パラオが親日国と言われる理由&日本との関係とは?親日は嘘で反日教育だった!?

親日国として知られるパラオ。しかし、実は反日本教育も行われていた過去があります。そのようなことがありながら、なぜパラオ人は現在も親日なのでしょうか?その理由や日本人との関係性を、国旗や友好橋、天皇陛下のパラオご訪問時のエピソードなどを踏まえてご紹介します。

パラオが親日国と言われる理由&日本との関係とは?親日は嘘で反日教育だった!?のイメージ

目次

  1. 1パラオとは
  2. 2パラオはなぜ親日国と言われるの?歴史的背景から見た日本との関係性
  3. 3「パラオは親日国である」と判断できる理由が様々存在!
  4. 4パラオ人が親日だと判断できる理由①:至るところで日本語が使用されている
  5. 5パラオ人が親日だと判断できる理由②:パラオには日本人のような名前の人が多い
  6. 6パラオ人が親日だと判断できる理由③:パラオの国旗が日本のものと似ている
  7. 7パラオ人が親日だと判断できる理由④:日本人が建てた友好橋が存在
  8. 8パラオ人が親日だと判断できる理由⑤:昔の日本の古い歌が歌われている
  9. 9パラオ人が親日だと判断できる理由⑥:天皇陛下ご訪問時の歓待具合
  10. 10まとめ:パラオは親日国で、日本人に友好的!

パラオとは

基本情報

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パラオの正式名称は「パラオ共和国」で、人口21291人(2015年、世界銀行)、国土面積488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)の小さな島国です。首都はマルキョクで、公用語は英語とパラオ語です。

日本人に人気の旅行先

出典: http://pacific-ecotour.jp

パラオの主要産業は観光業です。日本からはパラオまでの直行便が出ているほどであり、日本人の旅行先として人気の国になります。
パラオは嘘のように澄み渡った海と珊瑚礁が特徴的で、一年中温暖な気候であることから、ダイビング目的で訪れる観光客が多いです。

パラオはなぜ親日国と言われるの?歴史的背景から見た日本との関係性

パラオは親日国だと耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?実際、パラオは日本と非常に良好な関係にあり、現地で友好的な態度をとってもらったという日本人観光客も多いです。
しかしながら、反日教育も行われていたこともあるパラオ。それでも、なぜ日本とパラオは友好関係にあるのでしょうか?その理由は、パラオの歴史的な背景が大きく関係しています。実は、パラオは第二次世界大戦中、日本の統治下にあったのです。

占領と支配!日本人に統治される前のパラオ

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パラオの歴史は、占領と支配の要素が大きな割合を占めています。
16世紀ごろから、海運の進歩によって、ヨーロッパの国々がパラオを訪れるようになり、まず初めにスペイン人が渡来し、続いてポルトガル人、イギリス人がやってきました。
そして、1885年にスペインの、その後の1899年にはドイツの植民地になりました。

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ドイツの植民下に入って以降、パラオではココナッツやタピオカの栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興がドイツ主導で行われました。
しかしながら、当時の他のドイツの植民地と同様に、道路や水道などのインフラの整備や現地のパラオ人への教育はほとんど行われませんでした。

発展!日本人に統治されてからのパラオ

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第一次世界大戦が終わり、ドイツは敗戦国となり、対して連合国側にいた日本は戦勝国となりました。
そこで、戦後の1920年に開かれたパリ講和会議にて締結されたベルサイユ条約にて、パラオは日本の委任統治領となることが決まりました。
委任統治領とは、植民地とは異なり、敗戦国の領土や植民地を統治するために、国際連盟が、別の国に統治を委ねた統治形態のことを言います。

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日本の統治下に入って以降のパラオでは、ドイツの統治下ではほとんど進んでいなかった各種インフラの整備が重点的に行われ、近代化が進みました。
特に、当時首都であったコロールは町並みが整備され、その発展は目覚しいものでした。

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また、パラオの子ども達への教育も積極的に行われました。
現地に学校がいくつも建設され、日本人教師が多数派遣されました。
そのような初等教育だけでなく、大人たちにも街や建物の整備のために派遣された土木業者からの技術指導が行われました。
加えて、多くの医療従事者や行政官吏も派遣されたため、医療制度や法整備などの衛生・行政面でのサポートも手厚く行われたため、結果としてパラオの人々の生活水準の向上が急速に向上していきました。
これらパラオの発展のために派遣された日本人は約25000人に昇り、且つ統治に要する資金のほとんどを日本の国費で賄われました。

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以上のように、日本は当時のパラオの発展に大きく寄与しました。
そして、それに伴って日本人とパラオ人との絆も次第に深まっていきました。

開戦!パラオ・ペリリュー島の戦い

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第二次世界大戦が起こると、日本はパラオの首都コロールに海軍基地を建設し、北西太平洋方面の重要な戦略拠点と位置づけました。
そのため、パラオは日本と戦争関係にあったアメリカに侵略されることとなりました。
 

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その時のエピソードとして、印象的なものが伝えられています。
当時、パラオの現地の人々は日本と共に戦いたいと思い、その旨を日本軍に申し出たそうです。
しかしながら、なぜか日本軍はその提案を非常な物言いでつっぱね、パラオの人々を船で疎開させることにしたため、パラオの人々は非常に落胆しました。
そして、船で国外へ出る当日、気落ちしながら船に乗り込み沖に出ると、浜から日本軍兵士の皆が大きな手を振ってお別れの言葉を叫んでいました。
後からわかった事には、この時日本軍としてはパラオの人々を戦いに巻き込まないようにという配慮があったそうです。実際、民間人の試写はゼロだったと言われています。
このことに心を打たれたパラオの人々は、敗戦後に島に戻った際、日本軍兵士たちを一つ一つきれいに埋葬してくれました。
 

反日教育も!アメリカ人に統治されてからのパラオ

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第二次世界大戦終結後の1947年、パラオはアメリカの信託統治下に置かれました。
アメリカは、パラオに対し教育や福祉、健康面への援助は行ったが、産業開発にはほとんど投資を行いませんでした。
そのため、パラオは経済的にアメリカに大きく依存する形になりました。

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また、アメリカは、統治初頭にパラオに根付いた日本の文化の排除(神社や日本人と一緒に作ったインフラ・畑等の破壊)や嘘の歴史を教える反日教育を行いました。しかし、この反日教育は全く浸透しませんでした。
ちなみに、当時教えられていた嘘の内容としては「パラオ人虐殺事件」などがあります。
そのような嘘の歴史を作ってまで反日教育を施したにも関わらず、なぜパラオの人々は日本人を嫌いにならなかったのでしょうか?それは、日本の統治下にあった時に知った誠実さ・勤勉さなどの日本人の気質や、日本が行った教育、政策を評価していたからです。また、当時のパラオの発展を通して、パラオ人と日本人の関係を深まっていたことも一因です。

「パラオは親日国である」と判断できる理由が様々存在!

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以上のことから、嘘の反日教育が行われたものの浸透しなかったため、未だパラオの人々は日本に対して友好的な感情を抱いています。
そのようなパラオには、現在でもその親日性を表す文化や物などが多数存在しています。国旗や友好橋の由来、天皇陛下訪問時のエピソードなども交えながらご紹介します。

パラオ人が親日だと判断できる理由①:至るところで日本語が使用されている

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パラオでは、国の至るところで日本語が書かれた看板や標識を見ることができます。
また、パラオ語の中には日本語が由来となった言葉が多数あります。例えば、「ツカレナオース」は「ビールを飲むこと」を、「アジダイジョーブ」は「おいしい」を、「ショートツ」は「乾杯」をそれぞれ表しています。この他にも、嘘かと思うくらい面白い使われ方をしている日本語があるので、気になった方は調べてみてはどうでしょうか?

出典: http://www2.kokugakuin.ac.jp

また、パラオの中でも総面積8平方キロメートルの小さい島・アンガウル州の州憲法では、パラオ語、英語の他に、日本語が公用語として定められています。
日常生活の中で使用されることはほとんどないそうですが、高齢の方になると、日本語を流暢に話せる人も多いとのことです。

パラオ人が親日だと判断できる理由②:パラオには日本人のような名前の人が多い

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パラオでは、日本人と似た名前を持つ人が数多くいます。
左の写真はパラオの電話帳の一部を撮影したものですが、「Tanaka」や「Yamada」といった日本でも馴染みのある苗字が見られます。
なぜ日本人名が使われているのかというと、1994年の独立時に苗字や名前が必要になり、パラオの人々の一部が自ら尊敬していたり馴染みのある日本人名を持ってきたからだと言われています。
親日感情がなければ、ここまでしないのではないでしょうか?

パラオ人が親日だと判断できる理由③:パラオの国旗が日本のものと似ている

出典: http://www.geocities.jp

パラオの国旗は、嘘かと思うほど日本の国旗とよく似たデザインをしています。相違点としては、パラオの国旗では周囲の青は太平洋、中央付近の黄色い円は月を表しています。
この月は日章旗の太陽と対になるもので、日本への友好を示すものなのだそうです。
そして、パラオの国旗の満月は日本の国旗の太陽とは違って,中心から左に少しズレています。
これは、円を中心に持ってくるとあまりにも日本の国旗と似すぎてしまうため、日本への敬意も込めてわざと中心をはずしたそうです。

パラオ人が親日だと判断できる理由④:日本人が建てた友好橋が存在

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パラオには、日本人が建てた「友好橋」があります。その名を「日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)」と言い、パラオの旧首都コロール島とバベルダオブ島を結ぶ全長413メートルのコンクリート製の友好橋です。なぜこの橋が建設されたのかというと、この友好橋の前にはコロール・バベルダオブ橋(Koror-Babeldaob Bridge)と呼ばれる橋が架かっていましたが、1996年に崩落事故を起こり無くなってしまったからです。
当時パラオ政府は財政的な理由から自国の資金による建設を断念しましたが、日本の無償援助によって2002年に現在の友好橋が再建されました。

出典: http://whats-going-on.ldblog.jp

この友好橋のたもとには、友好の象徴として両国の国旗が刻まれた記念碑が存在します。

パラオ人が親日だと判断できる理由⑤:昔の日本の古い歌が歌われている

出典: http://kicmil.jp

パラオでは、多くの国民が「鳩の歌」を歌えるそうです。
また、桃太郎なども歌える人がいるそうで、日本の昔の歌が愛されて今でも残っていることを感じさせます。

パラオ人が親日だと判断できる理由⑥:天皇陛下ご訪問時の歓待具合

出典: http://blog.livedoor.jp

2015年4月、天皇陛下・皇后陛下が太平洋戦争の戦没者の慰霊などのためにパラオをご訪問されました。
天皇陛下・皇后陛下が降り立ったパラオ国際空港では現地の子供たちから盛大に出迎えられ、その後歓迎行事や大統領夫妻との会見、晩餐会に出席されました。

出典: http://ironna.jp

ペリリュー島にある「西太平洋戦没者の碑」に深々と頭を下げられた天皇陛下・皇后陛下。このご訪問の際には、天皇陛下・皇后陛下は亡くなった日本軍兵士だけではなく、敵国だったアメリカの戦没者も慰霊されました。
その天皇陛下・皇后陛下の御姿は現地メディアでも大々的に報じられ、結果的にパラオ国民の親日感情をより高めることとなりました。

まとめ:パラオは親日国で、日本人に友好的!

出典: http://www.globalservice.co.jp

パラオがなぜ日本に友好的なのかについてご紹介しました。
皆さんも、パラオを訪れた際には、ぜひこのような歴史背景を振り返りながら、現地の人々と交流してみてはいかがでしょうか?

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