2021年05月11日公開
2021年05月11日更新
『マンセル要塞』海に浮かぶ?謎の廃墟の内部や位置を大調査
世界の廃墟写真でもよく見かける『マンセル要塞』。宮崎駿作品にでも出てきそうな赤茶びた鉄の建物は非現実的で、幻想的ですらある。海から突き出たこの鉄塊は、現在も北海に浮かんでいます。今回は謎の廃墟『マンセル要塞』をご紹介したいと思います!
目次
海を一望する廃墟『マンセル要塞』
出典: https://www.pinterest.jp
第二次世界大戦において、イギリスを防衛するために設置されたテムズ海上要塞、それがマンセル要塞である。
設計者のGuy Maunsellの名に因んで名付けられた。
This artificial naval installation is similar in some respects to early "fixed" offshore oil platforms.
この人工軍事設置は、いくつかの点で初期の"固定"海洋石油プラットフォームと同様である。 wikipediaより
wikiにもあるようにマンセル要塞は、現代の海上石油プラットフォームの先祖といえる。
この要塞はあらかじめ構造を造っておき、浮かせてテムズ入り江の設置場所まで移動させた後、浅い底に着底させることで極めて短時間に設置されたようである。
日本語のwikipediaにはマンセル要塞全体の情報が実は殆どない。
マンセル要塞の背景は、英語のwekipediaから歴史を紐解く必要があるだろう。
第二次世界大戦とイギリス
第二次世界大戦
1939年~1945年までの6年間、
ドイツ・日本・イタリアを中心とした枢軸国陣営と、
イギリス・ソ連・アメリカ・中華民国の連合国陣営
との間で戦われた全世界規模の大戦争。
開戦当初は戦争とは思えないほど平穏な日々だったが、フランスの降伏後は、単独でドイツと戦った。ドイツ軍の上陸を想定し、沿岸地域の住民に対し様々な対策を試みた。1940年8月下旬からはロンドンをはじめ、各都市がドイツ空軍爆撃機の夜間無差別爆撃に遭い、多くの市民が死傷し、児童の地方への疎開や防空壕の設置、地下鉄駅への避難が行われた。 また、ドイツ海軍Uボートによる通商破壊により食糧や生活物資の供給は逼迫、さらに燃料の枯渇と近海での軍事作戦のために漁業活動にも影響が出たことで、食料品をはじめとする生活必需品は配給となり、国民は困窮した生活を余儀なくされた。
窮地にたったイギリスのとった行動
出典: https://ja.wikipedia.org
メルセルケビール海戦
第二次世界大戦で同盟国だったはずのイギリスとフランスとの間の海戦。
同盟国だったはずのフランスが降伏してしまったことに焦ったイギリスは、補給路を絶たれる前にこちらから叩いてやろうと取った行動がこれである。
結果フランスの軍艦4隻を沈めたものの、国土を焼きたくないフランスが同盟に戻ってくることはなく、イギリスは孤立状態に。
写真:wikipediaメルセルケビール海戦より
ドイツ軍の侵攻により、1940年6月22日フランスは降伏した。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは、フランス海軍の艦隊がドイツの手に下り、イギリスのシーレーンを脅かす存在になることを危惧した。そのため、イギリス海軍はフランス艦隊がドイツに渡らないように、自軍の指揮下に入れるか、無力化するために作戦行動を起こした。
出典: http://www.zimbio.com
不安通り補給路は絶たれ、1940年9月から1941年5月までの約8カ月間にナチス・ドイツから激しい爆撃を受け多数の死者を出す事になる。
後に「ロンドン大空襲(ザ・ブリッツ)」と呼ばれる大規模な空襲だった。
『マンセル要塞』が戦争で果たした役割
ここまで順調だったドイツのイギリスへの攻撃だったが、ずっと中立を守っていたアメリカの介入により一変することとなる。
アメリカが第二次世界大戦に参戦し、イギリスに物資を供給しはじめた。
これにより受身いっぽうだったイギリスが拮抗まで回復することになる。
マンセル要塞の設置
出典: https://www.pinterest.jp
マンセル要塞の断面図
アメリカの支援を受けたイギリスはエセックス海岸から18キロ前後の位置に1942年、幾つもの要塞を設置。
ドイツの空爆に備えました。
結果30回の空襲で22機の航空機がこの要塞により撃墜され、Eボート1隻を撃破する快進撃。
ドーバー海峡の制空権をなかなか勝ち取れないドイツは1942年6月、ソ連の油田へと矛先を変えた。
出典: https://www.pinterest.jp
マンセル要塞の構造
アメリカの介入があればこそとはいえ、マンセル要塞の設置でここまで戦況をひっくり返せるイギリスの肉弾戦の強さには感服する。
大空襲に苦しんだ前年を考えると、要塞を設置した同年にドイツに軍を引かせたマンセル要塞の果たした役割は、かなり大きなものだといえる。
海上石油プラントにそっくりなマンセル要塞に阻まれて、ソ連の油田に矛先を変える事になったドイツの運命には皮肉を感じずにはいられない。
『マンセル要塞』の位置
出典: https://en.wikipedia.org
wikipedia(英語版)によると、マンセル要塞は二つのグループが存在し、建設位置も役割もそれぞれ違うようだ。
Navy Fortと呼ばれるU1~U4
空母と軍艦の攻撃から首都を防衛する役割。
外海に位置し、外からの強襲にはまずこのグループが防衛に当たる。
Army Fortと呼ばれるU5~U7
対空防衛を目的とした砦。
内海に位置するこのグループは町を守護する文字通り最後の砦という役割だ。
写真:wikipedia英語版Maunsell Fortsより
ふたつの『マンセル要塞』
出典: https://www.pinterest.jp
Navy Fort
ラフ・サンズ・フォート(U1)
サンク・ヘッド・フォート(U2)
タング・サンズ・フォート(U3)
ノック・ジョン・フォート(U4)
の4つで構成されている。
ラフ・サンズ・フォートは現在もシーランド公国として現存しています。
サンク・ヘッド・フォートは明らかに領海外に位置し、戦後無人となった砦の放送施設を利用させないために1967年8月18日に解体されました。
タング・サンズ・フォートはドイツのEボートを沈めるという輝かしい戦功を掲げながら、1960年半ばにガタがきて砂の底に倒壊。
ノック・ジョン・フォートは2009年に現存が確認されています。
ただし脚にゆがみが発見されているようです。
出典: https://www.pinterest.jp
Army Fort
ノール・フォート(U5)
レッド・サンズ・フォート(U6)
シバリング・サンズ・フォート(U7)
の3つで構成されている。
七つの相互に接続された鋼鉄製プラットフォーム、制御塔を囲む五つの砲台によって形成されている。
各要塞はQF 3.7インチ高射砲とボフォース 40mm機関砲を備えていた。
ノール・フォートは1953年のひどい嵐でひどく損傷を受け、その後ノルウェー船Baalbekが衝突。2つの塔が崩壊、民間人4人の死者を出した。
更に崩壊の危険があるとされ、1960年前後に曳航。その残骸は今もケントに保管されており、見物する事ができる。
レッド・サンズとシバリング・サンズは現在も現存しているが、シバリング・サンズの塔の一つは1963年に船が衝突し、失われている。
『マンセル要塞』シバリング・サンズ内部
出典: http://www.bldgblog.com
マンセル要塞のトイレ
出典: https://www.flickr.com
マンセル要塞の寛ぎの場所
微妙に生活感のある内部…
出典: http://www.bldgblog.com
マンセル要塞の日用品
出典: http://www.bldgblog.com
出典: https://www.flickr.com
マンセル要塞での生活
出典: https://www.flickr.com
マンセル要塞での生活
なぜ廃墟のはずのマンセル要塞にこんな生活感ある建物が存在するのか?
2005年8月からアーティストのStephen Turnerが、芸術活動として6週間単独でシバリング・サンズで過ごした…とwikipediaにあります。
コンロにレンジ、そして洗剤…。
外の幻想的な光景も一気にフェードアウトしてしまいそうな内部です。
しかし内部は案外広い。
綺麗とは言い難い内部ですけど、快適に過ごせる広さはありそうです。
『マンセル要塞』レッド・サンズ内部から外を写す
出典: http://www.bldgblog.com
マンセル要塞からの眺望1
出典: http://www.bldgblog.com
マンセル要塞からの眺望2
出典: https://www.flickr.com
マンセル要塞のデッキ
ロマンはあるが内部も鉄でサビサビ、潮の寝食でボロボロ…。
正直、泊まるのは怖い気がする(怪我しそう)
内部に興味はあるが、外から眺めるくらいがちょうどいいのかも?
『マンセル要塞』Army Forts動画
タイトルにも紹介文にも名前の記載が確認できなかったので、レッド・サンズなのかシバリング・サンズなのかは確認できませんでした。
ただ2つ目の動画には鉄塔が7つありましたので、多分レッド・サンズではないかと思います。
1つ目は内部からするとシバリング・サンズかな?と思うのですが…。
レッド・サンズかシバリング・サンズかを確認する時、鉄塔がいくつあるかで確認ができます。
wikipediaによるとレッド・サンズは7つあり、シバリング・サンズは7つのうち1つを船舶の接触事故で崩壊させているので、鉄塔は6つです。
『マンセル要塞』ノック・ジョン・フォート現在の姿
2009年に撮影されたものです。
現在もあるのかは確認が取れませんでした。
『マンセル要塞』が生んだミニ国家。その位置は?
出典: http://middlecrest.net
9月2日に「建国50周年」を迎えた自称「世界最小国家」であるシーランド公国。
建国50周年記念祝典パーティも、イギリスはロンドンで夜会が開かれたとか。
幅9メートル、長さ23メートル。長さの少し足りない学校のプールくらいの大きさの、世界最小(正規)国家であるヴァチカンよりも小さい。
そんなイギリス沖に位置するシーランド公国は現在も海上に健在である。
シーランド公国の位置
出典: http://artikl.org
Navy Fortの中でも一番北に位置するフォート・ラフス。
wikipediaによると、エセックス海岸から13キロ離れた北海洋上に位置しているようだ。
北海にあるシーランド公国…名前とは裏腹に冬はかなり寒そう。
海賊放送の拠点となった『マンセル要塞』
1960年代イギリスに民放ラジオがなく、公営放送のBBCではポップミュージックの放送は1日に45分のみ。
人々の不満が溜まっていた。
そこで公海上の船舶から電波を流す、政府非公認のラジオ局が次々開設。
戦後になり無人化していたマンセル要塞が「ラジオ局」として利用されるようになった。
そんな海賊放送の一つに、Paddy Roy Batesの運営する「ラジオ・エセックス」とRonan O'Rahillyの運営する「ラジオ・キャロライン」があった。
ロイ・ベーツとロナンは放置され無人だったフォート・ラフスに上陸し、放送を開始。
しかし二人の間に不和が起こり、ロイ・ビーツがフォート・ラフスを占領。ロナンを追放した。
1967年、ロナンはフォート・ラフスを襲撃しようとしたが、ロイ・ベーツの銃火器を使った激しい抵抗にあう。
英国王室海兵隊はロイ・ベーツに降伏を命じ、彼と彼の息子を逮捕。起訴された。
だが裁判所は国際事件の管轄権を所有してはいなかった。
フォート・ラフスは「公海上なので司法の管轄外」だとロイ・ベーツは訴えを退け、英国側もこれを受諾。英国は二人を釈放するしかなかった。
イギリスは領海を12海里に広げることを宣言するが、時既に遅しだった。
独立宣言!シーランド公国開国
出典: http://gigazine.net
ロイ・ベーツはフォート・ラフスに戻ると独立を宣言。
フォート・ラフス・タワーの名をシーランド公国と改名。
ロイ・ベーツ公を名乗り国王に就任すると、憲法を定め、国旗や国歌を発行した。
1978年、ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハを首相に任命し、国益を奨励するためカジノを作ろうとした。
しかしアッヘンバッハにクーデターを起されてしまう。
アッヘンバッハはロイ・ベーツの息子であるマイケル皇太子を人質にとると、ロイ・ベーツをシーランド公国から追放する。
元英国陸軍少尉であったロイ・ベーツはロンドンに亡命(?)すると、20名の手勢を集めてヘリコプターで強襲。反乱を鎮圧した。
アッヘンバッハは公国のパスポートを持つ「国民」であることから、シーランド公国より「反逆罪」で投獄され、7万5千マルクの罰金を命じられた。
西ドイツ政府はイギリス政府に自国民であるアッヘンバッハの釈放を依頼したが、1968年の「自国の司法の管轄外」という判決を理由に断り、やむなく西ドイツ政府はシーランド公国へ外交官を派遣し開放交渉を行う事となった。
一国から正式に外交官が派遣されるという事態に「わが国は西ドイツ政府によって承認された」とベーツは喜び、罰金を取り下げた。
その後、アッヘンバッハはシーランド公国の「「枢密院議長」を自任して、亡命政府を樹立。現在もアッヘンバッハの「後継者」が正統政権を主張しているとか。
しかし人口島であって隆起した土地ではないシーランド公国は、領地を持たないあくまで自称国家。国連にすら加盟しておらず、世界中で承認している国はひとつとしてないのも仕方のない事である。
自称だからこそ助かっている部分が大きい事は否定できない。
数々の困難も「公海上により司法の管轄外」という裁判所の決定によって、首の皮一枚が繋がっている印象だが、それはイギリス側も同じ事。司法の管轄外に置いたままにする事で、面倒事に不介入の立場を保っているような気がすますしね。
『マンセル要塞』ラフ・サンズ内部
出典: https://www.elespanol.com
出典: http://karapaia.com
出典: http://gigazine.net
出典: http://gigazine.net
出典: http://gigazine.net
出典: http://gigazine.net
出典: http://gigazine.net
『マンセル要塞』ラフ・サンズ(シーランド公国)内部動画
意外なほど綺麗に整備(?)されてて、案外広い内部に少しびっくり。
国民は普段はロンドンに住んでいるという話だから、国が別荘って感じですね。
ちなみに動画は英語です。
『マンセル要塞』国土を襲った災難
出典: https://www.elespanol.com
2006年6月23日マンセル要塞では、老朽化した発電機から火災が発生し、国土を半焼。
一人で留守を守っていた守衛(?)が負傷、病院に運ばれた。
25日にはベーツ夫妻が国土に戻り、私財を投じて国土を復旧。27日には電力も戻った。
出典: http://gigazine.net
燃えた発電機。
しかしマンセル要塞の復旧作業で資金が圧迫。
2007年1月8日日付のイギリスのデイリー新聞にて6500万ポンド(約149億円)で、国全体が売りに出されてる事が報じられた。
あくまでも国家の主権は「売り物」ではないため、シーランド公国側では「売却」ではなく「譲渡」という言葉が用いられたようだ。
マイケル皇太子は「売国」に踏み切った理由を「ベーツ公は85歳となり、自分も54歳で、シーランド公国の将来には若い力が必要だから」と説明しているが、シーランド公国という国名は変更しない事、法や国体を維持し続ける事を条件に出している。
これを受けてスウェーデンのトラッカーを扱うウェブサイト「パイレート・ベイ」が買収に名乗りを上げたが、シーランド公国側に拒絶され断念したようだ。
149億円とは…またすごい金額をつけたものだなと思います。
この位置の利点は360度の大パノラマ、土地による財産税がかからない点と「どこの国にも属さない公海上の位置」だけである。
それをどこかの国に所属している人間が購入するとなると、公海上の位置を利用したネット犯罪(重い軽いはともかく)くらいのものしかなくなってしまうだろう。
犯罪が関わらない限り誰もこんな辺鄙な場所に高いお金を出して、仕事の机は広げませんしね。
シーランド公国にはネットに関する取締り事項も存在する事を考えると、パーレート・ベイが拒絶されたのはそのあたりに理由があるのだろうか。
現在の『マンセル要塞』
出典: https://www.pinterest.jp
残されたマンセル要塞のArym Frot(レッド・サンズ、シバリング・サンズ)はwikipediaによると、保護の方向に話がいっているようだ。
Project Redsandsが保存のため結成され、安全に過ごせるかどうかを内部に留まって試し、現在修繕などを行っているという話だ。
内部へのアクセスは、現在の所1つの塔から安全なプラットフォームが作られているが、波が穏やかでないと上陸は難しいらしい。
保護団体が結成されたのは割りと近年の話ですので、以前は自由に入れたらしい内部も、現在は自由というわけではないようです。
ノール・サンズの残骸は現在もケルンの村に安置され、自由に見物ができるとの事。
現在のシーランド公国
出典: http://blog.goo.ne.jp
現在も漁業を営みながら国政(?)を取るマイケル公。
そのシーランド公国の主要な財源は、寄付と同国ホームページで販売されている記念コイン、マグカップ、国旗などのグッズ。
爵位や騎士団などの『名誉』もお金で買える。
「卿・男爵」29.99ポンド(約4560円)。
「ナイト」99.99ポンド(約1万5200円)。
「侯爵・伯爵」199.99ポンド(約3万420円)。
「公爵」500ポンド(約7万円)※
なお、同国内の「領地一区画」も19.99ポンド(約3040円)と良心的価格(?)で販売されているとか。
※50周年で加わった公爵位。
これが50周年記念の限定なのかどうかは不明。
写真:シーランド公国建国50周年記念ピンバッジ
マンセル要塞【まとめ】
歴史から紐解くマンセル要塞の謎はいかがでしたでしょうか。
比較的浅い歴史であったこともあって、謎となっていた部分が解明しやすかったですが…あなたの知りたい謎が少しは解明されてたら光栄でございます。
第二次世界大戦の歴史って、日本が激しい戦争をしていた事もあってか、教科書では日本とアメリカが中心。あまりヨーロッパの情勢までは知らなかったです、正直(笑)
マンセル要塞のことを知ることができたいい機会だったなと思っております。
国を守ったマンセル要塞と、その要塞から一国(?)を上げた…まさに男のロマン。
マンセル要塞ってそんなところでした。