2021年05月28日公開
2021年05月28日更新
香田証生はなぜ人質となり殺されたのか?【イラク日本人青年殺害事件】
イラク日本人青年殺害事件で、香田証生さんは人質となり殺害されました。処刑動画が流れたりと、イラク日本人青年殺害事件は悲惨な事件であったことが良くわかります。香田証生さんの事件は、危険地域に行くことがどういうことなのかを、私達に教えてくれた気がします。
目次
イラク日本人青年殺害事件:香田証生さんは何故殺された?
出典: http://www.asyura2.com
なぜ、日本の人質は殺害されてしまうのか?
イラク日本人青年殺害事件:概要
2003年5月1日のイラク戦争が終結した日。
その頃、イラクでは、アルカイダなどによるテロが横行してました。
2004年4月には、日本人などが人質になる事件が起こり、こちらでもアルカイダが関与していたと言います。
そして、10月27日には、痛ましい事件が起きました。
「イラクの聖戦アルカイダ組織」とネットで名乗るテロ組織に、日本人が捕まり人質となったんですね。
この時のアルカイダの要求は、日本に対して、48時間以内に、イラクからの自衛隊撤退をさせろというものでした。
対する日本政府は、アルカイダのもっと言えばテロの要求には応じないとして、当時の首相であった小泉純一郎首相が細田官房長官に「自衛隊は撤退しない」と指示し、香田証生さんは首切りで殺されてしまいます。
遺体はバグダッドで見つかり、首切りの無残な死体が転がっていたと言います。
これに対しての小泉首相は、青年の死を残念だとした上で、引き続き自衛隊の人道復興支援を行うと発表しました。
処刑動画も数多く流れ、命乞いをする人質の姿も。
その残忍な殺し方は、一時話題となりました。
首切りによる胴体と離れた死体。
とても直視出来るものではありません。
香田証生さんは、どうして殺されてしまったのでしょう?
以下に事件の経過などを、まとめてみました。
イラクでアルカイダに殺害された香田証生氏、そしてカンボジアでクメール・ルージュに殺害された一ノ瀬泰造氏の足跡を辿ってみたわけだけど、ジャーナリズムに必要なのは「世の中を変えてやる!」という自分を信じる心なんだろうか。多分俺はそこまで自信が持てないんだろうなぁ
— 良月 (@ryogetw) September 6, 2017
イラク日本人青年殺害事件:人質殺害のその後
出典: http://mdsweb.jp
人質の救出のために、デモも起きましたね。
11月2日、人質が首切りで殺害された事件の後に、またもや犯行グループアルカイダが、犯行声明を出しました。
人質の青年をアメリカの星条旗の上で殺害したシーンを、ネットを通じて動画で配信したんですね。
自己責任と言う言葉が飛び交う中、日本の政府の対応は、果たして適切だったのでしょうか?
そして、2006年2月、別の殺人事件で取り調べを受けていた元イラクの陸軍に所属していた男が捕まりました。
フセイン・ファハミ・バドル容疑者ですね。
この男性が、人質を殺害したと供述したことで、世論は一気に批判の空気を帯びます。
バドル容疑者はまた、無差別爆弾テロ事件にも加担していて、日本人の人質を殺害した罪と同時に起訴されたんだとか。
政府は、この男性に事件を重く考え、死刑と言う極刑を言い渡しました。
バドル容疑者によると、人質を殺害した実行犯は、アルカイダに5人いるとも言い、イラクの内務省は、これらの4人も逮捕します。
ただ、実行犯ではないですが、主犯格として、ザルカーウィー容疑者は、アメリカの米軍に殺害されました。
何故こんなに痛ましい事件が起きてしまったのでしょうか?
政府の対応は、間違っているとは言えません。
テロに屈した所で、人質が返ってくる保障はありません。
でも、自衛隊の派兵は、本当に必要だったのかと言われると、首をひねります。
大本の事件の原因が、自衛隊の派兵にあったのかもと思ったりもしてしまいます。
テロに屈しないというのは良いことなのかも知れないですが、個人的には殺害されない可能性があるのなら、自衛隊の撤退くらい良かったのでは?と思わないではないです。
怖い映像の番組やってる。
— 鈴無 (@suzunashi) August 12, 2017
私の中で一番怖かった映像国内枠はustreamの首吊り自殺生放送だ。
香田証生さんの首切りは日本人だけど海外の映像だしな。
イラク日本人青年殺害事件:被害者の経歴
出典: http://blog.livedoor.jp
なぜ、アルカイダに殺されなくてはならなかったのか?
イラク日本人青年殺害事件:香田証生さんの主な経歴
直方市に実家があった香田証生さんは、5人家族。
高校二年の終わりまでですが、東海大第五高校という高校に在籍していたそう。
生活態度や成績にも問題はなく、リーダー的存在でもあったそうですね。
1997年3月の末に、同校を転出し、通信制高校の「NHK学園」に転校。
こちらは無事卒業されたそうで、高卒の肩書きを手にいれてからは、フリーターをやっていたそうです。
敬虔なクリスチャンだったらしく、腕に十字架の入れ墨も彫っていたそう。
ニュージーランドで語学を勉強する傍ら、事件の3カ月程前に、イスラエルにも入国。
ヨルダン経由で、イラクに行くことを決めたと言います。
ホテルで知り合った男性は、イラクに行くことを止めたそうですが、それでも危険なイラクに行くことを止めようとしなかった香田証生さん。
何が目的だったのか、もう語ってくれることはないですが、多分死にに行ったわけではないと思います。
それなら、アルカイダに捕まっても、命乞いなどしないでしょうし。
政府の対応がまずかったのか?については、賛否両論があると思いますが、少なくてもアルカイダの残忍さは世間に知られることになりました。
安部晋三が見殺しにした日本人
北朝鮮拉致被害者 人数不明
2015年 香田証生氏
2015年 後藤健二氏 湯川遥菜氏
2016年 安田淳平氏
友人の強姦TBS記者 友人学園理事長 忖度官僚は守ります
国民の生命財産を守らない安部晋三
— 山木 (@gogohmatui) June 15, 2017
イラク日本人青年殺害事件:香田証生さんを止めた日本人がいた!
出典: http://mojabieda.jugem.jp
香田証生さんのイラク行きを止めたと言います。
香田証生さんを止めた日本人:四ノ宮浩さん
イラクの隣国ヨルダンにあるホテル内で、香田証生さんと偶然居合わせた、四ノ宮浩さんは日本の映画監督。
香田証生さんは、四ノ宮浩さんに「イラクに旅行をしたいので、ホテルを紹介して欲しい」と相談を受けたと言います。
当時の情勢に明るかった四ノ宮浩さんは、当然のごとく香田証生さんを止めました。
危険だからと、行くのを諦めるように言ったそうです。
これに対して、香田証生さんは、大丈夫ですよ。と言って、忠告を聞かなかったそうなんですね。
四ノ宮浩さんは、イラクの首都であるバグダッド行きのバスに香田証生さんが乗る時にも、再び忠告したそうですが、香田証生さんは「何とかなりますよ。」と言い張り、制止を振り切って、バグダッドに渡りました。
結果、イラクにと渡った香田証生さんは、人質になってしまいます。
最後に四ノ宮浩さんが香田証生さんと会った時には、日本に帰りたいと言っていた香田証生さん。
イラクの情勢を危険と認識していなかった香田証生さんは、その後自己責任という言葉が流行したこともご存知なかったでしょうね。
死人を悪く言うのは嫌ですが、何故制止を振り切って、バグダッドに行ったのか?
真相は闇のままです。
とにかく、痛ましい事件は、こうして起こりました。
香田証生さんは、四ノ宮浩監督の制止を振り切って、自分からイラクに行ったのであって、自らライオンの檻に飛び込んでいって餌になったようなもの。「どんな国でも助ける」とか言ってたけど、アメリカも「テロリストとの交渉はしない」というスタンスだし「1千万円でも1億円でも身代金を支払って」
— スワちゃん🐸수와짱 (@SWVII) February 8, 2014
イラク日本人青年殺害事件:アルカイダの声明発表
出典: http://lifemoreee.blog.fc2.com
アルカイダが暗躍した時期でもありました。
香田証生さんが捕まった時のアルカイダの声明は?
イスラム過激派組織「アルカイダ」が、香田証生さんを人質にした時に犯行声明を、ネットにアップしました。
その概要はこんな感じです。
日本の軍人の一人が、我々「イラクの聖戦アルカイダ組織」に囚われの身となった。
彼は、イスラエルやヨルダンなどを旅行していた人物である。
彼に関する書類は、後日アップする。
などと言った内容でした。
これの後に出た犯行声明もありますので、ご紹介しますと。
我々アルカイダは、日本政府が48時間以内に、自衛隊の撤退をさせない時には、彼を殺害する。
さもなければ、すでに処刑した人物と同じ運命を辿ることになる。
こんな感じの内容でした。
結果的には、事件により香田証生さんは処刑され、処刑動画がネットに流れることになるのですが、命乞いをしている香田証生さんの姿も動画でアップされたりと。
処刑動画は、グロすぎて、直視に耐えないものでした。
ツイッターなどでも、写真がアップされていますが、本当にこんな残酷なことを人間がやったの?みたいな感じで、こちらも直視に耐えません。
当時の政府の対応は、どうだったのか、以下に詳しくご紹介します。
「香田証生」でググると・・・首を・・・。
— ググるな!bot (@gugu_runa) September 17, 2017
イラク日本人青年殺害事件:政府の対応
出典: http://iwj.co.jp
香田証生さんだけの問題ではなかった…
香田証生さんを助けることは出来たのか?
当時首相だった小泉純一郎首相は、事件が起きた時、テロの要求を即座に突っぱねました。
これに対して、世論も賛否両論に分かれましたが、同時に自己責任という言葉も流行しました。
ただ、一部の団体の中には、香田証生さんが亡くなった原因は、小泉純一郎首相にある!という意見も出て、当時デモ行進が行われたこともあります。
単純に考えるなら、自衛隊を撤退させること自体は、簡単でした。
でも、テロの要求を一度でも飲んでしまうと、要求はエスカレートする危険もありましたし、首相の判断を間違いとするのは、見当違いかも知れません。
そもそも香田証生さんが事件にあったのは、制止を振り切って、バグダッドに行ったのが理由ですから、政府としても、心の中では自己責任と思っていたのかも知れません。
事件の人質になる方には、色々な種類の職業の方がいますが、戦場カメラマンなどもその一人です。
でも、香田証生さんは、旅行で出かけたので、遊び半分で行ったと取られ、余計に自己責任と言う言葉が飛びかったのではないかと推測します。
知らない外国人が戦車で頭潰される動画はポテチ食いながら現実と切り離して見れんのに香田証生さんの動画はどうしても目を背けてしまう
— ちろる🍫 (@fuckyoudesuwa) July 6, 2017
イラク日本人青年殺害事件:処刑動画で名を売ったミュージシャン!
出典: http://koutatiti.exblog.jp
なぜ面白おかしく処刑動画を流したのか?
香田証生さんの処刑動画を流したロックバンド
俗に「KLACK事件」と呼ばれる事件があります。
それは、あるビジュアル系ロックバンドが、5000人を超える観客の前で、当時ネットに挙がっていた香田証生さんの処刑動画を流した事件です。
首を切られるシーンなど、残酷なシーンにも限らず、それを大勢の前で披露した形になりました。
当時コンサートに来ていた方は、かなり驚かれたみたいですね。
それはそうですよね。
ライブで音楽を聴きに来たのに、見たくもないグロ動画を見させられたわけですから。
処刑動画は、ネットに流出していたので、見る人は見られたんですが、それらの事件を仕事のネタにするとか、こちらの方が許せません。
例え、自己責任だとしても、命乞いをしていたとしても、死者を冒涜する権利は、このバンドに限らず、誰にもありません。
なぜ、こんな処刑動画を流したのかは不明ですが、動画だったので、真実味を感じなかったのかも知れませんね。
映画のワンシーンみたいな感覚だったのかも知れません。
ただ一つ言えることは、事件を面白おかしく流した、このロックバンドのライブには絶対に行きたくないということです。
【KLACK】対バンライブで香田証生さんの斬首動画を流し騒ぎを起こした、かつて存在したヴィジュアル系バンド。初マキシシングル『インティファーダ2004』は新星堂インディーズチャートで初登場1位。メンバーはベースの烈、ドラムの上村隼人、ギターの神谷聖也と柳橋昌亜、ボーカルのu。
— 仮bot (@syondeko) September 11, 2017
イラク日本人青年殺害事件:天皇陛下による追悼
出典: http://blog.goo.ne.jp
今の日本も昔と変わっていないのかも?
香田証生さんの追悼式には、天皇陛下の姿も。
2004年10月31日に、福岡県で、日本の皇太子様が、日本人人質が殺害された事件に対して、お悔やみの言葉をかけられました。
当時知事だった麻生氏に対して、大変に残念なことであります。ご家族にお悔やみを伝えて下さい。とおっしゃったそうです。
もし天皇陛下に決定権があったなら、香田証生さんは助かったのでしょうか?
当時の情勢では、人道支援の名目で、イラクなどに自衛隊を派遣していた日本政府。
テロに狙われる可能性を、考えてはいなかったのでしょうか?
でもまさか、一般人である香田証生さんが、イラクのしかもバグダッドに単身で乗り込むとは思っていなかったでしょうから、仕方のない部分もあるかも知れません。
2004年11月5日に、イラクでイスラム教による金曜礼拝が行われましたが、そこでも、聖職者であったマード・アルワイリさんは、自衛隊の人道支援に感謝することを述べ、同時に殺害された人質事件についても、残念なことであると述べています。
なぜ、香田証生さんは、周囲の反対を押し切ってまで、イラクに行きたかったのか、未だに謎は残ります。
香田証生さんの拉致人質事件とかのときもそうだったけど,「拉致人質して殺害する方が完全に悪い」と「危険な地域には行かない」はどちらも正しいし,「セキュリティ」と「過失責任」はまったく別。
— まぐどん (@magudon) June 7, 2017
イラク日本人青年殺害事件:謎が残ったまま
出典: http://irregularrhythmasylum.blogspot.jp
なぜ香田証生さんは、イラクに行きたかったのでしょう?
香田証生さんがイラクに行きたかった理由は?
香田証生さんが、なぜそこまでイラクに固執したのかは、謎のままですが、推測は出来ます。
多分、香田証生さんには、少なからずコンプレックスがあったのだと思います。
高校進学もままならない状態で、自分を変えてみたいという気持ちがあったのかも知れません。
ただ、充分な知識が無く、現地の危険さを認識していなかったのは、香田証生さんの失敗だったと思います。だからこそ、事件に巻き込まれたのかも知れないのですから。
もし自殺願望があるのでしたら、動画の中でも、命乞いなんてしないでしょうし。
とは言え、命乞いが悪いとかそういうことではありません。
実際に死刑になった人は、ほとんどの人が死ぬ間際に、命乞いをすると言います。
香田証生さんだけが、例外ではありません。
話は戻りますが、香田証生さんは、自分を変えるためには、海外に行くのが手っとり早いと考えたのかもしれません。
そこで、治安の良いニュージーランドに飛び、語学を学んだら、お金は消えていく一方。
そんな時に、イスラエルの「キブツ」という組織を知ります。
ボランティアに特別興味があったわけではなく、衣食住に困らないだろうと、ここでも安直な答えを出してしまいます。
でもその組織でも、自分探しは出来ず、ある時イラクに渡ったフランス人が、自慢げに話しているのを格好良く思ったのでしょう。
香田証生さんは、事件のあったイラクに行けば、格好良い人になれると思ったのかも知れません。
なぜ、行ったのかについては、こんな理由が付けられると思います。
結局は事件は起き、人質になり、首切りで殺された現場が動画や画像で流出してしまいます。
ある意味有名人になれたのかも知れませんが、命乞いをするくらいなら、なぜ行ったの?と思う方もいらっしゃるかも知れません。
首切りの映像は、事件を生々しく語る、本当に悲惨で残酷でグロテスクです。
当然アルカイダが、安楽死をさせてくれるわけがないですから、恐怖と闘うことになったでしょう。
首切りの画像は、未だにネットに残っています。
これを見て、事件を重く受け止め、安易にイラクに渡る方が減るのなら、香田証生さんの死も無駄ではなかったのかも知れません。
香田証生の首切り動画は当時見て衝撃を受けたなさすがに
— ゆうやん@8月19日TUBELIVE (@arienaidaro) May 11, 2017
イラク日本人青年殺害事件:韓国人も被害に!
出典: http://blog.goo.ne.jp
殺されたのは、香田証生さんだけではなかった
イラク韓国人会社員殺害事件も忘れてはいけない!
イラク日本人青年殺害事件には、直接関与してはいませんが、韓国人もまたアルカイダによって殺害されました。
2004年5月31日、韓国人の通訳が行方不明となった事件です。
人質を拉致した証拠のビデオテープを、通信記者が持ち込むも、政府はそんな報告は入っていないと突っぱねます。
この段階で、韓国政府は、イラクへの派兵を決断します。
韓国人の拉致というのは、全く問題視されなかったんですね。
ですが、6月20日に、衛星テレビアルジャジーラによって、拉致された韓国人が命乞いをする動画がアップされ、韓国人は、韓国のイラク派兵を止めてくれるように訴えます。
結局この韓国人は、香田証生さんと同じように殺されてしまいます。
香田証生さんの時もそうですが、アルカイダなどのテロ組織は、一貫して、イラクへの派兵を止めるように訴えています。
アルカイダを弁護する気はさらさらありませんが、確かに外国がイラクに派兵をする必要はどこにもありません。
イラクのことはイラクに任せないで、利権欲しさに派兵をした政府にも罪はあると思います。
韓国人の遺体が見つかった時に、政府はどう思ったでしょうね?
外国人であろうと、日本人であろうと、首切りなんて残酷な方法で殺害したアルカイダが、一番悪いことには変わりありません。
もうこんな痛ましい事件が起きないようにして欲しいですね。
ロシア軍爆撃機撃墜事件
— MN&MH (@hakonechokokuno) April 7, 2017
テロ攻撃
2001年 - 2004年
アメリカ同時多発テロ事件 - バリ島爆弾テロ事件 (1) - スペイン列車爆破事件- イラク日本人人質事件 - イラク韓国人会社員殺害事件 - イラク日本人青年殺害事件
2005年 - 2008年
イラク日本人青年殺害事件は、本当に二度と起きてはならない事件です。
自己責任というのなら、政府の対応も無責任だったのでは?と思う方もいらっしゃるかも知れません。
確かに危険な場所に行った香田証生さんにも、責任の一端はあります。
でも、彼は決して気軽に行ったのではないと、四ノ宮浩さんは語ります。
危険な場所には、それなりの理由があります。
ただ、首切りなどの殺害方法を実行したアルカイダは、許してはならない存在です。
本当に同じ事件が起きないように、海外の方は日本とは違うことを再認識する必要もあるのでは?と思いました。