江戸時代の浮世絵にスカイツリーやハンバーガーが…歌川国芳の正体に真相が!

江戸時代の浮世絵師、歌川国芳が描いた浮世絵になんとスカイツリーが描かれ、また他の絵師の浮世絵にはハンバーガーが描かれていると評判になっていますが、その正体や真相は? 今回は、歌川国芳の描いたスカイツリーや、ハンバーガーの真相、その正体に迫ります。

江戸時代の浮世絵にスカイツリーやハンバーガーが…歌川国芳の正体に真相が!のイメージ

目次

  1. 1浮世絵に描かれたスカイツリーやハンバーガーの謎とは?
  2. 2歌川国芳の浮世絵にスカイツリー? 新聞でも話題に!
  3. 3歌川国芳が浮世絵に、スカイツリーを描いていた!
  4. 4歌川国芳の浮世絵に描かれたスカイツリーの 真相の正体に迫る!
  5. 5歌川国芳の浮世絵 スカイツリーの真相を裏付けるその正体はこれだ!
  6. 6歌川国芳の浮世絵「スカイツリーの謎」を明かすもう一つの真相!
  7. 7歌川国芳の浮世絵に描かれたもう一つの予言!
  8. 8歌川国芳の浮世絵を拡大してみると!
  9. 9歌川国芳はiPhoneの出現も予知していた!
  10. 10更なる、iPhoneが描かれた浮世絵の真相とは?
  11. 11浮世絵に描かれたハンバーガーの正体の真相とは?
  12. 12この浮世絵にも、足元にハンバーガーが!
  13. 13このハンバーガーの浮世絵の正体は、現代アートだった!
  14. 14歌川広重が描いた浮世絵にも未来予知の謎が!
  15. 15歌川広重が残した、未来の予言!
  16. 16[まとめ]

浮世絵に描かれたスカイツリーやハンバーガーの謎とは?

出典: http://pds.exblog.jp

歌川国芳は江戸時代を代表する浮世絵師の一人で、奇想天外なアイデアを持ち、斬新なデザイン、確かな絵筆の技術により、広範な魅力を持つ作品を多数生み出し、特に彼が描く「武者絵」が人気を博しました。
上の図は、彼の得意とするだまし絵のひとつで、人間の体を組み合わせて、顔や手を描くという、奇抜で斬新なアイデアの傑作です。

歌川国芳の浮世絵にスカイツリー? 新聞でも話題に!

出典: http://livedoor.blogimg.jp

江戸時代の浮世絵師、歌川国芳が描いた絵にスカイツリーらしき塔が描かれているというミステリーがネット上で評判となり、新聞でも取り上げられ「スカイツリーの謎」として話題になりました。
一説には、このスカイツリーと思しき塔は当時の「相撲やぐらではないか」と言われていますが、確たる証拠がなく、ネット上などでこの画像を見た人が「浮世絵にスカイツリー」という、嘘とも言えぬ、まことしやかな都市伝説が広まっていきました。
また歌川国芳が未来を予言してこの絵を描いたのではないかという見方もあり、そのミステリーは「スカイツリーの謎」としてネット住人の噂となっています。

その「スカイツリーの謎」と言われているのが、下の浮世絵です。

歌川国芳が浮世絵に、スカイツリーを描いていた!

出典: http://livedoor.blogimg.jp

まずはこちらの絵をご覧ください。
これは歌川国芳が江戸時代天保2(1831)年に描いた「東都三ツ股の図」という絵で、隅田川の河口で二人の職人が船の底を焼いている煙が上空に上がっているという、のどかな風景を描いた浮世絵です。
ここで絵の左側を見てください。
二本の塔らしきものが描かれその高い方の塔が、スカイツリーにソックリと言われ、歌川国芳が現代のスカイツリーの存在を予言して描いたのではないかと、ネット上で大評判になっているスカイツリーの画像です。

このスカイツリー謎と言われる画像部分をもう少し拡大したのが、下の画像です!

歌川国芳の浮世絵のスカイツリーと言われている部分を、拡大してみると!

出典: http://cdn.buzz-plus.com

この画像の左側の低い方の塔は、調べていくと当時の記録があり実在した火の見櫓(やぐら)ということです。
さてここで、その右側に描かれている高い塔は何なのかというミステリーを調べていきます。

この「スカイツリーの画像」に描かれている右側の塔に関しては特に記録も無く、その形状も現在の東京のシンボルのスカイツリーにソックリという訳で、「歌川国芳に予言の能力があり江戸時代にスカイツリーを描いたのではないか?」と囁やかれ嘘とも言えない「スカイツリーの謎」という都市伝説が広まりました。
それでは現在のスカイツリーの画像と比べた下の図を見てください!

歌川国芳の浮世絵に描かれたスカイツリーの 真相の正体に迫る!

出典: http://morrich.cocolog-nifty.com

スカイツリーとの比較

見れば見るほど、その形状や、建ち位置などまるで嘘のようにスカイツリーに似ていますね。

それではこの「スカイツリーの画像」に描かれている塔は一体何だったのでしょうか?
この当時の江戸時代では、江戸城より高い建物は禁止されていたので、この絵にあるような高い塔が、実際に永久的に建てられたとは考えにくいのです。

一番考えられるのが、井戸掘り用の櫓だったのではないかという見方です。
当時海に近い場所では深く掘らないと真水が得られず、井戸もかなり深く掘る必要があったと言われています。
一般的に井戸を掘る櫓の高さは、その掘る井戸の深さに比例した高さが必要とされ、ここでは掘る井戸が深かったため、櫓も相当高く建てられたという事でしょう。
そしてこの「スカイツリーの画像」のミステリーに出てくる塔は、一時的に建てられていた井戸掘り用の櫓だったのではないか、という説が一番有力となっています。

歌川国芳の浮世絵 スカイツリーの真相を裏付けるその正体はこれだ!

出典: http://livedoor.blogimg.jp

井戸掘り櫓

この図は江戸時代の井戸を掘っている所を描いた浮世絵ですが、やぐらの形状など、スカイツリーの謎と言われている絵の、スカイツリーの画像と似ていますね!
これを見ても「スカイツリーの謎」というミステリーや都市伝説を解き明かす正体が、井戸掘りの櫓らしいという事がわかりますね。

歌川国芳の浮世絵「スカイツリーの謎」を明かすもう一つの真相!

出典: http://xn--pckhn6qwa9bw091b5jnuo4dopq.biz

葛飾北斎 東都浅草本願寺

もう一つ「スカイツリーの謎」というミステリーを解き明かす、鍵と言われる画像があります。
上の絵は江戸時代に葛飾北斎が描いた「東都浅草本願寺」という浮世絵ですが、画像の左側に雲の上に突き出た高い塔の様なものが描かれています。

これも井戸掘り用のやぐらではないかと言われ、当時のやぐらはこの画像でもわかるように、深い井戸を掘る場合はかなり高いやぐらを組んでいたとされています。

この画像を見ても「スカイツリーの謎」というミステリーや、都市伝説を解明する手掛かりが「やぐら」ではないかと思われます。
これによりスカイツリーの画像に描かれた高い塔は、当時の井戸掘り用のやぐらという事になります。

歌川国芳の浮世絵に描かれたもう一つの予言!

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上の絵は、歌川国芳の「東都御厩川岸之図」という浮世絵ですが、急に降ってきた激しい夕立に左の3人の男たちは、1つの傘に入って雨をしのぎ、真ん中のうなぎ取りはあきらめ顔で雨に濡れています。
ここで右側の男は番傘をさして、小脇に傘を3本抱えており、傘を待っている誰かの元に先を急いでいる様子の、何気ない浮世絵ですが、
この中に、歌川国芳が未来を予言する能力を持っているのではないかというミステリーが描かれているのです。

この右側の男の持っている傘に書かれている、番号を下の画像に拡大してみます。

歌川国芳の浮世絵を拡大してみると!

出典: http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp

右の男がさしている番傘に書かれた番号を見てください!
「千八百六十一番」、この数字がミステリーと新たな都市伝説を呼んでいます!

この書かれた番号「千八百六十一番」=1861番という4桁の数字に深い秘密が隠されているのです。

実は歌川国芳が亡くなった年が西暦1861年で、国芳がこの絵を描く時に自分の亡くなる年を予知・予言していたのではないかと言われています。

単なる偶然!?

江戸時代に生きた国芳が西暦の概念をどれくらい知っていたかどうか不明ですが、
当時西洋絵画の影響を強く受けた国芳ですので、西暦の概念を知っていたという可能性も否定できません。
しかし例え知っていたとして、自分の没する年号を予知し、その年号を自分の浮世絵に書き込み、未来にその謎解きを託すという、国芳の奇想天外な発想が何ともいえずミステリーに包まれており、まんざら嘘とも言えず、その真相は如何に? というところでしょうか。

歌川国芳はiPhoneの出現も予知していた!

出典: http://onikowa.com

これも歌川国芳が描いた浮世絵です。
女性が、手に何かを持って振り向いている、特に変わったところもない普通の浮世絵ですが、
女性の手に持っている部分を下の画像に拡大してみましょう!

この女性の持っている物の正体の真相は?

出典: http://onikowa.com

この女性が持っているのは、どう見てもiPhoneに見えませんか?
四角い形状、明らかにiPhoneです。しかもケース付きで使っていますね。
また絵の右上には、iPhoneの画面のイメージが拡大されて描かれています。
多分、ボーイフレンドとメールをやり取りして、彼が自撮りした画像でも受け取っているところでしょうか?

そして、iPhoneの絵はこれだけではないのです!
次の絵を見てください。

更なる、iPhoneが描かれた浮世絵の真相とは?

出典: http://onikowa.com

この絵も女性を描いた歌川国芳の何の変哲もない浮世絵ですが、この女性の手元の部分を、下の画像に拡大してみましょう!

女性が、使っている正体はiPhoneだった!

出典: http://onikowa.com

この女性が眺めているのは、明らかに黒いiPhoneに見えませんか?
現代ではよく目にする女性の光景ですが、この女性も誰かとメールのやりとりか、Twitterにでも投稿しているのでしょうか?

こうしてみると、恐るべし歌川国芳の予知・予言能力ですね!

今も現代にタイムスリップして次なる画材を物色する為に、秋葉原辺りを彷徨しているかも知れません。
次は3D VRメガネでも、浮世絵に描くかもしれないですね!

浮世絵に描かれたハンバーガーの正体の真相とは?

出典: http://d.hatena.ne.jp

上の浮世絵を見てください!
この絵は歌川国芳の作品ではないですが、江戸時代に描かれたと思われるこの浮世絵に「ハンバーガー」が描かれているという評判がネット上に拡散し、また一つの都市伝説が生まれています。
「そんなの嘘に決まっている!」と言う前に、そのハンバーガーと思しき部分を、拡大した下の画像をみてください。

確かにハンバーガーに見える!

出典: http://mag.japaaan.com

これはどう見ても、現代の食べ物ハンバーガー、しかもチーズバーガ―らしい。
この絵を見た人の、全員が「これはハンバーガー」と答えるでしょう。
では何故江戸時代に、ハンバーガーが存在したのだろうか?
この都市伝説の真相とは?

さらに次の画像を見てください。

この浮世絵にも、足元にハンバーガーが!

出典: http://livedoor.4.blogimg.jp

この上の浮世絵にも、実はハンバーガーが描かれているのです!
画像がちょっと小さいので、下の拡大した画像を見てください。

足元になんと、ハンバーガーが描かれている!

出典: http://riku-logeq.tumblr.com

この浮世絵の女性の足元にもハンバーガーらしきものと、その横にまるでフライドポテトのような物が描かれていますね。
この浮世絵が本当に江戸時代に描かれた絵でしょうか?

どうもこの絵は、現代のアートとして浮世絵風に描かれた作品のようです。
つまりこの絵に纏わる都市伝説も、嘘の可能性が強いという事ですね。

このハンバーガーの浮世絵の正体は、現代アートだった!

上のハンバーグの絵は、現代の技術を使って描かれたアートだったのですね!
次の下の絵も江戸時代の女性がソフトクリームを持つ絵ですが、やはり嘘とは言えない現代アートで描かれたものか、加工された絵のようです。
つまり現代の技術を使って描かれた、浮世絵風の絵ということになりますね。

出典: http://scontent.cdninstagram.com

歌川広重が描いた浮世絵にも未来予知の謎が!

出典: https://auctions.c.yimg.jp

歌川広重「東海道五十三次」

歌川 広重は本名を安藤広重といい、江戸時代末期に活躍した浮世絵師で、沢山の浮世絵の傑作を残しています。
広重の絵は日本の他の絵師にも影響を与えたばかりではなく、西洋の画家ゴッホも広重の絵に影響を受けたとされ、ゴッホは広重の絵の模写をいくつか残しています。
歌川広重は36才の時に彼の作品の中でも特に傑作といわれる「東海道五十三次」の絵を描いています。
これは江戸から京都までの53の宿場の様子を描いた浮世絵です。

実はこの「東海道五十三次」の浮世絵の中に、謎があるとされています!

歌川広重が残した、未来の予言!

出典: http://m-y-star.com

「東海道五十三次」宿場町

この歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」は、広重が単に53カ所の宿場を絵にして描いただけではなく、未来への予言や予知をこの絵の中に描いていると言われています。

いわば少し前に話題となったダヴィンチ・コードに対して、ヒロシゲ・コードという訳です。

この「ヒロシゲ・コード」に関しては、本にも書かれています。

「広重の暗号(ヒロシゲ・コード)―東海道五十三次の謎」
坂之 王道著
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413035984/calseed-22/ref=nosim/

出典: http://zenpaku.huu.cc

「東海道五十三次」日本橋

ヒロシゲ・コードの著者は、「東海道五十三次」の53の宿場を、歌川広重が誕生した1797年を、起点の日本橋に当てはめ、下記のように4年毎の年号を宿場毎に順番に当てはめています。

品川(1801)、川崎(1805)、神奈川(1809)・・・・・吉原(1853年)・・・・蒲原(1857)・・・・・金谷(1893)・・・・・
四日市(1969)・・・大津(2009)、京都(2013)
という具合になります。

ちなみに、何故4年毎にあてはめているのでしょうか?
歌川広重が活躍したのは江戸後期で、この頃日本には道教が広まり、その神秘思想や風水思想を広重は学んでいたそうで、この神秘・風水思想では四という数字が重要だそうです。
従って、4年ごとに区切ってその年号を宿場毎に当てはめると予言の謎が見えてくると著者は推測しています。

それでは、この「東海道五十三次」の浮世絵に秘められた謎を見ていきましょう!

左富士が描かれた吉原の謎!

出典: https://www.adachi-hanga.com

「東海道五十三次」吉原

最初に取り上げるのは、「吉原」1853年です。

1853年には、小田原をM6.7の直下地震が襲っています。
また、翌年には遠州灘を震源とするM8.4の巨大地震が、東海道の遠州灘一帯を襲い、吉原近郊の遠州、駿河周辺で大きな地震が相次いで発生しています。

「東海道五十三次」が描かれたのがこれよりも20年前の、1832年頃だったので、この吉原の浮世絵は描いた広重はこれらの地震を予知していたのではないかと言われています。

その根拠は、この絵にある富士山が松の木の奥に、左に見えている(左富士)状況が物語っているというものです。
東海道を江戸から京都に向かって歩くと富士山は右側に見えて、歌川広重が生きていた当時の吉原でも右側にしか見えなかったそうです。

しかしその後吉原は、幾度かの大地震と津波によって壊滅し、場所が内陸に移されたそうです。
そしてこの内陸に移った新しい宿場町吉原の道が、ある場所で北側に向かって延び、左に富士山が見えるようになったそうです。

広重は、20年も前にこれを予知して「左富士」を書いたのではないかと推測されています。
何とも嘘とも言えない不思議な話ですね。

雪の降る蒲原に秘められた謎?

出典: https://upload.wikimedia.org

「東海道五十三次」蒲原

次に1857年が割り振られた「蒲原」の絵です。

蒲原は、静岡県の富士川河口の町で、気候は温暖で雪が積もることはない町です。
広重は、まるで雪国の様な雪景色の蒲原を描いていますが、何故、わざわざ滅多に降ることも無い雪景色を描いたのでしょうか?

この蒲原に割り当てられた1857年は、異常気象の年で江戸でも7月から9月の夏の間に雪が降ったそうです。
広重は1832年に、25年後の異常気象を予期して雪景色の蒲原を描いたのでしょうか?
これも何とも、不思議な話です。

強風の吹く四日市に秘められた謎!

出典: http://xn--pckhn6qwa9bw091b5jnuo4dopq.biz

「東海道五十三次」四日市

次は、1969年が割り当てられた四日市の絵です。

この絵には強風が吹いている様子が描かれていますが、四日市が特に風が強い地域とは言われていません。

この本によりますと1966年には最大瞬間風速85.3メートルという日本の気象記録に残る最大風速を持った台風が愛知を襲っているそうです。
また、1969年には関東、1970年は全国的に台風被害が発生し沢山の死者が出たそうです。
そして、四日市で有名な台風と言えば1959年に発生した伊勢湾台風で、時期は10年ほど前ですが、広重がこの絵を描いた頃からは未来にあたります。
これも考えようによっては、不思議な話ですね。

[まとめ]

いかがでしたか?
浮世絵に描かれた、スカイツリーやハンバーガーの謎は、その真相が分ると何となく納得がいきますね。
でも、世の中には「オーパーツ」の存在など、今だに解明されない謎も沢山残っており、それを解明する努力も続けられたいます。
しかし、謎は謎として残しておいた方が、興味が尽きなくて面白いという気もしますが、どうでしょうか...

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