怖い!ヒグマ獣害事件TOP10。人食い熊に襲われた人たち…【日本&海外】

世界各地で起こる怖い獣害事件。その中でも人食い熊による獣害事件はヒグマによるものが有名です。 日本にはツキノワグマとヒグマの二種類が生息しています。 人食い熊に襲われた人々がどのような被害にあったのか、ヒグマによる怖い事件を、ランキングにまとめました。

怖い!ヒグマ獣害事件TOP10。人食い熊に襲われた人たち…【日本&海外】のイメージ

目次

  1. 110位 ペトロパブロフスクのヒグマ事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  2. 29位 星野道夫 ヒグマ襲撃事件【世界の人食いヒグマ・怖い獣害事件】
  3. 38位 ロシア プラチナ鉱業ヒグマの群れ襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  4. 47位 秋田八幡平クマ牧場事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】
  5. 56位 グリズリーマン襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  6. 65位 福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】
  7. 74位 北海道 札幌丘珠ヒグマ事件 【日本の人食い熊・怖い獣害事件】
  8. 83位 十和利山ツキノワグマ襲撃事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】
  9. 92位 北海道 石狩沼田幌新ヒグマ事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】
  10. 101位 北海道 三毛別ヒグマ事件【日本史上1番・人食い熊による怖い獣害事件】
  11. 11危険!北海道のヒグマの過去の事件・狩猟の実態
  12. 12番外編
  13. 13ハイカー襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  14. 14ロシア工事現場 ヒグマの親子獣害事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  15. 15ポーターフィールド家獣害事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】
  16. 16まとめ

10位 ペトロパブロフスクのヒグマ事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

2011年8月13日、ロシアのカムチャッカ半島ペトロパブロフスクで起こった、人食いヒグマ・グリズリーによる獣害事件である。
オルガ・モスカヨワ(19)さんは、継父であるイゴール・チガネンコフさんと一緒に、音楽学校卒業と運転免許取得の記念としてキャンプ旅行に来ていた。

画像は被害者である継父のイゴール・チガネンコフさん(左)とオルガ・モスカヨワさん(19)(右)

そこにそのグリズリーは現れた。イゴールは一撃で撲殺され、更に頭を押し割られた。
それを目撃したオルガはすぐ逃げたが、足を攻撃され倒れた。
そしてそのグリズリーは、そのままオルガを下半身から食べ始めた。

食べられながら母親に電話

「ママ!クマに食べられてるの!痛い!助けて!」
母親のタチアナは、最初は冗談だと思ったが次の瞬間、熊の唸り声と咀嚼音が聞こえた。
熊がオルガを弄んでいる1時間の間、彼女は食べられながら3度母親に電話をかけている。

画像は被害者のオルガ・モスカヨワさん

2度目の電話は、グリズリーが子熊3頭を連れて戻ってきて自分が食べられているという旨を伝えるものだった。
3度目の電話でオルガは母親に別れを告げた。
「お母さん、もう食べられてないわ。痛みも感じない。私を許して。すごく愛してる。」
その電話から約30分後、母親の要請により駆けつけたイゴールの兄弟と警察は、食べられているイゴールとグリズリーの親子、また、酷く損傷したオルガの亡骸を見つけた。

9位 星野道夫 ヒグマ襲撃事件【世界の人食いヒグマ・怖い獣害事件】

世界で活躍する日本人が、熊の犠牲になってしまった事件です。
熊は世界中に広く分布していますが、カムチャッカのグリズリーはユーラシア大陸最大のヒグマです。

画像は世界中で活躍していた日本人カメラマン。
被害にあった星野道夫さん

1996年8月8日
TBSの番組「どうぶつ奇想天外!」の撮影で訪れていた、ロシアのカムチャッカ半島、クリル湖畔で撮影していた星野道夫(43)が、グリズリーに襲われ食べられるという事件が発生した。

1996年7月25日
「どうぶつ奇想天外!」の撮影のため、TBSの日本人スタッフ3名とロシア人ガイド2名とともに、同地を訪れた。
5名は小屋に泊まり、星野はそこから少し離れた場所にテントを張り、1人で泊まることにした。

人間を怖がらないヒグマ

7月27日
別のアメリカ人写真家が訪れ、星野のテントの側にテントを張ったが、金属音で目が覚めた。
小屋の食料庫にグリズリーがよじ登り、飛び跳ねていたのだ。
皆でなんとか追い払ったものの、アメリカ人の写真家は怖いからと鮭観察タワーに泊まることにした。
ロシア人ガイドたちは星野に小屋への移動をすすめたが、「この時期は鮭が豊富だから、グリズリーは襲ってはこない」と、聞き入れなかったという。

8月6日の夜、グリズリーは再び星野のテントに現れた。
ロシア人ガイドがスプレーでグリズリーを追い払ったが、この時も星野は、小屋への移動を聞き入れなかったという。

8月8日の深夜4時頃、星野の叫び声とグリズリーの唸り声が闇に響き渡った。
グリズリーが星野をくわえ、森へ引きずっていくのをロシア人ガイドが見ている。
グリズリーは捜索隊により射殺されたが、星野は森の中で食べられ、遺体として見つかった。

これらの証言は、TBSが作成した「遭難報告書」によるものである。

なお、このグリズリーは地元のテレビ局によって餌付けされており、人の食糧の味を知っていた個体と報告されている。このことが、今回の事件に繋がったのかどうかは不明である。

8位 ロシア プラチナ鉱業ヒグマの群れ襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

2008年7月17日、警備員男性2名がグリズリーに襲われて死亡するという事件。
ロシアのカムチャッカ地方で起こった30頭のグリズリーによる怖い獣害事件である。

鮭の密漁が、熊の食料源を奪う

ロシアのカムチャッカには、世界の鮭の4分の1があると言われている。
しかし、毎年10万トンの鮭が密漁されていると考えられている。
ヒグマたちは、深刻な餌不足により飢えていたと報告されている。

ロシア カムチャッカ北部のオリオトルク地区にあるプラチナ鉱業では、地質学者や鉱夫が従事していた。

2008年7月17日
ロシアのプラチナ鉱業は約30頭のヒグマによって包囲された。
熊に襲われた人物は、餌場を管理していた2人の警備員だった。
およそ400人の地質学者と鉱夫が、建物内に閉じ込められた。
以降、熊に職場を襲われた人々は、怖い思いをしたため仕事に戻ることを拒否したという。

7位 秋田八幡平クマ牧場事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】

2012年4月20日、午前8時頃
冬季閉鎖中のクマ牧場から、ヒグマ6頭が脱走した。
熊に襲われた人物はここの女性飼育員2名だった。

劣悪な飼育状況

画像は満足に餌が食べられずやせ細った八幡平クマ牧場のヒグマ

冬の間に除雪した雪をそのまま運動場に投棄していたため、壁際の一角に雪山から6頭のヒグマが逃げ出した。
餌場での悲鳴をききつけ、男性従業員が駆けつけると、被害者の女性従業員(75)がヒグマに襲われていた。
近くには熊に襲われた人が倒れており、応答はなかった。女性従業員(69)だった。

かけつけた猟師は、女性従業員を奪い合うヒグマの姿が見えたと証言しています。
午後4時、脱走したヒグマ6頭全てが射殺された。
なお、以前から牧場を閉園する事が決まっており、食べ物を与えず共食いさせ、
残った個体は餓死させる計画だったという。熊よりずっと怖い計画だ。

画像は客が投げ入れたパンを激しく奪い合うヒグマ

6位 グリズリーマン襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

2003年10月5日、
グリズリーマンことトレッドウェルと彼のガールフレンドがヒグマに襲われ食べられてしまった獣害事件である。

冬眠準備で熊が凶暴化

アラスカでの撮影で彼女とグリズリーに食べられる被害にあってしまう。

画像・熊に襲われた人物ティモシー・トレッドウェルさん(46)

彼は熊に自分を投影し、熊の保護活動を積極的に行っていた。
事件が起こった日もヒグマの撮影をするため、彼女のエイミーと共に、カトマイ国立公園のヒグマの餌場である川の側でキャンプを張った。
お腹が満たされたヒグマが襲ってこないことを、経験から知っていたからである。
以前より、ヒグマには慎重に接するべきだと周りから警告されていたが、ティモシーはそれを聞き入れなかった。
それどころか熊の撃退スプレーさえ、持つことをやめていたという。

画像・熊に襲われた人物
ティモシー(左)とエイミー(右)

ティモシーはこれまで、主に温暖期に活動していたのだが、この年はヒグマたちが冬眠の準備をする時期まで留まっていた。
しかもその年は食糧不足により、満足に食べられないヒグマたちは気が立っていた。
レッドウェルが最期に撮影した映像には、死んだ鮭を取るため、繰り返し川に潜るヒグマの映像が含まれている。
そのヒグマこそが、レッドウェルを襲ったヒグマなのではないかと言われている。
その際、襲われている最中の映像音声も回収された。

現在ネットで出回っているグリズリーマン事件最期の食べられているであろう音声が、本物なのかどうかは定かではない。

以下、真偽は定かではないが、事件発生時の衝撃的な音声のため自己責任でお願いします。

5位 福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】

1970年7月
北海道 日高郡静内町(現・新ひだか町静内高見)の日高山脈
カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。
熊に襲われた人々は、登山中の福岡大学ワンゲル部18歳~22歳の5名だ。
3名が亡くなった。

画像は被害にあった福岡大学ワンダーフォーゲル部

近くに現れたヒグマ

7月25日
夕方、テントから7メートルほど離れた場所に、ヒグマを発見した。
初めは誰も怖がっていなかったという。
30分程すると、遠巻きに見ていたヒグマが近づいてきて、テントの外の荷物をあさり始めた。
一同は大きな音をたてて、ヒグマを追い荷物を取り戻した。
午後9時頃再び現れたヒグマは、テントにこぶし大の穴を開けて去っていった。メンバーは怖い思いをしながら一晩眠れず過ごした。

ヒグマの怖い執着

出典: http://image02.seesaawiki.jp/b/i/book-wiki/b3eaf4d4d3465a30.jpg

そして26日4時頃、ヒグマは執拗にテントを引っ張り続けるため、メンバーは外に退避。
ヒグマは荷物を漁っていた。

翌日、リーダーの竹末さん(20)の命令によって、サブリーダーの滝さん(22)と1年生の河原さん(18)が助けを呼ぶため山を降り始めた。

途中、北海道学園大学の学生10人ほどと出会った。彼らもまた、おそらく同じ個体のヒグマに襲われたため、下山するところであった。
2人は伝達を彼らに頼み、また残ったメンバーを助けようと戻った。
そして二組のパーティーと出会った後、午後1時頃メンバーたちと合流した。
午後4時半頃、またあのヒグマが現れ、テントの側に1時間ほど居座り続けた。
このままここに居るのは危険だと判断したパーティーは、先程滝さんたちが出会った鳥取大のパーティーに入れてもらおうと、下山することにした。

出典: http://a.abcnews.com/images/US/GTY_grizzly_bear_jt_130818_33x16_1600.jpg

午後6時半頃、ふと後ろを見ると、ヒグマが追いかけてきていた。
ヒグマは1年生の河原さんを追い、暗闇の中から河原さんの叫び声が聞こえた。

途中で2年制の興梠さんともはぐれた3名は、鳥取大のパーティーに助けを求めた後、彼らと別れ夜を明かした。興梠さんは、逃げる途中メンバーとはぐれ、別の場所に隠れていた。

3人は、ヒグマに追われた西井さんと、はぐれた興梠さんを探しながら山を下っていた。
一番前を歩いていたリーダーの竹末さんがすぐ前方にいるヒグマを発見した。
ヒグマは竹末さんを追い、その隙に西井さん(19)とサブリーダーの滝さんはダム工事現場にたどり着いた。

7月28日、遭難した3名の救助隊が編成された。
救助隊が発見したのは、変わり果てた彼らの悲惨な遺体だった。

はぐれた興梠さんは、一度テントに戻ったらしく、テントには興梠さんが残したメモがあった。

被害者の1人興梠(こうろき)さんが残したメモ

被害者の1人である興梠さんは、皆とはぐれて1人、怖い思いをしながらメモを残していた。
以下がそれである。

不安で恐ろしい。またガスが濃くなって………。

29日午後4時半頃、ヒグマはハンターの一斉射撃によって殺された。
解剖結果からは、このヒグマの胃の内容物に人体はわずかしか含まれず、熊に襲われた人物たちは、ただいたずらに殺されただけだという。

画像は被害を出した熊
※このヒグマの剥製は、北海道の日高山脈山岳センターで保管されています。

彼らは2日半に渡り、7回襲われた。
初めに取られた荷物を取り返したりしなければ、このような事件は起きなかったのだろうか?
怖いほどの執着心をもったこのヒグマは、出産経験のない推定3歳のメス熊だったという。

4位 北海道 札幌丘珠ヒグマ事件 【日本の人食い熊・怖い獣害事件】

1878年1月11日から1月18日にかけて、北海道の丘珠村で発生した。
冬眠から目覚めさせられた人食いヒグマによる、4番目に被害の大きかった獣害事件。
熊に襲われた人・死者3名、重傷者2名

冬眠中に狙われたヒグマ

1月11日、近所の猟師が冬眠中のヒグマを発見した。
猟師はそれを狩ろうと試みたが、撃ち損ねてしまい、ヒグマの逆襲により死亡した。
このことが、事件に繋がってしまう。

無理やり起こされ人食いと化したヒグマが、お腹をすかせて市街地に出没したため、急遽駆除隊が編成された。

17日深夜、開拓民の1人である倉吉の家を人食いヒグマが襲った。
倉吉は一撃で昏倒され、妻は産まれたばかりの赤子を連れて逃げようとしたが、後頭部を攻撃され我が子を取り落としてしまう。
頭の皮を剥がれながらも助けを求め、結果として妻と雇女(やとな)は重傷を負い、倉吉と赤子は人食いヒグマに食べられてしまった。
翌日、その人食いヒグマは駆除隊によって射殺された。
事件の人食いヒグマはその後、札幌農学校の解剖実習の材料として提供された。
解剖担当者の中には、当時1年生だった新渡戸稲造も含まれている。

3位 十和利山ツキノワグマ襲撃事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】

タケノコ採りなどで山に入った男女4名が、ツキノワグマに襲われ死亡するという事件である。

2016年6月10日4人目の遺体発見

熊に襲われた人々は以下。
 5月21日タケノコ採りをしていた男性(79)がツキノワグマに襲われ死亡。
 5月22日70代の夫婦がツキノワグマに襲われ、男性(78)が死亡。
 5月30日タケノコ採りをしていた男性(65)がツキノワグマに襲われ死亡。
 6月10日山菜採りに入山していた女性(74)がツキノワグマに襲われ死亡。
 5月26日田代平で青森県の男性(58)がツキノワグマに襲われたが無傷で生還。

画像はツキノワグマの襲撃による被害者が見つかった地域

スーパーK

この一連の事件に関係しているツキノワグマはおよそ5頭いると結論付けられた。
その中でも、3名の殺害に関わったツキノワグマは鹿角市の頭文字をとって
「スーパーK」と名付けられ、捕獲檻に入っているところを捕獲され、射殺された。
まだこの事件に関わった3頭のツキノワグマが、山のどこかに潜んでいるという。

画像は被害者を食べたツキノワグマの内の1頭

秋田県鹿角市の山林で、4人がツキノワグマに殺害された衝撃的な事件から間もなく1年になります。人食いグマは5頭で、そのうち3頭が生き残ったと「日本ツキノワグマ研究所」の米田一彦理事長はみている。

2位 北海道 石狩沼田幌新ヒグマ事件【日本の人食い熊・怖い獣害事件】

日本史上2番目に大きな被害を出した、北海道の人食いヒグマによる怖い獣害事件である。
熊に襲われた人々は開拓民や、ハンターを含む。
5名が死亡し、3名が重軽傷を負った。

祭りの帰り道での怖い襲撃


1923年8月21日、北海道の石狩沼田幌新。
その日は祭りがあり、11時半頃おひらきになった。
一団は帰路につき、夜の山道を急いでいた。
事件はそこで起きた。

初めに熊に襲われた人物は、一人遅れて歩いていた林謙三郎(19)だった。
突然大きなヒグマに飛びかかられた。
しかし謙三郎は死にものぐるいで熊から逃れ、前方を行く一団に熊の出現を知らせた。
次に熊に襲われた人物は、前方を歩いていた村田兄弟だった。
幸次郎(15)を撲殺し、幸次郎の兄・与四郎(18)に重症を負わせると、そのまま生き埋めにし、幸次郎の遺体を食べ始めた。

パニックに陥った一団は、近くの木造平屋建ての農家・持地乙松の家へと逃げ込んだ。
しばらくして、人食い熊が幸次郎の内蔵を食べながら現れ、窓から中を覗き始めた。
追い払おうとしたが、人食い熊は玄関に回ってしまう。

2番目に熊に襲われた人物、村田兄弟の父・三太郎(54)は必死に戸を抑えたが、人食い熊は三太郎ごと戸を押し倒し家に入ってきた。スコップで立ち向かうも叩き伏せられ、重傷を負ってしまう。
その人食い熊は火を怖いと思う様子もなく踏み消し、部屋の隅で震える三太郎の妻のウメ(56)を咥え、家を出ていこうとする。三太郎は自らの深手も忘れ、スコップで応戦するが、山中へとウメを引きずっていった。途中ウメの助けを求める悲鳴の後、念仏が聞こえたが、次第に遠ざかり、夜風に吹き消されてしまう。

翌日、通りかかった村人に助けを求め、人食い熊が居ないことを確認して戸外に出た。
近隣の藪の中では、下半身の無いウメの遺体が見つかり、2番目に熊に襲われた人物である与四郎も見つかった。
与四郎はまだ息があったため、近くの病院に送られたが、容態が悪化して後日亡くなった。

消えた狩人

翌日、熊撃ち名人として名高い砂澤友太郎をはじめとする、アイヌの3人の狩人が応援に駆けつけた。その中の一人、長江政太郎(56)は、周囲が止めるなか単身で人食い熊退治に向かったが、山中での数発の銃声と共に行方不明となった。

人食い熊、獣害事件の最期

さらに翌日24日、300人あまりの60歳未満の男子で熊討伐隊が結成された。
だが一行が山中に入ってまもなく、人食い熊が現れた。
最後尾に居た上野由松(57)が一撃で撲殺され、折笠徳治にも重傷を負わせた。
そのまま一団に襲いかかろうとするも、銃弾が命中。
その後一斉射撃を受け、この一連の事件の人食い熊は討伐された。

その後、23日に山中で行方知れずとなっていた長江政太郎が、頭部以外を全て食べられた姿で発見された。

画像は石狩沼田幌新羆事件のヒグマの毛皮

1位 北海道 三毛別ヒグマ事件【日本史上1番・人食い熊による怖い獣害事件】

死者7名、重症者3名、北海道で起きた史上最悪のヒグマによる獣害事件。
「穴持たず」というのは、事情があり冬眠できなかった熊の事だ。
そのような熊は非情に気が荒く、危険だという。
北海道の苫前郡苫前村大字力昼村三毛別で、日本史上最悪な獣害事件が起きた。

人食いヒグマの出現

1915年の11月、六線沢の池田家近辺に、大きなヒグマがちょくちょく現れるようになった。
池田富蔵は、馬が襲われたら困ると、次男の亀次郎(18)と2人の狩人と共に、4人で熊を捜索するも、北海道の11月である。吹雪のため断念した。
その熊は穴持たずであった。

12月9日の朝10時半ごろ、最初の獣害事件が起こる。
蓮見幹夫(6)が土間で襲われ殺害、安倍マユ(34)が引きずられた血の痕跡が、森へと続いていた。
このことを村役場と駐在所と亡くなった子どもの実家に知らせる役目に、斎藤石五郎が選ばれた。
石五郎は子ども2人と妊娠中の妻を、下流にある明影家(みようけ け)へと避難させることにした。
明景家の主である安太郎が所用で出かけているため、長松要吉(通称オド)も男手として明景家へと移動した。

通夜の二度目の怖い襲撃

画像は北海道開拓の村に再現された当時の様子

12月10日、捜索の末かろうじて見つかったマユの頭と、幹夫の遺体を安置し、通夜が行われた。
しかし午後8時半ごろ、大きな音を立てて熊が乱入してきた。ものを叩いて音を鳴らすなどして撃退し、どうにか犠牲者を出さずにすんだ。
太田家の騒ぎを聞きつけ、50人程の男たちが駆けつけたが、熊は既に逃げた後だった。
一同は、いったん明景家(みようけ け)に退避しようと下流へ向かった。

明景家に向かう人食いヒグマ

その日は明景家に女こども6人と、石五郎の家から避難していた妻と子ども2人、そしてオドの合計10人が怯えながら過ごしていた。
護衛は近隣に食事に出かけ、さらに通夜での熊出没の報を聞いて出動していたため、男手として残っていたのはオド一人だけであった。

太田家の通夜の騒ぎから逃れた腹をすかせた熊は、まさにこの守りの居ない明景家へと向かっていた。

太田家から熊が消えて約20分、午後8時50分頃、所用で出かけている明景安太郎の妻ヤヨは、赤子を背中に背負いながら、討伐隊の夜食を準備していた。
突然、大きな音を立ててヒグマが入ってきた。
混乱の中、家の灯りは消え、暗闇に包まれた。
ヤヨは家の外に逃げようとしたのだが、しがみついてきた勇次郎(8)に足元を取られ、そこでバランスを崩してしまう。そこに熊は襲いかかり、背中の赤子に噛みついた後、3人を手元に引きずり込み、ヤヨの頭にかじりついた。
だがその直後、逃げようとして走り出したオドに気を取られて3人を離したため、ヤヨはその隙に子ども2人を連れて脱出した。

追われたオドは隠れようとしたが、腰の辺りに熊の牙を受け悲鳴をあげた。
熊は、まだ7人が取り残されている屋内へと再度標的を変えた。
熊は安太郎の三男(3)と、石五郎の四男(3)を一瞬で撲殺し、石五郎の三男 巌(6)に噛み付いた。
この時、隠れていた母親のタケが、息子の危機につい顔を出してしまった。タケは居間に引きずり出され、熊はタケに襲いかかる。タケはお腹の子の命乞いをしたが、上半身から食べられ始めたのだった。

明景家へ向かっていた一行は、激しい音と叫び声を聞き、明景家へと急いだ。
そこへ重傷のヤヨと子どもたちがたどり着き、何が起こっているかを知る。
命からがら逃げてきたオドを保護した後、男たちは家を囲んだが、取り逃がしてしまった。
家に入ると、食い散らかされたタケと、まだ息のある巌と胎児の姿があったが、巌と胎児は間もなく絶命した。

安太郎の長男(10)は物陰に隠れ、人食い熊のその一部始終を見ていたという。
安太郎の長女(6)も、失神したまま居間に倒れていたが、無事だった。

この二日間で6人。胎児を含めると7人の命が、この人食い熊によって奪われたのだ。
重傷者は翌日さらに下流にある家に移り、入院できたのはこの二日後だった。

人食いヒグマの最期


10日の深夜に人食い熊の話を聞きつけ三毛別に入った、山本兵吉(57)という有名な熊撃ちによってその人食い熊は仕留められた。
「彼が、最初の池田家での熊出没を知っていたのなら、9日の悲劇も10日の惨劇も起こらなかったもの」と、だれもが悔しがったという。

出典: http://daikoube.blogspot.com/2013/07/blog-post_5975.html

北海道で活躍した熊撃ち。享年92歳
北海道留萌郡鬼鹿村温根の沢(現・北海道留萌郡小平町鬼鹿田代)

危険!北海道のヒグマの過去の事件・狩猟の実態

北海道全域に生息している凶暴なヒグマ。そんなヒグマが起こした事件やその対策についてご紹介。ヒグマの怖さとその対処法を知りたい方は下のリンクから記事をお読みください。

北海道のヒグマの生息地・過去の事件・狩猟の実態・対策 - オトナ向け情報ならShiritaGirl

過去に起きた恐ろしいヒグマ事件はこちらをチェック

過去に起きたヒグマの事件をチェック

番外編

ヒグマ以外にも熊による食害事件は起きてます。
その一部をご紹介します。

ハイカー襲撃事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

米ニュージャージー州で、ハイキング中の学生(22)が森の中でクロクマに襲われた。

出典: https://www.nps.gov/subjects/bears/safety.htm

カメラに画像を収めた後の惨劇

2014年9月21日
警察によると、死亡したのはラトガーズ大学4年ダーシュ・パテルさん(22)
友人5人グループでのハイキング中、熊に追いかけられていることに気がついた。
はじめは野生動物への好奇心から写真におさめたりしていたが、次第にその熊は距離を縮めてきた。
5人はその怖い追跡にパニックになり散り散りに逃げたが、パテルさんの靴が脱げてしまった。
先に逃げろと岩の上に逃げるのを目撃したのが、パテルさんの最期の姿となった。

パテルさんが撮影した熊の画像

ロシア工事現場 ヒグマの親子獣害事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

熊が普通に出てくる怖い場所です。

出典: http://foxphoto.jp/gallery/japan/japan_23.jpg

ロシアで子熊を撮影中、怖い親熊が現れ5名死傷

2014年6月中旬
ロシアのサハリンでの、とある橋の建設中に起こった獣害事件。
労働者たちは、子熊が出てきた様子を陽気に撮影している。
子供の近くには常に気が立った母熊が居ると、ロシアの地元の人なら誰でも知っているはずなので、遠方から派遣された労働者だろうか。
この動画撮影のあと母熊に襲われ、3名と1匹が死亡。2名重症でロシアの病院に運ばれたという。

※日本のメディアでも放送があったと記憶しておりますが、
ソースが不明なため番外編です。

ポーターフィールド家獣害事件【世界の人食い熊・怖い獣害事件】

被害にあったのは幼い3人の兄妹。
森で襲われ死亡するという、クロクマによる獣害事件。

3人の兄妹が森で行方不明に

1901年5月19日
ウエストバージニア州でその惨劇は起きた。
メアリー3歳
ウィリー5歳
ヘンリー7歳
日曜日の正午以降、子供たちは花を集めるために家を出ました。
捜索隊の一人、メリーランドのハンターであるジョン・ウェルドン(John Weldon)は、
熊から少し離れた茂みの中に、彼らの無残な遺体を見つけました。
森の中で道に迷ったのでしょう。
その場でクロクマは射殺されましたが、クロクマによって幼い子供を一度に3人亡くしてまうという、怖い悲惨な獣害事件でした。

画像はウエストバージニア州に生存するクロクマ
今回の被害者たちを襲った熊と同じ種類

まとめ

出典: http://romaniapress.ro/wp-content/uploads/2012/09/12.jpg

日本の熊には北海道の約55%の地域に生息するヒグマと、本州の約45%に生息するツキノワグマがいる。
日本でヒグマは北海道にしか生存しておらず、北海道のヒグマはエゾヒグマという亜種である。
一方ロシアのカムチャッカに生存する熊も、グリズリー、灰色熊とも呼ばれるヒグマである。
ロシアやアメリカの熊と比べ、エゾヒグマは小柄な熊となる。

嗅覚、筋肉、体格、顎の力など、どれを取ってもとても優れた身体能力なのだが、基本的にはライオンや狼のようなハンターという性質ではなく、臆病で、木の実や死肉を漁るような、マイペースな動物のようである。
人と関わらないように生きているが、人食い熊による怖い獣害事件は世界中で後を断たない。

なぜ人食いになったのか?いずれも、色んな形で住処を追われ食糧不足に陥った熊や、住処に侵入され危険を感じた熊との事故が多いように感じる。
一度人食いをした熊は、再び人を襲う可能性が高くなるという。
領土を拡げていく人間に、世界中で生存を脅かされる熊たち。
世界中の厳しい自然の中で生きている野生動物に、人間の理屈は通用しない。
自然を甘く見ることのないように、また、怖い、悲しい事故が起きないように、
野生生物と上手く共存できる世界が確立できればと願う。

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