2021年07月01日公開
2021年07月01日更新
【残酷】ベトナム戦争写真集。ピューリッツァー賞から沢田教一の作品画像まで
ベトナム戦争の真実をご存知でしょうか・・・。あの有名な路上での処刑写真は、私達の日常とは真逆の世界ですよね。数々のピューリッツァー賞受賞写真とともに、あまりにも過酷、苛烈で残酷なベトナム戦争の裏側や処刑風景を画像で振り返りましょう。
目次
ベトナム戦争とはどんな戦争だったのか?
出典: http://blog.livedoor.jp
泥沼化した戦争である「ベトナム戦争」。画像は戦闘中のアメリカ兵です。
植民地支配国と、長く続いた内戦
元々ベトナムはフランスの植民地支配下にありました。
そこへ、日本が攻め入り、戦争に勝ち、日本の植民地なります。
しかし、1945年に日本は敗戦。そして植民地支配から離れ、ベトナム民主共和国が生まれます。
そこでフランスがまた戻ってきてしまい、コーチシナ共和国という国をベトナム内に作ってしまいます。
ベトナム民主共和国が北、コーチシナ共和国が南となり、ベトナム内で南北戦争となり、内戦でドロドロの戦争が始まることに。
北はベトナム、南はフランス状態でしたが、ここで北にソ連と中国が加担、そしてアメリカやその他の国が南に加担し、ソ連・中国 対 アメリカという構図となってしまいます。
アメリカは圧倒的攻撃力で攻めますが、ジャングルを利用した北ベトナム軍勢を倒しきれず、消耗。
倒すのを諦めて撤退します。
アメリカがいなくなった南側は北側に降参し、ベトナム戦争は終結します。
ベトナムの粘りにより勝ち取ったアメリカの敗戦という珍しい戦争だったのですね。
ベトナム戦争残酷処刑写真①サイゴンでの処刑
出典: http://etsunan.com
「サイゴンでの処刑」と言われるピューリッツァー賞を受賞した有名な画像。
撃たれた兵士は、即死しました。
銃を向けられているのは解放戦線側の兵士グエン・ヴァン・レム。
警察に捕えられ、連行される途中に当時警察総監であったグエン・ゴク・ロアン将軍により路上で射殺される有名なワンシーン。
撮影したのは、AP通信社のエディ・アダムスです。
この写真は、ロアン将軍の独断による処刑のシーンとして世界中に広まっていきました。
処刑したあとの家族も苦しんだ
出典: http://etsunan.com
グエン・ヴァン・レムを連行中の写真。この時既にアメリカ兵を殺した後であり、処刑されるということは分かっていたでしょうね。
出典: http://etsunan.com
殺害後。残虐な行為ではありますが、アメリカ兵も殺されているので気にもせず殺せたことでしょう。
この処刑写真が世界に広まったことにより、ロアン将軍のその後の人生に、とても大きな障害となりました。
殺されたベトコンはアメリカ兵を何人も殺した直後で、その場にもしロワン将軍と同じ立場でいたなら誰もが殺したであろうという状況だったにも関わらず、写真ではそんな細かい詳細は伝わりません。
その後ロアン将軍は米国に亡命し、政府の支援でピザレストランを経営していましたが、店のトイレに「お前のやったことは忘れないぞ」というメッセージが書かれたそうです。
それを機に廃業。最後は癌で亡くなりました。
撮影した写真家であるアダムスはそのことをとても後悔しており、「将軍はベトコンを殺したが、私はカメラで将軍を殺した」という言葉を残しています。
ベトナム戦争残酷処刑写真②ひきずられる兵士
出典: http://karapaia.com
引きずられるベトコン兵士。戦争に慣れると残虐行為に対して冷淡になってしまうのだそうです。
南ベトナムで撮影された画像。
戦争では残虐行為が当たり前となり、死体で遊ぶ光景はよく見られるようです。段々と感覚が麻痺してしまうのですね・・・。
ベトナム戦争残酷処刑写真③首狩り
出典: https://ja.wikipedia.org
アメリカ軍特殊部隊による、南ベトナム解放戦線兵士の首狩り記念写真
解放戦線兵士の首をとって楽しそうに笑う一枚の画像。
戦争はこんな残虐行為も麻痺させてしまうのですね。
ベトナム戦争残酷処刑写真④放置死体
出典: https://ja.wikipedia.org
サイゴン市内に放置された南ベトナム解放民族戦線兵士の死体
戦争中は死体があるのが当たり前。戦争中は殺すのが当たり前。殺し方も気にしないのが当たり前。
道行く人も死体をどうすることもなく、ただ放置していますね。
ベトナム戦争残酷処刑写真⑤拷問場「トラの檻」
出典: http://uslaw.blog.so-net.ne.jp
足かせをつけられた被害者のイメージ。陰鬱な空間で動けなくされた人の心境を思うと、本当に怖いですね。
出典: http://uslaw.blog.so-net.ne.jp
処刑待ちの人を入れた小さな檻の画像。こんな小さな鉄の檻に入れられ、処刑を待つ心境は・・・絶望でしかなかったでしょうね。
出典: http://uslaw.blog.so-net.ne.jp
処刑をするためのギロチン画像。一体何人がこのギロチンで亡くなったのでしょう。
トラの檻と呼ばれる拷問、処刑場の画像です。
ここで拷問を受け、虐待を受け、最後はギロチンで処刑されていたようです。
戦争では当たり前の光景だったのでしょうけど、現在から考えると、本当に信じられないような残虐行為ですね・・・。
ベトナム戦争残酷処刑写真⑥バラバラになった遺体
出典: http://uccih.exblog.jp
バラバラになったベトコン遺体を片手で持ち上げる兵士。米軍の残虐な様子を写したアメリカ従軍カメラマンがいたので、多数の画像が残っている。
体の大部分が無くなってしまっているベトコン兵士の遺体を片手で持ち上げるアメリカ軍兵士の画像。
アメリカ軍兵士の表情は笑っているのでしょうか。
死体を見るのも慣れすぎて、感覚はとうに麻痺している様子です。
ベトナム戦争残酷処刑写真⑦
出典: https://www.jiji.com
捕虜になってしまった、ベトナム軍の少年兵の画像。悲しい表情が刺さります。
戦争の条約で少年兵は使ってはいけないこととなっていますが、いざという時にはそんなことは言ってられないのが実情。
画像はベトナム戦争時に、捕虜になった南ベトナム解放民族戦線の少年兵です。
現在も少年兵は世界中にいるそうで、なんとその数は約25万人にもなるのだそうです。
ベトナム戦争写真でピューリッツァー賞を受賞した日本人「沢田教一」
ピューリッツァー賞を受賞した日本人、沢田教一とは?
出典: http://kimamana-topic.com
13歳の時新聞配達のアルバイトをし600円のボックスカメラを買ったのが写真との出会いだった沢田教一氏。
その後、戦争カメラマンであるロバート・キャパに憧れライカを購入。
生涯ライカを愛用したそうです。
青森県生まれのカメラマン、沢田教一氏。
戦争カメラマンのロバート・キャパの撮影したピューリッツァー賞受賞作品を見てライカを手にします。
その後上京し、サンケイ新聞写真部に入りカメラマンとして仕事をする内、ベトナムに行くことを決意。
戦争が激化している時でした。
そして下記で紹介されるピューリッツァー賞受賞をした「安全への逃避」などを撮影し有名になります。
安全への逃避
出典: http://excursion.blog.so-net.ne.jp
沢田教一を有名にした画像「安全への逃避」。
家族で戦争の戦火から逃げる必死の様子が、戦争の怖さを世界中に伝えました。
沢田教一の最後
出典: http://kimamana-topic.com
カメラマンとして世界的な名声を手に入れた沢田さんですが、
カンボジアで取材している時に何者かに銃撃されて亡くなりました。
戦争カメラマンをしていれば仕方のないことなのかもしれませんが、カンボジアを取材している時に何者かに撃たれて亡くなってしまいました。
その時に愛用していたライカも盗まれてしまったらしく、最後の写真は残っていないそうです。
もし残っていたら最後に何を写していたのか、知りたいですよね。
沢田教一に影響を受けたカメラマン「酒井淑夫」
出典: http://artmatome.com
カメラマン酒井淑夫のピューリッツァー賞受賞作品の画像。戦争が一時的に止まり、じっと雨をしのぐ様。
酒井淑夫氏は、沢田教一がベトナムで撮影した「安全への逃避」に影響を受けてベトナムにいくことを決意。
激しい戦争写真も撮影していましたが、モンスーンによる豪雨を受け銃撃戦が止まっている時の静けさを撮影した上の画像でピューリッツァー賞を受賞しました。
ベトナム戦争写真でピューリッツァー賞を受賞したその他の写真「人民戦線兵士の死」
出典: http://kimamana-topic.com
「崩れ落ちる兵士」、スペイン内戦中の兵士が銃弾で倒れたところを写したもの。
沢田教一氏が影響を受けた有名な写真家、ロバートキャパのピューリッツァー賞を受賞した写真の画像です。
戦場カメラマンとして有名な写真家であったキャパですが、北ベトナムで地雷を踏んで死亡しました。
沢田教一氏が憧れた有名な写真家、ロバートキャパのピューリッツァー賞を受賞した写真の画像。
撃たれた瞬間を撮影しており、とてもリアリティがありますよね。
ベトナム戦争の残酷さが少女から伝わる写真「戦争の恐怖」
戦争の恐怖はどういうシーンなのか?
出典: https://irorio.jp
ナパーム弾攻撃を受けて逃げる9歳の裸の少女「キム・フック」。少女の表情から、悲惨さ・痛みが伝わりますね・・・。
ナパーム弾攻撃を受けて逃げる9歳の裸の少女「キム・フック」を見たカメラマンのニック・ウット氏が撮影したピューリッツァー賞受賞作品「戦争の恐怖」
少女は背中に大変な火傷を負っており、熱い、痛いと叫んでいたそうです。
少女の現在は?
出典: http://news.livedoor.com
重度のやけどを負ってしまい、跡が痛々しく残っています。
17回も皮膚の移植手術を受けたにも関わらず、いまも激しい痛みが残っているのだそうです。
写真を撮影した後、ニック・ウット氏はキム・フック氏を病院に運びますが、医師は助からないと言ったそう。
しかし絶対に助けるようにお願いし、奇跡的に助かったのだそうです。
背中にはひどい火傷跡が残っていますが、キム・フック氏は現在も生きており、2児の母となりました。
出典: https://irorio.jp
現在のニック・ウット氏とキム・フック氏。交流があり、一緒に食事をしたりするそうです。
まとめ~泥沼化したベトナム戦争~
今回のベトナム戦争まとめはいかがでしたでしょうか!
戦争の残虐さが、画像からひしひしと伝わってきますよね。
中でも有名なのは逃げる少女を写した「戦争の恐怖」だと思います。
火傷を負い裸で逃げる少女を見ると誰しもが戦争反対と思うでしょうね。
こういった過去の悲しい出来事をしっかり直視し、戦争の怖さをしっかり感じておくのは、今を生きる私達にとって大切なことだとまとめながら感じました。
またこのような悲しい戦争が起こらないように、一人一人に何が出来るのかを一緒に考えていきましょう!