島根女子大生死体遺棄事件の概要と犯人・矢野富栄まとめ【猟奇殺人】
猟奇殺人事件「島根女子大生死体遺棄事件」が起きたのは今から9年ほど前のことです。犯人は矢野富栄という男と断定されますが、犯人が発覚した時点で矢野富栄は既に死亡しており逮捕に至りません。無念が残る事件、「島根女子大生死体遺棄事件」についてご紹介します。
目次
初めに
日本は2017年時点では世界でもトップ3にランクインするほどの治安の良い国で、2015年においては殺人事件数は1,000件を切る数字となっていました。
日本では、猟奇殺人のような凶悪事件が起きることは珍しいとも言われています。とは言え凶悪事件が全く起きないということはなく、日本でもいくつかの猟奇殺人事件は発生しています。
以下にご紹介しますのは、今から約9年前に起きた猟奇殺人事件である「島根女子大生死体遺棄事件」についてです。
記事の中には非常に衝撃的な内容が含まれております。閲覧なさる場合はそのことをご留意くださいますようお願いします。
無念が残る形で解決した猟奇殺人事件
島根女子大生死体遺棄事件は2009年に発覚し、その後7年間、犯人逮捕どころか特定もされない未解決の状態にありました。当初は死体遺棄罪単体で捜査されていましたが、2012年に公訴時効が成立しました。その後は死体遺棄罪を殺人罪に切り替えて捜査は続けられ、2016年についに犯人が判明します。
しかし犯人は既に死亡しており、犯人逮捕には至らず無念の残る形での解決となりました
治安の良い国で起きた猟奇事件
島根女子大生死体遺棄事件の被害者となったのは、同県の浜田市にある県立大学に通う大学生の平岡都さんでした。被害者の遺体があまりにもひどい状態であったため、山中で被害者の遺体が見つかったということもあり、警察内で「動物に食い荒らされたのではないか」という見解すら出たとのことです。
浜田事件、浜田学生遺棄事件、島根女子大生殺害事件、島根女子大生バラバラ殺人事件などと呼ばれることがあります。
島根女子大生死体遺棄事件の被害者について
島根女子大生死体遺棄事件の被害者である平岡都さんは香川県出身で、地元の高校を卒業後に島根県立大学に入学します。平岡都さんは真面目で優秀、優しい性格だったとのことです。
島根女子大生死体遺棄事件の内容
島根女子大生死体遺棄事件が発覚したのは、2009年11月6日の広島県にある臥竜山で被害者の遺体の一部が発見されたことからでした。臥竜山は広島県と島根県の県境近くに位置しています。
この日キノコ狩りのために臥竜山を訪れていた男性が、落ち葉の上に置かれている人間の頭部に気がつき通報しました。翌日の7日、DNA鑑定によりこの遺体は平岡都さんだと断定されます。
実は平岡都さんは遺体が発見される半月ほど前の10月26日の夜、バイト先からの帰宅途中に行方が分からなくなっていました。
島根女子大生死体遺棄事件の解決のために広島県警と島根県警は合同の捜査本部を設置し、平岡都さんの残りの遺体の捜索と被疑者特定の捜査を開始します。
捜索の結果、11月7日に左大腿骨の一部、11月8日に両手足がない胴体、11月9日に左足首、11月19日に爪や肉片そして骨片が発見されました。後にこれらは全て平岡都さんのものだと断定されました。
島根女子大生死体遺棄事件の被害者が行方不明となり遺体として見つかるまでの経緯
10月26日 最後の目撃姿
島根女子大生死体遺棄事件が発覚する半月ほど前の10月26日、平岡都さんは夜にアルバイト先を退社します。この時平岡都さんの姿を最後に確認できたのは、午後9時過ぎでした。防犯カメラに従業員の通用口から出る姿が写っていました。その様子を最後に、平岡都さんの足取りは分からなくなります。
平岡都さんが当時住んでいた寮は、アルバイト先から約2キロほどの距離にありました。平岡都さんは徒歩でアルバイト先を往復していたようです。アルバイト先から寮までの道は夜の時間帯は真っ暗な状態となるうえに人通りもなく、地域住民も敬遠している場所でした。
平岡都さん自身も不安を感じていたらしく、近々アルバイトを辞める予定でした。もしもう少し早く辞めていたら、平岡都さんは島根女子大生死体遺棄事件の被害者とならなかったのかもしれないと思うと胸が痛みます。
10月27日 取れない連絡
10月27日の午後5時半頃、平岡都さんのご家族が彼女の携帯電話に電話やメールなどをしますが、連絡がとれませんでした。
10月28日 捜索願いが出される
10月28日に平岡都さんがアルバイトに出勤しなかったことから、ご家族は島根県警浜田署に捜索願いを出します。
11月6日 島根女子大生死体遺棄事件の被害者として発見される
11月6日に島根女子大生死体遺棄事件が発覚します。被害者の平岡都さんは凄惨な状態で発見されました。
なお平岡都さんのご家族は島根女子大生死体遺棄事件が発覚した翌日の11月7日に、広島西署で平岡都さんのご遺体と対面しています。
島根女子大生死体遺棄事件の被害者の状態(閲覧注意)
島根女子大生死体遺棄事件の被害者の平岡都さんの遺体の状態は、非常に凄惨さを極めていました。
精神的ショックを受けるかもしれませんので、閲覧には注意をしてください。
島根女子大生死体遺棄事件の発覚ともなった最初に発見された頭部は、顔はうっ血しており目も充血した状態でした。首には刃物で切断されたと見られる跡があり、首を絞められてかきむしった跡もありました。腐敗は進んでいなかったとのことです。
なお平岡都さんのご遺体は司法解剖も行われ、その結果顔には殴打されたような形跡があり、内出血もしていたとのことでした。
島根女子大生死体遺棄事件の被害者の平岡都さんの遺体はバラバラにされていただけではなく、猟奇的な手まで加えられていたとのことです。被害者のご遺体は両方の乳房が刃物によるものと思われる物でえぐり取られており、腹部の内臓は大部分が取り出されていたそうです。そして左大腿骨の骨の一部は切断され、肉がそぎ落とされていた状態だったと言われています。
このあまりの凄惨な様子に、警察内で「動物に食いちぎられたのでは?」と意見が出ることに繋がります。
しかし島根女子大生死体遺棄事件の被害者のご遺体の凄惨さはこれだけに止まらず、胴体部分には焼けた跡があり、さらには顔は殴打だけではなく足で踏まれたと思われる跡さえついていたとのことです。死後につけられたであろう傷もあったそうです。
島根女子大生死体遺棄件の解決と同時に明らかになった無念の真実
島根女子大生死体遺棄事件の犯人は、先にも述べましたように既に死亡していました。被害者である平岡都さんの遺体が見つかった2日後に、山口県内で起きた交通事故により同乗していた母親と共に死亡しました。
犯人死亡ということで不起訴処分となり、書類送検となっています。
この島根女子大生死体遺棄事件の犯人の交通事故死については自殺説、ただの事故死説がありますが、真相は今となっては不明です。
島根女子大生死体遺棄事件の犯人について
島根女子大生死体遺棄事件の犯人「矢野富栄」とはどのような人物か
猟奇殺人事件「島根女子大生死体遺棄事件」を引き起こした犯人である矢野富栄は、凶悪な事件を引き起こした人物とは思えないほど一見すると目鼻立ちの整ったどこにでもいそうな好青年といった様子です。さらに矢野富栄は、防衛大学に合格するほどの優秀な人物でもあったようです。矢野富栄を知る人物の中には、真面目で堅苦しい雰囲気だったと評する人もいます。
ただ矢野富栄は大学在学中は少し様子が変わり、ナンパを行うなど今までの硬派な様子とは違った面も見せていたと言われています。
島根女子大生死体遺棄事件の犯人「矢野富栄」の経歴
島根女子大生死体遺棄事件の犯人矢野富栄は山口県下関市で生まれ、地元の中学校を卒業してから北九州市の進学校へ進みます。その後矢野富栄は1年の浪人を経て国立大に進学しますが、大学を中退します。
島根女子大生死体遺棄事件を起こした2009年5月には、地元のソーラーパネル販売会社に雇われ島根県益田市に配属されていました。矢野富栄は数ヶ月でソーラーパネル6台を売るほどで、営業成績は良かったとのことです。勤務態度も非常に真面目だったとのことでした。
島根女子大生死体遺棄事件の犯人「矢野富栄」は前科ありの人物
矢野富栄には前科があり、島根女子大生死体遺棄事件を起こす5年ほど前の2004年に北九州市や都内で猥褻未遂事件を起こしています。矢野富栄は面識のない女性を刃物で脅した挙句、猥褻行為をしようとしました。この時矢野富栄は逮捕されて起訴され、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けています。
その後は矢野富栄は地元に帰り、先述した会社で雇われるまではアルバイトを続けていました。
母親と共に死亡した島根女子大生死体遺棄事件の犯人
日本中を震え上がらせた猟奇殺人事件「島根女子大生死体遺棄事件」の犯人矢野富栄は、母親と共に死亡しました。
矢野富栄が運転する車が中国自動車道の下り線上を走行中、ガードレールに何度もぶつかった挙句にボンネットから白煙を上げて路側帯に停止します。そして車は炎上し、中から矢野富栄本人と家族である母親の遺体が見つかりました。ブレーキ痕やスリップ痕はなく、矢野富栄は母親を道連れに無理心中を図ったのではと言われています。
2016年ようやく島根女子大生死体遺棄事件の犯人断定
不審な動きをする車を発見
事件当時警察は、島根女子大生死体遺棄事件に関係する場所周辺を走行している車の存在を把握していました。この時点ではこの車の島根女子大生死体遺棄事件への関与は薄いと判断され、捜査対象から外れていたようです。
しかし自動車ナンバー自動読み取り装置であるNシステムを再度調べたところ、この車が島根県女子大生死体遺棄事件発生前後に浜田市内周辺を車で移動、裏道を通るなど不審な動きをしていたことが分かります。
性犯罪歴のある男が判明する
警察は性犯罪歴を持つ人物の洗い出しを行い、結果矢野富栄の存在が島根女子大生死体遺棄事件の捜査線上に浮かび上がります。警察は矢野富栄について調べますが、矢野富栄は既に死亡していました。
しかし矢野富栄の実家からは、矢野富栄の遺品であるデジタルカメラやUSBから島根女子大生死体遺棄事件の被害者である平岡都さんの遺体が写った画像を入手でき、捜査は一気に進展しました。
なお矢野富栄は共に死亡した母親とは別に、家族には父親と弟がいました。父親は矢野富栄が島根女子大生死体遺棄事件を起こした時には既に亡くなっていました。矢野富栄の弟は両親や兄が死亡した後も、夫婦で実家に住んでいました。
ですが、島根女子大生死体遺棄事件の犯人が発覚した後は実家を改築して営んでいた美容院を閉店して、消息不明となっていると言われています。
大量にあったおぞましい画像(閲覧注意)
矢野富栄のデジタルカメラやUSBからは、島根女子大生死体遺棄事件の被害者の遺体や文化包丁などの画像が57枚も見つかったと言われています。その写真の中には、遺体を切断していく過程の写真もあったと噂されています。
島根女子大生死体遺棄事件の腑に落ちない点
なぜ被害者が狙われた?
島根女子大生死体遺棄事件の犯人矢野富栄は、なぜ平岡都さんを狙ったのでしょうか。
初めから平岡都さんを狙っていたのか、あるいはたまたま人気のない場所を歩く平岡都さんの姿が矢野富栄の目に止まり被害者となったのか、謎は深まります。
ですが犯人本人が死亡している現在、島根女子大生死体遺棄事件の動機や平岡都さんが被害者となった真相は全く不明となってしまいました。
「大変なことになった」とはどういうこと?
死亡する前、矢野富栄は知人に「大変なことになった」と漏らしていたそうです。この「大変なことになった」の発言は少々不可解ではあります。
衝動的に殺人を犯し、犯人が遺体の処理に困って遺体をバラバラにして隠そうとする行動は珍しいことではないと言われています。
しかしその場合は事件発覚と逮捕を恐れて、なるべく見つからないよう、発見が遅れるように工夫しています。ポリ袋に入れて遠くに捨てたり、土に埋めたりなどです。
ですが島根女子大生死体遺棄事件の被害者平岡都さんのご遺体は、まるで見つけてくれと言わんばかりの状態で放置されていました。そして臥竜山は登山目的で人がよく訪れる場所です。これらは自分の犯罪を世間に見せつけたいという行動ともとれます。
しかし実際は遺体の処理を持て余した結果、臥竜山が登山で有名とは知らずに捨て、犯罪を隠したつもりでいたとすればやや納得がいく言葉ではあります。島根女子大生死体遺棄事件が矢野富栄の予想よりも早く明るみに出たうえに、全国ニュースにもなってしまいます。これほどの大ニュースになると思っていなかった矢野富栄は、動揺して逮捕を恐れて自殺を決意したのかもしれません。
しかしながら自分が島根女子大生死体遺棄事件犯人であると発覚することを恐れて自殺したと仮定すると、矢野富栄が決定的な証拠となる画像をなぜ全て捨てなかったかという部分にも疑問が残ります。死後に発覚しても、どうでも良いという気持ちだったのでしょうか。
なぜ母親を道連れに?
矢野富栄の死が自殺であったとして、どうして母親は道連れにされたのでしょうか。1人で死ぬのが嫌だった、または母親を島根女子大生死体遺棄事件の殺人犯の家族としてこれから生きていかせるのは辛かったなどと理由はいろいろ考えられます。どれも身勝手な理由ですが。
しかし矢野富栄の生存している家族は弟もおり、弟も島根女子大生死体遺棄事件の犯人が特定されれば、殺人犯の家族として生きていくことになります。弟を道連れにしなかったのは、抵抗される可能性を危惧してのことかもしれません。
ですがもしかすると、矢野富栄は逮捕を免れるため身を隠すことを考え、その支援を母親に求めようとしたのかもしれません。事故死当日、矢野富栄は近所の人に「墓参りに行く」と告げています。墓参りは口実で母親と2人だけになれる状況を作り、そこで自分の犯した罪を打ち明けた可能性はないでしょうか。
しかし母親が自分に味方をしてくれることを期待していたのに、逆に母親から自首を勧められてパニックとなり衝動的に自殺を図ったとも考えられます。
どの可能性であるにせよ、全てが分からない状態です。
まとめ
迷宮入りかと思われていましたが、事態が急転し犯人が分かったにも関わらず、既に犯人は死亡して逮捕に至らなかったという無念の結果が残された島根女子大生死体遺棄事件を紹介してきました。このようなむごい猟奇殺人事件に巻き込まれ、被害者となった平岡都さんや彼女のご家族の苦しみや無念が晴れることはないでしょう。
程度の差はあれ、理不尽に人が苦しめられる事件は起きないでいてほしいものです。