三島事件の全貌~三島由紀夫が割腹自殺した理由と楯の会~

皆さんは、昭和に起こった三島事件をご存知でしょうか? 小説家の三島由紀夫氏が、楯の会会員と自衛隊の総監を人質にとり隊員に決起を促した後に切腹自殺をした事件です。 この楯の会を巻き込んだ事件は何故おきたのか、その背景や理由などをご紹介します。

三島事件の全貌~三島由紀夫が割腹自殺した理由と楯の会~のイメージ

目次

  1. 1三島事件とは?
  2. 2三島事件と楯の会:事件当日の流れ!
  3. 3事件が起きたのは、1970年11月25日
  4. 4三島事件と楯の会:辞世の句
  5. 5三島事件と楯の会:楯の会森田必勝氏 辞世の句
  6. 6三島事件と楯の会:報道された事件、遺体と生首の写真
  7. 7三島事件と楯の会:写真週刊誌に報道された生首の写真
  8. 8三島事件と楯の会:事件の背景とその理由!
  9. 9三島事件と楯の会:三島由紀夫氏とはどの様な人物?
  10. 10三島事件と楯の会:事件の余波と反響
  11. 11三島事件と楯の会:三島氏と近しかった 川端康成氏
  12. 12三島事件と楯の会:石原慎太郎氏
  13. 13三島事件と楯の会:司馬遼太郎氏
  14. 14三島事件と楯の会:映画化もされました!
  15. 15三島事件と楯の会:テレビドラマ化もされた!
  16. 16三島事件と楯の会:まとめ

三島事件とは?

出典: https://igcn.hateblo.jp/entry/2015/11/25/063123

小説家 三島由紀夫氏

皆さんは、三島事件というのをご存知でしょうか?

事件のあらましは、以下の様な内容です。

1970年に作家の三島由紀夫氏が自分が主宰する「楯の会」のメンバー4人と、防衛庁(現防衛省)自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で総監を拘束し人質にして、立てこもりました。
そして自衛隊員を集め、憲法改正のため自衛隊の決起いわゆるクーデターを呼びかけました。
しかし賛同を得られないと判断した後に、自ら切腹自殺をしたという事件です。

この事件は、国際的にも名声を持つ作家が起こした異常な行動に、当時日本の社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、海外でも驚きを持ってメディアに大きく取り上げられました。

今回はこの三島事件を時系列で、また事件の背景にあったものなどをご紹介していきます。

三島事件と楯の会:事件当日の流れ!

出典: http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-371.html

三島由紀夫氏と楯の会の4人

楯の会とは、三島由紀夫氏が結成した、軍事的な侵略に備えるための思想をベースにした民間防衛組織であり、軍隊的な規律を持った集団と言われています。会員は100名近くいました。

写真は森田必勝(25才)、小賀正義(22才)、小川正洋(22才)、古賀浩靖(23才)と三島由紀夫氏(中央)

事件が起きたのは、1970年11月25日

10:13
三島由紀夫氏が自分が主宰する「楯の会」のメンバー4人と、都内の自宅を自家用車で出発。
この時携行したアタッシェケースの中には、日本刀「関の孫六」、短刀、鎧通し、垂れ幕、要求書、辞世を認めた短冊などが入っていました。

この時同行した「楯の会」メンバーは、森田必勝(25才)、小賀正義(22才)、小川正洋(22才)、古賀浩靖(23才)の4名です。

出典: https://news.livedoor.com/article/detail/12232838/

10:58
防衛庁(現防衛省)陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に到着し、東部方面総監部正面玄関に車を停めました。 かねて面談を申し込んでいた二階の総監室に案内されました。

総監室は2階正面バルコニーの後方

11:00
三島氏は益田総監に挨拶し、森田以下、楯の会4人を紹介しました。 「今日は楯の会の正装で参りました」と益田総監に話す。

益田総監

11:03
三島氏は持参してきた軍刀を取り出し、刀を抜いて益田総監に見せる。 総監は軍刀を手に取り、よく眺めてから三島氏に返す。
三島氏は軍刀を受け取った後、手拭いを出して刀身をぬぐって、その手拭いを小賀に渡した。

11:05
小賀は手拭いを受け取ると、立ち上がり歩いて総監の後ろに回りました。そして持っていた手拭いで総監に猿ぐつわをかませ、他の会員は総監を椅子に縛り付けました。
その後、森田必勝らは総監室の入り口にソファーやテーブル、植木鉢などでバリケードを作りました。

出典: https://gorosetsuyaku.com/umpanhi-setsuyaku/miniletter/1151/

11:05
同時刻。楯の会の他の会員が、サンデー毎日の記者と、NHKの記者に封書を渡した。
この封書の中には、市ケ谷駐屯地である事件が起こり2時間位で終結するなどのことが書かれた手紙の他に、事件の背景となった思想が書かれた檄文のコピーやこの日の決起を行った5人の写真が一緒に入っていました。

出典: https://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/3409cad2473e09c2a0c0eb89e076346e

11:10
総監室の異常に気付いた総監のスタッフがドアを開けようとしたがバリケードで開かない。
そして足元に置かれたある「要求書」を発見。
要求書の内容は、市ヶ谷駐屯地にいる自衛官全員と、市ケ谷会館に待機している「楯の会」の会員を駐屯地に集合させ、三島氏に演説をさせること、などが書かれていました。

自衛隊側は協議を行い、その間に何度か総監室への侵入しようと試みましたが、三島らに日本刀で攻撃され、負傷者も出たこと、また総監の安全を考慮して侵入を断念。

左の画像は、小競り合いの際にドアに残った刀のキズ。

11:33
自衛隊幹部による協議の結果、演説することを認める旨が三島氏らに伝えられました。

11:40
駐屯地の全隊員に本館前に集合の指示がだされました。
この指示に従って約800名の隊員が集まりました。

11:55
森田必勝らが、総監室前のバルコニーから背景となった思想を書いた垂れ幕を下げ、バルコニーの上から檄文を撒きました。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

12:00
三島氏が、楯の会の森田必勝らともにバルコニーに立ち、三島氏がスピーカー無しの肉声で演説を始める。
しかし、この時上空に現れた報道機関のヘリコプターの騒音と、自衛隊員の怒号やヤジなどによって、三島氏の演説はほとんど聞くことが出来ない状態でした。

その時の演説の模様が、次のYoutubeです。

三島由紀夫氏のバルコニーでの演説

三島氏の演説は、ヤジと怒号でほとんど聞き取れませんでした。

総監室

12:10
演説は当初30分ほど予定していましたが、怒号やヤジが多くこれ以上は無駄と判断し、三島氏は演説を終了しました。
バルコニー上で「天皇陛下万歳」を三回繰り返し、三島氏と森田必勝らは総監室に戻りました。

部屋に戻るなり、三島氏は上着を脱いで上半身裸になり、正座して切腹自殺するために両手で短刀を握りました。
森田必勝が介錯としての後ろの位置に立ちました

三島氏は持った短刀を左脇腹に突き刺し、さらに右へ引き切腹しました。

介錯の森田必勝が刀を振り降ろし、三島氏の首は半分ほど切れ、体は静かに前に倒れました。
さらに二度程、首をめがけて切りつけたが介錯しきれなかったので、古賀が太刀を取り介錯し、切腹自殺を終了させました。

出典: http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/ny/suzukiintroductione.html

12:15
次いで森田必勝が切腹し、古賀が一太刀で介錯しました。
残った楯の会の三人は、切腹した二人の遺体を並べて寝かせその上に楯の会の制服をかけ、2人の首を並べそれに向かって手を合わせました。

その後、総監の縛を解き開放しました。
総監も二人の切腹自殺を遂げた遺体に向かって正座し、瞑目して手を合わせました。

出典: http://www2u.biglobe.ne.jp/~fukuto/misima.htm

12:30
楯の会の三人は総監とともに部屋を出て、その場で逮捕されました。
左は、切腹自殺が行われた総監室。

三島事件と楯の会:辞世の句

三島由紀夫氏 享年45才

三島由紀夫氏残した短冊に書かれた辞世の二句

・益荒男(ますらお)が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜
・散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

三島事件と楯の会:楯の会森田必勝氏 辞世の句

出典: http://kunyon.com/shucho/121008.html

楯の会 森田必勝氏 享年25才

森田必勝氏 辞世の句

・今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは

森田必勝氏は自分の名を「まさかつ」でなく、「ひっしょう」と呼ぶことを好んでいました。

三島事件と楯の会:報道された事件、遺体と生首の写真

出典: http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-371.html

三島事件を報じた写真記事

三島事件の後、報道された事件の内容と写真です。

記事の中では、三島由紀夫氏が切腹自殺をした後の遺体と、総監室に持ち込んだ日本刀や短刀が写っています。
また自殺の時に森田必勝によって介錯されて切り落された生首が左側に写っています。生首は分かりにくいですが、生首を上から撮った写真のようです。
記事の右下には、三島由紀夫氏と楯の会四人の辞世の句が書かれた短冊の写真が写っています。

この写真が報道された時は、生々しい遺体と生首の写真に世間は、一様にショックを受けました。

三島事件と楯の会:写真週刊誌に報道された生首の写真

出典: https://aucview.aucfan.com/yahoo/n149604146/

バルコニーで演説する三島氏と、切腹自殺後の生首の写真

この写真は事件後に、写真週刊誌に掲載されたバルコニー上で演説する三島由紀夫氏の姿と、切腹自殺時に介錯された生首の写真です。生首にはまだ自殺した時の鉢巻が巻かれており、まだ生前の姿をとどめているまさにナマナマしい生首の写真です。

この事件が起きた昭和の時代は平穏な生活感が溢れていた時代だっただけに、この生首の写真に人々は遠い昔の侍の時代に引き戻されたような、ショッキングな感じを抱かせる生首の写真でした。

三島事件と楯の会:事件の背景とその理由!

出典: http://blog.livedoor.jp/res_militaris/archives/5332932.html

では一体、三島事件で三島氏を切腹自殺に追いやった背景にあった思想とか理由は何だったのでしょうか?
それは事件当日自衛隊員たちへ撒いた檄文にも書かれていた、「戦後民主主義と日本国憲法の批判」がその理由でした。

三島由紀夫氏はこの事件の以前にも、自身の執筆や対談の中で、「日本国憲法第9条の第2項がある限り、自衛隊は違憲の存在でしかない」と言う思想の見解を何度も繰り返し述べています。

では、憲法第9条の第2項とは何か?ここで改めて見てみましょう。

”第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。

「第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない」”

と制定されています。

出典: http://puenteareo1.blogspot.com/2009/06/trabalenguas-21.html

すなわち、この憲法第9条の第2項がある限り、自衛隊は違憲の存在であることに三島氏は思想的に大いなる矛盾を感じていました。

そして戦後の日米安保体制の下における自衛隊の存在意義を自ずからに問う思想として「自衛隊員の決起」と、「憲法改正による自衛隊の国軍化を促す」ことのクーデターのような思想をベースにした行動を起こそうとしたとされています。

当日のバルコニーからの演説の中でその思想の裏にある理由として、自衛隊員に向かって「諸君は武士だろう、武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ」と絶叫し、憲法改正などを目的としたクーデターの決起を促しましたが、結果として、自衛隊員らの賛同を得られずヤジと怒号によって演説がつぶされ、自分の思想を貫徹することができず、やむなく演説を終了しその後切腹自殺を行いました。

出典: https://worldbulletin.dunyabulteni.net/asia-pacific/japan-eyes-free-trade-talks-with-britain-report-h191173.html

また三島事件の大きな理由となり、氏の切腹自殺への決心に影響を与えた理由の一つとされているのが、三島事件前年の建国記念の日に、国会議事堂前で遺書を残して焼身自殺した青年自衛官、江藤小三郎(25才)の死が、一つの理由としてあったのだろうと言われています。

三島氏はこの青年自衛官の自殺の後に講演会などで、「この焼身自殺をした江藤小三郎青年自衛官の「本気」といふ思想に、夢あるひは芸術としての政治に対する最も強烈な批評を読んだ一人である」とその思想に対する感想を述べており、この青年の自殺に影響され、このことがあとの三島事件の理由になっていることが窺えます。

三島事件と楯の会:三島由紀夫氏とはどの様な人物?

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB

それでは、三島 由紀夫氏とはどの様な人物だったのでしょうか?

三島 由紀夫氏は、昭和元年の生まれで、昭和の年号と共に年齢を数えていきました。
その活動は幅広く、小説家、劇作家、随筆家、評論家などで、戦後の日本文学界を代表する作家の一人とされ、ノーベル文学賞候補になりました。
その作品は日本語のに止まらず、海外にも広く認められて翻訳されました。
またEsquire誌の企画した「世界の百人」に日本人で初めて選ばれました。

三島由紀夫氏は、文学の面で幼い頃より「天才」と呼ばれることが多々あったとされています。
例えば、三島氏が16歳の時に執筆した「花ざかりの森」という短編小説を読んだ、同人雑誌の主催者たちは誰もが「作者は天才だ!」、「天才生来!」と評価しました。
そして通っていた学習院に天才少年がいるという噂が広まりました。この天才という噂に、三島自身は自分は天才でも何でもないとする一方で、文学にのめり込んでいきました。

しかし、20歳になった時に、三島自身は自分の文才が時代遅れになったと感じ、それまで「天才!」と言われことに見切りをつけて、新境地の小説の執筆に向かいました。そしてこの小説がある雑誌の編集長の目に留まり、再び「この作者は天才!天才!」と呼ばしめました。

また「鹿鳴館」などの戯曲を書き、それを主演した舞台俳優から「この戯曲の作者は「天才!」とも言われ、周りの文学仲間からも「天才!」と呼ばれていました。

このように若い時から文学界の「天才!」と呼ばれ、ノーベル文学賞の候補者にもなる理由にもなりました。

出典: http://hakutsuru.air-nifty.com/blog/2012/05/post-2c1d.html

遺作「豊饒の海」四部作

三島氏の遺作となった「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の四部作。

小説の代表作は「仮面の告白」、「潮騒」、「金閣寺」、「鏡子の家」、「憂国」、「豊饒の海」などがあり、
戯曲は「鹿鳴館」、「近代能楽集」、「サド侯爵夫人」などがあります。

その作品の文体は修辞に富んだ豪華絢爛さを散りばめた詩的な文体で、日本の「能」などの古典を基調にした構築性にあふれる、唯美的な作風が特徴です。
本屋に行くと今も「三島由紀夫」コーナーなどもあります。

また晩年は政治的な関心を持つようになり、自衛隊に何度か体験入隊したり、民間防衛組織として「楯の会」を結成したりしました。

映画にもなった、小説「憂国」

この映画は、昭和40(1965)年に、三島氏の小説「憂国」を自身が製作・監督・主演で作製されました。

三島事件と楯の会:事件の余波と反響

当時の中曽根康弘防衛庁長官

出典: https://www.takushoku-u.ac.jp/summary/successive-chancellor.html

「いかなる理由にせよ、非常に遺憾な事態であり、三島の行動は迷惑千万で、民主的秩序を破壊するもの」と批判しました。

当時の佐藤栄作首相

「全く気が狂っているとしか思えない。常軌を逸した行動だ。何が原因なのかよく分からない。」

三島事件と楯の会:三島氏と近しかった 川端康成氏

出典: https://timenote.info/en/Yasunari-Kawabata

「ただ驚くばかりです。こんなことは想像もしなかった――もったいない死に方をしたものです。 私はただなんとか諌止するすべはなかつたかと悔むばかりでです。」

三島事件と楯の会:石原慎太郎氏

出典: https://nobinobikenko.com/media/1463

「現代の狂気としかいいようがない。ただ若い命をかけた行動としては、あまりにも、実りないことだった。」

三島事件と楯の会:司馬遼太郎氏

出典: http://fukubiki-goenkai.com/business-13/

司馬遼太郎氏は、「三島の『薄よごれた模倣者』が出ることを危惧する。三島の死は文学論のカテゴリーに留めるべきもので、政治的な意味を持たせることに反対する」と語った。

三島事件と楯の会:映画化もされました!

出典: https://www.imdb.com/title/tt0089603/?ref_=fn_al_tt_1

映画のポスター

三島事件は、1985年に日米合作で映画化もされました。

題名は「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」(原題: Mishima: A Life In Four Chapters)となっています。
映画のあらすじは、三島由紀夫氏の生涯と、氏の文学作品を題材にした伝記風の芸術映画となっています。映画は4つの章から構成され、
「美(beauty)」、「芸術(art)」、「行動(action)」、「文武両道(harmony of pen and sword)」からなっています。
出演は、 緒形拳、坂東八十助、佐藤浩市、沢田研二、永島敏行など

出典: https://www.imdb.com/title/tt0089603/?ref_=fn_al_tt_1

映画の1シーン

1985年にアメリカ、欧州などで公開されました。
米国では興行的に不作でしたが、1985年度のカンヌ国際映画祭で「最優秀芸術貢献賞」を受賞し各方面の大きな話題となりました。

当初日本でも邦題「『MISHIMA」として公開予定でしたが、三島役の同性愛的な表現に、三島夫人が反対したことと、右翼団体の一部が抗議しているという噂が流れたため、配給会社が二の足を踏み、劇場公開されませんでした。また、ビデオやDVD化もされず「幻の作品」となってます。

そうなると、ますますこの映画を見たくなりますね。

三島事件と楯の会:テレビドラマ化もされた!

出典: https://www.discogs.com/artist/895479-Akihiro-Miwa?filter_anv=1&anv=%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E6%98%8E%E5%AE%8F

若き日の、美輪明宏氏が主演

1984年にANN系列で、ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる『三島由紀夫自決事件』のタイトルで、テレビドラマ化もされました。
昭和に起きた大きな事件の一つとして、美輪明宏主演で放送されました。

三島事件と楯の会:まとめ

三島事件に関して、いかがでしたか?
昭和の平穏な時代に突如起こった三島事件!
誰もがこの事件の起こった背景や行動などが中々理解できず、また切腹自殺とその介錯による生首の写真など、かなりショッキングなものでした。
さらに三島氏の文学者としての偉業からしても、その46才という早逝には真に惜しい感を抱きました。

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