捜査は一切禁止されていました。
プチエンジェル事件の少女たちの現在
プチエンジェル事件から数年間の内に被害者4人全員が、死亡しており、口封じに消されてしまったという噂が広まりました。1人は肺炎との合併症で死亡。1人は自殺、1人はひき逃げ、1人は性感染症による死亡しました。
なぜプチエンジェル事件と呼ばれるか
犯人、吉里 弘太郎(29歳)の男性は無店舗型の非合法の未成年者デートクラブ「プチエンジェル」経営しており、女子高校生を使っての児童買春を行っていたことにより、プチエンジェル事件と呼ばれるようになりました。
また当時は、プチエンジェル事件は渋谷で起こった事件であると、多くのメディアが報道し、渋谷では1500人以上もの少年少女が一斉補導されたことにより、このような呼び名が付かれたとも言われています。
プチエンジェル事件はなぜ闇に葬られたのか
正義の味方であるべきはずの警察や、国会議員、皇室にまで話は広がり、何か大きな力が動いて、プチエンジェル事件は闇に葬られたのではないかと、疑いたくなるような不可解な謎もたくさん残されています。
実は日本には、プチエンジェル事件以外にもたくさんの未解決事件や、闇の深い事件が存在しています。