中世ヨーロッパの服装を徹底解説!貴族・騎士・庶民・子供【男女別】

中世ヨーロッパはローマ帝国の滅亡、キリスト教の隆盛、ペストの流行と言った大きな変化や出来事があった激動の時代でした。そんな時代の変遷と共に中世ヨーロッパは徐々に服装が変化していきました。中世ヨーロッパの服装について説明します。

中世ヨーロッパの服装を徹底解説!貴族・騎士・庶民・子供【男女別】のイメージ

目次

  1. 1中世ヨーロッパの服装を勘違いしているかもしれない?
  2. 2そもそも「中世」とは何世紀を指すの?
  3. 3中世ヨーロッパの服装【中世前期】
  4. 4中世ヨーロッパの服装【中世盛期】
  5. 5中世ヨーロッパの服装【中世後期】
  6. 6中世ヨーロッパの服装【男性貴族】
  7. 7中世ヨーロッパの服装【女性貴族】
  8. 8中世ヨーロッパの服装【騎士】
  9. 9中世ヨーロッパの服装【庶民】
  10. 10中世ヨーロッパの服装【子供】
  11. 11中世ヨーロッパの服装は歴史を読み解くヒントになる!

中世ヨーロッパの服装を勘違いしているかもしれない?

中世ヨーロッパの服装となると庶民の服装はドラクエの村人の服を、貴族の服装だとベルサイユのばらのようなものをイメージされるかと思いますが、中世ヨーロッパの服装は始めからそのようなスタイルではありませんでした。

ドラクエの村人の服装やような服装が誕生するのはローマ帝国が滅亡して何百年か経ってから、ベルサイユのばらのような服装が誕生するのは18世紀になってからになります。

そもそも「中世」とは何世紀を指すの?

「中世」とは5世紀から15世紀ごろの時代のことを指します。ローマ帝国の衰退に伴いキリスト教が勢いを増すにつれ、封建制度が形づくられるようになります。封建制度によって身分が固まると、中世ヨーロッパでは身分によって服装が厳格に決められるようになりました。中世ヨーロッパの服装の変化のきっかけとなった5~15世紀の時代について説明します。

教会

5世紀~15世紀の間

中世ヨーロッパの前期に当たる5~10世紀のヨーロッパはローマ帝国の衰退が著しい時代でした。そんな中で中世ヨーロッパの歴史の主役とも言えるキリスト教が隆盛を極めていき、封建制度が確立されていきました。

中世盛期に当たる11~13世紀はキリスト教会が一国の王をも超える権勢を誇っており、エルサレム奪還のため何度も十字軍が派遣された時代でした。中世後期に当たる14~15世紀はペストが大流行した時代で、中世ヨーロッパを代表するヒロインであるジャンヌダルクが活躍したのもこの時代でした。

よくある勘違い

中世ヨーロッパの服装や美術に対するイメージとして大半の人は、ベルサイユのばらのようなきらびやかで美しいものをイメージされるのではないかと思います。ベルサイユのばらのようなデザインの服装は18世紀に流行ったロココ様式と呼ばれるデザインで、当時のフランス国王ルイ15世の愛妾であったポンパドゥール夫人によって広められたスタイルです。

またベルサイユのばらの時代背景が近代ですので、中世ヨーロッパの時代の流れの背景を正しく理解しないまま先入観を持たれてしまうのかもしれません。

ロココ調

中世ヨーロッパの服装【中世前期】

中世ヨーロッパの前期はローマ帝国がまだ存在していた時代でした。そのため、テルマエ・ロマエに出てくるようなローマ風の衣装が主流となっていました。中世ヨーロッパ前期の服装について説明します。

ローマ帝国の服装

ローマの影響を強く受けていた

中世前期に該当する5~10世紀ごろはローマ帝国の影響が残っていた時代であったため、ダルマティカと呼ばれるローマ風のデザインの短いチュニックがポピュラーでした。東ローマ帝国の影響力が強くなると身分の高い人達は、ペルシャやアラビア、中国などの東方から入ってきた絹糸や宝石をちりばめた豪勢で重厚な上着とズボンが主流になりました。

中世ヨーロッパの服装【中世盛期】

中世盛期は11~13世紀頃に該当する時代です。中世盛期の服装はドラゴンクエストの町の人達が着用している服装のモデルとなっています。主に封建制度が発達した時代で、庶民は農耕や牧畜にいそしんでいたため実用的なシンプルなデザインが特徴的です。

中世ヨーロッパの庶民のドレス

長い丈のチュニックが流行

中世盛期に該当する11~13世紀はブリオーと呼ばれるゆるっとした丈が長めのチュニックが男女共にポピュラーになりました。ブリオーの流行は長く続くことはなく、コットと呼ばれる身体によくなじむ長い丈のチュニックにシュールコーと言う上着を合わせたファッションが主流になりました。

中世ヨーロッパの服装【中世後期】

中世盛期を過ぎて中世後期に当たる14~15世紀頃になると、コタルディと言う変形服が主流になりました。男女共に着用された主流の服装で男性はお尻ほどの長さ、女性は床に届くまでの長さのデザインが一般的でした。14世紀後中ごろになると、中世ヨーロッパのファッションの主役がコタルディからプールポワンに代わります。

プールポワンが流行

14世紀から17世紀ごろ男子の服としてプールポワンが流行しました。元々騎士の服で、チェインメイルの下か上の部分、もしくはプレートメイルの下部分に着用していました。ヨーロッパの厳しい寒さを防ぐ防寒面だけでなく防護服としての役割を持っていました。

プールポワンをつけた貴族

中世ヨーロッパの服装【男性貴族】

中世ヨーロッパの貴族階級の男性の服装は前期、中期、後期共に金銀や宝石で飾り立てた豪勢できらびやかなスタイルが好まれていました。贅を極めた中世ヨーロッパの男性貴族の服装について説明します。

中世盛期の頃は金や宝石を衣服に付けていた

中世盛期の貴族階級の男性は、きらびやかで豪華なスタイルが主流でした。ブリーチズと呼ばれる短い半ズボンにストッキング、靴、コート、サーコートと言った服装に、金銀や真珠、宝石などが贅沢に施されていました。また大きな金のベルトも着用していました。

豪勢な飾り

中世後期に正装として根付いたスタイルができた

中世後期になると貴族階級の男性の正装スタイルが確立されるようになりました。プールポワンにホーズと呼ばれる半ズボンとショース、マントを着用することが、中世ヨーロッパの貴族の男性の正装のスタイルとなりました。

男性貴族の正装

先のとがった靴を履いていた

中世ヨーロッパでは王や貴族などの上流階級の男性のみならず貴族の女性もつま先の尖った靴を着用していました。長めの金属製の尖った靴がポピュラーで、つま先が長いことは「労働をしない階級」の証として貴族たちの間で大流行しました。

中世ヨーロッパの服装【女性貴族】

中世ヨーロッパの女性貴族の服装も時代が進むにつれてデザインが変わっていきます。中世ヨーロッパの女性貴族のドレスの特徴について説明します。

中世前期はタイトなドレスだった

中世前期に該当する10世紀ごろはギリシャやローマの影響がまだ残っていた時代であった頃から、当時のドレスもタイトでしっかりとしたスタイルでした。優美で繊細なデザインで手首付近もぴったりしたものが大半でしたが、首から上部分を完全に隠すデザインのものもあり、かかとまでの届く長い丈のチュニックをウエスト付近で調整するデザインもありました。

中世前期の女性のドレス

中世後期の頃のドレスは贅沢を極めていた

中世後期になると貴族階級の女性のドレスは贅沢を極めた物へと変化していきました。貴族階級の女性達は引き裾が長めのドレスを着用していましたが、だんだんと短くなっていきテンの毛皮などを使った贅沢な飾りつけが主流となっていきました。

後にパニエとなるパッドが生まれた

中世ヨーロッパの貴族階級女性の衣装はワンピース型のドレスが主な服装でした。時代が進むにつれて服装に変化はありましたが、後のパニエの原型となるパッドと呼ばれるアイテムが登場し、お尻を丸く見せるために使われました。パニエはドレスのスカート部分を膨らませるために使われていました。

パニエ入りのドレス

中世ヨーロッパの服装【騎士】

中世ヨーロッパの騎士の服装について説明します。騎士の服装は攻撃防ぐ役割を持つサバイバル要素が高い鎧と権威の象徴であるマントが主流でした。

騎士

基本はコット、チェインメイル、シュールコー

騎士の鎧は、12世紀以前まではチェインメイルと言う細い鎖状のデザインが特徴的なシャツのような鎧が一般的でした。剣のような切る攻撃を防ぐことに対して非常に有効でしたが、槍のように真正面から突く攻撃には弱いと言う短所もありました。

チェインメイルは後にプレートメイルに変わった

15世紀に入ると武器の性能が上がるにつれて防具も強化され、プレートアーマーと呼ばれる全身を包む鎧が登場しました。ただ重さが数10キロにも及ぶ重装備であったことから俊敏性に欠けるという欠点もあったため、銃の誕生に伴いプレートアーマーは使用されなくなりました。

騎士の鎧

マントは騎士の身だしなみだった

中世ヨーロッパではマントは騎士階級のシンボルとも言えるアイテムで、特にマントルと呼ばれる半円形状の毛皮を使用したマントは上流階級のみが着用を許されていました。騎士は他人の館に出向く時や晩餐会などの会合の席でもマントルを脱ぐことはありませんでしたが、開戦前や決闘を申し込む際にマントルを相手に向けて投げることはありました。

騎士

中世ヨーロッパの服装【庶民】

中世ヨーロッパにおいて庶民と貴族は生活も服装も異なっていました。中世ヨーロッパは服装面において、貴族や騎士は権力を象徴する豪勢な服装が、庶民は実生活に合わせた実用的な服装が特徴でした。中世ヨーロッパの庶民の服装について説明します。

ヨーロッパ 農村

基本的に男女共に同じ

豪華絢爛に布やフリルで飾りたてた中世ヨーロッパの貴族の服装と対照的に、庶民の服装は質素なものでした。14世紀頃の中世ヨーロッパの庶民の服装は丈の長いコートのようなローブと呼ばれる服装を着るのが主流でした。

チュニックが変形したブリオーと呼ばれる羊毛で作られた少し長めの丈の上着と、タイツを男性が身に着けるようになった頃から服装に変化が生じるようになりました。また女性は中世ヨーロッパでは、カートルと言う羊毛製のワンピースとスリーヴと言う中世風のアームカバーを身に着けるようになりました。

女性は髪を頭巾で隠すのが主流

​​​​​​中世ヨーロッパでは女性が髪を見せるのはふしだらでみっともないとされていたため、頭巾のようなものをかぶって髪の毛を隠していました。既婚者の女性の頭髪は夫である男性のみが見ることができました。

頭巾かぶった女性の銅像

中世ヨーロッパの服装【子供】

中世ヨーロッパの大人の服装について身分別に紹介しました。中世ヨーロッパの子供の服装について説明します。

ヨーロッパ 子供

特に子供用の服はなかった

中世ヨーロッパは現代のように子供服が存在しなかったため、中世ヨーロッパの子供たちも身分に合わせて大人と同じ服装を着ていました。貴族の少女たちにおいては、例え子供であっても大人と同じようにコルセットを着用し化粧もしていました。また貴族の少年たちは貴族の男性と同じようにかつらをかぶっていました。

子供

中世ヨーロッパの服装は歴史を読み解くヒントになる!

中世ヨーロッパの服装を前期、盛期、後期に分けて服装について説明しました。中世ヨーロッパは現代と違って例え子供でも大人と同じ格好をしていたのは興味深いです。中世ヨーロッパの服装の歴史を知ることでベルサイユのばらやドラクエだけでなく、中世ヨーロッパを舞台に造られた時代の空気をイメージできるようになるかと思います。

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この記事のライター
07aomi
ランサーズでプロのフリーライター目指し奮闘中です。

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