2021年09月24日公開
2021年09月24日更新
北野武(ビートたけし)の名言集
お笑い界の重鎮、日本映画界の巨匠北野武(ビートたけし)。たけし軍団といえば誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか?映画監督としても役者としても一流の北野武(ビートたけし)なら名言もたくさんありそうです。今回はその名言をまとめてみました。
目次
北野武(ビートたけし)の来歴
1947年1月18日生まれ、東京都足立区出身です。1972年にビートきよしと漫才コンビ『ツービート』を結成しました。結成当初はビートきよしがネタを作りボケを担当、ビートたけしがツッコミでしたが全く受けず、余りの受けなかったため、徐々にビートたけしがネタを考えるようになりました。舞台で性器を露出、客を毒舌でいじるなどハチャメチャな行動が徐々にスタイルになり、それがツービートの原型となっていきました。最終的には下ネタだけでなく、差別用語から、放送禁止用語までをあえて取り入れ評判になっていきました。1970年代後半からはテレビ進出し、漫才ブームに一役買った『THE MANZAI』といったTVにも出演しました。『THE MANZAI』終了後にはビートたけしはソロ活動をするようになっていき、『オレたちひょうきん族』や『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』の頃には人気が絶頂だったといえます。
『風雲たけし城』は1987年にはファミリーコンピューター向けのゲーム『ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城』としてゲームにまでなるほどの人気番組でした。
1986年にファミリーコンピューター向けに発売された『たけしの挑戦状』は極めて理不尽な難易度で今でも伝説となっています。
たけし軍団
1983年に正式に結成された『たけし軍団』はお笑い界に多大なる影響を及ぼしました。特に『体を張って笑いをとる』というのはたけし軍団が元祖だとも言えます。
ちなみに最初にビートたけしに弟子入りしたのは元宮崎県知事の東国原英夫です。またよくものまねされる「なんだこの野郎」といったフレーズはこの頃から軍団メンバーに対してよく使われるようになりました。
映画監督としての北野武
監督:深作欣二、主演:ビートたけしで映画化を予定していた『その男、凶暴につき』(1989年)がスケジュール面等で合致せず深作監督が辞退し、配給の松竹が北野に監督を依頼しました。
それを北野武が承諾し映画監督として、役者としてデビューしました。
その後は『座頭市』のリメイクで監督兼主演、『アウトレイジ』シリーズなど日本のみならず世界でもその才能を評価されています。
ちなみに『ビートたけし』と『北野武』の表記の違いは、芸人である時は『ビートたけし』、それ以外は『北野武』という風になっています。
例外的に『たけしのコマ大数学科』という番組ではマス北野です(mathematics)。
ビートたけしの名言その1
『クジラの保護を叫ぶんだったら、まず動物園の動物の開放が先だろ。』
シーシェパードの行動に対して矛盾をついた痛快な皮肉の名言ですね。
ビートたけしの名言その2
『こんな俺でも、相方がいたからずっと芸能界やってこれた
これが別の相方だったら俺はすぐ終わっていたと思う』
相方思いのビートたけしの名言。若手の頃、相方のビートきよしがヤクザに絡まれた時、身体を張って守ろうとしたなんてエピソードもあります。
ビートきよし
ビートたけしの名言その3
『「体罰反対。何事も話し合いで」
という理想論もいいんだけど体罰教育しなかった結果、教師やオヤジ等の大人を怖がらないどころか逆にナメきるガキになって、ついには教師もオヤジも子供からブッ飛ばされる世の中になってしまったんだよ。』
昨今の教育界に疑問を投げつける名言。「体罰は教育の一つ。体罰反対は教育する機会を奪っている」といった内容とも取れますし、「理想なんてしょせん理想で現実ではこうなってしまった」ともとれる名言です。
ビートたけしの名言その4
『邦画が元気いいってよく耳にするけど、オイラには停滞しているようにしか思えない。映画の技術が進歩してても、やってることは相変わらずでさ。』
この名言の通り、ビートたけしは黒澤明が目標と言っています。
黒澤明監督
ビートたけしの名言その5
『世間一般ではアニメオタクとかフィギュアオタクとか、秋葉原をうろついてるやつらを何か差別的に指してるみたいで困るんだけど、ひとつのことにこだわって情熱を傾ける人たちをオタクと呼ぶとしたら、オタクになれるのは実にすごいことだと思うよ。』
いわゆる古い考えを持たず常に時代の先を見るビートたけしの洞察力。名言と言っていいのではないでしょうか?実際ビートたけしも映画オタクなのかもしれません。このような考えを持っているから若者からの支持も多いですよね。
ビートたけしの名言その6
『赤信号みんなで渡れば怖くない』
どこかで聞いたことがあるフレーズではないでしょうか?これは実はツービートが漫才の中で使っていたフレーズなんですよね。「まさに!」とも思う群集心理をついた素晴らしい名言だと思います。
ビートたけしの名言その7
『努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない。』
ビートたけしは天才と言われていますがとにかく努力の人。努力しなきゃ何事も成し遂げられないという考えかたが垣間見れます。
ビートたけしの名言その8
『天才とは運と才能と、あと努力・・・。ごく普通のことを人一倍やった人だよ。そして運は必要だよ。』
人一倍努力すれば成し遂げるチャンスがくるという名言。努力が一番大事と言うのはビートたけしの人生観に通じてるように思います。
ビートたけしの名言その9
『鳥のように自由に空を飛びたいなんて言うのは勝手だけど、
鳥が飛ぶためには何万回翼を動かしているか、よく見てごらん。』
表面だけの事象を見て、うらやましがらずに、ちゃんと本質、いかに努力しなければいけないかという部分が見えてくる名言ですね。やっぱり一般人とは着眼点が違う。このあたりがやはり、ビートたけしが天才と言われるところなのかなぁと思います。
ビートたけしの名言その10
『上に立つ人間っていうのは完全に孤独じゃなきゃいけないって思う。』
たけし軍団のリーダー、映画監督として上に立っているビートたけしはこのように考えていることがわかる名言ですね。
ビートたけしの名言その11
『俺は怒ったり、命令したりはしない。まずスタッフに聞く。「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」「このシーンはどうやって撮ればいい?」最終的には自分のやりたいようにやっているのだが、もしかしたらもっといい意見が出るかもしれないから、まず聞くのだ。みんな映画が好きでこの仕事をしているわけだから、意見を求められれば、一所懸命考えて働いてくれる。だから手抜きなんか絶対にしない。スタッフの能力を最大限に引き出すには、これが一番だと思っている。』
ビートたけしの仕事に対する考えかたの名言です。つねに自分だけでなく周りにも気を配りながら仕事をしているのもかっこいいですよね。
ビートたけしの名言その12
「いくらめいっぱい目をおっぴろげても、見えないもんは見えないんだよなぁ」
映画:座頭市の名言です。ビートたけしがこのセリフを言ったとたんに観客はどんでん返しを喰らいます。
ビートたけしの名言その13
スポーツ新聞に「たけし、再起不能か?」なんて書かれた。
あの原付バイクの事故からもう12年の歳月が過ぎている。あの事故を境にして、生きていることに、あまり興味がなくなった。
あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。
この名言のようにビートたけしの死生観というものは映画にも反映されているように思います。
ビートたけしは1994年に酒気帯び運転で原付バイクで大事故を起こし生死の境を彷徨いました。そのとき夢の中で親友の故・逸見政孝が出てきたそうです。後のインタビューでビートたけしは「あれは、『まだ俺は死んじゃいけない。』って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と言っています。
しかし退院後は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」等ネタにしていました。
動画のCMでは原付バイクに乗り、「守ろう、交通ルール」なんて言っていますが「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんて名言を残しておいて一体何を言ってるんだと思ってしまいます。
最後に
ビートたけしの名言集いかがだったでしょうか?
名言以外にもたけし軍団の一人が引越しする際に何が欲しいか聞いたところ「洗濯機が欲しい」と答えたメンバーにタライと洗濯板を送り「やられた!」と思ったらタライの裏に100万円がくっついていたなんていい話もあります。
お笑い界で尊敬され、軍団でも尊敬され、映画監督としても尊敬されるビートたけしからはまだまだ目が離せそうにありません。