2021年07月01日公開
2021年07月01日更新
小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像とは?出身や経歴、家系図も紹介
小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像とは?小池百合子の父親の小池勇二郎氏は貿易商で大の政治好きでした。かって衆議院選挙に出馬して落選したこともあり、その際「一家心中する」との発言に泣きじゃくったのが現都知事の百合子氏でした。
目次
小池百合子の父親「小池勇二郎」氏とは
現東京都知事の小池百合子さんの父親がどんな人物なのか?出身は?家族は?結婚は?子供は?経歴は?家系図は?など大変興味があるので調べてみました。
小池百合子さんの父親は「小池勇二郎」という名前で、旧海軍の出身です。
昔のことはハッキリ分かりませんが、聞く話によれば、海軍の軍人さんは「MMK」(旧海軍の用語で「「モテて、モテて、困る」の意味」)という言葉ができる程、当時の若い女性にはモテモテだったらしく結婚相手として引く手あまたでした。なので、おそらくは小池さんの父親も順風満帆な青春時代を過ごしたのでは?と想像します。
どうも、旧陸軍より旧海軍の軍人の方が人気があったらしく、とくに広島の江田島にあった「海兵(海軍兵学校)」出身の学生は、難関試験に合格して将来の出世が約束された幹部候補だったわけですから、モテない理由がないですね!
小池百合子さんの父親「小池勇二郎」さんが、「海兵(海軍兵学校)」の出身かどうかは不明ですが、写真のお顔を拝見すると若い頃はシュッとした"イケメン"だったことが伺えるハンサムな顔立ちなので、
「MMK」状態だったことは、ほぼ間違いないと想像します。
そんな小池百合子さんの父親「小池勇二郎」さんですが、日本が戦争に負けた終戦後は、神戸で衣料品関係や石油関連の商品を扱う貿易関係の会社を経営し、財産を築かれました。
しかし、父親の小池勇二郎さんが本当に興味があったのは、「ビジネス」ではなくて「政治」だったんです。
そして政治が大好きな小池勇二郎さんは、国政選挙に立候補して落選してしまいます。そして、経営していた貿易会社も倒産…。
この時期から、それまで順風満帆だった旧海軍出身のエリート「小池勇二郎」氏の人生に影が落ちてきます…。
当然、神戸の高級住宅街である芦屋のお嬢さんだった「小池百合子」さんや家族の人生にも変化が襲ってきます。
ここまでの経歴を見ただけで、小池百合子さんの父親である「小池勇二郎」という人物は、波乱万丈な人生を送ったことは分かると思います。
小池百合子の父親「小池勇二郎」の経歴・人物像
じつは、小池百合子の父親「小池勇二郎」さんは単なるスマートな経歴(旧海軍出身のエリート)の持ち主ではなかったという話もあったりしますので、もう少し詳しく父親「小池勇二郎」氏や家族の経歴を見ていこうと思います。
小池百合子の父親「小池勇二郎」の経歴
小池百合子の父親である「小池勇二郎」氏の経歴を調べると、出身は神戸でした。
大正十一年に神戸で生まれた父親「小池勇二郎」さんは、第二次世界大戦中は旧海軍に在籍しました。(一説では、海軍中尉をしていたという話もあるようです。)
また、満鉄の経理部にも在籍した経歴もあり、野球チーム「満鉄クラブ」でショートをこなすほどの運動神経の持ち主でした。
日本が戦争に負けて、第二次世界大戦が終戦になった後は、"ペニシリン"で一儲けをしたらしいです。
その後、小池百合子さんの父親は"重油を関西電力に卸す商売"や"ガソリンスタンド経営"など、石油関係の取引きを行うビジネスを基盤にして事業を拡大発展させて石油会社などを4社も経営していました。
その後、三十代という若さで「関西経済同友会」の幹事に就任していることからも、小池百合子さんの父親は海軍の軍人から貿易を手がけるビジネスマンへの転身は大成功だった模様です。
闇屋だった?小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像
東京都知事「小池百合子」さんは、実家が兵庫県の芦屋にあったお嬢さん育ちの典型というイメージがあったりしますが、じつは、そうでもなかったようです。
というのも、小池百合子さんが育った家は、いわゆる芦屋の高級住宅街とは離れた場所にあり、父親の小池勇二郎氏は、貿易商になる前は、闇屋稼業などに携わっていた、という話があります。
しかし、これはある意味自然な話で、敗戦直後の日本では、誰でもがその日その日を生き抜くのに精一杯だったので、父親の小池勇二郎氏が、海軍の軍人という仕事を失って収入が途絶えた後、自分と家族を養う為に必死に闇屋をやっていたという話は、それが当時は当たり前だったんだろうという感想しかありません。
家族を養う父親として、小池勇二郎さんも頑張っていたんですね。
また、小池勇二郎さんは、戦時中右翼的な思想団体「スメラ塾」のメンバーとして活動していました。
スメラ塾とは?小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像
スメラ塾の所在地は、東京市京橋区銀座で、塾頭は「末次信正海軍大将」だったそうです。
「日本世界史建設戦士の養成」を目的とし、高嶋辰彦(陸軍大佐)、小島威彦(国民精神文化研究所)、仲小路彰らが中心となって設立した団体。スメラ学とはシュメール文明研究のことだが、スメラ学塾においては、スメラ=すめらぎ、ということで(?!)、日本人はシュメール文明の末裔であるということらしい。
小池百合子の父親「小池勇二郎」さんは、戦時中に、このスメラ塾で学んだ「思想」や「世界観」を戦争が終わった後も引きずっていたようで、自分の子供(息子や娘)にも語って聞かせていたらしいです。
子供というのは、つまり小池百合子さんのことです。
父親から、よく兄弟揃って、上のような思想の教育を受けている光景が目に浮かびますね。
政治家としての「小池百合子」さんの基本的な考え方は、父親から聞かされた、この辺りの思想がルーツになっているのかも知れません。
小池百合子氏の家族や兄弟、家系図について
父親「小池勇二郎」さんの「思想」や「世界観」を聞かされたという小池百合子さんの家族ですが、家族構成(兄弟、家系図)などはどうだったんでしょうか?
小池百合子さんの兄弟は3人で、小池さんは兄弟の長女で、上にお兄さんがいました。
(家系図的には、ご両親と子供3人の5人家族ということになります。)
(もう一人のご兄弟については詳しいことは不明です。)
また、小池百合子さんの最大の理解者は、父親でなく母親の小池恵美子さんでした。
娘の百合子さんが何かに挑戦しようする時、いつも一生懸命応援してくれたのが父親ではなく母親の小池恵美子さんでした。
小池百合子氏の家族や兄弟、家系図についての動画
小池百合子氏の家族や兄弟、家系図についてまとめた動画です。
大言壮語癖があった?小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像
小池百合子の父親「小池勇二郎」さんと交流があった知人の話によれば、
・自称「元海軍将校」で、戦争中にアジア解放の使命を軍部に命じられた。
・敗戦後も、一部の政治家や元高級軍人らからの密命を帯び、世界中を飛び回っていた。
・(娘の百合子さんを)カイロ大学で学ばせたのも「自分が新たな大東亜共栄圏建設のために世界中を歩いた結果のコネクション」
など、話す内容の全てのスケールが大きすぎて、どこまで小池氏の父親の話が真実だったのかは分からない…、との話があります。
その一方で、
・真剣に政治のことを考えていた人だった。
・金儲けのために政治運動家を自称していたような人ではない。
との情報もあり、小池氏の父親が突然電話をかけてきては、「今自分が総理大臣だったらこうする。」と真剣に語りはじめ、周囲を困惑させることもあったとのこと。
少しずつ、小池百合子の父親「小池勇二郎」さんの人物像が分かってきた気がします。
地獄の底に追い込まれていた小池百合子の父を助けた過去を持つ総裁からメッセージ【ネット TV ニュース.報道】朝堂院大覚 都政改革都民会議 2017/06/14
小池百合子の父親「小池勇二郎」氏に関する興味深い動画です。
ビックリする意外な人脈?小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像
多少、大言壮語癖?気味だった政治好きの父親「小池勇二郎」氏は、当時青年作家だった石原慎太郎氏が、参院選全国区に出馬する際、関西地区の選挙責任者となり、結果的に301万票という過去最高の得票で当選させました。
これで自信をつけたのか、自分も翌年の衆議院総選挙に立候補します。
しかし、この時は自民党の公認は得られず、無所属で立候補することになってしまいます。
小池勇二郎さん自身は、石原慎太郎との関係があるので大丈夫、と思っていたようですが、結果的には7000票しか得票できず落選してしまいます。
父親である「小池勇二郎」氏の落選について、娘の小池百合子氏は、
「有権者相手に(日本の話はせず外国の)アルジェリア情勢などを語る演説では勝てるはずもなかった。」
と回想して述べています。
じつはこの時、父親の小池勇二郎氏の選挙をサポートしたのが、鴻池氏と浜渦氏でした。
鴻池氏とは、自由民主党所属の参議院議員で、「森友学園」問題で理事長夫妻の陳情を受けていた鴻池祥肇元防災相。
浜渦氏とは、石原慎太郎の側近として知られ、豊洲市場移転の土地取得交渉にあたった浜渦武生元東京都副知事。
ちなみに、小池百合子さんがまだ子供の頃、浜渦氏は勇二郎氏の書生として芦屋の小池邸に住み込んでいたんです。
これには少なからず因縁めいた関係を感じてしまいますね。
海外移住?小池百合子の父親「小池勇二郎」の人物像
選挙に落選したことが影響したのか、父親「小池勇二郎」氏が経営していた会社はその後倒産してしまいます。
しかし、桁外れに元気でエネルギッシュな人だった「小池勇二郎」氏は、この後一家でエジプトに渡ることになります。
そして、カイロで日本料理店『なにわ』を経営するなどスケールの大きな夢を追うことは諦めませんでした。
じつは、カイロで日本料理店を始めたのは、父親でなく母親の恵美子さんが発案者だったそうです。
小池百合子さんの両親は、父親だけでなく母親も規格外にスケールが大きい人物だったようです。
そんな両親の子供である小池氏は、ご両親のDNAを受け継いでいるのですね。
結婚は?旦那や子供はいるの?小池百合子さんの家族について
じつは小池百合子さんは結婚歴があり、過去には旦那さんが居られました。それは小池さんが大学3年生のことでした。
小池さんの両親は、結婚に大反対でしたが、小池さんは両親の反対を押し切って旦那となるその男性と結婚しました。
しかし結局この結婚は続かず、僅か3年でのスピード離婚となってしまいました。
旦那さんとの離婚理由は、旦那さんがサウジアラビアでの就職を選び、小池さんがカイロ大学での留学続行を選択したためです。
結局その旦那さんとは、子供も作らず結婚生活は終わりました。
家系図的にはお子さんができなかったのが残念ですし、本人も後悔はあると述べています。
ご本人は、旦那さんには「それでも感謝しています。」と述べています。
本人からあまり語られないので、小池さんの結婚歴や旦那さんの有無についてはあまり知られていないようです。
まとめ
小池百合子さんは父親「小池勇二郎」さんが立候補した時、「落選したらどうなるの」と母に尋ね、母は「一家心中する」と答えたそうです。
そして父は落選。その日、選挙事務所で泣きじゃくっていた若き日の小池百合子さんがいました。
良くも悪くも、小池百合子さんは父親「小池勇二郎」さんと母恵美子さんのDNAをしっかり受け継いで居られるようです。
ご両親から生まれた子供なので当たり前ですが…でも本当に凄い家族だと思います。