200万人のドイツ人女性をレイプ…ソ連兵の蛮行とベルリン崩壊後の戦争犯罪

ヒトラーにとって第二次世界大戦は、連合国を敵とした戦争と、独ソ戦と呼ばれるソ連を敵とした2つの戦争でした。ベルリンが陥落し戦争が終結してもソ連兵士や将校によるドイツ人女性へのレイプ犯罪は後を絶たず、実に200万人のドイツ人女性がレイプされたと言われています。

200万人のドイツ人女性をレイプ…ソ連兵の蛮行とベルリン崩壊後の戦争犯罪のイメージ

目次

  1. 1イデオロギーの戦い!独ソ戦争
  2. 2ベルリン陥落!ヒトラーの死と戦争の終結
  3. 3捕虜の人権を謳ったハーグ陸戦条約
  4. 4ドイツ女の高慢さを暴力で打ち砕け!奴らは正当な戦利品だ!
  5. 5戦争終結!ベルリン陥落後ドイツ西部への脱出
  6. 6戦争終結後も続いたソ連軍の蛮行
  7. 7戦争を生き抜いたドイツ共産党員がレイプ被害?
  8. 8ソ連兵の蛮行の対象はドイツ人だけではなかった
  9. 9世界の歴史上類をみないソ連軍兵士のレイプ犯罪
  10. 10ロシアではレイプ犯罪の発生率が低い?
  11. 11まとめ:

イデオロギーの戦い!独ソ戦争


アドルフ・ヒトラー
 


出典: https://www.kobe-np.co.jp
 


ドイツのヒトラーはヨーロッパ東部で繰り広げられたソ連軍との戦争と、アメリカを中心とした連合国軍との戦争とを区別し、対ソ連戦を「イデオロギーの戦い」と呼びました。
ドイツの西部地区で展開された戦闘と、東部で展開された戦闘を別物と考えたヒトラーはソ連軍との戦争をどちらかが絶滅するまで戦う戦争と位置付けたのです。

 

ソ連軍のベルリン作戦の発動


第二次世界大戦の戦争末期の1945年4月16日にソ連軍はベルリン陥落を狙い、ドイツの首都ベルリン包囲網を展開する作戦を発動します。これは「ベルリン作戦」と呼ばれました。一方、ヒトラーはドイツ軍守備隊はもちろん、女性や子供を含むベルリン市民のベルリンからの退却を許さず、ベルリン市民を首都ベルリンでのソ連軍との攻防戦に動員する蛮行に及びました。
 

ベルリン陥落!ヒトラーの死と戦争の終結


【1908年6月4日】アンゲラ・「ゲリ」・ラウバル(Angela „Geli“ Raubal)誕生。
アドルフ・ヒトラーの姪。
1931年自殺。 pic.twitter.com/6v43L7FToW
— 管区指導者 (@Kreisleiter_) June 4, 2017
 


4月23日に始まったベルリンの市街戦は激しい攻防戦となり、一般市民30万人の犠牲者を出します。結果ドイツの首都ベルリンは陥落し、4月30日にはヒトラーは結婚したばかりの妻とともに自殺を遂げます。そしてドイツ国防軍は無条件降伏に追い込まれていくのです。この独ソ戦におけるソ連軍兵士の戦死者は1000万人、ドイツ兵の戦死者は500万人と言われています。
 

独ソ戦争のロシア人犠牲者は第二次世界大戦の交戦国で最大


兵士だけでなく民間人の犠牲者を加えると独ソ戦におけるロシア人の犠牲者は2000万人に上るとみられ、第二次世界大戦の交戦国の中では最も犠牲者が多い国でした。ドイツではロシア人捕虜500万人が処刑や強制労働で死亡したとされ、ソ連国内ではドイツ人捕虜がやはり処刑や過酷な労働によって100万人が死亡しました。
 

捕虜の人権を謳ったハーグ陸戦条約


1899年にオランダのハーグで批准された「陸戦の法規慣例に関する条約」であるハーグ陸戦条約は、戦争によって捕えられた捕虜は敵の政府の権限内に属し、その捕虜を捕えた個人や部隊に属するものではないことや捕虜を人道的に扱うことを定めた多国間条約でした。後にこの条約が戦争のさまざまな場面で捕虜の人権を守ることになりました。

 

ハーグ条約を継承することを拒否したソ連軍


しかしロシア帝国が批准したこのハーグ陸戦条約をソ連は継承せず1955年まで批准することを拒みました。そしてこのことがソ連軍による戦争犯罪を正当化する状況を生み出してしまったのです。ソ連によるハーグ陸戦条約への調印の拒否がドイツの女性を恐怖のどん底に陥れる集団レイプなどの性犯罪を許してしまったとも言えるのです。
 

ドイツ女の高慢さを暴力で打ち砕け!奴らは正当な戦利品だ!


「暴力で打ち砕く」の暴力にはソ連軍兵士がドイツ人女性を無差別にレイプする蛮行を含んだあらゆる暴力を示します。このソ連軍兵士による性犯罪を助長させる激しい言葉は、第二次世界大戦中にロシア人作家で詩人のイリヤ・エレンブルグが書き記したものと言われていますが、彼自身は「ドイツの陰謀」だとしてこれを認めませんでした。
 

200万人のドイツ人女性がレイプされた悲惨な戦争


そういえばなんか最近女性関連のツイートが多い気がするけど、ドイツ人女性よりロシア人女性のほうが好きですなんて言ったら怒られるだろうか... pic.twitter.com/1eEqEnDHe5
— ほのぼのドイツ軍 (@Bubi_Hartmann_) January 26, 2016
 


第二次世界大戦中、ドイツの東部では200万人に上るドイツ人女性がソ連の兵士によってレイプされたと言われています。この数字は記録に基づいた正確なものではありませんが、独ソ戦争でソ連軍兵士によるドイツ人女性のレイプという蛮行の結果、飛び降り自殺をする女性や幼児と無理心中する女性がおびただしい数に上ったことは間違いない事実です。
 

レイプを避けるためにロシア人将校の愛人になったドイツ人女性


ソ連軍将校の愛人になるドイツ人女性
 


しかしドイツ人女性の中にはソ連兵からの無差別なレイプから逃れるために、ロシア人将校の愛人になった女性も数多くいたようです。また極端な飢餓により、食べ物欲しさにロシア人将校に若い娘を差し出す母親さえいました。戦争は人間の心を極限状態に追い込み、正常な判断を失わせてしまうのです。
 

戦争終結!ベルリン陥落後ドイツ西部への脱出


ベルリンを捨て西部に逃げるベルリン市民
 


首都ベルリンが陥落するとソ連軍の進撃を目の当たりにしたベルリンの市民は、ナチスの守備隊がベルリンを放棄するのを見て、我先にとドイツの西部に向かって逃げ出しました。ソ連兵がドイツ人女性を無差別にレイプすることを彼らは噂に聞いていたからです。そしてドイツが無条件降伏した後もソ連兵によるレイプという蛮行は何年にもわたり続いたのです。
 

ドイツの小都市デミーンでの集団自決は戦争終結後だった


自決
 


ドイツの小都市デミーンでは、市民たちは降伏したにもかかわらず目の前で繰り広げられる暴力や殺人そしてレイプなどのソ連兵の蛮行に希望を失い、遂に900人の民間人が集団で自殺をしてしまいます。さらにこの集団自決の話を耳にしたデミーンの市民は連鎖反応のように自ら命を絶っていったのです。
 

戦争終結後も続いたソ連軍の蛮行


犠牲者総数200万人ともいわれる8歳の子供から70歳の老女に至るドイツ人女性の無差別レイプは戦争が終結した1945年以降も続きました。ハーグ陸戦条約を批准しないソ連兵による被占領国のドイツ人女性への性犯罪は1948年の冬まで続きます。この間ソ連政府は何の手立てを講ずることなく、兵士たちを野放しにしていました。
 

1949年に終息を迎えるソ連軍兵士によるレイプ


ソ連赤軍部隊の隔離
 


しかしソ連軍兵士の蛮行に対する国際世論の高まりにソ連当局がようやく反応します。当局はソ連赤軍部隊のレイプ犯罪にかかわったロシア人将校や兵士らを処分し、兵士たちをドイツ人居住区から完全に隔離しました。結果1949年に占領国ソ連による無差別レイプの性犯罪はようやく終息を迎えるのです。
 

戦争を生き抜いたドイツ共産党員がレイプ被害?


戦争を生き延びたベルリンのドイツ共産党員は歓喜でソ連軍をベルリンに迎えます。ところがソ連軍の兵士たちはその共産党員の妻や娘までもレイプしてしまうという忌まわしい蛮行が明るみに出ます。まさにソ連兵による性犯罪は無差別で、当時はベルリンに駐在した多くのロシア人将校がドイツに占領地妻を持っていたようです。
 

この戦争でベルリンでは女性の50%がレイプされた?


独ソ戦争でベルリンを攻略する際にはベルリンにいた女性の2人に1人はレイプされ、そのうちの10%の女性が何らかの性病に感染したということが書籍「ベルリン解放の真実」の中で語られています。さらに「ベルリンの陥落」の中ではベルリンでソ連兵にレイプされたドイツ人女性のうち1万人が自ら命を絶ったと記されています。
 

ソ連兵の蛮行の対象はドイツ人だけではなかった


強制収容所
 


ソ連軍兵士たちは強制収容所においてもレイプという犯罪を重ねますが、実はその蛮行の対象はドイツ人女性だけではなかったといいます。おびただしい数のポーランド人女性や強制収容所に収容されていた政治信条の違う自国のロシア人女性でさえレイプの被害にあっていたようです。
 

同盟国の女性のレイプ犯罪も黙認したスターリン


第二次世界大戦から戦争終結後にわたって、ソ連の最高指導者であったスターリンはドイツ人女性ばかりでなく、ソ連の同盟国のハンガリー、クロアチア、ルーマニアの女性たちをソ連の兵士が性犯罪を犯すのを黙認していたといいます。後方部隊も含めると2000万人にもなるといわれたソ連の世界最大規模の軍隊は規律、統制という面では多くの欠陥があったこともまた事実です。
 

1週間で250回レイプされたドイツ人女性


エルベ川東部
 


加害者であるソ連側がこれらのソ連軍兵士の蛮行を記録していました。そのソ連の記録によれば1週間のうちに少なくとも250回レイプされたドイツ人女性にロシア人将校が出会ったとあります。さらにドイツを流れるエルベ川の東方の町では、女性住民が教会に集められ、ソ連軍部隊が集団レイプしたという記録も残されています。
 

世界の歴史上類をみないソ連軍兵士のレイプ犯罪


本日8月8日は、ソ連軍満州侵攻から72年です。満州国の滅亡がこの時を持って始まったのでした。 pic.twitter.com/TmlPRzwp58
— 世界のミリタリージョークbot (@World_BrackJoke) August 8, 2017
 


第二次世界大戦中または終結後占領軍の兵士による非占領地の女性がレイプなどの性犯罪の犠牲になることはソ連軍以外の軍隊にもありました。ドイツ軍や日本軍、もちろんアメリカ軍にもありました。しかしロシア帝政がソ連に移行した20世紀以後の歴史において、ソ連の兵士がドイツや満州で行った集団レイプや無差別レイプほど卑劣で破天荒な蛮行は他に例がありません。
 

ソ連の兵士による満州での蛮行


ソ連軍兵士
 


ソ連軍の兵士による戦争犯罪はソ連の東方戦線、満州でも確認されています。第二次世界大戦後、1945年の8月に満州に侵入したソ連軍は国際監視の目を避ける目的で、すぐさま自軍の通信を遮断しました。そして当時満州に住んでいた日本人に対して強奪、暴行、レイプなどの犯罪を欲しいままに行ないました。そして抵抗する者は兵士であろうと民間人であろうとすべて射殺したのです。
 

従軍慰安婦など比較にならないソ連の兵士たちの性犯罪


第二次世界大戦末期にソ連の兵士たちが犯した性犯罪は、韓国で問題になっている日本軍の従軍慰安婦の問題とは比較にならない蛮行だったようです。ソ連兵は満州各地で満州鉄道の列車を止め、女性だけを駅のプラットホームに引きずり出します。そしてまだ明るいうちからプラットホームのコンクリートの上で、母親たちを集団レイプをしたという新聞記事があります。
 

ロシアではレイプ犯罪の発生率が低い?


帝政ロシア
 


世界の国々のレイプ犯罪の発生件数を比較してみるとロシアは10万人につき4.8人と低いことがわかります。南アフリカの123人はともかくアメリカの10万人中25人の5分の1にも満たない犯罪件数なのです。なぜそんなロシア人が第二次世界大戦の戦争中に集団レイプのような過去に例を見ない性犯罪を行ったのでしょうか?

 

まとめ:


ロシアの性犯罪に対する罰則の法律が変わり厳罰化されたためなのでしょうか?それともロシア人妻が嫉妬深く不貞行為を働く男性に暴力をふるうからなのでしょうか?ただ一つだけ言えることは、戦争の殺すか殺されるかという極限状態におかれたロシア人が心のバランスを失ってしまったからだと考えるのは現実的ではないでしょうか?
 


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— ふうらいぼうけいじ (@Huuraibou_Keizi) September 19, 2017
 

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