玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の全文と本当の意味とは?
終戦記念日が近づくとテレビで流れる「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」という昭和天皇の声を一度は聞いたことがありますよね。しかしそれ以外の部分はご存知ですか?新たな時代の今こそ、全文の現代語訳を知り「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」に込められた意味を学びましょう。
目次
玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の意味は勘違いされている?
1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、昭和天皇が言葉を述べる音声が当時日本唯一の放送局だった社団法人日本放送協会から放送されました。ラジオから流れる昭和天皇の「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の音声を聞き、当時の日本国民は太平洋戦争に日本が敗戦し、降伏することで終戦を迎えることを知ったのです。私たちは「玉音放送」として学校で習いましたね。
日本ではこの玉音放送のあった8月15日を終戦記念日と呼び、正午に黙祷を行うのが通例となっています。毎年終戦記念日が近づくとテレビのニュースや特集番組で昭和天皇の「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の音声を何度も耳にしますが、そのフレーズのみが強調されていて、全文を読んだり、原文の現代語訳を知っている人は少ないのではないでしょうか?昭和天皇がこの玉音放送に込めた意味が何であったのか、元号が改元され新たな時代を迎えた今こそ知るべきではないでしょうか。
そもそも「玉音放送」とは?
私たちは「玉音放送」イコール「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の言葉で有名な終戦を知らせる昭和天皇の言葉だと理解していますが、実はそれは誤りです。玉音放送とは、天皇の肉声を放送することをいうのであって、終戦の際の言葉の放送だけを示すわけではありません。
玉音の意味
「玉音」には二つの読み方があり、読み方によって意味が違います。「ぎょくいん」と読む場合、玉のように美しい音または声、もしくは相手からの音信に敬意を表して言う言葉となります。「ぎょくおん」と読む場合に、天皇の肉声という意味になるのです。
レコードに録音した音声を流した
昭和天皇による「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の玉音放送は、生放送ではありません。レコードに録音した音声です。この玉音放送の録音は、1945年8月14日、深夜11時25分に皇居内の宮内省内廷庁舎2階政務室(現在の宮内庁庁舎)にて極秘で行われました。
記録によれば、石渡宮内相や藤田侍従長らがおそばに控え、軍服姿の昭和天皇は屏風を背にして詔書を朗読してレコード盤に録音させました。この昭和天皇の音声を録音したレコード盤は「玉音盤」と呼ばれています。玉音盤は徳川義寛侍従に渡されて皇后宮職事務室内の軽金庫に厳重に保管されました。
クーデターで録音盤が奪われそうになった
昭和天皇の玉音放送は、天皇が敗戦の事実を直接国民に伝え説得するという意味で強い影響力を持っており、当時から敗戦を受け入れる象徴的な事象として考えられていました。御前会議にてポツダム宣言の受諾が決定された後も陸軍の一部には徹底抗戦を唱え、日本の降伏を阻止しようとする勢力がありました。
一部の陸軍省将校と近衛師団参謀が中心となって、降伏の象徴ともいえる天皇の音声を録音した「玉音盤」を奪おうと宮城(きゅうじょう・皇居の別称)を占拠するクーデターを起こすも、一部は自害、逮捕され結果失敗に終わります。これを宮城(きゅうじょう)事件、録音盤事件と呼びます。このクーデターが未遂に終わったため昭和天皇の玉音放送は当初の予定通り翌15日正午に行われました。玉音放送を巡り、命を懸けた攻防が繰り広げられていたのです。
玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の正式名称は?
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の言葉で有名な玉音放送の正式名称は「終戦の詔書」と言います。「詔書(しょうしょ)」とは、皇帝や天皇の命令、またはその命令を直接に伝える国家の公文書のことを指します。
「大東亜戦争終結ノ詔書」とも呼ばれる
「終戦の詔書」は「大東亜戦争終結ノ詔書」とも呼ばれています。日本国内において、日中戦争・第二次世界大戦を含む先の戦争は「太平洋戦争」と呼ばれることが多いのですが、実は戦中戦後しばらくは「大東亜戦争」と呼ばれていました。
「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念と構想から始めた戦争なので「大東亜戦争」と呼ばれていたのですが、終戦後GHQによって戦時用語として使用が禁止され代わりに「太平洋戦争」と呼ばれるようになったのです。そのため、昭和天皇の詔書も「終戦の詔書」が正式名称とされるようになりました。
玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の原文を紹介!
ここで、「終戦の詔書」の原文をご紹介したいと思います。「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の部分しか知らない戦後世代にとっては、原文はこんなに長い文章だったんだと驚かされます。現代人に読みやすいよう、全文にわたり句読点を挿入し、カタカナをひらがなに変更して濁点をつけました。また、原文の旧漢字を新漢字に変更しました。
終戦の詔書(しょうしょ) (昭和20年8月15日)
朕(ちん)深く世界の大勢(たいせい)と帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置を以って時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。
抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽を偕(とも)にするは、皇祖皇宗の遣範(いはん)にして、朕の拳々(けんけん)措かざる所。曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。
然るに、交戦已に四歳を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず。
加之(しかのみならず)、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむは、朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝(しゃ)せむや。是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃(たお)れたる者、及び其その遺族に想を致せば、五内(ごだい)為に裂く。且戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
惟(おも)うに、今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以って万世(ばんせい)の為に太平を開かむと欲す。
朕は茲(ここ)に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。
若し夫れ情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝え、確(かた)く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、誓て国体の精華を発揚(はつよう)し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民、其れ克く朕が意を体せよ。
御名(ぎょめい)御璽(ぎょじ)
玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の現代語訳は?
原文だけを読むと現代人には非常に難解な内容ですが、現代語訳すると昭和天皇の国民を思い戦災を深く憂える昭和天皇のお気持ちが全文から切実に伝わってきます。
私は、深く世界の情勢と帝国日本の現状を深くかえりみて、非常措置をもってこの事態を収拾しようとし、善良忠実なるあなた方臣民に告げる。私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
そもそも日本臣民が平和に暮らし、万国が共存共栄して、その喜びを共有することは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、私も常に心掛けてきた。先にアメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより私の意志ではない。
だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けられるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招くだけでなく、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そのようなことになれば、私はどうして億兆の国民と子孫を守ればよいか、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、私が政府にポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。
私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、およびその遺族に思いを致すとき、私の五臓六腑は引き裂かれんばかりである。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、健康と生活の保証にいたっては、心より深く憂うるところである。
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私は深く理解している。けれども私は、時勢に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために子孫のために平和を実現するため、一歩を踏み出したい。
私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま争いごとを起こし、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに時局を混乱させ道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。
国を挙げて家族のように一致団結し、そのことを子孫に語り受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を強く守り、国の真価を発揮し、世界の流れに遅れを取らぬよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。
玉音放送の要約
「終戦の詔書」の現代語訳を要約し、昭和天皇の伝えようとしている意味をさらに分かりやすく解説します。
昭和天皇は、冒頭で米英に対し宣戦布告したのはアジア諸国を侵略し領土を広げようとしたからではなく、西欧諸国から常に植民地化の脅威にさらされているアジア諸国を解放し力を合わせて発展しようとしたからである、と開戦の理由を説明しています。
しかし戦闘状態が4年と長い歳月に及び多くの犠牲が出ているにもかかわらず、戦況は悪化するばかりである。さらに追い打ちをかけるように原子爆弾という恐ろしい兵器が投入された。この兵器がさらに使われるようなことになれば日本が消滅するだけでなく、人類の滅亡を招くであろう。そのような悲劇を阻止すべく、ポツダム宣言を受け入れる決意をした、と戦況の悪化と被害の拡大に心を痛め日本だけでなく人類の行く末を憂いたことが決断の背景であると述べています。
そして、戦死した者やその家族、空襲で生活の基盤を失った人々の悲しみや苦難に心を痛めていることに触れ、敗戦を受け入れる決断の辛さを吐露しておられます。しかしそれでも、未来の日本国、日本国民の平和のために、今はつらく悔しくとも「堪え難きを耐え忍び難きを忍び」敗戦を受け入れ終戦しようと強い意志を表明されました。
まるで、この玉音放送録音後に起こったクーデター未遂事件を予見するかのように、敗戦という事実を受け入れられず、さらに争いを起こすような暴挙は起こしてはならないと強く戒めておられます。その上で日本国民が力を合わせ将来の日本に平和と発展をもたらそうと鼓舞激励を全国民に向けて発信されたのです。
玉音放送「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の本当の意味とは?
終戦の詔書の玉音放送の中で、戦後そのフレーズの音声だけが独り歩きしている感のある「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の本当の意味は、やはり全文の現代語訳を知らなくては理解が進まないでしょう。原文や全文の現代語訳を学んだ今、本当に昭和天皇が玉音放送に込めた意味を知りましょう。
国民を労う言葉ではない
玉音放送の全文を知らず「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」のフレーズだけしか聞いたことがないと、「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」戦後の困難を乗り越えてほしい、と天皇が国民を労い説得しているのだと考えている人が多いのではないでしょうか。しかし終戦の詔書の玉音放送の原文全文、そして現代語訳を知った人は、「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の主語が国民ではなく、昭和天皇であることが分かるはずです。昭和天皇自らが「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」平和への道を切り開ていくと強い志を表明しているのです。
今後の平和を願う意味
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」天皇は何を望んでいたのか、それは「もって万世のために太平を開かんと欲す。」その言葉にお気持ちが集約されています。どんな辛いことに堪えてでも国民のために平和を追求したいという願いと強い意志に他ならないのです。
日本人なら「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」を忘れてはならない!
終戦の詔書の全文を通して昭和天皇が一番強く切実に願っていることは何か、それは将来の日本国、日本国民の平和と発展です。戦地で非業の死を迎えた人や空襲で倒れた人、その遺族の悲しみや苦しみを胸に、敗戦国の元首として受けるであろう非難や苦難を「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」抜き、平和を確立しようというお気持ちを「終戦の詔書」に込め、だからこその玉音放送を聞いた人々は昭和天皇の悲壮な決意に胸を打たれ泣き崩れたのでしょう。
戦後日本は驚異の発展を遂げ、現代人の私たちは過去の戦争の惨事を忘れがちです。しかし、現在私たちが享受している平和や便利な生活、安全な社会は全て戦争を経験した人々が昭和天皇とともに「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」努力の上に確立したものなのです。新たな時代を迎えた今、私たち日本人は改めて「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」の意味を考えてみるべきではないでしょうか。