江戸時代の庶民の食事が衝撃的すぎる!再現された当時の日本人の料理

飽食の時代と言われる現代は様々な料理や食べ物で人生を楽しむことができる幸せな世の中ですが、江戸時代の食事はどうだったのでしょう。将軍と庶民、武士と農民など身分の差が大きかった江戸時代。その食事事情を食べ物と料理の面で見ていきましょう。

江戸時代の庶民の食事が衝撃的すぎる!再現された当時の日本人の料理のイメージ

目次

  1. 1食事事情を知る前に…江戸時代の基礎知識
  2. 2白米はぜいたくな食べ物?農民の食事事情
  3. 3江戸の町人は白米中心の食事で思わぬ病気に罹っていた
  4. 4落語「時そば」の舞台となった江戸の外食料理「屋台のそば屋」
  5. 5江戸時代を代表する食べ物「天ぷら」!
  6. 6江戸時代末期に大流行した食べ物は庶民のファストフードだった
  7. 7豪華?質素?平和な時代の武士の食事とは
  8. 8豪勢?再現された大名の正月料理
  9. 9庶民とは大違い!?江戸時代最高権力者・将軍の食事は豪華なのか
  10. 10まとめ

食事事情を知る前に…江戸時代の基礎知識

この記事では江戸時代の庶民から将軍まで食事に関することをご紹介しますが、そのためにまず江戸時代の基礎知識を知っておきましょう。

身分制度から生活様式まで、簡単に解説していきます。

2世紀半ものロングラン!1つの時代にまとめていいの?

一言で「江戸時代」とは言うものの、その期間は265年にも渡ります。

出典: http://rekishi.maboroshi.biz

初代将軍・徳川家康

江戸時代は徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた1603年にスタート。

この後15代に渡る徳川将軍家の統治が続き、日本の歴史上比較的平和な時代が続きます。

出典: http://www.kurofune-shachu.com

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜

1868年、明治政府が樹立したことで江戸時代は終焉を迎えます。
家康が幕府を開いてから265年、2世紀半を超える超ロングラン政権が幕を閉じ、日本は身分制度も文化も大きく変化する明治時代へと移り変わります。

265年もの期間を一括りにしていいのかという問題ですが、この期間のほとんどが鎖国の状態だったために文化や庶民生活などの大きな変化はありませんでした。

農民?百姓?町人?江戸時代の身分制度と庶民の生活様式

歴史の勉強を通じて「士農工商」という身分制度があったことは良く知られているところですが、実際の庶民はどのような身分にあったのでしょうか。

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日本だけに通用する「百姓=農民」

「農民」と「百姓」を同じ意味で使うのは日本だけと言われています。

また、日本でも百姓と呼ばれる人の範囲は時代によって変化していましたが、江戸時代に入ってから農業に携わる人を指す言葉として使われるようになっています。

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「町人」は都市部に住む職人や商人のこと

「士農工商」の中で「工」と「商」に該当する職人や商人のうち、都市部に住む者を総称して「町人」と呼びます。

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多くの町人が住む「長屋」

都市部に住む町人のうち、店を経営する一部の商人以外の多くは平屋建ての長屋に住んでいました。 今でいうところのワンルームで、大火事の頻発した江戸時代にはすぐ立て直せるように簡単な木造家屋だったと言われています。

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炊けたごはんを保存する「おひつ」とテーブル代わりの「お膳」

江戸時代の町人が暮らす長屋にはテーブルもちゃぶ台もありませんでした。

食事の際は画像のような「お膳」をテーブル代わりに使い、釜で炊いたごはんは「おひつ」に入れて保存していました。

食事にも大きな影響を与えた江戸時代の納税制度

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江戸時代にも税金があったことはご存知でしょう。そして、「年貢」と呼ばれる米や野菜などの生産物を納める税制であったことも広く知られています。

しかし、農民ではない町人が年貢を納めることはできません。そこで別の税として「運上(うんじょう)」という制度がありました。

つまり、農民は「年貢」を、それ以外の仕事をするものは「運上」を納めるようになっていたのです。

また、江戸時代には年貢と運上の他にも多くの課税制度がありました。

白米はぜいたくな食べ物?農民の食事事情

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日本人の食事と言えば、昔も今も「ごはん」。今は健康のために玄米や麦飯を白米に混ぜて食す人もいますが、精米された白いごはんが主流であることは疑う余地のないところです。

それでは江戸時代のお米事情はどうだったのでしょうか。

作り手なのに…江戸時代の農民にとって白米は高級な食べ物だった

現代でも米不足で日本中が大騒ぎになったことがありますが、その際に「実家が農家から送ってもらった」という人もいたくらい「農家には自分達用の米がある」というイメージがあります。

しかし、江戸時代の農民にとっては白米を食べることはごく稀だったと言われています。
理由は先に挙げた税金「年貢」の影響で、農民は作った米を税として納めなければいけませんでした。

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年貢を納めた後に残った米が全て自分の食事になるわけではなく、そこから卸して収入を得なければいけません。

農民の手元に残る米は、翌年の収穫まで充分足りる量ではなかったと言われています。

出典: http://www.npmh.net

農民の食事として語られる「かてめし」

信州長野の農民は米を単独で食すのではなく、ひえや大根(葉も含む)などの食べ物を一緒に煮ていたと伝えられています。

この他にもそば粉を使った焼き餅や団子と大根の汁物で栄養を摂り入れていたとされています。

江戸の町人は白米中心の食事で思わぬ病気に罹っていた

地方のお百姓さんが「かてめし」などの工夫で米の消費を抑えた食事をしていたのに対し、大都市・江戸の町人は白米を大量に消費していたと言われています。

出典: http://slowslow.hatenablog.com

江戸町人の食事は「一汁一菜」が基本だった

左の画像は典型的な江戸の町人が摂っていた食事の再現で、白米・野菜入りの汁物・そして漬物と、いうシンプルなものでした。

地方のお百姓さんが食べれなかった白米がメインだった町人の食生活ですが、この食事が思わぬ病気の原因となっていたのです…。

食べ物が原因だったとは…江戸特有の病気「江戸わずらい」の正体

出典: http://hanaha09.exblog.jp

江戸の町人の間で多かった病気を「江戸わずらい」と言います。その正体は「脚気(かっけ)」で、白米中心の偏った食事によってビタミンB1が不足したのが主な原因。

その証拠に、江戸から離れて生活を始めたところ病気はすっかり良くなったという伝聞が残っています。

画像の中央下は「江戸わずらい」にかかって歩行できなくなった人物が四輪車に乗って移動している姿を描いています。

落語「時そば」の舞台となった江戸の外食料理「屋台のそば屋」

「1、2、3、4、5、6、7…今、何時だい?」のセ今リフで有名な落語の『時そば』。その名の通りそばが背景に登場しますが、その舞台は江戸時代のそば屋(元は関西だったが、今は江戸がスタンダードな設定になっていると言われています)。

江戸の町には外食の店があり、町人や武士がご馳走として親しんだそうです。

出典: http://teutisoba.com

江戸時代のそば屋台

リヤカー風の屋台ではなく、画像のように自ら担いで移動する形式の屋台が当時の主流でした。

江戸時代に花開いた麺としてのそば料理

かけそばも江戸時代の庶民に広まった

17世紀末ごろに生まれたとされるかけそば。それまでのそばの食べ方は「そばがき」と呼ばれる薄い団子状のもので、麺としてのそばは「そば切り」と呼ばれていました。

江戸時代に「そば切り」が流行したことをきっかけに、「そば=そば切り」という考えが定着しました。

江戸時代を代表する食べ物「天ぷら」!

そばと同様に屋台で人気を博した食べ物が「天ぷら」でした。油で揚げるという料理も江戸時代になってから定着したんですね。

高級料理と思いきや…庶民が愛する身近な食べ物だった

出典: http://wheatbaku.exblog.jp

武士も子どもも利用した天ぷらの屋台

左の画像は天ぷらの屋台とそれを利用する武士、子ども、女性を描いたものです。一汁一菜の食事をしていた庶民にとって、こうした食べ物はまさにご馳走だったでしょう。

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江戸の庶民や武士の生活に彩りを与えた天ぷらですが、画像のように串にさして揚げるのが一般的でした。

野菜・エビ・アナゴ・貝類・肉と種類も豊富な料理として親しまれました。

江戸時代末期に大流行した食べ物は庶民のファストフードだった


江戸時代にはそばや天ぷらの他にも大流行した食べ物がたくさんあります。

その中でも特筆すべきは「寿司」。今のような握り寿司が考案されて庶民の間で大流行したのは江戸時代末期のことでした。

現代では「高価な食べ物」という印象がありますが、当時は屋台で手軽に食事をするファストフード的な存在でした。

おにぎり感覚!?庶民のそばにあった食べ物

そばや天ぷらと同様、江戸の町に屋台が出ていた寿司屋。人通りの多い道で営業していたようで、人々の生活に溶け込んでいたのだとか。現代のように、注文してから握られるのではなく、いくつも握って陳列しておくスタイルだったようです。

出典: https://www.room8.co.jp

画像は「東海道五十三次絵」で知られる歌川広重の浮世絵として描かれた寿司です。

エビはボイルしたもので卵は巻物になっているなど、当時の寿司がどのような食べ物であったかを窺い知ることができます。

豪華?質素?平和な時代の武士の食事とは

江戸時代の百姓、町人の食事と生活の中で流行した料理について見てきましたが、ここからは身分制度の最上級に位置する「士」、武士の食生活を覗いてみましょう。

一言で「武士」と言っても、将軍・大名から上級武士、下級武士という区分けがあり、さらにどこの藩にも雇われない浪人もいました。

特に下級武士や浪人たちは生計を立てるために内職をしたり、大名屋敷の庭で家庭菜園をして食べ物を自己調達したりもしていました。

どんな料理を食べていた?下級武士の食事事情

出典: http://blog.livedoor.jp

画像は下級武士の食事を再現したものですが、みそ汁に漬物、野菜の煮つけと粥や雑炊が主な料理だったと言われています。

食べ物は町人のメイン食材だった白米が雑炊などに変わったりと、決して贅沢はできなかったようです。

食事の支度は奥方が行っていましたが、独身の下級武士は総菜の行商や「賄い屋」と呼ばれるデリバリーから取り寄せるなどもしていたとされています。現代のコンビニ弁当&出前という感覚だったわけですね。

豪勢?再現された大名の正月料理

次は日本各地に封ぜられた大名の食事です。伊達政宗で有名な仙台藩の正月料理をご覧いただきましょう。

江戸時代末期の大名・仙台藩主の伊達慶邦

仙台藩第13代藩主・伊達慶邦(1825~1874)

幕末の世、東北地方太平洋側に位置する仙台藩の藩主となった伊達慶邦。彼に仕えた家臣が伊達家の正月料理に関する記録を残しています。

大名の正月料理は特産品盛りだくさんな3つのお膳

それでは、仙台藩の正月料理を4枚の画像でご覧いただきましょう。我々が普段食べている料理は入っているのでしょうか。

出典: https://ameblo.jp

本膳(一の膳)は米・汁物・漬物・納豆・和え物・鮭軟骨のなます・ナマコの塩辛・みそ味の煮物。

汁物の具には白鳥の肉が使われていたそうですが、食肉の養殖がまだ進んでいなかった当時は野鳥を食すのが習慣だったと言われています。

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二の膳は主に海の幸。

伊勢海老・鱈の汁物・鮭の飯寿司・鮭の漬けびたしに酒をかけたもの・鴨肉の煮つけ。

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三の膳は鯉に卵をまぶした刺身・かまぼこ・するめと大根の水和・鮭のハラス筋子詰め・汁物。

出典: https://ameblo.jp

膳の向こう側に置かれる向付。鯨の石焼きと鮒の煮凝り。

伊達家では代々鮭を使った料理が出されていたとされていますが、この正月料理でもふんだんに使われているのが分かります。

その他の料理も主に魚介類で占められており、肉は野鳥である白鳥・鴨、変わったところで鯨肉と我々が普段食べている肉とは大きな違いがありますね。

庶民とは大違い!?江戸時代最高権力者・将軍の食事は豪華なのか

最後に全国の大名を束ねる武士の最高位で江戸城を居城としていた将軍の食事を見てみましょう。武士社会の最高峰に君臨した人物が普段口にした食べ物は、現代の我々も驚くような贅沢品だったのでしょうか。

出典: http://wheatbaku.exblog.jp

徳川家の家紋「三つ葉葵」が描かれたお膳。この中にはどのような料理が盛り付けられていたのでしょう?

家康と吉宗は料理の数が違っていた

出典: http://wheatbaku.exblog.jp

初代将軍の家康と八代将軍の吉宗では、一食あたりの料理数が異なっていたと伝わっています。

家康は「一汁一菜」、吉宗は「一汁三菜」で、つまりおかずの数が一品と三品の違いだったとのこと。

料理の数や食べ物の種類にもこだわりが!再現された将軍の食事

出典: http://wishpafupafu.blog110.fc2.com

ごはんと漬物のほか、汁物、刺身、鳥肉料理(鴨や雁などの野鳥の肉)など汁物1品におかずが1~3品が将軍の食事でした。

また、魚でも鱚(きす)は縁起がいい名前(漢字)だったため毎日食べられましたが、逆に「このしろ」は『この城を食う』という理由で縁起が悪いとして禁忌の魚だったと言われています。

野菜でも匂いのきつい食材は避けられ、ねぎやにんにくはNGでした。

まとめ

江戸時代の百姓・町人・武士・大名・将軍の食事や江戸の町で流行った食べ物をご紹介しましたがいかがだったでしょうか。

偏った食事で病気になることも現代の生活習慣病問題に似て、学ぶべき点が多々あるものですね。

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