【スペインの天才!ディエゴ・ベラスケス】画家の中の画家であるスペインの天才!

スペインの黄金世紀を支えた男。ディエゴ・ベラスケス。数々の作品を世に送り出した芸術家です。 今回はそんなベラスケスについてまとめてみました。

【スペインの天才!ディエゴ・ベラスケス】画家の中の画家であるスペインの天才!のイメージ

目次

  1. 1ディエゴ・ベラスケスの経歴とは
  2. 2ディエゴ・ベラスケスの生き様
  3. 3ディエゴ・ベラスケスの人生で重要だった人物
  4. 4ディエゴ・ベラスケスの人生と作品
  5. 5その他諸々の作品
  6. 6ディエゴ・ベラスケスのまとめ

ディエゴ・ベラスケスの経歴とは

本名  ディエゴ・ベラスケス
生まれ 1599年6月6日
没年  1660年8月6日
職業  画家
出身  スペイン セビーリャ
受賞歴 フェリペ4世に気に入られて宮廷画家になる。

最近の人風にまとめてみました笑
彼の人生の中でとても大きかったのはスペイン国王のフェリペ4世の国王付き画家に選ばれたことでしょう。
後の人生の中でも30年間は宮廷にいたと記されているので、彼の人生を変えたターニングポイントでもあります。

次に彼の人生の簡単な略歴を見てみましょう。

ディエゴ・ベラスケスの生き様

1599年 6月6日、スペイン、セビーリャにて生まれる。
1611年 当地の有力な画家であるフランシスコ・パチェーコに弟子入りする。(12歳)
1617年 師匠であるフランシスコ・パチェーコから出された試験に合格し、独立。セビーリャの画家組合に加入 (17歳)
1618年 パチェーコの娘フアナと結婚(18歳)
1622年 最初のマドリード旅行に出発(4 月 ~ 翌年 1 月)
1623年 スペインの首席大臣であったオリバーレス伯爵ガスパール・デ・グスマンからスペイン国王フェリペ 4 世を紹介してもらう。
その際にフェリペ4世の肖像画を描き、気に入られて国王付き画家に任命される(23歳)
1627年 国王の私室取次係に任命される(27歳)
1628年 外交官であるペーテル・パウル・ルーベンスと仲良くなる。(28歳)
1629年 第一次イタリア修行に出発(1631 年帰国)
1634年 ブエン・レティーロ宮の装飾事業に携わる(34歳)
1636年 離宮であるトーレ・デ・ラ・パラーダに飾る作品の制作を始める(36歳)
1643年 役人として出世。王室侍従代に任命される(43歳)
1649年 第二次イタリア旅行に出発(1651 年帰国)(49歳)
1652年 役人として出世。王室配室長に任命される(52歳)
1656年 この頃《ラス・メニーナス》(プラド美術館)を制作(56歳)
1659年 サンティアゴ騎士団への加入が認められる(59歳)
1660年 西仏国境のフェザン島にて、王女マリア・テレサとフランス国王ルイ 14 世の婚礼会場の設営を監督
マドリード帰還後の8月6日死去

すごい簡単にまとめると、画家としての才能がスペイン国王に認められて、スペインという王国の中で役人としても出世したというすごい人物ですね。

次に彼の人生のターニングポイントと出会った人物をまとめてみます。

ディエゴ・ベラスケスの人生で重要だった人物

フランシスコ・パチェーコ

出典: https://ja.wikipedia.org

ディエゴ・ベラスケスは18歳までフランシスコ・パチェーコという有力な画家の下で6年間修業していました。
このフランシスコ・パチェーコはもともと孤児でしたが、叔父になってくれた方が知識人だったので、芸術に興味を持ち始めました。

また、画家のアロンソ・カーノも弟子としてフランシスコ・パチェーコは取っています。

少し面白いエピソードですが、ベラスケスがパチェーコの弟子になるためにアトリエに来た時にパチェーコはおらず、旅行中だったらしいです。

そして、1年後に正式にディエゴ・ベラスケスは弟子入りを果たしました。

地場の有権者などのリレーションも築けていたので、相当政治もうまかったことがわかります。
また、パチェーコ自身が後にベラスケスに頼んで自分も宮廷画家にしてもらおうとフェリペ4世のもとに出向いたが断られています。

フアナ

出典: https://ja.wikipedia.org

嫁です。

オリバーレス伯爵ガスパール・デ・グスマン

出典: https://ja.wikipedia.org

ガスパール・デ・グスマンがディエゴ・ベラスケスの人生を最も変えた人物といっても良いでしょう。
当時、宮廷ではなかなか肖像画を描くことのできる人物がいませんでした。
そのため、彼は肖像画を描くことが出来る人物を探していたのではないかと言われています。

フェリペ4世

出典: https://ja.wikipedia.org

スペイン国王だった彼がいたので、ディエゴ・ベラスケスはスペイン最高の画家といわれるまでになりました。
彼は若くして、国王になったため、当初の政治はオリバーレス伯爵が指揮を執っていました。
大きくなってからは自分でも政治の指揮も取り始めますが、スペインの没落するきっかけの年と重なってしまい、政治家としてはいまいちでした。

しかし、その反面、性格は非常に温厚でプラド美術館の礎を作り、後世に残る数々の芸術家を輩出しています。芸術を愛し、乗馬や射撃は名手であった当代随一の目利きです。

ディエゴ・ベラスケスの人生と作品

ディエゴ・ベラスケスがフランシスコ・パチェーコに弟子入りしていた頃は厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた絵画が多く制作されていました。

ポデゴンとは17世紀にスペインで流行した自然の風景をそのまま絵にしたような絵画になります。

ディエゴ・ベラスケスの作品の中でも下記のようなものになります。

昼食(1617年18歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://tnj010.com

卵を焼く老婆(1618年19歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://tnj010.com

卵を焼く老婆

こちらの作品では食器をや調理器具の質感が非常に評価されています。
見るだけで引き込まれるようなキラキラとした感じが描かれています。
また、人物もリアルで当時の様子がそのままうかがえますね。

当時はパチェーコはポデゴンこそ絵画を描くうえで非常に重要なトレーニングになるということで記載させていただいたとのことです。

東方三博士の礼拝(1619年20歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://artexhibition.jp

東方三博士の礼拝

イエス・キリストの誕生を祝って東方の三賢者がベツレヘムの馬小屋で礼拝をするという聖書の場面。

嫁のフアナとディエゴ・ベラスケスの間に子供が2人生まれております。
その際に描いたといわれている作品がこちらです。

聖母が妻ファナで赤子キリストが長女フランシスカ、手前のひざまつく男性がベラスケス本人と言われています。

ルイス・デ・ゴンゴラ(1622年23歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://nobilified.com

ルイス・デ・ゴンゴラ

ディエゴ・ベラスケスが宮廷画家になるためにマドリードに遠征しました。
その際に描いた作品です。

この作品を見て、ガスパール・デ・グスマンはベラスケスをフェリペ4世に紹介しようと決断した作品になるので、ベラスケスの人生を変えた作品といっても過言ではありません。

彼自身はスペインの詩人です。
 

その他諸々の作品

晴れて宮廷画家になり、宮廷内にいるベラスケスが描いた作品になります。
このころからは肖像画が増えてきており、宮廷内で仕事をしているのがわかります。

ガスパール・デ・グスマン(1623年24歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://tnj010.com

ガスパール・デ・グスマン

オーストリアのマリー・アンナ王女(1628年26歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://www.magnoliabox.com

オーストリアのマリー・アンナ王女

若いスペインの貴族(1625年26歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://fr.m.wikipedia.org

若いスペインの貴族

バッコスの勝利(1628年29歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://www.magnoliabox.com

バッコスの勝利

王の画家にして画家の王と呼ばれた巨匠ルーベンスとの交流をおこなう最中に描かれた作品です。
酒の神、バッカスが酒宴に集まった農民たちにブドウの葉の冠している神話画になります。

神話の登場人物を描きながらも実在しそうなタッチで描いている作品です。

ブレダの開城(1634-35年36歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://www.magnoliabox.com

ブレダの開城

ブエン・レティーロ離宮を作った際に正式に依頼されて作った作品です。
この作品はフェリペ4世軍がオランダに勝利したときを記念した実物大の戦況絵画です。
スペインとオランダ間で降伏文書が1625年6月5日に調印された3日後、鍵の受け渡しの場面であり、和解後のシーンです。

ディエゴ・ベラスケスは仲のよかったスピノラという人物をたたえるために描いた作品になります。

休息するマルス(1640年41歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: http://artunframed.com

教皇イノケンティウス十世(1650年51歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://ja.wikipedia.org

教皇イノケンティウス十世

人をメインにするというよりもディエゴ・ベラスケスは彼の衣服や装飾、雰囲気を描いているといえる。
また、色彩に関しても赤が支配的でアクセントとして、肌色や金属部分をこまめに描いている。

マルガリータ王女(1659年60歳:ディエゴ・ベラスケス)

出典: https://nl.wikipedia.org

マルガリータ王女

マルガリータ王女が8歳のときの絵です。
ベラスケスはマルガリータ王女を小さいころから描いています。

ディエゴ・ベラスケスのまとめ

彼は絵描きとしては人生の中でとても成功した人物ではないでしょうか
フェリペ4世に認められて國の中で重要な役人の仕事もしていますし、死ぬまでしっかりと働いています。

好きな仕事でごはんを食べていけた画家の人生だったのではないでしょうか

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Cherish編集部

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