『君が代』の本当の意味とは?現代語訳でわかった日本の国歌は恋文だった!?

日本の国歌『君が代』は、学生時代は歌っても、社会人になって国歌『君が代』を意識するのは、世界大会で日本人が金メダルになった時位ですよね。歌詞の意味は?現代は知らない人もいる?現代語に訳すと少し意味が分かるかな…現代訳はどこでわかるの?意味を調べちゃいましょう。

『君が代』の本当の意味とは?現代語訳でわかった日本の国歌は恋文だった!?のイメージ

目次

  1. 1日本の『国歌』って、言われると『君が代』を歌うけど!歌詞の意味わかっていた?
  2. 2日本の国歌『君が代』の作者は?歌詞は、誰が作ったの?
  3. 3日本の国歌『君が代』って「天皇陛下の世の中」って意味じゃなかったの?
  4. 4君が代の言葉の意味を現代語に細かく訳すとどうなるの?
  5. 5『君が代』とひらがなの関係は?巌と苔をひらがなで書く訳は?
  6. 6日本の国歌『君が代』のでてくる【さざれ石】って現代でも本当にあるんだ
  7. 7日本の国歌『君が代』が恋文と言われる訳は?
  8. 8どうして、日本の国歌に『君が代』に決まったの?
  9. 9『君が代』は、日本の国歌に決まる前は、歌っていなかったの?
  10. 10日本の国歌の『君が代』って歴史を感じるけど、現代まで歴史は、どのくらいあるの?
  11. 11まとめ

日本の『国歌』って、言われると『君が代』を歌うけど!歌詞の意味わかっていた?

出典: http://blog.goo.ne.jp

『君が代』の歌詞は、

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

ですよね。法律で定められている歌詞は、巌も苔もひらがなで書かれているそうです。
歌詞の意味をわかりやすく現代語訳すと、

君の世の中が、
いつまでも永く続きますように。
小石が集まって大きな岩となって、
苔が生えるほどまでに。

となります。

日本の国歌『君が代』の作者は?歌詞は、誰が作ったの?

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君が代の歌詞歴史は古く、平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』(巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)
【我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで】
が元とされています。

古今和歌集の七巻賀歌の冒頭の詞で、題も作者もわかりません。という意味です。作者の【詠み人知らず】とは、読んで字のごとく詠んだ人はわかりませんと言う意味にとれますが、歴史上では、この詞は、もうみんなだよく知っている歌だから自分が詠んだと言っては駄目だよと言う意味だそうです。そのくらいよく知られた詞だったそうです。

出典: https://blogs.yahoo.co.jp

一方では、作者は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていたとされる木地師(木工職人)で、当時は位が低かったために詠み人知らずとして扱われてしまったという説もあるようです。
この詞が朝廷に認められたことから、作者は詞の着想元となった『さざれ石』にちなんで「藤原朝臣石位左衛門」の名を賜ることとなったそうです。

日本の国歌『君が代』って「天皇陛下の世の中」って意味じゃなかったの?

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万葉集や古今和歌集における「君が代」の意味は?

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759年に作られたと言われている万葉集では「君が代」は、「貴方の寿命」という意味で、長(いもの)にかかる言葉でした。
国歌の歌詞が『古今和歌集』の賀歌であるために、「君」とは天皇なのかどうかということがしばしば問題になっています。
『古今和歌集』に収録のされている詞につかわれている一般的な「君」の解釈は、「君」は広くもちいる言葉であって天皇をさすとは限らないそうです。
歴史的に言って作者の意図は天皇陛下だったのでしょうか?
勅撰和歌集なので、全て君は天皇陛下と言う説もありますよね。

君が代の言葉の意味を現代語に細かく訳すとどうなるの?

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『君が代』-現代語訳の意味

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この「君」は天皇陛下のことになります。つまり現代語では「天皇陛下が治る世の中は」と言う意味になります。
これは、明治初期に『君が代』が「国歌」として制定された時に位置付けられていましたが、平成11年に法律で正式な「国歌」に定められた時に、「君」は「天皇」であるとはっきり位置づけられました。

『千代に八千代に』-現代語訳の意味

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現代語訳で「千年も八千年も」となっているのをよく見かけますが、それだと、字のまま。しかし現代語訳よりもっと深い意味があります。「千」や「八千」は実数を表している訳でなくて、数えられない位非常に数が多いという意味です。

『さざれ石』-現代語訳の意味

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さざれとは漢字で、『細れ』と書きます。小さな石のことを指します。
小さな石が、自然の働きによってくっついて、1つの大きな岩のようになったものも『さざれ石』と呼ぶようです。

『いわおとなりて』-現代語訳の意味

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法律で定められた歌詞はひらがなですが巌と書きます。巌とは高くそびえる大きな岩のことです。

『こけのむすまで』―現代語訳の意味

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これも、法律で定められた歌詞ではひらがなですが「苔の生すまで」でしょうね。
小さま石が集まって大きな岩となって、そこに苔が生えるくらい、非常に長い年月を表しています。
古今和歌集が元になっているこの歌詞は、天皇陛下の世の中を石と岩と苔という大自然で表現しようとする作者の感性は、繊細な日本人ならではですよね。
 

『君が代』とひらがなの関係は?巌と苔をひらがなで書く訳は?

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君が代のもとになったとされる 古今和歌集では、作者はひらがなで書いていたようですね。そして、後から、そのひらがなに漢字を当てはめたようです。
現代に生きる私たちは、ひらがなばかりの文章は、読みづらいですよね。
ひらがなと、漢字が使われている文章が、ぱっと見て内容がわかるので、とても読みやすいです。
でも、なんでさざれ石はひらがななんですかね。細石とも書くようですが。

日本の国歌『君が代』のでてくる【さざれ石】って現代でも本当にあるんだ

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古今和歌集での作者はどのさざれ石を見たかはわかりませんが、現代は実際にさざれ石が方々の神社にあります。

日本の国歌『君が代』が恋文と言われる訳は?

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君が代の意味は
「天皇陛下の世の中が、小さな小石が岩となって苔が生すくらいに長い間続きますように」ですよね。
どうして、これが、恋文なのでしょうか。
君を天皇陛下ではなく、恋人にしてみましょう。
「あなたと私の時間が永遠に続きますように」とも解釈できてしまいませんか。
正に恋文ですよね。でも、元歌は賀歌です。作者は恋文の意図はなかったようです。

賀歌って恋文じゃあないの?

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古今和歌集の出てくる「賀歌」は、お祝いの歌です。恋文ではありません。
めでたいことがあった人に贈った歌や、めでたいことがあって欲しい人に贈った歌です。
誕生を祝った歌もありますが、特に長寿を祈る歌が多いです。
ですので、『君が代も』恋文ではなく長寿を祈る歌です。

どうして、日本の国歌に『君が代』に決まったの?

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そもそも、国歌と言うのは、西洋で生まれ外交儀礼上欠かせないものでした。
江戸時代までの日本は歌と言えば謡で雅楽か、庶民の都都逸のようなものでしたよね。
幕末に開国した日本では、幕府も明治政府も、どっと押し寄せてくる西洋文化についていくのが精いっぱいだったと思います。

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外交儀礼の場において軍楽隊(多くは管楽器群と打楽器群から成る吹奏楽の編成が採られる)が演奏するための国歌が日本には必要になりました。
歴史上、西洋音楽と縁の薄かった日本では、西洋音楽にあった国歌を作る必要に迫られました。明治13年元薩摩藩士で、陸軍軍人の 大山巌の愛唱歌である薩摩琵琶の「蓬莱山」より歌詞が採用された君が代に宮内省式部職雅樂課の伶人奥好義がつけた旋律を一等伶人の林廣守が曲に起こし、それを前年に来日したドイツ人の音楽家であり海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが西洋風の、伴奏をつけて国家『君が代』ができあがりました。

『君が代』は、日本の国歌に決まる前は、歌っていなかったの?

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歴史上古今和歌集に掲載されている君が代は、」平安時代に詠まれた詞ですが、
はじめは、初句が『君が代』ではなく『わが君』となっていました。
鎌倉時代(1185年~1333年)『和漢朗詠集』(巻下祝、国歌大観番号775番)以降は、初句が『君が代』となって庶民に広まりました。
元々は年賀のためであったこの詞は、鎌倉期・室町期に入ると、おめでたい歌として賀歌に限られない使われ方が始まり、色々な歌集に祝いごとの歌として収録されることになりました。
仏教の延年舞にはそのまま用いられているし、田楽・猿楽・謡曲などには変形されて引用もされています。
 一般には「宴会の最後の歌」「お開きの歌」「舞納め歌」としてだけでなく「恋の」にも使われていたようです。

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歴史的な文学作品『曽我物語』の曽我兄弟や『義経記』の静御前などにも引用されています。
江戸時代(1603年~1868年)には三味線で曲をつけたものが酒場で流行ったこともあるようです。

日本の国歌の『君が代』って歴史を感じるけど、現代まで歴史は、どのくらいあるの?

出典: https://ameblo.jp

「君が代は」の詞の歴史は、「古今和歌集」より700年も早い神功皇后の時代に存在していて、累々と歌い継がれていた可能性があるようです。
《漢委奴国王印》と印された金印が発見された福岡県・志賀島にある志賀海神社には、神功皇后の三韓出兵(200年)の際に、食前において山誉の神事を奉仕したで、神功皇后からこの神事を「志賀島に打ち寄せる波が絶えるまで伝えよ」と庇護されている神楽歌が古くから伝わっています。そして、4月と11月の祭礼の時に今でも謡われています。

出典: http://shikamarokun.jp

 — 山誉め祭、神楽歌―

 君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで
 あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸に命千歳という
花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
 いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな


「古今和歌集」の詞の作者とも云われる木地師(木工職人)は、九州地方の出身者だったようです。ですので、この神楽歌を都に来てもずっと子孫に伝え、それが平安時代までずっと残っていたのかも?なんて、想像しちゃいますよね。だから、詠み人知らずなのかも?

まとめ

『君が代』は、歌詞の並び方から和歌につながるのだろうなあとは、思っていた人も多いですよね。調べてみると、歴史的に奥が深く古今和歌集から、邪馬台国まで古代ロマンの世界が無限に広がっていきますよね。
こういう詞を、国歌として選んだ、明治時代の役人の感性にも拍手ですが、『君が代』を国歌として歌えるわたしたちも、世界に誇りたいですよね。

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