『t.A.T.u(タトゥー)』ロシアの二人組"レズ"アイドルの現在は?

2003年ブレイクしたロシアの二人組アイドルユニットt.A.T.u(タトゥー)。レズビアン的な要素で二人が絡む過激なPVは注目を集めました。ロシアから来日の際ドタキャン事件を起こした事でも有名なt.A.T.u(タトゥー)のデビューから現在までをご紹介します。

『t.A.T.u(タトゥー)』ロシアの二人組"レズ"アイドルの現在は?のイメージ

目次

  1. 1ロシア発のアイドルデュオt.A.T.u(タトゥー)とは?
  2. 21998年ロシアデビュー
  3. 3t.A.T.u(タトゥー)は最初デュオではなかった?
  4. 4プロジェクトに名前が付くも最初は違うプロジェクト名
  5. 5t.A.T.u(タトゥー)の由来
  6. 6ロシアにて新プロジェクトt.A.T.u(タトゥー)始動
  7. 7t.A.T.u(タトゥー)の躍進は止まらない
  8. 8破綻していく方向性
  9. 9ロシアから日本に上陸
  10. 10生放送でドタキャン事件
  11. 11t.A.T.u(タトゥー)人気は下降へ
  12. 12ロシアのドキュメンタリーで露呈されていく事実
  13. 13その後のt.A.T.u(タトゥー)
  14. 14ついにt.A.T.u(タトゥー)解散
  15. 15ロシアのアイドル、その後と現在
  16. 16まとめ

ロシア発のアイドルデュオt.A.T.u(タトゥー)とは?

出典: http://nanjcollection.blog.jp

左の黒髪がユーリャ、右のブロンドヘアーがリェーナ

ロシアにて結成された美少女二人組み

出典: https://www.taringa.net

ロシアのモスクワにてイワン・シャポヴァロフの立ち上げたプロジェクトによって結成された二人組み。ユーリャ・ヴォルコヴァとリェーナ・カーチナからなる二人の少女で構成されたアイドルデュオ歌手である。

1998年ロシアデビュー

始まりはロシアで開催されたオーディション

2003年に日本でブレイクした二人ですが、デビューはその5年前。ロシアのイワン・シャポヴァロフと友人のアレクサンドル・ヴォイチンスキーが音楽プロジェクトを始めるにあたり1998年に10代限定の女性歌手オーディションを開催したことから始まりました。オーディションの終盤には候補者を10人にまで絞っており、その中にのちのとなるユーリャとt.A.T.uリェーナがいたのです。

t.A.T.u(タトゥー)は最初デュオではなかった?

グループ名もない、ただのプロジェクト

1998年に開催されたオーディション。最終候補者10人の中でもユーリャとリェーナの二人は見た目の美しさも歌の上手さも群を抜いていたと言います。しかし、最終的に選ばれたのは当時13歳だったリェーナ・カーチナただ一人。ユーリャは選ばれませんでした。この頃はまだデュオでも無ければグループ名も付いていない「プロジェクト」でしかなく、そんな中リェーナはデビューに向け練習やデモの録音を開始していくのです。

一人でロシアでのデビューを果たしたものの・・・

出典: https://sites.google.com

最初に選ばれたリェーナ

ヴォイチンスキーはリェーナ・カーチナのデビュー曲として「ユーゴスラヴィア」という曲を作ります。その当時、戦争によりユーゴスラヴィアにいた家族を亡くしてしまい、そんな悲しみや苦しみ戦争という物に対する憤りなどの感情を曲へと混めました。しかし、思いを混めた曲は全く売れずその事に不満を覚えたシャポヴァロフは、もう一人少女を加えてデュオにする事を提案。そして1998年の10月頃13歳であったユーリャ・ヴォルコヴァをプロジェクトメンバーに加えたのである。

出典: https://sites.google.com

新たに加わったユーリャ

プロジェクトに名前が付くも最初は違うプロジェクト名

出典: https://genius.com

最初のプロジェクト名はロシアの略語で「TATy」

新しくユーリャ・ヴォルコヴァを迎えデュオになり、作曲家セルゲイ・カロヤン、作詞家ワレリー・ポリエンコを加えプロジェクト名も「TATy」と改名されました。「TATy」とはロシア語での「ター・リュービト・トゥー」の略で有り、英語では「This(girl)loves that(girl)」、日本語では「これ(女の子)は、それ(女の子)が好きです。」というニュアンスの言葉です。

t.A.T.u(タトゥー)の由来

出典: https://www.taringa.net

なぜTATyからt.A.T.uになったのか

プロジェクト名を「TATy」に決めましたが、英語版のアルバムを発売するにあたりロシア語でのYは英語でのUにあたるという事で英語表記だと「TATy」にではなく「TATU」になってしまいます。既に「Tatu」というバンドが活動をしていた為、「TATy」から「t.A.T.u」へと変更されました。これがt.A.T.uというプロジェクト名の由来になります。タトゥーという響きだけだと刺青の意味も有りますが、全く関係ないようですね。

t.A.T.u(タトゥー)はあくまでプロジェクト名

出典: http://ja.fanpop.com

t.A.T.uと呼ばれている二人ですが、あくまでプロデューサーや作詞作曲者など製作に関わる全ての人物を含めてのt.A.T.uでありユニット名ではなくプロジェクト名です。なのでリェーナとユーリャの二人を指すときには「タトゥーシュキ」、リェーナとユーリャどちらかを指すときには「タトゥーシュカ」と呼ぶのが正しいそう。

ロシアにて新プロジェクトt.A.T.u(タトゥー)始動

プロジェクトt.A.T.u(タトゥー)始動も簡単ではなかった

新プロジェクトとしてt.A.T.uの新しい路線を考えていたシャポヴァロフは、当時恋人として付き合っていたエリェーナ・キーペルに相談していた。キーペルは少女が持つ純粋さ、性別を超えた魂の繋がりという意味で純粋な愛を提案。提案をしたキーペルにレズビアンの発想はなかった。しかし、それを聞いたシャポヴァロフはより過激な表現をしようと考えていたのだ。同じくプロデューサーであったヴォイチンスキーに案を出した所、シャポヴァロフとヴォイチンスキーの意見が合わずにヴォイチンスキーはプロジェクトを脱退してしまう。脱退したヴォイチンスキーの代わりにシャポヴァロフはキーペルをプロデューサーとして新たに迎え入れたのである。

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ロシアにてCDデビュー

2000年9月、キーペルの作詞とガロヤンの作曲による「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私はおかしくなった)」を発表。この曲がヒットを生みt.A.T.uは一躍有名に。シャポヴァロフはこの曲のPVでリェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァに同性愛、レズビアンの演技をさせた。これがロシアの常識を覆し人気が上昇、12月にはシングル「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」が発売された。

t.A.T.u(タトゥー)の躍進は止まらない

出典: http://ja.fanpop.com

その後もロシアにてヒット曲を発表

シングル「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」を発表した翌年の2001年。キーペルとガロヤンの作詞作曲で「ナス・ニェ・ダゴニャット(私たちはつかまらない)」を発表。この曲もヒットを生み、同年5月に発表し「200・ポ・フストレーチノィ(時速200キロで逆走)」というアルバムも更なる大ヒットを生んだ。インターネットなどで瞬く間にロシアのみならず東欧各国において話題になり、人気も上昇。その勢いで西欧や北米へと進出するべく英語版での製作が始められた。

人気は続くもt.A.T.u(タトゥー)のメンバー間での亀裂が・・・

2001年にヒットを連発した翌年、アルバム「200・ポ・フストレーチノィ」をトレヴァー・ホーンが編曲。英語版のアルバム「200KM/H IN THE WRONG LANE」が発売。またシングル「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」の英語版「All the things she said」PVのリメイクもされた。2002年人気絶頂の中にいたt.A.T.uだが、メンバーの間では方向性が合わず空気はあまり良くないものであった。

方向性の違いで解散寸前か?

同性愛を前面に押し出した過激な作品がヒットしたため、シャポヴァロフはt.A.T.uのこの方向性に確信を持っていた。しかし、当のリェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァはレズビアンを演じることに強い抵抗を示し、方向性の提案をしたキーペルも嫌悪を抱くこととなる。方向性の違いから亀裂は激しいものになっていた。だが、どうしてもこの方向性に自信を持っていたシャポヴァロフは、新たにヴォーカルの二人の入れ替えを画策、その行為でエリェーナ・キーペルとセルゲイ・ガロヤンはプロジェクトを脱退。ヴォーカルのリェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァは悩んだ末にt.A.T.uというプロジェクトに残ることを選択する。

破綻していく方向性

メンバー脱退の影響は大きかった

シャポヴァロフの考えが理解出来ずにプロジェクトを脱退して行ったキーペルとガロヤン。二人で作った曲が今までヒットを連発していただけに、二人が脱退後に作った曲はどれも思ったようなヒットが出なかった。2000年~2002年までに作った曲により経済的な効果は2003年までは続いたようだが、t.A.T.uの人気も経済効果も2003年位がピークだったという。

より過激さを増していくスキャンダラス性

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2003年に開催されたユーロビジョン・ソング・コンテストでt.A.T.uは新曲「ニ・ヴェーリ、ニ・ボイスャ(信じるな、恐れるな)」という曲でロシア代表として参加した。しかし、シャプヴァロフはユーリャ・ヴォルコヴァとリェーナ・カーチナの二人に反抗的で我儘な少女を演じるように指導をしていた為、その対応を快く思わない現地の人々からの支持が低く結果3位に。実はその頃にはヴォーカルのユーリャ・ヴォルコヴァは喉の障害を患っており、思ったように声が出なくなっていた。2002年12月に新たにメンバーに加わったカーテャ・ネチャエヴァが本番以外はユーリャの代わりに歌っていた。

ロシアから日本に上陸

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日本にて人気は出てくるも噛み合わないメンバー

2003年になり、日本でもt.A.T.u人気が沸き起こった。しかし、その頃になるとヴォーカルのリェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァの二人は男性との交際を隠さなくなりレズビアンが設定であることが疑われだした。また二人の家族もあくまでグループの路線であり、事実ではないと話している。それでも路線を変更しないシャプヴァロフに痺れを切らし、結成時より加入していたヴァレリー・ポリエンコもついに脱退してしまう。

アルバム「t.A.T.u」発売

2003年3月日本においてもアルバムを発売。その売り上げは国内盤と輸入盤とで200万枚にもなる。オリコン総合アルバムチャートで初登場1位を獲得、その後も3週に渡り1位を獲得するなどの大ヒット。ミリオンセラーも記録している。このヒットがあり、日本の有名なミュージックステーションに出演が決定するも、例のドタキャン事件を引き起こすのである。

生放送でドタキャン事件

ロシアのお騒がせアイドルデュオ誕生

出典: http://geinoujin-blog.net

2003年6月27日、テレビ朝日系で放送されているミュージックステーションに出演が決まっていたt.A.T.u。ミュージックステーションを観てる方は知っていると思いますが、あの番組は生放送でアイドルや歌手たちが歌を披露する番組。t.A.T.uは冒頭でのアーティスト紹介に出ただけで出演を途中で放棄。司会のタモリが「t.A.T.uが出たくねぇ、ということです。控え室から出てこないと言うことです。」と説明していたので帰ったとかでは無く控え室に篭って出てこなかったみたいですが、生放送番組でドタキャンされたら番組を作っている側は正直焦る事でしょう。その日はt.A.T.uの後に歌う予定だったミッシェル・ガン・エレファントが順番を早めて演奏、CM明けにもt.A.T.uが出てこなかったので急遽もう1曲歌う事になりカバーしていました。インパクトのある出来事に現在でもハッキリと覚えてる方も多いのではと思います。

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ドタキャンはロシアや各国でも

日本においてドタキャンと言う事件を引き起こし良くも悪くも有名になったt.A.T.uですが、ドタキャンを引き起こしていたのは日本だけでは有りません。2003年の4月にイギリスでの公演があったt.A.T.u。この公演の直前になりプロデューサーのシャポヴァロフはいきなり公演をキャンセル、その理由はとにかく無茶苦茶なものでした。イギリス公演をドタキャンしたのをはじめとし、その後世界各国で無茶苦茶なドタキャンを二人に指示。お騒がせアイドルデュオと呼ばれるようになりました。ドタキャン騒動の後の日本での会見で「何も悪いことをしたとは思っていない」と反省の色が見えず我儘だと日本での人気も減っていきました。のちのロシアでのインタビューで日本でのドタキャンもプロデューサーの直前の指示であったと告白。会見での態度も話題作りの為だったようです。

t.A.T.u(タトゥー)人気は下降へ

2003年再来日するも・・・

ドタキャン騒動から半月後の12月、t.A.T.uは東京ドームでのコンサートの為に再来日。2日間実施したコンサートだったが我儘なアイドルデュオのイメージがついてしまったt.A.T.u、その為5万人を収容する会場の半数が空席だった。公演の前にはネットオークション等でS席7500円A席6500円ものチケットが何百円という値段で大量に販売されていたという。日本でのt.A.T.u人気が低迷してきたという事実であった。

完全に破綻した信頼関係

コンサート当日ユーリャ・ヴォルコヴァは出演も難しい程に体調を崩していたが、体調不良の体をおして公演をスタート。体調を崩しているとは思えない歌唱力を披露し、その場にいた観客も絶賛。歌手としての実力は観客を納得させるものであったが、人気は上昇しなかった。そんな中、シャポヴァロフは東京ドーム公演においても直前の公演キャンセルを二人に指示していた為ユーリャ・ヴォルコヴァとリェーナ・カーチナは完全にシャポヴァロフへの信頼を失くしていた。

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ロシアのドキュメンタリーで露呈されていく事実

ロシアでセカンドアルバム製作発表

2003年12月の東京コンサート終了後、リェーナ・カーチナがt.A.T.u脱退を考え始める。それを知ってか知らずかシャポヴァロフはリェーナ・カーチナ、ユーリャ・ヴォルコヴァ二人のロシア大統領出馬表明をしたり等変わらずスキャンダラスな路線へと進んでいく中セカンドアルバムの製作も発表。セカンドアルバムの製作過程をドキュメンタリー放送する事が決まったのだ。

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ロシアのドキュメンタリーで見せた本音

2003年の12月ロシアにてドキュメンタリー「Anatomy of t.A.T.u」が放送。その中でリェーナ・カーチナとユーリヤ・ヴォルコヴァはレズビアンという事を前面に押し出してはいたが、二人はレズビアンのカップルでは無い事を告白。男性との交際なども隠さずにいた為レズビアンというのが設定ではと疑問を持つ者も既に多かったが、ドキュメンタリー内でハッキリと明らかにされた。ただ、その後の2008年に行われたインタビューでは10代というその当時、表現はいき過ぎたかもしれないが本当の愛だと感じていた事を伝えている。レズビアンという事を意識していたかは分からないが、お互いに純粋な気持ちを表現していたらしい。その後2004年にも「タトゥー・フ・パドネベースノィ(天空のt.A.T.u)」というドキュメンタリーが開始された。

アルバム製作模様の筈が

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2004年の1月~3月に掛けて放送されたドキュメンタリー番組。セカンドアルバム作成のドキュメンタリー番組の筈がいざ番組が放映されると、その内容はアルバム製作とは程遠いものであった。映し出された内容はt.A.T.u間における軌轢やプロデューサーであるシャポヴァロフの無茶ぶりばかり、発表していたセカンドアルバム製作は一向に進まなかった。アルバム製作も進まず、アルバムを良い物にという気も感じず、放送終了(3月14日が放送終了日)にも間に合わせようとしないシャポヴァロフの態度を見て「自分たちを世界的に有名にしてくれた、長年苦楽を共にした人物」という気持ちに見限りをつけ2月にt.A.T.uの契約破棄を申し出る。二人に契約破棄を申し出されるも、その事態を収拾することもなくドキュメンタリー番組は幕を閉じた。

その後のt.A.T.u(タトゥー)

解散には至らなかった

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契約破棄を申し出たリェーナとユーリャの二人。その後責任はシャポヴァロフにあるとしスポンサー達はシャポヴァロフを解任、新プロデューサーにと全副プロデューサーであったキーペルに就任を願い出た。しかしリェーナとユーリャがこれを拒んだ事からt.A.T.uのメインスポンサーであるボリス・レンスキーがプロデューサーに暫定就任することとなる。レンスキーは脱退していった当時のメンバーと再契約を結び新たに始動しようとしたが、ユーリャ・ヴォルコヴァが妊娠し、2004年の秋ごろまで活動は無かった。

ついにセカンドアルバム発売

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2005年には「Dangerous and Moving」を、2006年には「THE BEST」を発表したt.A.T.u。セカンドアルバムのテーマは「現代社会の暴力性の告発」との事で、曲風などもとても深い物になったアルバムはロシアや日本で発売された。しかし、日本ではお騒がせアイドルのイメージが消えぬまま人気は完全に無く2006年を持って日本でのCDリリースは最後となった。

ロシアでのみサードアルバム製作

出典: http://ja.fanpop.com

その後2008年にもサードアルバムを作成。しかし、人気の低迷が原因かiTunes、t.A.T.uの公式ショップ、モスクワでのみしか発売されなかった。

ついにt.A.T.u(タトゥー)解散

アイドルデュオでは無くソロに

出典: http://ja.fanpop.com

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2009年になるとリェーナとユーリャはお互いにソロ活動をする事を発表。アイドルデュオではなくソロとして歌手活動などを開始するも、あくまでソロでの歌手活動でありこの時にはt.A.T.uと平行してとの意味で解散とはならなかった。同年にはロシアで発売されたサードアルバムの英語版「Waste Management」を発売している。

ソロとして歌手活動を始めた2年後

「t.A.T.uというアイドルではなく、孤立したアーティストが生まれる」と発表しソロとしての歌手活動とt.A.T.uというアイドル活動をしてきた二人であったが、その発言の2年後の2011年に正式にt.A.T.uの解散を発表。レズビアンを前面に押し出し、我儘な演技で世界を騒がせたロシアのアイドルデュオはここで幕を下ろし、現在に至るのである。

ロシアのアイドル、その後と現在

現在もロシアにてそのままソロ活動中

出典: http://ja.fanpop.com

現在の二人です!

レズビアンを演じたり過激な行動ばかりしていた二人の現在はというと、二人ともソロ活動に専念。歌手活動やタレント活動を主に仕事にしています。リェーナは勢力的に歌手活動やタレント活動に力をいれており、ルックスの良さからたまにモデルの仕事をこなしているそう。対するユーリャは現在ではあまり歌手活動はしておらず、タレント活動やモデルの仕事に力をいれ頑張っているようです。もともと歌唱力もルックスも秀でていた二人ですが、現在も変わらぬ美しさと歌唱力で活躍しているんですね。

t.A.T.u(タトゥー)としての活動はもうないのか

出典: https://www.cinematoday.jp

2013年に日本にてスニッカーズのCMに起用された二人。その時には当時の衣装で出演し、解散後初のt.A.T.uとしての仕事でした。同じ2013年のソチオリンピックの開会式にも二人で出演、t.A.T.uの人気楽曲を歌ったりもしましたが二人での歌手活動もこの時だけの一時的なものであり、t.A.T.u復活の意思は無いように思います。

出典: http://www.gotceleb.com

まとめ

t.A.T.u(タトゥー)のデビューから現在までの軌跡を書いてきましたが、いかがだったでしょうか?ロシアのアイドルとしてプロデューサーに翻弄されながらも現在まで活躍を続けている二人。色々と有りましたがt.A.T.u(タトゥー)が売れたのはやはり本人たちの実力であると思います。また日本でロシアのお騒がせアイドルデュオが見れる日が来ると良いですね。

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