江戸時代の女性はパンツを履かなかった!昔の下着と生理用品の歴史

現在日本の女性は、欧米風の服装を着るようになってからパンツを履き使い捨ての生理用品を使うようになりました。 では江戸時代の女性はどのように生理に対応していたのでしょうか?江戸時代に女性が使っていた下着から生理用品や月経への対処法について詳しくご紹介します!

江戸時代の女性はパンツを履かなかった!昔の下着と生理用品の歴史のイメージ

目次

  1. 1江戸時代の女性は生理にどう対処していたのか?
  2. 2江戸時代の女性の下着はどんなもの?
  3. 3江戸時代は着物の下に蹴出と一緒に着用
  4. 4昔の人はどんな生理用品を使った?
  5. 5江戸時代の女性が使っていた生理用品
  6. 6江戸時代の女性も生理用品はナプキン派とタンポン派がいた
  7. 7田舎の女性は生理に植物などを使用
  8. 8江戸時代の女性は生理の間別の部屋に隔離
  9. 9江戸時代の女性は生理の血をコントロールできた!?
  10. 10江戸時代の女性は生理自体が軽かった?
  11. 11江戸時代の生理事情まとめ

江戸時代の女性は生理にどう対処していたのか?

出典: https://www.drwallet.jp

日本が西洋文化を取り込んでから服装は徐々に欧米化し、日本の女性はパンツを履くようになり、使い捨ての生理用品を利用するようになりました。では、西洋文化がやってくるまえの日本、例えば江戸時代などの昔の人はどのような下着を履き、どのような生理用品で月経に対処していたのでしょうか?今回はそんな江戸時代の女性たちの生理用品や月経への対処方法についてご紹介します!

江戸時代の女性の下着はどんなもの?

湯文字を巻く女性

女性が腰に巻いているのが湯文字

江戸時代の男性は皆さんもご存知のようにふんどしを履いていていました。では江戸時代の女性はどのような下着をつかっていたのかというと、もちろん現代のようなパンツを履いていたわけではなく、上の図のような「湯文字(ゆもじ)」という布を腰に巻く服装をしていました。もちろんこの下にはパンツのようなものは何も履いていません。布の端にひもがついているので布を巻いて腰で紐を結んで使っていました。

出典: https://www.rakuten.co.jp

これは歴史的に見ると平安時代から使われていたかなり歴史のある下着で、日本の女性は戦後西洋文化が入ってくるまでは平安時代からずっと腰布を使っていました。この湯文字は膝下ぐらいの長さで布がめくれてしまうと中が見えてしまうので4か所におもりをつけていたそうです。素材は木綿で色は白か紺色、年配の女性では浅黄(あさぎ:黄緑に近い薄い黄色)色が多かったようです。

江戸時代は着物の下に蹴出と一緒に着用

出典: http://blog.livedoor.jp

足元の赤く見えているのが「蹴出」

湯文字は着物の下に直に着られていたわけではなく、「蹴出(けだし)」というものを着物と湯文字の間に着ていました。「裾避け」とも呼ばれていた蹴出は現代の服装で例えるならば「ペチコート」が似ています。蹴出は下着を隠すためのもので、着物で歩いている時に蹴出が見えてしまうことを防いだり、着物で歩くときの足さばきをよくする役目がありました。

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湯文字が見えないためのものであったため、蹴出の長さは着物より若干短いくらいの、足首までの長さでした。蹴出はいわゆる見えてもいい、見せるための下着であったため、華やかな柄や色が使われ、女性の足元を色っぽくするために一役買っていました。昔の人にも見せるための下着は存在したんですね。ちなみにこれは江戸に住んでいた女性の話で、江戸時代でも田舎に住んでいた女性は湯文字さえ履かず、着物の下には何もなかったので、かがむと中がすっかり見えてしまったそうです。

昔の人はどんな生理用品を使った?

出典: http://nunonapu.chu.jp

当時のアンネタンポンの広告1

昔の人の月経の対処法ですが、現代で使われているナプキンが発売されたのは、実はたった50年ほど前の1961年でした。その時に発売されたのが「アンネナプキン」という使い捨てのナプキンでした。

出典: http://nunonapu.chu.jp

当時のアンネタンポンの広告2

昔の人が月経のことを「アンネの日」と言う人がいますが、それはこの「アンネナプキン」から来ているそうです。ちなみに40年間お待たせしましたというのは、アメリカで発売されたから日本で発売されるまで40年かかったことを表しています。

江戸時代の女性が使っていた生理用品

出典: http://umacure.net

女性の履いている姿が馬の顔に似ています

では江戸時代の女性がどんな生理用品を使っていたかというと、「お馬」という前垂れのあるふんどしに似た形の生理用下着を着物の下に履いていました。この生理下着も歴史的に長く使われたもので平安時代から存在していた月経の対処法ですが、平安時代には「月帯」と書いて「けがれぬの」と呼ばれていたそうです。

出典: http://japanese-tradition.com

女性もふんどしを履いていたんですね

ただ、平安時代には女性全員がこの生理専用のものが使われていたわけではなく、高貴な女性のみが使うことができたそうです。平安時代の庶民は家族が履いていたふんどしなどを生理用品として再利用していました。平安時代は江戸時代よりも布が高価なものだったようです。

江戸時代の女性も生理用品はナプキン派とタンポン派がいた

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浅草紙

また、この生理下着の下には浅草紙やぼろ布などを入れていたようです。浅草紙とは、現代でいう再生紙のようなもので、使い終わった紙を水で濡らしてすりつぶしてもう一度紙として再生させていました。普通の紙よりも少し色が茶色かったそうです。

出典: http://blog.artique.jp

この浅草紙はトイレットペーパーとしても使われていましたが、江戸の女性は生理用品として「お馬」の中に入れたり、直接膣に入れたりして血を吸収させていたようです。また、再生紙の他にもぼろ布をお馬に入れたり、膣に入れることもあったようで、布の場合は何度も洗って繰り返し使いました。

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現代のカラー和紙

また、家が裕福であれば、江戸時代の女性は生理中さらしに使われている布をパンツ代わりに巻くこともあったようです。勿論こちらも布ですので、洗う手間がかかるという点では皆同じだったようです。ただし、吉原など遊郭にいる遊女たちは、和紙を折りたたんでそのまま膣の中に直接挿入するような贅沢をすることも可能でした。

田舎の女性は生理に植物などを使用

出典: http://blog.goo.ne.jp

ガガイモの穂

江戸時代にぼろ布や再生紙を使えたのは、昔は江戸のような大きな都市の女性だけで、田舎では紙自体が高価なものであったために、ガガイモやツバナの穂など軟らかい植物を陰部にあてたり、すりつぶして膣の中に入れていたようです。また、田舎の人は何もあてずに垂れ流しにする人もいたようです。

出典: https://smw.tokyo

綿の花

歴史的に見ても平安時代では庶民は同じようにぼろ布などを使っていたようですが、平安時代は再生紙も存在していなかったため、江戸時代の田舎で使われていたようにぼろ布を使い回すか柔らかい植物のみで対応していたようです。ただ、歴史のある高貴な女性などは月経の際先ほど紹介した生理用下着「月帯」に綿などの柔らかい素材をあてて血を吸収させていました。歴史を遡っていけばいくほど、昔の人は貧富の差が激しかったようです。

江戸時代の女性は生理の間別の部屋に隔離

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当時もこんな離れの小屋に隔離されていたかもしれませんね

江戸時代に限らず歴史を遡って平安時代からずっと、昔の人は血を不浄のものだと考えていたため、生理の期間中は家族と接触することを禁止されていました。女性は自宅の離れや「月経小屋」と呼ばれる場所で生理が終わるまで隔離され、生理が終わると体中を隅々まで洗い清めてからやっと家族の元に戻ることを許されたそうです。

江戸時代の女性は生理の血をコントロールできた!?

出典: https://mamapress.jp

平安時代から江戸時代まで生理中の服装や生理用品を見てくと、これだけで本当に下着から血が漏れるのを防ぐことができるのか疑問が出ると思いますが、実は平安時代も江戸時代も、現代の優れた生理用パンツや生理用品を使わなくても生理の血を自分でコントロールすることができたと言います。

出典: http://taisibouritu.com

腰回りのインナーマッスル

これは確かな話ではないのですが、江戸時代の女性は現代の女性に比べてインナーマッスルが鍛えられており、膣を締める筋肉も発達していたために、膣の中に経血を溜めておくことが可能だったのだそうです。現代でも「経血コントロール」というものが存在していますが、江戸時代の女性に限らず昭和初期くらいまでは皆コントロールが可能だったといいます。

出典: http://walin.jp

着物を着ている女性はすり足が基本でした

昔の女性は服装が着物であり、下着などもめくれやすかったためすり足で歩くことが当たり前なので内側の膣周りの筋肉が鍛えられていたからかもしれません。昔の女性は尿を足すときに同時に経血も排泄することが可能だったため、簡易的な生理用品でも問題がなかったと考えられます。

江戸時代の女性は生理自体が軽かった?

出典: http://uwanutrition.com

そもそも昔の女性は経血の量自体が現代に比べてかなり少なく、生理痛や腰痛など生理の重い症状で悩まされる人自体が非常に少なかったという説が存在します。生理で出る血の量は毒素が多ければ多いほど増えると言われています。江戸時代やそれ以前の昔の人々は農薬や防腐剤、はたまた化学物質や大気汚染とも縁のない生活を送っていました。そのため、一説によれば体内に毒素が溜まることもなかったために経血の量が少なかったのではないかという話があるそうです。

出典: https://shop-list.com

また、現代の女性は欧米化により服装が変化し、締め付けのきついパンツなどの下着を履くようになり生活も大きく様変わりしました。女性が社会進出を果たすようにもなり、現代の女性が抱えているストレスは以前とは比べ物にならないといいます。何が原因となって経血の量が増えているのか、そもそも本当に経血の量が増えているかどうかは定かではありませんが、生活の変化が女性の体に影響を与えているものは意外と多いのかもしれませんね。

江戸時代の生理事情まとめ

主に江戸時代の下着などの服装の変化から、生理事情まで調べてみましたが、昔は現代のような使い捨ての便利な生理用品などもなかったため毎回下着を洗わなければいけなかったり、ナプキンの代わりに植物を使っていたりと中々大変そうな生活であったことが分かりました。また、その代わりに江戸時代の女性などは確かな話ではありませんが、経血の量が少なかったり、生理痛が軽かった人が多く存在していたという話もありました。現代に生きる女性は生理に対する悩みを抱えている人は少なくありませんので、昔の人を見習って一度生活習慣を振り返ってみるのもいいかもしれませんね。

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