『宮前愚連隊』とは?歴代総長やメンバーから事件まで

宮前愚連隊が活動していたのは昭和の後期ですが、ご存じの方も多いと思います。宮前愚連隊は東京で有名な暴走族ですが、暴力団と手を組んでから道を誤った気がしますね。暴走族や暴力団の台頭を許さないように、警察だけでなく私達も努力しないといけないのかも知れませんね。

『宮前愚連隊』とは?歴代総長やメンバーから事件までのイメージ

目次

  1. 1宮前愚連隊って何?
  2. 2宮前愚連隊の間違い殺人事件
  3. 3糞食暴行を繰り返していた宮前愚連隊
  4. 4TOP-Jが活動していた時代
  5. 5「永福町ブラックエンペラー」と「新宿メデューサ」の時代
  6. 6宮前愚連隊が台頭を始める
  7. 7用賀喧嘩會が活動した時代
  8. 8ブラックエンペラー総長の時代が来た?
  9. 9宮前愚連隊の一員:伊藤リオンとは?
  10. 10歴代総長と関係していた原田英俊の人物像
  11. 11まとめ:『宮前愚連隊』とは?

宮前愚連隊って何?

東京都で有名な暴走族です。

宮前愚連隊というのは、東京都ではちょっと有名な暴走族です。
東京都の暴走族の連合体と言われる、関東連合の友好団体の一つでもあります。

ヤクザとの抗争で、仲間を殺された5代目が復活させた暴走族の団体になります。

この世代の特徴として、徒手空拳=いわゆる素手で戦う(スデゴロ)に拘り、道具というか武器として認められるのは木刀か角材までという拘りを持っています。

ただ、このスタイルは6代目までで、昭和52年の7代目~昭和54年の8代目柴田大輔からは、喧嘩でも金属バットや包丁やナイフなどを扱うようになりました。

ゲリラ戦が得意で、相手との抗争の時には、情報などを集め、先に下準備をして用意万全の形で相対し、一人か数名の状態になる時に拉致をすることで、相手に恐怖感を与えるのを得意としています。

抗争相手なら、家族や恋人までも対象になるため、暴力団顔負けの情け容赦ない攻撃で、世間の人々を恐怖に震撼させました。

その残虐非道さは、8代目の柴田大輔の時に最高潮に達し、宮前愚連隊の中でも最強と言わしめました。

宮前愚連隊の間違い殺人事件

トーヨーボウル殺人事件の概要

出典: https://candy-web.net/posts/287/

古いボーリング場でした。

東京都の大田区で、2000年5月に殺人事件が起きました。
この事件で、大田区久が原、寿司店店員、小笠原一也さんら5人が襲撃されます。
5人が襲撃された事件ですが、小笠原さんが死亡したことを受け、指定暴力団として活動していた新山友彦容疑者、暴走族関係者ら13人(石元太一・伊藤リオンなど)を、死亡した小笠原さん以外の4人に対する傷害と暴力行為容疑で警察は逮捕に踏み切ります。

この事件では、14人が逮捕されましたが、小笠原さんの死亡についても殺害容疑で追及されます。

他にも同じく東京都の大田区で、暴走族グループに襲われた1人が死亡、3人が怪我する事件なども起きており、暴力行為等処罰に関する法律違反の疑いで、警察はここでも成人男性を7人逮捕しています。

警察の取り調べにより、この7人が杉並区を拠点としていた暴走族グループと交友関係にあり、協力して敵対勢力との抗争に踏み切ろうとしていたことも新たにわかりました。

こういった背景を元に、トーヨーボウル殺人事件は起こります。
5月13日未明に、トーヨーボウルで、前述した小笠原さんが敵対勢力と間違われて殺されてしまうんですね。
だからかもしれないですが、この事件は別名「間違い殺人事件」と呼ばれることもあります。

暴走族同士の抗争なら、無関係であると言えそうですが、間違って殺されたのではたまった物ではありません。
殺害の動機は置いておくにしても、間違えるとか酷すぎますね。
殺された被害者の遺族は、悔しくて仕方がないと思います。

暴走族と言うと、ハタ迷惑くらいに思っていましたが、宮前愚連隊はタチが悪い集団と言えますね。

糞食暴行を繰り返していた宮前愚連隊

宮前愚連隊の考え出した残虐な拷問

出典: https://twitter.com/bosozoku_rt/status/824167505010761730?lang=ro

暴力団という感じがしますね。

糞食暴行と言うのは、宮前愚連隊が考案した残虐な拷問方法の一つです。

その内容は、まず相手を拉致した上に裸にし、逃げ出せないような状況を作り、更に半殺しにして、「うままいです。」とか「食べさせて下さい」と言わせるために行っていたと言います。

これは相手に言わせるのが、残虐であると言われる理由で、糞食暴行の名前の由来は、暴行している間に脱糞した相手に、その脱糞した糞を食べさせたことからついたと言われています。

この行為が世に広まったのはある動画からで、その動画内には、「シゲルは変態です。これから自分の糞を食います。」と言いながら、相手が入れ墨の入っている相手でも構わず、人間の糞を食べさせていることから一気に話題になりました。

またこの事実に関連して、鬼面党の頭は柴田大輔にボコボコにされ、耳も半分に潰れるほどの抗争だったと言います。
メンバー同士は、シックスナイン=糞を食わされ、この凌辱行動には、安清、小池、柴田大輔が加わっていたと言います。

この同じ人間とは思えないほどの残虐行為があったからこそ、柴田大輔は歴代最強と言われたのかも知れないですが、正に鬼畜の所業ですね。
こんなことが許されて良いわけがありません。
暴走族というよりは、暴力団と言う感じがしますね。

TOP-Jが活動していた時代

宮前愚連隊の前身:昭和52年世代の歴代総長の特徴

昭和52年生まれの世代が中心のチームは、「S52年世代」と呼ばれます。

その始まりは、井上勇氏と田丸大氏が所属してたPBBとイラプションが一緒に合流し、「TOP-J」を旗揚げしたことから。

「TOP-J」は他の集団もどんどん仲間に引き入れ、約200人ほどの大集団へと変化します。
「TOP-J」が気にいらないヤクザなどが抵抗したこともありましたが、ほとんどはいわゆるヤキを入れられて、黙らされました。

渋谷を完全に牛耳った「TOP-J」は、千葉や埼玉にも勢力を拡大していきます。
ただ、その勢力も長くは続かず、田丸が市原少年院から出た時には、様子は様変わりしていたと言います。
例えば、以前は20名ほどの集まりだった宇田川警備隊が100人に増強されていたり、TOP-Jの半分がKGBに鞍替えしていたりなどです。

それでも残った各メンバーは、用賀喧嘩會に合流しましたが、そのメンバーの中でも有名なのは、井上勇と田丸大でしょう。
この世代には、元暴走族が多く、「女性にモテること」と「不良である」ことを両立しようとしていました。
俗に言う「チーマー」の最後の世代とも言えるかもしれません。

リーダーがテレビに出演するようになるなんて、当時の暴走族には考えもつかなかったことでしょうね。

「永福町ブラックエンペラー」と「新宿メデューサ」の時代

宮前愚連隊の前身:昭和53年世代の歴代総長の特徴

昭和53年代になると、歴代総長も代替わりし、見立真一が総長になり、永福21代目の高橋氏(稲川会系暴力団員)と話しあうことで復活させた「永福町ブラックエンペラー」が、東京都の暴走族を仕切っていたと言います。

ちなみに、ブラックエンペラーの主な行動は、「集会」「集団暴走」「威嚇行為」「自宅襲撃」「奇襲」「抗争」「喧嘩」「凌辱」「拉致監禁」「脅迫」など、下手な暴力団顔負けの残虐な行為を行っていました。

「歩き集会」と呼ばれる行為も行っており、昭和52年代のチーマーの本拠地渋谷も闊歩していたと言います。
そして、この頃の暴走族にとって、チーマーは無視される存在になっていきます。
関東連合が解散になったのを復活させたのが、昭和53年代の永福町ブラックエンペラーであり、襲撃の内容も先代の加藤氏の代を遥かに超えて、「総力戦」「ゲリラ」「奇襲」「凶器戦」など、相手を恐怖のどん底に落としました。

またこの世代で忘れてならないのは、西川と山田が率いる用賀喧嘩會です。
連合の三鷹スペクターの鈴木と小俣が、22代目黒総長(皇帝と呼ばれていた)の佐藤と新宿メデューサ邑井が友好団体で、各地の抗争に参加することになります。

宮前愚連隊が台頭を始める

昭和54年世代の歴代総長の特徴

柴田大輔も普通にいますね。

昭和54年代に入ると、都内最恐&最強で抗争と喧嘩で無敗と言われた宮前愚連隊が台頭してきます。

吉田安清、小池、柴田大輔、見立真一が仲が良かったことから、宮前愚連隊も関東連合に参加するんですね。
昭和54年世代には、宮前愚連隊の柴田大輔に人気があり、都内最強(最恐)とも呼ばれる喧嘩殺人集団が人々から恐れられていました。

片腕が潰れるまでバットで殴ったり、腕を何か所も刺して刺殺したりと、その暴力行為は留まることを知りませんでした。
前述もしましたが、糞食暴行なども当たり前のように行われ、動画をチェーンメールで流したり。

相手が自殺することもあり、抗争相手の顔面をバーナーで焼いたりなどの残虐な行為も日常的に行われていたと言います。

そうした中で、ブラックエンペラーも加わり、関東連合と鬼面党、宮前愚連隊、用賀喧嘩會、小次郎の時代が始まり、同じ頃、用賀喧嘩會がチーマーから暴走族に変更されています。

ちなみに、昭和54年代には元プロボクサーだった大嶽正史がいたり、山谷連合の一人でもあるバギーがいます。

用賀喧嘩會が活動した時代

昭和55年世代の歴代総長の特徴

用賀喧嘩會にいたのは、吉村、成田、ヤカンでしたが、途中から成田が小次郎に入ることで、用賀喧嘩會と抗争状態に陥ります。

抗争に困惑したのが関東連合と用賀喧嘩會のOB達で、何とか内部抗争を止めさせようとしました。

昭和55年では、関東連合も宮前愚連隊も悲惨な道を辿ることになります。
関東連合は見立が、宮前愚連隊では柴田大輔によるヤキが行われ、宮前愚連隊は全員が逃げ出します。
ちなみに、逃げ出した理由は、OBによるお金のカンパの激しさと、男同士でハメ撮りしろと言われたのに耐えきれなかったからだと言われています。

昭和55年代は、抗争につぐ抗争で、メンバーも疲弊していたということかも知れませんね。

ブラックエンペラー総長の時代が来た?

昭和56年世代の歴代総長の特徴

出典: https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E6%97%8F-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC-DVD-%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E7%A4%BC/dp/B0007TKQC6

ブラックエンペラーは最強の暴走族として映画にもなりました。

昭和56年代になると、歴代の総長の中でも最強と一部で言われていた石元太一が、ブラックエンペラーの総長となります。
石元太一にカリスマ性があったのか、彼は暴走族に人気があり、猛者が周囲に集まったと言います。
人気の理由の一つとして、叔父が「殺しの軍団」として知られた「柳川組」に所属していたことや、父親や親戚が皆暴力団と繋がっていたことなどが挙げられます。

ちなみにトーヨーボウル事件に関わっていたのは、この世代の暴走族です。
関東連合対練馬の抗争の時には、血で血を洗うような悲惨な抗争が続いていたそうです。

最強と呼ばれるゆえんは、ここら辺にありそうですね。

一般人にも当然被害は出ていたのですが、鬼面党が一般人に手を出した後、関東連合幹部会と関東連合は一般人に手を出さないと約束したのをきっかけに、加藤、佐野、見立、石元のグループに別れることになります。

歴代総長の中でも、最悪最強の総長が出現したのが昭和56年代だったわけですね。
宮前愚連隊と似ているようですが、実は違ったのかも知れません。

宮前愚連隊の一員:伊藤リオンとは?

海老蔵さんを暴行した犯人?

出典: https://endia.net/itou-rion-genzai

海老蔵さんの暴行事件でお馴染みですね。

宮前愚連隊の一員である伊藤リオンは、杉並区立の富士見丘中学校卒です。
50m走を5秒で走ったとも言われる、俊足の持ち主。

元宮前愚連隊の伊藤リオンは、ハーフだったことでいじめを受けていた可能性があり、そのせいでぐれてしまったようです。
柴田大輔と知り合い、宮前愚連隊に入ったことで有名になりました。

実は、市川海老蔵を殴って怪我をさせたのは、元宮前愚連隊の伊藤リオンかも知れないとの噂が流れています。
ただ、海老蔵さんの証言によると「殴られた相手はハーフだった」のような証言をしているので、伊藤リオンとも一致します。

しかも海老蔵さんは、他にも「飲んでいた相手は暴走族のリーダー(宮前愚連隊と思われる)で、一緒に殴られた。その暴走族のリーダーの名前は言いたくない。」とも証言しています。

もしかしたら、伊藤リオンの正体(元宮前愚連隊である)を知っていて、これ以上暴行を受けたくないという思いから、証言をするのを控えた可能性もあります。

ちなみに、元宮前愚連隊の伊藤リオンは、父親が中米パナマ人のハーフで、宮前愚連隊の8代目の総長だったとも言われています。
歴代の総長の中でも、ハーフは珍しかったでしょうね。

海老蔵さんを殴った相手が、伊藤リオンだったかどうかは定かではないですが、彼ならやりそうなイメージもありますね。

宮前愚連隊は、やはりある意味キチガイの集団だったということでしょうか。

歴代総長と関係していた原田英俊の人物像

住吉系暴力団の本部長だった原田英俊

出典: https://twitter.com/hashtag/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E8%8B%B1%E4%BF%8A

眼鏡をかけていると暴力団に見えないから不思議ですね。

歴代総長と仲が良かったとされる原田英俊ですが、新宿のある町で若い男性に因縁をつけ、暴行して怪我をさせた疑いで逮捕されました。

住吉系暴力団の本部長だった原田英俊は、警察の取り調べに容疑を認めているそうです。
ただ、同じ暴力団の組員である三人は容疑を否認していることから、原田英俊の単独犯であったとの情報もあります。

原田英俊が逮捕された事件は、東京の新宿路上で通行人に「何こっち見ているんだ」などと因縁をつけ、全身を殴る蹴るなどして暴行を加え、全治二週間の大怪我をさせたというものです。
被害者と原田英俊らには面識はなく、一方的に因縁をつけ、原田英俊ら4人で暴行を加えたとされています。

原田英俊の犯行動機は解明していませんが、「今度歌舞伎町で見かけたら、殺すぞ?」などと因縁をつけたそうです。

ネット上でも、この事件は話題になっていた時期があり、書き込みでも「暴力団とは一人だと何も出来ない癖に、多勢に無勢だとやたらと強気に出る輩。」などと酷評されたこともあります。

暴走族と暴力団は深く関係していることも多いので、せめて一般人に被害が出ないようにはして欲しい所ですね。

まとめ:『宮前愚連隊』とは?

ということで、宮前愚連隊について、簡単にまとめてみました。

歴代総長が変わっても、本質は変わらず、暴力団との繋がりもあった宮前愚連隊。
暴走するだけなら、ハタ迷惑なだけで終わりますが、一般人にも被害が出たこともあったようで、単なる暴走族と片付けるには、危険すぎる集団ですね。

一部では、アウトローが格好良いという人もいらっしゃいますが、リンチで殺すなどを平気でする集団ですから、見かけだけで判断するのは止めた方が懸命です。

宮前愚連隊の総長などが逮捕される度に、氷山の一角では?と思うのは私だけでしょうか?

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