葛飾北斎の春画『蛸と海女』を解説!タコの現代語訳がヤバすぎて実写化も…

タコと女性の性交を描いた春画『蛸と海女(タコとアマ)』をご存知ですか?今回は、日本だけではなく世界に名が知れている葛飾北斎の波乱に満ちた生涯と日本随一の浮世絵師葛飾北斎が手掛けた春画『蛸と海女』の作品解説と現代語訳。さらに実写化された作品ををご紹介致します。

葛飾北斎の春画『蛸と海女』を解説!タコの現代語訳がヤバすぎて実写化も…のイメージ

目次

  1. 1江戸時代の鬼才葛飾北斎
  2. 2葛飾北斎の代表作と解説
  3. 3葛飾北斎の破天荒な生涯
  4. 4葛飾北斎が春画を描いた理由
  5. 5江戸時代の春画規制
  6. 6葛飾北斎が手掛けた春画
  7. 7作者名鉄棒ぬらぬら先生
  8. 8葛飾北斎の春画代表作『蛸と海女』
  9. 9作品中のタコにおける解説
  10. 10春画『蛸と海女』原文
  11. 11春画『蛸と海女』の現代語訳と解説
  12. 12春画『蛸と海女』は触手モノの原点
  13. 13春画『蛸と海女』の実写化
  14. 14春画『蛸と海女』の実写その1
  15. 15春画『蛸と海女』の実写その2
  16. 16春画『蛸と海女』のリメイク
  17. 17日本初の春画展
  18. 18春画『蛸と海女』を観るには

江戸時代の鬼才葛飾北斎

出典: http://www.lib.city.tsuru.yamanashi.jp

葛飾北斎(かつしかほくさい、1760年10月31日-1849年5月10日)は江戸時代後期の化政文化を代表する浮世絵師の一人です。 風景画をはじめ春画、奇想画など多岐にわたる浮世絵を描いており、代表作には『富嶽三十六景』、『北斎漫画』、『蛸と海女』など一度は耳にしたことがある日本を代表するアーティストです。

葛飾北斎の代表作と解説

『神奈川沖浪裏』作品解説

『神奈川沖浪裏』は、葛飾北斎が作成した木版画で1831年頃に出版された連作浮世絵『富嶽三十六景』の作品の一つです。現在の神奈川県横浜市本牧沖から富士山を眺めた図で、巨大な波に翻弄される船の背景として富士山を描いた葛飾北斎の作品の中で最も著名な作品です

出典: https://takezasado.com

『北斎漫画』作品解説

『北斎漫画』は、葛飾北斎の絵手本としてのスケッチ画集で海外では「ホクサイ・スケッチ」とも呼ばれています。
葛飾北斎が1812年頃にパトロンで門人あった牧墨僊(まき ぼくせん)の自宅に半年ほど居候していたときに描いた300余りの下絵を、1814年に名古屋の版元・永楽堂から出版され高い評価を得た作品です。
その後十五編が発行され、人物、風俗、動物、植物、妖怪、幽霊など約4000図が描かれています。
『北斎漫画』は日本国内の好評だけではなく、1830年に日本から陶器などの美術品の包装として偶然ヨーロッパに渡り、フランスの印象派の画家クロード・モネ、ゴッホ、ゴーギャンなど名だたる画家たちの作品に影響を与え、ヨーロッパにおけるジャポニズムにも欠かせない存在となりました。

出典: https://mag.japaaan.com

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葛飾北斎の破天荒な生涯

葛飾北斎について


出典: https://travel.navitime.com

本名:中島八右衛門
出身地:武蔵国葛飾郡(現在の東京都墨田区)
誕生:1760年10月31日
死没:1849年5月10日(享年90歳)病死による

絵師を目指す

貧しい百姓の家庭に生まれた北斎は、1764年に幕府御用達達磨師であった中島伊勢の養子となりましたが、実子が家督を譲ることになったので、中島家を出ます。その後は、貸本屋の丁稚や木版彫刻家に弟子入りするなどし画道に興味を持ち実家に戻ります。

絵師としての葛飾北斎

出典: https://letterpresslabo.com

18歳の葛飾北斎は絵師になるために、浮世絵師・勝川春章に弟子入りします。北斎の才能はすぐに開花し、19歳の時に春朗の名で『瀬川菊之丞 正宗娘おれん』という歌舞伎役者の絵図でデビューを飾ります。

人生の転機

絵に対する異常なまでの好奇心ゆえに、狩野派など違う派の技法を師匠の勝川春章に内緒で学んでいたことがバレてしまい、34歳で破門されてしまいました。
北斎は生活に困りながらも大好きな絵を描き続けます。さらに北斎はオランダから来た風景画に魅了され、今までは単なる背景の一部にしか過ぎなかった景色を、ずば抜けた色彩感覚と独自の構図で北斎ならではの魅力のある風景画を確立していきました。しかし北斎はわずかな収入で生活が苦しく、描きたい絵図だけでは生活することが難しかったため、春画をはじめとしたあらゆる種類の絵図を描きました。

出典: http://shunga-ukiyoe.com

葛飾北斎の伝説:93回の転居

北斎は93回を上回る引っ越しをしたことでも有名です。一日に3回に引っ越しをしたこともあるそうです。
引っ越しの多い北斎は、当時住所不定。北斎自身と同居していた娘のお栄(葛飾応為)と引っ越しを繰り返していた。北斎とお栄は絵を描くことに集中していたため、部屋が汚れたり散らかるたびに引っ越しをしていました。
また北斎は、生涯百回引っ越す百庵という人物に倣って自分も百回引っ越したいと言った説もあります。
北斎の93回の引っ越しは常軌を逸していますが、江戸時代の庶民は引っ越しの回数が現代よりもかなり多かったと言われています。

葛飾北斎伝説:30回の改号

北斎は生涯に30回と頻繁に改号したとされています。
現在よく知られている「北斎」は、「北斎辰政」の略称です。これは、北極星と北斗七星を神格化した日蓮宗系統の北辰妙見菩薩信仰にちなんでいます。
30回の改号の理由として、弟子に号を譲って収入を得ていたという説や、北斎の才能をを隠して表に出さない性格が理由としてあげられています。

葛飾北斎が春画を描いた理由

理由1:高品質な春画

日本を代表する浮世絵師である葛飾北斎がなぜ春画なんて描いていたのか?と疑問に思う方もいらっしゃると思いますが、そこにはちゃんとした理由が
江戸時代の特に後期のほとんどの浮世絵師は春画を描いていたそうで、葛飾北斎のような高度な構図技術を持っている浮世絵師のお陰で質の高い春画が今でも多くの残っています。

理由2:色の規制

出典: http://shunga-ukiyoe.com

江戸幕府は出版統制令により、浮世絵の価格は16文(現在の264円)まで色数は7、8色までと規制しました。一方春画はそもそも裏で取引される公に出ない出版物であり、江戸幕府の検閲を通さないため浮世絵師たちは思う存分作品を仕上げたそうです。当時の春画が色彩が豊かなだった理由も頷けます。
さらに、春画は需要も高く高値で取引されたことも葛飾北斎が春画を描いた理由の一つと言えるでしょう。

江戸時代の春画規制

春画の出版が公的に禁止されたのは江戸時代、風紀を乱すという理由により禁令を出したのが享保7年(1722年)の改革です。この改革では好色本禁止令が出され春画などの出版物が対象となりました。好色本禁止令の発令を機に春画は地下出版され作者の本当の名前を書かなくなりました。
続いて寛政(1790年)の改革時にも禁止令が出されましたが、絵師たちは一時春画作成の自主規制しましたが影響はありませんでした。
さらに天保(1841年)の改革では、江戸時代最大級の春画などの好色本の取締が行われて春画業界は衰退を辿りました。

葛飾北斎が手掛けた春画

春画『萬福和合神』

出典: https://www.sankei.com

葛飾北斎が画作と共に最後に手掛けた好色本『萬福和合神』(まんぷくわごうしん)の表紙は、性器の顔をした男女が手を取り合っている様子が描かれています。この作品は主人公である二人の女性の男性たちとの性遍歴をテーマにした作品で、男女が手を取り合って幸せになるという内容と合致した表紙はアイディアに富んだ絵になっています。

現代語訳版でよみがえる

現在『萬福和合神』は、春画と現代語訳に加えて分かりやすい解説と共に読める書籍が出版されています。
 

作者名鉄棒ぬらぬら先生

葛飾北斎=鉄棒ぬらぬら先生

葛飾北斎は春画を描く際の春画用ペンネームが江戸時代とは思えないほどハイセンスであると話題になっています。
その名も鉄棒ぬらぬら先生。なぜ葛飾北斎が鉄棒ぬらぬら先生という名前にした理由やさらに鉄棒ぬらぬら先生の現代語訳も分かりません。他には紫色雁高(ししきがんこう)というこれはまたパンチの効いた春画用ペンネームでも作品を残しています。もちろん今回紹介している春画『蛸と海女』のペンネームは鉄棒ぬらぬら先生です。

鉄棒ぬらぬら先生に対する反応

鉄棒ぬらぬら先生の薄い本で抜いたことのある武士っていたのかな
— しぐれすと (@Shigurest766) April 25, 2017

鉄棒ぬらぬら先生なんて名前はは今のエロ同人誌の作者の名前にもありそうですね。このように鉄棒ぬらぬら先生というペンネームに対する評価は高いとされています。

葛飾北斎=画狂老人卍

葛飾北斎は多く改名した絵師であることでも有名です。実は葛飾北斎の名で活動したのはそんなに長くなく、金に困った葛飾北斎は弟子に「北斎」の号を売ったこともあるそうです。晩年にかけて葛飾北斎は、「画狂老人卍」の名で活動していたといわれています。鉄棒ぬらぬら先生に然り、画狂老人卍というまるで時代を先取りしているようなハイセンスさには脱帽ものです。

葛飾北斎の春画代表作『蛸と海女』

出典: https://edo-g.com

『蛸と海女』作者:鉄棒ぬらぬら先生

蛸と海女』は葛飾北斎によって描かれた春画で、1820年頃の艶本『喜能会之故真通』(きのえのこまつ)中の一枚です。 海女の女性が二匹の蛸に捕らえられ小蛸から接吻を受け、大蛸からクンニリングスを受けているという構図で性的快楽に浸っている様子が描かれています。

作品中のタコにおける解説

なぜタコなのか?

『蛸と海女』に先行する類似作品として、江戸時代の浮世絵師北尾重政の好色本『謡曲色番組』や勝川春潮の好色本『艶本千夜多女志』を北斎が参考にした可能性があります。

タコについて

葛飾北斎の『蛸と海女』は、日本だけではなく海外でも著名な作品です。海岸の岩間で触手生物の蛸が人間に絡み付くという大胆な構図の作品で、北斎の独自の発想から描かれたと認識されやすいですが実は、北尾重政の『謡曲色番組』(ようきょくいろばんぐみ)の『海士(あま)』のパロディーとして描かれたものです。

北尾重政『海士』中のタコの解説

重政の『海士』で、房前のために宝珠を竜宮城から取り返しに行った海女の女性(房前の母)が竜神(蛸)に襲われる場面があります。
北斎の『蛸と海女』では、「いつかはいつかは狙ひすましてゐた甲斐あつて(中略)いつそ竜宮へ連れていつて囲つておかう」という台詞があるように、北斎の『蛸と海女』に出てくる大蛸は重政の『海士』の竜神と化身であるという理由付けができ、北斎の『蛸と海女』では生意気なキャラクターの小蛸の登場、執拗な擬態語や喘ぎ声を北斎は独自に取り入れました。

勝川春潮『艶本千夜多女志』の解説

勝川春潮(生没年不詳)は江戸時代の浮世絵師です。役者絵師春川春章の門下でしたが、主にライバルであった鳥居清長風の紅嫌い(紅など派手な色は使わず、墨色などを基調とし、黄色、藍、紫、緑を僅かに取り入れる技法)による優雅な美人画で知られています。
春川春潮の女性を描く際の美しい線と人物を大きく描く構図が北斎の『蛸と海女』に応用されているそうです。

春画『蛸と海女』原文

出典: http://ure.pia.co.jp

『蛸と海女』は絵の余白に物語が書かれている構図となっています。物語の作者も鉄棒ぬらぬら先生こと葛飾北斎です。

女性とタコの台詞

『蛸と海女』は江戸時代に江戸時代に描かれた作品であるため、専門的な古文の知識がなくても現代語訳に近い感覚で読めることができます。

大蛸:いつぞハいつぞハと、ねらいすましてゐたかいがあつて、けう(今日)といふけう、とうとう、とら(捕ら)まへたア。ても(ママ)、むつくりとしたいいぼぼた(ママ)。いもよりハ、なを(尚)、こうぶつだ。サアサア、すつてすつて、すいつくして、たんのふ(堪能)させてから、いつそ、りうぐうへつれていつて、かこつて(囲って)おこうか。 女:ズウツズツズツニ、チユツチユチユツ、ズウツズウツ、フゝゝゝウ。アレ、にくいたこだのう。うフゝゝゝ。ヱゝ、いつそ(いっそ)、アレアレ、おくの、フゝゝゝ、こつぼのくちをすハれる(吸われる)ので、いきがはづんで(弾んで)、アゝヱゝモ。イツク(一句)、『それなア、いぼ(疣)で、ヱゝフウフウ、いぼで、ヱゝフウフウ』。そら、われをいろいろと、ヲゝヲゝアレアレ、こりやアどうするのだ。アゝヨウヲゝヲゝヲゝホヲゝ、アゝレヱヲゝヲゝ、いゝいゝ、ヲゝいゝいゝいゝ。ハアゝ、アゝいゝいゝ、ハアいゝ、フゝゝゝウ、フゝゝゝウ、まただヨウヨウ。いままで、わたしをば、人が、アア、フゝゝゝウゝウゝウゝ、たこだ、たこだといった(言った)がの、ヲゝフゝウゝウゝ、どふして(どうして)どふして、ヱゝヱゝ、この、ヲゝ、ヨヨヨウ、サアデヱハ(さては)、アゝアゝアゝ、ズウズウズウ、ひちやひちや、ぐちやぐちや、じゆつちうちゆちゆちゆ、ぐうぐう、ズウズウ。なんと、八ほんのあしのからミあんばい(塩梅)ハ、どふだ(どうだ)どふだ。あれあれ、中がふくれあがつて(膨れ上がって)、アゝアゝ、ゆ(湯)のやうな(ような)ゐんすい(淫水)、ぬらぬらぬら、どくどくどく。 ヱゝ、モゝウ、くすぐつたく(くすぐったく)なって、ぞつぞつと、こしにおぼへ(覚え)がなくなって、フゝゝゝウ、フゝゝゝウ。きり(切り)もさかい(境)もなくの、ヲゝヲゝヲゝ、いきつづけ(行き続け)だアな。アゝアゝアゝ、アレアレ、ソレソレ、ウゝゝくゝゝ、フンムフウム、ウゝウゝ、いゝヨいゝヨ。 小蛸:おやかた(親方)がしまふ(しまう)と、また、おれがこのいぼで、さねがしら(核頭)からけつのあなまで、こすつてこすつて、き(気)をやらせた(遣らせた)うへ(上)で、また、すいだしてやるにヨ、チウチウ。

春画『蛸と海女』の現代語訳と解説

女性とタコの現代語訳にあたって

現代語訳では、原文における擬態語や女性の喘ぎ声についても現代語訳で表記しています。

春画『蛸と海女』現代語訳

大タコ:いつかいつかと狙っていた甲斐あって今日という今日とうとう捕まえた。ふっくらとした弾力のあるいいマ○コだ。芋よりいっそう好物だ。さあさあ、吸って吸って吸い尽くして堪能させてからいっそのこと竜宮城に連れていって性奴隷にして囲ってやろうか。
海女の女性:ズズズ......ズズズ......(擬態語)憎いタコ!その口でアソコを吸われてどうしても息が乱れて喘いでしまう。ああ......ええ......こんなに吸って!中で掻き回されてる!
大タコ:この八本の足を全て使って絡め取ろう。おや......?中が膨れ上がっているぞ?湯のようなイヤらしい液がどくどくと溢れだして......
海女:ええ......そうなの出てるの......もう気持ちよくて腰が浮くような感覚。全ての垣根も境も消えてしまいそう!ああ......消えてしまいそう!イクぅぅぅぅ!!!
今までは男たちが、私をタコだタコだと言っていたのに......どうして、どうして......この......ああんタコが......
小タコ:親方が終わったら、今度は俺がこの吸盤でクリ○リスから肛門まで全ての穴を犯してやろう。お前がイって果てるまで、吸い尽くしてやろう。

解説:タコと芋について

芋よりいっそう好物だ・・・江戸時代、タコは芋が好物で芋のある畑を荒らすため海から地上に上がって来たという理由から

解説:タコ

女性は男性からタコだと言われた・・・自分はタコのように吸い付きがよい名器であったので、男性を魅了していたの意

春画『蛸と海女』は触手モノの原点

触手モノとタコ

触手モノ(しょくしゅもの)または触手責め(しょくしゅぜめ)は、架空のポルノ作品においてイカやタコのような軟体動物が触手を用いて人間の主に女性と性行為に及ぶシチュエーションを意味します。

現代の触手

現代では、触手モノは漫画やアニメで表現されています。蛸のみならず、エイリアンなどの未確認生命物体も触手モノのジャンルに組み込まれていきました。

春画『蛸と海女』の実写化

リアルタコ

今までは人間の女性と蛸の性交は実写不可能であるとされていましたが、映画や写真などの技術が発達した現代では『蛸と海女』の実写化が可能になりました。ここからは、『蛸と海女』の実写を試みた作品をご紹介致します。

春画『蛸と海女』の実写その1

映画『北斎漫画』

出典: https://eiga.com

タコと女性の実写シーン

春画『蛸と海女』の実写その2

生きたタコとのコラボレーション


池袋で行われた写真展「Numeru Numada-ぬめなま展-」では女性が生きた蛸を身体に巻き付けた触手モノ作品が展示されており、構図からまるで春画『蛸と海女』の実写化と話題を呼びました。

出典: https://www.huffingtonpost.jp

春画『蛸と海女』のリメイク

出典: https://ameblo.jp

青年向け漫画家、イラストレーターとして活躍する叶精作氏による春画『蛸と海女』のリメイクです。原作の『蛸と海女』の構図と雰囲気をそのまま残し、女性の身体を美しい色と線でリメイクしています。

日本初の春画展

大反響の春画展


東京都文京区の永青文庫で2015年9月19日~2015年12月23日まで日本初の春画を主に展示した展覧会「春画展-shunga-」が開催されていました。2013年に大英博物館で開かれた「Shunga:Sex and Pleasure in Japanese Art」からの作品18点を含む約200点の春画が展示され、18禁制で開催された。
春画展では時代を遡ること平安時代の枕絵をはじめ、葛飾北斎や喜多川歌麿など江戸時代を代表する浮世絵師たちの春画が展示され、会場にはのべ20万人を越える人たちが訪れました。

出典: http://ebook.itmedia.co.jp

春画『蛸と海女』を観るには

春画である『蛸と海女』は特別な展覧会の催しがない限りなかなかお目にかかれない作品ですが、実写化された作品や現代語訳されたアニメなどの二次作品も多いので『蛸と海女』を身近に感じることができます。

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