2021年05月11日公開
2021年05月11日更新
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」とは?信者の実態を解明
踊る宗教として有名な田布施の「天照皇大神宮教」は、1945年に北村サヨが開いた宗教です。 田布施町は山口県に位置し、岸信介・佐藤栄作と2人の内閣総理大臣を輩出している町でもあり、 政治中枢との関わりからも天照皇大神宮教は注目されています。
目次
新興宗教「天照皇大神宮教」がある田布施町とは
「天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)」が、現在も本部を置いている田布施町(たぶせちょう)は、
薩摩藩(鹿児島県)と共に明治維新で大きな役割を果たした長州藩(現在の山口県)の南東部に位置しています。
田布施の人口は、約15,000人と決して大きな町ではありませんが、その小さな田布施町から我が国の内閣総理大臣を二人も輩出したことで知られています。
その二人とは、
・岸信介(第56、57代の内閣総理大臣)
・佐藤栄作(第61、62、63代の内閣総理大臣)
の二人で、彼らは血の繋がった実の兄弟であることが有名です。
※二人の父は、山口県庁の官吏であった佐藤秀助で、兄の信介が中学3年生の時、婿養子だった父の実家の岸家の養子となり、
実の兄弟でありながら岸・佐藤と異なる姓を名乗ることになりました。
他にも、俳優の原田大二郎やお笑いタレントの松村邦洋が、田布施町の出身ですが、
もう一人、田布施町の出身で忘れてはならない有名人が 天照皇大神宮教開祖の「北村サヨ」です。
岸信介元内閣総理大臣
佐藤栄作元内閣総理大臣
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の開祖「北村サヨ」とは
北村サヨ
北村サヨは、1900年の1月1日に当時の山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)の農家の娘に生まれ、北村清之進と結婚して田布施町に嫁いできました。
ある時、田布施の自宅の納屋などが放火に遭ったことがきっかけで、犯人を捜す目的で地元の祈祷師のところへ通ったりするうちに、丑の刻参りやと水行の修行などを実践し、後にその祈祷師から、彼女自身が「生き神になる」と告げられています。
その後、憑依現象を体験し、天照皇大神が自身に降臨したと周囲に話し、田布施で「天照皇大神宮教」を開教しました。
1945年に同じ田布施町出身の岸信介が、A級戦犯被疑者として逮捕され巣鴨プリズンに拘置されたとき、「10年以内に必ず内閣総理大臣になる」と予言し、岸が首相に就任した後、その予言について二人が言葉を交わしています。
昭和43年に北村サヨは孫娘の清和(姫神様)を後継者に定め、死去しています。
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」とは
天照皇大神宮教本部
天照皇大神宮教は、宗教法人格を持つ、日本の新興宗教の一つで本拠地は田布施にあります。
その概要は下記のとおりとなっています。
・設立:1947年(昭和22年)2月
・設立者:北村サヨ(1945年8月12日~1967年12月28日)
・法人番号:9250005006991
・本部:〒742-1502 山口県熊毛郡田布施町波野123
天照皇大神宮教では、開祖の北村サヨに天照皇大神が降臨したとする昭和21年を、
「神の国の紀元元年」と呼んで特別な年と認識し、独自の年号である「紀元」を使いはじめました。
※人口が約15000人の小さな田布施町の中で、一際目立つ建物が、天照皇大神宮教本部らしいです。
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の教え(教義)の中身
「天照皇大神宮教」の教え(教義)によれば、
宇宙の絶対神は3000年に一度だけ地球に降臨すると説明され、
・一度目は仏教の釈迦、
・二度目はキリスト教のキリスト、そして
・三度目が北村サヨである、と説かれています。
また、天照皇大神宮教では「我欲をすてて無我の域に達することが出来れば、人と神が合一する」と説明し、
無我の舞を踊るのが特徴となっています。
この無我の舞の踊りから、戦後社会に於いて「踊る宗教」や「踊る神様」として、
一定の認識を得て注目され、人々の間に浸透し布教されていきます。
また、天照皇大神宮教では、面識がない男女の間での結婚(天照皇大神宮教の内部では「結魂」という)をすることがあり、一時、社会を賑わせた「統一協会」の合同結婚式との類似性を指摘されることがあります。
※過去の統一協会の合同結婚式では、芸能人として売れていた歌手の桜田淳子さんやスポーツ選手の山崎浩子さんが参加して結婚するなどメディアで大々的に取り上げられて宗教団体としての統一協会が問題視されたことがあります。
(後に山崎浩子さんは統一協会を脱会しています。)
※天照皇大神宮教では、「合掌」のことを合正、「聖書」のことを生書、「信仰」のことを神行と書き表します。
さらに、天照皇大神宮教では、人間の「死」は、人が肉体的存在から魂的存在になって成仏をしたことを意味しているので、悲しむべきものではなく、祝福すべきものであるとし、葬儀では「おめでとうございます」と祝福の言葉が述べられるので、部外者はビックリすることが多いらしいです。
また墓は作らず、田布施の本部内の共同墓地に埋葬されることが多いとのことでした。
統一協会の合同結婚式とは
じつは、現在も統一協会の国際合同結婚式は続いています。(芸能人が参加しているかどうかは不明ですが…)
2016年に韓国ソウルの統一協会で行なわれた結婚式には、日本からも700人以上の男女が参加したとされています。
ネット上では、日本人女性信者は韓国に嫁がされる、という情報もありましたが、
統一協会側は、本人が希望しない限り、統一協会側が勝手に韓国人を紹介することは無い、と説明しています。
ただ、統一協会側の紹介は絶対とは言えないまでも、軽いものでは無いような雰囲気は漂っていますね…
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の北村明和とは
北村明和
北村明和は、田布施の「天照皇大神宮教」本部の現在の教主で、三代目の教主です。
ちなみに、
・初代が、天照皇大神宮教を開いた北村サヨ。
・二代目が、北村サヨの孫娘にあたる北村清和(姫神様)。
・三代目が、清和の娘である北村明和(明和様)。
天照皇大神宮教は、北村明和はじめ教主の全員が女性であるという特徴があります。
北村明和は、2010年当時、二十歳の女性とあるので、現在も年齢は若く興味がそそられます。
北村明和の母の姫神様は鼻筋通った整った顔立ちの人だったらしいので、北村明和自身も母親似の美人かも?
(未確認情報ですが)北村明和は東京都内の大学に通っていたという話もあったりします。
天照皇大神宮教の信者数
天照皇大神宮教の信者数は、フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)によれば、
2009年現在で47万人と説明されています。
また、「週刊ダイヤモンド」が特集した「新宗教 巨大ビジネスの全貌」という記事の中では、
天照皇大神宮教の信者数は、31位にランクインされ、その数は473,898人と説明されていました。
小さな田布施町に本拠地があることを考えると凄い人数ですね。
ちなみに、トップ3は以下の団体でした。
1位 神社本庁 68,053,757人
2位 幸福の科学 11,000,000人
3位 創価学会 8,270,000人
※気になる統一協会の名前は見つかりませんでした。
天照皇大神宮教の本部支部道場
天照皇大神宮教本部道場:
道場所在地 山口県熊毛郡田布施町波野123
竣 工 1964年
施工者 清水建設(株)
※天照皇大神宮教の本部道場は、コンクリート打放しの洒落た外観を有し、
「第14回BELCA賞ロングライフ部門」で表彰されている建物です。
本部道場建設の際、コンクリートの打設や石積み、コンクリートブロックの製作などを、教団の指導で信者の労務奉仕が行われ、まさしく信者が作った道場です。
天照皇大神宮教山口道場:
道場所在地 山口県山口市平井188
天照皇大神宮教東京本部道場:
道場所在地 東京都千代田区九段北4丁目3-18
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の結婚
天照皇大神宮教では、面識がない男女同士の間での結婚が珍しくないそうです。
これを、天照皇大神宮教の内部では「結魂」というそうです。
桜田淳子さんの結婚で一時期、テレビや社会で問題視された、「統一協会」の合同結婚式との類似性を指摘されることがあります。
田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の葬儀
天照皇大神宮教では、人間の「死」は、人が肉体的存在から魂的存在になって成仏をしたことを意味しているので、悲しむべきものではなく、祝福すべきものであるとし、葬儀では「おめでとうございます」と祝福の言葉が述べられるので、部外者はビックリすることが多いそうです。
実際、天照皇大神宮教の信者ではない部外者が天照皇大神宮教の葬儀に出席すると、結婚式のような雰囲気で戸惑ってしまうとのことです。
また、天照皇大神宮教ではお墓は無いということも書かれていましたが、この情報は未確認です。
ただ、開祖の北村サヨの遺骨は灰にして田んぼに撒いたとのことですし、二代目の北村清和(姫神様)の遺体は、本部敷地内の墓碑もなにもない広場みたいな山の一角に埋められたとのことです。
天照皇大神宮教を信仰する有名人・芸能人
有名な新興宗教の信者の中には、芸能人の名前を見かけることも多く
「えっ!この人も信者なの……」と驚かされることがよくありますが、天照皇大神宮教については、
現在芸能人として活躍してる信者を特定することはできませんでした。
(他の新興宗教では芸能人が広告塔として利用されることもありますが…
天照皇大神宮教では広告塔としては利用しないだけで芸能人が入会している可能性はありますね。)
一方で、芸能人ではありませんが有名人というくくりでは、我が国の第56、57代の内閣総理大臣をつとめた岸信介氏が、天照皇大神宮教開祖の北村サヨを大変敬い厚遇していた、という話があります。
また、岸信介の孫にあたる現総理大臣の安倍氏の周辺の話によれば「安倍首相は、以前から、踊る宗教のサヨに感心して“あの人はすごい人だ”と、よく話しています。」という話が伝わっています。
さらに、北村サヨの孫にあたる北村経夫参氏が参院選挙に出馬する際、安倍首相は氏を全面支援し、結果当選をはたしました。
また当選後は、安倍氏がいる清和会(細田派)のメンバーになったことも知られています。
北村経夫とは?田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」の関係者
北村経夫は、天照皇大神宮教の開祖である北村サヨの孫にあたる人物で、中央大学経済学部卒業の後、ペンシルベニア大学大学院に留学するなど、北村経夫氏は優秀な人物らしいことが分かります。
その後、北村経夫氏は産経新聞社に入社し、外務省記者クラブや自民党記者クラブなどのキャップを歴任します。
北村経夫氏の政治信条は、憲法9条の改正には賛成で自衛隊を他国同様「国防軍」とすべきとしています。
2013年の参議院議員通常選挙に、北村経夫氏は自由民主党(比例区)から立候補し初当選を果たしました。
また2015年に北村経夫氏は、経済産業大臣政務官に就任しています。
ウィキペディアによれば、北村経夫氏と安倍総理との親交は深く、北村家と安倍家は、岸信介氏の時代から交流があったと、記述されています。
安倍総理と北村経夫氏
天照皇大神宮教と清和会の関係
清和会(せいわかい)とは、自由民主党の派閥の名称で、清和会は古い名称であり、現在の正式名称は「清和政策研究会」です。
自由民主党内では、平成研究会や宏池会と並ぶ名門派閥として知られています。
そんな清和会ですが、「清和会」という名称自体が、実は、天照皇大神宮教の二代目の北村清和(姫神様)から命名されたという話があります。
この話を聞いただけでも、田布施の天照皇大神宮教と自民党の名門派閥である清和会との間には、浅からぬ関係があると考えた方が自然な気がします。
まとめ(田布施町の新興宗教「天照皇大神宮教」)
「天照皇大神宮教」が、現在も本部を置いている田布施町は、
内閣総理大臣を二人も輩出した過去があり、現内閣総理大臣の安倍首相も、
この二人の内閣総理大臣の関係者(血縁者)であるという事実や、
天照皇大神宮教の関係者で、開祖北村サヨの孫にあたる北村経夫参氏が選挙に出馬する際、
自民党が氏を全面支援し当選を果たす等、
「天照皇大神宮教」は現在も、日本の政治権力と一定の関係を保ち続けていることは容易に想像できます。
天照皇大神宮教のことを考える際には、単なる新興宗教と捉えると
真相の半分しか究明できないかも知れません。